コンサートの記(573) クリスティアン・アルミンク指揮ベルギー王立リエージュ・フィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2019京都
2019年6月29日 京都コンサートホールにて
午後2時から、京都コンサートホールで、クリスティアン・アルミンク指揮ベルギー王立リエージュ・フィルハーモニー管弦楽団の来日演奏会を聴く。
ベルギー・フランス語圏の中心都市であるリエージュ。リエージュ州の州都である。ベルギーを代表する作曲家であるセザール・フランク、無伴奏ヴァイオリン曲が人気のウジェーヌ・イザイ、「メグレ警部」シリーズで知られる推理作家のジョルジュ・シムノンなどを生んだ街であり、ベルギー名物であるワッフルが誕生した場所でもある。
ベルギー王立リエージュ・フィルハーモニー管弦楽団は、1960年の創設。近年は、パスカル・ロフェ、フランソワ=グザヴィエ・ロトなどが音楽監督を務め、2011年からクリスティアン・アルミンクを音楽監督に戴いている。
1990年に初来日しているが、今回はそれ以来、実に29年ぶりの来日公演となる。リエージュ・フィルが王立を名乗ることを許されたのは2010年のことなので、現在の名称となってからは初の来日となる。
リエージュ・フィル音楽監督のクリスティアン・アルミンクは、新日本フィルハーモニー交響楽団の音楽監督を10年間務めており、日本でもお馴染みの存在である。
1971年、ウィーン生まれ。父親はドイツ・グラモフォン・レーベルの重役(のちに社長になる)であり、著名な音楽家が自宅に遊びに来ることもしばしばだったようだ。父親がドイツ・グラモフォン極東部門総責任者を務めた幼少時には、アルミンクも東京・六本木で過ごした経験があるという。その後、ウィーンに戻り、ウィーン国立音楽大学で指揮をレオポルド・ハーガーらに師事。卒業後は、タングルウッドで小澤征爾に学び、2003年には「セイジのオーケストラ」こと新日本フィルハーモニー交響楽団の音楽監督に迎えられている。若くしてヤナーチェク・フィルを指揮してアルテ・ノヴァ・レーベルに録音を行っており(私はたまたま発売直後に買っている)、ルツェルン歌劇場と交響楽団の音楽監督を経て現職。また、2017年4月からは広島交響楽団の首席客演指揮者も務めている。
この春には、小澤征爾音楽塾の歌劇「カルメン」京都公演の指揮を師である小澤と二人で務めた(小澤は、序曲と記事にはあったが、おそらく前奏曲の第1番と第2番のみを指揮して交代したため、アルミンクがほぼ全編を指揮。小澤はその後病気でリタイアしたため、関東での公演は、完全にアルミンク一人で担当している)。
曲目は、ルクーの「弦楽のためのアダージョ」、タン・ドゥン(譚盾)のギター協奏曲「Yi2」(日本初演。ギター独奏:鈴木大介)、ブラームスの交響曲第1番。
リエージュ・フィルの登場の仕方は変わっており、開演時間である午後2時の3分ほど前にメンバーがゾロゾロと登場(1曲目が弦楽のための作品なので弦楽器奏者のみの登場)。席に座って各々が攫い、午後2時を過ぎてからコンサートマスターのゲオルク・トゥドラケが一人で登場して、全員で挨拶という形になる。そのためか、開演5分前を告げるチャイムは前後半とも鳴らなかった。
ルクーの「弦楽のためのアダージョ」。ギョーム・ルクーは、ベルギー・リエージュ州出身の作曲家。セザール・フランクの弟子である。9歳の時に両親と共にフランスに移住し、その後、パリでフランクとヴァンサン・ダンディに師事。「天才」との評価を得るが、24歳で夭逝している。
「弦楽のためのアダージョ」は、師であるフランク追悼のために書かれたものとされる。
哀感十分の曲調である。一世代上のグリーグや同世代であるシベリウスに繋がるような旋律も登場するため、曲調も把握しやすい。
リエージュ・フィルの弦楽は、渋い輝きを特色としていて、フランス語圏のオーケストラではあるが、どちらかというとオランダやドイツのオーケストラに近い個性を持っているのが面白い。
タン・ドゥンのギター協奏曲「Yi2」。現代中国を代表する作曲家であるタン・ドゥン。「題名のない音楽会」などへの出演やNHK交響楽団との共演で日本での知名度も高い。湖南省長沙に生まれ、幼いときから民族音楽などに触れて、二胡奏者として活躍していたが、ベートーヴェンの交響曲第5番を初めて聴いた時に「エイリアンの音楽だ!」と衝撃を受け、クラシック音楽の道に進んでいる。文革の下放後に北京の中央音楽院に入学し、武満徹の音楽などに触れる。卒業後に渡米。ニューヨークのコロンビア大学大学院で前衛的な作曲法を学び、以後もニューヨークを拠点に作曲や指揮者としての活動を続けている。
タイトルの「Yi2」に関しては詳しいことはわからないが、「Yi」は「易」という字のピンイン(中国語版ローマ字)の表記とされ、これまで「Yi0」「Yi1」の2作が発表されていて、これが3つ目の作品になるという。
まず、鈴木大介のギターソロで始まるが、すぐにアルミンクが手を打って応え、というより遮るようにして止まり、再びソロが始まるも、また指揮者による手拍子が加わる。
その後、二拍による音型が「得体の知れない何か」の行進曲のように続く。
ギターのソロであるが、いかにもスペイン的な要素と、タン・ドゥンの祖国である中国の琵琶(ピパ)を意識したトレモロの2つが交互に現れる。琵琶を模した部分であるが、映画音楽に詳しい人には、「映画『ラストエンペラー』の東屋での場面に流れる、コン・スーが作曲した音楽によく似ている」と書くとあるいは通じるかも知れない。
オーケストラにはピアノが加わっているが、ピアニストはピアノの弦を弾いて音を出したり、腕を組む形で鍵盤に押しつけてトーンクラスターにしたりと、変則的な演奏を行う。ストラヴィンスキー的な盛り上がり方をするクライマックスでは、オーケストラのメンバーが、「シー」という言葉を2度ほど発する。
交響詩ではないので具体的な何かを描いているわけではないだろうが、スペインも中国も独裁者が圧政を行った国であり、二拍の不気味な行進曲からは、そうした歴史が想起される。
鈴木大介のアンコール演奏は、ビートルズナンバーの「Yesterday」。武満徹による洒落た編曲もいい。
ブラームスの交響曲第1番。リエージュ・フィルは第1ヴァイオリン16型で編成は小さくないが、前方に詰めたシフトを敷いているため、ステージの後ろの方が開くという布陣である。
序奏は悲劇性よりも哀感を優先させ、その後、徐々に熱くなっていくという解釈である。リエージュ・フィルはリズム感はそれほどでもなく、アンサンブルの技術も正確性に関してはあるいは京響の方が上かも知れないが、憂いと渋みのあるしっとりとした音色は、あるいは完璧に合わせるのではなくほんのわずかにずらすことで生まれているのかも知れない。ヨーロッパ人の音に対する感覚の鋭さがうかがわれる。
コンサートマスターのゲオルク・トゥドラケはボウイングが大きいが、管楽器が主役の部分などではアルミンクから弦楽器のまとめを託されて協力して演奏していることが見て取れる。
洗練された雅やかなブラームスであるが、第4楽章のクライマックスで突如リタルダンドするのが特徴。他には聴かれない解釈なので、どういう意図があったのか気になる。
アルミンクは、通常はそれほど力まず、ここぞという時に全力を傾注するというスタイルでドラマを引き立てていた。
アンコール演奏は、ブラームスのハンガリー舞曲第6番。これも土俗感は余り出さないシャープな演奏であった。
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