コンサートの記(408) 萩原麻未ピアノ・リサイタル 2018@大和高田さざんかホール小ホール
2018年7月16日 奈良県大和高田市の大和高田さざんかホール小ホールにて
大和高田さざんかホール小ホールで、「萩原麻未ピアノ・リサイタル」を聴く。午後3時開演。奈良県に縁のある萩原麻未。7年ほど前に奈良県立桜井高校に眠っていたスタインウェイの復活プロジェクトのピアニストとして指名され、その後もやまと郡山城ホールでの「ならピ」などに出演している。
萩原麻未は、1986年広島生まれ。広島市安佐南区と呉市で育つ。5歳でピアノのレッスンを初めてすぐに地元のコンクールで賞を取るという神童系であるが、天然な性格でも知られている。
13歳で第27回パルマドーロ国際コンクールで史上最年少優勝。プロのピアニストを目指す場合、出身地は地方でも高校からは東京の学校に通う場合が多いが、萩原は地元の広島音楽高校(浄土真宗本願寺系。現在は閉校)に進学。高校2年の時に広島で行われたジャック・ルヴィエのマスターコースを受講したのが転機になり、パリ国立高等音楽院と同大学院ピアノ科でジャック・ルヴィエに師事。大学院修了後も室内楽クラスで学ぶ。平行してパリ地方音楽院でも室内楽をエリック・ル・サージュらに師事。その後、ザルツブルク・モーツァルティウム音楽演劇大学でもピアノを専攻。
2010年に第65回ジュネーヴ国際コンクール・ピアノ部門で優勝。同コンクール・ピアノ部門は8年に渡って優勝に値するピアニストが出ておらず快挙となった。
現在のところ、ソロでのピアノコンサートよりも協奏曲のソリストや室内楽での演奏を好んでいるようで、デビューアルバムも堤剛との室外楽演奏であった。
プログラムは前半が、J・S・バッハのフランス組曲第5番、ショパンのノクターン第1番と第2番、ショパンのワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」、第9番「別れのワルツ」、第6番「小犬のワルツ」、リストの愛の夢第3番、「ラ・カンパネラ(鐘)」。後半が、ドビュッシーの「月の光」、「喜びの島」、「小さな黒人」、ガーシュウィンの3つのプレリュードと「ラプソディ・イン・ブルー」。事前に発表されていたのはバッハとショパンだけだったが、かなり豪華な曲目となった。
萩原麻未は、春に行われたロームシアター京都での室内楽公演の時と同じ腕にスリットが開いた白のドレスで登場。椅子に座ってすぐによそ見をしながら弾き始め、首を揺らしながら上方へと目をやりキッとした目つきになって鍵盤を見下ろす。何者かに憑かれたかのような集中力の高い演奏が行われるが、その前に体の中に何かを下ろしたり籠めたりするような仕草であった。
非常に個性的な演奏を行うことの多い萩原麻未。経歴からもわかるが、堅固なフォルムを重視するドイツ流ではなくセンス優先のフランス風ピアニズムである。
バッハでは典雅且つ緻密な演奏を行った萩原。演奏後、マイクを手にトークを行う。今日の曲目は普段と違い、「親戚や家族の前で演奏するとしたら」という考えで組まれたものだそうである。
ショパンのノクターン第1番。痛切な表現が耳を奪う。ずっとアゴーギクを使いっぱなしといってもいい表現で、ショパンの文学性を徹底して歌い抜いた演奏である。
ノクターン第2番は、協奏曲のソリストとして登場した時にアンコールとして演奏されたものを聴いている。その時は左手をアルペジオにするなどかなり個性的な演奏であった。今日もアルペジオこそ使わなかったが、どう考えても音を足しているという表現。テンポも自由自在であり、予測不能の展開を見せる。他のピアニストによる穏やかな演奏とは大きく異なっていた。
ワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」では一転してヴィルトゥオーゾ的演奏を展開し、「別れのワルツ」では伸縮自在の煌びやかな「小犬のワルツ」ではスケール豊かな演奏を繰り広げる。
萩原はアルフレッド・コルトーが好きだそうだが、それは頷ける。
リストの愛の夢第3番と「ラ・カンパネラ」では、遅めのテンポでスタートして加速、二本の腕で弾いているとは思えないほどのメカニックを披露した。
後半。萩原の十八番であるドビュッシー。
「月の光」での詩情、「喜びの島」の色彩感と巨大なピアニズム、「小さな黒人」のエキゾチックな味わいなど文句なしである。
ガーシュウィンの演奏の前に、萩原が再びマイクを手にスピーチ。桜井高校でのスタインウェイの話などをする。その時の桜井高校の先生方は今でも赴任先が異なるそうだが、今日も駆けつけてくれたそうである。ガーシュウィンの曲は「ジャズとクラシックの融合」、「ラプソディ・イン・ブルーについては「『のだめカンタービレ』のエンディングで使われていた」と紹介。作風がこれまでものとは違って「ブイブイ言ってるような」と笑いながら紹介し、「ブイブイ言わせます」と言って演奏開始。
「3つのプレリュード」。ジャジーな要素を上手く取り入れた演奏。いずれも短い作品だが密度の濃い曲であり演奏である。プレリュード第2番は私も練習したことがあるのだが、短時間で弾けるような代物ではなかった。今度また練習できたら良いのだが。
「ラプソディ・イン・ブルー」。ピアノの蓋が揺れているのが確認出来るぐらいの力強い演奏である。3つのプレリュードの演奏でも感じられたことだが、パースペクティブの作り方がまことに巧みであり、それが故に奥行きと彩りが増す。チャーミングでアンニュイで高潔にしてにして親しみやすいという大満足のガーシュウィンであった。
ガーシュウィンはラヴェルに心酔して弟子入りしようとしたことがあり(「君は一流のガーシュウィンなのに、なんでラヴェルの二番煎じになろうなんてするんだい?」と断られた)、「パリのアメリカ人」という交響詩も書いているが、フランス音楽とジャズには相通じるものがあるような気がする。そもそもジャズ発祥の地であるルイジアナ州は元々フランスの領地だった場所だ。
アンコールは3曲。事前に決めていなかったそうで、その場で思いついた曲を演奏する。
まず、シャンソンの「四月にパリで」。「もう7月なんですけど」と言って演奏開始。シャルル・トルネの作曲、アレクシス・ワイセンベルク編曲版。洒落た演奏である。
2曲目は、バッハ=グノーの「アヴェ・マリア」。京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタでも聴いたことのある曲である。クリアな音色で崇高な憧憬を語るようなイノセントな演奏。
ラストは、「Over The Rainbow」。「普段、リラックスしたい時に一人で弾いている曲」だそうである。美音と伸びやかな音楽性を楽しむことが出来た。
大和高田さざんかホール小ホールは、シューボックス型をしており、天井はやや低めだがフォルテシモでも音が潰れることはない。ピアノや室内楽向けのホールとしては第一級の音響を誇ると思われる。Wikipediaにも載っていないような知名度の低いホールであり、ホームページも独自ドメインを取っていない状態であるが稼働率が低いままにしておくのは惜しいホールである。クラシックファンには音が良ければどこだろうが飛んでいくというタイプが多いのでもっとアピールしても良いと思われる。
| 固定リンク | 0
« コンサートの記(407) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 「ベートーヴェン交響曲全曲演奏会Ⅲ」 | トップページ | コンサートの記(409) 下野竜也指揮京都市交響楽団第625回定期演奏会 »
コメント