« YMO 「Be A Superman」 | トップページ | 楽興の時(24) 真宗大谷派岡崎別院「落語とJAZZの夕べ」2018 »

2018年10月11日 (木)

観劇感想精選(262) 「チルドレン」

2018年10月3日 大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後1時から、西梅田のサンケイホールブリーゼで、「チルドレン」を観る。1984年生まれのイギリスの若手劇作家、ルーシー・カークウッドが2016年に手掛けた戯曲の翻訳上演。イギリスを舞台にした作品であるが、モチーフとなっているのは2011年3月11日に日本の福島で起こった原発事故である。
演出:栗山民也、テキスト日本語訳:小田島恒志、出演:高畑淳子、鶴見辰吾、若村麻由美。

イギリスの東沿岸沿いの田舎町。地震と津波を原因とする原子力発電所の事故があり、一帯は立ち入り禁止区域となっている。そこから少し離れた家にヘイゼル(高畑淳子)とロビン(鶴見辰吾)の夫妻が移り住んでいる。二人は以前は原子力発電所に勤める科学者で原発の近くに住んでいたのだが、放射能の影響で家を離れ、ロビンの持ち物だったこの家に今は住んでいる。

幕が上がると、ローズ(若村麻由美)が鼻から血を流して立っている。ローズはヘイゼルとロビンの元同僚であり、3人とも原子力発電所の建設に一から携わってきたのだが、ローズはその後、アメリカのマサチューセッツ州に移り住んでいた。ヘイゼルの耳には「ローズが自殺した」という噂が届いており、それを信じていたため、突然、目の前に現れたローズを幽霊か死神かと勘違いして咄嗟に手が出てしまったのだ。
実は最初はローズがロビンの恋人だったのだが、二人が別れてすぐにヘイゼルがロビンといい仲になり、ヘイゼルが妊娠したことで敗北を悟ったローズがアメリカへと逃げていたことがわかる。ヘイゼルは完璧主義者であり、つい避妊を忘れたなどということはあり得ない。妊娠したということは、計画通りだったということである。

科学者であったヘイゼルとロビンは、今ではパソコンも使わず、計画停電があるため電気にも頼らず、オーガニックの野菜を育て、牛を飼いというアーミッシュさながらの生活を送っている。あたかも科学者だった時代の反動でもあるかのように。
ヘイゼルはヨガに凝り、若さを保つことにもこだわっている。
ロビンが牛を飼っている牧場は、今では立ち入り禁止区域内にある。だが、ロビンは牛たちのために、毎日朝から晩まで牧場で過ごしていた。

ローズが突然この家にやって来たのには、当然ながら訳があった。原発の廃炉作業に携わることに決めた彼女は、行動を共にしてくれる60歳以上の科学者をスカウトしていたのだ。計画では20人以上を集める予定だが、現時点で集まっているのは18人である。つまりそういうことだった。ヘイゼルがローズを見た時に感じた不吉さは実は正しかったということになる。
ローズは言う。「原発で働いているのは私たちの子どもの世代」。未来ある若者達に代わり、自分達、原発を生んだ科学者が責任を取るのは当然だという思いがローズにはあった。ローズは乳がんを患っており、もう先は長くない。
だが、ローズと違い、ヘイゼルとロビンには実の子どもがいる。特に長女は障害を抱えており、38歳で今も独身。ヘイゼルは自分がいなくなった時のことを考えてためらう。

原発で働く自分達の子ども世代の若者達、実の子ども達、そして自分達が生み出した原発、それら全てが「みんな我が子」であり、等しく責任を取らなくてはいけない。あちらが立てばこちらが立たぬ状態であるが、それが冷酷ではあるが現実であり、人としてなすべきこと。

はっきりとは口に出さないが、皆、自罰の意識を持っており、贖罪の思いを常に抱いていたことがうかがわれる。ロビンは牛たちのために立ち入り禁止区域に入って作業をしているということになっているが、実際は緩慢な自殺の手段として放射線を大量に浴びるために敢えて立ち入っているのではないかと思える節もある。ロビンとヘイゼルが元科学者でありながら科学に背を向けた生活を送っているのもある種の贖罪なのではないか。

福島第一原発事故から7年が経過したが、今なお誰も責任を取ろうとはしていない。いや、原発事故だけではない。あらゆる事柄について「なかったことにしたい」という空気が蔓延し、この国は自家中毒に陥っているとしか思えないような状況が続いている。「気に入らないことはないことにしてしまっても構わない」という幼稚なナルシシズムが服を着て大手を振って歩いているかのような。
だが自己愛だけではどこにも行けないのである。とにかく受け入れ、呑み込むこと。「敢然と」。それは幸福なことではないかも知れないが、生きるということの実相でもある。

若村麻由美も鶴見辰吾も大好きな俳優で、実力も文句なしなのだが、やはり高畑淳子の凄さは目立つ。空間に溶け込める俳優は何人もいるけれど、存在するだけで空間を作り出せる俳優はそう多くはない。息子さんのことで色々あったけれど、やはり彼女は女優であり続けるべきだと強く思う。


| |

« YMO 「Be A Superman」 | トップページ | 楽興の時(24) 真宗大谷派岡崎別院「落語とJAZZの夕べ」2018 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 観劇感想精選(262) 「チルドレン」:

« YMO 「Be A Superman」 | トップページ | 楽興の時(24) 真宗大谷派岡崎別院「落語とJAZZの夕べ」2018 »