コンサートの記(593) 高関健指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2019「オーケストラへようこそ!」第2回「オーケストラの楽しみ方」
2019年9月1日 京都コンサートホールにて
午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2019「オーケストラへようこそ!」第2回「オーケストラの楽しみ方」を聴く。今日の指揮者は、京都市交響楽団常任首席客演指揮者の高関健。高関は常任首席客演指揮者としては最後の京響とのステージとなる。ナビゲーターはロザン。
曲目は、スッペの喜歌劇「軽騎兵」序曲、モーツァルトの交響曲第40番第1楽章、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲第1楽章(ヴァイオリン独奏:松田理奈)、チャイコフスキーのバレエ組曲「眠れる森の美女」から「ワルツ」、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
京都コンサートホールへの来場者数が600万人に達したそうで、門川市長が出席してセレモニーが行われていた。
今日はヴァイオリン両翼、コントラバスがステージ最後列に横一列に並ぶ形の古典配置での演奏である。コンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平といういつもの布陣。第2ヴァイオリンの首席は今日も客演の有川誠が入る。クラリネット首席のコタさんこと小谷口直子が今日は前後半とも入り、フルート首席の上野博昭は後半のみの出番である。
スッペの喜歌劇「軽騎兵」序曲。ショーピースであり、軽く演奏されることも多いが、高関は真っ正面から取り組み、結果、重厚で力強い仕上がりとなる。京響は抜群の鳴りであり、この出来なら世界的にもかなり高い位置にランク出来るはずである。
ただ、短い作品だから持ったというところもあるようで、その後の曲では徐々に力が落ちていったようにも感じられる。
ロザンが登場。まず宇治原が「今日はオーケストラの楽しみ方を教えて下さるそうで」と言い、序曲とは何かを高関に質問する。高関は「オペレッタの前に演奏される曲で、本当はこの後、3時間ほど続く」と序曲について説明する。オペラやオペレッタの前の序曲ではなく、純粋にオーケストラ曲として序曲が書かれる場合もあるが、ややこしくなるので、そちらは高関は話題にしなかった。宇治原が、オペレッタとは何かと聞き、高関は「オペラの軽いやつ」と答える。大衆向けということでもある。ロザンは吉本所属なので、演劇と軽演劇である吉本新喜劇の関係を考えるとわかりやすいかも知れない。
続いてモーツァルトの交響曲第40番第1楽章。高関は菅広文に「交響曲って、お分かりになります?」と聞き、菅ちゃんはコンサートマスターの泉原隆志に「交響曲ってなんですか?」と又聞きして、泉原が「オーケストラのために書かれた作品」と答えると、「だそうです」と言って、高関に「ずるい」と言われる。
高関が、ソナタのオーケストラ版という話をすると、菅ちゃんは「『冬のソナタ』のソナタですよね」、宇治原「一番、身近なソナタがそれかい」
高関が、交響曲第40番について「ちょっと暗い」と言うと、菅ちゃんは「暗いんですか、明るい曲やって下さいよ」、高関「途中、ちょっと明るくなる」
ということで、モーツァルトの交響曲第40番第1楽章。高関の個性である、スケールをきっちり形作ってから細部を埋めていくという音楽作りが確認出来る仕上がりである。個人的には音楽を流れで作る指揮者が好きなため、「ちょっと堅い」という印象を受ける。
ファーストヴァイオリン12人という大編成での演奏であるため、モダンスタイルをベースとした演奏であるが、弦のボウイングや音の切り方はHIPを意識しており、折衷スタイルということも出来そうだ。
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲第1楽章の演奏の前に、高関による協奏曲の説明。高関が菅ちゃんに、「協奏曲ってどんなイメージがあります?」と聞くと、菅ちゃんは、「そうですね。いつもなにかを競い合っているような感じがします」、宇治原「その競争曲ちゃう。ってこんな滑ることある? これ台本に書いてある奴なんですけど」、菅「僕らが書いたわけじゃないんですよね」
素人が書いたボケなら、いくらロザンが言っても受けるはずはない。
そういうボケはいいとして、高関は「前で滅茶苦茶上手い人が演奏する」、宇治原「じゃあこれから出てくる方は、滅茶滅茶上手いんですね」、菅「皆さん、聞きました? 滅茶苦茶上手い人が出てくるらしいですよ」、宇治原「もう滅茶滅茶上手いんでしょうね」とこれから出てくるソリストの松田理奈に対するハードルをこれでもかと上げる。
松田理奈登場。菅ちゃんが、「滅茶苦茶上手いんですか?」と聞くとずっと笑って誤魔化していた。
ソロを演奏することについては、「アンサンブルの一人として演奏」する気持ちを大切にしているようである。
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲に関しては、「バレエとかオペラとか、スケールの大きな総合芸術のための音楽を得意としていた方なので、それを協奏曲にも生かしてスケールが大きく」と語っていた。
その松田理奈によるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲第1楽章。元々超絶技巧の持ち主として注目された松田理奈。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲も十八番としているのだと思われるのだが、難曲として名高いこの作品を、余裕を持って弾きこなしてしまう。技術面に関しては相当高い水準にあるようだ。表現面でも情熱の迸りが感じられる優れた出来。スタイルとしては第3楽章が一番合っていると予想されるが、残念ながら今日は第1楽章のみの演奏である。
後半。チャイコフスキーのバレエ組曲「眠れる森の美女」から「ワルツ」。以前にBS「プレミアムシアター」オープニング曲に採用されていたことでも知られている曲である。雄大でうねりを感じさせる演奏で、チャイコフスキーに似つかわしい、華やかで凜とした響きを高関は京響から引き出す。
リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」。まず高関が交響詩について説明。「音楽を使って色々描いたりするんですが、物語をやろうと」「リヒャルト・シュトラウスは何でも書けちゃうぞって人だった」、宇治原「物語を音楽で描くのが得意だったと」、高関「この『ティル・オイレンシュビーゲルの愉快ないたずら』は、昔話を音楽で描いています」
ということで、高関は、場面の内容を語ってから、部分部分を短く演奏してみせる。菅ちゃんは、「やるぞって言ってすぐに出来ちゃうものなんですね」と感心し、演奏が終わるごとに「ぽいですね」と言って、宇治原に突っ込まれる。ティル・オイレンシュピーゲルは、最後は絞首刑に処されるのだが、「首がキューと絞まって、意識がピヨピヨピヨとなります」ということで、高関は実際に演奏してみせる。
菅ちゃんは、「こんなの(子ども達の前で)演奏しちゃっていいんですかね?」と語る。ちなみに、昔話の定番で、「う○ちをする場面があります」と高関は言うが、菅ちゃんは、「う○ちはいいですよね。子ども達、大好きですから」
ということで、様々な場面が紹介されてから、通しての演奏が行われる。
高関とリヒャルト・シュトラウスは相性が良く、京響の光を放つような響きも相まって、上質のリヒャルト・シュトラウス演奏が展開される。ただ、私個人は 、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」はそれほど好きではない。
アンコールでは、ヨハン・シュトラウスのⅡ世のポルカ「雷鳴と電光」が演奏された。
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