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2019年8月の19件の記事

2019年8月30日 (金)

美術回廊(33) 京都市美術館 「マグリット展」2015

2015年10月8日 左京区岡崎の京都市美術館にて

左京区岡崎にある、京都市美術館で「マグリット展」を観る。幻想的な画風で知られるベルギー出身の画家、ルネ・マグリットの作品を集めた展覧会である。マグリットは人気の画家であるが、これほど多くの作品が一堂に会することは珍しいという。

美術の教科書に必ず載っているといっても過言ではないほどの「大家族」が有名なマグリットであるが、リアリズムとシュールレアリスムの邂逅を経た、独自の世界を切り開いている。有名な「大家族」も大地と空と海に囲まれた我々は人種や性別を超えた「一つの大家族なのではないか」というメッセージを受け取ることが出来る。「上流社会」という作品も同傾向で、顔が青空や生い茂る草になっている「上流社会」というのは世にいう成功者達のことではなく、「大いなるものにより同化出来た人々」が織り成す社会なのであろう。いや織り成すまでもなく、自然同様「あるがままの社会」ということか。
「ゴルコンダ」という有名な画がある。家を背景に何人もの男が宙に浮かんでいる画である。シュールな作品であるが、作品に耳を澄ますと(絵画作品に耳を澄ますことは私はよくある。もっとも想像の比喩としてだが)、ゴルコンダという街の喧騒が聞こえてくる。

「光の帝国Ⅱ」という画は、昼間と真夜中が一つの画の中に溶け込んでおり、印象的。ミュージアムショップで確認したところ、やはり一番人気だそうだ。

「会話術」という作品は、会話していると思われる白鳥の後ろのアルファベットの切り抜きと思われる不思議な橋が描かれている。アルファベットらしいことはわかるのだが、フランス語はまるで出来ないため、どんな単語が隠れているのかは不明である。「会話術」は三部作であり2枚目の画は岩に「reve(夢)」と記されている。また「白紙委任状」は、見えるべきものが見えず見えないはずのものが描かれて見えている。この絵を白紙委任したのは一体誰なのだろう? 一応、マグリット自身の注釈があり、委任したのは自然らしいが、人間も含めた自然全てがマグリットに白紙委任状を出したのかも知れない。あるいは物体ではなく、この世の現象がマグリットをインスパイアしたのか。
個人的には初期の「風景の魅惑」(木枠の横に猟銃が立てかけてあるという画)が印象的だったのだが、私の好むものは余り人は好まないのである。第二次世界大戦はやはりマグリットの画風にも影響したようで、戦後に描かれた「観光案内人」は、案内人の顔が大砲になっている。

「マグリット展」の無料案内を見て感じたのは、マグリットの画は個人蔵であるケースが他の画家に比べて多いということ。特定の個人がいつも座右に置いて楽しむタイプの絵画ということなのかも知れない。

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2019年8月26日 (月)

坂本龍一 2種の「Batavia」

 

 

 

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2019年8月25日 (日)

コンサートの記(587) 下野竜也指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2015~こどものためのオーケストラ入門~「オーケストラ大発見!」第2回「魔法のメロディー」

2015年9月27日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2015 ~こどものためのオーケストラ入門~ 『オーケストラ大発見!』第2回「魔法のメロディー」を聴く。指揮は京都市交響楽団常任客演指揮者の下野竜也。ナビゲーターはガレッジセールの二人。

オーケストラ・ディスカバリーは「~こどものためのオーケストラ入門~」と銘打っている通り、子供でも楽しめるコンサート。ただし、選曲は子供向けとは限らない。今年の第1回目は宮川彬を指揮者に迎えてディズニー作品などの子供向けの演奏会を行ったが、今日のプログラムはどちらかというと通向けである。

曲目は、オッフェンバック(オッフェンバッハ)の喜歌劇「天国と地獄」より“カンカン”、シューベルトの交響曲第7番(第8番)「未完成」より第2楽章、J・S・バッハの「小フーガト短調」(ストコフスキー編曲)、ドヴォルザークのチェロ協奏曲より第1楽章(チェロ独奏:山本裕康)、伴奏クイズ、ラヴェルの「ボレロ」
今日のコンサートマスターは泉原隆志。渡邊穣と尾﨑平は降り番である。クラリネット首席奏者の小谷口直子、フルート首席の清水信貴、オーボエ首席の高山郁子は今日は全編に出演。トランペット首席のハラルド・ナエスは後半のみの出演であった。

今日は1階席中央後方での鑑賞。管楽器のソロがやや細く聞こえるが、マスとしての響きは悪くない。響きがステージ上から客席後方に向かっていく様も確認しやすい。

今日は開演前ロビーコンサートがあり、小峰航一(京響首席ヴィオラ奏者)、多井千洋(たい・ちひろ。京響ヴィオラ奏者)、ドナルド・リッチャー(京響チェロ奏者)、高山郁子(首席オーボエ奏者)、松村衣里(京響ハープ奏者)の5人により、ロスラヴェッツの「ノクターン」が演奏された。幻想的な作風の曲である。
開演前の室内楽演奏というと、NHK交響楽団が行っていることが知られるが(NHKホールの広大な南側ホワイエが会場となる)、N響の場合、降り番の奏者が室内楽演奏を担当することが多いのに対し、京響の室内楽演奏者はこの後の本番にも出演する(N響ほど楽団員が多くないということもある)。ただ、出番が増えるとどうしてもミスは多くなりがちで、名手のはずの高山郁子が今日は珍しく、バッハとドヴォルザークで割れるような音を出していた。

まずは、オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」より“カンカン”。軽快な演奏であったが、途中で京響が主題を抜いた演奏を始める。下野のは客席を振り返って「変でしょ?」というポーズを見せる。結局、主題を奏でる管楽器奏者は最後まで演奏せずに終わった。
ガレッジセールの二人が登場し、ゴリが「今、途中からサボった人達がいましたが給料に不満でもあるんでしょうか?」と聞く。下野は「全員、給料に不満はあると思います」などと言うが、「今日のテーマは『魔法のメロディー』ということで、メロディーを抜いて伴奏だけ演奏してみました」と続ける。ゴリがカラオケを例えに出して「歌抜きの」と言うと下野は「カラオケのオケ(よくわからない表現だが)になります」と答える。ゴリが「それ聞いてなかったら、オーケストラと指揮者が揉めてるのかと思ってしまう」と続けると、下野は「それはしょっちゅうです」と返して笑いを取る。

次の曲はシューベルトの交響曲第7番(新番号。旧番号では8番)「未完成」第2楽章であるが、下野は中間部のクラリネットソロがある部分をまず取り上げる(クラリネットは小谷口直子)。まず練習番号64から普通に演奏を始め、下野は「悲しい。学校が終わってプリンを食べようと楽しみにして帰ってきたらプリンを親に先に食べられていたような」という子供に合わせた例を挙げる。今度は同じ部分を弦楽の伴奏を全てピッチ―カートにして演奏。ゴリと川田は、「全然違う」「嬉しいのか悲しいのかわからない」と言ったが、下野が「あのプリン、腐っていたのでしめしめ」と変な例を挙げたため、ゴリが「それおかしでしょ」と突っ込む。下野は「指揮者なので」と言うが、ゴリは「指揮者なのでって言い訳になってない」と更に突っ込む。下野は「指揮者というのは大抵変な人なので、うちの常任(広上淳一)も変な人です」(私:それは知っています)と答えていた。ゴリは更に下野の学生服風の衣装について「ずっと留年してる高校生みたい」と突っ込み、下野は「高校35年生です」とボケる。
シューベルトの交響曲第7番「未完成」より第2楽章。やや小さく纏まっているきらいはあるが美しい演奏であった。演奏終了後、ガレッジセールの二人は曲調が次々に変わることに触れ、シューベルトの様々な面を知ることが出来るようだと語る。
シューベルトの「未完成」交響曲は確かに傑作だが、第2楽章だけ取り出してみると、歌が多すぎ、構成もくどいところがあり冗長に感じられる。傑作と感じられるのは第1楽章との対比があるからであろう。ちなみに無料パンフレットに演奏時間5分と書かれているが、15分の間違いである。

下野が「今度は伴奏のない曲をやろうと思います」ということで、J・S・バッハの「小フーガト短調」をレオポルド・ストコフスキーが編曲したものを演奏する。元々はオルガンのための曲であるが、指揮者で名アレンジャーでもあったストコフスキーがオーケストレーションを行っている。ストコフスキーはイギリス人であるが、アメリカのフィラデルフィア管弦楽団の指揮者として長く活躍したため編曲はアメリカ人好みのゴージャスなものになっている。日本人が聴くとラスト付近などは「うるさすぎてバッハじゃない」と思うような彩り豊かな編曲だ。まずオーボエソロから入るのだが、先程の書いたようにオーボエの高山郁子は1音だけ音を外した。

ドヴォルザークのチェロ協奏曲第1楽章。チェロ独奏を務めるのは京都市交響楽団の特別客員首席奏者の山本裕康。東京都交響楽団の首席チェロ奏者、広島交響楽団の客演ソロ奏者を経て、1997年からは神奈川フィルハーモニー管弦楽団の首席チェロ奏者を務めている。2014年に神奈川フィルと兼任で京都市交響楽団特別客員首席奏者に就任している。ちなみに2014年に神奈川フィルの常任指揮者に就任した川瀬賢太郎は広上淳一の弟子なので、その縁で兼任となった可能性が高い。
演奏前に下野は客席に向かって、「大作曲家、例えばモーツァルトやベートーヴェンなどはかなり変わった人であることが知られています。モーツァルトは子供の頃やんちゃでしたし、ベートーヴェンは怒りっぽくてすぐ喧嘩になる。ベートーヴェンは朝に飲むコーヒーの豆を必ず60粒と決めて挽いて飲んでいました。しかし、ドヴォルザークの伝記にはそうしたエピソードがないんです(子供の頃に勉強嫌いで、実家の肉屋を継ぐはずが当時のチェコで肉屋になるには必須だったドイツ語が苦手だったために得意とする音楽方面に行ったことや、大の鉄道好きで、音楽院で教師をしていたときに、列車が時間取りに駅に着くのかが気になり、弟子に確認に行かせていたという変人エピソードはある)。音楽史上最も性格の良かった作曲家だと思っていて大好きです」というような解説を行った。「自作のチェロ協奏曲を聴きながら『なんて良い曲だろう』と涙を流した」という話も勿論加えていたが。
山本のチェロ独奏はやや線が細いが、音程はしっかりしている。京響の伴奏も充実したものであった。

休憩を挟んで後半。
まずゴリが指揮棒を片手に現れ(ゴリは左利きなので左手に指揮棒を持っている)、指揮台に上がって指揮を始める。曲はオッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」より“カンカン”。右手で意味のないところを指したりするが一応整った演奏にはなった。ゴリは拍手を受けて得意そうにするが、相方の川田が「いやいや、京響の方々が合わせてくれたんだから」と突っ込む。ゴリは「指示だそうとすると京響の方々が苦笑いするんです」と述べる。

後半は、伴奏クイズで始まる。有名曲の主旋律を抜いて演奏し、その曲がなんというものかをお客さんが当てる。ちなみに下野は指揮を教えているが、部分だけを演奏して学生が曲を当てられないとどつきまわすそうである(本当かどうかは知らない)。
子供向けのコンサートなので、当てるのは当然、子供の役目である。最初の曲はわかりやすく、多くの子供が手を挙げ、「喜びの歌」(ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」第4楽章)と正解を出す。
次の曲も弦楽による伴奏が先に出ることからわかりやすく、「白鳥の湖」(より情景1)と正解が出る。
第3曲は、旋律も対旋律もなしの、内声部なしのもの。なかなか正解が出ないが、「モルダウ」と正解が出る。合唱をやっている高校生のようで、「モルダウ」は合唱曲の定番でもあるため、和音進行でわかったようだ。
最後となる4曲目であるが、そもそも旋律に聞き覚えがない。「ドヴォルザークの交響曲第5番」という人がいて不正解になるが、正解はドヴォルザークの交響曲第4番第1楽章であり、聴いたことはあっても覚えている人はまずいない(覚えたくなるような曲でもない)マニアックな楽曲であった。京響の団員でもこの曲を知っている人はいないそうである(プロのクラシック演奏家よりもクラシック音楽好きの人の方が楽曲知識に関しては広いのが普通であるが)。ドヴォルザークの交響曲第5番と言った人がいたことで、下野は「流石だな」と思ったそうである。ちなみに賞品は、下野が自身の指揮棒に「おざわせいじ」と平仮名でサインしたもので、発表した途端にガレッジセールの二人から「それ駄目ですよ」と突っ込まれていた。下野はドヴォルザークの交響曲第5番と言った人に「小澤征爾先生に見つかると、どつかれるので気をつけて下さい」と注意する(?)

ラストはラヴェルの「ボレロ」。アルトサックスとテナーサックスが加わるのだが、二人とも客演奏者である。チェレスタにはお馴染みの佐竹祐介が加わる。
下野はビートを余り刻まずに指揮していたが、トランペットが加わる直前にアッチェレランドし、盛り上げる工夫をしていた。やや不自然なので私は上手く乗ることが出来なかったが。
ソロパート担当者が立ち上がった拍手を受け、最後に「ボレロ」では最も大変なパートとされるスネアドラムを叩いた福山直子に盛大な拍手が送られる。

アンコール。今度は、ドヴォルザークのチェロ協奏曲でソリストを務めた山本裕康が指揮棒を片手に登場。三度、オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」より“カンカン”が演奏される。山本の指揮であるが、かなりいい加減。普通なら指揮棒を振り下ろすところで逆に振り上げたりしたいる。完全にオーケストラ任せである。下野とガレッジセールの二人はポンポンを手にして登場し、下野はヴィオラ首席奏者の小峰航一にもポンポンを渡し、一緒に脚を上げて踊っていた。

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2019年8月23日 (金)

史の流れに(6) 大谷大学博物館 2019年度夏季企画展「近代の東本願寺と北海道 開教と開拓」

2019年8月4日 大谷大学博物館にて

大谷大学博物館で、2019年度夏季企画展「近代の東本願寺と北海道 開教と開拓」を観る。開催期間は過ぎているが、昨日と今日はオープンキャンパスに合わせた特別開館が行われている。

寒冷地である北陸を布教の拠点としていた真宗大谷派は、維新後、蝦夷地と呼ばれていた北海道の開拓に協力しており、真宗開拓団として多くの北陸人が北海道に渡り、当時の法主であった現如自らが北海道に渡って布教を行ったほか、札幌と尾去別(現在の伊達市)を結ぶ本願寺道路の開削なども門徒が行っている。真宗大谷派は、札幌に別院を置くことが認められたばかりで、本願寺道路は、いわば北海道に於ける真宗のデモストレーションでもあった。

北海道の名付け親であり、「北海道人」という号も名乗った松浦武四郎(松浦弘、阿倍弘、源弘)が本願寺道路を築く際にアドバイスを行ったとされており、松浦武四郎が残した蝦夷地開拓の史料なども多く展示されている。

寛政三奇人の一人であり、「海国兵談」を著した林子平は、早くから蝦夷地の開拓とアイヌ人の同化政策を提唱しているのだが、展示されている「三国通覧図説」においてアイヌのことを、「その性、愚」としており、愚人を日本流に教化すべしという趣旨のことが書かれていて、かなり差別的であることがわかる。実際、東本願寺もこうしたアイヌへの蔑視に則って開拓や同化に協力しており、闇の土蜘蛛事件(東本願寺爆破事件)の遠因となっている。
もっとも、日本人以外は「夷狄」と見る時代にあっては、林子平らの考えも特段差別的と考えられていなかったと思われる。

松浦は、アイヌの人々の案内で、後に北海道と呼ばれる蝦夷地を探索している。松浦は伊勢国松坂(現在の三重県松阪市)の郷士の家に生まれたが、浮世絵師をしていたこともあるということで、蝦夷地の自然や産物、アイヌの人々の家などを克明にスケッチしている。

東本願寺の北海道開拓とアイヌに対する姿勢については、2年ほど前に東本願寺のギャラリーで行われた展示を踏襲している。現如は北海道でアイヌに対する真宗の布教を行っているが、日本人が建物の中、一段高いところにいて、屋外の土にひざまずくアイヌに六字名号を授ける錦絵は、現在では差別的という捉え方をされているようだ。

午後4時少し前に大谷大学博物館に入り、50分ほど中にいて(最後の客であった)、入り口付近のモニターに映されているユーカラの録音が流れる映像を5分ほど見る。ユーカラは蓄音機に録音されたものであり、録音を行った北里闌(きたざと・たけし)は、北里柴三郎の従弟だそうである。

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2019年8月22日 (木)

坂本龍一 「sayonara」

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2019年8月21日 (水)

笑いの林(119) よしもと祇園花月 「祇園ネタ」&祇園吉本新喜劇「忍者のたまご諸太郎!?」2019年8月14日

2019年8月14日 よしもと祇園花月にて

午後3時30分から、よしもと祇園花月で、「祇園ネタ」と祇園吉本新喜劇「忍者のたまご諸太郎!?」 を観る。お盆特別興行であるが、入りの方は良くない。

「祇園ネタ」の出演は、ネイビーズアフロ、ゆにばーす、ヒューマン中村、スーパーマラドーナ、桂文枝(登場順)。

 

京都市出身で、京都市立堀川高校を経て神戸大学出身のインテリ漫才コンビ、ネイビーズアフロ。今日も自分達の経歴を話していたが、「神戸大学に入りまして、その後、吉本に入りまして。今は漫才やってます」と残念な感じを前面に出す。ただ、以前は「アルバイトをしながら」と言っていたが、今はそうではないので、漫才に専念出来るようになったのかも知れない。ちなみに皆川は神戸大学を出ているが、はじりは中退したようである。

皆川が「名前だけでも覚えて貰いたい」と言って、「バスガス爆発」と早口を披露。はじりも早口が得意だというので同じことを言う。皆川がどちらが早口が得意が競うことを提案し、「この立垣を立てかけたのは立てかけたかったから立てかけたのです」を何度も言うが、はじりは「バスガス爆発」を一度しか言えない。皆川は、「この立垣を立てかけたのは立てかけたかったから立てかけたのです。立てかけたかったのは竹中直人」(竹中直人ではなく竹内結子バージョンもあり、どちらが正しいのか一人二役で言い争ったりもする)と本来のバージョン(?)も言う。

はじりは歌が得意というので、皆川は「歌のうまさがよく分かる曲、尾崎豊の『I LOVE YOU』」をチョイス。はじりが「歌詞がよくわからない」というので、はじりが歌う前に皆川が歌詞を言うのだが、変なところで切る「ぎなた読み」である。結局、皆川もはじりと歌うことになるのだが、皆川の方が歌が上手い。

はじりが「頭の良い子」が好きというので、皆川が賢い女子に扮し、デートすることに。ここで、ネイビーズアフロが最も得意とするネタ「陳謝」が繰り広げられる。皆川扮する賢い女子は、武士階級の娘のようなお堅い言葉を使い、遅刻したことを「陳謝」と言って詫びる。最後には、はじりが「賢すぎる!」と呆れてしまうことになる。

 

ゆにばーす。男女のコンビである。河瀬が、「河瀬は知らないが、はらは知っているという人」と客席に聞くと、何人かから反応がある。
河瀬が、「スラムダンク」の有名なセリフ、「諦めたらそこで試合終了ですよ」と言うと、はらが、「私、アイドルになりたい」と言ったため、「それは諦めえよ!」と返す。
はらは、子供に頃は「前田敦子(に似ている)」と言われ、中学の時は「大島優子」、高校時代は「篠田麻里子」に変わったというが、それは嘘で実際は、「浅野忠信」から「古田新太」を経ての「女装したビートたけし」だそうで、河瀬に「全部性別違う」と言われる。同性ではアパホテルの社長に似ていると言われるらしい。
はらの提案で、「(顔を気にしなくて良い)ラジオのディスクジョッキー」をやってみることにするが、はらはいきなり北朝鮮の女性アナウンサーの物真似をした上、「ミサイルが飛んできそうなタイトルのドラマ見つけたよ。『北の国から』」と言う。はらは、突然、落語を始め、話が発展しそうなところで、「ここで交通情報です。田中さん」と呼ぶが、「交通情報、鈴木です」と答えたため、河瀬は、「あれ、田中さん、どこ行った?」
結局、ラストも北朝鮮の女性アナウンサーの口調真似となる。

 

ヒューマン中村。見た目が地味なので、「出演者です」と自虐ネタを言う。まず、言い方を変えると意味が変わる言葉をやる。「フラペチーノ」という言葉を想像上の少年に向かって屈みながら、「僕、フラペチーノ?」とやる。「こういうのが10分ほど続きます」
フリップに書かれた字が客席からちゃんと見えるかどうか聞くが、「雨」の点が4つではなく大量にあるという漢字が出てきたり、「占」という字が実は霧吹きだったりする。

何度もやっている「だんだんしょぼくなる」。「夢」が子供の頃は「僕、プロ野球選手になりたい」と大きかったのが中学生になると「修学旅行までには彼女作りたい」に変わり、大人になると「よし、ここにソファ置こう」までささやかなものになってしまう。
「不安」は、「第一志望の大学、受かってるかな」から「ここ、自転車盗まれないよね?」を経て、「僕のウーロンハイ通ってます?」とその場で解消されそうなものに変わる。
「絶望」。「ああ、会社をクビになってしまった。どうしよう」→「昨日のドラマの最終回、録画し忘れた」→「やっぱり自転車盗まれている!」

覚えている限りでは、ヒューマン中村の最も初期のネタ、「しりとりで反論」。ナゴヤドームでのクライマックスシリーズ、中日ドラゴンズ対東京ヤクルトスワローズの試合を見て、翌日、関ヶ原を旅した後で向かった京橋花月での笑い飯と千鳥の大喜利対決にヒューマン中村がゲスト出演したときに披露していたので、8年ほど前になるだろうか。傷つく言葉をしりとりで返すというものである。
「あれ、おまえいたの?」→「のっけからいたよ」、「おまえ、爆弾作ってない?」→「いくつ作ってると思う?」、「その服、昨日も着てなかった?」→「多分、明日も着るよ」、「きも!」→「もっと言って!」、「生理的に無理」→「理論上は可能」

 

スーパーマラドーナ。夏だというので、武智が怪談を提案。怖そうなタイトルを二人で言って、武智と田中のどちらの言い方が怖いのかを競うというもの。同じタイトルを言わなければいけないのだが、武智「動く人形」→田中「動く人形劇」→武智「人形劇が動くのは当たり前や」、武智「血まみれの地蔵」→田中「血まみれの痔」、武智「叫ぶお墓」→田中「シャケよりおかか」など、田中が勝手に変えてギャグにしてしまう。
今度は、武智が時代劇が好きだというので、町娘を救う場面を二人で再現することになる。武智が主人公の武士を、田中が悪者を演じるのだが、田中演じる悪者がとにかくダイハードなので、「おまえは悪者に向かん、町娘やれ」ということになる。しかし、演じる町娘は武智にやたらとまとわりついたり、悪者にすぐついて行ったりと邪魔をする上、なぜか最後は斬られてしまう。その後、田中は町娘から通行人に降格となり、最後は武智の髷役にまで落ちるのだが、いずれも先走って武智に突っ込まれる。

 

桂文枝。まずはシルバー川柳ネタ。「マイナンバー『ナンマイダ』と聞き違え」「美味かった何を食ったか忘れたが」「食ったこと忘れぬように爪楊枝」というネタをやり、「食事を作るのが面倒な奥さんは、先に爪楊枝咥えさせといて、『食事したかな?』『爪楊枝咥えてるんだから食べたでしょ』と食べたことにして」おく手があると紹介する。

耳鼻咽喉科に行った時の話。耳鼻咽喉科に来る人は基本的に耳の遠い人が多いため、「中野さーん」と呼ばれて、文枝の隣にいた老人が立ち上がったので、「ああ、この人が中野さんかいな」と思ったところ、老人が受付で「今、中田って呼ばんかった?」と聞いたため、「ああ、中田さんか」と思ったのだが、「中田さーん」と呼ばれた時に隣の人が立ち上がらない。そこで文枝が「中田さんって呼ばれてはりますよ」と言ったところ、「わしは田中」と訳の分からない展開になったそうである。
文枝も、「河村さーん」と呼ばれたので診察室に入り、聴力の検査を受けたところ、「入れときますか?」と言われたという。補聴器を入れた方がいいという意味だとわかったため、文枝は他の病院を受けることにする。道頓堀にある評判のいい耳鼻咽喉科だったが、そこでも「補聴器入れときますか? 今、小さくていいのがある」と言われたため、また病院を変わり、梅田にある病院に行ったそうだ。

病院はネタの宝庫だそうで、怖そうな奥さんを連れた老人が医師に年齢を聞かれ、「78歳」と答えたところ、奥さんからどつかれ、「嘘ついたらあかん! 83歳やがな!」と言われ、訂正する。医師に「痛いところは?」と聞かれ、すぐに答えなかったため、妻が肩に二度折檻を加えて、「肩が痛いです」、「はあ、赤くなってますな」

 

祇園吉本新喜劇「忍者のたまご諸太郎!?」。出演は、諸見里大介(リーダー)、たかおみゆき、奥重敦史、五十嵐サキ、もじゃ吉田、アキ、大島和久、前田まみ、吉田ヒロ、入澤弘喜、北野翔太、はじめ、松元政唯、本山悠斗、谷川友梨、楠本見江子。

楠本見江子は、実に25年ぶりの舞台復帰だそうである。

京都府にあるとされる花月村という架空の村が舞台。花月村はかつて忍者の里であり、忍者の末裔が経営する忍術花月派の花月旅館と忍術吉本派の吉本旅館という2つの旅館があるのだが、仲が悪い。
花月旅館の現在の当主の敦史は、年齢による衰えのため引退、その息子のもじゃ吉田(本名を呼ばれていたように思うが、記憶出来ず)は修行中。もじゃ吉田の母であるサキ(「普通の女忍者ではない、くノ一だ」と紹介されていたが、女忍者の通称は普通はくノ一なので意図は不明)は現役だが、体重が増えたために機敏に動くことが出来ない。
花月旅館に泊まりに来た小説家兼シナリオライターのたかおみゆき(代表作は「牛の膵臓を食べたい」だそうである)の息子で、小学1年生の諸太郎(諸見里大介)。かなり発育がいいが、滑舌は悪く、何を言っているのかわかりにくい。
もじゃ吉田と、吉本旅館の娘であるまみは恋仲なのだが、父親であるアキは愛弟子である大島和久とまみを結婚させる気でいた。もじゃとまみの仲を知った諸太郎は、二人を応援、今度の忍術大会でもじゃが大島に勝てばまみとの結婚が叶うということで、二人で特訓を行う。

「忍者のたまご諸太郎!?」は今日が初日。今日はまず朝10時からあさ笑い新喜劇があり、本公演2回によるよる新喜劇があるということで、計4回も公演がある。座員達は朝7時半頃から稽古を始めているそうだ。明日からはよるよる新喜劇がなくなって、3回公演に減るようである。

楠本見江子は、終戦の年に生まれ、四半世紀ぶりの新喜劇出演。高齢で演技からも遠ざかってたためセリフが覚えられないようで、虎の巻を使っての演技だったが、読む場所がわからなかったり、演者の名前が浮かんでこなかったり(五十嵐サキのことを「あの人」と呼ぶ)、適切な単語が浮かばなかったりで、苦労しているようである。

 

 

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2019年8月20日 (火)

コンサートの記(586) 久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ2019京都公演

2019年8月11日 京都コンサートホールで

午後5時から京都コンサートホールで、久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ2019京都公演を聴く。新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラであるが、組織としては新日本フィルハーモニー交響楽団と同一である。コンサートマスターは豊嶋泰嗣。

全曲、久石譲作品が並ぶというプログラム。前半が、組曲「World Dreams」(世界初演)、Deep Ocean。後半が、[Woman]for Piano,Harp,Percussion and Strings(改訂初演)、Kiki's Delivery Service Suite(交響組曲「魔女の宅急便」。世界初演)。全曲、久石譲の指揮。久石譲は、Kiki's Delivery Service Suiteの一部ではピアノも担当する。

全曲、ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏である。


世界初演となる組曲「World Dreams」は久石らしいリリカルな作風である。「ベートーヴェン交響曲全集」なども完成させている久石であるが、指揮者として誰かに師事したということはないはずなので、基本的には拍を刻むオーソドックスな指揮を見せる。なぜか小指を立てて指揮棒を握っているのが妙に印象的である。

今回のツアーにはAプログラムとBプログラムがあり、京都公演ではBプログラムが演奏されるのだが、Aプログラムとの違いは2曲目のみである。
その2曲目のDeep Oceanは、グラハム・フィットキン作品を思わせるミニマルミュージックでこれまた現代音楽家としての久石譲の王道を行く作品である。9曲からなるのだが、5拍子の曲が目立つ。久石は5つの拍を、三角形を描く拍と上下の二つに分けて指揮した。


[Woman]for Piano,Harp,Percussion and Strings。1曲目は「草の想い」、2曲目は「崖の上のポニョ」の旋律を元にした作品である。久石オリジナルの現代音楽を目的に来たのだが、お馴染みの久石メロディーを聴くとやはり楽しい。
3曲目は「Les Aventuriers」の新編曲。久石作品の中では評価が高い曲のようだが、私は本格的に聴くのは初めてだと思う。


ラストとなるKiki's Delivery Service Suite(交響組曲「魔女の宅急便」)。クラリネット奏者、トランペット奏者、トロンボーン奏者が立って演奏するなど、ソロ的な見せ場があり、コンサートマスターの豊嶋泰嗣にもソロが用意されている。マンドリンやアコーディオンを入れた編成で、幼時へのノスタルジアが掻き立てられるような仕上がりとなっていた。「魔女の宅急便」は、架空のヨーロッパを舞台とした映画とされているが、久石が書いた音楽は、スタジオジブリ作品の中でも日本人の琴線に最も触れやすい旋律に満ちている。


アンコールとしてまず久石譲のピアノによる「あの夏へ」が演奏される。懐かしくも切ない思い出も多い今の季節に最も相応しい楽曲である。

アンコール2曲目は、「ハウルの動く城」のために書かれた「Merry-go-round(人生のメリーゴーランド)」。聴き手の想像がどんどん広がっていくような曲と演奏である。


渡邉暁雄によってアメリカのオーケストラを目標に組織された日本フィルハーモニー交響楽団を前身とする新日本フィル。日フィル争議によって小澤征爾と共に日本フィルハーモニー交響楽団を飛び出したメンバーによって結成されているが、残されたメンバーによって市民のための楽団として再スタートした現在の日本フィルよりも新日本フィルの方がよりアメリカ的な音楽スタイルを指向しているように思われる。小澤征爾が長きに渡ってボストン交響楽団の音楽監督を務めていたことと関係があるのかどうかはわからないが、映画音楽をベースとした作品の演奏には、やはりアメリカ的な感性を追求するオーケストラが合っており、今日も艶のある音色と明るい響きによって久石作品に込められた夢を広げていた。


ポピュラー系の聴衆が多いということもあってか、客席はほぼオールスタンディングとなり、新日フィルのメンバーが下がってからも久石譲が一人現れて喝采を受けるという、俗にいう一般参賀も行われた。久石譲は大袈裟に手を振って笑いを誘っていた。

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2019年8月18日 (日)

観劇感想精選(314) 二人芝居「グレーテルとヘンゼル」

2019年8月15日 左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールにて観劇

午後3時からロームシアター京都ノースホールで、「グレーテルとヘンゼル」を観る。台風によって上演が危ぶまれたが、正午過ぎに予定通り行われることがホームページ上で発表になった。

グリム童話「ヘンゼルとグレーテル」をカナダ・ケベック州の劇団ル・カルーセルがリライトした二人芝居作品である。作:スザンヌ・ルボー、演出:ジェルヴェ・ゴドロ、テキスト日本語訳:岡見さえ。出演は、土居志央梨と小日向星一。

カナダ第二の都市であるモントリオールを擁することでも知られるケベック州はフランス語圏であり、何度かカナダからの独立を試みているところだが、ケベック演劇という心理描写に長けた独自の演劇色を打ち出していることでも知られ、日本でも白井晃の一人芝居である「アンデルセン・プロジェクト」や、中谷美紀主演の「猟銃」などを生んでいる。

グレーテル役の土居志央梨は、1992年福岡県生まれ。京都造形芸術大学映画俳優コース卒。在学中に林海象監督の北白川派の映画「彌勒」に出演し、その後も行定勲監督作品などに出演している。

ヘンゼル役の小日向星一は、1995年東京生まれ。小日向文世の長男である。明治大学政治経済学部卒。在学中には演劇サークルに所属し、第12回明治大学シェイクスピアプロジェクト(MSP)「ヘンリー六世」ではタイトルロールを演じている。兵庫芸術文化センター阪急中ホールで上演された松田龍平主演の「イーハトーボの劇列車」では、風の又三郎らしき少年役を演じていた。

1週間以内に別の場所で小日向親子の演技を見られるというのも良いものである。

 

原作の「ヘンゼルとグレーテル」は、継母に捨てられた二人がお菓子の家を発見し、そこに住む魔女に捕らえられて、というストーリーが主だが、「グレーテルとヘンゼル」は姉弟間の心理に光を当てている。

第一子と第二子の関係は、心理学でも定番中の定番であり、カインとアベルに由来する「カインコンプレクス」という名も与えられている。第一子は第二子が生まれるまでは親の愛情を独占しているが、第二子が生まれると親の関心は第二子に完全に移り、更には「お兄ちゃん(お姉ちゃん)なんだから」「大きいんだから」と新たな役割を半ば強制されるようになる。第一子は第二子に脅威を感じるようになるのである。

私も長男(第一子)で、妹が一人いるのだが、そんなことがあったようななかったような。うちは兄妹仲は比較的良好なのでよく覚えてはいない。

 

ベビーチェアが15脚、円になって並んでいるというシンプルな装置による上演である。ベビーチェアを並べ替え、照明を生かすことによって、森やかまどなどを表現する。

ヘンゼルが生まれたのは木曜日。グレーテルの家では「野菜スープの日」で、グレーテルは野菜スープが登場するのを心待ちにしていたのだが、突然、母が産気づき、野菜スープはお預けとなってしまう。元々、妹も弟も欲しくないと思っていたグレーテルは、ヘンデルの存在を嫌悪し続けることになる。ヘンゼルの方は、言葉を覚えると「グレーテル」「お姉ちゃん」と呼ぶようになるのだが、グレーテルはヘンゼルのことを「弟」と呼び続けた。
グレーテルが5歳、ヘンゼルが4歳のある日、両親が兄弟のためにと取っておいたパン二切れをヘンゼルが二つとも食べてしまうという事件が発生し、激昂したグレーテルはヘンゼルを木のスプーンで思いっ切り打擲する。異変を察した母親が二人を見に来たのだが、グレーテルはヘンゼルがパンを二きれとも食べてしまったことを告げず、ヘンゼルもグレーテルから折檻を受けたことを明かさなかった。そこで変化が訪れそうな気配もあったのだが、帰ってきた父親が母親に何かを告げ、一家4人は森の中へ。実は両親は二人の子供を捨てる覚悟を決めており……。

子供と大人のための舞台として書かれており、今まさにグレーテルとヘンゼルのような幼い姉弟のいる子達にリアルタイムで届ける作品である。終演後の親子連れの会話を聞いていると、違和感が勝っていて余り内容を理解されてはいなかったようだが、子供達に伝わると嬉しく思う。関係者でも何でもないんだけれど。

 

土居志央梨は映像中心のためか、演技が少し過剰になる嫌いがあったが、可憐さもあり、クラシックバレエをやっていたということで身のこなしも軽く優雅で、火にくべられようとする間際までヘンゼルを憎むグレーテルの心の揺れを上手く表していたように思う。

小日向星一は、顔はそれほど父親に似ていないのだが、雰囲気や声は小日向文世を連想させるものがある。幼いヘンゼルの素朴さを上手く出した演技だった。

 

 

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2019年8月17日 (土)

観劇感想精選(313) オフィス3○○ 音楽劇「私の恋人」

2019年8月9日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後7時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、オフィス3○○(さんじゅうまる)の音楽劇「私の恋人」を観る。原作:上田岳弘(たかひろ)、脚本・演出・衣装・出演:渡辺えり。出演:小日向文世、のん、多岐山壮子、松井夢、山田美波、那須野恵。ミュージシャン:三枝伸太郎。歌唱指導:深沢敦。

のんはこれが初舞台。兵庫県出身ということで(そもそも能年という苗字は兵庫県固有のものである)凱旋公演となる。東京の東大和市でプレビュー公演が行われたが、本編の上演は今日が初日となる。

3○○にちなみ、主演俳優3人が30の役を演じるという音楽劇である。

まず、下手客席入り口から小日向文世と渡辺えりが登場。小日向文世は、「歌なんか歌いたくないよ」と文句を言い、「ミュージカルみたいに突然歌い出すの? 変だよ、みっともないよ」と続ける。渡辺えりが、「それは偏見」と言うべきところを「それは先見」と言ってしまって言い直す。初日ということでまだセリフが完全にものになっていないようで、小日向文世も中盤の「おやじが死んで」と言うべきセリフを「俺が死んで……、俺は死んでないよな」と言い直していた。

冒頭に戻るが、小日向文世がぐずるので渡辺えりが一人で歌おうとするが、まさに第一声を発しようとした瞬間にのんが上手から駆け込んできて、奪うようにして歌い始めてしまう。のんは渡辺えりに譲りそうな気配を見せるも、結局、全編歌う。渡辺えりが、「あんた誰?」と聞くと、のんは「まだ誰でも」と答える。
その場に歌いたい女が二人、歌いたくない男が一人でということで、のんが「ならば、踊ろう!」と提唱してダンスが始まる。

 

メインとなるのは、井上由祐(のん)と主治医の高橋(小日向文世)の物語である。井上は前世ではナチ圧制下のドイツで過ごしたユダヤ人、ハインリッヒ・ケプラーであり、そのまた前世は10万年前のクロマニヨン人であった。由祐は10万年前の前前世から「私の恋人」を探しているのだが、まだ見つかってはいない。

一方、由祐の主治医でありながらどう見ても精神を病んでいそうな高橋は、二度の行き止まりを迎えた人類の旅を切実に体験するため、絶滅した優秀なタスマニア人が見た景色を求めてオーストラリアに旅に出る。道中、高橋はキャロライン(キャリー)という女性と出会うが、のちに由祐は彼女こそが「私の恋人」であると見なすことになる。

由祐の双子の弟である時生(渡辺えり)は、子供の頃からずっと引きこもりであり、良い大学から良い企業へと就職した兄に劣等感を抱いていた。二人の父親(小日向文世)は東北で時計屋を営んでいる。時生は「断捨離」を提唱するのだが、父親が残してきた雑多なものは断捨離などしなくても東日本大震災の津波で全て失われてしまうことになる(渡辺えり独自の視点だと思われるが、日本に於ける一度目の行き止まりが敗戦で、二度目が東日本大震災とされているようである)。

やがて老境に達した由祐(小日向文世)の下(もと)に未来の由祐(のん)がやって来る。小日向文世が演じる由祐は今もまだ「私の恋人」に出会えていないが、それは実は未来の由祐が未来からの操作を行っていたことが原因であった。

なぜ、過去を操ろうとするのか?

ラストでは、高橋が神の視点からの発言も行う。看護師の川上(渡辺えり)は、「狂っている」と一蹴するが、高橋は「神は狂っている」と断言する。

 

のんは初舞台の初日ということで、セリフが舞台に馴染んでいない印象を受ける。想像通りの演技をする人で才気を感じるタイプではなく、よく言えば等身大の演技をする人だが、元々が女優としては特別美人でも飛び抜けて可愛いというわけでもなく、同級生にいそうなタイプというポジションにいた人だけにこうした演技があるいは彼女の真骨頂なのかも知れない。「のんはのんだった」ということである。
歌手としても活動しているのん。歌は特段上手いということはないが、美声である。

 

2016年の大河ドラマ「真田丸」放送時に、若い頃の写真が堺雅人に似ていると話題になった小日向文世。今日は様々なかつらをかぶって色々な役をこなしていたが、髪があると今でも小日向文世は堺雅人に似ている。骨格が似ているということもあってか、声も同じ系統であるようだ。

 

カーテンコールで、渡辺えりから、初舞台の初日を地元の兵庫で迎えた感想を聞かれたのんは、「素直に嬉しいです」と答えていた。

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2019年8月16日 (金)

観劇感想精選(312) “あきらめない、夏”2019 大阪女優の会 Vol.17 朗読劇「あの日のこと」

2019年8月10日 大阪・大手前のドーンセンター1Fパフォーマンススペースにて観劇

午後5時から、大阪・大手前のドーンセンター1Fパフォーマンススペースで、“あきらめない、夏”2019 大阪女優の会 Vol.17 朗読劇「あの日のこと」(『朝、目覚めると、戦争が始まっていました』『空が、赤く、焼けて 原爆で死にゆく子たちとの8日間』より)を観る。構成・演出:棚瀬美幸。出演:秋津ねを(ねをぱぁく)、河東けい(関西芸術座)、金子順子(コズミックシアター)、木下菜穂子、佐藤榮子(劇団息吹)、嶋まゆみ、条あけみ(あみゅーず・とらいあんぐる)、田中敏子(劇団MAKE UP JELL)、鼓美佳(劇団MAKE UP JELL)、長澤邦恵(tsujitsumaぷろでゅ~す)、服部桃子、原口志保(演劇ユニット月の虹)、桝井美香、南澤あつ子(劇団EN)、山本つづみ。“あきらめない、夏”公演の創設者の一人である河東けいは今回の公演をもって勇退するという。


1941年12月8日午前7時のラジオニュースで流れた米英との開戦報告に続いて、開戦を知った当時の著名人による記述や回想(『朝、目覚めると戦争が始まっていました』収録)が述べられる。顔写真と当時の年齢、役職も背後のスクリーンに投映される演出。登場するのは、吉本隆明、鶴見俊輔(ハーバード大学在学中であるため、日付が12月7日となっている)、ピストン堀口、新美南吉、岡本太郎、野口冨士男、中島敦、火野葦平、河東けい、坂口安吾、伊藤整、神山茂夫、阿部六郎、古川ロッパ、中野重治、神林暁、井伏鱒二、横光利一、金子光晴、獅子文六、青野季吉、室生犀星、折口信夫、秋田雨雀、高村光太郎、正宗白鳥、永井荷風、真崎甚三郎、幸田露伴。現在、93歳である河東けいも、開戦時はまだ16歳。何が起こったのかよく把握出来ていなかったが、二人の兄が欣喜雀躍していたのを覚えているそうである。
奥田貞子の広島原爆体験記『空が、赤く、焼けて』、1942年に発表された太宰治の短編小説「十二月八日」(これも『朝、目覚めると戦争が始まっていました』収蔵だそうである)、『朝、目覚めると戦争が始まっていました』に収められた著名人の記述によって編まれたテキストが、女優達によって読み上げられていく。


日米開戦の報はどう受け止められたのか。実は多くの著名人は興奮や感動をもって受け止めている。当時の日本はABCD包囲陣などによって経済封鎖を受けており、極めて苦しい状態にあった。開戦によってこれから開放されるという希望があったのかも知れない。あるいは、日米開戦に壮大なロマンを描いていた人もいる。火野葦平は、「新たな神話の始まり」と評しており、ある意味では日本が世界の主人公となる壮大な物語の誕生が多くの人に渇望されていたのかも知れない。すでに日露戦争で「有色人種が白人に勝つ」というロマンを体現していた日本にとって、更なる神話の出発として歓迎されていたのだ。もちろん、開戦を歓迎する人ばかりではなく、金子光晴は開戦の報を聞いて「馬鹿野郎!」と口走り、老境に達していた幸田露伴は若者達のことを思って涙を流したそうだ。欧米をよく知る永井荷風は、開戦に浮かれて素人が駅で演説を始めたことに呆れている。

しかし、その始まりに比して、悲惨な結末の落差は余りにも大きい。男達が広げに広げた大風呂敷は、もはや畳むに畳めない状態となり、空回しした大きな物語の傍らで多くの子供達の死という小さな物語を記し続けることになる。虚妄が生む悲劇はこうして起こり、繰り返されるのである。

太宰治の「十二月八日」は、ごくごく短い作品であるが、後に書かれる『斜陽』と同じ趣向を辿っており、淡々とした日常風景の中に利いた風なことをいう無知な男の姿が冷笑的に語られている。帰りの電車の中で青空文庫で読んでみたが、朗読に採用されなかった部分では、シリアスな状況がそうとは悟られないように明るくユーモラスに描かれており、流石は太宰と感じ入る出来である。
ちなみに、「十二月八日」は本当にその日に書かれた私小説やリアリズム文学ではなく、その証拠に開戦の日だというのに主人公の女性はすでに空襲のことを心配している。未来への不安を感じられるタイプであり、夫の楽天的で無責任な態度との対比が鮮やかである。

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2019年8月14日 (水)

美術回廊(32) 祇園甲部歌舞練場 八坂倶楽部 「フェルメール 光の王国展」

2015年8月27日 祇園の八坂倶楽部にて

祇園甲部歌舞練場内 八坂倶楽部で、「フェルメール 光の王国展」を観る。

「フェルメール 光の王国展」は、フェルメールの絵画全37点をリ・クリエイト作品として展示するもの。フェルメールが描いた画そのものではなく、フェルメールが描いた当時の色彩を求めて原寸大で一種の復刻をしたものであり、質感はフェルメールが描いたものに限りなく近いが、本当の本物というわけではない。ということで、絵画はカメラ撮影OK(フラッシュは禁止)、SNSやブログに写真投稿もOKという日本の美術展としては緩いものになっている。

本物のフェルメールの絵画は経年劣化によって黒ずんでいるが、今回のリ・クリエイト作品の色彩は鮮やかである。
スマホのアプリを使って本物とリ・クリエイト作品の比較が出来るようになっている(本物のほうが色彩が暗い)のが面白かった。

オランダの画家、ヨハネス・フェルメール。柔らかなタッチが特徴で、もっとシャープな筆致を好む私にとっては必ずしも好きな画家ではないが、画は見応えがある。左側に窓があり、窓から差し込む日の光が人物を照らし、画に広がりを与えているという特徴がある。

フェルメールのほぼ全作品のリ・クリエイト作品が展示されているということで、有名な「真珠の耳飾りの少女」、「牛乳を注ぐ女」、「デルフト眺望」なども展示されているが、私が最も気に入ったのは「窓辺で手紙を読む女」。窓明かりに照らされた手紙を読む女の中で希望や想像が膨らんでいく様が感じられて素晴らしいと思う(巷間流布している解釈は私は採らない)。
なお、残っている絵画作品も少ないフェルメールであるが、彼が書いた手紙や日記は一切残っておらず、どのような人物だったのかは完全に謎だという。

八坂倶楽部の庭園に出ることが出来るというので、回ってみる。地泉回遊式庭園であり、なかなか趣がある。

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2019年8月13日 (火)

コンサートの記(585) グスターボ・ヒメノ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第490回定期演奏会

2015年7月23日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第490回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はスペイン出身の若手、グスターボ・ヒメノ。

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席ティンパニ奏者を経て指揮者となったヒメノ。この秋にはそのロイヤル・コンセルトヘボウ楽団を率いて来日ツアーも行う。
生年などは定かでないか、2001年にロイヤル・コンセルトヘボウの首席ティンパニ奏者に就任。その後、アムステルダム音楽院で指揮法を習い、指揮者としての活動を開始。マリス・ヤンソンスの下でロイヤル・コンセルトヘボウ管の副指揮者を務め、2013年にはクラウディオ・アバドの下でモーツァルト管弦楽団、ルツェルン祝祭管弦楽団、マーラー・チェンバー・オーケストラの各楽団の副指揮者の座を担った。今年の9月からはルクセンブルク・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任する予定である。

曲目は、レブエルタスの「センセマヤ」、アンドレ・プレヴィンのチェロ協奏曲(日本初演。チェロ独奏:ダニエル・ミュラー=ショット)、ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」、レナード・バーンスタインの「ウエストサイド物語」より“シンフォニック・ダンス”
全て20世紀以降に書かれた作品であるが、いわゆる現代音楽の範疇からは外れた作品が並ぶ。アンドレ・プレヴィン、レナード・バーンスタインという指揮者兼作曲家の作品が並ぶのも特徴である。

今日のコンサートマスターは首席コンサートマスターの田野倉雅秋。

今日は1階の前から2列目上手端の席。管楽器の奏者はチェロ奏者達の陰になって顔がほとんど見えない。大抵のホールではステージに近すぎる席だと直接音と残響のバランスが悪くなるのだが、新しくなったフェスティバルホールは音が上に抜けやすいということもあってか、なかなか良い音で聴くことが出来た。

レブエルタスの「センセマヤ」。シルベストレ・レブエルタスはメキシコ生まれの作曲家だそうで、メキシコ・シティでヴァイオリンを学んだ後でアメリカに渡り、テキサスのオーケストラではコンサートマスターも務めたという。その後、祖国に帰り、メキシコの民族色の濃い作品を作曲しているという。「センセマヤ」はスペイン内戦を題材にした作品であり、「殺せ! 殺せ!」というメッセージを込めたというおどろおどろしい作品である。おそらく5拍子が主体だと思われるが独特のテンポの中で熱い音楽が築かれていく。今日の大フィルの音色はスマート。ヒメノの指揮は端正にして知的コントロールの行き届いたものである。
ちなみにレブエルタスの「センセマヤ」の世界的な紹介を行ったのはレナード・バーンスタインだそうである。


アンドレ・プレヴィンのチェロ協奏曲。NHK交響楽団の名誉客演指揮者としても知られるアンドレ・プレヴィン。映画音楽の作曲家としてスタートし、ジャズの作曲家兼演奏家を経てクラシックの指揮者となり、クラシック作品の作曲も手掛けるようになったという多彩な人である。イギリス王室からナイトに叙されているが、ドイツ&アメリカ国籍であるため「サー」を名乗ることは許されていない。
チェロ独奏のダニエル・ミュラー=ショットは、1976年、ミュンヘン生まれの若手チェロ奏者。ハインリヒ・シフやスティーブン・イッサーリスに師事し、世界中でチェリストとして活躍。ミュラー=ショットのチェロを聴いたプレヴィンは強い感銘を受け、ミュラー=ショットのためのチェロ協奏曲を書いた。それが今日演奏される本作である。2011年6月9日に、作曲者指揮ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の伴奏、ミュラー=ショットのチェロ独奏で世界初演が行われている。。今回は世界初演者のチェロによる日本初演である。

3つの楽章からなるが、いずれもまずチェロが飛び出し、それをオーケストラが追うという形になる。ミュラー=ショットのチェロは磨き抜かれた音を発し、琥珀のような独特の輝きで響く。
第1楽章はポピュラー音楽のような快活さを持ち、第2楽章はメランコリック、第3楽章は伸びやかである。良い意味で映画音楽的なメロディアスな旋律を持つ曲である。ヒメノ指揮の大フィルは旋律を良く歌ったが、あるいはもっと渋い音楽作りを持ち味とする指揮者が振ったら全く印象の異なる曲になったかも知れない。

ミュラー=ショットはアンコールを2曲弾く。まずブリテンの無伴奏チェロ組曲第2番より“デクラマート”。ブリテンの無伴奏チェロ組曲はJ・S・バッハのそれの陰に隠れて知名度が上がらないが佳曲揃いであり、“デクラマート”も優れた曲と演奏であった。続いてはツィンツァーゼ(後で調べたところ、ソ連時代のグルジア=現・ジョージアの作曲家だという)の「チョングリ」.。全編ピッチカートによるリズミカルな小品である。


ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」。大フィルのパワーが前面に押し出された力強い演奏。それでいて洗練されている。弦も管も力強いがバランスは取れており、ヒメノの旋律の歌わせ方はお洒落だ。極めて都会的な演奏であり、カオス的な部分を隠すことなくエレガントにまとめ上げるという秀逸な出来だ。アメリカ的な開放感よりも、パリのエスプリがより強く出されており、「『パリ』のアメリカ人」という印象を受ける。


レナード・バーンスタインの「ウエストサイド物語」より“シンフォニック・ダンス”。ショーピースとしてよく取り上げられる曲目であるが、実は大阪フィル事務局次長の福山修氏によると、大フィルがこの曲を演奏するのは意外にも今日が楽団史上初になるのだという。朝比奈隆にレナード・バーンスタインの曲は似合わないのでそれは納得出来るが、晩年のレナード・バーンスタインに最も可愛がられた指揮者の一人であった大植英次も大阪フィルではこの曲を取り上げていないようだ(確かに大植指揮の定期演奏会でこの曲を聴いた覚えはないが)。ちなみに大植英次は、バーンスタイン最後の来日となった1990年のロンドン交響楽団とのツアーに同行しており、東京公演では、体調不良のバーンスタインに代わって「ウエストサイド物語」より“シンフォニック・ダンス”1曲のみを指揮している。しかし指揮者の変更が発表されたのが公演当日。しかも当時の大植は全くの無名の存在。ということで、指揮者の交代を不服とした聴衆が終演後もホールに残ってコンサート主催者であった野村證券をつるし上げるという事件が起こっている(野村・バーンスタイン事件)。コンサートの当日にバーンスタインは吐血したことがわかっており、リズミカルな曲の指揮は不可能であったのだが、それは様々な理由から明らかにされなかった。そのため大植もこの曲に良い思い出がないのかも知れない。
“シンフォニック・ダンス”を演奏するのは始めとだという大フィルであるが、この曲を演奏するのに必要なリズム感とスウィング感は完璧にものにしており、楽しさ抜群の演奏となる。力強さだけではなく、リリカルな部分の表現力にも長けている。

この秋のコンセルトヘボウ管との来日ツアーの名刺代わりとして十分な実力を披露したヒメノであった。

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2019年8月10日 (土)

コンサートの記(584) 大阪新音 三ツ橋敬子指揮大阪フィルハーモニー交響楽団ほか モーツァルト 「レクイエム」(バイヤー版)

2019年7月30日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪新音によるモーツァルトの「レクイエム」を聴く。三ツ橋敬子指揮大阪フィルハーモニー交響楽団、大阪新音フロイデ合唱団の演奏。ソリストは、ソプラノに並河寿美、メゾソプラノに福原寿美枝、テノールに二塚直紀、バリトンに三原剛と関西の実力派が揃った。

前半がグリーグの組曲「ホルベアの時代から」(ホルベルク組曲)、後半がモーツァルトの「レクイエム」というプログラム。モーツァルトの「レクイエム」は、ジュースマイヤー版ではなく、フランツ・バイヤーが1971年に補作したバイヤー版を用いての演奏である。現在では様々な補作のあるモーツァルトの「レクイエム」であるが、バイヤー版はジュースマイヤー版の和声やオーケストレーションを手直しした版であり、他の版のように大きく異なるということはないため、ジュースマイヤー版以外では最も演奏される機会が多く、録音も様々な組み合わせによるものが出ている。


大阪フィルには大植英次が特注で作らせたという、通常よりも高めの指揮台があるのだが、三ツ橋敬子も身長151cmと小柄であるため、大植用の指揮台が用いられる。
今日の大フィルのコンサートマスターである須山暢大は長身であるため、横に並ぶと三ツ橋が余計に小さく見える。


グリーグの組曲「ホルベアの時代から」。北欧の音楽だけに澄み切った響きが欲しいところだが、大フィルの弦楽の響きは渋め。三ツ橋はスプリングの効いた音楽を指向しているように思われたが、弦楽が今ひとつ乗り切れない。
第4曲の「エア」などは敬虔な響きが良かったが、他の曲は重めで、昔からの大フィルの弱点が出てしまっていたように思う。


モーツァルトの「レクイエム」。字幕付きでの上演である。
大阪新音フロイデ合唱団は大編成ということで、大フィルもフルサイズに近いスタイルでの演奏。フェスティバルホールでの演奏ということでピリオドはほとんど意識されていない。ただ時折、モダンスタイルとは違った弦楽の透明な響きが聞こえたため、要所要所ではHIPを援用しているようだ。

大空間のフェスティバルホールでの大編成での合唱ということで、最初のうちは声が散り気味に聞こえたが、そのうちに纏まりが出てくる。臨時編成のアマチュア合唱団による一発本番だけに、最初から上手くはなかなか行かないだろう。メンバーの平均年齢が高めであるため、声が乾き気味でもある。ただ「怒りの日」などでの迫力はなかなかのものだ。

三ツ橋は自分の色を出すよりも音符そのものに語らせるというスタイルを取っており、モーツァルトと弟子のジュースマイヤーの書いた音楽の良さがそのまま伝わってくる。比較的速めのテンポによるキビキビとした演奏であり、モーツァルトの特長である推進力も巧みに表現されていた。大編成の合唱であるが飽和はさせないという手綱さばきも上手い。ドイツものということで、大フィルも最上のスタイルを見せる。

バイヤー版であるが、モーツァルトの絶筆とされる「ラクリモーサ」のその後の展開などに賛否両論がある。ただモーツァルトは「レクイエム」を作曲途中で他界してしまったため(オーケストレーションも含めて完全に仕上げることが出来たのは第1曲のみである)、モーツァルトの真作による「レクイエム」を聴くには、なんとかしてモーツァルトを生き返らせねばならないわけで、それは不可能。ということで、誰が補作しても完全に納得のいく作品になるわけはなく、そういうものとして受け取るしかないであろう。

打率は高いが大当たりは少ないというタイプの三ツ橋であるが、「レクイエム」は大フィルの威力も相まって彼女としても上の部類に入る出来だったと思う。

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2019年8月 9日 (金)

あの男

あの男が焼き払ったのはビル一棟だけではない。

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2019年8月 6日 (火)

コンサートの記(583) ザールブリュッケン室内合唱団京都公演2019

2019年7月29日 京都府立府民ホールアルティにて

午後7時から、京都御苑の西にある京都府立府民ホールアルティで、ザールブリュッケン室内合唱団の京都公演を聴く。

ドイツ西部、フランスとの国境近くにある街、ザールブリュッケン。スタニスラス・スクロヴァチェフスキとのコンビでレコーディングや来日演奏会を行ったザールブリュッケン放送交響楽団によって日本でも知名度が高まった街である。ザールブリュッケン室内合唱団(カンマーコア・ザールブリュッケン)は、1990年にゲオルク・グリュンによって組織された団体で、ドイツ国内を始めヨーロッパ諸国やアメリカ、ロシアなどでも高い評価を受けているという。古楽から現代音楽まで幅広いレパートリーを誇っているようだ。

 

曲目は、前半が、ブラームスの「なぜ、苦しむ人に光があたえられるのか」、松下耕の「慈しみのあるところ」「地上は暗闇となった」「いつまで、主よわたしを忘れておられるのか」「おお、救いのいけにえよ」「深き淵より」「我を救いたまえ」「主よ、わたしを平和の器とならせてください」。後半が、ブラームスの3つの歌(「夕べのセレナード」「ヴィネータ」「ダルトゥラの追悼の歌」)、レーガーの3つの合唱曲(「慰め」「夜に」「夕べの歌」)、マーラー作曲/クリトゥス・ゴットヴァルト編曲「夕映えの中で」(マーラーの交響曲第5番第4楽章アダージェットの編曲)、シェーンベルクの「地上の平和」

全曲、ゲオルク・グリュンの指揮である。多くのメンバーは紙の譜面を手にしているが、タブレットの電子譜を見ながら歌っているメンバーも5人ほどいた。
舞台中央やや下手寄りにグランドピアノが置かれているが、ピアノ伴奏があるのはレーガーの3つの合唱曲のみで、それ以外は女性メンバーが曲が始まる前に音の高さや調を確認するためにいくつか音を出すだけであり、無伴奏での合唱が行われる。
レーガーの3つの合唱曲でピアノを弾くのはメンバーの一人である男性。ザールブリュッケン室内合唱団の最新アルバムには、今回の演奏会とほぼ同じ曲目が収められているが、ピアノはイヴェット・キーファーとある。イヴェットというのは普通は女性のファーストネームなので、彼ではないようだが。

 

1962年生まれの作曲家である松下耕の作品が取り上げられているのが今回のプログラムの特徴である。ザールブリュッケン室内合唱団には日本人の男性歌手がおり、ゲオルク・グリュンの挨拶を日本語に訳していたが、「友人である松下耕の宗教合唱曲を日本で歌うことが出来てとても嬉しい」と語っていた。なお、「深き淵より」と「我を救いたまえ」はザールブリュッケン室内合唱団に贈られた作品のようである。
松下耕の作品であるが、歌に混ざってセリフのようなものが読み上げられたり、男性メンバーがホーミーを模す場面があったり、敢えて不安定な響きを作ったりと、現代音楽的な試みがいくつも見受けられる。

白人のメンバーが多いのだが、やはり体格が良いため声が体全体に響いていて神秘的な色合いや奥行きがあり、ピアニッシモの美しさなどが際立っている。日本人も昔に比べればかなり体格が良くなっているが、本当の意味で世界的に通用した歌手はまだ生まれておらず、白人に比べるとハンデがあるというのが現状のようだ。

 

マーラーのアダージェットをゴットヴァルトが合唱用に編曲した「夕映えの中で」。ゴットヴァルトはマーラーのオーケストレーションを忠実に声に移し替えることを試みたようで、女声パートがヴァイオリンとヴィオラ、男声パートがチェロとコントラバスの旋律を歌い上げる。かなり美しい仕上がりとなっており、ゴットヴァルトのチャレンジは成功したようだ。

 

京都公演ということで、アンコールとして京都府民謡が元となった「竹田の子守唄」が日本語で歌われる。抒情味溢れる合唱であった。

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2019年8月 5日 (月)

コンサートの記(582) 東京2020公認プログラム 大野和士指揮バルセロナ交響楽団ほか プッチーニ作曲 歌劇「トゥーランドット」大津公演

2019年7月28日 びわ湖ホール大ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール大ホールで、東京2020公認プログラム プッチーニ作曲 歌劇「トゥーランドット」を観る。大野和士指揮バルセロナ交響楽団の演奏、バルセロナ・オリンピックの開会式の演出も務めた(ということは坂本龍一が音楽と指揮を務めた時である)アレックス・オリエの演出。出演は、ジェニファー・ウィルソン(トゥーランドット)、デヴィッド・ポメロイ(カラフ)、砂川涼子(リュー)、妻屋秀和(ティムール)、持木弘(アルトゥム皇帝)、森口賢二(ピン)、秋谷直之(パン)、糸賀秀平(ポン)、真野郁夫(ペルシャの王子)、黒澤明子(侍女1)、岩本麻里(侍女2)。合唱は、びわ湖ホール声楽アンサンブル、新国立劇場合唱団、藤原歌劇団合唱部。児童合唱:大津児童合唱団。

来年の東京オリンピックの開催を記念して、東京(東京文化会館、新国立劇場)、びわ湖ホール、札幌文化芸術劇場hitaruで開催される「トゥーランドット」公演。大野和士が手兵であるバルセロナ交響楽団を率いて行うツアーである。

昨日今日と、びわ湖ホールでの公演が行われるのだが、実は昨日は公演中に原因不明の停電があり、約70分に渡る中断があった。
ということで、開演前にびわ湖ホール館長の山中隆が登場して(第一声は「私が登場するとろくなことがないんですが」)、昨日の公演での中断のお詫びと、それでも礼儀正しく鑑賞していただけたことの感謝、そして、停電によって舞台機構に異常が発生したため、演出を変えることの断りを述べていた。

セットは両サイドに階段の伸びる柱状のものが組まれており、中央には一段高くなった舞台があるというシンプルなものだが、本来は背後で色々動く予定だったのかも知れない。

 

プッチーニの遺作となった「トゥーランドット」。中国・北京を舞台にした作品であるが、初演直後に中華民国から「国辱だ!」と抗議が入ったという話がある。中華人民共和国になってからも、「トゥーランドット」の中国での上演は長く行われなかった。
プッチーニはリューの葬送の場面までを書いたのだが、その直後に急死。残されたスケッチなどを基にフランコ・アルファーノが補筆完成させた。初演の指揮はアルトゥーロ・トスカニーニが担当したが、トスカニーニはリューの葬送の場面が終わったところで、「作曲者はここで力尽きたのです」と客席に語って演奏を切り上げてしまっている。公演2日目には、トスカニーニはアルファーノの補作を縮めたバージョンを指揮、これが定着したが、ルチアーノ・ベリオの補作による新バージョンも存在する。私自身は「トゥーランドット」を生で観るのは初めてだが(異なったストーリー展開を見せる宮本亜門演出の音楽劇「トゥーランドット」を生で観たことはある)、映像では本場の紫禁城で行われたズービン・メータ指揮(張芸謀演出)のものと、ベリオの補筆完成版を採用したヴァレリー・ゲルギエフ指揮のものを観ている。

プッチーニがラストを確定させる前に亡くなってしまったということで、まるで取って付けたかのような結末に関する異論は当然あり、今回はアレックス・オリエが用意した悲劇的なラストを迎えるという趣向が取られている(それほと突飛なものではないが)。

 

ベルギーのモネ劇場音楽監督を経て、リヨン国立歌劇場の首席指揮者として世界的に活躍する大野和士。今日もバルセロナ交響楽団と日本が誇る3つの合唱団から、まさに「マッシブ」と呼ぶに相応しい凄絶な音を引き出す。響きだけで聴き手を圧倒出来るレベルである。

 

スペインはオーケストラ大国ではないが、バルセロナ交響楽団は、大植英次や日本でもお馴染みのパブロ・ゴンザレスが音楽監督を務めていたということで、日本でも知名度の高い楽団である。元々はパブロ・カザルスが組織したオーケストラが母体となっており、歴代の音楽監督には、ガルシア・ナバロや京都市交響楽団へも客演したエルネスト・マルティネス・イスキエルドといったスペインを代表する指揮者の名前を見ることが出来る。艶やかで滑らかで多彩な音を繰り出すことの出来るオーケストラである。

「トゥーランドット」というタイトルであるが、タイトルロールがなかなか登場しない(登場しても1幕ではセリフなし)という不思議な構造を持つ。トゥーランドットは冷酷な王女であるが、その性質もあって余りドラマティックな活躍はせず、ヒロインに相応しいのはむしろ女奴隷のリューの方である。私は観たことがないが、実際にリューをヒロインとした補作完成バージョンも存在するようだ。
今回、リューを演じた砂川涼子は見事な歌唱と演技で客席を沸かせ、カーテンコールでの拍手や歓声も一番大きかった。

 

演出のアレックス・オリエは、トゥーランドットやカラフのトラウマを掘り下げ、先祖のトラウマを愛は乗り越えられないという結論へと導く。筋的には納得のいくものである。ただ、個人的には純粋な愛に生きたリューという人物が今回の演出以上に鍵を握っているのではないかという気もする。本来的にはこれはリューの物語なのではないだろうか。氷のトゥーランドットと熱のリューの対比をもっとあからさまに描いてみるのも面白いかも知れない。

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2019年8月 4日 (日)

美術回廊(31) 京都国立近代美術館 トルコ文化年2019「トルコ至宝展 チューリップの宮殿トプカプの美」

2019年7月26日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて

左京区岡崎にある京都国立近代美術館で、トルコ文化年2019「トルコ至宝展 チューリップの宮殿トプカプの美」を観る。イスタンブールにあるオスマントルコのトプカプ宮殿遺物の展覧会である。トプカプ宮殿は現在は博物館になっている。

強国として知られるオスマントルコ。1453年に要塞都市であった首都のコンスタンティノープルを攻略し、東ローマ帝国を滅亡させたことでもよく知られている。コンスタンティノープルはその後、オスマントルコの首都として栄え、イスタンブールとなった現在は首都の座はアンカラに譲っているが、ヨーロッパとアジアの中継地点にある都市として隆盛を誇っている。

トルコを原産とするチューリップは、トルコ語で「ラーレ」というのだが、トルコの文字で並べ替えると「アラー」や滋賀県知事じゃなかった「三日月(ヒラール)」になるということで「幸せの花」として愛されているそうである。
ということで、今回はチューリップのデザインがフィーチャーされている。装身具はもちろん、盾や兜の立物、射手用指輪という兵器にまでチューリップのデザインが施されている。

トルコは陶器の表面に宝石を飾り付けることが流行っていたそうで、ルビーやエメラルド、トルコ石、サファイヤなどの宝石が鏤められた皿や茶碗などを見ることも出来る。他の宝石はそうでもないが、なぜかエメラルドには惹かれる。

日本とトルコの交流に尽力した山田寅次郎(山田宗有)の『土耳古畫觀(とるこがかん)』もページを開けた形で展示されている。トルコという国号の由来が、「オスマンの人々が七面鳥(ターキー)を好んだから」と解説されているが、これは言うまでもなく誤解である。

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2019年8月 2日 (金)

コンサートの記(581) ジョン・アクセルロッド指揮 京都市交響楽団第592回定期演奏会

2015年7月19日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都市交響楽団の第592回演奏会を聴く。今日の指揮者はアメリカ出身のジョン・アクセルロッド。

アクセルロッドと京響の共演は3回目。実は最初の客演の時はアクセルロッドが京都に来られないということでキャンセルになり、その約半年後にアクセルロッドが来日して、当初予定されていた定期演奏会と同じ演目で演奏会が行われ、好評を得た。外国人指揮者で京響の指揮台に頻繁に立つ人は稀であり、アクセルロッドが京響のメンバーから支持されていることがわかる。


今日は、「海」をテーマにしたプログラム。ブリテンの歌劇「ピーター・グライムズ」より「4つの海の間奏曲」、ドビュッシーの交響詩「海」、リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」が演奏される。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。今日は3曲ともコンサートマスターによるヴァイオリン独奏があり、泉原は大活躍する。フォアシュピーラーは渡邊穣。オーボエ首席奏者の高山郁子は前後半共に出演。フルート首席の清水信貴、クラリネット首席の小谷口直子は今日も後半のみの出演である。トランペット首席のハラルド・ナエスはドビュッシーの「海」からの出演となったが、「海」ではトランペットではなくコルネットを稲垣路子と共に吹いた。前半のトランペット首席の位置には早坂宏明が座る。後半はハラルド・ナエスが首席の位置に着座して演奏した(早坂は後半は出演せず)。

午後2時10分頃からアクセルロッドによるプレトーク(通訳:尾池博子)がある。アクセルロッドは「今月は特別な月です。祇園祭があり、海の日があり、また台風によるお出迎えがありました」と言って笑いを取る。今日取り上げる3曲にはいずれも嵐の海の描写が登場する。
アクセルロッドは、ブリテンの「4つの海の間奏曲」についてはベートーヴェンの楽曲との類似性を語り、ドビュッシーの「海」については「新しいハーモニーの誕生」と評価し、リムスキー=コルサコフ「の「シェエラザード」についてはハッピーエンドで終わる内容に言及する。ブリテンの「4つの海の間奏曲」は嵐を描いた4つめの間奏曲の後で主人公のピーター・グライムズが死んでしまうため5つ目の曲は登場しないと語り、「シェエラザード」との違いを明確にする。

今日はアクセルロッドは全曲ノンタクトで指揮。譜面台に総譜を置いてめくりながら指揮するが、譜面はたまに確認するだけであり、ほとんどは頭に入っているようである。
指揮姿は拍を刻んだり、手で空中に円を描いたりと多彩。たまにダンスのように体を激しくくねらせ、彼がレナード・バーンスタインの弟子であることを再確認させる。

ブリテンの歌劇「ピーター・グライムズ」から「4つの海の間奏曲」。イギリスが生んだ初の天才作家といわれるベンジャミン・ブリテンの音楽は詩情とマジカルな響きに満ちている。神秘的な音楽であるが、京響はそうした音楽を再現するのに相応しい輝きのある音を奏でる。
アクセルロッドと京響によって生み出される演奏はスケールが大きく、音の潮の中に聴衆を巻き込んでいく。

ドビュッシーの交響詩「海」。フランス語圏のオーケストラで聴くとエスプリに満ちた音が耳を楽しませてくれるが、京響は音に潤いはあるものの、グラデーションに関してはそう多彩ではない。
京響のメカニックは高く、トランペットがちょっと躓くミスがあったが、それも気が付かない人は気が付かない程度であり、質の高い演奏が繰り広げられる。

リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」。この曲は京響常任指揮者の広上淳一が得意としており、彼の常任指揮者就任記念演奏会で演奏され、その数年後に京響の大阪公演でも「シェエラザード」は取り上げられている。
広上指揮の「シェエラザード」はスケール豊かで優雅さと迫力を兼ね備えたものであったが、アクセルロッドの指揮する「シェエラザード」はより切迫感がありダイナミック。たまに音の流れが悪いところが散見されるが、全体としては優れた演奏となる。泉原のヴァイオリンソロはスケールよりも美しさを優先させたものであり、手弱女的なシェエラザードであった。
金管は輝かしく、木管には品がある。弦楽の響きも充実。打楽器奏者達が生む音にも迫力がある。

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2019年8月 1日 (木)

観劇感想精選(311) 黒柳徹子主演海外コメディシリーズ第29弾「ルーマーズ 口から耳へ、耳から口へ」2015

2015年6月4日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後4時から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、黒柳徹子主演海外コメディシリーズ第29弾「ルーマーズ 口から耳へ、耳から口へ」を観る。喜劇王ニール・サイモンの戯曲の上演。黒柳徹子は今回の上演も含めて4度「ルーマーズ」の舞台で主演を務めているが、再演時と再々演時に演出を担当した高橋昌也が昨年逝去。しかし、今回の上演でも高橋の演出を踏襲して行われるため、演出と美術は高橋昌也とクレジットされている。演出補として演劇集団円の前川錬一(まえかわ・れんいち)が名を連ね、高橋の演出を尊重しつつ独自のカラーも出している。
テキスト日本語訳は黒田絵美子。
主演:黒柳徹子。出演:団時朗、かとうかず子、大森博史、茅島成美(かやしま・なるみ)、鶴田忍、平栗あつみ(ひらぐり・あつみ。演劇集団円会員)、石田登星(いしだ・とうせい。演劇集団円会員)、千葉ミハル(演劇集団円会員)、佐々木睦(ささき・むつみ。男性。演劇集団円会員)。
途中休憩を含めて上演時間2時間40分の大作である。

ニューヨークのチャールズ・ブロック(愛称はチャーリー)邸が舞台。ニューヨーク市長代理を務めているチャーリーと妻・マイラの結婚20周年を祝うパーティーが今夜ここで行われることになっていた。招待されたのは4組の夫婦、クリス(黒柳徹子)とケン(団時朗)のゴーマン夫妻、レナード(愛称はレニー、レン。大森博史)とクレア(かとうかず子)のガンツ夫妻、クッキー(茅島成美)とアーニーのキューザック夫妻、グレン(石田登星)とキャシー(本名はおそらくキャサリンだと思われる。平栗あつみ)のクーパー夫妻である。
まずチャーリー邸に着いたのは二人とも弁護士というゴーマン夫妻。しかし、チャーリー邸には夫人であるマイラはおらず、またフィリピン人のメイドも姿を消している。そして、2階の寝室で、チャーリーが左の耳たぶを拳銃で撃ち抜き、薬でフラフラになっているのを発見する。クリスはゴーマン家の主治医であるダドリー医師に電話をするのだが、このダドリー医師というのが尋常とは思えないほどの芝居好きで、今夜もブロードウェイでミュージカル「シカゴ」を観ており、劇場に電話をしても上演中ということでなかなか電話が繋がらない。何度か電話してようやくダドリー医師に電話が繋がるが、ケンは事を大きくしないために、拳銃で自殺を図ったのではなく、車から降りた際にすぐそばにあった階段から転げ落ちて頭を打ったということにしようと提案する。ただ、最初はクリスも「階段を駆け上がって頭を打った」とあり得ない状態を伝えてしまい、言い直す。ゴーマン夫妻はチャーリーのスキャンダルが広まらないよう、次にチャーリー邸を訪れたガンツ夫妻(来るときにレニーが運転している買ったばかりのBMWが横から飛び出してきたジャガーに追突され、レニーはむち打ち症を患う)にも最初は嘘を伝えるが、結局、状況を打ち明けることにする。レニーは公認会計士であり、チャーリーの主任会計士でもある。チャーリーの自殺未遂が巡り巡って自分の会計ミスという噂に繋がるかも知れない。ということで、ガンツ夫妻も三番目にチャーリー邸にやってきたキューザック夫妻に嘘をつく。ちなみにアーニー・キューザックは大学教授でもある精神科医、クッキー・キューザックは料理番組などでも活躍する料理専門家である。ゴーマン夫妻とガンツ夫妻は「サプライズで、チャーリーとマイラが1階に降りてくる前に皆で料理をする」と嘘をつく。だが、その時、拳銃の音のようなものが。チャーリーの拳銃を片付けようとしたケンが、けつまずいて耳のすぐそばで引き金を引いてしまったのだ。轟音により、ケンは一時的にではあるが耳が聞こえなくなってしまう。2階に行って状況を把握したレニーは、「ものが落ちた」と説明し、クリスやクレアは「ものが落ちて、シェービングの缶が暴発した」と補足をする。アーニーは「あれは拳銃の音だ」と納得しないが、結局は夫婦で料理をするためにキッチンに向かう。キッチンでも爆発が起こり、クッキーは手首に傷を負い、アーニーは指先を怪我する。だが、大したことはなかった。
そこにまた来客が。クリスもクレアもこれ以上状況がややこしくなるのは沢山なので二人でトイレに籠もってしまう。何度もチャイムが鳴る。キッチンからアーニーが出てきて、ドアを開ける。やってきたのはグレンとキャシーのクーパー夫妻。グレンは民主党に所属し、上院議員に立候補していた。そのクーパー夫妻であるが、互いに浮気を疑っており、仲が険悪である。チャーリー邸に入ってからも口喧嘩ばかり。キャシーは水晶を御守りとしていつも持っており、磨くためにトイレに入ろうとするが中から鍵が掛かっている。「誰かいるの?」と聞くキャシーにクリスが出てきて、キャシーとクリスは抱き合って挨拶する。だが、クリスが出てきてからもまたトイレには鍵が掛かっている。今度はクレアが中から出てきて……。

第2幕では、レニーがチャーリーが自殺未遂をしたようだということを全員に打ち明けた後からスタートするのだが、耳の聞こえないケンは「これ以上は我慢出来ない」と言って、レニーがしたのとほぼ同じと思われるような内容の告白をして笑いを誘う。
クーパー夫妻は相変わらず喧嘩を続けており、チャーリー邸を出て、グレンの車の中で口論をすることにする。キャシーはグレンの車に向かうついでにレニーのBMWを蹴っ飛ばす。
みな、何とか丸く収めようとしたが、なんとチャーリー邸にパトカーがやって来るのが見えた。4人の男達はうろたえて、「誰かがチャーリー役をやらねばならない」ということで、指を一本出すか二本出すかのゲームで、レニーがチャーリー役をやることになり、2階に上がっていた。ベン・ウェルシュ巡査(佐々木睦)とコニー・パドニー巡査(千葉ミハル)がチャーリー邸に入って来る。みな、状況を誤魔化そうとし、特にケンは弁護士であるためベンの言うことに一々文句を付ける。ケンは「少し時間をくれないか」といって、いったん警官二人を外に出す。だが、実は二人の警官がやって来たのはマイラがチャーリーにプレゼントしたジャガーが盗難に遭い、盗んで運転していた若い男がBMWと衝突事故を起こしたというので、BMWの持ち主であるレニーに話を伺うためだったのである。そのレニーがチャーリーということになっているため、この場にはいない。そこで今度はレニー役を誰かが演じる必要が生じ……。

9年前の2006年の公演も観ている芝居である。黒柳徹子も今年で82歳。「魔女」「黒船を見た女」などと呼ばれる黒柳も寄る年波には勝てず、セリフ回しも動きも以前に比べると弱っているのは否めない。

黒柳徹子は何をやっても黒柳徹子的ではあるが、私を含めて観客は「黒柳徹子を観に来ている」のであり、「黒柳徹子が黒柳徹子していること」はむしろ望ましい。
つかこうへいに見出され、小演劇で人気を得た平栗あつみも、もう結構な年である。9年前はまだ31歳になる直前だった私も初老になってしまった。
9年前にケンを演じていたのは喜劇を得意とする益岡徹である。団時朗のケンは益岡に比べるとコメディアン的演技は弱いが安定感はある。
演技のアンサンブルはまずまず。万全とはいえないかも知れないが、十分に楽しめる仕上がりになっている。なお、今日は最初のまだ舞台上には黒柳徹子と団時朗の二人だけのシーンで、黒柳徹子演じるクリスが民家用エレベーターで2階に上がり、2階バルコニーに足を置いた時に謎の巨大ブザー音が鳴り響いた。黒柳も団も客席も「?!」となったが、黒柳と団はそのまま演技を続けた。単なる音響のミスだったようである。

終演後、拍手は鳴り止まず、出演者達は4度のカーテンコールに応えた。大森博史は超長ゼリフを言うシーンがあるため、特別に一人だけ前に出て拍手を受けた。そして、黒柳徹子は昨年同様、人差し指で天を指し、天国の高橋昌也に敬意を表した。

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