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2018年4月20日 (金)

観劇感想精選(241) 「憑神」

2007年10月2日 道頓堀の大阪松竹座にて観劇

午後4時30分より、大阪・道頓堀にある大阪松竹座で、浅田次郎の小説を原作とした舞台「憑神」を観る。脚本・演出:G2。出演は、中村橋之助(現・八代目中村芝翫)、鈴木杏、葛山信吾、升毅、藤谷美紀、、陰山泰、コング桑田、デビット伊東、秋本奈緒美、螢雪次郎、笠原浩夫、初嶺麿代、福田転球、野川由美子ほか。


「憑神」開演。3階席の一番前の列で観たのだが、視界に、3階席の柵の上の高さ15cmほどのガラス板が入る。私自身は特に邪魔とは思わず、ガラス越しに見ると役者の顔の輪郭が逆にクッキリしたりして良かったのだが、気になる人は気になるだろう。

頃は幕末。御徒士(将軍の出立の際に、徒歩で護衛を務める下級御家人)である別所家の次男・彦四郎(中村橋之助)は、お堅すぎる性格が玉に瑕だが武芸に秀でた侍。しかし家督も何も継げない次男ということで(江戸時代は長子単独相続である)、小十人組頭である井上家の養子に入っていたのだが、陰謀によって井上家を追われ、実家の別所家に出戻っている。別所家は、大坂夏の陣の際に先祖が徳川家康の影武者となって、真田幸村相手に名誉の討ち死にを遂げたという家柄で、代々江戸城西の丸紅葉山の具足番を務めている。とはいっても、具足の手入れが主な仕事であり、毎日のように仕事があるわけでもない。太平の世が続き、具足の出番はなくなり、具足番の仕事も名前だけのものになりつつあった。現在の別所家の当主は、彦四郎の兄・左兵衛(デビット伊東)であるが、この左兵衛というのがものぐさで、具足の管理をろくにしていない。

ある日、彦四郎は、草むらに隠れていた小さな祠を見つける。三巡と書かれたその祠に手を合わせた彦四郎。ところがその祠が、貧乏神と疫病神と死神を祀る祠だったからたまらない。早速、両替商・伊勢屋を名乗る貧乏神(升毅)が現れる。名ばかりの仕事しかない別所家の台所事情は当然苦しい。貧乏神から逃れようとする彦四郎に、貧乏神こと伊勢屋は、“宿替え”なるものを提案する。何でも貧乏神が取り憑く先を替えることを“宿替え”というのだそうで、取り憑く先は彦四郎が決められるという。彦四郎は、自らを罠にはめ、井上家から追い出した、義父の井上軍兵衛(螢雪次郎)を宿替え先にしてみた。すると井上家は火事を出し、お取りつぶしに。しかし、貧乏神の次には疫病神が巡ってくることになり、最後は死神までやってくるという。彦四郎はまたもや宿替えをすることになるのだが……。

江戸幕府の崩壊を背景に、混乱の世をいかに生きるかを問うた作品。

原作も脚本も演出も良いのだが、何といっても役者、それも中村橋之助を見せる芝居である。橋之助も観衆のためのサービス精神に満ちた魅せる芝居をする。それが、舞台の上だけで世界が完結しているリアリズムの芝居とは違うところである。もちろん橋之助の芝居が悪かろうはずがない。他の出演者の演技も充実していたが、何といっても橋之助がいなくては成立しない舞台ある。

音楽はスカやロックを使用した現代的なもの(作曲は佐藤史朗)。出演者が、舞台上でパーカッションを演奏する場面もあり、エンターテインメントの精神に満ちている。
メッセージも分かり易く、難しいことを考えなくとも、単純に「芝居って良いなあ」と思える舞台であった(内容が単純なわけではない。念のため)。

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