コンサートの記(578) 沼尻竜典指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2014(年度)「VIVA!オーケストラ」第4回「オーケストラと指揮者」
2015年2月8日 京都コンサートホールにて
午後2時から、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2014(年度)~こどものためのオーケストラ入門~『VIVA!オーケストラ』第4回「オーケストラと指揮者」を聴く。「こどものためのオーケストラ入門」とあるが、曲目は大人向けである。親子で楽しめるコンサートであるが、子供が楽しむには曲目が難しすぎるかも知れない。
今日の指揮者は沼尻竜典。ナビゲーターはロザンの二人である。
曲目は、ビゼーの「カルメン」組曲第1番、「カルメン」前奏曲の子供による指揮者体験、サン=サーンスの序奏とロンド・カプリチオーソ(ヴァイオリン独奏:黒川侑)、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」
今日のコンサートマスターは泉原隆志。渡邊穣は降り番で、フォアシュピーラーは尾﨑平。首席オーボエ奏者は前半後半共に高山郁子が務めるが、首席フルートの清水信貴と首席クラリネットの小谷口直子は、後半のストラヴィンスキーのみの参加である。
天井から舞台の上にスクリーンが降りている。今日は「オーケストラと指揮者」というタイトルなので、指揮者の姿を正面から捉えた映像をスクリーンに映し出して、指揮者が何をしているのか見えるようにするという趣向である。指揮者と対面するP席では居ながらにして指揮者が正面に見えるのでスクリーンを見る必要はない。ただ、スクリーンを降ろした関係上、P席の座席数は通常より少なくなっている。
ビゼーの「カルメン」組曲第1番。第1曲である前奏曲(2つ目の前奏曲である)~アラゴネーズでは、弦は美しい音を出したものの、トランペットなどは能天気な音を出しており、沼尻の音楽の浅さか露わになってしまっていた。
間奏曲では、フルートの息継ぎの仕方が今一つ。前半もフルートが清水信貴であったら、こうはならなかったと思うが。
演奏終了後にロザンの二人が現れ、菅広文が「沼尻さんは楽器を何かされるんですか?」と聞き、沼尻が「ピアノを」と答えると、「沼尻さんが楽器出来ない思ってたんか?」と宇治原史規に突っ込まれる。菅は「指揮者の出演料って高いんですか?」と沼尻に聞く。沼尻は「そんなに高くないです。(コンサートマスターの泉原を指さして)あの人は高いと思います」と言う。ということで菅は泉原に「お給料高いんですか?」と聞き、泉原が首を横に振ると、更に「いくらぐらい?」と聞く。泉原は手を振って「ダメダメ」とやっていた。菅は「横にいる人(尾﨑平)より多く貰っているわけですね」と続ける。
ちなみにロザンは収入は折半制度としているそうで、宇治原のクイズ番組出演料も折半、菅の著書の印税も折半しているという。宇治原がクイズ番組に出演している時は、菅はテレビの前で本気で応援しているそうだ。
続いて、子供による指揮者体験コーナー。手を挙げた9歳の女の子と5歳の男の子が選ばれる。指揮するのは「カルメン」前奏曲(第1の前奏曲)である。沼尻が指揮の仕方を教え、まず9歳女の子がやってみる。4分の2拍子で棒を振ること自体は簡単である。女の子は普通の速さで振ったが、幼児であり背が小さいため、後ろの方の奏者は指揮棒が見えにくいようであった。女の子は合唱をやっているため、指揮者の姿は見慣れているそうだ。
5歳の男の子の指揮。普通の速さで入るが、途中で大幅に減速し、最後で急激に速度を上げる。京響の奏者達はただでさえ指揮棒が見えにくいのに速度までぶれるので大変そうであった。
菅が男の子に「将来何になりたいの?」と聞くと男の子は「お相撲さん」と答える。菅は「場所の間に指揮の仕事も出来ますね」と言い、沼尻も「(力士を)引退してからやってもいいです」と話してた。
サン=サーンスの序奏とロンド・カプリチオーソ演奏のために、弦楽奏者らが退場するが、菅は「皆さん、いなくなりましたけど、これはリストラですか?」とボケる(基本的に面白いことは菅しかいわない)。
ヴァイオリン独奏の黒川侑が現れると、菅は「おぼこいですね」と言う。菅が年齢を聞くと、黒川は「25歳です」と答える。ロザンの二人は「あー、やっぱり若いんだ」と納得する(?)。
黒川のヴァイオリンは音色が美しい。スケールがやや小さく、情熱も不足気味なので、それが今後の課題となるだろう。
ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。演奏前のトークで、沼尻が「春の祭典」の初演時、聴衆の中にこの曲を音楽と認めない人がおり、怒号も飛び交ったという有名なスキャンダルを紹介する。沼尻は、ステージ上手奥に設置された電子ピアノを弾いて、通常の音楽の場合は旋律と和音があるが、「春の祭典」の場合、メロディーが奏でられる楽器をリズム楽器のように使っており、それが反発を招いたのではないかと推測する(なお、一大スキャンダルとなったのはディアギレフのバレエ団による上演であり、その直後に行われたコンサートでの「春の祭典」初演は成功しているため、バレエ初演の失敗が音楽ではなくバーバリズムを題材にした内容や振付にあったのではないかという説もある。一方で、バレエ公演の指揮者を務めたピエール・モントゥーは、事前にストラヴィンスキーと会って、「春の祭典」をピアノで弾いて貰ったが、「一音符も理解出来なかった」と述懐しており、先程曲が演奏されたサン=サーンスは「ファゴットの扱い方を知らない奴が現れた」と日記に怒りをぶちまけており、音楽が理解不能と感じた人も少なくなかったことが察せられる)。
演奏であるが、一定のスケールできちんとまとめるといういかにも沼尻らしいものであった。沼尻の演奏は外れは少ないのだが大当たりすることも稀なように感じる。指揮は分かり易いのだが、整えることが目標になっているような気もしてしまう。
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