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2019年8月 5日 (月)

コンサートの記(584) 東京2020公認プログラム 大野和士指揮バルセロナ交響楽団ほか プッチーニ作曲 歌劇「トゥーランドット」大津公演

2019年7月28日 びわ湖ホール大ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール大ホールで、東京2020公認プログラム プッチーニ作曲 歌劇「トゥーランドット」を観る。大野和士指揮バルセロナ交響楽団の演奏、バルセロナ・オリンピックの開会式の演出も務めた(ということは坂本龍一が音楽と指揮を務めた時である)アレックス・オリエの演出。出演は、ジェニファー・ウィルソン(トゥーランドット)、デヴィッド・ポメロイ(カラフ)、砂川涼子(リュー)、妻屋秀和(ティムール)、持木弘(アルトゥム皇帝)、森口賢二(ピン)、秋谷直之(パン)、糸賀秀平(ポン)、真野郁夫(ペルシャの王子)、黒澤明子(侍女1)、岩本麻里(侍女2)。合唱は、びわ湖ホール声楽アンサンブル、新国立劇場合唱団、藤原歌劇団合唱部。児童合唱:大津児童合唱団。

来年の東京オリンピックの開催を記念して、東京(東京文化会館、新国立劇場)、びわ湖ホール、札幌文化芸術劇場hitaruで開催される「トゥーランドット」公演。大野和士が手兵であるバルセロナ交響楽団を率いて行うツアーである。

昨日今日と、びわ湖ホールでの公演が行われるのだが、実は昨日は公演中に原因不明の停電があり、約70分に渡る中断があった。
ということで、開演前にびわ湖ホール館長の山中隆が登場して(第一声は「私が登場するとろくなことがないんですが」)、昨日の公演での中断のお詫びと、それでも礼儀正しく鑑賞していただけたことの感謝、そして、停電によって舞台機構に異常が発生したため、演出を変えることの断りを述べていた。

セットは両サイドに階段の伸びる柱状のものが組まれており、中央には一段高くなった舞台があるというシンプルなものだが、本来は背後で色々動く予定だったのかも知れない。

 

プッチーニの遺作となった「トゥーランドット」。中国・北京を舞台にした作品であるが、初演直後に中華民国から「国辱だ!」と抗議が入ったという話がある。中華人民共和国になってからも、「トゥーランドット」の中国での上演は長く行われなかった。
プッチーニはリューの葬送の場面までを書いたのだが、その直後に急死。残されたスケッチなどを基にフランコ・アルファーノが補筆完成させた。初演の指揮はアルトゥーロ・トスカニーニが担当したが、トスカニーニはリューの葬送の場面が終わったところで、「作曲者はここで力尽きたのです」と客席に語って演奏を切り上げてしまっている。公演2日目には、トスカニーニはアルファーノの補作を縮めたバージョンを指揮、これが定着したが、ルチアーノ・ベリオの補作による新バージョンも存在する。私自身は「トゥーランドット」を生で観るのは初めてだが(異なったストーリー展開を見せる宮本亜門演出の音楽劇「トゥーランドット」を生で観たことはある)、映像では本場の紫禁城で行われたズービン・メータ指揮(張芸謀演出)のものと、ベリオの補筆完成版を採用したヴァレリー・ゲルギエフ指揮のものを観ている。

プッチーニがラストを確定させる前に亡くなってしまったということで、まるで取って付けたかのような結末に関する異論は当然あり、今回はアレックス・オリエが用意した悲劇的なラストを迎えるという趣向が取られている(それほと突飛なものではないが)。

 

ベルギーのモネ劇場音楽監督を経て、リヨン国立歌劇場の首席指揮者として世界的に活躍する大野和士。今日もバルセロナ交響楽団と日本が誇る3つの合唱団から、まさに「マッシブ」と呼ぶに相応しい凄絶な音を引き出す。響きだけで聴き手を圧倒出来るレベルである。

 

スペインはオーケストラ大国ではないが、バルセロナ交響楽団は、大植英次や日本でもお馴染みのパブロ・ゴンザレスが音楽監督を務めていたということで、日本でも知名度の高い楽団である。元々はパブロ・カザルスが組織したオーケストラが母体となっており、歴代の音楽監督には、ガルシア・ナバロや京都市交響楽団へも客演したエルネスト・マルティネス・イスキエルドといったスペインを代表する指揮者の名前を見ることが出来る。艶やかで滑らかで多彩な音を繰り出すことの出来るオーケストラである。

「トゥーランドット」というタイトルであるが、タイトルロールがなかなか登場しない(登場しても1幕ではセリフなし)という不思議な構造を持つ。トゥーランドットは冷酷な王女であるが、その性質もあって余りドラマティックな活躍はせず、ヒロインに相応しいのはむしろ女奴隷のリューの方である。私は観たことがないが、実際にリューをヒロインとした補作完成バージョンも存在するようだ。
今回、リューを演じた砂川涼子は見事な歌唱と演技で客席を沸かせ、カーテンコールでの拍手や歓声も一番大きかった。

 

演出のアレックス・オリエは、トゥーランドットやカラフのトラウマを掘り下げ、先祖のトラウマを愛は乗り越えられないという結論へと導く。筋的には納得のいくものである。ただ、個人的には純粋な愛に生きたリューという人物が今回の演出以上に鍵を握っているのではないかという気もする。本来的にはこれはリューの物語なのではないだろうか。氷のトゥーランドットと熱のリューの対比をもっとあからさまに描いてみるのも面白いかも知れない。

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