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2018年3月28日 (水)

ロームシアター京都 「いま」を考えるトークシリーズ Vol.4「AI(人工知能)と音楽の未来」

2018年3月24日 ロームシアター京都3階共通ロビーにて

午後5時から、ロームシアター京都3階共通ロビーで、「いま」を考えるトークシリーズ Vol.4 「AI(人工知能)と音楽の未来」を聞く。作曲家で情報科学芸術大学院大学(IAMAS)の教授である三輪眞弘と、ソフトウェア技術者でNTTデータセキスイシステムズに勤務する山崎雅史によるトーク。

三輪眞弘は1958年生まれ。東京都立国立高校を卒業後、ベルリン国立芸術大学に進学。子供の頃から音楽をやっていたというわけではなかったので日本の音楽大学に進める可能性はほぼなかったが、ベルリン国立芸術大学は実技必須ではなかったため入学できたという。ベルリン国立芸大では尹伊桑に師事。その後、ロベルト・シューマン音楽大学にも学ぶ。「あかずきんちゃん伴奏機」という作品集のCDでデビューしたが、「レコード芸術」詩で推薦も準推薦も得られず、がっかりコメントが載ったこともある。その後、芥川作曲賞、芸術選奨文部科学大臣賞などを受賞している。

山崎雅史は早稲田大学で西洋哲学を専攻。エマニュエル・レヴィナスを研究し、佐藤眞理人に師事するが、構造主義を減ることでコンピューターに魅力を感じ、NTTに入社。入社時はプログラミングの知識はなかったが、その後、コンピューター部門の第一線で活躍するようになる。また音楽にも造詣が深く、マーラーや現代音楽についての論評を行うほか、共感覚(音に色が付いて見えるという特殊能力。ランボー、シベリウス、スクリャービンなどが共感覚を持っていた)の持ち主でもある。

AIの技術だが、山崎によると、「5年前には囲碁でコンピューターが人間の名人を任すにはあと20~30年は掛かると言われていたのが、ついこの間、コンピューターが囲碁の名人に勝った」ということで日進月歩であることがわかる。
三輪はコンピューターを使って作曲しているのだが、プログラミングして作曲した作品を、必ず人間の体を通して発表する(例えば人間が演奏する)ことにしており、「逆シミュレーション音楽」と称して、コンピューターで作った音楽に物語を与え、架空の伝承などを作るなどして色づけを行っており、コンピューター音楽でありながらコンピューター音楽そのものに留めないような工夫を行っているようである。

山崎はずっとAIに携わってきたため、「AIは春の時代と冬の時代の繰り返し」だと述べる。今のAIに繋がるものが始まったのは1950年代。クセナキスなどはいち早く、コンピュータを取り入れた作曲を行っている。日本では1980年代に国家プロジェクトとしてAIに取り組んだが結果として上手くいかず、その後、冬の時代に突入。現在では情報を大量に取り入れるシステムを構築したことでまた春の時代になりつつあるそうである。

作曲に関しては、J・S・バッハの全ての宗教曲の全てのデータを読み込み、バッハらしい楽曲を作ろうと思えばすぐに出来る水準、またWaveNetでは音声そのものを認識して、譜面ではなく、音としてそれらしいものの作曲が可能になっているという。

ここまで発達したAIによる音楽だが、「AI芸術は可能か」という問いには二人とも否定的である。山崎はコンピューターはデータの取り入れと分析、楽曲の模倣は出来るが「意外性のあるもの」に弱いため、「次はもっと良い作品を書こう」といった意思や「新しい楽曲を書こう」という挑戦力に欠けるため、人間の作曲の水準にはならないというような結論を出し、三輪は「機械が音楽を聴く」ということ自体に否定的であった。
コンピューターは体を持たないため、寿命や死などという観念を持ち得ず、そのため過去や未来に対する想像力を欠きがちで、そのことが芸術的活動においてマイナスとなるようである。

囲碁でコンピューターが人間に勝ったというが、コンピューターは自身が囲碁をやっているという意識があるのかということ自体が問題だそうで、仮にコンピューターが独自に作曲をしたとして、その行為自体をコンピューターが作曲と認識するのかというのもやはり疑問になると思われる。

人間は、意識と無意識を巧みに使い分け(山崎が紹介したジュリアン・ジェインズによると、実は3000年ほど前のイーリアスの時代の西洋人の意識は現代人とは違ったものだったそうで、片方で神の言葉を聞きながら、もう片方で人間としての行動を司るという意識(二分心というそうだ)だったようだ。神の声というのは幻聴らしい)、無意識の要素を整序して意識化し、それを創造に生かしたりも出来るのだが、コンピューターにはそもそも意識も無意識もないため(無意識ということを意識できるのは意識というものが確固としてあればこそである)、人間並みの創造力を発揮するのはほぼ永久に不可能だということになるようだ。

意識・無意識というのはフロイトの提唱に始まった比較的新しい学問であり、科学のベースで人間の心を探究するにはまだ道半ばであり、フロイトやユングの考えもまだ十分に点検出来ているわけでもないようである。なお、コンピューターの意識・無意識の把握については三輪と山崎の間で相違が見られ、三輪が「音楽を聴いて感動するのは無意識によるものだがコンピューターには意識しかない」としたのに対して山崎は「コンピューターがやる囲碁のようなものは全て無意識」と認識しているようである。コンピューターには意識の顕在化というものがないという解釈のようだ。

人間個人が把握できない人間の意識と無意識の豊穣さが、ある意味、芸術活動に貢献しているような気もする。



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