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2019年4月16日 (火)

コンサートの記(546) クシシュトフ・ウルバンスキ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第474回定期演奏会

2013年12月5日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第474回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は1982年生まれという超若手、ポーランド出身のクシシュトフ・ウルバンスキ。
プログラムは、ペンデレツキの「広島の犠牲者のための哀歌」、ピアノ協奏曲第18番(ピアノ独奏:フセイン・セルメット)、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」

ウルバンスキと大フィルの共演は3度目だそうだが、私はウルバンスキの指揮で聴くのは初めてである。ウルバンスキは毎回、祖国ポーランドの作曲家の作品を取り上げているそうだが、ポーランドの作曲家には、ショパン(フランス系であり、パリで活動はしたが)を始め、ペンデレツキにルトスワフスキ、グレツキなどがすぐに思いつく。ピアニストにクリスティアン・ツィマーマン、ラファウ・ブレハッチ、ワンダ・ランドフスカ、ミェチスワフ・ホルショフスキ、エヴァ・ポヴウォツカなどがおり、指揮者もスタニスラフ・スクロヴァチェフスキや、NAXOSに看板指揮者を務めるアントニ・ヴィトなどがいて音楽大国である。
音楽のみならず、映画監督の分野でもアンジェイ・ワイダ、ロマン・ポランスキー、クシシュトフ・キェシロフスキなど世界中の映画監督から尊敬されるほどの大物が輩出しており、芸術大国であるともいえる。
にしても、発音しにくい名前の人が多い。
ペンデレツキもファーストネームはクシシュトフであり、クシシュトフというファーストネームのポーランド人男性は多いことが察せられる。

ペンデレツキの「広島の犠牲者のための哀歌」は、もともとは「8分37秒」という即物的なタイトルの作品であり、その後、「哀歌8分37分」となった。日本初演の際に「広島の犠牲者に捧ぐ哀歌」とされ、その後、そのタイトルは揺るがぬものとなった。純音楽作品であり、広島の原爆を描いた作品ではないが、原爆投下後の広島の惨状を音楽にするとまさにこのようになるのではないかと思えるほどしっくりくる曲である。元のタイトルの「8分37秒」であるが、ジョン・ケージの「4分33秒」とは違い、ラヴェルの「ボレロ」の「17分ほど」という記述と同様、目安として書かれた程度で厳密に守らなければならないものではない。タイトル改訂と同時にタイム指定も外されたはずであり、私はこの曲の音盤を何種か持っているが、即興的な要素も多いこともあって、元のタイトルのタイムジャストで演奏しているものは作曲者自身が指揮した演奏も含めて多くない。アントニ・ヴィト指揮ポーランド国立放送交響楽団による演奏が当初のタイムに一番近いと思われる。詳しいサイトを調べたところ、平均演奏タイムは10分ほどだという。

クシシュトフ・ウルバンスキ登場。長身痩躯、男前、いかにも才子といった感じである。
指揮者と同じ、クシシュトフというファーストネームを持つペンデレツキの「広島の犠牲者に捧ぐ哀歌」。弦楽のための作品である。
トーンクラスターという、現代音楽ではよく使われる技法を特徴とする。近いが微妙に異なる音程の音を一斉に奏でることで、非常に力強く、衝撃的な響きを生むという手法である。ホラーやサスペンスの映画やドラマの、恐怖心を煽る場面での音楽でもトーンクラスターは多用される。というより、クラシック音楽よりも、映画音楽などで多用されている作曲法といった方が適当だろうか。
クラシック音楽の予備知識のない人がこの曲を聴いたら、「なんだこれは? 音楽か?」と思うかも知れない。
いつも通り、指揮者と対面する席に座ったので、弦楽奏者達の譜面を見ることが出来たのであるが、およそ楽譜らしくない譜面が並んでいる。隣接した音を弾くために五線譜が真っ黒になってしまい、あたかも塗り絵のようである。
指揮者の仕事は拍を刻むよりもどの音をどれだけ強調し、どれだけ延ばすか決定することにある。ウルバンスキはノンタクトで、強く響かせたい音に向かって手をかざす。曲が進むにつれて右手で拍を刻むこともあるが、基本的には、速度よりもバランスを取ることを心がけている。
大阪フィルの弦は思ったよりも力強くなかったが、納得のいく水準には達していた。

フセイン・セルメットを独奏者に迎えての、モーツァルト、ピアノ協奏曲第18番。大フィルは典雅な響きを奏でるが、第1楽章では例によってモッサリした感じが出てしまう。大植英次や、優れたベテラン指揮者が振ると、このある種の野暮ったさは顔を潜めるのだが、やはり指揮者が若いということもあって地の部分が出てしまうのであろう。
ただ、ピリオドを意識したのかはわからないが、若干ビブラートを抑え気味にした弦の響きは透明感もあって美しい。
ウルバンスキはこの曲では指揮棒を用い、腕の動きは余り大きくないが、スナップを利かせることで指揮棒は大きく動くという効率的な指揮を行っていた。
セルメットのピアノであるが、落ち着いた男性的なモーツァルトを奏でていく。一音一音を指で丁寧に押さえることでこうしたモーツァルト演奏が可能なのだろう。「タン・タララン」と軽やかに弾くと華やかなモーツァルトにあるが、セルメットはこれを「タン・タラ・ラン」と微妙に変えることで安定感のある音楽を生み出していた。

ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。
現在では屈指の人気曲であるが、初演時はバレエの内容と、斬新な音楽が一大スキャンダルになったことでも知られている。この曲はファゴットが通常では使わないような高い音を出して始まるのだが、これに関してサン=サーンスは「ファゴットの使い方を知らない奴が現れた」と書き記しており、その他にも、「これは音楽ではない」などとする批評もあった。その意味で、「広島の犠牲者のための哀歌」と「春の祭典」を同じ演奏会の曲目に載せたのは上手いと思う。
ウルバンスキは速めのテンポを基調とするが、時折、急激に速度を落としたり、急激な加速をしたりと、即興的な味わいが加わる。大阪フィルの合奏力も高く、たまに技術的に不安定な時もあるが、パワフルな演奏が展開される。
ウルバンスキの指揮は、右手で変拍子を処理しつつ、左手を音を出すべき楽器を掴むような手つきで出したりする。こうしたところはダニエル・ハーディングの指揮姿に似ている。
激しい部分になると、体をくねらせながら、ちょっとナルシストっぽい動きをしたりする。ここはハーディングには似ておらず、なよなよした印象も受けて、見ていてちょっと気にはなったが、音楽的には良いものを生み出していた。

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