コンサートの記(537) 「児玉桃ピアノ・ファンタジーVol.3~子ども達の希望(ゆめ)創造コンサート~」京都
2013年10月24日 京都府立府民ホールALTI(アルティ)にて
午後7時から、京都府立府民ホールALTIで、「児玉桃ピアノ・ファンタジーVol.3~子ども達の希望(ゆめ)創造コンサート~」を聴く。姉妹ピアニストとして知られる児玉姉妹の妹、児玉桃が若い奏者と共に行うコンサート。「~子ども達の希望(ゆめ)創造コンサート~」というタイトルが付いているが、子ども向けの作品が演奏されるわけではなく、東日本大震災で被災した子ども達を思って書かれた現代曲が中心である。
曲目は、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ第40番(ヴァイオリン独奏:山田晃子)、[2011・3・11 東日本大震災]の3部作である権代敦彦「カイロス ピアノのための Op.128-その時~突然未来を断たれた子ども達への哀歌~」(ピアノ独奏:児玉桃)、酒井健治「緑の青/青の緑~子ども達の心の復興~」(ピアノ独奏:児玉桃)、久留智之「ピアノ遊び歌 ピアノ連弾のための~子ども達の希望(ゆめ)創造~」(ピアノ連弾:児玉桃&芥田裕子)。クライスラーの「中国の太鼓」(ヴァイオリン独奏:山田晃子)、ラヴェルのヴァイオリン・ソナタ(ヴァイオリン独奏:山田晃子)。
作曲家、作品ともに有名なのはクライスラーの「中国の太鼓」ぐらい。モーツァルトやラヴェルは名前は有名だが、それぞれのヴァイオリン・ソナタはほとんど演奏されることはない。
ということで、児玉桃も、他の演奏者達も全員、譜面を見ながらの演奏であった(児玉桃には譜めくり人が付く)。
全席自由でチケット料金はわずか900円という信じられないほどの安値である。ただ、有名曲がほとんどプログラムに入っていないためか、児玉桃クラスのピアニストが1000円を切る値段でコンサートを行うというのに、小規模ホールのALTIでも満員にはならなかった。チケットには協賛として、京セラ、ジーエス・ユアサ、島津製作所、三洋化成工業、宝酒造、堀場製作所といった京都に本社を置く大企業が並び、後援には京都商工会議所がついている。そのためチケット料金を安く抑えることが出来たのであろう。
無料プログラムには、「日本にクラシック音楽が入ってきて100年以上、まだまだ一部の愛好家のもので一般への聴衆の広がりが進んでいません(引用者注:ママ)。最大の原因は外国に比べて入場料が数倍(時には10倍以上)と高いことです」とあるが、入場料が数倍と高いのは外来の有名オーケストラや海外歌劇場の引っ越し公演、一部の有名ソリストだけで、日本のオーケストラや日本人演奏家によるコンサートの料金はポピュラー音楽に比べると遙かに安い。しかもちゃんとステージから遠くなるごとにチケット料金は安くなっていき、ポピュラーのように、日本武道館でも全席同じチケット料金などというどんぶり勘定は行わない。
一般の日本人にクラシック音楽が浸透しないのは、単純にポピュラー音楽に比べると1曲が長く、また歌舞伎などと同様で、ある程度の教養がないと楽しむのは難しいからである。また現代音楽のように難解な曲が存在することも大きいだろう。そして歌詞がついていないため、内容を把握するには想像力を駆使する必要がある。ボーッとしていても何となく意味がわかる音楽ではないのである。
チケット料金の問題なら、児玉桃という世界で認められているピアニストが登場する今日のコンサートは満員御礼でなくてはいけないはずだが、ならない。曲目がポピュラーでないからである。
今日のALTIは、中央に低めのステージを置き、上手、下手ともに段々に高くなるという配置。演奏者は上手袖から出てくる。
モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ第40番。私は聴くのは初めてである。
ヴァイオリンの山田晃子は、1986年、東京生まれの若手。父の仕事の都合で、ロンドンやパリで育ち、パリ市立音楽院を経てパリ国立音楽院に学ぶ。その後、ヨーロッパ各地のヴァイオリン・コンクールで優勝。いわゆるのコンクール荒しであった。2002年には権威あるロン・ティボー国際コンクール・ヴァイオリン部門で、大会史上最年少となる16歳で優勝。現在はパリを本拠地に活動している。
華麗な経歴を持つ山田のヴァイオリン。確かにメカニックは優秀であるが、線がやや細く、音色もモーツァルトを弾くには十分に美しいとはいえない。楽器自体がまだそれほど良いものを与えられていないといこともあるだろう。また余り演奏されない曲ということもあってか、内容への踏み込みも浅く、「もっと優雅に弾けるはずなのに」と思うところを軽く飛ばしてしまったり、単に楽譜をなぞっているだけになってしまう場面もあったりした。
児玉桃はクリアな音色で、雅やか且つ清々しいモーツァルトを奏でていただけに、山田は完全に引き立て役になってしまった感がある。もっとも、モーツァルトの時代のヴァイオリン・ソナタは今とは違い、「ヴァイオリン伴奏を伴うピアノ・ソナタ」として認識されていた。モーツァルトの場合は、ヴァイオリン・ソナタでピアノを弾くのはモーツァルト自身であることを想定して書かれているため、特にその傾向は強い。よって、ヴァイオリンが引き立て役でも別に構わないのだとも言える。今のようにヴァイオリンが主でピアノが伴奏という形に改めたのはベートーヴェンである。
続いて、[2011・3・11 東日本大震災]の3部作。権代の作品が2011年、酒井の作品が2012年、久留の作品が今年2013年に書かれたものである。
権代敦彦は、山口県生まれ、桐朋学園大学とドイツのフライブルク音楽大学に学び、現在は東京とパリを拠点に活動している作曲家であり、「児玉桃ピアノ・ファンタジーvol.3」は昨日は東京の紀尾井ホールで公演が行われたのだが、会場に権代が来ていて、スピーチを行って貰ったという。
一方、酒井健治は関西出身で、京都市立芸術大学に学び、パリ国立高等音楽院やジュネーヴ音楽院でも研鑽を積んだ若手作曲家。今日はALTIに駆けつけており、児玉に呼ばれてステージに上がり、作品解説も行った。
今年に入って書かれた「ピアノ遊び歌 ピアノ連弾のための」の作曲家である久留智之は、明治大学政治経済学部を卒業後に東京藝術大学に再入学し大学院作曲科修了後、ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院で作曲と指揮を専攻。更にローマ聖チェチーリア音楽院で作曲を修了しており、現在は広島大学大学院や愛知県立芸術大学で教鞭も執っている。
権代敦彦の「カイロス ピアノのための Op.128-その時~突然未来を断たれた子ども達への哀歌~」はいかにも現代音楽然とした作品であり、流れるような音型が特徴。パッセージは速く、児玉桃の高い技術が生きる。ピアノの最低音から最高音まで、使われる音域も幅広い。
酒井健治の「緑の青/青の緑」。酒井は前述したとおり、児玉に呼ばれてステージに上がり、楽曲解説を行う。全身黒ずくめである。
酒井は東日本大震災のための曲を作曲するにあたり、子ども達が書いたアンケートを参考にしたそうで、「東北の街が完全に復興するには数十年かかるかも知れないが、街が緑溢れる街並みになることを願いつつ」この曲を書いたという。
まず同じ音型がなども繰り返された後で音域が徐々に広がっていく。現代音楽であるため、メソッドが権代のものとよく似ており、2曲を比較して違いを論じなさいと言われても上手く書ける自信はない。
久留智之の「ピアノ遊び歌 ピアノ連弾のための」。第1曲「遊び歌」、第2曲「長持歌」、第3曲「祭りとからかい歌」の3曲からなる。児玉と芥田裕子は小型マイクをつけて登場。ピアノを弾くだけでなく、歌も唄うのである。ピアノは児玉が高音部を、芥田が低音部を受け持つ。
芥田裕子は今年16歳という本当に若いピアニスト。奈良県生まれ、昨年2012年の第4回グレンツェンピアノコンクール全国大会奨励賞を受賞している。
ピアノパートはフランス印象派、就中、ラヴェルの影響を強く感じる。一方の歌は日本の、それも東北地方のものが取られている。まず第1曲「遊び歌」。ピアノを弾きながら連想歌が唄われ、「幽霊は消える、消えるは電気、電気は光る、光るは禿げ頭」というように歌われ、ピアノを弾くだけでなく、手拍子なども入る。連想歌は二度唄われるが、二度とも「禿げ頭」で終わり、会場の笑いを誘う。
第2曲「長持歌」では、最初と最後に歌詞のない息の長い旋律が歌われる。「秋田長持歌」からの引用であるという。
第3曲「祭りとからかい歌」。祭りのリズムを用いた曲であり、ピアニストが立ち上がって鍵盤を一つ押すなど、視覚的効果も盛り込まれている。低音部を担当している芥田は立ち上がって身を乗り出し、高音部の鍵盤を押したりする。
芥田が「今泣いたカラスがチョイと笑った」と歌った後で、児玉と芥田はハイタッチをし、更に弾き進めていく。歌詞があるということもあり、前2曲に比べると分かりやすい曲であった。
クライスラーの「中国の太鼓」。今日、唯一の通俗名曲である。山田晃子のヴァイオリンはこの曲では比較的生き生きとしており、楽しめる。児玉桃の伴奏もノリが良い。
ラヴェルのヴァイオリン・ソナタ。ラヴェルが書いたヴァイオリンとピアノのための音楽は「ツィガーヌ」が有名であり、ヴァイオリン・ソナタはラヴェル最後の室内楽曲でありながらその陰に隠れている格好になっていてほとんど演奏されることはない。
第1楽章はいかにもフランス的な洒脱な音楽であり、ラヴェルのエスプリ・クルトワが全開である。児玉桃の澄んだピアノはラヴェルを表現するにはうってつけ。山田晃子のヴァイオリンも和音の作り方などがノーブルである。
第2楽章は「ブルース」で、アメリカのブルースやジャズに影響を受けた曲であるが、同時にラヴェルが生まれたバスク地方(仏西の国境付近にある)の音楽を思わせるスパニッシュな響きも聴かれる。ピアノ、ヴァイオリンともに曲調をよくとらえている。
第3楽章は、更に南下してスペイン的であり、非常に情熱的な音楽をラヴェルは書いている。児玉のピアノを立体感に富み、扇情的でもある。それに応える山田のヴァイオリンも、もっと情熱を前面に出してもいいと思うのだが、余り感情を露わにするのを好まないタイプの奏者なのか、比較的クールに、情熱も抑制をもって表現された。
アンコールは、マスネの「タイスの瞑想曲」。ヴァイオリン、ピアノともに響きの美しい抒情的な演奏であった。
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