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2018年3月14日 (水)

コンサートの記(361) ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック来日演奏会2018京都

2018年3月11日 京都コンサートホールにて

午後3時から、京都コンサートホールで、ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン指揮ニューヨーク・フィルハーモニックの来日演奏会を聴く。

アメリカ最古のオーケストラであるニューヨーク・フィルハーモニック。1842年創設。ビッグ5の一角である(ニューヨーク・フィルの他に、ボストン交響楽団、フィラデルフィア管弦楽団、シカゴ交響楽団、クリーヴランド管弦楽団)。グスタフ・マーラーやヴィレム・メンゲルベルク、アルトゥーロ・トスカニーニを常任指揮者としており、歴史が感じられる。最盛期は今年で生誕100年を迎えるレナード・バーンスタインの時代(1958-1969)。アメリカが生んだ初の大指揮者であるバーンスタインとのコンビは輝けるアメリカの象徴でもあった。
バーンスタインの後を受けたピエール・ブーレーズは、お得意の現代音楽を多く演奏したが人気は低迷。続くズービン・メータはニューヨーク・フィル史上最長となる13年間に渡って音楽監督を務めたが竜頭蛇尾に終わり、離任後に何の肩書きも贈られなかった。その後、11年間音楽監督を務めたクルト・マズアは好評であったが、期待されたロリン・マゼールとは着任早々に不仲が噂されるなど波に乗れなかった。日米ハーフで日本でもお馴染みのアラン・ギルバートの時代を経て、今年の9月からヤープ・ヴァン・ズヴェーデンが音楽監督に就任する予定である。

1960年、オランダ生まれのヤープ・ヴァン・ズヴェーデン。ジュリアード音楽院でヴァイオリンを学び、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートマスターとして活躍。その後、指揮者に転向している。インタビューで語っていたが、指揮者に専念するため今はヴァイオリンを弾くことはないそうだ。
オランダ・フィルハーモニー管弦楽団ほかを指揮した「ブラームス交響曲全集」(ブリリアント・クラシックス)で注目を浴び、その後、日本のEXTONレーベルへの録音を開始。ストラヴィンスキー作品などで高い評価を受けている。現在は香港フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督の座にある。ズヴェーデンと香港フィルは昨年、初来日を果たしている(丁度、サントリーホールなど東京の主要ホールが改修工事で閉鎖されていた時期であり、大阪公演のみが行われた)。
遠目なのではっきりとはわからないのだが、ズヴェーデンはどうやら小柄な人物のようで、身長は女性団員と同じぐらい。指揮台は高めのものを用いていた。


曲目は、ワーヘナールの序曲「シラノ・ド・ベルジュラック」、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:五嶋龍)、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」

ニューヨーク・フィルのメンバーは開演まで三々五々ステージに出てきて各々が攫う。開演前になると照明が暗くなってメンバーの楽器演奏が終わり、コンサートマスター(アジア系である)が登場して拍手というシステムである。


ワーヘナールの序曲「シラノ・ド・ベルジュラック」。ワーヘナールという作曲家の名前を聞くのは初めてだが、ズヴェーデンの祖国であるオランダの作曲家だそうである。1862年、ユトレヒト生まれ。ベルリンなどで音楽を学び、ユトレヒト音楽院の教師やユトレヒト大聖堂のオルガニストとして活躍。晩年にはハーグ音楽院の院長も務めている。1941年、ハーグに没す。
序曲「シラノ・ド・ベルジュラック」であるが、どことなくリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」を連想させるような曲調である。後で調べると、やはりワーヘナールはリヒャルト・シュトラウスの作風からかなりの影響を受けたようである。
天才詩人シラノ・ド・ベルジュラックの才気煥発な様子が描かれている。ただ、シラノ・ド・ベルジュラックは色男のドン・ファンとは違い、容貌醜悪で女には全くもてなかった。
ニューヨーク・フィルであるが、弦、管ともに音の輪郭がクッキリしているのが特徴。日本のオーケストラのように音がぼやけるということが一切ない。技術もさることながら、音に対する感度の違いのようでもあり、だとすると日本のオーケストラが欧米の一流のオーケストラに追いつくには相当の困難が予想される。無理して追いつく必要もないわけだが。
弱音の雄弁さも日本のオーケストラにはないものだ。


メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ソリストの五嶋龍は「題名のない音楽会」の司会などでお茶の間でもお馴染みの存在である。
五嶋のヴァイオリンは一音一音を丁寧に刻んでいく。音も美しいが美音に溺れることなく、音楽の核心を確実について行くスタイルである。ムードに流されずにメンデルスゾーンの造形美に光を当てた演奏とも言える。ズヴェーデン指揮のニューヨーク・フィルも五嶋のスタイルに合わせた堅実な演奏を聴かせた。

喝采を浴びた五嶋だが、最後はヴァイオリンを持たずに登場。アンコール演奏を行わないことを示した。


ズヴェーデンの十八番であるストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。ズヴェーデンの巧みなタクト捌きと豊かな音楽性が光る演奏となった。
ニューヨーク・フィルのクリアな響きが生きており、全ての音に勢いと生命力が宿っている。バランス感覚やリズム感にも秀でており、切っ先の鋭い音が最大レベルの音量になってもうるさく響くことはない。上質の「春の祭典」である。バーバリズムを描いた「春の祭典」であるが、ズヴェーデンが手掛けると迫力十分ながらどことなく上品な音楽になる。ズヴェーデンがコンサートマスターを務めていたコンセルトヘボウ管弦楽団はノーブルな音が特徴だが、繋がるものがあるのかも知れない。


アンコール演奏は、ワーグナーの「ワルキューレの騎行」。香港フィルと「ニーベルングの指輪」全曲録音を行っているズヴェーデン。十全のワーグナーであった。

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