2346月日(5) レクチャー「ポーランド演劇の歴史と現在~独立回復から100年」
2018年11月12日 ロームシアター京都パークプラザ会議室2にて
午後7時から、ロームシアター京都のパークプラザ会議室2で行われるレクチャー「ポーランド演劇の歴史と現在~独立回復から100年」に参加する。
芸術大国として知られるポーランド。音楽ではショパンを始め、現代音楽の両巨頭であるクシシュトフ・ペンデレツキとヴィトルト・ルトスワフスキ、「悲歌のシンフォニー」で知られるヘンリク=ミコワイ・グレツキ、指揮者のスタニスラフ・スクロヴァチェフスキにピアニストのアルトゥール・ルービンシュタイン、クリスティアン・ツィメルマン、ピアニストから首相にまでなったイグナツィ・パデレフスキという異色の人までいる。映画ではアンジェイ・ワイダ(「和井田」と変換されたがどなたですか?)、ロマン・ポランスキー、クシシュトフ・キィシェロフスキ、画家にモイズ・キスリング、ズジスワフ・ベクシンスキーなど、大物が多数輩出している。
団体としても、ポーランド国立ワルシャワ室内歌劇やワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団などがたびたび来日公演を行っており、なじみ深い国の一つである。
旧東側の国であり、往事は国内情勢などはなかなか伝わってこなかったが、近年では交流が活発になりつつある。
昨日、2018年11月11日がポーランド独立100年に当たるということで、ポーランド関連のイベントが国内でもいくつか行われている。
登壇者は、クラクフのヤギェウォ大学舞台芸術学部教授のダリウス・コシニスキと、俳優で演出家でプロデューサー業もこなすフィリップ・フロントチャクの二人。通訳はパヴェウ・パフチャレクが務める。パフチャレクは舞台関係にそれほど通じているわけではないようで、訳された日本語をこちらで脳内解析する必要がある。ちなみにエスペラントの生みの親であるザメンホフはポーランド出身の眼科医であるが、英語の文法が簡単なことに驚いて(日本人にしてみれば英語の文法も十分難しいが)エスペラントを作り始めたというから、ポーランド語というのはかなり複雑な言語のようである。
本当は作品作りの哲学のようなものを知りたかったのだが、今回はポーランド演劇史の概要と、補助金と劇場の現状が中心に語られる。
ダリウス・コシニスキの話。コシニスキの所属するヤギェウォ大学があるクラクフはポーランドの古都であり、「ポーランドの京都」によく例えられる街である。
独立前の分断統治時代はポーランド語による演劇の上演さえほぼ不可能だったというが、独立後はロマン主義の演劇と近代演劇のミックスされたものが主に上演されていたという。Leon Schiller演出によるシェイクスピアの「冬物語」の写真がプロジェクターを使って映し出されるが、キュビズムの影響を受けたセットに古典的様式を確保した上での上演だったそうである。「冬物語」にキュビズムは合わないような気がするのだが、そういう時代もあったということである。
モニュメンタル劇場が開設されてからは、ロマン主義を脱した新時代の演劇が指向されるようになり、その後、前衛劇の台頭があって、1933年にはワルシャワのzeromskeシアターが前衛の拠点となる。戦中はロマン主義よりもアバンギャルドが優位となったそうで、日本でも知られているタデウシュ・カントルなどが生まれる下地となった。ポーランドの前衛演劇を代表する人物にもう一人、ユージー・グロトフスキがいる。
カントルは、貧乏劇場を創設し、「世界と人間の関係の追求」を行っている。
その次の世代を代表するのがクリスティアン・ルーパ。ルーパはカントルの影響を強く受けているが、グロトフスキとは不仲で手厳しく批判したりもしているそうだ。ニーチェの「ツァラトゥストラ」を舞台化したり、マリリン・モンローを題材にした作品と作るなど、後進への影響力大だったようだ。
その下が今の若者達の世代になるのだが、彼らはポップカルチャーや映画のモンタージュ理論を取り込んだ新しい作品に取り組んでいるという。
ポーランドではシェイクスピア作品の上演も盛んなようで、ワリコフスキ演出の「ハムレット」の上演写真などが紹介される。一方で、サラ・ケインなども高く評価されているようで、幅が広い。
最も新しい演劇では政治問題も盛んに盛り込まれており、ヤン・クラタ、マヤ・クレチェフスカなどが代表格だという。クレチェフスカは恐怖を題材にした演劇を得意としているそうだ。
その他では、カバチェフスキの「ハムレット」の換骨奪胎作品が高く評価されたという。シェイクスピアの原典ではなく、「ハムレット」について書かれたテキストを編み込んでの上演だったという。
また、音楽を積極的に取り入れているのも特徴で、クラシックのみならずロックやポップス、コンテンポラリーダンスの要素なども取り入れている。
Michal Starkiewiczの「Come True」はステージ上が無人で、声のみを頼りとする演劇であり、評判になったそうだ。
休憩を挟んで、フィリップ・フロントチャクの話。ポーランドの劇場史が中心である。
1982年に、ポーランド政府によって「全ての劇場は国立とする」という決定がなされ、演目も政府が決定し、インディペンデント系の上演が極めて困難になったという。劇場はプロパガンダの場所となり、そのため経済的には潤沢で、大量採用を行っていたそうだ。その分、自由にものは言えず、比喩的手法に留まっていたという。俳優や劇場関係者のステイタスは高く、自由がない代わりに生活は豊かだったそうだ。
1989年に民主化がなされ、劇場にも変化が訪れる。政治利用の場所でなくなった劇場は表現の自由を得たが、政府の後ろ盾がなくなったため、観客動員は下降線となる。
1989年には、ポーランドにある劇場は全て国立だったが、その後数年で、州立、県立、市立、地方立のものが圧倒的となり、国立劇場は全体の3%にまで減った。文化への寄付も減る。共産時代は文化大臣による一括助成というシステムだったが、助成のシステムが多様化した。
ポーランドは旧東側であるため、芸術家になるのも認定制度であり、1989年以前は、国立の演劇映画学校が4つ(ウッチ映画大学など)、美術学校(ウッチ美術アカデミーなど)と音楽院(ショパン音楽院など)が共に9つ、高等バレエ学校が5つという体制であった。昔は大量採用を行っていたため、卒業後は多くの学生が芸術関係の職に就くことが出来たが、今はそうではないという。定員や卒業生の数はさほど変わっていないので、オフシアターに流れたり、新たに創設したりする人もいるようだ。
助成金に関してはEUから最も多く貰っており、その他にノルウェー、アイスランド、リヒテンシュタイン、オーストリア、ハンガリーからの助成、LOTOによる資金などもあるという。
政府からのものとしては、文化省大臣からのもの、文化省プログラムに基づく劇場からのもの、国立文化センターからのものなどがあり、地方からの助成金、各州の名誉基金、国際基金、私的基金、クラウドファンディングなども利用されているという。ちなみにフロントチャクは、アダム・ミツキェビッチ大学芸術学部の基金を利用して来日したという。
芸術の高等教育を受けた若者達の多くが基金を受けて仕事を探すそうである。
その後、芸術関連の様々なプログラムの写真が投影される。ポーランド独立100周年プログラムも勿論あり、子ども向け、若者向け、実験演劇など様々な試みがある。
その他に、女優のクリスティーナ・ヤンダが所有する劇場では、前衛演劇が盛んに行われており、政府の援助が受けられたなかった人々も非正規の団体を組織して地方を中心に活動しているようである。
また、マルタ・フェスティバルという演劇祭があり、「街のアカデミー」という名のワークショップやコンサート、パペット人形劇の上演などが行われているそうだ。
現在、ポーランドには支援を受けて運営されている劇場が309あり、674のNGOシアターがある。私立が117劇場と最も多く、次いで多いのが市立の70劇場。国立は現在は3劇場しかない。
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