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2019年10月13日 (日)

楽興の時(33) 「テラの音 Vol.27 ~洋楽と邦楽の世界~」

2019年10月4日 京都市中京区の真宗大谷派浄慶寺にて

午後7時から、御所の南にある真宗大谷派小野山浄慶(じょうきょう)寺で「テラの音(ね) Vol.27 ~洋楽と邦楽の世界~」を聴く。タイトルにある通り、クラシックと邦楽のジョイントが行われる。出演者は、「テラの音」共同主宰兼企画担当ででヴァイオリニストである牧野貴佐栄(ヤマハ音楽教室ヴァイオリン講師)、ピアニストの森麻衣子、歌・三絃の佐藤文岳晶(本名と作曲家・編曲家としての名前は佐藤岳晶)。

曲目は、シューベルトのヴァイオリン・ソナタ第3番、木ノ本屋巴遊作曲の地歌「葵の上」、クライスラーの「愛の喜び」、玉岡検校作曲の地歌「鶴の声」(ヴァイオリンパート作曲:初代中尾都山。改訂:佐藤岳晶)、佐藤岳晶の「黒髪」、湖出市十郎作曲の地歌「黒髪」、幸田延のヴァイオリンソナタ第2番ニ短調。

幸田延のヴァイオリン・ソナタニ短調は最近、医師免許を持つプロヴァイオリニストとして知られる石上真由子がCDをリリースしており、まだ買っていないがいずれは買って聴いてみようと思っている。

 

牧野貴佐栄は、名古屋市立菊里高校音楽科を経て同志社女子大学音楽学科を卒業しているが、森麻衣子も同じ名古屋市内にある愛知県立明和高校音楽科を経て同志社女子大学音楽学科を卒業という似た経歴を持っている。前回に「テラの音」に出た時は、富山市にある桐朋学園大学院大学(2017年に東京の調布市にある桐朋学園大学の本部にも大学院が出来たのでややこしいことになっている)に在学中だったが、現在は修了しており、関西での音楽活動や音楽教室での指導を行っているようだ。ピアノを田部京子や岡田博美に師事、室内楽を藤原浜雄や川久保賜紀に師事している。来年の2月には上桂にある青山音楽記念館バロックザールでリサイタルを行う予定である。

佐藤文岳晶/佐藤岳晶は、地歌箏曲を二代米川文子に指示しているが、幼少時から西洋音楽を学び、桐朋学園大学ピアノ専攻卒業、パリ国立音楽院エクリチュール(作曲理論)科を修了しており、西洋音楽を学んでいた時間の方が長いようである。現在は京都女子大学准教授、桐朋学園大学院大学ほかの非常勤講師を務めている。

 

シューベルトのヴァイオリン・ソナタ第3番。シューベルトが愛用してた眼鏡は今丁度大阪の国立国際博物館に展示中なのでタイムリーである(?)。
典雅さと毒々しさの両方を持つシューベルトの個性は、この曲でも良く発揮されている。この曲の調性はト短調で、モーツァルトがキラーコンテンツとしてきた調性であるが、モーツァルトよりもベートーヴェンに近く聞こえるのは、第3楽章の旋律のせいもあるだろう。

 

地歌「葵の上」は、カットを入れたバージョンでの上演である。葵の上に嫉妬した六条御息所の心情が語られる。

 

牧野貴佐栄によると、日本の洋楽の黎明期には、西洋の音楽と邦楽が同じ演奏会の中で演奏されることの方が多かったそうで(確かに上野の旧東京音楽学校奏楽堂なんかはそんなイメージがある)、今回のコンサートではその再現を試みたそうである。

 

休憩時間に浄慶寺の中島浩彰住職による法話がある。仏教というと、今は「葬式仏教」のイメージが強いが、お釈迦様は勿論、日本の各宗派の開祖もお葬式については何も唱えておらず、仏教は生きる苦しみから逃れるために始まったと語る。
西洋の宗教や科学もその点は同じであり、根底の部分は仏教とよく似ているのだが、西洋は蓄えたデータを客観的に分析し、仏教は解析するのではなく「自分」「私」の主観でそれを捉えるという違いがあると結論づけていた。

 

クライスラーの「愛の喜び」。実は、今日のプログラム最後の曲の作者である幸田延は、クライスラーも師事していたヨーゼフ・ヘルメスベルガーⅡ世(「悪魔の踊り」などの作曲家としても知られている)にヴァイオリンを師事していたそうで、そのためにクライスラー作品が取り上げられるようになったそうだ。
技術面では結構怪しい部分もあったりするのだが、このコンサートはそういうことを気にする場ではない。

 

地歌「鶴の声」では、元々尺八のために書かれた旋律を、初代中尾都山がヴァイオリン用に編曲したものが奏でられる。「美しき天然」だとか「宵待草」などに繋がる懐かしさがヴァイオリンの音色から感じられる。
「鶴の声」は、形こそ違うがクライスラーと同じ「愛の喜び」を題材とした歌であり(鶴は千年といいます、共に白髪になるまで一緒にいましょうという歌詞を持つ)、そのために続けてプログラミングされたことが明かされた。

 

佐藤岳晶の「黒髪」は、元々は佐藤が米良美一のために石牟礼道子の詩に曲をつけたものだそうだが、今回は佐藤本人がヴァイオリンとピアノのための編曲した者ものが演奏される。サビの部分でのヴァイオリンのピッチカートが効果的である。

 

地歌「黒髪」。3人が勢揃いしての演奏である。ヴァイオリン・パートはやはり初代中尾都山が尺八用のものをヴァイオリン用に編曲したものが用いられる。ピアノ・パートは佐藤が作曲したものが演奏される。
地歌とヴァイオリンは昔から演奏されてきたものであるが、ピアノは佐藤に手によるものということで新しい印象を受ける。地歌とヴァイオリンに連れず離れずで、浮遊感を持つピアノは、日本に於けるフランス音楽受容に多大な貢献を行った橋本國彦作品に通ずるところがあるように思う。そういえば佐藤はパリ国立音楽院出身なのだった。

 

幸田延のヴァイオリン・ソナタ第2番ニ短調。幸田姉妹の姉である幸田延。幸田露伴の妹である。日本のクラシック音楽受容最大の貢献者の一人であり、瀧廉太郎や山田耕筰らを育てたことでも知られる。
ちなみに、せいぜい150年程度でしかない日本のクラシック音楽の歴史上に、実は「幸田姉妹」は二組いる。まずは幸田延と幸田幸(結婚後は安藤幸)の幸田姉妹、そして現役である幸田さと子と幸田浩子の幸田姉妹である。幸田というのは珍しい苗字ではないがありふれているわけでもない。二組の間に血縁関係はなく、かなり面白い偶然である。
2曲のヴァイオリン・ソナタはいずれも幸田延のウィーン留学中に書かれたそうで、ドイツ的な趣を持つとされるが、聴いてみると結構なド演歌で、西洋人が聴いたら「日本人の作品」とすぐに見破られそうな気もする。日本人としては幸運なことにド演歌であったため旋律も覚えやすく、展開もわかりやすくて十分に楽しむことが出来た。

演奏会が終わって、そのまま帰ろうとしたのだが、住職の小学生の娘さん二人が電子ピアノで遊んでいる音がしたので、引き返してピアノで少し遊ぶ。上手く弾ければ良かったのだが、練習をしていないため、暗譜が出来ていない。ということで何曲かの冒頭だけ弾いて遊んだ。

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