コンサートの記(504) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第445回定期演奏会
2011年2月18日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて
午後7時から、大阪のザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第445回定期演奏会に接する。今日の指揮は音楽監督の大植英次。
大植英次が、大阪フィルの音楽監督を辞任することを発表してから初の定期演奏会出演である。
曲目は、ショスタコーヴィチの交響曲第9番と、ブルックナーの交響曲第9番という二つの第九が並ぶ意欲的なプログラミングである。
大植さんが大阪フィルを辞任されるということで、大植&大フィルの時代を偲ぶよすがとして、大植人形(小)を購入する。辞任した後ではもう手に入らないから。
今日は、コントラバスを舞台後方に一列に並べる、変則古典配置での演奏であった。
ショスタコーヴィチの交響曲第9番。交響曲第9番はベートーヴェンに代表されるように特別なナンバーの交響曲とされ、ベートーヴェンを始め、シューベルト(現在では8曲までが定説になりつつある)、ブルックナー、マーラーが交響曲第9番まで書いて亡くなっている。ソビエト当局もショスタコーヴィチが交響曲第9番を書くというので、特別な交響曲を期待していたそうだが、ショスタコーヴィチはその裏を掻き、おどけた感じの小さな交響曲を書いた。ソビエト幹部にはそれを怒った人もいたという。
大植はスロースターターなので、最初のうちは「大人しいなあ」という印象だったが、トロンボーンの二度目の吹奏の後から、エンジンに火がつき、堂々とした立派なショスタコーヴィチの演奏となる。おどけた風の金管の旋律も、大植の手にかかると誰かへの抗議のように聞こえてくるから不思議だ。
第2楽章は、クラリネットのソロに始まり、クラリネットのハーモニー、フルートとオーボエの合奏と、木管楽器が旋律を引き継ぐのだが、その手際が見事。大阪フィルがここまでのアンサンブルに成長しているとは正直言って思っていなかった。これも大植のトレーニングの賜物だろう。
第3楽章以降は、情熱全開の演奏が続く。弦にも管にも威力があり、異常なほど集中力の高い大植と大フィルによって、喜怒哀楽全てがない交ぜになった音楽が適切な表現で語られていく。ピアニッシモからフォルテシモへの変換の場面などは、鳥が大きく翼を拡げて羽ばたく姿が目に浮かぶかのよう。これだけ立派なショスタコーヴィチの交響曲第9番を日本人の指揮者とオーケストラで聴ける機会は滅多にないだろう。
ブルックナーの交響曲第9番。楽譜はノヴァーク版を使用。
大阪フィルのブルックナーというと、前任者である、御大こと朝比奈隆が看板としていたことで有名である。大植も以前に、定期以外でブルックナーの交響曲第9番を指揮したことがあり、録音されてCDにもなっているが、音楽評論家で生前の朝比奈と親交のあった宇野功芳氏から酷評されている。
弦の刻みによるブルックナー開始でスタート。最初はホルンだが、このホルンの音がやや大きい上に音色がリアルに過ぎる。続く、アッチェレランドも徒にスケールを小さくしているだけ。最初の強奏も、音が大きいだけでスケールが広がらない。ここで私は、朝比奈のブルックナーと大植のブルックナーを比較することをやめる。シカゴ交響楽団のマネージャーから目をかけられ、客演指揮者として招待されたブルックナーのスペシャリストである朝比奈隆と、指揮者としてはまだ中堅でどちらかといえばマーラー指揮者の大植英次を比較しても、勝負にならない。
そこで、朝比奈のブルックナーは頭から追い払い、大植の演奏だけに集中することに決める。そうすると、短調から長調に変わる場面で、青空が眼前にパッと広がるように思えたり、峻険な山道を思わせるような厳しい表情など、優れたところが聞こえるようになる。
朝比奈隆のことを思わないように決めたということもあってか、二度目の強奏はスケールが広がったように聞こえた。
第2楽章。神秘感こそないが、アンサンブルは見事。中間部ではブルックナー・ユニゾンが威力満点。特に弦の響きが素晴らしい。再現部における大植と大フィルの集中力はやはり尋常でないレベルに達している。
第3楽章は冒頭の第1ヴァイオリンにやや濁りが生じたのが残念。それから再現部に入る直前のホルンのアンサンブルに覇気が感じられなかった。ホルンは更にもう一度、気の抜けた音を出し、ラストでも音をやや外した上に、息も続かないなど問題がある。朝比奈時代から大フィルのホルンは弱さが目立ったが、大植の特訓でも向上は難しいようだ。
一方で大フィルの弦楽群の音色は素晴らしい。日本のオーケストラとしてはこれ以上は無理なほど美しい音を響かせる。
朝比奈隆に比べなければ、大植のブルックナーも十分に名演であった。これほどの指揮者が大阪フィルから去ってしまのはやはり惜しい。
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