コンサートの記(576) 下野竜也指揮 京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科第161回定期演奏会
2019年7月11日 京都コンサートホールにて
午後7時から、京都コンサートホールで京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科第161回定期演奏会を聴く。指揮は京都市立芸術大学指揮科教授の下野竜也。
曲目は、ベートーヴェンの交響曲第2番、チャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」(チェロ独奏は、音楽学部弦楽専攻4回生の舘野真梨子)、ドビュッシーの交響詩「海」
海の日が来週に迫っているということもあるのか、「海」をメインに持ってきたプログラムである。日本の音楽教育は今もドイツ偏重の嫌いがあるため、フランスものやロシアものもちゃんと弾いていこうという意図もあるのかも知れない。
他の国については具体的には知らないが、日本の音楽教育は高校でも大学でも女子が中心となっている。今日もステージ上は9割以上が女子である。ヴァイオリンやヴィオラで男子学生を見つけるのは「ウォーリーを探せ」状態。管ではトランペットやテューバなどでは男子学生も多いが、その他はやはり女性優位。近年、プロオーケストラのホルン奏者に優秀な女性奏者が目立つが、京都市立芸大オーケストラのホルンパートも大半が女性で占められている。
ただ、客席には男性が多いというのが、クラシックの逆転現象である。もっとも、国を問わず、クラシック音楽ファンは圧倒的に男性が多い。
ホワイエで見覚えのある女の子を見掛けたが、多分、「テラの音(ね)」に出演していた声楽科の子だと思われる。京都市立芸大の学生だけでなく、制服を着た高校生も男女ともに多いのが、今回の演奏会の特徴でもある。
ベートーヴェンの交響曲第2番。
第1楽章などは学生オーケストラであるためパワー不足は否めず、内声のホルンが迷走する場面もあったりしたが、若い人達による瑞々しい響きが好感を抱かせる。「ベートーヴェンの青春の歌」ともいわれる第2楽章も爽やかでチャーミングに歌われる。
ヨーロッパの高等音楽機関では、今ではHIP(歴史的演奏法)が必修になっているはずだが、日本はそこまでではないのか、今日も特にHIPらしき要素は見られない。
下野の指揮はリズミカルな音運びが特徴で、第4楽章などは学生達もとても楽しそうに演奏し、ノリノリとなった。
チャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」。チェロ独奏の舘野真梨子(たちの・まりこ)はオーディションを勝ち抜いて選ばれたようだ。富山県立呉羽高等学校音楽コース出身。第28回クラシック音楽コンクール大学の部チェロ部門第4位、2019年小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトに参加、2016年ベストオブアンサンブルin金沢合格、2017年ルーマニア国際音楽コンクール・セバスチャン賞受賞などの実績がある。
舘野真梨子であるが、長身で肩幅も広く、音楽家というよりもスポーツ選手のような雰囲気を出している。技術は高く、表現力も豊かで良いチェリストである。
下野指揮の京芸オーケストラはコンサートミストレスもトップの顔ぶれなども変わったが、潤いのある輝かしい音を奏でていた。
場面転換のため、チャイコフスキーとドビュッシーの間に下野のトークが挟まれる。
「ご記憶に新しいと思いますが、先程まで指揮をしていた者です」と冗談でスタート。「ちょっと受けたのが嬉しいです」
下野は京都市立芸術大学の教授になってから3年目だが、「将来、オーケストラに入るかどうかはわかりませんが、入った場合の礎となるように」ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの曲をしっかりやろうという計画を立てており、今日もベートーヴェンの交響曲第2番を入れている。「『英雄』のような派手な曲ばかり注目されますが」もっと若い頃の作品もちゃんとやろうということで、前回は交響曲第1番、今回は第2番を演奏した。チャイコフスキーは、ロシアの中では西洋を向いていた作曲家と見なされており、シューマンやブラームスなども目標としていた、ということでドイツのロココの時代をモチーフにした曲を選んだそうである。ロシア人の指揮者は口を揃えて、「ロシア人以外の指揮者がチャイコフスキーを振るとベタベタし過ぎる」と語るそうだが、下野は「そっちだって結構ベタベタ」と感じているそうだ。
ドビュッシーの「海」は形にするだけでも難しい曲だが、ドビュッシーもやっておかねばならないということで挑戦の意味も込めて選んだようである。
そのドビュッシーの交響詩「海」。ハープは学生ではなく、京響ファンにはお馴染みの松村姉妹が務める。学生相手の指揮ということもあってか、下野は主題を浮き上がらせるような音楽作りをする。わかりやすくはある。3つの楽章全てで力尽くの場面が見られたが、プロのオーケストラ相手ではどうなるのか気になる。学生オーケストラということで強引にドライブした方が形にはなりやすいだろうから。
京芸の学生達も技術はかなりあり、フランス音楽的な表現力とは異なるかも知れないがパワーや音の煌めきなどにも長けている。下野の骨格のしっかりした音楽作りもあって、強引さはあっても聴かせる仕上がりにはなっていた。
演奏終了後、一度引っ込んだ下野は抜き足差し足で再登場、コンサートミストレスの肩を後ろから叩き、一人で立たせて拍手を受けさせるなど、茶目っ気を見せていた。
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