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2019年10月26日 (土)

観劇感想精選(322) 宮沢りえ×堤真一×段田安則 シス・カンパニー公演「死と乙女」

2019年10月18日 大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後7時から、西梅田のサンケイホールブリーゼでシス・カンパニー公演「死と乙女」を観る。宮沢りえ、堤真一、段田安則による三人芝居。作:アリエル・ドーフマン、テキスト日本語訳:浦辺千鶴、演出:小川絵梨子。上演時間約1時間35分、途中休憩なしである。

アリエル・ドーフマンは、1942年生まれの小説家、劇作家、詩人、ジャーナリスト、人権問題活動家。アルゼンチンに生まれ、3歳の時に一家で渡米。1954年にはチリに移り、70年に社会主義国家を目指したアジェンデ政権発足時に文化補佐官を務める。73年にチリで軍事クーデターが起こるとオランダに亡命。その後、アメリカに移り、90年にチリのピノチェト政権が終焉を迎えてからはアメリカとチリを往復する生活を送っている。


アリエル・ドーフマンが青年時代を過ごしたチリと思われる国が舞台であるが、ドーフマンは国の名を特定していない。この国では17年間に渡って軍事独裁政権が続いていたが、それが引っくり返った。かつて反独裁政権運動組織に所属していた弁護士のジェラルド・エスコバル(堤真一)は、大統領から直々に人権調査委員会への中心メンバーとしての加入を打診される。軍事独裁政権が続いていた間、数え切れないほどの無辜の人々が政治犯の疑いによって姿を消していた。ジェラルドはそうした人々の関係者に話を聞いて回り、大量虐殺の真相を突き止めようという役割に就こうとしていたのだ。
大統領と面会した夜、ジェラルドは帰り道に車のトラブルに見舞われる。パンクをしてしまい、トランクに入れていた代わりのタイヤも使い物にならない。そもそもジャッキがなくなってしまっていた。たまたま通りかかった医師のロベルト・ミランゲ(段田安則)の車に乗ってジェラルドは帰ってくるのだが、ロベルトの声を聞いたジェラルドの妻のポーリーナ(宮沢りえ)は、15年前に自分を監禁し、何度も強姦するよう仕向けた医師こそがロベルトなのだと確信する。監禁されていた間、ポーリーナはずっと目隠しをされていたのだが、見えないことで聴覚が研ぎ澄まされ、医師の声をずっと覚えていたのだという。ポーリーナもロベルト同様、反独裁政権運動組織に入っていたのだが、1975年のある日突然誘拐され、拷問を受けたのだった。ポーリーナは当時医学部に通う学生だったのだが、卒業は出来ず、当然ながら医師資格も得られていない。今はジェラルドの妻として暮らしているが、精神的に不安定であり、ずっと神経質な仕草を繰り返している。

ロベルトが再びジェラルドの家を訪れた日。深夜ということで、ロベルトはジェラルドの家に泊まることになったのだが、夜中、眠っていたロベルトをポーリーナが襲う。ポーリーナはロベルトを椅子に縛り付け、拳銃で脅して、かつて自分を監禁した秘密警察に協力し、指示を出していた医師はロベルトだろうと詰め寄る。ロベルトは何のことかわからないと否定するのだが……。

15年前、ポーリーナが監禁されていた時に、秘密警察の医師はシューベルトの音楽をよく流していた。ポーリーナはシューベルトが好きだったが、その時のトラウマで今はシューベルトの音楽を聴くことが出来ない。ポーリーナはロベルトを襲撃した後で彼の車を移動させて見えないところに隠したのだが、その際、車の中にシューベルトの弦楽四重奏曲「死と乙女」のテープがあったのを発見し、ラジカセにテープを入れて流す。死を恐れる瀕死の乙女に死神が優しく語りかけるという内容の「死と乙女」になぞらえた心理的攻防が展開されていく。

ポーリーナはロベルトを私的裁判に掛けようとするのだが、「これでは俺たちが否定し続けて来たことと同じだ」とジェラルドは強く反対する。ジェラルドは責任ある立場に就くことが決まった今、妻の行いが表沙汰になることで積み上げてきたことが全て崩壊してしまい、元の暗黒へと戻ってしまうことも恐れている。

独裁政権が終わり、民主主義の時代がやって来た。だが、その中でポーリーナは復讐として独裁者と同じような行動に出てしまう。独裁を否定し、危険を冒して反対運動に身を投じて来たはずが、独裁者を同じような振る舞いをするようになってしまうのである。ポーリーナの復讐と秘密警察の行いとの間に差があるかといえば、ほとんどない。かつての被害者は加害者となって同じ事を繰り返してしまう。鏡の反転の中で行われる芝居である。

ロベルトが本当に秘密警察に協力してポーリーナを蹂躙した医師だったのかどうか、はっきりとは明かされない。ジェラルドの提案で、ポーリーナもロベルトも証言をテープに録音し、書き起こすことになるのだが、ロベルトはポーリーナの証言を先に聞いてから証言を行っており、またジェラルドから事の成り行きを教えて貰ったそうで、処刑を免れるために流れに沿って証言したという。だが、ポーリーナは自身の証言の中に嘘を交えており、ロベルトがポーリーナが語った偽の固有名詞などを無意識のうちに正確なものに変えてしまっていると指摘する。ただこれも本当のことなのかわからない。
ロベルトは、秘密警察に協力していた医師同様、ニーチェの言葉を引用する。またシューベルトの音楽を好む。ただ、それだけである。それだけではなんともいえない。ポーリーナがロベルトがその医師だと判断した根拠は声だが、顔を見ていない以上、確固たる根拠と見なすことは出来ない。
被害者意識が暴走しているだけのようにも見える。それはある意味、痛みの告白であると同時に新たなる社会への警告でもある。


ラストはそれまでの話の流れとは切り離されたものだ。教会で行われるコンサート。演目はシューベルトの弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」。ジェラルドとポーリーナの夫妻が並んで腰掛け、ロベルトはやや離れた後ろ側の席で聴く。途中、ポーリーナが振り向き、ロベルトと視線を交わす。ポーリーナは笑みを浮かべ、ロベルトは浮かぬ顔のままだ。ただ、基本的には全員が同じ方向を向いている。
この場が何を意味するのか明確に示されてはいない。ポーリーナがシューベルトの音楽を聴けるようになったことはわかるが、それまでにどのようか過程があったのか、何をどう乗り越えてここに至ったのか、死があったのか和解がなされたのか、あるいはこの場面全てが幻想なのか。ただ例え幻想であったとしても、それはリアルで切実なものである。


「死と乙女」が映画化された際、監督を務めたロマン・ポランスキーは、「『羅生門』のビデオをもう一度観たいのだが、手に入るだろか?」とアリエル・ドーフマンの妻に打診したことがあるそうだが、確かに「死と乙女」は映画「羅生門」と原作である芥川龍之介の「藪の中」に似た構図と内容である。証言が食い違う場面などは酷似している。

個人的には、マルグリット・デュラスの「ヴィオルヌの犯罪」を思い出した。この作品も録音された声による証言を巡る話である。戯曲をデュラス自身がリライトしたものが文庫から出ており(今は絶版かな?)、戯曲も大きめの図書館に行けば読むことが出来るが、上演自体は私が確認した限りでは日本ではほとんど行われていない。デュラスは「ユダヤ人の家」もそうだが、こうしたテイストの戯曲は多い。

宮沢りえの演技が本当に素晴らしい。心に傷を負いながら、時にサディスティックに、時にセンシティブになるポーリーナを声色を変えつつ抜群の説得力を持って演じている。映画「人間失格 太宰治と3人の女たち」での演技も見事だったが、宮沢りえもいよいよ本物である。挫折とスキャンダルも多かった俳優人生であるが、頂点に立つ一人へと駆け上がりそうだ。

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