美術回廊(18) 三菱一号館美術館 「フィリップス・コレクション展」
2018年11月9日 東京・丸の内の三菱一号館美術館にて
東京駅で降り、丸の内にある三菱一号館美術館に向かう。
三菱一号館美術館では、「フィリップス・コレクション展」が開かれている。
俗に「三菱村」と呼ばれる三菱企業ビル集合体の一角に三菱一号館美術館はある。入り口は中庭側にあり、正面側は三菱一号館歴史資料館として公開されている。
三菱一号館は、帝国ホテルなどで知られるジョサイア・コンドルが設計したが、1968年に老朽化のために解体。その後、コンドルの設計図や解体時の実測図などを元に再建され、2009年に竣工、2010年に美術館などを含む複合施設としてオープンしている。
ダンカン・フィリップスがコレクションした作品を展示するするワシントンD.C.の私立美術館、フィリップス・コレクションが保有する作品の展示。ブラック、ピカソ、ゴッホ、セザンヌ、モネ、デュフィ、ドガ、スーラ、ユトリロ、ドラクロアなどの作品が並ぶ。
フィリップス・コレクションは、今年が開設100周年にあたるそうだ。
ペンシルベニア州の鉄鋼王の息子に産まれたダンカン・フィリップス。妻が画家だったということもあり、存命中の画家を中心に多くのコレクションを行い、私邸を増築した美術館を作り上げた。
フィリップスが最も愛した画家はジョルジュ・ブラックだったようである。全体をデザインし、ブロックを積み上げるよう再構成する画風が特徴である。ピカソにも通じるところのあるキュビズムの画家だが、ピカソのようなカオス傾向はなく、整然とした画面を好んでいるようだ。
ピカソの作品は、絵画と彫刻を展示。絵画からはピカソらしいダイナミズムが感じられる。
コレクションの中で少し違った雰囲気をまとっているラウル・デュフィ。「画家のアトリエ」という作品には明るい広がりがあり、密度の濃い作品が多い中で、一種のポップさが見る者を楽しませる。より日常的というべきか。私はこういう絵が好きだ。
ゴッホの「道路工夫」は大胆なエネルギー業者がある。木々が上へと体を伸ばし続けているかのようなダイナミズムが横溢している。
生前、ゴッホがなぜ評価されなかったかというと、「絵はエネルギーを表すもの」などという認識が全くなかったためだと思われる。ゴッホ一人がその可能性に気づいていたのだが賛同者がいなかれば理解はされない。ゴッホが理解されるようになったのは、その手法を更に推し進めたピカソなどが現れたということも大きいだろう。ピカソに比べれば、ゴッホもまだ穏健派だ。
私が好きな画家の一人であるモーリス・ユトリロの「テルトル広場」。乳白色を浮き上がらせつつ、落ち着いた感じが素敵である。普段着で接することの出来るような絵だ。
ワシリー・カンディンスキーの「連続」。案内表示には「楽譜のような」と記されていたが、象形文字的デザインの美しさと、原色を対比させた鮮やかさ、子ども心に満ちた表現力などが観る者を魅了する。
館内には複製を写真撮影出来るコーナーもあり、そこにある絵の中で私が最も気に入ったのが、ハインリヒ・カンペンドンクの「村の大通り」(下の写真を参照のこと)。立体を組み合わせたような意欲的な構図と童話の挿絵のような愛らしさ、温かさが同居している作品である。本物は思いのほか迫力がある。
今日、最も気に入った作品がシャイム・スーティンの「雉」。射殺された雉を描いたものである。スーティンにとって静物画とは単なる静態ではなく命を奪われたものという意味を持っていたそうで、死骸の冷たさが伝わってくるような描写が印象的である。「沈黙に満ちた迫力」と書くべきか。
同じくスーティンの「嵐の下の下校」は、1939年9月1日、ナチスドイツがポーランドに侵攻したその日に完成した作品だという。下校する二人の児童を描いたものなのだが、背後の森からからなんとも形容しようのない不吉さが漂っており、大嵐の前の静けさが切り取られているかのような絵である。
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