観劇感想精選(316) 「神の子ども達はみな踊る after the quake」神戸公演
2019年8月31日 神戸文化ホール大ホールにて観劇
神戸へ。午後6時30分から、大倉山にある神戸文化ホール大ホールで「神の子ども達はみな踊る after the quake」を観る。
昨年、NHK交響楽団を聴くために初めて訪れた神戸文化ホール。すでに事実上の閉館が決まっており、神戸市の文化施設は三宮駅周辺に集められる予定である。席の前の通路が狭いという欠点があり、客席部分の傾斜も緩やかで前のお客さんの頭で舞台の一部が見えなくなったり、多目的であるため、残響調節機能はあると思われるがそれでも声にエコーが掛かって聞き取りにくかったりと、演劇には向いていないホールである。
「神の子ども達はみな踊る」は、村上春樹の同名短編小説集に収められた「かえるくん、東京を救う」と「蜂蜜パイ」という二つの短編を舞台化した作品である。フランク・ギャラティの脚本、倉持裕の演出。テキストはギャラティの脚本を平塚隼介が日本語に直したものであり、村上春樹の原作とは言い回しが異なる。出演は、古川雄輝、松井玲奈、川口覚、木場勝己ほか。川口覚というと、今でも長澤まさみの笑いを止まらなくさせた「舞台上スライディング事件」を思い出してしまう。
「神の子ども達はみな踊る」で描かれた阪神大震災の地にして村上春樹が青春時代を過ごした神戸での上演である。
「蜂蜜パイ」の小説家が、「かえるくん、東京を救う」の作者であるという、入れ子構造になっており、「蜂蜜パイ」のラストは、「かえるくん、東京を救う」で描かれた邪悪なるものへの返答となっている。取りようによっては、小田和正の「Little Tokyo」的世界観だ。
三方にジェンガを積み重ねたような壁が立つというセット。ジェンガの一つのピースが外れて、そこから登場人物が現れるというシーンもある。
「かえるくん、東京を救う」は、主人公・片桐が突然目の前に現れた「かえるくん」と共に東京直下型の大地震発生を食い止めるという話である。
巨大なみみずくんが地下にいて、暴れることで大地震が起こるのでそれを防ぐという、それだけ考えると荒唐無稽な話なのだが、よくわからない場所で、よくわからない誰かによって、よくはわからないが禍々しいことが起ころうとしているという、得体の知れない不気味さがある。あるいはそれは、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』に出てくる「やみくろ」と繋がっているのかも知れないし、『ねじまき鳥クロニクル』 に登場するフィクサー、綿谷昇的なものなのかも知れない。「怒り」という要素においては、『ねじまき鳥クロニクル』と密接にリンクしており、昨今のなんとも言えない「不機嫌な時代」を先取りしているようでもある。
川口覚の演技と倉持裕の演出は、それを考えるとちょっと納得がいかない。なぜかえるくんが片桐を相棒に選んだのかを考えると、それにはまず震源の真上にある銀行に勤めているということが第一条件なのだが、それと同じくらい重要なのは感情が余り動かない人間であるという要素である。悪くいうと鈍いということなのだが、みみずくんの激しい怒りに怒りで反応することがない。実は東京で起こる地震というのは、実際の地震というより怒りによって引き起こされる禍々しい出来事のメタファーなのだと思われる。怒りと怒りのぶつかりが更なる別の激しい怒りを呼ぶということは、今の社会を見ているとよくわかる。
発表当時から、「村上春樹の私小説なのではないか?」と言われた「蜂蜜パイ」。「文藝春秋」の今年の6月号に、村上春樹は「猫を捨てる――父親について語るときに僕の語ること」という手記を発表して話題になったが、そこで初めて明かされた村上春樹と父親の村上千秋の関係は、思った以上に「蜂蜜パイ」に書かれていたことに近いことがわかる。「文藝春秋」に記されていた、「二十年近くまったく顔を合わせなかったし、よほどの用件がなければほとんど口もきかない、連絡も取らない状態が続いた」という親子の関係は、「蜂蜜パイ」の淳平が置かれている状況ほぼそのものである。
淳平と小夜子と高槻の三人の関係は、『ノルウェイの森』の僕(ワタナベトオル)と直子、キズキの関係と相似形であり、『ノルウェイの森』も村上春樹の実体験がなんらかの形で反映されたものであることがわかるのだが、「蜂蜜パイ」にしかない要素として子どもの登場が挙げられる。高槻と小夜子の娘の沙羅である。高槻は夫や父親としては完全な失格者であり、淳平は小夜子や沙羅と過ごすうちに、沙羅との結婚を考えるようになるのだが、その時に阪神大震災が発生する。
地の文とセリフの両方を語るというスタイル。木場勝己は共に見事にこなしていたが、古川雄輝や松井玲奈という若い俳優は、セリフに比べて地の文の読み上げは1ランク落ちる。単純に経験の問題だと思われる。
希望を感じるラストで好感を持ったが、考えてみれば村上春樹が書いた短編小説「ゾンビ」の世界はすでに現実のものとなってしまっている。
箍が外れてしまった。
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