コンサートの記(455) 小松長生指揮 関西フィルハーモニー管弦楽団第211回定期演奏会
2009年5月21日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて
午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、関西フィルハーモニー管弦楽団の第211回定期演奏会を聴く。上からのお達しで(注・前日に東京と川崎で新型インフルエンザの感染が報告されたため)、ホールスタッフは全員マスク着用、聴衆もマスク姿が目立つという中でのコンサート。さすがに楽団員はマスクはつけていない。というより管楽器奏者はマスクはつけられない。
今日の指揮者は小松長生。関西フィルの指揮台には久々の登場とのことだが、以前は関西フィルの正指揮者をしていたこともある。東京大学で美学を学んだ後、イーストマン音楽院で指揮法を勉強したという異色の経歴の持ち主。現在はコスタリカ国立交響楽団の芸術監督の座にある。コスタリカ国立交響楽団に着任早々、現地で路上強盗に遭ったことが話題になったりもした。
「オリエンタリズム」と題された今日のコンサート。プログラムは、今年が生誕100年となる夭逝の作曲家、貴志康一の大管弦楽のための「日本組曲」から“春雨”“祈り”“道頓堀”、ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調(ピアノ独奏:河村尚子)、バルトークの「中国の不思議な役人」組曲、コダーイのガランタ舞曲。
日本人として初めてベルリン・フィルを指揮した人物としても知られる貴志康一は、1909年、大阪府吹田市に生まれ、兵庫県芦屋市で育った作曲家。神戸の甲南高等学校(旧制)を中退してヨーロッパに渡り、ジュネーブ音楽院とベルリン音楽院でヴァイオリンと作曲、指揮法を学んでいる。ヨーロッパでの作曲、指揮活動を行った後、帰国し、日本での活動をスタートさせるが、帰国から2年後の1937年、心臓麻痺により28歳の若さで他界している。
大管弦楽のための「日本組曲」は、1935年、貴志康一の「帰朝記念作品発表音楽会」で初演された作品。いかにも日本的なメロディーと東洋的な雰囲気に満ちた楽しい曲だ。ただ、この手の曲はどうしてもテレビドラマの音楽に聞こえてしまうのが難点。
ラヴェルのピアノ協奏曲のソリスト、河村尚子は、1981年、西宮市生まれの若手ピアニスト。父親の仕事の都合で、5歳の時にドイツ・デュッセルドルフに渡り、その後ずっとドイツで音楽教育を受けた。現在はハノーファー音楽芸術大学のソリスト課程に在学中。いつも楽しそうに演奏するピアニストである。
薄いオレンジ色のドレスで登場した河村は、立ち振る舞いがこれまでより堂々としている。自信をつけてきたのだろう。
今日は私は3階席のレフト側に座ったので河村の表情は見えなかったが、オーケストラだけの部分では首を振りながら音楽に浸っている河村は今日も楽しそうであった。
河村の技巧は凄い。ピアノを弾いている手を見ていると、人間業とは思えないほどだ。第1楽章、第3楽章の冴えはこれ以上を望めないほどである。
第2楽章のような緩徐楽章では、もっと洒落た表情をつけても良かった。とはいえ、まだ20代。これだけ弾ければ十分だろう。
バルトークの「中国の不思議な役人」組曲は同名のバレエ音楽をコンサート用組曲にまとめたもの。バレエの方は売春をテーマとした作品であり、非道徳的であるとして、1日で上演が打ち切られたという曰く付きの作品である。スラム街を舞台とした作品だけに、おどろおどろしい音楽となっている。
小松長生はスナップを利かせて指揮棒をブンブン振る。動きにキレがあり、オーケストラコントロールも抜群だ。
なお、演奏途中、小松の指揮棒が手から離れて後ろの客席に飛んでいくというシーンがあった。こうしたハプニングはそう珍しいことではないようで、本などにはよく書かれているが、私は生で見るのは初めて。指揮棒をなくした小松は、しばらくノンタクトで振ってから予備の指揮棒を取り出して指揮を続けた。
関西フィルは弦の音がやや鈍いが、それでも健闘した方だと思う。
コダーイのガランタ舞曲もノリの良い演奏で、オーケストラを聴く醍醐味を十分に味わわせてくれた。
| 固定リンク | 0
コメント