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2019年10月30日 (水)

コンサートの記(604) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第532回定期演奏会

2019年10月25日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第532回定期演奏会を聴く。今日の指揮は音楽監督の尾高忠明。

10月から11月にかけて、大阪府内に本拠地を置く4つのプロオーケストラによる共同企画「とことんリヒャルト・シュトラウス」が開催され、それぞれのオーケストラがリヒャルト・シュトラウスの楽曲を組み入れた演奏会を行うが、今回の大フィルの定期演奏会もその内の一つであり、オール・リヒャルト・シュトラウス・プログラムによる演奏が行われる。

曲目は、「13管楽器のためのセレナード」、オーボエ協奏曲(オーボエ独奏:フィリップ・トーンドル)、交響詩「死と変容」、「四つの最後の歌」(ソプラノ独唱:ゲニア・キューマイヤー)。

 

今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。

 

「13管楽器のためのセレナード」。リヒャルト・シュトラウスがわずか18歳の時に書いた出世作である。編成は、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ホルン4、ファゴット2、そして本来はコントラファゴットが入るが、今回はコントラファゴットの代わりにコントラバスを入れての演奏となる。
楽器の選び方からして渋いが、内容も18歳の少年が書いた思えないほどの成熟感があり、後に開化するリヒャルト・シュトラウスの才能の萌芽をすでに感じ取ることが出来る。

 

オーボエ協奏曲。独奏者のフィリップ・トーンドルは、1989年生まれの若手オーボエ奏者。フランスのミュルーズに生まれ、フランス国立ユース・オーケストラやグスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラに参加し、パリ国立高等音楽院在学中の18歳の時にシュトゥットガルト放送交響楽団(SWR交響楽団)の首席オーボエ奏者に就任。現在は、SWR響とヨーロッパ室内管弦楽団の首席オーボエ奏者とフィラデルフィア管弦楽団の首席客演オーボエ奏者を兼任している。ザール音楽大学の教授でもある。2011年のミュンヘン国際音楽コンクール・オーボエ部門で優勝。翌年にはボン・ベートーヴェン音楽祭でベートーヴェン・リングを授与された。

チェロが奏でる葉ずれのような囁きに始まり、オーボエがこの世を賛美するかのような音楽を生み出していく。リヒャルト・シュトラウスが81歳の時の曲であり、若い頃は自画自賛をすることの多かったこの作曲家が、晩年に至って世界そのものの美しさに感謝を捧げているような境地に入ったことを示しているかのようである。
トーンドルのオーボエは伸びやかな美しさが特徴。また身振りが大きい。昔、宮本文昭がJTのCM(1996年までは煙草のテレビCMはOKだったんですね)で体をくねらせながらドビュッシーの「ボヘミアン・ダンス」を吹いていたが(CMディレクターの要望によるものだったそうである)それを連想してしまった。

アンコールとしてトーンドルは、ブリテンの「オウディウスによる6つの変容」を演奏する。伸び伸びと吹いた後で、ラストを付け足しのように表現し、笑いを誘っていた。

 

交響詩「死と変容」。オーケストラのパワーがものをいうリヒャルト・シュトラウス作品。大フィルは馬力十分で、弦の輝かしさにも惹かれるが、強弱の細やかさは今ひとつであり、雑然とした音の塊に聞こえる箇所もあった。ただリヒャルト・シュトラウスの魔術的なオーケストレーションを存分に引き出した場面もあり、プラスマイナス0という印象も受ける。

 

「四つの最後の歌」。リヒャルト・シュトラウスの最高傑作の一つに数えられる作品で、最晩年の84歳の時に書かれている。「春」「九月」「眠りにつくとき」の3曲はヘルマン・ヘッセの詩に、最後の「夕映えに」はヨーゼフ・フォン・アイフェンドルフの詩に曲をつけたものである。

ソプラノ独唱のゲニア・キューマイヤーは、ザルツブルク生まれ。今回が初来日で、アジア来訪自体が初めてだという。モーツァルティウム音楽院で学び、ウィーン国立歌劇場に所属して、「魔笛」のパミーナ役でデビュー。ミラノ・スカラ座、英国ロイヤルオペラ、パリ・オペラ座、バイエルン州立歌劇場など多くの歌劇場でキャリアを積み重ねている。

キューマイヤーの声質は輝かしいというよりも落ち着いたリリカルなもので、「四つの最後の歌」の歌詞を表現するのに優れている。オペラ歌手というよりもドイツ・リートなどに相応しい声のように思えるが、曲に合わせて変えているのだろうか。

尾高と大フィルは「九月」におけるノスタルジア、「夕映えに」での幾層ものグラデーションによる揺れるような響きの表出が見事であった。

 

一昨年はベートーヴェン交響曲チクルスを行い、今年はブラームス交響曲チクルスが進行中の尾高と大フィルであるが、来年度も大型企画が予定されており、1ヶ月ほど先に発表になるという。尾高忠明といえば、現在、日本におけるシベリウス演奏のオーソリティであるため、シベリウス交響曲チクルスだと嬉しく思う。大フィルは史上まだ1度もシベリウス交響曲チクルスを行ったことはないはずである。集客を考えるとロベルト・シューマン交響曲チクルスの方が人を呼べる演目だが、それだと守りに入ったように見えてしまう。
シベリウスがいい。

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