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2018年7月12日 (木)

コンサートの記(404) 飯守泰次郎指揮関西フィルハーモニー管弦楽団第206回定期演奏会 大澤壽人 交響曲第2番 復活初演

2008年10月8日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪のザ・シンフォニーホールで、関西フィルハーモニー管弦楽団の第206回定期演奏会に接する。指揮は、常任指揮者の飯守泰次郎。

曲目は、シャブリエの「いやいやながらの王様」より“ポーランドの祭り”、世界最高峰のヴァイオリニスト、オーギュスタン・デュメイを迎えての、ショーソンの「詩曲」とラヴェルの「ツィガーヌ」、神戸生まれの大澤壽人(おおざわ ひさと)の交響曲第2番。

ピアノがソロを奏でる演目はないはずだが、ステージ上にはピアノ協奏曲を奏でる位置にピアノが置かれている。
午後5時40分頃に、例によって関西フィル理事の西濱秀樹さんが登場し、プレトークが始まる。ステージ上に置かれたピアノは、指揮者の飯守泰次郎がピアノを弾きながら大澤壽人の交響曲第2番の解説を行うためのものであることがわかる。飯守は、各楽章のさわりを弾きながら大澤の意図、作曲の時代背景などについて語った。
ピアノはセリを使ってはけさせられた。

バイロイトで音楽助手を務め、バイロイト音楽祭の総監督ヴォルフガング・ワーグナーから「本当のカペルマイスター」と賞賛された飯守泰次郎。評価も高いが、この人、どういうわけか知名度が今一つである。ギクシャクとした独特の動きと唸り声を上げながらの指揮が特徴。

シャブリエの「いやいやながらの王様」より“ポーランドの祭り”。
飯守の奏でる音楽を聴いていると、譜面を設計図に、オーケストラ団員の出す音を材料にして指揮棒という金槌で音楽という建物をトントンと建てている職人の姿が浮かぶ。まさに職人芸といった感じだ。
だが、飯守より若くて知名度のある指揮者には、その指揮者自身の力の限界を超えた地点まで音楽が達する瞬間がままあるのだが、飯守にはそうしたものは一切求められない。手堅くて良い指揮者だが、人気が上がらないのはそこに理由があるのだろうか。
とはいえ、飯守の指揮するシャブリエは優雅で洒落っ気がある。

オーギュスタン・デュメイを迎えての2曲。大男のデュメイだが、数年ぶりに見る彼は少し太ったようである。
デュメイは関西フィルの首席客演指揮者に就任し、お披露目となった先日の神戸での演奏会は大好評だったという。
デュメイのヴァイオリンは音に厚みがあり、ヴァイオリン一挺で、オーケストラに匹敵するほどのスケールを誇る。というと物理的には大袈裟だが、感覚的には決して大袈裟ではない。今日も至芸を聴かせてくれたが、普通のヴァイオリニストならともかく、デュメイとしてはこの程度の出来は日常的なレベルのものだったように思う。感心させられるがそこ止まりであった。並のヴァイオリニストなら今日のような演奏でも上出来なのだけれど。

大澤壽人は、1907年生まれ(自己申告によるもの。戸籍上は1906年生まれだという)。神戸の生まれ育ちで、関西学院に学び、ボストンに留学してボストン交響楽団を指揮して自作を演奏し、大成功(大澤はボストン交響楽団を指揮した初めての日本人である。なおボストン交響楽団初の日本人音楽監督となったのは大澤ではなく小澤>征爾だが、偶然とはいえ面白い)。その後、パリに渡って、当時の最先端の音楽を吸収。交響曲第2番はパリで初演され、絶賛を浴びた。大澤は凱旋帰国した際に交響曲第2番を演奏したが、当時の日本は音楽の後進国中の後進国、というわけで、大澤の音楽を理解できた聴衆はほとんど一人もいないという有様だったという。それでもヨーロッパに帰れば味方は沢山いると考えた大澤だが、折悪しく、第二次世界大戦が勃発。日本に留まらざるを得ない状態になった。その後、大澤は当時の日本人のレベルに合わせた作品を書いて発表したが、それでも理解は得られなかった。生活のために放送用の音楽を書いたり、映画音楽を作曲したりするが、1953年に過労が元で46歳で早世。本格的なクラシック音楽の分野からは遠ざかっていたため、その後長く忘れ去られた存在となっていた。
そんな大澤に光を当てたのは、今日の関西フィルのプログラムも執筆している片山杜秀氏で、氏が監修を務めたNAXOSレーベルの「日本作曲家選輯」に大澤壽人の作品を抜擢。このCDを通して大澤壽人の名は再び知られるようになった。

大澤の交響曲第2番が、戦後、プロオーケストラによって演奏されるのは今日が初めてで(日本人作曲家の作品を演奏するために結成されたアマチュアオーケストラであるオーケストラ・ニッポニカが先に演奏してはいる)、事実上の復活初演となる。

洗練を極めた音楽であり、大澤の生前に注目を浴びていたフランス六人組の作品集に大澤作品が混じっていたとしても気がつかないほどである。
大澤の交響曲第2番のCDは、ドミトリ・ヤブロンスキー指揮ロシア・フィルハーモニー管弦楽団の演奏がNAXOSの「日本作曲家選輯」から出ており、私も聴いて感銘を受けたが、生で聴くとまた違った印象を受ける。
大澤の生前の聴衆と違い、私などが大澤作品を聴いても何とか着いていけるのは、大澤に影響を与えたラヴェルやフランス六人組や、より現代的な音楽も聴いているからだが、それでも十全に理解できたかというとそうでもない。十全な理解などどんな作品であっても不可能なのかも知れないが。
極度に洗練され、フランス音楽やジャズなど様々な音楽のイディオムが詰め込まれているが、時折、日本の民謡や田植え歌に似た旋律が入るのが、日本人作曲家としての個性と誇りを感じさせる。
関西フィルも、音にもっとパンチ力が欲しかったが、音は美しく、埋もれていた名作を見事復活させることに成功していたように思う。

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