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2019年10月28日 (月)

コンサートの記(600) 「時の響」2019 「金色に魅せられた日本とオーストリア 琳派からクリムト、そして現代への継承」 広上淳一指揮京都市交響楽団 第1部「オーストリア×日本 琳派 ゴールド」ウィーンの景色&第2部「古都京都の文化財世界遺産登録25周年」京都今昔物語

2019年10月20日 京都コンサートホールにて

午後1時から、京都コンサートホールで「時の響」2019を聴く。一昨年から始まった音楽文化祭典「時の響」。昨年は規模が拡大されて音楽祭となっていたが、今年は第1部第2部とも上演時間1時間ほどのコンサート2つ、更にアンサンブルホールムラタで西村由紀江らによるスペシャルコンサートがあるが、スペシャルコンサートには参加しない。

「時の響」本編「金色に魅せられた日本とオーストリア 琳派からクリムト、そして現代への継承」は、広上淳一指揮京都市交響楽団によるコンサートである。第1部は「オーストリア×日本 琳派 ゴールド」ウィーンの景色と称したコンサート。日本とオーストリアの国交150周年を記念し、オーストリアの首都ウィーンを題材にした曲目が並ぶ。ウィーンを代表する画家のクリムトと、日本の琳派が共に金を使った絵を残しているということで、ホワイエでは作品のレプリカの展示などがある。またホール内ポディウムには「豊国祭礼図屏風」の高精度複製が立てかけられている。余談だが、この「豊国祭礼図屏風」には嘘がある。豊臣秀吉七回忌として慶長9年(1604)に行われた豊国大明神臨時祭礼であるが、その2年前に方広寺の大仏殿は火災で焼失しており、「豊国祭礼図屏風」に描かれている大仏殿は焼失前のものを仏画などによく見られる異時同図で描いたもので、実際には祭礼が行われた時には大仏殿はなかったのだ。大仏殿の再建が始まるのは慶長13年に入ってからである。

曲目は、前半が「音楽の都『ウィーン』を想う」と題して、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」、ヨハン・シュトラウスⅠ世の「ラデツキー行進曲」、ヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「こうもり」序曲、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」第1楽章という曲が並ぶ。後半は「岸田繁『ウィーン』の景色」という題で、岸田繁が作曲した「心の中のウィーン」と「ジュビリー」が演奏される。「ジュビリー」は岸田のギター弾き語り入りである。ナビゲーターは栗山千明。

今日は客演のコンサートミストレス。顔に見覚えがあるような気もするが思い出せない。フォアシュピーラーに尾﨑平。

席であるが、最前列の指揮者のほぼ真後ろという、先日観た映画「レディ・マエストロ」のような状態。最前列は直接音が強すぎて音は余り良くない。管楽器のメンバーの顔も弦楽奏者の影になって窺えず、フルート首席の上野博昭が前半のみ、クラリネット首席の小谷口直子は前後半共に出演ということぐらいしかわからない。トランペットは第1部ではハラルド・ナエスの、第2部では稲垣路子と早坂宏明の顔が確認出来たが、全体としてどういう布陣だったのかは不明である。
栗山千明を間近で見られるのは嬉しかったけれど。

開演前に、「時の響」実行委員会に名を連ねている公益財団法人京都市音楽芸術文化振興財団と大日本印刷株式会社の代表者からの挨拶があった。

ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」。ニューイヤーコンサートで演奏される類いのものとは違い、がっしりとしたシンフォニックな演奏で来たのが意外だった。中間部でテンポを落としてからアッチェレランドし、ステップを踏みながら踊るのが広上らしい。

演奏終了後に、ナビゲーターである栗山千明が登場。今回の演奏会は京都を前面に押し出しており、また公益財団法人京都和装産業振興財団による「きもの文化をユネスコ無形文化遺産に!」という推進運動もあって、着物着用の聴衆にはキャッシュバックがある。栗山千明もプログラムにわざわざ「きもの着用」と書かれており、その通りの格好で現れる(現れないとまずいが)。クリムトと尾形光琳の絵には金箔が用いられているということで、栗山千明の着物にも金が用いられているのだが、ぱっと見はよく分からない。広上が「金(きん)あるの?」と聞き、栗山が「あります」と答えていた。このやり取りは台本にはないそうである。
栗山千明で京都というと、まずフジテレビ系の深夜に放送されていた「0-daiba.com」の京都特別編「京都慕情」が思い浮かぶ。栗山千明演じる成瀬一美は、京都芸術センターや百万遍交差点などを訪れている。
また映画「鴨川ホルモー」では、オタクっぽい京大リケジョの「凡ちゃん」こと楠木ふみを演じている。

広上による楽曲解説。「美しく青きドナウ」はオーストリア(広上はオーストリーという呼び方をしていた)第2の国歌と呼ばれており、広上は「日本でいう『故郷』のようなもの」と語る。またウィーンは京都に似ているということで、京都に例えて「美しく青き桂川のような」と表現する。ドナウ川はウィーン市の郊外を流れているため、京都の町中を流れている鴨川はやはりちょっと違うだろうと思われる。東京だと隅田川ではなくて多摩川、大阪だと淀川じゃなくて……、大阪市の郊外には綺麗な川はあったかな? 大和川は絶対に違う。
ウィーンはハプスブルク家の都で魅力的な場所であり、昔から様々な人がそこをものにしようと狙って来た。そこも京都に似ていると広上は述べる。
またヨハン・シュトラウスⅡ世とⅠ世は親子で同じ名前だと紹介し、ヨハン・シュトラウスⅠ世は放蕩者だったため、Ⅱ世が15歳ぐらいの時によそに女を作って出て行ってしまったという話をする。Ⅱ世はそれまで本格的に音楽に取り組む気はなかったのだが、生活費を稼ぐために音楽を学んで成功。父とはライバル関係になって勘当されたりもしている。実はⅡ世も弟2人に作曲をするよう強要して兄弟仲まで悪くなってしまうのだが、それはまた別の話である。

栗山千明は、「ラデツキー行進曲」を「デラツキー行進曲」と間違えて紹介。広上がすぐ「ラデツキー行進曲は」と言い直して、ウィーンのニューイヤーコンサートでお客さんが手拍子を入れるという話をしたのだが、結局、その後も栗山千明は「デラツキー行進曲」と何度も間違え続けていた。「ラデツキー行進曲」も知らないという事は、クラシック音楽に関してほとんど何の知識もないということであり、ちょっとがっかりする。

「ラデツキー行進曲」では、広上はオーケストラよりも聴衆の拍手を中心に指揮した。カットありの版での演奏。

 

ヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「こうもり」序曲。喜歌劇「こうもり」はウィーンでは年末に上演されることが恒例となっている。
華やかさとスケールの大きさ、ウイットを兼ね備えた演奏で、京響の響きも充実している。

演奏終了後に登場した栗山千明は、「先程は大変失礼いたしました。『ラデツキー行進曲』」と詫びていた。

モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」第1楽章。この曲では栗山はなぜか「ジュピター」というタイトルは一度も告げなかった。
広上が栗山に、「モーツァルトがどういう人だったかご存じ?」と聞き、「ごめんね、台本にないことばかり言って」と続ける。「実際に会ったわけじゃないんですが」と広上は前置きして、「ハリウッド映画で『アマデウス』という作品がありましたが、あれに出てくるモーツァルトはフィクションです。ただ書き残したものから、あれに近い人だったんじゃないかと言われています。人前では言えないようなことを書いていたり、女の子が『キャー!』とか『わあ!』とか言うと、『うひひひひ』と喜ぶような。小学生がそのまま大きくなったような、こういう人ってどう?」
栗山「仲良くなりやすいとは思います」(若干引き気味に見えたが気のせいだろうか)
広上「そういう人を喜ばせるのが好きな人だったと思います」

「ジュピター」を得意とする広上。澄んだ弦楽の響きを生かした純度の高い演奏を繰り広げる。弦のビブラートは各々で異なり、ピリオドを徹底させた演奏ではないが、途中で現れる音を切りながらの演奏は古楽を意識したものだろう。
モーツァルト本人はあるいは全く意識していなかったかも知れないが、今日のような演奏で聴くと本当に宇宙的な音楽に聞こえる。

 

くるりの岸田繁が登場しての後半。栗山千明が、くるりがウィーンでレコーディングを行った経験があることなどを紹介する。ウィーンについて岸田は「京都に似ている」と言い、広上は意見が合ったと喜ぶ。「人口も180万くらいで(京都市は147万人ほどだが昼間人口は増える)。まあ同じぐらい」「中心部は昔ながらの建物が残されていて(第二次大戦の戦災で焼失したものもあるが元通りに復元されている)、郊外には意外に工業地帯があったりする」。ドイツ語圏ではあるが言葉も違い、「おはよう」も「グーテンモルゲン」ではなく、「グリュースゴット」と言うと紹介する。ウィーンで初めて聞いた時は岸田は意味が分からず、「なにそれ?」と聞き、「いや、ウィーンではこうやって言うんだ」と主張された(?)そうである。「グリュースゴッド」は、「神があなたに挨拶しますように」という意味で、広上は「キザ」と形容する。
岸田は自身の事を述べる際には「僕はキザではないんですが」と断りを入れていた。

「心の中のウィーン」はワルツと4拍子を取り入れた曲であり、ウィンナコーヒーのような甘さを意図的に出している。

岸田繁のギター弾き語り入りの「ジュビリー」はウィーンで作曲されたというだけで、特にウィーン情緒を出した感じは受けなかった。

 

1時間ほどの休憩を入れて第2部スタート。休憩の間、私は一度外に出て自販機でカフェラテを買って飲んだ。特にウィーンを意識したわけではない。

 

第2部は、「古都京都の文化財世界遺産登録25周年」京都今昔物語と題したコンサートで、新作の世界初演2曲が続く。

開演前に門川大作京都市長の挨拶があり、文化庁の京都移転や京都駅東南地区を共生の街にするプランなどが話された。どちらもちょっと前までは明るい話題であったが、そこは京都ということか、何やら暗雲が垂れ込み始めている。
門川市長は、「日本が世界に誇れるもの、それは文化」と語っていたが、現状ではこれも疑問である。クラシック音楽の分野における日本の未来は明るいかも知れないが、その他は厳しいかも知れない。

 

まずは母校の京都市立芸術大学作曲科講師でもある酒井健治のヴィオラ協奏曲「ヒストリア」。ヴィオラ独奏は、京都市交響楽団首席ヴィオラ奏者の小峰航一が務める。
疾走するヴィオラをオーケストラが盛り立てていくような曲調である。メシアンにも近いがノーノ的にも聞こえる。ヴィオラ協奏曲ということで、ヴィオラ独奏がオーケストラのヴィオラパートと歌い交わす場面もあり、意欲的な作風だ。
緊迫感もあり、面白い楽曲である。ヴィオラ独奏はかなり難度が高そうであったが。

 

今日最後の曲は、岸田繁の作・編曲(共同編曲:足本憲治)による「朗読とオーケストラ 京のわらべうた変奏曲による『徒然草』」~京都生まれの日本哲学~。吉田兼好の「徒然草」を現代語訳したものを栗山千明が朗読し、背後のスクリーンには武蔵野美術大学出身の文字×映像ユニット宇野由希子+藤田すずかによる文字アニメーションが投映される。

岸田繁の音楽はタイトルの通り、「丸竹夷二押御池 姉三六角蛸錦」という京の通り名を挙げる「京のわらべうた」を変奏していくもので、オーケストラのパレットも次々変わる。酒井健治の作品とは対照的であるともいえる。
素朴で愛らしいメロディーを奏でるのだが、広上の指揮ということもあってか響きは意外に重厚で輝かしく、さながらベンジャミン・ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」の日本版のような趣である。
栗山千明が読み上げるテキストは、「人生の短さ」「物事を先延ばしにすることの愚かしさ」「想像力の大切さ」「先入観を捨てることの有効性(虚であるべきこと)」などを抜粋したもの。葵祭が終わった夕暮れの寂しさなども採用されている。
栗山千明は茨城県出身なので標準語とは少し異なるイントネーションである。明るめの声を生かし、「流石は国際派女優」のしっかりした朗読を披露した。

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