コンサートの記(423) 京響スーパーコンサート「ミッシャ・マイスキー×京都市交響楽団」
2018年9月5日 京都コンサートホールにて
午後7時から、京都コンサートホールで京響スーパーコンサート「ミッシャ・マイスキー×京都市交響楽団」を聴く。指揮は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。
世界最高峰のチェリストの一人であるミッシャ・マイスキーと京都市交響楽団の共演である。マイスキーと京都市交響楽団は下野竜也の指揮によりベートーヴェンの三重協奏曲で共演しているが、それ以来3年ぶりの顔合わせである。
曲目は、いずれもドヴォルザークの作品で、交響曲第8番とチェロ協奏曲ロ短調。
コンサートマスターに泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。フルートが活躍する交響曲第8番では上野博昭が首席に入り、後半のチェロ協奏曲では中川佳子がトップの位置に入る。クラリネット首席の小谷口直子は全編に出演し、オーボエ首席の髙山郁子は後半のみの出演である。チェロ協奏曲の方が編成が小さいので、前半のみの出演者は結構いる。
広上は前半は長めの指揮棒を使って指揮。後半はノンタクトで振る。
まずは交響曲第8番。この曲は高校生の時にジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団によるEMI盤で何度も聴いた思い出がある。「イギリス」というニックネームを持つが、ドヴォルザークがそれまでに多くの自作の出版を委ねていたドイツのジムロック社の条件に納得せず、イギリスの出版社から譜面が出版されたという経緯によるもので(無料パンフレットを書いた竹内直は別の説を唱えている)、内容的にはイギリス的要素はほぼない。ということで「イギリス」という名称は最近では用いられないことが多い。
広上と京響による演奏は情報量が豊かである。音色に様々な風景、動物や鳥の声などが宿っており、想像が無限に拡がっていく。磨き抜かれた音とバランスも絶妙で、格好いいフォルム、叙情味、迫力、祝祭感の表出など、いずれもこのコンビのベストに近い出来である。渋みと華やかさを兼ね備えた演奏は日本では他に余り聴くことが出来ないはずである。
なお、京都コンサートホールは残響が長いため、広上はゼネラルパウゼをたっぷりと取っていた。
後半のチェロ協奏曲。
ソリストのミッシャ・マイスキーは先に書いたとおり世界最高峰のチェリストの一人であることは間違いないが、個性派であるため、好悪を分かつタイプでもある。旧ソ連時代のラトヴィアの生まれ。レニングラード音楽院附属音楽学校でチェロを学びチェリストとして活動を始めるが、ユダヤ系であり、実姉がイスラエルに亡命したために強制収容所送りとなる。その後、兵役にも送られそうになるが、佯狂によって回避。この事実がいらぬ先入観を抱かせることにもなっている。その後、アメリカを経てイスラエルに渡り、カサド音楽コンクールで優勝。西側での名声を得ている。
マイスキーは出だしでいきなりタメを作るが、その後の旋律の歌わせ方に関してはオーソドックス。ただ強弱はかなり細かくつけている。音色は深く、温かな輝きがある。
広上指揮の京響もマイスキー共々ノスタルジックな表出に長け、スケールも豊かである。
アンコール演奏は、チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」。チェロ独奏と弦楽オーケストラのための編曲であるが、編曲者が誰かはわからない。マイスキーのチェロが常に主旋律を歌い、弦楽オーケストラがそれを彩るという趣である。ロシア民謡を主題としており、初演を聴いたトルストイが余りの美しさに涙したと伝わる「アンダンテ・カンタービレ」。涙こそ出なかったがトルストイの気持ちがよくわかるような演奏であった。
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