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2019年9月28日 (土)

美術回廊(36) 日本・オーストリア外交樹立150周年記念「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」

2019年9月8日 大阪・中之島の国立国際美術館にて

「大阪クラシック」2019第4公演を聴いた後で中之島を西に向かい、国立国際美術館に入る。現在、ここでは日本・オーストリア外交樹立150周年記念「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」という展覧会が行われている。

まず、啓蒙時代のウィーンとして、ハプスブルク家の女帝、マリア・テレジアやその息子であるヨーゼフ2世らの肖像画が並び。ヨーゼフ2世はモーツァルトが仕えていた皇帝であるが、「ウィーンのフリーメイソンのロッジ」という絵にはモーツァルトと「魔笛」の作曲依頼者で台本を書いたシカネイダーらが右端で談笑している様が描かれている。その後にはモーツァルトの肖像画と「魔笛」の様子を描いた絵が並んでいる。

「ビーダーマイアーの時代」の展示。ウィーンは貴族達の街から市民階層を主人公とする都市へと変わっていく。1814年のウィーン会議の出席者を描いた絵があり、オーストリアの代表者であった外相メッテルニヒが愛用していたという赤いアタッシュケースが展示されている。

市民階層の台頭の象徴がシューベルティアーナである。貴族の嗜みであり、豪邸の客間などで演奏されていた音楽が市民のものとなり、その時代を代表する若手作曲家であったシューベルトを囲むサロンでの演奏会が行われるようになる。
シューベルトの有名な肖像画(ヴィルヘルム・アウグスト・リーダーの筆による)や、「シューベルティアーナ」の絵画(ユーリウス・シュミットの作)が飾られ、シューベルトが愛用していたという眼鏡も展示されている。

この時代には家具が発達している。実はそれまでは椅子などは貴族の権威を表すものであったのだが(確かに皇帝は玉座に座っている)、この時代には実用的な椅子が考案されてヒットする。椅子は時代が下るに従って、シンプルなデザインに変わっていくのが確認出来る。

城壁が廃され、その後にリンクという通りが出来ると、この通り沿いにウィーンの新たなる政治・文化施設が誕生していく。まずは国会議事堂。その横にウィーン市庁舎、更にその横にウィーン大学が建つ。そして音楽の都であるウィーンを象徴する宮廷歌劇場(現在の国立歌劇場)、旧ブルク劇場が建ち並ぶという、国際的な文化都市としての顔が出来上がるのである。この時の王(皇帝)はフランツ・ヨーゼフ1世、王妃はミュージカルなどでお馴染みのエリザベートである。美男美女の王と王妃の肖像画並ぶが、二人は輝かしきオーストリア=ハンガリー二重帝国の象徴であった。

音楽は更に市民階層へと広がっていく。ヨハン・シュトラウス1世が広めたウィンナ・ワルツが隆盛を極め、息子である「ワルツ王」ヨハン・シュトラウス2世が生み出した曲の数々は現在のポピュラー音楽並みかそれを凌ぐほどの人気を誇った。誇らしげな顔をしたヨハン・シュトラウス2世の胸像が飾られている。

建築の分野ではオットー・ヴァークナーが登場。彼が設計した多くの建物はウィーンの景観を変えていく。駅を造り、美術アカデミーの建物や博物館を設計し、様々なインフラを自らのアイデアで創造し、あるいは塗り替えていく。

 

アカデミズムに対抗する形で分離派を生み出したのがグスタフ・クリムトである。世紀末ウィーンを代表する画家だ。クリムトは絵画に象徴を持ち込み、光と影を同じ画面内で対比させるなど、新たな画風を前面に打ち出す。マクシミリアン・レンツ、カール・モル、ヨーゼフ・ホフマンなどがウィーン分離派(正式名称は、オーストリア造形芸術協会)として新たな芸術観を高らかに掲げることになった。ウィーン分離派は権威としての美術や写実性よりも総合芸術性と実用性を重視。グラフィックデザインなどを生んでいくことにもなる。

クリムトの「エミーリエ・フレーゲの肖像」のみは写真撮影可であり、多く人がシャッターを押していた。自信に満ちた表情のエミーリエ・フレーゲであるが、服装や背景などは現実離れしており、エミーリエ自身がはこの絵を嫌ったそうである。

ウィーン分離派の実用性を工芸部門へと押し広げたのがウィーン工房である。マイスターの仕事を芸術の領域へと高めることを志したウィーン工房は、ヨーゼフ・ホフマンらによって生み出され、一時代を築いたが、凝りに凝った芸術趣味が災いして、後の倒産の憂き目を見ることになる。ヨーゼフ・ホフマンの手によるヘルマン・ヴィトゲンシュタイン邸のキャビネットや花瓶、印章などが展示されているが、このヘルマン・ヴィトゲンシュタインは、ウィーン分離派の第一のパトロンとなったカール・ヴィトゲンシュタインの父親である。カールの息子のパウルはラヴェルに左手のためのピアノ協奏曲を依頼したピアニスト、同じくカールの息子であるルートヴィヒは高名な哲学者である。

クリムトの衣鉢を継ぐ形となった画家がエゴン・シーレである。描写を得意としたシーレの多くのスケッチが並ぶが、クリムトの作品同様、生と死の境にあるかのような、一種の不吉さも感じされる。

ウィーンの絵画はシーレ以降、表現主義的な色彩を強めていくのだが、音楽の部門で同様の表現拡大を行っていた音楽家に関する展示がラスト近くに配置されている。十二音技法の生みの親であり、新ウィーン学派の代表者であったアルノルト・シェーンベルクの筆による絵画が数点。中には愛弟子であるアルバン・ベルクの肖像画なども含まれる。シェーンベルクはマーラーの葬儀の絵も残しているのだが、そのマーラーの肖像(彫像)も展示されている。オーギュスト・ロダンの手によるものだ。

 

クリムトを中心としたウィーンの美術の展覧会ではあるが、それらと極めて強く繋がる政治、思想、景観、音楽などを網羅する総合展示であり、ある意味、ウィーン分離派の思想を受け継いだ展覧会であるともいえる。

 

展示された作品の中では、マクシミリアン・クルツヴァイル「黄色いドレスの女性(画家の妻)」が実にチャーミングである。ウィーン分離派はブロックを積み上げるようにした構図を用いることが多い様だが、「黄色いドレスの女性」は、首を傾げることでシンメトリーの構図が崩れ、そこから女性らしい愛らしさが滲み出ているように思われる。「黄色いドレスの女性」は、1899年に描かれたものだが、その60年ほど前に描かれたフリードリヒ・フォン・アメリンク「3つの最も嬉しいもの」(酒・女・歌のことらしい)や「悲報」に登場する抑制された表情の女性とは好対照であり、その間に女性の内面からの解放があったのかも知れない。

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