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2019年10月の36件の記事

2019年10月31日 (木)

坂本龍一編曲 バーバー 「Adagio」




坂本龍一(ピアノ)、姜建華(二胡)、アート・リンゼイ(エレキギター)

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2019年10月30日 (水)

コンサートの記(602) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第532回定期演奏会

2019年10月25日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第532回定期演奏会を聴く。今日の指揮は音楽監督の尾高忠明。

10月から11月にかけて、大阪府内に本拠地を置く4つのプロオーケストラによる共同企画「とことんリヒャルト・シュトラウス」が開催され、それぞれのオーケストラがリヒャルト・シュトラウスの楽曲を組み入れた演奏会を行うが、今回の大フィルの定期演奏会もその内の一つであり、オール・リヒャルト・シュトラウス・プログラムによる演奏が行われる。

曲目は、「13管楽器のためのセレナード」、オーボエ協奏曲(オーボエ独奏:フィリップ・トーンドル)、交響詩「死と変容」、「四つの最後の歌」(ソプラノ独唱:ゲニア・キューマイヤー)。

 

今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。

 

「13管楽器のためのセレナード」。リヒャルト・シュトラウスがわずか18歳の時に書いた出世作である。編成は、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ホルン4、ファゴット2、そして本来はコントラファゴットが入るが、今回はコントラファゴットの代わりにコントラバスを入れての演奏となる。
楽器の選び方からして渋いが、内容も18歳の少年が書いた思えないほどの成熟感があり、後に開化するリヒャルト・シュトラウスの才能の萌芽をすでに感じ取ることが出来る。

 

オーボエ協奏曲。独奏者のフィリップ・トーンドルは、1989年生まれの若手オーボエ奏者。フランスのミュルーズに生まれ、フランス国立ユース・オーケストラやグスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラに参加し、パリ国立高等音楽院在学中の18歳の時にシュトゥットガルト放送交響楽団(SWR交響楽団)の首席オーボエ奏者に就任。現在は、SWR響とヨーロッパ室内管弦楽団の首席オーボエ奏者とフィラデルフィア管弦楽団の首席客演オーボエ奏者を兼任している。ザール音楽大学の教授でもある。2011年のミュンヘン国際音楽コンクール・オーボエ部門で優勝。翌年にはボン・ベートーヴェン音楽祭でベートーヴェン・リングを授与された。

チェロが奏でる葉ずれのような囁きに始まり、オーボエがこの世を賛美するかのような音楽を生み出していく。リヒャルト・シュトラウスが81歳の時の曲であり、若い頃は自画自賛をすることの多かったこの作曲家が、晩年に至って世界そのものの美しさに感謝を捧げているような境地に入ったことを示しているかのようである。
トーンドルのオーボエは伸びやかな美しさが特徴。また身振りが大きい。昔、宮本文昭がJTのCM(1996年までは煙草のテレビCMはOKだったんですね)で体をくねらせながらドビュッシーの「ボヘミアン・ダンス」を吹いていたが(CMディレクターの要望によるものだったそうである)それを連想してしまった。

アンコールとしてトーンドルは、ブリテンの「オウディウスによる6つの変容」を演奏する。伸び伸びと吹いた後で、ラストを付け足しのように表現し、笑いを誘っていた。

 

交響詩「死と変容」。オーケストラのパワーがものをいうリヒャルト・シュトラウス作品。大フィルは馬力十分で、弦の輝かしさにも惹かれるが、強弱の細やかさは今ひとつであり、雑然とした音の塊に聞こえる箇所もあった。ただリヒャルト・シュトラウスの魔術的なオーケストレーションを存分に引き出した場面もあり、プラスマイナス0という印象も受ける。

 

「四つの最後の歌」。リヒャルト・シュトラウスの最高傑作の一つに数えられる作品で、最晩年の84歳の時に書かれている。「春」「九月」「眠りにつくとき」の3曲はヘルマン・ヘッセの詩に、最後の「夕映えに」はヨーゼフ・フォン・アイフェンドルフの詩に曲をつけたものである。

ソプラノ独唱のゲニア・キューマイヤーは、ザルツブルク生まれ。今回が初来日で、アジア来訪自体が初めてだという。モーツァルティウム音楽院で学び、ウィーン国立歌劇場に所属して、「魔笛」のパミーナ役でデビュー。ミラノ・スカラ座、英国ロイヤルオペラ、パリ・オペラ座、バイエルン州立歌劇場など多くの歌劇場でキャリアを積み重ねている。

キューマイヤーの声質は輝かしいというよりも落ち着いたリリカルなもので、「四つの最後の歌」の歌詞を表現するのに優れている。オペラ歌手というよりもドイツ・リートなどに相応しい声のように思えるが、曲に合わせて変えているのだろうか。

尾高と大フィルは「九月」におけるノスタルジア、「夕映えに」での幾層ものグラデーションによる揺れるような響きの表出が見事であった。

 

一昨年はベートーヴェン交響曲チクルスを行い、今年はブラームス交響曲チクルスが進行中の尾高と大フィルであるが、来年度も大型企画が予定されており、1ヶ月ほど先に発表になるという。尾高忠明といえば、現在、日本におけるシベリウス演奏のオーソリティであるため、シベリウス交響曲チクルスだと嬉しく思う。大フィルは史上まだ1度もシベリウス交響曲チクルスを行ったことはないはずである。集客を考えるとロベルト・シューマン交響曲チクルスの方が人を呼べる演目だが、それだと守りに入ったように見えてしまう。
シベリウスがいい。

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2019年10月29日 (火)

美術回廊(41)+コンサートの記(601) 京都文化博物館 「みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ―線の魔術」&mama!milk Quartetコンサート

2019年10月22日 京都文化博物館および京都文化博物館別館ホールにて

京都文化博物館で、「みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ―線の魔術」を観る。
イラストレーションやポスターを芸術へと高めたことで知られるアルフォンス・ミュシャ。史上最高の舞台女優といわれるサラ・ベルナールとのコラボレーションでも知られるが、今日10月22日はサラ・ベルナールの誕生日だそうである。

オーストリア帝国統治下のチェコのモラヴィア地方に生まれたミュシャ。子どもの頃は音楽で才能を示し、ブルノの少年聖歌隊ではレオシュ・ヤナーチェクと同僚だったそうである。その後、声に支障が出たために音楽から美術への転身を目指す。ただ若い頃は苦労続きだったようで、学業不振で中学校を退学後、地方裁判所で働き、プラハの美術院を目指すも書類選考で落ちてしまう。19歳でウィーンに出て劇場付属の美術工房で働きながら夜の美術教室で腕を磨くが、劇場が火災に遭い、業務整理のあおりを受けて工房を解雇されてしまう。その後、クーエン・ベラシ伯爵と出会い、気に入られて金銭的援助を受けてミュンヘン美術院とパリの美術学校(この学校は現存しないようである)を卒業。だが、これからという時に伯爵の援助が突然打ち切られてしまう。ミュシャは手っ取り早く金が得られそうな挿絵画家として自身を売り込み、これが当たって画家として軌道に乗る。そしてたまたま引き受けることになったサラ・ベルナールのポスターを描いたところ、パリ中で評判となり、サラ・ベルナールと共に一躍時代の寵児となった。ウィーン分離派(ウィーン造形芸術協会)にも参加し、フリーメーソンのメンバーとなり、教職にも就いている。一方で、チェコ民族のための画家として活躍したいと思いはなかなか叶えられず、ようやく50歳を越えてチェコに戻ってから「スラヴ叙事詩」を描いて積年の思いを遂げることになる。チェコがスロヴァキアと共にチェコスロヴァキアとして独立するとミュシャは独立記念の紙幣や切手などを無償で手掛けるという愛国心を見せる。だが、その後にそれが仇となる。ナチスドイツがチェコを占領すると、ミュシャは「危険な愛国者」として逮捕尋問され、これが体に応えて釈放後4ヶ月ほど経った1939年7月14日に他界。パリ祭の日に亡くなったことになる。79歳の誕生日を10日後に控えての死であった。

画才は子どもの頃から発揮されていたようで、最初の絵である「磔刑図」は8歳の時に描かれたものだという。「ブルノ、ペトロフ教会の聖歌隊の少年たち」は、1905年に幼き日の思い出を描いたものだとされる。

ミュンヘンやパリ時代初期に描かれた自画像がある。猫背になりながら絵に取り組んでいる自画像だ。
その後、ミュシャは架空の人物を想定し、それを磨き上げる、言い方によっては使い回す手法を生み出す。「カリカチュア」という絵に描かれた人物がその後、典型的な容姿の人物として再登場するようだ。

一方で、動きを感じさせる絵にも取り組んでおり、いくつかの習作を試みている。走る少年やバレエを描いた習作もあるが、「なにかしているところを描く」ことが多い浮世絵に影響を受けたのかも知れない。

ミュシャのポスターと特徴は、「Q字型」といわれるデザインである。ポスターの中心にいる人物を円形のリボンなどが取り囲み、下で結んでたれて「Q」の形に見えるためにこの名があるが、額縁の中にもう一つ「Q」の縁が描かれることで立体感やメルヘン的や柔らかさが与えられている。チャーミングになるのだ。

サラ・ベルナールを描いた一連のポスター(そのうちの3点は撮影可である)や代表作とされる「黄道十二宮」なども良いのだが、チェコへの愛国心を描いた作品の方がより気に入る。ミュシャはスメタナと同時代人で、「スラヴ叙事詩」などもスメタナの「わが祖国」を聴いてインスピレーションを受けたようだが、「チェコ音楽界のパンテオン」というポスターの中心に描かれているのはおそらくスメタナだと思われる。「正義(ヤン・フス)」という市長ホールのための絵画の習作も展示されているが、これなども当然ながらスメタナが描いたことと一致している。ポスター作家としての顔の影に隠れて余り知られていないが、ミュシャはスメタナと並ぶチェコ国民運動の最先端に位置していたというわけである。

実は、挿絵画家としてスタートした直後に、ドイツの歴史の挿絵の仕事が舞い込んだのだが、貧しい時期だったにも関わらずミュシャはこれを断ろうとしている。結局、引き受けて、今回の展覧会にも3点が展示されているが、反ドイツの意識はそれほど強かったようだ。その横に、スペインの歴史のために描いた挿絵の習作が並べられている。どうもスペインがイスラム教徒に占領された時代の絵のようで、いかにもムスリムといった感じの男の前で、十字架の入った杖を持ったキリスト教徒達が屈んでいるが、そのうちの一人はムスリムの男を鋭い視線で捉えている。キリスト教徒のムスリムへの反抗心に、ミュシャはチェコ民族のドイツ人達への反感を重ねていたのかも知れない。心の中ではレコンキスタの士の一人だったのだろう。

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死後は愛国心が危険視されたのか、封印される形になったミュシャ作品だが、1960年にアメリカで起こったヒッピームーブメントで再評価が高まり、多くのミュージシャンのポスターやレコードジャケットがミュシャを真似た手法で描かれている。ジミ・ヘンドリクスやピンク・フロイド、ドアーズなどビッグネームも多い。

 

日本では与謝野鉄幹と与謝野晶子の「明星」の表紙がミュシャの影響を受けているとされ、一條成美やその跡を継いだ藤島武二のデザインが並んでいる。
ミュシャの影響を公言している日本の漫画家も多く、水野英子、山岸涼子、26歳で夭逝した金沢出身の花郁悠紀子(かい・ゆきこ)やその実妹の波津彬子(はつ・あきこ)、松苗あけみなどの絵が並んでいる。

最後を飾るのは、「ファイナルファンタジー」の天野喜孝と「ロードス島戦記」などを手掛ける出渕裕。出渕の作品にはミュシャそのままのものもある。

 


そのまま午後6時から京都文化博物館別館ホールで、mama!milk Quartetのコンサートを聴く。アコーディオン&手回しオルゴールの生駒祐子とコントラバスの清水恒輔のデュオであるmama!milkにマルチミュージシャンの曽我大穂とピアノの林正樹が加わっての演奏。辰野金吾設計の旧日本銀行京都支店の建物である別館ホールで秋に行われるのに相応しいお洒落な音楽会となる。
曽我大穂は、フルート、パーカッション、アコーディオンなどいくつもの楽器を奏でる器用な人で、その他にもノイズを出して、現代の音楽であることを強調する役割も担っている。

mama!milkのコンサートを聴くのも久しぶり。今年の七夕にもこの京都文化博物館別館ホールで白井晃演出による結成20周年コンサートを行っているのだが、広上淳一指揮京都市交響楽団大阪公演の日であったため聴くことは出来ていない。
アルバムなども聴いていないので、曲目なども詳しくは分からないが、3拍子を基調としたフレンチテイストのものや、秋を感じさせるノスタルジックなもの、5拍子と6拍子の変拍子からなるタンゴ風のものなど、曲調も幅広い。

アンコールとして演奏されたのは「Your Voice」。とてもチャーミングな曲と演奏であった。

 

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2019年10月28日 (月)

コンサートの記(600) 「時の響」2019 「金色に魅せられた日本とオーストリア 琳派からクリムト、そして現代への継承」 広上淳一指揮京都市交響楽団 第1部「オーストリア×日本 琳派 ゴールド」ウィーンの景色&第2部「古都京都の文化財世界遺産登録25周年」京都今昔物語

2019年10月20日 京都コンサートホールにて

午後1時から、京都コンサートホールで「時の響」2019を聴く。一昨年から始まった音楽文化祭典「時の響」。昨年は規模が拡大されて音楽祭となっていたが、今年は第1部第2部とも上演時間1時間ほどのコンサート2つ、更にアンサンブルホールムラタで西村由紀江らによるスペシャルコンサートがあるが、スペシャルコンサートには参加しない。

「時の響」本編「金色に魅せられた日本とオーストリア 琳派からクリムト、そして現代への継承」は、広上淳一指揮京都市交響楽団によるコンサートである。第1部は「オーストリア×日本 琳派 ゴールド」ウィーンの景色と称したコンサート。日本とオーストリアの国交150周年を記念し、オーストリアの首都ウィーンを題材にした曲目が並ぶ。ウィーンを代表する画家のクリムトと、日本の琳派が共に金を使った絵を残しているということで、ホワイエでは作品のレプリカの展示などがある。またホール内ポディウムには「豊国祭礼図屏風」の高精度複製が立てかけられている。余談だが、この「豊国祭礼図屏風」には嘘がある。豊臣秀吉七回忌として慶長9年(1604)に行われた豊国大明神臨時祭礼であるが、その2年前に方広寺の大仏殿は火災で焼失しており、「豊国祭礼図屏風」に描かれている大仏殿は焼失前のものを仏画などによく見られる異時同図で描いたもので、実際には祭礼が行われた時には大仏殿はなかったのだ。大仏殿の再建が始まるのは慶長13年に入ってからである。

曲目は、前半が「音楽の都『ウィーン』を想う」と題して、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」、ヨハン・シュトラウスⅠ世の「ラデツキー行進曲」、ヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「こうもり」序曲、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」第1楽章という曲が並ぶ。後半は「岸田繁『ウィーン』の景色」という題で、岸田繁が作曲した「心の中のウィーン」と「ジュビリー」が演奏される。「ジュビリー」は岸田のギター弾き語り入りである。ナビゲーターは栗山千明。

今日は客演のコンサートミストレス。顔に見覚えがあるような気もするが思い出せない。フォアシュピーラーに尾﨑平。

席であるが、最前列の指揮者のほぼ真後ろという、先日観た映画「レディ・マエストロ」のような状態。最前列は直接音が強すぎて音は余り良くない。管楽器のメンバーの顔も弦楽奏者の影になって窺えず、フルート首席の上野博昭が前半のみ、クラリネット首席の小谷口直子は前後半共に出演ということぐらいしかわからない。トランペットは第1部ではハラルド・ナエスの、第2部では稲垣路子と早坂宏明の顔が確認出来たが、全体としてどういう布陣だったのかは不明である。
栗山千明を間近で見られるのは嬉しかったけれど。

開演前に、「時の響」実行委員会に名を連ねている公益財団法人京都市音楽芸術文化振興財団と大日本印刷株式会社の代表者からの挨拶があった。

ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」。ニューイヤーコンサートで演奏される類いのものとは違い、がっしりとしたシンフォニックな演奏で来たのが意外だった。中間部でテンポを落としてからアッチェレランドし、ステップを踏みながら踊るのが広上らしい。

演奏終了後に、ナビゲーターである栗山千明が登場。今回の演奏会は京都を前面に押し出しており、また公益財団法人京都和装産業振興財団による「きもの文化をユネスコ無形文化遺産に!」という推進運動もあって、着物着用の聴衆にはキャッシュバックがある。栗山千明もプログラムにわざわざ「きもの着用」と書かれており、その通りの格好で現れる(現れないとまずいが)。クリムトと尾形光琳の絵には金箔が用いられているということで、栗山千明の着物にも金が用いられているのだが、ぱっと見はよく分からない。広上が「金(きん)あるの?」と聞き、栗山が「あります」と答えていた。このやり取りは台本にはないそうである。
栗山千明で京都というと、まずフジテレビ系の深夜に放送されていた「0-daiba.com」の京都特別編「京都慕情」が思い浮かぶ。栗山千明演じる成瀬一美は、京都芸術センターや百万遍交差点などを訪れている。
また映画「鴨川ホルモー」では、オタクっぽい京大リケジョの「凡ちゃん」こと楠木ふみを演じている。

広上による楽曲解説。「美しく青きドナウ」はオーストリア(広上はオーストリーという呼び方をしていた)第2の国歌と呼ばれており、広上は「日本でいう『故郷』のようなもの」と語る。またウィーンは京都に似ているということで、京都に例えて「美しく青き桂川のような」と表現する。ドナウ川はウィーン市の郊外を流れているため、京都の町中を流れている鴨川はやはりちょっと違うだろうと思われる。東京だと隅田川ではなくて多摩川、大阪だと淀川じゃなくて……、大阪市の郊外には綺麗な川はあったかな? 大和川は絶対に違う。
ウィーンはハプスブルク家の都で魅力的な場所であり、昔から様々な人がそこをものにしようと狙って来た。そこも京都に似ていると広上は述べる。
またヨハン・シュトラウスⅡ世とⅠ世は親子で同じ名前だと紹介し、ヨハン・シュトラウスⅠ世は放蕩者だったため、Ⅱ世が15歳ぐらいの時によそに女を作って出て行ってしまったという話をする。Ⅱ世はそれまで本格的に音楽に取り組む気はなかったのだが、生活費を稼ぐために音楽を学んで成功。父とはライバル関係になって勘当されたりもしている。実はⅡ世も弟2人に作曲をするよう強要して兄弟仲まで悪くなってしまうのだが、それはまた別の話である。

栗山千明は、「ラデツキー行進曲」を「デラツキー行進曲」と間違えて紹介。広上がすぐ「ラデツキー行進曲は」と言い直して、ウィーンのニューイヤーコンサートでお客さんが手拍子を入れるという話をしたのだが、結局、その後も栗山千明は「デラツキー行進曲」と何度も間違え続けていた。「ラデツキー行進曲」も知らないという事は、クラシック音楽に関してほとんど何の知識もないということであり、ちょっとがっかりする。

「ラデツキー行進曲」では、広上はオーケストラよりも聴衆の拍手を中心に指揮した。カットありの版での演奏。

 

ヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「こうもり」序曲。喜歌劇「こうもり」はウィーンでは年末に上演されることが恒例となっている。
華やかさとスケールの大きさ、ウイットを兼ね備えた演奏で、京響の響きも充実している。

演奏終了後に登場した栗山千明は、「先程は大変失礼いたしました。『ラデツキー行進曲』」と詫びていた。

モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」第1楽章。この曲では栗山はなぜか「ジュピター」というタイトルは一度も告げなかった。
広上が栗山に、「モーツァルトがどういう人だったかご存じ?」と聞き、「ごめんね、台本にないことばかり言って」と続ける。「実際に会ったわけじゃないんですが」と広上は前置きして、「ハリウッド映画で『アマデウス』という作品がありましたが、あれに出てくるモーツァルトはフィクションです。ただ書き残したものから、あれに近い人だったんじゃないかと言われています。人前では言えないようなことを書いていたり、女の子が『キャー!』とか『わあ!』とか言うと、『うひひひひ』と喜ぶような。小学生がそのまま大きくなったような、こういう人ってどう?」
栗山「仲良くなりやすいとは思います」(若干引き気味に見えたが気のせいだろうか)
広上「そういう人を喜ばせるのが好きな人だったと思います」

「ジュピター」を得意とする広上。澄んだ弦楽の響きを生かした純度の高い演奏を繰り広げる。弦のビブラートは各々で異なり、ピリオドを徹底させた演奏ではないが、途中で現れる音を切りながらの演奏は古楽を意識したものだろう。
モーツァルト本人はあるいは全く意識していなかったかも知れないが、今日のような演奏で聴くと本当に宇宙的な音楽に聞こえる。

 

くるりの岸田繁が登場しての後半。栗山千明が、くるりがウィーンでレコーディングを行った経験があることなどを紹介する。ウィーンについて岸田は「京都に似ている」と言い、広上は意見が合ったと喜ぶ。「人口も180万くらいで(京都市は147万人ほどだが昼間人口は増える)。まあ同じぐらい」「中心部は昔ながらの建物が残されていて(第二次大戦の戦災で焼失したものもあるが元通りに復元されている)、郊外には意外に工業地帯があったりする」。ドイツ語圏ではあるが言葉も違い、「おはよう」も「グーテンモルゲン」ではなく、「グリュースゴット」と言うと紹介する。ウィーンで初めて聞いた時は岸田は意味が分からず、「なにそれ?」と聞き、「いや、ウィーンではこうやって言うんだ」と主張された(?)そうである。「グリュースゴッド」は、「神があなたに挨拶しますように」という意味で、広上は「キザ」と形容する。
岸田は自身の事を述べる際には「僕はキザではないんですが」と断りを入れていた。

「心の中のウィーン」はワルツと4拍子を取り入れた曲であり、ウィンナコーヒーのような甘さを意図的に出している。

岸田繁のギター弾き語り入りの「ジュビリー」はウィーンで作曲されたというだけで、特にウィーン情緒を出した感じは受けなかった。

 

1時間ほどの休憩を入れて第2部スタート。休憩の間、私は一度外に出て自販機でカフェラテを買って飲んだ。特にウィーンを意識したわけではない。

 

第2部は、「古都京都の文化財世界遺産登録25周年」京都今昔物語と題したコンサートで、新作の世界初演2曲が続く。

開演前に門川大作京都市長の挨拶があり、文化庁の京都移転や京都駅東南地区を共生の街にするプランなどが話された。どちらもちょっと前までは明るい話題であったが、そこは京都ということか、何やら暗雲が垂れ込み始めている。
門川市長は、「日本が世界に誇れるもの、それは文化」と語っていたが、現状ではこれも疑問である。クラシック音楽の分野における日本の未来は明るいかも知れないが、その他は厳しいかも知れない。

 

まずは母校の京都市立芸術大学作曲科講師でもある酒井健治のヴィオラ協奏曲「ヒストリア」。ヴィオラ独奏は、京都市交響楽団首席ヴィオラ奏者の小峰航一が務める。
疾走するヴィオラをオーケストラが盛り立てていくような曲調である。メシアンにも近いがノーノ的にも聞こえる。ヴィオラ協奏曲ということで、ヴィオラ独奏がオーケストラのヴィオラパートと歌い交わす場面もあり、意欲的な作風だ。
緊迫感もあり、面白い楽曲である。ヴィオラ独奏はかなり難度が高そうであったが。

 

今日最後の曲は、岸田繁の作・編曲(共同編曲:足本憲治)による「朗読とオーケストラ 京のわらべうた変奏曲による『徒然草』」~京都生まれの日本哲学~。吉田兼好の「徒然草」を現代語訳したものを栗山千明が朗読し、背後のスクリーンには武蔵野美術大学出身の文字×映像ユニット宇野由希子+藤田すずかによる文字アニメーションが投映される。

岸田繁の音楽はタイトルの通り、「丸竹夷二押御池 姉三六角蛸錦」という京の通り名を挙げる「京のわらべうた」を変奏していくもので、オーケストラのパレットも次々変わる。酒井健治の作品とは対照的であるともいえる。
素朴で愛らしいメロディーを奏でるのだが、広上の指揮ということもあってか響きは意外に重厚で輝かしく、さながらベンジャミン・ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」の日本版のような趣である。
栗山千明が読み上げるテキストは、「人生の短さ」「物事を先延ばしにすることの愚かしさ」「想像力の大切さ」「先入観を捨てることの有効性(虚であるべきこと)」などを抜粋したもの。葵祭が終わった夕暮れの寂しさなども採用されている。
栗山千明は茨城県出身なので標準語とは少し異なるイントネーションである。明るめの声を生かし、「流石は国際派女優」のしっかりした朗読を披露した。

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2019年10月27日 (日)

河村尚子(ピアノ) ショパン 前奏曲第6番



千葉へ(for Chiba Prefecture)

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観劇感想精選(323) 「中村勘九郎 中村七之助 錦秋特別公演2019」京都公演

2019年10月19日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて観劇

午後3時から、ロームシアター京都メインホールで、「中村勘九郎 中村七之助 錦秋特別公演2019」京都公演を観る。中村勘九郎と七之助の兄弟が15年間に渡って続けている特別公演である。基本的に歌舞伎専用劇場は用いず、日本各地の公共のホールを使った上演が行われている。

演目は、勘九郎と七之助による芸談の後で、「艶紅曙接拙 紅翫(いろもみじつぎきのつつか べにかん)」、「三ツ面子守(みつめんこもり)」、「松廼羽衣(まつのはごろも)」の3つの歌舞伎舞踊が繰り広げられる。

まず勘九郎と七之助による芸談がある。司会は関西テレビアナウンサーの谷元星奈。
勘九郎と七之助がそれぞれ挨拶するのだが、明らかに七之助に対しての拍手の方が大きい。勘九郎もキレのあるいい歌舞伎俳優であるが、華は不足がち。また若い女性にはどうしても女形の方が人気がある。
京都についての思い出から話し始める。二人が子どもの頃、父親である中村勘三郎はずっと南座での顔見世に出続けており、二人も冬休みの間は京都に来て父親と一緒に過ごしていたそうで、京都巡業といっても旅という感じはしないそうだ。一方、勘九郎と七之助が歌舞伎俳優として活躍し始めてからは、不思議なこと勘三郎が京都で公演を行うことは稀になってしまったそうで、2年前に勘九郎と七之助はロームシアター京都メインホールで行われた顔見世に登場しているが、家族の招きが上がるのは20数年ぶりだったそうである。

勘九郎が大河ドラマ「いだてん」で、主役の一人である金栗四三を演じたということで、その苦労話などが語られる。昨年4月からの撮影であったのだが、準備期間も含めて「ずっと走っていたような記憶がある」そうで、舞台では誤魔化せても映像では無理ということで、体作りのことなどを話す。歌舞伎で軽やかな演技を見せている印象のある勘九郎だが、実は「運動は大嫌い」「動くことがそもそも嫌いであり」、運動が得意そうと見られることも多いが、それは勘違いだという。歌舞伎をやっていると下半身が重要になるため腿が太くなるそうで、勘九郎の腿は周囲が62cmもあり、これはスピードスケートの金メダリストである清水宏保と同じ数値だそうである。ただ、マラソン選手でそんなに腿の太い選手はいないということで、腿の余計な肉を落とすことから始めたそうだ。運動の他に糖質カットダイエットなども行ったそうだが、糖質をカットすると怒りっぽくなるので困ったそうである。頭の働きにブドウ糖が必要ということは知られているが関係があるのだと思われる。食事は鶏のササミが中心。飲み物も水だけに限られるそうで、「地獄ですね」と勘九郎は語っていた。昨年の錦秋特別公演時も撮影期間に入っており、地方公演はその土地土地の地方グルメが楽しみなのだが、勘九郎は体作りのためにその土地のものは何も食べることが出来ず、持ち込んだ鶏のササミをずっと食べていたそうである。撮影時のロケ弁も美味しいのだが、やはり食べることが出来なかったそうだ。金栗が引退してからは体を引き締めなくても良くなり、食事制限が解除されてから初めて食べたのはカレーだそうである。三日三晩カレーが続いても大丈夫なほど好きであり、まず家庭の味のカレーを求めたそうだ(奥さんの前田愛が作ったのかな?)。そしてあれほど苦労して体を絞ったのに、「一瞬で元の体に戻った」そうで、「皆さん、ダイエットなんてしないほうがいいですよ」と語っていた。現在上映中の映画「JOKER」に主演しているホアキン・フェニックスも役作りのため体を絞ったが、「戻る時は一瞬だった」と同じ事を語っていたと紹介もする。

七之助も「いだてん」に出演し、最初は当時の落語家役など一瞬登場するだけのカメオ出演だと思っていたのだが、落語家・三遊亭圓生という重要な役どころだったため、残っている圓生の映像は全て見て研究したそうだ。
また現在、BSプレミアムで放送中の「令和元年版 怪談牡丹灯籠」にも出演しており、この作品は京都の太秦で撮影が行われたそうである。実は七之助はこれまで映像の仕事はほとんど断っており、1年に2度映像作品に参加するというのはとても珍しいことだそうである。「いだてん」に出ることに決めたのは、兄が出るということと、脚本が映画「真夜中の弥次さん喜多さん」でお世話になった宮藤官九郎ということも大きかったようだ。
同じNHKのドラマでも撮影の仕方に違いがあり、「令和元年版 怪談牡丹灯籠」は1台か2台のカメラで撮影が行われるのだが、「いだてん」の現場にはカメラが5台ほどずらりと並んでいて、全て長回しでの撮影が平均で7回ほど繰り返されていたそうである。以前、「龍馬伝」の大友啓史監督が長回しで撮るという話を横浜で行われた「全国龍馬ファンの集い」でしていたが、今回もそれに近い手法が採られていたようである。
長回しは長回しで大変だが、「令和元年版 怪談牡丹灯籠」はすぐカットのかかる細切れで撮っているため、「じゃあ、次、泣いて下さい」といわれたらすぐに泣かなければいけないそうで、感情の上げ方が難しいそうである。しかもその前の長めのセリフを撮り終えてカットが掛かってから、短いセリフの導入部ですぐに泣かなければならないため、なかなか上手くいかなかったそうだ。

二十代の頃は勘九郎が女形、七之助が立役という時代もあり、七之助は先月、南座での「東海道四谷怪談」でお岩さんを演じていたが、本当にやりたかったのは民谷伊右衛門の方だそうで、子どもの頃から演じてみたい人物のナンバーワンが伊右衛門だったそうだ。七之助の解釈では「伊右衛門は実はいい人」だそうで、お岩さんと実はとても愛していて、お岩さんの顔が薬で変わっていなかったらお梅を捨ててお岩とよりを戻した可能性もあると思っているそうである。お岩さんに対する態度も好きな人に踏ん切りをつけるためのいじめだと捉えているそうだ。

その後、二人で今日の演目の紹介を行い、客席からの質問を受ける。七之助への「女形をやる時には、女性の仕草を研究したりはするんですか?」という質問には、「女を演じているのではなく女形という生き物を演じている」ということで、「内面は女であることを目指しているが、仕草などは女形の先輩が残してきた型を参考に取り入れている」ということで本物の女性の仕草を参考にすることはないそうだ。女形として魅力的に見える仕草は女性のそれとは当然異なっており「所詮男なので」女であることでなく女形であることを目指しているそうだ。「普通の女の人がこんな髪の掻き上げ方したら嫌でしょ?」と型を見せて笑いも取っていた。

静岡公演では、昼公演と夜公演の間に羽衣伝説のある三保の松原を見に行き、その日の夜の公演の芸談で司会を務めた静岡のテレビ局のアナウンサーが、「羽衣が残っているんです」という話をしたため、「松廼羽衣」では特別に羽衣を切るという演出を加えたそうなのだが、三重公演の芸談でそれを明かしたために三重公演でも同じ演出を行うことになったそうで、「今日もそうなんですか?」という質問がある。勘九郎は「わかってます? それは脅迫です。質問じゃなくて」と返す。ただ七之助が「でもやるんでしょ?」と言ったため、今回も「松廼羽衣」は特別演出で行われることになった。

 

「艶紅曙接拙 紅翫」。出演は、中村いてう、中村仲助、中村仲之助、中村仲侍、中村仲弥、中村仲四郎、澤村國久。
富士山の山開きの日に、虫売り、朝顔売り、団子売りなどが集うのだが、芸達者の紅翫(中村いてう)が現れて、歌舞伎の様々な演目の真似を披露して一同を楽しませるという趣向である。主人公のモデルは紅谷勘兵衛という実在の人物だそうで、浅草で芸を披露して人気を博していたそうである。

 

「三ツ面子守」は、9月の南座「東海道四谷怪談」ではお梅を演じていた中村鶴松が一人で舞う。子守がひょっとこやおかめ、えびすなど次々と面を変え、衣装も替えて踊り続けるユーモラスな作品である。鶴松の舞踊は、手の動きがピシッと決まり、愛らしさもある巧みなものであった。

 

「松廼羽衣」。勘九郎と七之助の共演である。勘九郎演じる漁夫の伯竜は凜々しいが、七之助の演じる天女が現れるとやや姿がかすんでしまう。女形と立役の違いもあるが、七之助の方が華はあるようだ。
ともあれ、二人とも稀代の名優であった中村勘三郎の息子であり、譲り受けた芸の巧みさには十分に光るものがあった。

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2019年10月26日 (土)

観劇感想精選(322) 宮沢りえ×堤真一×段田安則 シス・カンパニー公演「死と乙女」

2019年10月18日 大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後7時から、西梅田のサンケイホールブリーゼでシス・カンパニー公演「死と乙女」を観る。宮沢りえ、堤真一、段田安則による三人芝居。作:アリエル・ドーフマン、テキスト日本語訳:浦辺千鶴、演出:小川絵梨子。上演時間約1時間35分、途中休憩なしである。

アリエル・ドーフマンは、1942年生まれの小説家、劇作家、詩人、ジャーナリスト、人権問題活動家。アルゼンチンに生まれ、3歳の時に一家で渡米。1954年にはチリに移り、70年に社会主義国家を目指したアジェンデ政権発足時に文化補佐官を務める。73年にチリで軍事クーデターが起こるとオランダに亡命。その後、アメリカに移り、90年にチリのピノチェト政権が終焉を迎えてからはアメリカとチリを往復する生活を送っている。


アリエル・ドーフマンが青年時代を過ごしたチリと思われる国が舞台であるが、ドーフマンは国の名を特定していない。この国では17年間に渡って軍事独裁政権が続いていたが、それが引っくり返った。かつて反独裁政権運動組織に所属していた弁護士のジェラルド・エスコバル(堤真一)は、大統領から直々に人権調査委員会への中心メンバーとしての加入を打診される。軍事独裁政権が続いていた間、数え切れないほどの無辜の人々が政治犯の疑いによって姿を消していた。ジェラルドはそうした人々の関係者に話を聞いて回り、大量虐殺の真相を突き止めようという役割に就こうとしていたのだ。
大統領と面会した夜、ジェラルドは帰り道に車のトラブルに見舞われる。パンクをしてしまい、トランクに入れていた代わりのタイヤも使い物にならない。そもそもジャッキがなくなってしまっていた。たまたま通りかかった医師のロベルト・ミランゲ(段田安則)の車に乗ってジェラルドは帰ってくるのだが、ロベルトの声を聞いたジェラルドの妻のポーリーナ(宮沢りえ)は、15年前に自分を監禁し、何度も強姦するよう仕向けた医師こそがロベルトなのだと確信する。監禁されていた間、ポーリーナはずっと目隠しをされていたのだが、見えないことで聴覚が研ぎ澄まされ、医師の声をずっと覚えていたのだという。ポーリーナもロベルト同様、反独裁政権運動組織に入っていたのだが、1975年のある日突然誘拐され、拷問を受けたのだった。ポーリーナは当時医学部に通う学生だったのだが、卒業は出来ず、当然ながら医師資格も得られていない。今はジェラルドの妻として暮らしているが、精神的に不安定であり、ずっと神経質な仕草を繰り返している。

ロベルトが再びジェラルドの家を訪れた日。深夜ということで、ロベルトはジェラルドの家に泊まることになったのだが、夜中、眠っていたロベルトをポーリーナが襲う。ポーリーナはロベルトを椅子に縛り付け、拳銃で脅して、かつて自分を監禁した秘密警察に協力し、指示を出していた医師はロベルトだろうと詰め寄る。ロベルトは何のことかわからないと否定するのだが……。

15年前、ポーリーナが監禁されていた時に、秘密警察の医師はシューベルトの音楽をよく流していた。ポーリーナはシューベルトが好きだったが、その時のトラウマで今はシューベルトの音楽を聴くことが出来ない。ポーリーナはロベルトを襲撃した後で彼の車を移動させて見えないところに隠したのだが、その際、車の中にシューベルトの弦楽四重奏曲「死と乙女」のテープがあったのを発見し、ラジカセにテープを入れて流す。死を恐れる瀕死の乙女に死神が優しく語りかけるという内容の「死と乙女」になぞらえた心理的攻防が展開されていく。

ポーリーナはロベルトを私的裁判に掛けようとするのだが、「これでは俺たちが否定し続けて来たことと同じだ」とジェラルドは強く反対する。ジェラルドは責任ある立場に就くことが決まった今、妻の行いが表沙汰になることで積み上げてきたことが全て崩壊してしまい、元の暗黒へと戻ってしまうことも恐れている。

独裁政権が終わり、民主主義の時代がやって来た。だが、その中でポーリーナは復讐として独裁者と同じような行動に出てしまう。独裁を否定し、危険を冒して反対運動に身を投じて来たはずが、独裁者を同じような振る舞いをするようになってしまうのである。ポーリーナの復讐と秘密警察の行いとの間に差があるかといえば、ほとんどない。かつての被害者は加害者となって同じ事を繰り返してしまう。鏡の反転の中で行われる芝居である。

ロベルトが本当に秘密警察に協力してポーリーナを蹂躙した医師だったのかどうか、はっきりとは明かされない。ジェラルドの提案で、ポーリーナもロベルトも証言をテープに録音し、書き起こすことになるのだが、ロベルトはポーリーナの証言を先に聞いてから証言を行っており、またジェラルドから事の成り行きを教えて貰ったそうで、処刑を免れるために流れに沿って証言したという。だが、ポーリーナは自身の証言の中に嘘を交えており、ロベルトがポーリーナが語った偽の固有名詞などを無意識のうちに正確なものに変えてしまっていると指摘する。ただこれも本当のことなのかわからない。
ロベルトは、秘密警察に協力していた医師同様、ニーチェの言葉を引用する。またシューベルトの音楽を好む。ただ、それだけである。それだけではなんともいえない。ポーリーナがロベルトがその医師だと判断した根拠は声だが、顔を見ていない以上、確固たる根拠と見なすことは出来ない。
被害者意識が暴走しているだけのようにも見える。それはある意味、痛みの告白であると同時に新たなる社会への警告でもある。


ラストはそれまでの話の流れとは切り離されたものだ。教会で行われるコンサート。演目はシューベルトの弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」。ジェラルドとポーリーナの夫妻が並んで腰掛け、ロベルトはやや離れた後ろ側の席で聴く。途中、ポーリーナが振り向き、ロベルトと視線を交わす。ポーリーナは笑みを浮かべ、ロベルトは浮かぬ顔のままだ。ただ、基本的には全員が同じ方向を向いている。
この場が何を意味するのか明確に示されてはいない。ポーリーナがシューベルトの音楽を聴けるようになったことはわかるが、それまでにどのようか過程があったのか、何をどう乗り越えてここに至ったのか、死があったのか和解がなされたのか、あるいはこの場面全てが幻想なのか。ただ例え幻想であったとしても、それはリアルで切実なものである。


「死と乙女」が映画化された際、監督を務めたロマン・ポランスキーは、「『羅生門』のビデオをもう一度観たいのだが、手に入るだろか?」とアリエル・ドーフマンの妻に打診したことがあるそうだが、確かに「死と乙女」は映画「羅生門」と原作である芥川龍之介の「藪の中」に似た構図と内容である。証言が食い違う場面などは酷似している。

個人的には、マルグリット・デュラスの「ヴィオルヌの犯罪」を思い出した。この作品も録音された声による証言を巡る話である。戯曲をデュラス自身がリライトしたものが文庫から出ており(今は絶版かな?)、戯曲も大きめの図書館に行けば読むことが出来るが、上演自体は私が確認した限りでは日本ではほとんど行われていない。デュラスは「ユダヤ人の家」もそうだが、こうしたテイストの戯曲は多い。

宮沢りえの演技が本当に素晴らしい。心に傷を負いながら、時にサディスティックに、時にセンシティブになるポーリーナを声色を変えつつ抜群の説得力を持って演じている。映画「人間失格 太宰治と3人の女たち」での演技も見事だったが、宮沢りえもいよいよ本物である。挫折とスキャンダルも多かった俳優人生であるが、頂点に立つ一人へと駆け上がりそうだ。

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2019年10月25日 (金)

美術回廊(40) 美術館「えき」KYOTO 「西洋近代美術にみる『神話の世界』」

2019年10月18日 美術館「えき」KYOTOにて

美術館「えき」KYOTOで今日から始まった「西洋近代美術にみる『神話の世界』」展を観る。あべのハルカス美術館でラファエル前派の展覧会が行われているが、それとも関連のある内容である。
神話を題材に描かれた絵や彫刻が並ぶが、それは古典の再発見へと繋がっている。ジョヴァンニ=バッティスタ・ピラネージの「ローマの古代遺跡」の描写に始まり(そのままを描いたものではなく、古代の姿を想像によって復元させている)、「イリアス」や「オデュッセイア」というホメロスの文学、神や桂冠詩人に送られる月桂冠を編む女性の絵(フレデリック・レイトンの作品)、ミュンヘン分離派(ニュンヘン造形美術協会)による国際美術展のポスター(ギリシャの神々が描かれている)、テオドール・シャセリオーの「アポロンとダフネ」、アレクサンドル・カバネルの「狩りの女神ディアナ」(今回の美術展のポスターに採用されている)などの神々の像が並ぶ。ローレンス・アルマ=タルデの「お気に入りの詩人」のように、神々を描いたのではなく神話を読む女性とそれを聞くもう一人の女性を描いた作品もある。ジャン=ジャック・エンネルの「アンドロメダ」は普仏戦争によってドイツ(プロイセン)に割譲されたアルザス地方(現在はフランス領に戻っている。中心都市はストラスブール)を囚われのアンドロメダになぞらえたものだという。

幻想の画家として知られるオディロン・ルドンの「アポロンの二輪馬車」と「ペガサスにのるミューズ」が並んでいる。ルドンの絵は、昔、鎌倉の鶴岡八幡宮境内にあった神奈川県立近代美術館鎌倉(今は鎌倉文華館鶴岡ミュージアムとなっているようである)でのルドン展を観ているが、それとはかなり趣の異なる淡い印象の作品である。

美術館「えき」KYOTOやあべのハルカス美術館で観たことのあるラウル・デュフィの作品は、いかにもデュフィという趣の作品で、原色を用いた愉快な作風である。プーランクの音楽にも通じるようなエスプリ・クルトワに溢れている。

ルノワールやローランサン、ピカソといった有名画家の作品もあるのだが、今回はあまり惹かれず。ピカソは以前にも美術館「えき」KYOTOで同じ趣のエッチングを観ているということもあるだろう。後年自己模倣に陥ったことで知られるジョルジオ・デ・キリコの作品も展示されている。

デ・キリコと出会ってシュールレアリズムの影響を受けたいわれるポール・デルヴォーの「水のニンフ(セイレン)」は不安的な構図に逆に引きつけられる。美しい歌で船を水底へと引きずり込むというセイレンが、美しさと不気味さの絶妙の境で描かれている。ところで左の奥にポツンと一人で立っている男性は何者なのだろう? これも含めて悪夢的な雰囲気の漂う絵となっている。

 

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2019年10月22日 (火)

これまでに観た映画より(135) 「今さら言えない小さな秘密」

2019年10月16日 京都シネマにて

京都シネマでフランス映画「今さら言えない小さな秘密」を観る。フランスを代表するイラストレーター兼漫画家のジョン=ジャック・サンペの絵本を「アメリ」のギョーム・ローランの脚本で映画化した作品。監督・脚色はピエール・ゴドー。出演は、ブノワ・ポールヴォールド、スザンヌ・クレマン、エドゥアール・ベールほか。

南仏プロヴァンスのサン・セロンという小さな村が舞台。この村で生まれ育ったラウル・タビュラン(ブノワ・ポールヴォールド)は、最高の自転車修理の職人として尊敬を集めており、この村では自転車をタビュランと呼ぶほどであったが、実は自転車に乗ることが出来ない。ラウルの父親は郵便配達夫であり、毎日、この村を自転車で回っていたのだが、息子のラウルにはなぜか自転車を漕ぐ資質が欠けており、特訓しても上手くいかない。
子どもの頃、学校の同級生は皆自転車で遊び回っていたのだが、自転車に乗れないラウルはそれを隠すために、物静かな少年を演じるしかなかった。ボードレールの「アルバトロス(アホウドリ)」(象徴的である)を暗唱して好評を博すなど学業は優秀であったため、そういう子なのだと思われて自転車に乗れないということはバレなかった。学校のクラスで自転車に乗って遠足に行った時には、急坂を転倒することなく下り、勢い余って土手に激突して自転車でムーンサルトを演じて池に落ちたため、以降、ラウルは自転車に乗っていなくてもイメージで同級生達から「自転車の曲芸乗り」と見なされるようになってしまう。
二十歳になったラウルは父親から競技用自転車をプレゼントされるが、やはり乗ることは出来ない。自転車に乗れないということを打ち明けた直後に父親は雷に打たれて他界してしまう。ラウルの胸には父親の職業を継げなかったという悔いが残される
自転車には乗れないが、なぜ乗れないかを自転車を解体して分析するような子どもだったため、自転車レースのタイヤ交換で活躍したのを機に自転車修理業の親方に見込まれ、才能を発揮し始めたラウル。だが「運命の人」かとも思った会計のジュシアーヌには自転車に乗れないことを告白したがために振られてしまい、妻となるマドレーヌ(スザンヌ・クレマン)にはそのことが尾を引いて自転車に乗れないということを告げられないまま結婚に至る。
マドレーヌが両親を自転車事故で亡くしているため、ラウルはそれを利用して(?)自転車に乗らないことを誓う。そのままラウルの秘密がバレることなく歳月は流れて行ったのだが、村にやって来た写真家のエルヴェ(エドゥアール・ベール)がラウルが自転車を漕いでいるところを撮影したいと言い、マドレーヌがその話に乗ったためにラウルは焦り出す。
「自転車の専門家である自分が自転車に乗れないと知られたら、全てを失うのではないか」

 

ギョーム・ローランの脚本ということで、「アメリ」同様、アフレコによる傍白が多いのが特徴である。特にこの映画では回想のシーンが多いため、傍白もより増えている印象を受ける。

自転車に乗れない人というのは、私の身近には存在しないが、思いのほか多いとも聞く。長崎市は坂が多く自転車には不向きな街であるため乗れない人が多いという話も聞くが、それは乗る機会がないからで、練習しても乗れるようになれなかった人がどれだけいるのかは謎である。協調運動障害というものがあるというのは知っているのだが。
ただ、この映画ではたまたま「職業として自転車を扱っているのに自転車に乗れない」というケースが描かれただけで、「人に言えない秘密」は大抵の人は持っていそうである。プロのカメラマンであるエルヴェもカメラマンらしからぬ弱点を抱えているのだが、それでもそれを隠すことなく生きてこられている。

秘密を隠すがためにある意味人生をねじ曲げ、本性を隠し、不自由に生きてきたラウル。
ただ、その不自由さもまた人生の一部として讃えることが出来るような気になってくる映画である。そうでなかったら今の幸福な人生はない。

多くの人は、ありのままの自分を殺して見せかけのストーリーに乗って人生を生きている。自分自身から自由になることはとても難しいことだ。不器用な人間にとっては特に困難である。ただその不自由さの源である傷もいつかは開放される種類のものなのかも知れない。自分で何もかもを決めつけずに生きていたっていいのだ。

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2019年10月21日 (月)

この世の中を

この世の中を知りたい。地図も時計も光も影も超えて全て飲み込んでしまいたい程に。

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これまでに観た映画より(134) 「ラブゴーゴー」(デジタルリストア版)

2019年10月15日 京都シネマにて

京都シネマで台湾映画「ラブゴーゴー」(デジタルリストア版)を観る。1997年の作品。監督・脚本:陳玉勲(チェン・ユーシュン)。出演:タン・ナ、シー・イーナン、リャオ・ホイヂェン、チェン・ジンシンほか。第34回金馬奨で最優秀助演女優賞(リャオ・ホイヂェン)と最優秀助演男優賞(チェン・ジンシン)を受賞している。

実は20年ほど前のロードショー時に渋谷のユーロスペースで観ており、かなり久しぶりの再会となる。あの頃は20年後に京都で再び観ることなるとは思ってもいなかった。

エドワード・ヤン、候孝賢、蔡明亮など優れた悲劇作品を生み出す映画監督が多いという印象の台湾映画であるが、「ラブゴーゴー」はコメディである。ただ、数組の恋愛弱者を描いており、抱腹絶倒の笑劇といった感じではない。

台北。パティシエをしている冴えない男、劉啓興(チェン・ジンシン)の店である「グレープバイン」に、片足を引きずりながら歩く美女(タン・ナ)が毎日のように訪れ、レモンタルトを買っていく。彼女は実は劉の小学生時代の同級生なのだが、劉はそれを言い出すことが出来ず、片思いの状態が続く。

劉の家に同居する、ウー・リリーというおデブちゃんの女の子(リャオ・ホイヂェン)は、ある日ポケベルを拾う(ポケベルの時代の物語である)、ポケベルに浮かんだ番号に電話したリリーは、録音されたメッセージの声に興味を持つ。ある停電の日、リリーはまた電話してメッセージを吹き込むが相手が出た。自殺を考えていたという相手の男を止めるため、リリーは見栄を張ってそこそこ美人だと嘘をついてしまう。2週間後に相手と会う約束をしたリリーは思い切ってダイエットに取り組むが、なかなか痩せることが出来ない。そして当日……。

護身用具のセールスマンであるアソンは、グレープバインでのセールスに失敗。その後も上手くいかず、21世紀ビルディングにある美容院を訪れた。その美容院の店長が実はグレープバインにレモンタルトケーキを買いに来る女性、リーホァだった。リーホァは独身だったが、妻のいる男性と不倫関係にある。実はレモンタルトは不倫相手の男のお気に入りだったのだ。

たどり着けない3つの愛が、台北の空を浮遊しているようなラブコメディで、レモンのような苦くも甘い後味がある。誰も恋を実らせることは出来ず、恋愛の不毛を感じさせるが、それでも心を通い合わすことの出来たわずかな時間が、頬を緩ませてくれるような淡い喜びとして残る。

 

実は、劉役のチェン・ジンシンは映画の裏方スタッフであり、リリー役のリャオ・ホイヂェンはテレビ業界のマネージャーで、二人とも見た目からしてそうだが俳優ではない。ある意味、光の当たらない人物を表に出すことで、市井の人々のさりげない悲しみと喜びを浮かび上がらせることに成功しているように思う。

チェン・ユーシュンは、その後、映画監督から離れてしまっているそうで、現時点でも「ラブゴーゴー」は監督2作目にして最後の作品となっているようだ。台湾映画がある意味最もポップであり得た時代の記念碑的作品である。

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2019年10月20日 (日)

コンサートの記(599) ラルフ・ワイケルト指揮 京都市交響楽団第639回定期演奏会

2019年10月11日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第639回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はオーストリアの名匠、ラルフ・ワイケルト。NHK交響楽団を始めとする東京のオーケストラへの客演でも知られており、派手さはないがドイツ本流の玄人好みの演奏をする指揮者である。

ブルックナーが眠るザンクト・フローリアン大聖堂のある、オーストリアのザンクト・フローリアンの生まれ。リンツ・ブルックナー音楽院に学んだ後、ウィーン国立音楽大学でハンス・スワロフスキーに指揮法を師事。1965年にコペンハーゲンで行われたニコライ・マルコ指揮者コンサートで優勝している。その後、ベートーヴェンの生地にあるボン歌劇場の音楽監督を務め、ザルツブルク・モーツァルティウム管弦楽団の首席指揮者やチューリッヒ歌劇場の音楽監督などを歴任。ドイツ語圏を始め、アメリカや北欧の歌劇場でも活躍を続けている。ワーグナーの演奏には定評があり、2004年から2015年までイギリスのワーグナー・フェスティバル・ウェールズの音楽監督を務めている。
私がNHK交響楽団の定期演奏会に足繁く通っていた頃にもN響に客演している。調べてみると1997年3月のことで、この月はABCと3つある定期演奏会の指揮者が全部違っている。よく通っていたC定期にはイヴァン・フィッシャーが客演、ブラームスの交響曲第1番などを振っている。この演奏はNHKホールで聴いたが、この頃のイヴァン・フィッシャーは音楽に夢中になりすぎてしまう癖があり、スマートではあったが奥行きに欠ける演奏だったのを覚えている。ワイケルトはB定期に登場し、オール・ワーグナー・プログラムを振っている。A定期を振ったのは実は朝比奈隆で、あの伝説のブルックナーの交響曲第8番の演奏がこの時であった。朝比奈のブルックナーだというので、私は1回券を買って3階席の上の方で聴いている。つまりこの月はワイケルトだけ聴いていなかったということになる。
ただ当時はNHKの定期演奏はBS2(現在のBSプレミアム)で全て放送されてたため、VHSで録画して(VHSの時代なんですね)、気に入った演奏のいくつかはミニディスクにダビングして(ミニディスクがまだ注目を浴びていた時代だったんですね)コンポのスピーカーで聴いていたのだが、その中にワイケルト指揮のワーグナーもあり、出来の良さに感心したのを覚えている。

 

曲目は、モーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」とブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」(ノヴァーク版第2稿)。ちなみに今日はブルックナーの忌日である(1896年10月11日没)。

 

プレトークに登場したワイケルトは、まず京都の街を「美しくて興味深い(Beautiful and intresting)」と形容し、京都市交響楽団については「圧倒させられ、楽しい時を過ごすことが出来た」と喜ばしげに語った。
その後、生地であるザンクト・フローリアンゆかりのブルックナーと交響曲第4番の楽曲解説を行う。ザンクト・フローリアン大聖堂にはドイツ語圏最大級のパイプオルガンがあることを紹介し、オルガニストとしてのブルックナーはそこを拠点としていたことを語る。今では交響曲作曲家として知られるブルックナーだが、遅咲きであり、交響曲を書くようになったのは40歳を過ぎてから。それ以前は、ヨーロッパで最高のパイプオルガン奏者として尊敬されていたことなどを述べてから「ロマンティック」の内容に入る。第1楽章第1主題は全曲を通して登場すること、第2主題は鳥の鳴き声(シジュウカラらしい)であることや、第2楽章はシューベルトの楽曲との共通点のある行進曲だということ、第4楽章のラストは天国へのはしごを登っていく過程を描いていることなどを語る。
モーツァルトについては、「皆さんよくご存じでしょうから」ということで、ブルックナーほどには細密に語らなかったが、6楽章からなるセレナードの楽章を2つカットして交響曲に改めた曲で、第4楽章は「驚くほどの速さで」演奏するよう指定されていることなどを話した。ブルックナーの曲が長いので短めの交響曲を選んだという。
ワイケルトの著者の邦訳が最近出たため、その宣伝も行っていた。
最後にワイケルトは、通訳を務めた小松みゆきの手にキスして一緒に退場する。

 

コンサートマスターに泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平といういつもの布陣。ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏だったが、モーツァルト、ブルックナー共に音の受け渡しがよく分かって効果的であった。ブルックナーが大曲だということで、管楽器の首席奏者のほとんどは後半の「ロマンティック」のみの参加であった。

 

モーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」。指揮台の前に譜面台は置かれているが、総譜は乗っておらず、暗譜での指揮となる。
音の強弱とメリハリをはっきりつけた、完全な古典スタイルの演奏である。この曲ではバロックティンパニを使用し、強打させる。オーボエにかなり思い切ったベルアップを要求するのも特徴。テンポもかなり速めであり、反復を採用しているにも関わらず演奏時間が短くなる。典雅さの中に時折浮かび上がる暗い影を丁寧に描いているのも印象的である。

 

ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」。「ロマンティック」はブルックナーの交響曲の中でも異色作であり、三十年ほど前まではブルックナー入門曲としてよく聴かれたのだが、近年ではブルックナーの交響曲というとなんといっても後期三大交響曲であり、ブルックナー入門曲も交響曲第7番に取って代わられた感がある。ただ下野竜也などブルックナーの初期交響曲を積極的に取り上げている指揮者はいるため、今後また人気を取り戻す可能性もある。
冒頭は中庸のテンポで良く歌うが、鳥の鳴き声だと紹介した第2主題ではグッと速度を上げるなど、ブルックナーがロマン時代を意識して作曲していることを強調した解釈である。近年ではパーヴォ・ヤルヴィが「ロマンティック」でこうした解釈を取り入れているが、パーヴォの場合は成功とはいえず、RCAへの録音は物議を醸している。ただワイケルトの場合はそれほど極端ではないため、説得力のあるブルックナー演奏へと昇華される。特筆すべきは詩情の豊かさである。ブルックナーが実際に見た景色を見て育ったからか、あるいは感性の豊かさ故か、「野人」などと称されることもあるブルックナーの詩人としての側面をはっきりと描いている。朴訥で小心だったといわれるブルックナーだが、それだけでは後世まで残る作品を書くことは出来なかったであろう。そういえば、ブルックナーの伝記を読んでいて、「誰かに似てるな」と思ったことがある。思い当たったのはハンス・クリスチャン・アンデルセンであった。
ブルックナーの金管の使い方に関しては「オルガンの音を模している」ことがよく知られており、京響のトロンボーンは第1楽章のクライマックスで本物とオルガンと見まがうほどの音色を生み出していたが、フルートやオーボエなどの木管も音を重ねることでオルガンの高音に似るよう工夫されていることも今日の演奏だとよく分かる。
京響も関西最強のブラスや輝きと透明感と威力のある弦楽(ブルックナーではヴィオラが重要になるのだが、京響はヴィオラも強い)、リリカルな木管などいずれも秀でており、「これは本物」と感服する出来のブルックナーに仕上がった。

 

ワイケルトの著書を買い、終演後はサイン会にも参加する。

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2019年10月19日 (土)

観劇感想精選(321) 南座新開場記念 藤山直美主演 「喜劇 道頓堀ものがたり」

2019年10月13日 京都四條南座にて観劇

午後4時から、京都四條南座で「喜劇 道頓堀ものがたり」を観る。三田純市の小説『道頓堀』を原作とする作品。脚本:宮永雄平、演出:浅香哲哉。主演:藤山直美。出演:喜多村緑郎、河合雪之丞、松村雄基、鈴木杏樹、石倉三郎、春本由香、辻本祐樹、三林京子、大津峯子、林与一ほか。セリフらしいセリフを貰えていない役ではあるが、吉本新喜劇の「横顔新幹線」こと伊賀健二や京都の小演劇界で活躍している岡嶋秀昭なども出演している。

道頓堀に大阪松竹座を持っている松竹であるが、今回は南座新開場記念として敢えて京都で上演される。藤山直美は藤山寛美の娘ということで大阪のイメージが強いが、実は京都女子高校出身であり、京都に縁のある人である。

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「喜劇 道頓堀ものがたり」は平成12年11月に大阪松竹座で初演された作品で、道頓堀五座と呼ばれた5つの劇場(中座、浪花座、朝日座、角座、弁天座)が建ち並び、日本屈指の演劇街であった時代の道頓堀を描いている。道頓堀五座のうち、現在も稼働している劇場は実は一つもない。最も権威のあった中座もすでに解体され、跡地には中座くいだおれビル(現在は、くいだおれ太郎はここにいる)が建ち、地下に演劇も上演できる2つのライブハウスを持っているが、昔ながらの芝居が上演されることはまずない。角座は戦災で焼失した後に映画館になったり演芸場として生まれ変わったりしていたが、今は場所も移転し、道頓堀の劇場ではなくなっている。

松竹の芝居ということで、創設者の一人である白井松次郎が登場。松村雄基を配して(実は初演時の白井松次郎を演じていたのも松村だという)やたらと男前に描かれている。

 

歌舞伎から喜劇に転じることになる尾野川菊之助(喜多村緑郎)を妻として支えることになるお徳(藤山直美)が主人公。お徳は父に先立たれたため奈良から大阪に出てきたのだが、道頓堀で芝居に目がくらんでしまって通い詰めているうちに金がなくなり、芝右衛門狸のようにアオタ(芝居のただ見)を行って劇場から叩き出される。その場にいた芝居茶屋・菊濱の女将である菊乃(三林京子)に「そんなに芝居が好きなら」ということで、お茶子として引き取られることになったお徳は、実は最も好きな役者である菊之助が生まれ育ったのがここ菊濱と知り、菊之助に出会うと卒倒するほどに喜ぶ。
その菊之助であるが、華があり人気もあって将来の尾野川一座の看板となる資質十分なのだが、先代の型に従わず、独自の演技をしてしまうため、周囲からの評判が悪い。そこで師匠である尾野川延十郎(林与一)によって弟分である女形の尾野川あやめ(女形の場合は弟分でいいのだろうか? 演じるのは河合雪之丞)と共に喜劇劇団に移籍させられることになる。当初は見捨てられたと感じ、一日も早く歌舞伎に復帰することを願う菊之助だったが……。

 

人情芝居であり、難しい部分も特にない。実話も絡めた庶民向けの話であり、大阪や道頓堀に通い慣れている人にはとても面白く感じられるだろう。喜多村緑郎、河合雪之丞、林与一といった歌舞伎畑出身の俳優による「恋飛脚大和往来」より“封印切の場”や「瞼の母」の稽古シーンなどが劇中劇として入っているのも芝居好きには一粒で二度美味しいといったところだ。

基本的に藤山直美のキャラで持たせている芝居であるが、他の役者も好演。尾上松助の娘で尾上松也の妹である春本由香は生まれつきなのか環境の方が大きいのかは分からないが華があり、演技のセンスも高い。実は関西出身である鈴木杏樹は慣れた感じの大阪弁による台詞回しが魅力的であった。

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2019年10月18日 (金)

コンサートの記(598) 第23回京都の秋音楽祭『3つの時代を巡る楽器物語』第1章ショパンとプレイエル(フォルテピアノ:川口成彦)

2019年10月5日 京都コンサートホール アンサンブルホールムラタにて

午後3時から、京都コンサートホール アンサンブルホールムラタで第23回京都の秋音楽祭『3つの時代を巡る楽器物語』第1章ショパンとプレイエルを聴く。今年から足かけ3年に渡る企画の第1回である。ショパンが生きていた時代のプレイエル社製のフォルテピアノを使用してショパン作品を弾くという企画。ピアニストは、第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール第2位入賞者である川口成彦(なるひこ)が登場する。

川口成彦は、1989年盛岡市生まれ、横浜市育ちの若手ピアニスト。先に書いた第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール2位のほか、ブルージュ国際古楽コンクール・フォルテピアノ部門最高位、第1回ローマ・フォルテピアノ国際コンクール優勝という華麗なキャリアを誇っている。東京藝術大学と同大学院修了。二十歳の頃からフォルテピアノに触れるようになり、古楽の本場であるオランダのアムステルダム音楽院古楽科修士課程に進んで古楽を本格的に研究するようになる。現在もアムステルダム在住。フォルテピアノを弾くことが多い様だが、勿論、モダンのピアノフォルテも演奏する。

 

当然ながらオール・ショパン・プログラムである。前半はショパンがジョルジュ・サンドとノアンで過ごした時期に書かれたものを並べ、ワルツ第12番、夜想曲第15番、バラード第3番、前奏曲嬰ハ短調、即興曲第2番、「舟歌」が弾かれる。後半は、ショパンがサンドとマヨルカ島に滞在していた時期を中心に書かれた24の前奏曲の演奏である。

楽器は1843年製のプレイエル マホガニーケース 製造番号No.10456(タカギクラヴィア所有)のフォルテピアノが使用される。フォルテピアノであるが、製作時期が比較的新しいため、モーツァルトやベートーヴェンの時代のフォルテピアノとは響きがやや異なる。近年、ヨーロッパのピアニストを中心に、モダンピアノフォルテを使いながらペダリングやタッチを工夫して古楽風の音色を出すことが流行っているが、その音色に近い。

 

川口はマイクを手にトークを挟みながらの演奏を行う。ショパンは二十歳近辺の頃に(ショパンは正確な生年がわからない人である)ポーランドを離れてウィーンに渡るのだが、タイミングが悪かったのかウィーンでは活躍することが出来ずにパリに移る。そしてパリで出会ったのがフランスのピアノメーカーであるプレイエルのピアノである。プレイエル社もショパンを全面的にサポートし、マヨルカ島にショパンが渡った時にはピアニーノという小型のアップライトピアノをショパンに送っており、ショパンはその楽器で作曲を行ったとされる。また完成した24の前奏曲はその縁でプレイエル社のカミーユ・プレイエルに献呈されている。ノアンのサンドの邸宅にもプレイエル社はピアノを送っており、ショパンが作曲と演奏を行った。
ベートーヴェンやリストは作曲を行う際に虚勢を張るようなところがあるが、ショパンは素直にピアノに向かって音楽を語る人であり、その点でシューベルトに似ていると川口は語る。

残された記録によると、ショパン自身は毎回のように即興を取り入れており、楽譜通りに演奏されたことはほとんどなかったそうだが、川口のピアノも緩急自在であり、たまにであるが音を足すこともある。

モダンのピアノで弾くと、ロマンティシズムが前面に出されることの多いショパンの音楽であるが、フォルテピアノで聴くとある種の親密さが増し、等身大で語りかける音楽へと傾いてくるのが感じられる。ショパンの時代はまだコンサートホールでなくサロンなどで演奏されるのが一般的であったが、その意味では川口が奏でるのはサロン的なショパンともいえるだろう。

夜想曲第15番は、今日弾くフォルテピアノが製作された1843年に作曲された作品だそうである。ショパンは33歳か34歳。青年期を過ぎて、これからが更に期待される年齢であるが、ショパンは生まれつき体が弱く、すでに結核も患っていて、6年後の1849年に若くして他界することになる。

 

メインである24の前奏曲は24の調を使って書かれた意欲作。バッハに倣っての作曲であり、今でもピアノ作品の最高峰の一つに数えられる。一方で、難度や作風、長さなどがバラバラであり、表現が難しい。第2番、第4番、第6番(元々はこの曲が「雨だれ」だったとされる)などは、私も弾いたことがある技巧的には平易な曲であるが、いずれも沈鬱な曲調を持ち、場合によっては不気味だったりする。川口はそうした要素は意識はしているが大袈裟にはならないよう心がけた演奏を行っているように思われた。大時代的なショパン像は巨大ホールが出現した19世紀後半から20世紀初頭に掛けて形作られたもので、ショパンが生きていた頃には目の前の少数の聴衆を相手にしているということもあって、いい意味で抑制された演奏が行われていたのだと思われる。
「太田胃散の曲」として知られる(?)第7番では速めのテンポを採用。CMサイズの演奏とは違った自由感を出していた。
24の前奏曲の中で最も有名なのは「雨だれ」というタイトルのついた第15番だと思われる。この曲も私が弾けるほど技術的には平易なのだが、かなりドラマティックに演奏されることが多い。ショパンの名手として知られたアルフレッド・コルトーなどは、寝た子をあやす母親の前に悪魔が現れて子どもを襲おうとするというおどろおどろしい内容の詩をこの曲につけているが、そうした物語的な演奏をする人はコルトーに限らず多い。ただ川口の場合はショパン本人の声を探ることに徹しているように聞こえる。オーケストラ音楽もそうだったが、ピアノも古楽的な解釈が進むことによって演奏スタイルが今後もどんどん変わっていきそうな気がする。

アンコールは2曲。まずはワルツ第9番「別れのワルツ」。この曲はサンドではなく、ライプツィッヒで出会って一目惚れした女性と別れるときに書かれたとされる曲である。甘口だったり感傷的に弾かれることも多いが、川口の「別れのワルツ」は比較的さっぱりしている。フォルテピアノの音色も大きく影響しているだろう。

2曲目は、歌曲として書かれた「春」ト短調を自らピアノ用に編曲したものが弾かれる。過ぎた春を回顧する趣の楽曲であるが、川口の弾くフォルテピアノからはノスタルジックな音色と音型とイメージが次々と溢れ出てきていた。

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2019年10月17日 (木)

2346月日(17) ラボカフェ「社会と表現の相互作用-フィンランド近現代史と陶芸」

2019年9月16日 京阪なにわ橋駅アートエリアB1にて

午後2時から、京阪電車なにわ橋駅アートエリアB1で、ラボカフェ「社会と表現の相互作用-フィンランド近現代史と陶芸」を聴く。すぐそばにある大阪市立東洋陶磁美術館で開催されている「フィンランドの陶芸 芸術家たちのユートピア-コレクション・カッコネン」との連携プロジェクトである。ゲストは、石野裕子(国士舘大学文学部史学地理学科准教授)と宮川智美(大阪市立東洋陶磁美術館学芸員)。カフェマスターは、當野能之(大阪大学言語文化研究科講師)。

石野裕子は、フィンランド史が専門。フェリス女学院大学文学部を経て、津田塾大学大学院国際関係学研究科博士課程単位取得退学後に博士号取得。中央公論社から『物語 フィンランドの歴史』を上梓している。

 

日本で北欧関係というと、東海大学の文化社会学部に北欧学科(旧文学部北欧学科。その前は文学部北欧文学科であった)があるだけであり、フィンランド語を専攻できるのもここが唯一。専門家を生み出す課程自体は少ないということで、日本では一般に北欧のイメージは良いが、北欧の歴史や文化までもが熟知されているというわけではない。

カフェマスターの當野能之が所属している大阪大学言語文化研究科は、外国語学部の研究科で、大阪大学の外国語学部は大阪外国語大学時代から日本で最も多くの言語を教える外国語学部であったが、スウェーデン語専攻はあるものの、フィンランド語のコースは残念ながらないそうである。フィンランド語は他のヨーロッパ言語とは異なる構造を持つことで知られている。

 

まず石野裕子によるフィンランド現代史の概説が述べられ、次いで宮川智美による大阪市立東洋陶磁美術館で開催中の「フィンランドの陶芸 芸術家たちのユートピア-コレクション・カッコネン」展示作品の解説がある。

フィンランドは約600年に渡ってスウェーデンの統治下にあり、公用語はスウェーデン語だけで、フィンランド語は農民達が話す言葉であった。支配層はスウェーデン系が多く、スウェーデン語が話されていた。それが1809年にスウェーデンとロシアの間で2度目の戦争があり、ロシアが勝利して、フィンランドはロシアに割譲される。ここにフィンランド大公国が生まれ、フィンランドはロシアの中の一国となる。フィンランド大公はロシア皇帝が兼任しており、独立を果たしたわけではなかったが、フィンランド人による自治が認められ、やがて公用語にフィンランド語が加わることになる。
その後、アレクサンドル2世の時代にフィンランドの自由化があり、フィンランドは「自由の時代」を迎えるが、アレクサンドル2世が暗殺され、ドイツの台頭が顕著になると、ロシアはフィンランドへの締め付けを強化し始める。エートウ・イストの風刺画「攻撃」が描かれたのがこの頃だそうだ。

1917年にロシアで2月革命が起こると、フィンランドは同年12月6日に独立を宣言する。だが、そのまますんなりとは進まず、親ソ連派の赤衛隊と親ドイツ派の白衛隊に分かれて内戦が起こり、白衛隊が勝利したが、フィンランド人同士での殺し合いが発生し、約3万人が犠牲になったという。
更に第二次世界大戦ではソ連と戦い、冬戦争と継続戦争という2度の戦いにいずれも敗北(2つの戦争は日本の人気漫画に出てくるそうで、若い人の間では知名度が高いそうだ)。フィンランドはカレリア地方を含む国土の10分の1を失い、多額の賠償金を支払うことになる。
フィンランドが世界に復興を示すのは、1952年のヘルシンキ・オリンピックを待たなければならなかった。ちなみに1940年の東京オリンピックが返上された時、次点であったヘルシンキが開催地に決まったが、大戦が始まってしまったため中止となっている。1940年のヘルシンキ・オリンピックのためにデザインされたポスターは、1952年のヘルシンキ・オリンピックのポスターとして年号だけ変えて使用されたそうである。

 

宮川智美によるフィンランド陶芸の解説。ラボカフェの最初の挨拶で、當野能之がフィンランドの陶芸について、「(イメージと違って)意外だった」と述べていたが、大阪市立東洋陶磁美術館の「フィンランド陶芸」に並ぶ作品は、バラエティに富み、「フィンランドのデザイン」と聞いて思い浮かべるすっきりとしたものもあるがそうでないものも多い。
ただ、まずはもう一つの展示であるマリメッコについてから。フィンランドを代表するテキスタイルブランドのマリメッコ。「マリのドレス」という意味だが、マリというのは、創設者の一人であるArmi Ratiのファースネームの綴りを変えたものに由来しているという。ジャクリーヌ・ケネディなどがマリメッコの衣装を愛用したことで、「知識人のユニフォーム」と言われた時代もあったようである。

そしてフィンランドの陶芸史。
フィンランドの陶芸に偉大な足跡を残している人物は二人いる。アルフレッド・ウィリアム・フィンチとクルト・エクホルムであるが、二人ともフィンランド人ではない。フィンチはイギリス系両親の下、ベルギーに生まれ育ち、ベルギーで画家として活動した後に陶芸にも乗り出し、実践的な芸術運動であるアーツ・アンド・クラフト運動に乗る。やがてフィンランドに招かれ、1897年に設立されたアイリス工房で陶芸を指導。アイリス工房自体は5年の歴史しか持たずに閉鎖されてしまったが、1900年のパリ万国博覧会のフィンランド館にアイリス・ルームなる展示を行い、評判を呼んでいる。アイリス工房閉鎖後は、フィンチはアテネウム(工芸中央美術学校)の教師となり、後継者の育成に尽力。フィンランドを代表する陶芸作家達を生み出していった。
クルト・エクホルムは、スウェーデン出身。ストックホルムで陶磁器デザインを学び、ヘルシンキのアラビア地区に生まれたアラビア製陶所を率いて活躍していく。クルト・エクホルムは陶芸作家でもあったが、批評家としても活動し、実績を残しているようだ。
スウェーデンの陶芸会社であるロールストランド製陶所が税制優遇のためにヘルシンキに作ったのではないかといわれるアラビア製陶所。エクホルムはこの製陶所美術部門のディレクターとなる。ここに所属する陶芸作家達は、社員ではあるが、製陶所の売り上げに繋がる作品を制作するよりも、個々の個性に根ざした作品を作ることが奨励されるという恵まれた環境にあった。社員に女性が多かったのも特徴である。フィンランドでは昔から女性の地位は諸外国に比べて高かったようである。
ただ、アラビア製陶所の作風は凝っていたため、「ライオンとコーヒーカップ」論争というものが起こり、陶器はもっと実用的なものであるべきだという立場の人々からは「ボタンホールの飾りに過ぎない」と批難された。これを受けて、機能主義的な作品を生み出していったのがカイ・フランクらである。カイ・フランクの作風などはシンプルですっきりとしていてそれでいてチャーミングというアルヴァ・アアルトに代表されるいわゆる北欧デザイン的な特徴が表れている。ただ、カイ・フランクらの作風だけがフィンランド陶芸ではなく、もっと多様性を持つのがフィンランド陶芸なのだそうだ。

 

再び、石野裕子による講義「19世紀フィンランドの芸術とナショナリズム」
アレクサンドル2世時代にフィンランド語が公用語となったとき、人々はフィンランド人のアイデンティティを求めるようになる。「もうスウェーデン人ではない。ロシアン人にもなれない。ならばフィンランド人で行こう」という言葉と共に、ナショナリズムが勃興する。
フィンランド的なるものを追求した時に注目されたのだが、叙事詩「カレワラ」である。スウェーデン系フィンランド人であるシベリウスも「カレワラ」を題材にした「クレルヴォ」交響曲を書き、同じくスウェーデン系フィンランド人の画家であるアクセリ・ガッレン=カッレラは「カレワラ」を題材にした絵画を制作している。

一方、文学の方は、ルーネベリとトペリウスというスウェーデン系の作家が生まれた。ただ当然ながら、スウェーデン語での文学であり、フィンランド語による本格的な文学の誕生は、フランス・E・シッランパーの登場を待たねばならなかった。

それまでスウェーデンとロシアという二つの大国の間に押し込められてきた感のあったフィンランドに、「ヨーロッパの一員となりたい」という希望が生まれ、「ヨーロッパへの窓を開けよ」を合い言葉に、松明を掲げる者たちと呼ばれた人々が勢いを増す。ヨーロッパの文化が盛んに取り入れられるようになるのだが、当時の、特にフランスではジャポニズムが流行っており、フィンランドの画家達もそれを間接的に受け入れて、「カレリア」の挿絵を浮世絵の手法を入れて描いたりしているそうである。
この頃、フィンランドは右傾化し、男子学生は「大戦で奪われたカレリアを取り戻せ」としてカレリア学徒会に参加、女子学生は「良き家庭」を理想としたロッタ・スヴァルトという保守的団体にこぞって加入する。
こうしたナショナリズムは言葉と密接に関係しているが、言葉を用いない陶芸や絵画はそれにとらわれない自由さがあり、ナショナリズムでひとくくりには出来ないというのが石野の意見のようである。

フィンランドは人口が約500万人と少ないので個を大切にする教育が行われており、またフィンランドに限らず北欧全体にいえることだが、芸術への手厚い保護があり、例としてシベリウスが若い頃から生涯年金を貰っていたという話をする。アラビア製陶所も企業ではあるが、売れ線のものを作らずに個性を発揮させることが許されていた。そのため、バラバラな個性の陶芸が生まれたのではないかというのが石野の想像のようである。

フィンランド的なデザインとしてよく挙げられるアルヴァ・アアルトとの関係であるが、二人とも建築やデザインは専門ではないのでよくわからないとしていたが、カイ・フランクなどは多分にアアルト的であり、人間の自然にフィットしているように感じられる。これはシベリウスの音楽にも共通することである。

 

思えば、私がシベリウス以外でフィンランドについて注目したのは、ヘルシンキ大学の学生だったリーナス・トーバルズが、UNIXをベースとして生み出したLinuxが初めであった。Linuxは個々が自由に改良できるオープンソースOSであり、個性や多様性を許したプログラムである。また汎用性豊かという意味で極めて機能的である。Linuxがフィンランド的なるものに根ざしているのかどうかはわからないが、少なくとも「発想」に関してはフィンランドのような歴史を持つ国からでないと生まれないような気がする。

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美術回廊(39) 大阪市立東洋陶磁美術館 特別展「フィンランド陶芸 芸術家のユートピア」&「マリメッコ・スピリッツ フィンランド・ミーツ・ジャパン」

2019年7月18日 大阪市立東洋陶磁美術館にて

中之島と堂島川を隔てて向かいにある大阪市立東洋陶磁美術館で特別展「フィンランド陶芸 芸術家のユートピア」「マリメッコ・スピリッツ フィンランド・ミーツ・ジャパン」を観る。多くの作品は撮影可である。午後5時閉館で、東洋陶器美術館に入ったのが午後4時20分頃であったため、駆け足の鑑賞になる。

フィンランドの陶芸を興隆させたのはアルフレッド・ウィリアム・フィンチ(1854-1930)という人物であり、その弟子達によって更なる発展を遂げている。
「フィンランド陶芸」では、フィンチの弟子であるミハエル・シルキン(1900-1962)、ルート・ブリュック(1916-1999)、ビルゲイ・カイピアイネン(1915-1988)らの作品を中心とした展示が行われている。
トーベ・ヤンソンの画風を思わせるような愛らしい作品もあるが、ターコイズブルー1色の陶器や白と青のシンプルな作品なども北欧らしくて気に入る。

「マリメッコ・スピリッツ」は、テキスタイルのブランドであるマリメッコの展示会。1974年生まれのパーヴォ・ハロネン、1982年生まれのマイヤ・ロウエカリ、1983年生まれのアイノ=マイヤ・メッツォラの3人の若い作家の「JAPAN」をテーマにした作品が展示されている。展示のラストには今回の展覧会のために制作された茶室の展示がある。趣もあるが白木の香りがなんともいえず心地よい。

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2019年10月16日 (水)

これまでに観た映画より(133) 「レディ・マエストロ」

2019年10月10日 京都シネマにて

京都シネマでオランダ映画「レディ・マエストロ」を観る。原題は「The Conductor」という意味深なものなのだが、日本でこの映画を観る場合に「The Conductor」だと意図が伝わりにくいためにタイトルが変えられたのだと思われる。監督・脚本はマリア・ペーテルス。出演は、クリスタン・デ・ブラーン、ベンジャミン・ウェインライト、スコット・ターナー・スコフィールドほか。セリフはオランダ語と英語が用いられており、少しだがドイツ語も登場する。音楽監督はステフ・コリンヨン。
女性指揮者の草分け的存在であるアントニア・ブリコ(1902-1989)の肖像を描いた映画である(全ての人生が描かれているわけでない)。アントニアを演じるのはクリスタン・デ・ブラーン。

1926年(日本だと大正15年=昭和元年)のニューヨーク。クラシック音楽好きで才能にも恵まれたオランダからの移民であるウィリー(クリスタン・デ・ブラーン)はカーネギーホールの客席案内係(レセプショニスト)として働いている。当時のニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団(ニューヨーク・フィルハーモニックの前身)は指揮者は勿論、楽団員全てが男性で占められており、オーケストラ絡みで女性が就ける仕事は客席案内係ぐらいのものだった。

この日は同郷の大巨匠指揮者であるウィレム・メンゲルベルクが指揮台に立って、十八番であるマーラーの交響曲第4番を指揮するということで、ウィリーも興奮気味であり、仕事でミスを犯したりもする。ただ、客席案内係はコンサート本番を聴くことは許されない。ウィリーは本番中、誰もいないと思った男性用トイレに入り、漏れてくる音楽に心奪われて、箸を指揮棒代わりに(どうやら箸で食事をする習慣があるようである)鏡に向かって生き生きと指揮を続ける。が、その時に、男が一人、男性用トイレに入ってくる。富豪の息子のフランク(ベンジャミン・ウェインライト)だ。「衛生面での点検だ」と誤魔化したウィリーはその後、大胆な行動に出る。第1楽章が終わった後で、持ち運び用の椅子を手にカーネギーホールの中央通路を進み、指揮者であるメンゲルベルクの真後ろに陣取って曲を聴こうとしたのだ。メンゲルベルクも複雑な表情を浮かべるが、第2楽章の指揮を始める。だが、それを見たフランクは激昂。ウィリーをホールの表へと叩き出してしまう。
結局、ウィリーは客席案内係の仕事をクビになったことを契機に、本格的に音楽の道に進むことを決意。指揮者を夢見て、ブラスバンドの指揮者であったゴールドスミスに頼み出て弟子にして貰い、名門UCバークレー(カリフォルニア大学バークレー校)の音楽学部の試験にも合格。ただその後ゴールドスミスがウィリーを女として意識し、関係を迫ったことで関係は破綻する。音楽学校の学費を稼ぐためにタイピストや接客業の職に就こうとするも気位の高さが伝わるのか、有能さを示しても落ちてばかりのウィリー。ナイトクラブのベース奏者であるロビン(スコット・ターナー・スコフィールド)に気に入られてロビンのいるバンドのピアニストに決まり、グリーグの「トロルドハウゲンの結婚行進曲」を弾いていると、ロビンはジャズ風に編曲した「トロルドハウゲンの結婚行進曲」を弾いて見せ、連弾を行う。

フランクはゴールドスミスと友人であり、豪奢なフランクの自宅で音楽家を招いたパーティーがあるということで、ゴールドスミスから招かれるのだが、ゴールドスミスは急用で帰宅。ウィリーはゴールドスミスとの関係が破綻した後でもフランクとの仲を深めていく。

だが、ウィリーは祖国のアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の指揮者であるメンゲルベルクに師事しようと決めており、オランダに行く決意をしていた。アメリカで一緒になって欲しいと言うフランクからのプロポーズにウィリーは迷う。フランクはともかくとして、彼の母親はウィリーが「指揮者になりたい」という夢を語ると一笑に付す。本格的な女性指揮者などまだ一人もいない時代。日本で例えるなら、女でありながら「大相撲の横綱になりたい」と言っているのと同様の世迷い言としか聞こえないのだった。

実は、ウィリーは両親の実の子ではないことが判明する。音楽家への道を進むことに反対した母親がつい明かしてしまったのだ。ウィリーは出生時の名であるアントニア・ブリコとして指揮者への道を進み始める。

コンセルトヘボウでアントニアはメンゲルベルクと出会う。弟子入りを懇願するが、メンゲルベルクはフランクの友人であったため、フランクに相談の手紙を書き、アントニアと結婚したいフランクはメンゲルベルクに「アメリカに帰れ」と言ってくれるよう頼む。結局、メンゲルベルクの弟子にはなれなかったアントニアだが、メンゲルベルクの推薦状を得てベルリンに向かい、ドイツの大指揮者であったカール・ムックに会いに行って弟子入りが許される。ベルリン国立音楽アカデミーの指揮科の定員は2人のみであったが、この難関も突破。若い女性が指揮者ということで反発しがちなオーケストラ団員達をも納得させていき、最終的にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮台に立って、コンサートを成功に導く。
だが、アメリカではゴールドスミスが腹いせからアントニアへの批判をマスコミにばらまいており、女性からも「女が男性達に指揮棒で指示を行うなんて」と反発を受ける。ニューヨーク・フィルとの演奏は成功したが、次に舞い込んだのは失業した音楽家が結成したオーケストラを指揮する仕事。いやいや引き受けたアントニアだが、ある日、リハーサルに行くと、女性団員しか来ていない。ニュージャージ-交響楽団が楽団員を募集しているということで、男性団員達は全員オーディションを受けに行ってしまったのだ。ちなみに女性はオーディションを受ける資格はないという。アントニアは女性楽団員のみによるオーケストラを結成し、女であっても音楽家たり得るのだということを示そうとする……。

日本に限っても、先日、沖澤のどかがブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、ブザンソン国際指揮者コンクール覇者の先輩である松尾葉子、宝塚男役風ルックスでも人気の西本智実、小柄な体から力強い音楽を生み出す三ツ橋敬子、北欧のスペシャリストとして活躍する新田ユリなど、今は女性指揮者は珍しくもなんともないが、アントニア・ブリコが指揮者を志していたのは、「女は将軍と指揮者にだけはなれない」と言われていた時代であり、女性でありながら指揮者を生業としていることへの反発は今とは比べものにならないほど強かった。そんな中で快進撃を続けるアントニアのサクセスストーリーとして描かれているように見えるのだが、ラストの字幕でアントニアが結成したニューヨーク女性交響楽団はアントニアが男性団員の入団を許したことで注目を失い、4年で解散。アントニアは生涯、有力楽団の首席指揮者のポジションには就けなかったことが語られる。更には2017年現在でも、世界の指揮者トップ50の中にも女性の名はないということで、集団を率いる職業である指揮者に女性がなることの困難が示される。ハンブルク州立歌劇場の総支配人として活躍したシモーネ・ヤングやアメリカの上位楽団であるボルティモア交響楽団の音楽監督を務めるマリン・オールソップなど有名指揮者も当然いるが、オペラ歌手は勿論、ヴァイオリンのアンネ=ゾフィー・ムターやチョン・キョンファ、ピアノのマルタ・アルゲリッチや今はイギリス国籍になったが内田光子など世界トップランクに数えられる演奏家も多い器楽分野に比べても指揮分野における女性進出はなかなか進んでいかないのが現状である。古典派を不得手とする女性指揮者が多いこと、ブラームスやブルックナーなど女性には理解しづらい音楽がコンサートのメインレパートリを占めているということもあるのだろうが、「そもそもクラシックの作曲家といえば男性のみ」「指揮者も楽団員も男性のみ」という時代が長かったことが影響してもいるのだろう。ベルリン・フィルが女性団員の入団を正式に認めたのだが1980年代後半(その前にザビーネ・マイヤー事件というものがあり、女性クラリネット奏者であるザビーネ・マイヤーを強烈に推して入団させたヘルベルト・フォン・カラヤンがベルリン・フィル団員の猛反発にあり、関係が悪化。マイヤーは身を引いたが、最終的にはカラヤンはベルリン・フィルの終身芸術監督辞任に追い込まれている)、ウィーン・フィルに至っては、世紀が変わろうかという時まで「入団出来るのは男性のみ」という姿勢を貫き続けていた。
「世界のトップランクのオーケストラ」と聞いてクラシックファンなら誰でも思い浮かべるような楽団のトップとして君臨している女性指揮者はゼロ。日本でも人気はあるがポジションが得られていない女性指揮者がほとんどで、東京に9つあるプロオーケストラや日本各地の都市の顔となるオーケストラのトップに立っている女性指揮者は一人もいない。芸大の指揮科教授として多くの教え子を生み出した松尾葉子も、出身地である名古屋に本拠を置くセントラル愛知交響楽団常任指揮者という地位が最高。人気指揮者である西本智実も日本フィルハーモニー交響楽団のミュージック・パートナーが一番上のポジションで、仕方がないので自分で結成したオーケストラを率いている。テレビ出演も多い三ツ橋敬子は現時点では本拠地なしの状態で、客演生活が続いている。新田ユリも北欧音楽には強いがポストは愛知室内オーケストラという定期演奏会を年に2回ほどしか行えない団体のものを得られているのみである。ある意味、アメリカにおける女性大統領並みの「ガラスの天井」を感じさせる職業であり、ラストの演奏会のシーンは希望に満ちているが、現実の厳しさを示すこともおろそかにはしていない。

クラシック音楽の使い方は面白く、聴いてすぐなんというタイトルの曲かが分かると広がりやおかしみを持って受け取ることが出来るように思う。「拍手をして下さい。コメディは終わりました」というベートーヴェンの最後の言葉とされるものがさりげなく語られていたりもする。

アントニアは女性指揮者のフロントランナーとしては成功したが、性別関係なく「指揮者としての名声を勝ち取る」ことに関しては「誰が見ても成功」という結果は出せなかったのかも知れない。それでも「絶対に無理」という周囲の声や蔑みをはねのけて指揮台に立ち続けるアントニアの姿に爽快感を覚える。カール・ムックのセリフにあるように「指揮台に立ち続けること」が何より重要なのだと納得させられる。

何より感心させられるのは、西洋の俳優は指揮者を演じるのが上手いということ。クリスタン・デ・ブラーンは往時の長めの指揮棒を振っているため、バトンテクニック抜群に見えるということはないが、音楽が体から生まれているように見せる演技には卓越したものがある。

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2019年10月15日 (火)

「まだ結婚できない男」第2話ラストで流れた ムソルグスキー 交響詩「はげ山の一夜」




ムソルグスキー作曲 リムスキー=コルサコフ編曲
テオドル・クチャル指揮ウクライナ国立交響楽団

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美術回廊(38) 細見美術館 レスコヴィッチコレクション「広重・北斎とめぐるNIPPON」

2019年9月29日 左京区岡崎の細見美術館にて

ロームシアター京都と琵琶湖疎水を挟んで向かいにある細見美術館で、レスコヴィッチコレクション「広重・北斎とめぐるNIPPON」という展覧会を観る。
パリ在住のポーランド人であるジョルジュ・レスコヴィッチの蒐集した浮世絵の数々を展示した展覧会である。

歌川広重と葛飾北斎の他に、鈴木春信、喜多川歌麿、東洲斎写楽、渓斎英泉、歌川国貞らの絵が並んでいる。

劈頭を飾るのは鈴木春信の美人画の数々である。浮世絵、錦絵、春画などの部門で活躍した鈴木春信であるが、登場する女性達が異様に華奢なのが特徴である。江戸時代は今より栄養状態が良くなかったが、これほど細い女性が実在したとも思えない。他の絵師達の美人画とも比べると鈴木春信が描いた女性が段違いに細いことが確認出来る。浮世絵は余りモデルを使わず、イメージで描くこと多かったと思われるのだが、仮にモデルがいたとしてもかなりデフォルメされているのあろう。細い女が好みだったのか、か細さになんらかの意味を込めようとしたのか。

東洲斎写楽の役者絵は、逆に歌舞伎俳優達を美化しておらず、そのために描かれた俳優本人からは評判が悪かったそうで、写楽の活動期間を縮めた一因ともいわれているのだが、写楽の正体は能楽師の斎藤十郎兵衛だったという説が近年では有力視されており(「東洲斎」というのは「さいとうしゅう」のもじりというわけだ)、同じ舞台人であるがために役者の心情を上手く描けているという評価もある。残念ながら写楽の絵に描かれている演目を私は観たことがないのだが、あるいは観たらもっとわかることがあるのかも知れない。

葛飾北斎の「詩哥写真鏡」は、全体的に青の多用が印象的で、ピカソや北野ブルーの先駆けっぽい(?)。

広重の「六十余州名所図会」は嘉永6年に描き始められているが、この年は黒船来航の年である。攘夷の意識が高まる時代にこうした絵が描かれていたということになる。

「木曽街道六拾九次」は、広重の渓斎英泉の共作である。東海道に比べると木曽街道は地味だが、行き交う様々な人々が多彩に描かれている。そういえば以前に、渓斎英泉を主人公にした矢代静一の「淫乱斎英泉」という芝居を観たことがあるのだが、余り面白くなかった記憶がある。

広重の「東海道川尽 大井川の図」「相州江之嶋弁財天開帳参詣詣群衆之図」などでは波が図式化されている。実際は波がこういう形に並ぶことはないと思われるのだが、そこに意匠というか江戸時代のデザイン的な刻印が行われているようにも感じる。

広重が描いた「山下町日比谷さくら田」は現在の警視庁の辺りを描いた絵。その他にも「神田明神曙之原」や「上野山した」「下谷廣小路」などは、東京の風景を知っていると楽しみがグンと増す。

北斎は、かめいど天神たいこばしなど、今は現存しない橋をかなり大袈裟に描いている。リアリズムよりも人の内面の感情を優先させた描き方なのだと思われる。
富嶽三十六景は、京都浮世絵美術館に飾られていると同じ「江都駿河町三井店略図」なども展示されている。「甲州石班澤(かじかざわ)」の絵にも顕著に表れているが、同じ形になるものを並べる相似形の構図にすることで、構築をより堅固にしようという意思が伝わってくるかのようだ。
葛飾北斎は、「琉球八景」という絵画シリーズを手掛けているが、実際に琉球に行ったことはなく、琉球で描かれた絵や図などを見ながらイメージを膨らませて架空の琉球を作り上げたようである。

広重の「京都名所之内」は、その名の通り名所を細部に至るまで描いて(実際に行ったことのある場所と他の絵師の絵図を参考に想像で描いたものが混在しているようだ)、往時の京都のイメージを知ることが可能になっている。

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2019年10月14日 (月)

コンサートの記(597) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別公演2019

2019年10月6日 京都コンサートホールにて

午後3時から、京都コンサートホールで大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別公演を聴く。指揮は音楽監督の尾高忠明。癌の手術から復帰したばかりである。

曲目は、前半がモーツァルトのフルート協奏曲第2番と尾高尚忠のフルート協奏曲(フルート独奏:エマニュエル・パユ)、後半がチャイコフスキーの交響曲第5番。

今日のコンサートマスターは須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏である。

エマニュエル・パユが登場するためか、男女ともに若い聴衆も多いのが特徴。ただ、大阪フィルのフェスティバルホールでの定期演奏会は、3階が学生限定席に指定されているため、普段はどれほどの入りなのかが把握出来ていなかったりする。

エマニュエル・パユは現役のフルーティストとしては世界中で最も有名だと思われる人物である。長くベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席フルート奏者を務めており、同楽団の顔の一人でもある。実演を聴くのは多分3回目であるが、前回と前々回は共に室内楽のコンサートであったため、オーケストラとの共演を聴くのは初めてになる。

 

モーツァルトのフルート協奏曲第2番。パユのフルートは音色が澄んでいるだけでなく、芳香を発するかのような気品に溢れている。人気があるのも当然である。
大フィルの弦はノンビブラートと音を細かく切る感じのピリオド奏法での演奏を行う。天井の高い京都コンサートホールなので、音が小さく聞こえてしまうが、モーツァルトを演奏するにはやはりピリオドの方が雅やかで合っている。

 

尾高尚忠のフルート協奏曲。
尾高尚忠は、尾高忠明の実父である。1911年生まれ、日本で作曲をスプリングスハイムに師事した後でウィーンに渡り、指揮をワインガルトナーに師事した。帰国後は日本交響楽団(NHK交響楽団の前身)の常任指揮者となり、指揮に作曲に八面六臂の活躍を展開。現在は日本の年末の風物詩となった第九特別演奏会を始めた人物でもある(異説あり)。ただ過労がたたって、39歳の若さで逝去。新聞などには「日響(日本交響楽団)が尾高を殺した」という見出しが躍った。

演奏時間約15分という短い作品だが、目の前の世界を次々と広げつつ天翔るようなフルートの躍動が印象的な第1楽章、ピアノが入ったり、弦がコルレーニョ奏法で日本的なリズムを刻むなど独特の個性が光第2楽章など魅力的な要素に満ちている。
パユの自在感溢れるフルートは、日本の現代作品にも見事に適応。日本人のフルーティストが演奏するとまた違った印象になると思われるが、軽やかさと広がりにおいてはベストの出来を示す。

パユのアンコール演奏は、ニールセンのフルート独奏曲「子供たちが遊んでいる」。ニールセンの一般的イメージとは異なる作風で、聴いている時は古典派の楽曲のように聞こえた。

 

チャイコフスキーの交響曲第5番。尾高の指揮なので、端正な造形を予想し、実際に冒頭はそうだったが、途中で金管を強烈に吹かせる。立体感は出るものの本拠地ホールではないということもあって精度は今ひとつなるが、それよりも内容を重視したような演奏となる。演奏終了後に尾高は、「病上がりで、まだちょっと苦しい」と語っていたが、コントロールする力がまだ戻ってないためにこうした演奏になったのかはわからない。
第2楽章の最高難度で知られるホルンソロも完璧ではなかったがハイレベルであり、チャイコフスキーの憧れを描き尽くす。華やかな中に憂いを宿す第3楽章も美しい演奏であった。
第4楽章は、近年では解釈が変わりつつあるが、尾高は疑似ラストの後の凱歌を逡巡の中で歌い上げる。運命の主題を長調に変えた主旋律は華々しいのだが、実はそれ以外の部分は案外憂いを多分に含んでいるため、無理に笑顔を作っているような悲しさが吹き出してくる。これがチャイコフスキーが望んだ解釈だと思われるのだが、こうした演奏を聴いていると本当に胸が苦しくなる。自らの作曲した運命の主題を長調に変えて乗り切った後で、ベートーヴェンの運命動機で幕を下ろすところなど、ほとんど「悪魔的」を思えるほどだ。

 

アンコール演奏は、チャイコフスキーの「エレジー ~イワン・サマーリンの思い出に」が演奏される。この曲が演奏されるということは最後の凱歌の悲劇的解釈は尾高の体調不良によってなってしまったものではなく意図的になされたものなのだろう。
最後に尾高は、「素晴らしいホールと素晴らしい聴衆の皆様の前で演奏出来る」ことの感謝を述べて、「大阪のフェスも素晴らしいホールです」と宣伝し、「このオーケストラとは関係ないんですが、京都大学の交響楽団も指揮します」とユーモアを交えた告知で明るく終えた。

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2019年10月13日 (日)

楽興の時(33) 「テラの音 Vol.27 ~洋楽と邦楽の世界~」

2019年10月4日 京都市中京区の真宗大谷派浄慶寺にて

午後7時から、御所の南にある真宗大谷派小野山浄慶(じょうきょう)寺で「テラの音(ね) Vol.27 ~洋楽と邦楽の世界~」を聴く。タイトルにある通り、クラシックと邦楽のジョイントが行われる。出演者は、「テラの音」共同主宰兼企画担当ででヴァイオリニストである牧野貴佐栄(ヤマハ音楽教室ヴァイオリン講師)、ピアニストの森麻衣子、歌・三絃の佐藤文岳晶(本名と作曲家・編曲家としての名前は佐藤岳晶)。

曲目は、シューベルトのヴァイオリン・ソナタ第3番、木ノ本屋巴遊作曲の地歌「葵の上」、クライスラーの「愛の喜び」、玉岡検校作曲の地歌「鶴の声」(ヴァイオリンパート作曲:初代中尾都山。改訂:佐藤岳晶)、佐藤岳晶の「黒髪」、湖出市十郎作曲の地歌「黒髪」、幸田延のヴァイオリンソナタ第2番ニ短調。

幸田延のヴァイオリン・ソナタニ短調は最近、医師免許を持つプロヴァイオリニストとして知られる石上真由子がCDをリリースしており、まだ買っていないがいずれは買って聴いてみようと思っている。

 

牧野貴佐栄は、名古屋市立菊里高校音楽科を経て同志社女子大学音楽学科を卒業しているが、森麻衣子も同じ名古屋市内にある愛知県立明和高校音楽科を経て同志社女子大学音楽学科を卒業という似た経歴を持っている。前回に「テラの音」に出た時は、富山市にある桐朋学園大学院大学(2017年に東京の調布市にある桐朋学園大学の本部にも大学院が出来たのでややこしいことになっている)に在学中だったが、現在は修了しており、関西での音楽活動や音楽教室での指導を行っているようだ。ピアノを田部京子や岡田博美に師事、室内楽を藤原浜雄や川久保賜紀に師事している。来年の2月には上桂にある青山音楽記念館バロックザールでリサイタルを行う予定である。

佐藤文岳晶/佐藤岳晶は、地歌箏曲を二代米川文子に指示しているが、幼少時から西洋音楽を学び、桐朋学園大学ピアノ専攻卒業、パリ国立音楽院エクリチュール(作曲理論)科を修了しており、西洋音楽を学んでいた時間の方が長いようである。現在は京都女子大学准教授、桐朋学園大学院大学ほかの非常勤講師を務めている。

 

シューベルトのヴァイオリン・ソナタ第3番。シューベルトが愛用してた眼鏡は今丁度大阪の国立国際博物館に展示中なのでタイムリーである(?)。
典雅さと毒々しさの両方を持つシューベルトの個性は、この曲でも良く発揮されている。この曲の調性はト短調で、モーツァルトがキラーコンテンツとしてきた調性であるが、モーツァルトよりもベートーヴェンに近く聞こえるのは、第3楽章の旋律のせいもあるだろう。

 

地歌「葵の上」は、カットを入れたバージョンでの上演である。葵の上に嫉妬した六条御息所の心情が語られる。

 

牧野貴佐栄によると、日本の洋楽の黎明期には、西洋の音楽と邦楽が同じ演奏会の中で演奏されることの方が多かったそうで(確かに上野の旧東京音楽学校奏楽堂なんかはそんなイメージがある)、今回のコンサートではその再現を試みたそうである。

 

休憩時間に浄慶寺の中島浩彰住職による法話がある。仏教というと、今は「葬式仏教」のイメージが強いが、お釈迦様は勿論、日本の各宗派の開祖もお葬式については何も唱えておらず、仏教は生きる苦しみから逃れるために始まったと語る。
西洋の宗教や科学もその点は同じであり、根底の部分は仏教とよく似ているのだが、西洋は蓄えたデータを客観的に分析し、仏教は解析するのではなく「自分」「私」の主観でそれを捉えるという違いがあると結論づけていた。

 

クライスラーの「愛の喜び」。実は、今日のプログラム最後の曲の作者である幸田延は、クライスラーも師事していたヨーゼフ・ヘルメスベルガーⅡ世(「悪魔の踊り」などの作曲家としても知られている)にヴァイオリンを師事していたそうで、そのためにクライスラー作品が取り上げられるようになったそうだ。
技術面では結構怪しい部分もあったりするのだが、このコンサートはそういうことを気にする場ではない。

 

地歌「鶴の声」では、元々尺八のために書かれた旋律を、初代中尾都山がヴァイオリン用に編曲したものが奏でられる。「美しき天然」だとか「宵待草」などに繋がる懐かしさがヴァイオリンの音色から感じられる。
「鶴の声」は、形こそ違うがクライスラーと同じ「愛の喜び」を題材とした歌であり(鶴は千年といいます、共に白髪になるまで一緒にいましょうという歌詞を持つ)、そのために続けてプログラミングされたことが明かされた。

 

佐藤岳晶の「黒髪」は、元々は佐藤が米良美一のために石牟礼道子の詩に曲をつけたものだそうだが、今回は佐藤本人がヴァイオリンとピアノのための編曲した者ものが演奏される。サビの部分でのヴァイオリンのピッチカートが効果的である。

 

地歌「黒髪」。3人が勢揃いしての演奏である。ヴァイオリン・パートはやはり初代中尾都山が尺八用のものをヴァイオリン用に編曲したものが用いられる。ピアノ・パートは佐藤が作曲したものが演奏される。
地歌とヴァイオリンは昔から演奏されてきたものであるが、ピアノは佐藤に手によるものということで新しい印象を受ける。地歌とヴァイオリンに連れず離れずで、浮遊感を持つピアノは、日本に於けるフランス音楽受容に多大な貢献を行った橋本國彦作品に通ずるところがあるように思う。そういえば佐藤はパリ国立音楽院出身なのだった。

 

幸田延のヴァイオリン・ソナタ第2番ニ短調。幸田姉妹の姉である幸田延。幸田露伴の妹である。日本のクラシック音楽受容最大の貢献者の一人であり、瀧廉太郎や山田耕筰らを育てたことでも知られる。
ちなみに、せいぜい150年程度でしかない日本のクラシック音楽の歴史上に、実は「幸田姉妹」は二組いる。まずは幸田延と幸田幸(結婚後は安藤幸)の幸田姉妹、そして現役である幸田さと子と幸田浩子の幸田姉妹である。幸田というのは珍しい苗字ではないがありふれているわけでもない。二組の間に血縁関係はなく、かなり面白い偶然である。
2曲のヴァイオリン・ソナタはいずれも幸田延のウィーン留学中に書かれたそうで、ドイツ的な趣を持つとされるが、聴いてみると結構なド演歌で、西洋人が聴いたら「日本人の作品」とすぐに見破られそうな気もする。日本人としては幸運なことにド演歌であったため旋律も覚えやすく、展開もわかりやすくて十分に楽しむことが出来た。

演奏会が終わって、そのまま帰ろうとしたのだが、住職の小学生の娘さん二人が電子ピアノで遊んでいる音がしたので、引き返してピアノで少し遊ぶ。上手く弾ければ良かったのだが、練習をしていないため、暗譜が出来ていない。ということで何曲かの冒頭だけ弾いて遊んだ。

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真宗大谷派岡崎別院 「落語と石見神楽の夕べ」

2019年10月9日 左京区の真宗大谷派岡崎別院にて

午後7時から、真宗大谷派岡崎別院で「落語と石見神楽の夕べ」を観る。石見神楽の上演は大阪市寝屋川市に本拠を置く伝統芸能杉本組、落語の上演は笑福亭仁智。司会は昨年同様、フリーアナウンサー兼タレントの元谷朋子(もとたに・ともこ)。

岡崎別院の本堂での上演となるのだが、無料公演とあって満堂となる。岡崎別院の本堂はそれほど大きくないので、石見神楽と聞いて浮かぶオロチの舞などは行われない。演目は、二人で演じられる「恵比須・大黒」である。まず神楽の説明がある。神楽は宮中で行う御神楽(みかぐら)とそれ以外で行う里神楽に分かれ、石見神楽は里神楽に当たり、神職によって伝えられてきたのだが、維新後に明治政府から、「神職が芸人のようなことをすべきではない」として禁じられ、その代わりに氏子達によって発展したという。その後に楽器体験のコーナーや演者の衣装や面(動きが激しいので軽くする必要があり、和紙で出来ている)の紹介もある。
二人で祝いの舞を舞った後で、他の座員が手にした鯛の模型を使っての釣りの踊りが披露される。いずれもコミカルな舞であり、華やかでエネルギー放出量豊かだ。
恵比須は、この舞では大国主命の息子である事代主(島根県松江市の美保神社の祭神)ということになっているようだ。

 

笑福亭仁智による落語。「牛ほめ」と「いくじい」の2席が演じられる。
昨年の6月に上方落語協会の会長に就任した仁智であるが、それ以降、天満天神繁昌亭が地震や台風、経年劣化で提灯が落ちたために行われた修復工事などでたびたび休館することになったという話から入る。
「牛ほめ」は、池田のおじさんが新たに普請した邸宅を褒めに行き、大黒柱の縁起の悪い形の節(死に節)の対処法を説けばお駄賃が貰えると親族(詳細不明)から言われた大阪の男の話である。命じる側は教養があるので、様々な褒め言葉を使って文章を聞かせるが、聞く方は頭が弱いので、勘違いをしたり書くべきでないことまで記してしまう。実は男は少し前に普請を見に行ったのだが、「大工4人で3ヶ月掛けた家」だと自慢されたので、「大工4人で建てても燃えるときゃ一晩だ」、「玄関が狭いね。これじゃ葬式の時に棺桶が通らない」、「こっちは通るが広すぎてあんただけじゃなく家族全員の棺桶が一度に出せる」などと暴言を吐きまくっていたことがわかる。
言われたことをよく覚えてから池田のおじさんの普請に向かうよういわれた男だが、ものぐさなので何も覚えずに池田へと向かう。そして懐に隠したアンチョコを見ながら喋るのだが、「備後の畳」を「貧乏の畳」と読み間違えるなど散々。ただ、大黒柱の不吉な節を秋葉権現(秋葉原の語源としても知られる火の神様)のお札を貼れば良いと教わったままに提案してご褒美を貰うという話である。
今度は牛を褒めに行く話になるのだが、男は勘違いして娘を牛に例えて大失敗するという展開になる。

「いくじい」。ヤクザの家族の話である。ヤクザの柴田乙松が年を取ったので引退することを決め、「イクメン」が流行っているので孫を育てる「いくじい」になったらどうかと弟分の源太から提案される話である。まず乙松が風呂に入るので、「バブを持ってきてくれ」と源太に命じるのだが、「バブバブっておしゃぶりでっか?」と勘違いされたり、バブを渡されたと思ったらポリデントだったり、バブとポリデントを見間違えたため「視力はいくつだ?」と聞くと「24です(視力を4×6だと勘違いしたのだ)」と返ってきたり、トンチンカンなやりとりから入る。
さて、乙松が孫の面戸を見るようになってからしばらく経った頃のこと。孫が小学校でおかしな振る舞いをするようになったというので、乙松とその息子は担任に呼ばれて学校に出向く。孫はすっかりヤクザの世界に感化されており、「一で始める四字熟語を答えなさい」という問いに「一宿一飯」と回答したり、「覚悟を決めたときには何を括るというでしょう?」という問題に「首を括る」と答えたりしているそうである。七夕の願い事にも「将来、堅木になりたい」と書き、AKB48のメンバーは一人も知らないが相撲取りの名前は48人ほど言える、夏休みの宿題も謎かけや都々逸で子供らしさが全くないものである。
その他にも「蛇は何類でしょう?」に「気持ち悪い」、「太郎君の家の冷蔵庫にはオレンジジュースが30杯分入っています。太郎君はオレンジジュースを残り10杯になるまで飲み、更に5杯飲みました。さて、太郎君はオレンジジュースを何杯飲んだでしょう?」→「お腹一杯」。「太郎君はケーキ屋さんにケーキを買いに行きました。200円のケーキを5個買って150円負けて貰いました。さていくら払うでしょう?」→「店の人に聞く」
ただ、乙松もその息子も小学校の成績は悲惨だったそうで、「『打って変わって』を使って文章を作りなさい」という問いに、「僕のお父さんは薬を打って変わってしまいました」と書いたりしていたそうである。
その後、乙松は町内のご長寿クイズ大会に乙松が出るという展開になるのだが、ここは少し作り物的で弱かったように思う。
枕として、「ガッツ石松は、『太陽はどちらから昇るでしょう?』と聞かれて『右側』と答えた」「具志堅用高は、マクドナルドのドライブスルーで『あれとこれとそれ』と言って、『それじゃ分かりませんので名前を言って下さい』と店員に言われて『具志堅用高』と答えた」という話をして、「でも世界チャンピオン」という話をしていた。

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2019年10月12日 (土)

これまでに観た映画より(132) 「お百姓さんになりたい」

2019年10月4日 京都シネマにて

京都シネマでドキュメンタリー映画「お百姓さんになりたい」を観る。原村政樹監督作品。
語りは小林綾子が務めている。

埼玉県三芳町にある明石農園の1年間を追う。16年前、28歳の時に東京から埼玉県の南端にある三芳町に移り住んで新規就農をした明石誠一が始めた明石農園。明石は子どもの頃の夢の3位が農業をやることだったそうである。1位は宇宙飛行士だったが「虫歯があったりしたら駄目」というので早々に諦め、2位の「サッカー選手になる」を求めて体育大学に進学したが、「自分の実力ではプロにはなれない」と悟り、しばらく何もする気になれなかったが、子どもの頃の夢を思い出して農業を始めることにしたそうである。

明石農園は、肥料や農薬に頼らない自然栽培を行っている。肥料の代わりに他の野菜や雑草を自然発酵させたものを用い、秋には枯葉を集めて土の質を向上させるなど(落ち葉堆肥農法として江戸時代からこの地方に伝わっているそうだ)、自然を最大限に利用する。自然栽培で育てられた作物だけに人気があるようだが、自然を相手にしているため、思い通りにならないことも多い。
農業というと種を植えて面倒を見る過程が思い浮かぶが、自然栽培を行う明石農園では種が育つための土を作ることが何よりも重要なようである。

明石農園では農家志望の人達が研修生として働いている。研修生として学んだ人のうち、これまでに10人ほどが農家として独立しているそうである。
農業高校を卒業して研修生として働いている最初から農家志望の女性もいるが、障害者なども幅広く受け入れている。知的障害者などは対人関係などは不得手だが、自然は人間よりも広量である。
明石は、「効率の良いこと、お金になることが優先される世の中だが、資本主義や民主主義とは違う、新しい物差し作り」を目指してもいるようである。

江戸時代には人口の8割を農民が占めていたが、時代を経るに従って農業に従事する人は減っていき、皆都会に出て対人業務を行うことが多くなっている。ただそうした第三次産業に合わない人も出てくる中で、消費者の声が大きくなりすぎるなど行き詰まりの感もあり、新たな価値観を求めて農業に就くということはある意味先祖返り、原点回帰的なことであり、現代社会で希求されるものとはまた別の豊かさを持つ未来が想像されるようにも思われる。

明石農園の森では、音楽祭なども催され、障害があって普通の音楽会に行けない人達も音楽を楽しんでいる。東京のベッドタウンで、特になにもないような町だが、ちょっとしたハレの喜びがここにはあるようだ。

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2019年10月11日 (金)

「怪盗ルビイ」より「たとえばフォーエバー」

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コンサートの記(596) 原田慶太楼指揮 京都市交響楽団 「THE MUSIC OF JOHN WILLIAMS:STAR WARS AND BEYOND」@ロームシアター京都

2019年9月29日 ロームシアター京都メインホールにて

午後3時から、ロームシアター京都メインホールで、原田慶太楼(はらだ・けいたろう)指揮京都市交響楽団による「THE MUSIC OF JOHN WILLIAMS:STAR WARS AND BEYOND」を聴く。アメリカの映画音楽の巨匠、ジョン・ウィリアムズの音楽を取り上げる演奏会。MCは、有村昆。藤岡幸夫司会の音楽番組「エンター・ザ・ミュージック」の映画音楽特集の回では毎回見かける有村昆だが、生で見るのは初めてである。

原田慶太楼は、今回が京響デビューとなる。1985年東京生まれ。幼少時よりインターナショナルスクールに通い、17歳の時に単身渡米してインターラーケン芸術高校音楽科で指揮を吹奏楽界の巨匠として知られたフレデリック・フェネルに師事。その後、複数の大学で学び、二十歳でジョージア州のメーコン交響楽団のアシスタント・コンダクターに就任。2010年にタングルウッド音楽祭で小澤征爾フェロー受賞。この時からジョン・ウィリアムズのアシスタントを務めるようになる。これまでに指揮をロバート・スパノ、マイケル・ティルソン・トーマス、オリバー・ナッセン、ヘルベルト・ブロムシュテットに師事。今年の夏までシンシナティ交響楽団と同楽団のシンシナティ・ポップス・オーケストラのアシスタントコンダクターを務め、来年からはジョージア州のサヴァンナ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽&芸術監督に就任する予定である。

 

曲目は第1部が、「オリンピック・ファンファーレとテーマ」、「ジョーズ」(The Shrak Theme from Suite from Jaws)、「スーパーマン」(Superman March)、「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」(Raiders March)、「E.T.」(Flying Theme)、「ジュラシック・パーク」(The theme from Jurassic Park)、「シンドラーのリスト」(Theme from SCHINDLER'S LIST for Violin and Orchestra)、「ハリー・ポッターと賢者の石」(Hedwig's Theme)。
第2部では、「スター・ウォーズ」全8作からジョン・ウィリアムズと原田がコンサート用にまとめた音楽全曲が披露される。音源にはなっていないため、コンサートでしか聴けないバージョンだそうである。

 

今週の京都市交響楽団のスケジュールは変則的。昨日、同じロームシアター京都メインホールで「ドラゴンクエスト」の音楽を演奏しており、2日続けての演奏会開催となる。原田とのリハーサルは数日前に行い、原田はその後、東京交響楽団のコンサートを指揮してから京都に戻り、ゲネプロを行って本番ということになるようである。

2日続けての公演ということもあってか、楽団員の顔ぶれも定期演奏会とは異なり、コンサートマスターには客演の「組長」こと石田泰尚。第2ヴァイオリン副首席の杉江洋子、ヴィオラ首席の小峰航一、オーボエ首席の髙山郁子、クラリネット首席の小谷口直子らは降り番である。映画音楽に強いエキストラも何人か参加しているようだ。第1部ではホルンの1番は首席の垣本昌芳が吹いたが、第2部では水無瀬一成に変わった。

 

今日は3階席2列目の真ん真ん中という、音響的には最も良い部類に入ると思われる席である。

開演時間となり、楽団員が登場する。定期演奏会ではないので拍手はどうするのかなと思ったが、全員が客席の方を向いて立っている。だが、拍手が起こらない。なんとも妙な光景である。コンサートマスターの石田泰尚が姿を見せてようやく拍手が起こる。
つまり、定期演奏会に来ているお客さんは今日は客席にはほとんどおらず、拍手のタイミングがわかっていないのだ。別に私一人で拍手しても良かったのだが、複数の人が拍手しないとつられて拍手が起こるということはあり得ないので無駄である。複数のスタッフが袖でサクラの拍手を行うべきだったのかも知れないが。
今日来ているのはあくまでジョン・ウィリアムズの音楽が好きな人が大半で、これを機に京都市交響楽団の定期演奏会に通うようになるという人はほとんど現れないと思われ、また普段、定期演奏会に通っている人は映画音楽には興味がないのであろう。ジャンルの分断が起こっている。

 

日本でも活躍の場を広げている原田慶太楼は、若々しく、スケールの大きな音楽作りが特徴。ただ、ジョン・ウィリアムズの音楽性もあるのだと思われるが、ずっと押しの音楽作りを続けるところがあり、「スター・ウォーズ」の音楽は聴いていてかなり疲れたのも事実である。

有村昆は、映画のエピソードなどを紹介。「E.T.」の自転車が飛ぶシーンでは、ジョン・ウィリアムズが自転車が浮き上がるシーンに合わせて指揮することがどうしても出来なかったため、まずジョン・ウィリアムズに自身が最適と思うテンポで演奏して貰い、スピルバーグの方がそれに合わせて映像を作った(撮影したのか編集したのかは不明。話の流れからいって再度撮影した可能性の方が高いが)という話や実はE.T.が乗っていた自転車は日本製であるということ(大阪にあるKUWAHARAというメーカーのもの)、同じモデルの自転車が最近再発売されたことなどを語る。当時、アメリカの子ども達にはKUWAHARA(桑原商会)のBMX用自転車が大人気であり、撮影のために日本からわざわざKUWAHARAのBMXを取り寄せたそうである。ちなみに復刻版であるが5万円以上するそうでかなり高い。

「ジュラシック・パーク」は、CGの使用によって全世界を驚愕させた作品だが、当時はまだCGの精度は高くなく、実際には7分程度しか使われなかったそうで、それ以外は案外アナログな手法が取られていたそうである。

「シンドラーのリスト」に関しては、原田が「自分の作品の中で一番良くコンプリティリー(満足している)な作品」としてジョン・ウィリアムズがこの曲を挙げていたことを語る。原田は日本にいるときからインターナショナルスクール育ちで、その後、アメリカに拠点を置いているため、日本語よりも英語の方がずっと得意のようで、日本語の発音もそうだが、日本語で上手い言葉が見つからず英語の単語を挙げることが何度かあった。
映画ではユダヤ人であるイツァーク・パールマンが濃厚で思い入れのあるヴァイオリンを奏でるのだが、今回ソロを取る石田泰尚はやはり日本人なのでサラサラしている。

「ハリー・ポッターと賢者の石」のHedwing's Themeでは原作者であるJ・K・ローリングから「子どもを思わせるような楽器を」というリクエストがあったため、ジョン・ウィリアムズはチェレスタを選んだという話が二人から紹介される。ハリー・ポッターシリーズではふくろうが重要なイメージとなっているのだが、ヴィオラを中心とする弦楽がふくろうの羽ばたきを表現していると原田は語った。

 

第2部の「スター・ウォーズ」。演奏が始まる前に、有村昆が、「この中で『スター・ウォーズ』シリーズを1作でも見たことがあるぞという方、拍手をお願いします」と言い、盛大な拍手が返ってくる。それはそうである。「スター・ウォーズ」を観たことがないのにコンサートに来ていたとしていたらその方が変だ。ただ原田が「京響の方々から拍手がない」と言い、「でも楽器を持っていたからでしょう」と自らフォローするも、有村が「ご覧になったことありますよね?」と楽団員に聞く。
有村「反応が薄い」
実は第2ヴァイオリンの三瀬由起子さんが、Twitterで「スター・ウォーズ」を知らないということを明かしており、団員に「フォースを守る話」と聞かされても「ホーシ」と聞き間違え、更に「フォースってなんですか?」という状態なので、多分そんな人も多いのだろう。

先に書いたとおり、通して聴くと疲れるのだが、音の鳴りは完璧で、ジョン・ウィリアムズの実力の高さを知ることが出来るし、各曲の個性やインパクトも強烈である。ある意味、どんなクラシック作品よりもアメリカ的な音楽であるといえるのかも知れない。グスターボ・ドゥダメル指揮ロサンゼルス・フィルハーモニックが全曲ジョン・ウィリアムズによるコンサートを行い、ドイツ・グラモフォンからライブ録音によるCDが出ているが、もうアメリカのクラシック作品と捉えてもいいのではないだろうか。ハリウッド映画の音楽、そして誰もが知っているメロディーということで、まさにアメリカの象徴的なものなのだから。

ただ、そう考える日本人は少ないわけで、だからこそ聴衆の分断が起きているのである。アメリカなどでは映画音楽による定期演奏が行われているのだが、日本では難しそうだ。日本の映画音楽も手掛けるべきなのだが、残念ながら知られている日本映画の音楽はそれほど多くはない。京都市交響楽団は、新たな戦略を募集していて、映画音楽やライトクラシックの音楽会で客層を広げようと考える人も多いと思われるのだが、今日の雰囲気だとそれは大して意味がなさそうである。映画音楽を聴く人はクラシックのコンサートには来ないし、逆もしかり。やはりYouTubeなどによる映像配信が最良の手なのかも知れない。ガリシア交響楽団という、世界的には無名なオーケストラを私はよく知っているのだが、それはなぜかといえばYouTubeチャンネルを持っていて、演奏をよく配信しているからである。「百聞は一見にしかず」というが、映像配信なら百聞と百見が共に可能なのだから、昨日行った霊光殿天満宮の額にあった通り「天下無敵・必勝利運」となるのではないか。

 

アンコールでは「スター・ウォーズ」メインテーマ完全版を原田と有村の二人で指揮する。途中で二人はライトセーバーを取り出して指揮。実は有村はライトセーバーが大好きで、TOKYOSAVERZというライトセーバーを使った殺陣ダンスユニットのプロデュースも行っているそうである。

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2019年10月 9日 (水)

2346月日(16) 水谷彰良講演会「サリエーリ モーツァルトに消された宮廷楽長」

2019年9月23日 関西大学梅田キャンパスKANDAI Me RISE8階Me RISEホールにて

午後2時から、関西大学梅田キャンパス8階Me RISEホールで、水谷彰良(みずたに・あきら)講演会「サリエーリ モーツァルトに消された宮廷楽長」を聴く。

関西大学梅田キャンパス KANDAI Me RISEは3年前に出来たばかりのまだ新しいキャンパスである。大阪でも大学の都心志向が顕著であり、宝塚大学梅田キャンパス(看護学部)や大阪工業大学梅田キャンパス(ロボディクス&デザイン工学部)など、新設学部のためのキャンパスを設けるところもあるが、関西大学の梅田キャンパスは他の多くの大学同様、学部の教育ではなく、社会人向け講座(エクステンション)や就職活動の利便性のための出張所的なもの(サテライトキャンパス)であり、8階建てのビルであるが大工大や宝塚大のような大規模ビルキャンパスではない。1階にはスターバックスと書店が入っており、学生達でほぼ満員であった。

 

今年に入ってから大阪では、サリエリルネッサンスともいえる企画が続いているが、今回は春先にあったサリエリムジカとの関連講演である。水谷彰良は『サリエーリ 生涯と作品』の著者であり、オペラを中心とした音楽の研究家で、日本ロッシーニ協会の会長でもある。サリエリムジカの主催で、今回の講演では協力という形で携わっているナクソス・ジャパンの公式サイトに「聴くサリエーリ」を連載中である。
今回は大阪よみうり文化センターの主催、読売新聞大阪本社の後援となっている。

最近、サリエーリがスマホゲームの登場人物として話題になっているそうで、若い人にとってはサリエーリというとゲームのイメージが強いようだ。お年の方、55歳以上となると映画「アマデウス」のサリエリを思い浮かべることが多いのだが、私はそこまでは年ではない。55歳以上というのはロードショーで「アマデウス」を見た層で、私の場合は高校2年生の時にテレビ放送された「アマデウス」を観ている。その後、1994年3月5日の明治大学の受験日に、受験を終えて三省堂の神田神保町本店でピーター・シェーファーの戯曲『アマデウス』を買ったのだが、これが東京で買った最初の本であった。翌1995年には池袋のサンシャイン劇場で、九代目松本幸四郎のサリエリ、七代目市川染五郎のモーツァルト、中島梓のコンスタンツェで「アマデウス」を観ている。映画版と演劇版とでは異なっている部分が結構多い。実は大阪でも2011年に幸四郎のサリエリ、武田真治のモーツァルトで「アマデウス」を観る予定があったのだが、これは叶わなかった。

 

さてフィクションのサリエーリではなく、実在のサリエーリについて語ると、1750年8月18日、北イタリアのレニャーゴという街で商人の子として生まれている。家は裕福で、10歳の時にレニャーゴ大聖堂のオルガニストであったジュゼッペ・シモーニに就いて音楽を学び始めている。13歳で母と14歳で父と死別するという悲運に遭ったものの、音楽の才があったためか程なくしてヴェネツィアの貴族に引き取られ、ウィーンの宮廷作曲家であったガスマンに見出されてウィーンに渡り、当時の皇帝ヨーゼフ2世に気に入られたということもあり、当時の大作曲家であるグルックに師事することを許されたほか、帝室歌劇場のマエストロ・アル・チェンバロ助手として出入りするようになり、実地でオーケストレーションを学んでいく。当時のイタリアやオーストリアには音楽的才能のある少年はゴロゴロいたそうで、その中でガスマンらに特別に見出されたということで、サリエーリは神童クラスであったのだろうと推測されるそうだ。
19歳でオペラ作曲家デビュー。処女作は「女文士たち」というオペラだったが、この作品は残念ながら散逸してしまっているそうである。同年にグルックがオペラ「オルフェーオとエウリディーチェ」の改訂版初演が行われるのだが、サリエーリはこの作品に影響を受けていることが、1771年初演のオペラ「アルミーダ」で確認出来るそうだ。「アルミーダ」の序曲がCDで流され、グルックの「オルフェーオとエウリディーチェ」の映像がスクリーンに投映されるのだが、黄泉での出来事を描いた「オルフェーオとエウリディーチェ」の音楽が、サリエーリの「アルミーダ」序曲の、怪物の咆哮の描写に生かされている。当時はこうした激しい「疾風怒濤(シュトゥルム・ウント・ドラング)」形式の音楽は最先端を行くものであった。
グルックからは相当可愛がられたようで、グルックに委嘱された作品を譲られる形で書いたりもしているそうである。

歌劇「アルミーダ」でサリエーリは、独自の手法を発揮している。この作品はサリエーリの自筆譜が残されているのだが、スコアにト書きが施されているそうで、こうしたことはこれまで行われていなかったそうである。

さて、サリエーリの直接の師であるガスマンは、オペラ・ブッファ(喜劇的歌劇)の名手であったため、サリエーリも、オペラ・セリア(シリアスなオペラ)よりもオペラ・ブッファを多く手掛け、得意とするようになっていく。
ガスマンは、歌手に任せる部分であるカデンツァも自身で書き込むという習慣があったのだが、サリエーリもこれに倣うようになり、歌劇「奪われた手桶」では、歌の旋律だけでなく楽器の伴奏など全てが書かれているという「十八世紀に書かれた最も奇妙なカデンツァ」と呼ばれる手法を行っている。本来、音楽家の即興性を発揮するはずの部分も作曲家が全て書いてしまっているわけで、演奏家と作曲家の分離がいち早く行われているかのようである。この時期のイタリアオペラの特徴として、ソプラノにコルラトゥーラなど超高音の技法を要求していることが挙げられる。モーツァルトの夜の女王のコルラトゥーラが有名だが、これはモーツァルトがイタリアオペラを真似たということのようだ。サリエーリもコロラトゥーラによるアリアを書いている。
だが、サリエーリがグルックの後継者としてフランスで仕事をする機会が増えるとこれに変化が生じる。フランスでは歌よりも芝居が好まれたため、ストーリーが重視され、歌手のこれ見よがしな技巧は好まれなかったようである。またバレエが盛んだったため、オペラの中に必ずバレエのシーンがあった。ということで、サリエーリの作風も落ち着いたものへと変化していく。

23歳の時にガスマンが亡くなると、サリエーリは後任としてウィーン宮廷室内作曲家兼イタリア・オペラ指揮者に任命される。モーツァルトがウィーン宮廷での就職に失敗したのはその前年で、モーツァルトは父に宛てたサリエーリを憎む手紙を残しているが、サリエーリの方はモーツァルトについてはこの時ほとんど知らなかったようで、人事面でも関与していなかったらしい。その後、ウィーン宮廷楽長に就任。名実ともにヨーロッパ楽壇のトップに立った。

モーツァルトがウィーンに移住したのは、1781年のこと。ただその直後、モーツァルトにとっては悲運なことにヨーゼフ2世が劇場の改革を行う。これによってオペラ・セリアはつまらないとして否定され、オペラ・ブッファのみがオペラとされる時代となったのである。モーツァルトもオペラ・ブッファは書くが、オーストリア人ということもあって本当はオペラ・セリアの方が得意である。折角、大司教の下を離れてウィーンに来たのに、ここでも得意なジャンルの作品を発表出来なくなるのだ。

モーツァルトが「フィガロの結婚」などで思想面での革新性を示したことは知られているが、サリエーリもボーマルシェの本によるオペラ「タラール」で身分社会の否定を取り上げている。こう考えると、モーツァルトだけが時代から突出してたということはなく、なかなか上には行けない状態だったことがわかる。更にモーツァルトにとっての不運は続き、今も人気作として有名な「コジ・ファン・トゥッテ」がヨーゼフ2世の死去によって初演からわずか5回の上演で打ち切られる。新皇帝のレオポルト2世はそもそも音楽に興味のない人で、音楽家は全て冷遇されるようになった。

サリエーリは、モーツァルト最晩年のジングシュピール(オペラ)「魔笛」を絶賛していたことがわかっている。モーツァルト自身の手紙にこのことは記されており、最大級の賛辞を得たことを妻のコンスタンツェに伝えている。その7週間後にモーツァルトは他界するのだが、サリエーリはシュテファン大聖堂で行われたモーツァルトの葬儀に参列している。

ということで、モーツァルトの冷遇と死に関してはサリエーリは全く関与していない。

サリエーリは、モーツァルトの死後も積極的に作曲活動を行い、オペラ10作を作曲。ハイドンの「天地創造」初演に協力したり、イタリア語版上演では指揮を行っていたりと自身以外の作曲家の活動にも参加している。ちなみにモーツァルト作品の初演のいくつかでもサリエーリは初演の指揮を手掛けており、交響曲第40番の公式初演はサリエーリが指揮したことが確実とされている。
現在のウィーン国立音楽大学の前身となる教育機関を作ったのもサリエーリであり、音楽の弟子にベートーヴェンやシューベルトがいる。ベートーヴェンは「サリエリがモーツァルトを毒殺したと告白した」と日記に記しているが、この時にはサリエーリはウィーン総合病院に入院しており、意識がはっきりしていたのかどうかも定かではない。

栄光に包まれた生涯を送ったサリエーリだが、晩年にイタリア人作曲家の後輩に当たるロッシーニの台頭で状況に変化があったようである。「全盛期のビートルズよりも人気があった」といわれたウィーンでのロッシーニブームにより、ドイツ語圏の作曲家は不遇をかこつことになる。なにしろ歌劇場で上演されるのはロッシーニ作品ばかりなのだ。ベートーヴェンすら不満を漏らしているほどである。そして起こったロッシーニ憎しの空気がイタリア人作曲家に向かい、イタリア出身の宮廷楽長であったサリエーリにも怨嗟の声が上がるようになっていった。これがモーツアルト暗殺説に繋がっていったようである。

「アマデウス」によって悪名が高くなったサリエーリであるが、知名度が上がったことも確かであり、その後、録音される作品も増えている。ただ、サリエーリの本領が発揮されたオペラに関してはまだ録音される機会が少ないというのが現状である。

 

思えば、サリエーリは、音楽史の変換点を生きた人物であった。サリエーリが若い頃は、ウィーンでは「音楽はイタリア人がやるもの」という認識があり、イタリア人が宮廷作曲家や宮廷楽長になることに抵抗はほとんどなかったと思われる。オペラはイタリアのものであり、イタリア語のオペラが上演されるのが当たり前だった。そしてサリエーリが生まれ育った北イタリアは当時はハプスブルク家が治めており、親近感も持たれていた。
勿論、バッハやヘンデルなど、それまでにも優れたドイツ人作曲家はいたが、バッハは内容が高度であるため、この時期はプロのための音楽という認識で民衆の間では忘れられた存在になっており、ヘンデルはロンドンに移住してイギリスの作曲家となっていた。ハイドンはサリエーリの同時代人だが、長年に渡ってハンガリーのエステルハージ候に仕えており、ウィーンの作曲家というイメージではない。それがモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトと、ドイツ語圏出身の作曲家が立て続けに現れたことで、音楽におけるナショナリズムの高揚が起こる。これはモーツァルト自身も唱えていることである。ドイツ語によるオペラが立て続けに生まれ、更にはオペラではなくドイツ生まれのアウフヘーベンの理論を取り入れた交響曲やピアノ・ソナタが音楽の主役になる。そんな時代のウィーンの楽壇のトップに君臨していたことが、あるいはサリエーリにとっては不幸なことだったのかも知れない。

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2019年10月 8日 (火)

「まだ結婚できない男」で桑野信介(阿部寛)が指揮真似しながら聴いている曲

シューベルトの交響曲第5番です。今日は第3楽章と第1楽章が流れました。

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これまでに観た映画より(131) 「ブラインドスポッティング」

2019年10月2日 京都シネマにて

京都シネマでアメリカ映画「ブラインドスポッティング」を観る。「ブラインドスポッティング」というのはいわゆる「盲点」のことなのだが、「2通りの見方が可能なシチュエーションやイメージ。ただし、一度に片方しか見ることができず、もう片方がブラインドスポットとなる」という定義がある。盲点と死角を併せ持ったようなものと考えると近いだろう。
メキシコ出身のカルロス・ロペス・エストラーダ監督作品。主演&脚本:ダーヴィド・ディグス、ラファエル・カザル。出演は、ジャニナ・ガヴァンカー、ウトカルシュ・アンブドゥカル、ジャスミン・シーファス・ジョーンズほか。

カリフォルニア州オークランドが舞台。MLB屈指の名門チームであるアスレチックスが本拠地としていることで有名な街だが、人種が多様でリベラルな気風でも知られているという。大企業のいくつが本社を置き、高給取りが多い一方で若者達の4人に1人は貧困者という格差の激しい街でもある。
生粋のオークランドっ子である黒人のコリン(ダーヴィド・ディグス)と白人のマイルズ(ラファエル・カザル)の二人は11歳の時から無二の親友として付き合ってきた。コリンは傷害罪で逮捕され、実刑を受けた後に1年の保護監督処分を受ける。定職に就き、門限は午後11時、奉仕活動を行うことが命じられ、指定されて一人暮らしすることになったアパート(新興のオークランド市民は高級住宅に住むようになり、賃貸の部屋はどこでも空いているような状態だったのだが、前科者なので好きな部屋を借りることは出来ない)のトイレ掃除も行っている。仕事は元カノでインド系のヴァル(ジャニナ・カヴァンカー)の斡旋で、ヴァルが受付や会計などの事務方をしている引っ越し会社の社員に決まった。マイルズも一緒に働いている。コリンは移動を制限されており、オークランドの中心部から出ることが出来ない。
だが実は、傷害事件はコリンが単独で起こしたものではなく、マイルズも加わっていたのだ。マイルズが逮捕されなかったのは白人だったからである。マイルズは自身のことを黒人への蔑称である「ニガー」と呼ばせ、黒人の女性と結婚するなど、黒人への理解はあると自覚しているのだが、何かあったら黒人のせいにされるのだというところまでは認識出来ていない。引っ越しの仕事に向かった先で、トラックの前に車を停めて動こうとしない若者をマイルズは罵倒し、何度もクラクションを鳴らすが、ヴァルが受けた苦情の電話では、クラクションを鳴らして罵倒してきたのはドレッドヘアの黒人ということになっていた。隣の席にいたコリンのせいにされたのだ。

処分が解けるまで3日となった夜。マイルズは車の中で6丁の拳銃を見せびらかす。何かあったら黒人である自分のせいにされると知っていたコリンはマイルズに自制するように申し出るが、マイルズは「家族を守るため」と主張して拳銃を所持するのを止めようとはしない。
門限の11時が迫っており、コリンはマイルズらと別れてトランクを運転して自宅へと急いでいた。トラックを発進させようとした時、黒人の若い男が前に飛び出してくる。その後ろからは白人の警官が追ってきていた。警官は何の躊躇もなく、拳銃の引き金を引く。4発の銃弾が放たれ、コリンの目の前で黒人の若い男は殺された。黒人だったからだ。

治安の悪いオークランド市の警官は高給で雇われていたが、よそ者も多く、オークランド市の郊外の高級住宅地か隣の街に住んでいて、地元愛がないといわれていた。ヤンキー気質で地元愛の強いマイルズは、白人ではありながらそうした富裕層の白人を黒人以上に目の敵にしている。人種差別を行わない自身こそがオークランド市民の本流だと考えているところのあるマイルズには黒人特有のデリケートな部分には目が及んでおらず……。


日本には目に見える形での異人種への差別は今のところそれほど顕著ではない。一目で異人種とわかるような人がそれほど多くないということもある。
ただ、私の天敵でもある認知バイアスは相当に強度なところがある。「そういうもの」と勝手に規定されてしまうことで、あらゆることがらの解釈が全てそれに沿って行われる。日本においては生き方はパターン化されており、かなりシステマチックな社会である。肌の色の違いといったようなわかりやすい目印がないだけに、そうした差別と無意識のデリカシーのなさはより巧妙に世界を覆っているともいえる。
オークランド・アスレチックスにちなんで野球で例えようか。よく「得意なコースの近くに苦手なゾーンがある」といわれるが、これは得意であるがために手を出して凡打してしまうということでもあるだろう。甘く見てしまうのだ。それを同じで「理解している」「知悉している」と自覚していることに実は盲点があったりする。決めつけも生じる。エリア・カザン監督の「紳士協定」っぽくなったが。

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2019年10月 7日 (月)

観劇感想精選(320) 青年団 「走りながら眠れ」2019京都公演

2019年10月3日 THEATRE E9 KYOTOにて観劇

午後7時30分から、東九条のTHEATRE E9 KYOTOで青年団の「走りながら眠れ」を観る。作・演出:平田オリザ。古屋隆太と能島瑞穂による二人芝居である。

THEATRE E9を訪れるのは初めてであるが、観客としてはかなり使いづらい小屋という印象を受ける。絶妙に危なそうな段差があるし(実際、帰り道に後ろの方で転倒したお客さんがいた)。
多分、もう当分行くことはないだろう。


「走りながら眠れ」は、青年団が1992年に初演した二人芝居である。登場人物は、アナキストとして史上最も有名な人物である大杉栄と伊藤野枝の二人だけ(二人芝居なので二人だけなのは当然なのだが、大杉栄と伊藤野枝で二人芝居というのは特殊である)。大杉栄と伊藤野枝は、関東大震災の直後に、憲兵大尉の甘粕正彦らによって扼殺されたことでも知られている(甘粕事件)が、この芝居では甘粕事件も描かれないし、二人のアナキスト的面は意図的に封印されており、なんとなくおどろおどろしいイメージもある二人の何気ない日常を描いている。
ある意味、最も平田オリザ的ともいうべき、物語を動かすのではなく空間と時間を埋めるようにセリフが置かれていく手法が顕著であり、大杉栄と伊藤野枝でありながら大杉栄でも伊藤野枝でもない二人と時間を過ごせば良いだけである。大杉栄と伊藤野枝に関する知識があれば、奥行きが出て見えるのも確かであるが、それは観る側の問題であって、今目の前で演じている二人の俳優がしていることとは直接的な関係はないのだと思われる。そもそも平田オリザがそういうことを嫌う人である。

というわけで、観ていればいいのである。それだけである。そういうものであっても構わない、というよりそうあるべきである。
そもそも大杉栄も伊藤野枝もかなりぶっ飛んだ人なので、普通にしていてもその辺の男女にはならない。明らかに宮澤賢治と思われる人を野枝が見掛けていたり、大杉栄がいう「内田さん」というのが内田百閒らしかったり(平田オリザが内田百閒のことを無料プログラムに書いているので多分そうだろう)、二人で『ファーブル昆虫記』を翻訳する過程でのやり取りが見られたり、大杉が高踏派と目されていた時代の芥川龍之介を嫌っていたり(芥川の自殺が昭和2年、大杉栄が殺されるのがその4年前の大正12年なので、芥川が狂気の作家となることを大杉は知る由もない)と様々な人物が話に出てくるが、まさにその時代にいるようにして観るのが最も面白いはずである。


それにしても劇場の空調が酷い。始まって早々は「空調がないのか?」と思われるほどに暑い。ジャケットを脱がなければならない羽目になったのは多分初めてである。お陰で体調が悪くなってしまう。その後、クーラーが入るが、古屋隆太は最初はスーツ姿で登場するため、難儀したかも知れない。


終演後に平田オリザによるトークがある。かなり前に書いた作品なので、内容を聞かれても答えられないと平田は最初に語る。まあ、そのままの作品なので聞かれてもそのまましか返しようがないのであり、変に解釈するのは野暮この上ないことである。
平田オリザは、兵庫県豊岡市に新たに設営される予定の専門職大学の学長に就任する予定であり、6月に豊岡に移り住んで「関西の人間になりました」と語る。東京と地方演劇の現在や豊岡での演劇祭のことなど、当事者しか持っていない情報を聞くことが出来てかなり興味深かった。

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今日もまた

今日もまた見慣れた見知らぬ景色の中を自分の行くべき場所へと向かって誰かに流される。

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2019年10月 6日 (日)

コンサートの記(595) 酒井茜&マルタ・アルゲリッチ ピアノ・デュオ・リサイタル名古屋公演2019

2019年9月27日 名古屋・栄の愛知県芸術劇場コンサートホールにて

午後6時45分から、愛知県芸術劇場コンサートホールで、「酒井茜&マルタ・アルゲリッチ ピアノ・デュオ・リサイタル」を聴く。酒井茜とマルタ・アルゲリッチによるピアノ・デュオ・リサイタルツアーは今日が初日で、今後、オープンしたばかりの高崎芸術劇場大劇場とサントリーホールで公演を行う。

曲目は、モーツァルトの4手のためのピアノ・ソナタ ニ長調、プロコフィエフ作曲/プレトニョフ編曲による2台のピアノのための組曲「シンデレラ」、ストラヴィンスキー本人による2台のピアノのためのバレエ音楽「春の祭典」

マルタ・アルゲリッチは現役最高の天才女性ピアニストとして知られる。アルゼンチンのブエノスアイレス出身。8歳で公開リサイタルを開いた神童であり、1957年にブゾーニ国際ピアノコンクールとジュネーヴ国際ピアノコンクールで優勝して「美貌の天才女性ピアニスト」として脚光を浴びる。1965年にはショパン国際ピアノコンクールで優勝。その後、ショパン国際ピアノコンクールの審査員にもなっているが、自らが「本当の天才」と推したイーヴォ・ポゴレリチが予選落ちしたことに激怒して審査員を降りたことでも有名になっている。シャルル・デュトワと夫妻であったこともあるが、共に来日する際に飛行機内で大喧嘩となり、アルゲリッチはそのまま日本に降り立たずに引き返してしまって離婚に至っている。デュトワとはその後仲直りしており、デュトワ指揮のNHK交響楽団とも共演。この時の模様は茂木大輔がエッセイでユーモラスに描いている。
1998年以降は別府アルゲリッチ音楽祭を主催し、日本でも特に親しまれているピアニストの一人となっている。
1980年代頃からピアノソロ作品をほとんど弾くことがなく、室内楽や協奏曲のソロに力を入れていることでも有名で、「ステージ上に一人だと寂しいから」と語ったこともあるが、無料パンフレットに記された片桐卓也のエッセイには、「だって、弾くべきソロ曲はもうみんな弾いてしまったから」と答えており、デュオや室内楽には弾くべき作品があるということでそちらに力を入れているとしている。

酒井茜は名古屋生まれのピアニスト。アルゲリッチとはたびたび共演しており、ピアノ・デュオ版の「春の祭典」は録音もしている。
母親はピアノ教師。桐朋女子高校音楽科、桐朋学園大学ピアノ専攻を経てベルギーに留学。ブリュッセル音楽院、ルーヴァン音楽院大学院に学んでいる。近年は、第一次世界大戦後のポーランド系作曲家の作品の発掘に力を入れているそうである。

 

モーツァルトの4手のためのピアノ・ソナタ ニ長調。モーツァルト16歳時の作品である。
酒井茜のピアノはやや走り気味に感じられるが、低音を受け持つアルゲリッチがそれを柔らかく受け止めて、可憐なモーツァルトに仕上げる。

 

プロコフィエフの組曲「シンデレラ」。ミハイル・プレトニョフが2台のピアノのために編曲した版である。プロコフィエフの奇抜さと美しさを兼ね備えた音楽をプレトニョフはそのまま生かしており、酒井茜がピアノの弦を素手で何度も叩くという特殊奏法も用いられている。
プロコフィエフの音楽をアルゲリッチも変幻自在の音色で表現。曲調に合わせて時にまろやかに時に涼やかに時に鋭く音を奏でる。4本の手で奏でているとは思えないほどの多彩な表現が聴かれ、総体として鮮やかなファンタジーを紡ぎ上げた。

 

後半。ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。場所を交代し、酒井が第1ピアノ、アルゲリッチが第2ピアノを受け持つ。
初演時に一大スキャンダルを巻き起こしたことで知られる「春の祭典」。ストラヴィンスキーは管弦楽版と同時進行で2台のピアノのためのバージョンを作曲している。
音色のパレットはオーケストラ版の方が当然ながら豊富だが、それ以上に迫力が前面に出ているため、2台のピアノ版の方が色鮮やかに聞こえるという特徴がある。リリシズムの表出も2台のピアノ版の方が上だ。
第1ピアノの酒井の鮮烈さと第2ピアノのアルゲリッチが生む重厚さとリズム感の冴え、そして二人の相性の良さが際立ち、ピアノ・デュオの表現の幅が広がったかのような、華麗にして手作り感のある「春の祭典」が生まれた。

 

喝采を受けたアルゲリッチと酒井はステージを一周。ピアノの周りをぐるりと回る。スタンディングオベーションを行う聴衆も多く、アルゲリッチは、「まあまあ、こんなに喜んでいただけて」といった風に酒井と共に深々とお辞儀をした。

 

アンコールは、ラヴェルの「マ・メール・ロワ」より“妖精の園”。ラヴェルらしい温かさと優しさと粋に溢れた曲であり、ラストの高音の煌めきは愛知県芸術劇場コンサートホールのステージから遙か上方に向かって際限なく伸びていった。

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2019年10月 5日 (土)

楽興の時(32) 真宗大谷派唯明寺 「テラの音 vol.6」 アンサンブル・ヴェルデ

2019年9月26日 京都・紫野の真宗大谷派唯明寺にて

午後7時から、紫野にある唯明寺(ゆいみょうじ)で、「テラの音 vol.6」を聴く。「テラの音(ね)」はその寺院で行った回数をナンバーとして振っており、唯明寺で行うのが6回目ということで、「テラの音」というイベント自体はもっと数多く行われている。
「テラの音」は、真宗大谷派の寺院で行われることが多いが、唯名寺も真宗大谷派であり、節談説教を行うことでも知られる亀田晃巖住職は、真宗大谷派山城第2組(そ)の組長(そちょう)でもある。

今回は、同志社女子大学音楽学科OGによって結成されたコーラスグループ、アンサンブル・ヴェルデ(松田慶子、高畠菫、大西奈絵、田中美緒、横井優夏、村上友理、岸田典子)による合唱の公演である。「テラの音」企画発案担当で、ヴァイオリニストの牧野貴佐栄(まきの・きさえ)も同志社女子大学音楽学科OGであり、今は同校の非常勤嘱託職員などもしているため、仲間内での公演となる。

アンサンブル・ヴェルデは、「リラックスさせたり癒やしたりする“緑”のようにフレッシュな音楽を届けよう」ということで名付けられたようだが、チラシに書かれた文章の文字が小さかったため、亀田住職は、「緑(みどり)」ではなく「縁(えん)」と読み間違えて紹介していた。東京ヴェルディというチームがあるため、サッカーに興味のある人はヴェルデがイタリア語で緑という意味だと知っているのだが、亀田住職はサッカーには詳しくはなかったようである。
アンサンブル・ヴェルデというグループ名だからといって、普段は緑の衣装で合わせるということはないのだが、今日は特別に緑系や青系というそれらしいドレスでまとめてきたそうだ。

 

「ボス」と呼ばれているピアニストの岸田典子がアンサンブル・ヴェルデの結成者なのだが、岸田は今年35歳で、他のメンバー6人は8歳下だそうである。岸田が同志社女子大学卒業後に、同志社女子大学声楽専攻の助手として合唱のピアノ伴奏をすることがあったのだが、そこで目に付いた6人をスカウトして結成されたのがアンサンブル・ヴェルデだそうである。個性的な子を揃えたいというので、「声が良く出る」、「面白い」、「笑顔が良い」など、一芸に秀でた子を選んだようだ。メンバーは普段は学校の先生をしていたり、OLだったりと、普通の社会人生活を送っているそうである。

 

曲目は、第1部が、「めばえ」、「おんがく」、「犬がしっぽをみて歌う歌」、「秋」、「雪の街」、「夢みたものは」、「鴎」(以上、木下牧子作曲)。源田俊一郎編曲の「女声合唱のための唱歌メドレー」(「故郷」~「春の小川」~「朧月夜」~「鯉のぼり」~「茶摘」~「夏は来ぬ」~「我は海の子」~「村祭り」~「紅葉」~「冬景色」~「雪」~「故郷」~)。
第2部は、ボブ・チルコットの「A Littele Jazz Mass」、岸田典子のピアノ独奏による「里の秋」、瀬戸内寂聴作詞・千原英喜作曲による女声合唱とピアノのための組曲「ある真夜中に」

「めばえ」を無伴奏の合唱で歌った後、メンバーの一人一人が独唱という形で木下牧子の作品を歌っていく。アンサンブル・ヴェルデは来年、大阪府高石市のアプラたかいし小ホールでソロコンサートを行う予定があるのだが、そこでも木下牧子作品を取り上げる予定である。
コーラスグループのメンバーということで、独唱だと弱い感じは否めないが、メンバー紹介としての効果はある。

女声合唱のための唱歌メドレーは、寺院で歌われるのに雰囲気的にも合っており、美しい歌声が堂に満ちた。

ボブ・チルコットの「A Littele Jazz Mass」は、文字通りジャズ風のミサ曲である。想像通りノリの良い曲であった。

「A Littele Jazz Mass」は、高音が多用されるため、歌手達の喉を休めるために岸田典子がジャズ編曲による「里の秋」を弾く。岸田は、「秋ですので美味しいものを食べて肥えて」と冗談を言っていた。折角ダイエットに成功したのに、このところ美味しいものばかり食べていたせいで、また体重が増えてしまったらしい。

 

瀬戸内寂聴の作詞、千原英喜の作曲による女声合唱とピアノのための組曲「ある真夜中に」。“愛から悩みが生まれて”“この星に生まれて”“寂庵の祈り”“ある真夜中に”の4曲からなる。3曲目の“寂庵の祈り”は、以前にも「テラの音」で取り上げられたことがある。愛の業が全体を貫くキーとなっているようだ。

 

アンコールとして小田美貴作曲、信長貴富編曲の「群青」が歌われる。東日本大震災に被災した南相馬市立小高中学校の卒業生と、同校音楽教諭の小田美貴がそれぞれを思いを綴ることで作詞された作品である。卒業式のために作曲された作品ということもあって、学園ソング的な歌詞とメロディーで、奪われることになった南相馬での青春の思い出が歌われている。

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諏訪根自子(ヴァイオリン) 「美しき天然」

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2019年10月 3日 (木)

これまでに観た映画より(130) 「記憶にございません!」

2019年10月1日 MOVIX京都にて

MOVIX京都で「記憶にございません!」を観る。三谷幸喜監督作品。脚本も勿論、三谷幸喜である。出演:三谷幸喜、石田ゆり子、小池栄子、ディーン・フジオカ、迫田孝也、ROLLY、木村佳乃、田中圭、小林隆、宮澤エマ、濱田龍臣、有働由美子、佐藤浩市、吉田羊、斉藤由貴、草刈正雄ほか。

政策に不満な男が投げた石が頭に当たったことで記憶喪失になった総理大臣・黒田啓介(中井貴一)を巡るコメディー映画である。名前も風景も日本なのだが、政治家の振る舞いなどは日本と異なっており、会見の時に使われる国を表す印も「五七桐」ではなく、微妙に違う文様である。

消費税を上げに上げまくり、一方で生活保護費などは減らすという政策、更に自己中心的で人を見下した態度から「史上最低の総理」と言われている黒田。支持率は2%台と低迷中である。妻の聡子(石田ゆり子)、息子の篤彦(濱田龍臣)という家族、更には身辺を守るSPからも嫌われているという鼻持ちならない男であり、黒田をブラックジョークで批判するニュースショーのキャスター(有働由美子)が人気を博しているほどだ。
だが、記憶を失った黒田は、総理時代とは全く異なる小市民的好人物。政治家になる以前の記憶は残っているということで、元々の性格はそれなりに良かったことが想像される。実は、総理大臣は傀儡であり、官房長官である鶴丸(草刈正雄)が黒田を含めて5人の総理の下で立て続けに官房長官を務めていて、実質的には鶴丸の独裁体制が敷かれていた。

黒田を「無能」と見下していた首相秘書の井坂(ディーン・フジオカ)や総理夫人の聡子の面倒を見ることも多い事務秘書官の番場のぞみ(小池栄子)らは、黒田が記憶喪失となったことを隠したままで「全力で押し通る」路線を選び、定例記者会見を一言で打ち切らせたりと、ボロを見せないよう苦心するのだが、黒田が倒れた女性記者を助け起こしたりしたことなどから、総理の変化が徐々に周囲に伝わり始める。

政治という大きな舞台を設定しているが、実際にはファミリードラマであり、妻の聡子や息子の篤彦との関係修復に最後は繋がっていく。三谷版「心の旅」(ハリソン・フォード主演の映画の方)と観ることも出来るかも知れない。

三谷ファンには嬉しい小ネタが充実しているのも特徴であり、三谷が好む人物再登場の法ならぬ小ネタ再登場の法とも呼ぶべきものである。いずれにせよ人間喜劇の手法と取れるのだが、ドミソピザ(舞台&映画「12人の優しい日本人」に登場。キーになっている)が出てきたり、ラストの回想で黒田が語る内容は、1994年に上演された三谷の舞台「出口なし」(サルトルの「出口なし」とは別物である)の主人公である野村東馬(唐沢寿明が演じていた。実は彼は本当は野村東馬ではないのだが、ややこしくなるのでここでは書かないでおく)のセリフがほぼそのまま転用されていたり、人物造形には九代目松本幸四郎(現・二代目松本白鸚)と七代目市川染五郎(現・十代目松本幸四郎)の二人舞台である「バイ・マイ・セルフ」との共通点が見られたりする。「バイ・マイ・セルフ」に登場する幸四郎演じる謎の老優は、自分を特別な人物になんとか仕立てようとするのだが、自分の素の部分が本来は魅力的であるということを染五郎演じる若きフリーライターに指摘されるという筋を辿る。この映画でも黒田が政界を生き抜くために身につけた要素に決別し、家族を再構築しようという様が素敵でもある。
黒田は妻の聡子についてある軽薄な印象を受ける言葉を何度も繰り返すのだが、種明かしされた後では「男なら妻に言ってみたいセリフ」へと変わる。ある意味、言葉の魔術である。

政治家としての部分とファミリードラマを両立させるために流れは悪くなっており、場面によってはグダグダ続くところもあるが、見終わった後はファミリードラマならではのほのぼのとした気持ちになれる。大したことのない作品かも知れないが、三谷本人が大したことない作品を目指しているようなところがあり、政界を扱ったのは背景を大きくすることで小さなドラマをより有効に進めるためでもあるように思われる。成功はしなかったが連続ドラマ「総理と呼ばないで」と同じ路線であり、自らの演出で復讐を図っているように思われる。ただ演説や告白が上手く書けないという三谷の弱点は克服されておらず、今後に持ち越しということになるようだ。

 

中井貴一演じる黒田は小劇場なら小林隆(この映画には省エネルックの大臣として登場)が演じるのに相応しいような役であり(別に中井貴一でもいいのだが)、ROLLYが演じていた鰐淵影虎は、あるいは伊藤俊人が生きていたら抜群に上手く演じられた役のように思われる。ディーン・フジオカが演じていた井坂は若い頃の西村まさ彦が合いそうな役でもある。これまでの三谷作品と重ねながら観るのも面白いだろう。ディーン・フジオカは海外でキャリアを築いてきた俳優ということで、今も発声に問題があり、かなり残念ではあったが、雰囲気は役に合っている。三谷幸喜は全て当て書きの人であり、三谷幸喜に「会ってみたらトンチンカンな人でした」と言われている石田ゆり子などは素の良さが生きているのだと思われる。一方、ROLLYや有働由美子は普段とは違った魅力で見せることに成功している。

 

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2019年10月 2日 (水)

これまでに観た映画より(129) 「人間失格 太宰治と3人の女たち」

2019年9月25日 MOVIX京都にて

MOVIX京都で、日本映画「人間失格 太宰治と3人の女たち」を観る。蜷川実花監督作品。出演:小栗旬、宮沢りえ、沢尻エリカ、二階堂ふみ、成田凌、千葉雄大、瀬戸康史、高良健吾、壇蜜、近藤芳正、木下隆行、藤原竜也ほか。

タイトルには「人間失格」とあるが、小説『人間失格』の話は直接的には登場せず、太宰治(小栗旬)が『人間失格』執筆に至るまでを3人の実在の女性を絡めて描く。

鎌倉・腰越の小動岬での心中未遂の場面に始まり、玉川上水での入水に終わる。
登場する3人の女は、太宰の正妻である石原美知子(作家・津島佑子の母親。宮沢りえ)、愛人の太田静子(作家・太田治子の母親。沢尻エリカ)、愛人で心中することになる山崎富栄(二階堂ふみ)である。

 

スクリーン全体が一色に染まる場面が多用されるという、蜷川実花らしい演出が特徴である。舞い落ちる雪が花びらに変わったり、太宰が屋台の並ぶ祭りの中で迷い、真っ赤な風車(かざぐるま)と嘲笑を浴びせる子ども達に囲まれるという幻覚のシーンは、あるいは父親である蜷川幸雄の晩年の代表的演出作品「身毒丸」へのオマージュだったりするのかも知れない。

 

太宰が小説を書くために心中やらなんやらの事件を起こしているという噂は太宰の生前からいわれていたことであり、玉川上水で心中した際も、「どうせホラだろう」と本気にしなかった人もいたようだ。

 

『斜陽』を書くために太田静子と不倫することを許し、「もっと凄い作品」を書くために山崎富栄に走るよう仕向ける石原美知子が実は影の主人公なのではないかと思われる節もある。美知子の存在感はラストが近づくたびに増していき、最後は『斜陽』のヒロインと重なるような、太宰以上に重要な人物となる。
正樹(太宰治の息子。15歳で夭逝)がこぼしてしまった青の絵の具を美知子と娘の園子が顔に塗りたくりながら泣くという印象的なシーンがあるが、青は悲しみの色であると同時に太宰が吐き出す血の赤の反対色でもあり、はっきりとはわからないが結核を病む太宰を介抱する富栄への対抗意識と合わせて二つながらに描いているようである。本当にそうならベタで露骨ではあるが上手い技法でもある。
他の俳優も優れているが、宮沢りえが、この映画の中では最高の出演者であろう。沢尻エリカや二階堂ふみには押しの演技が必要とされるため、引きの演技の部分は宮沢りえが一人で担っているともいえる。

 

スキャンダラスな太宰治を描くということで、プレイボーイが嵌まるイメージのある小栗旬はよく合っている。頭が良さそうにも文才がありそうにも見えないが、この作品の太宰はそうした要素は二の次三の次で、とにかく色気があることが重要であり、剽軽な部分の描き方も小栗旬の良さが出ている。これまでの太宰治像というと、とにかく陰鬱で自意識過剰でありながら女々しくて、小説家としては天才だが生活は破綻しているという描き方が多かったが、小栗旬の太宰には「軽み」がある。

坂口安吾役の藤原竜也は出番は極々短いが、太宰を『人間失格』執筆へと導く重要な役どころであり、藤原竜也を配したのは正解だと思われる。

耽美的な要素と、男女関係が前面に出ているため、太宰本人ではなく太宰が書いた小説の切実さはあるいは伝わりにくくなっているかも知れない。見ようによっては本当に「ただの不倫」とも取られかねないところはある。

 

個人的には、『人間失格』は、悲惨この上ない物語だとは思っていない。人から愛されるため、他の人と同じ道を歩むために演じ続けることが人間というものなのだとしたら、そんなものは失格してしまった方が良いのではないかとすら思っている。昨今は同調圧力が今まで以上に高まり、「ダイバーシティ」の掛け声とは裏腹に、「同じであること」が強要されるようになってきている。要約すると「LGBTはまともな男と女になるよう努力しろ」ということになる文章を書く人が現れたりするのだから困ってしまう。

 

「存在するため」に人はあるいは「人間」になるのかも知れない。存在するだけではなく生きるためには人間を失格しても良いのではないか。『人間失格』という小説をそう受け取った時、私は初めて太宰治の友人になれたような気がした。この映画では、凄い小説を書くために人間を失格するという解釈なのだと思われるのだが、こうした太宰個人や表現者だけでなく、もっと多くの人に「失格」の良さを示して欲しかったと個人的には思うのだ。

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2019年10月 1日 (火)

コンサートの記(594) 春秋座オペラ10周年記念ガラコンサート

2019年9月21日 京都芸術劇場春秋座にて

午後4時30分から、京都芸術劇場春秋座で、春秋座オペラ10周年記念ガラコンサートを聴く。文字通り春秋座で毎年オペラが上演されるようになってから10年が経つのを記念してのガラコンサートである。午後1時開演と午後4時30分開演の2回公演で、出演者が多少異なるほか、曲目を担う歌手にも変動がある。

 

春秋座での公演はミラマーレ・オペラによる上演であることが多く、オーケストラもミラマーレ・オペラによる小編成の団体が手掛けていたが、今回は常設の京都フィルハーモニー室内合奏団が担う。指揮は奥村哲也。ステージ上での演奏である。
実は、春秋座でオーケストラが演奏を行ったことが一度だけある。2002年の初夏のことで、ルーマニアのトランシルヴァニア交響楽団(ドラキュラで有名な地方の団体)の来日公演であった。私もそれを聴いているのだが、中編成のオケではあったが、そもそもオーケストラが演奏することを想定して作られていないため、「新世界」交響曲ではずっと壁がビリビリ鳴っているという状態で、以後、春秋座ではオーケストラによる演奏は行われていない。京フィルは今年も春秋座で壮一帆とのジョイントコンサートを行ったりしているが、今日も第1ヴァイオリン4のサイズなので音響面で問題はない。足りない音は殿護弘美のピアノが補う。

一方、歌唱の響きに関しては理想的である。そもそも春秋座は三代目市川猿之助(現在の二代目市川猿翁)による上演を想定して作られているのだが、猿之助は歌舞伎は勿論、リヒャルト・シュトラウスの歌劇「影のない女」やリムスキー=コルサコフの歌劇「金鶏」の演出を手掛けたこともあり、グランド形式ではないもののオペラの上演は最初から念頭に入れられていたといわれている。そのため声の通りも良いのだ。ただその分、誤魔化しは利かず、ちょっと上手くいかないと客席にすぐ伝わってしまう。

 

開演前にプロデューサーの橘市郎氏に挨拶したのだが、「入りが良くない」とのことだった。2階席にも人はいるようだったが、休憩時間に確認したところ極々まばら。1階席も前の方や中央列は埋まっているのだけれどという状況である。日本の場合はオペラが日常に根付いていないし、名士が聴きに来たり、ビジネスマンが幕間に商談を行うという習慣もない。西洋だとオペラが共通の教養になっていたりするのだが、ここは西洋でもない。ということで、基本的にはオペラが好きな人だけが来るのだが、当然ながらオペラが好きな日本人というのは圧倒的少数派である。ブランド志向なので海外の名門オペラ劇場の引っ越し公演があったりするとチケットが馬鹿高くても客は入るのだが、ブランドが目当てで音楽やオペラが好きなわけではないので、地元で何かあっても来ない。東京は毎年行われるオペラの森が盛況で、状況は変わりつつあるのかも知れないが、地方にはまだ波及していないのだと思われる。びわ湖ホールなどは子どものためのオペラ作品を上演しており、両親も含めたオペラファン発掘に努力している。

 

曲目は、ビゼーの「カルメン」より前奏曲、ヴェルディの「椿姫」より“ああ、そはかの人か~花から花へ”(西田真由子)、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」より“今の歌声は”(高嶋優羽)、“俺は町の何でも屋”(奥村哲)、プッチーニの「ラ・ボエーム」より“冷たき手を”(笛田博昭)、“私の名はミミ”(稲森慈恵)、“幸せだったあの場所に戻ります”(江口二美)、“もう本当に終わってしまったの”(江口二美、山本欣也、三輪千賀、鶴川勝也)、モーツァルトの「魔笛」より“燃え立つ復讐の炎”(川越塔子)、“ああ消え去った恋の幸せ”(高嶋優羽)、“パパパ”(西田真由子&奥村哲)、プッチーニの「蝶々夫人」より“ある晴れた日に”(川越塔子)、“さらば愛の家よ”(笛田博昭)、ビゼーの「カルメン」より“恋は野の鳥(ハバネラ)”(並河寿美)、“闘牛士の歌”(片桐直樹)、“うまい話があるぞ”(岡村彬子、三輪千賀、西田真由子、山本欣也、奥村哲)、“花の歌”(井藤航太)、ヴィルディの「椿姫」より“乾杯の歌”(全員)。進行はミラマーレ・オペラ代表理事の松山郁雄が務める。

 

歌手がオーケストラの前に出て歌うスタイルであるため、歌とオーケストラの間にズレが生じることも多いのだが、これはいわゆるオペラ上演と異なるので仕方のないところである。
日本語のセリフを入れての上演だったが、ちゃんと言えている人がほとんどいないというのが問題点である。音大でも演技の指導はちゃんと行っているはずなのだが、二の次にされているのかも知れない。ドイツには演劇音楽大学が多く、オペラを学ぶのに理想的な環境だと思われるのだが(実際にどうなのかは知らない)、日本の場合は、音楽と演劇の両方があるのは日藝と大阪芸術大学だけだろうか。両方ともクラシック音楽には強くない。

 

歌手はやはり関西出身者や関西で学んだ人が多いが、それ以外の人を紹介する。
春秋座オペラの常連である川越塔子は「東大卒のオペラ歌手」して知られているが、井藤航太も東大卒である(出身は大阪府)。東大を出てオペラ歌手になるのが流行っているのだろうか? オペラでなくても東大卒で音楽方面に行く人には文学部出身者が多いと思われるのだが(加藤登紀子や小沢健二など)、川越は法学部卒(同期に豊田真由子や山尾志桜里がいるという凄い学年)、井藤は医学部卒(医学科ではなく健康総合科学科というところ)である。
江口二美(えぐち・つぐみ)は、愛知県立芸術大学と同大学院修了。
岡村彬子は、熊本県出身で国立音楽大学卒、東京学芸大修士課程修了。
笛田博昭は、名古屋芸術大学と同大学院修了である。
鶴川勝也は、国立音楽大学卒で、現在も東京在住であるが、春秋座オペラのオーディションには毎回参加して役を勝ち取っていたそうである。

 

岡村彬子は、“うまい話があるぞ”でカルメンを歌っていたが、見た目も声の質もカルメンによく合っている。
笛田博昭は朗々とした歌唱で、歌唱終了後の拍手も最も大きかった。
残念なのはお客さんの少なさで、これではステージと客席とに一体感が生まれない。京フィルもファンは多いのだが、今回はその効果を発揮出来なかったようである。

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