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2019年11月の30件の記事

2019年11月30日 (土)

コンサートの記(609) パーヴォ・ヤルヴィ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団来日演奏会2019堺

2019年11月23日 堺市・堺東のフェニーチェ堺大ホールにて

この秋にオープンしたばかりにフェニーチェ堺で、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の来日演奏会を聴く。

最寄り駅は南海堺東駅である。堺市庁舎23階にある展望台で世界文化遺産への登録が決定したばかりの百舌鳥・古市古墳群を眺めてからフェニーチェ堺に向かう。最初は堺市役所の西側にある大通りからフェニーチェ堺に近づき、北側を通って東側にあるエントランスにたどり着く。北側からの眺めはまるで美術系専門学校といった雰囲気である。その後、堺銀座通り商店街に戻り、今度は、東側からフェニーチェ堺に向かったのだが、今度はいかにも文化施設といった外観に見える。角度によって印象が大きく異なるようだ。

 

フェニーチェ堺大ホールは、3階まではエスカレーターがあるのだが、4階席へは細い階段を上がる。ロームシアター京都メインホールと同じような感じだが、フェニーチェ堺大ホールは4階までエスカレーターは上がる。細い階段はロームシアターは2本あるが、フェニーチ堺は1本だけなので、4階席に行くならエスカレーターで一気に行ってしまった方が良いかも知れない。

構造的にはちょっと使いにくいといった印象は受ける。4階席自体の面積が余りないので、最寄りの入り口からの入場となる。他のホールのように少し遠い入り口から入って場内を移動ということは難しい。
4階の傾斜から見て、「これは今日は指揮者は見られないぞ」と思ったが、なんとか見える。だがそれはロームシアター京都メインホールのベランダ席にもあるハイチェア席だったからである。席が高めに設置されおり、折りたたみ式の足乗せ台が下にある。視角は良くなったがやはり疲れる。

内装は、一昔前の公会堂を木目にした感じで、意外であった。ステージから遠いのでちゃんと聞こえるが不安だったが、音の通りはかなり良い。

 

パーヴォ・ヤルヴィ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の日本ツアーは今日が楽日である。午後5時開演。

当初は、音楽監督であるダニエーレ・ガッティとの来日になるはずだったと思われるが、ガッティがセクハラ疑惑で馘首となったため、代役としてパーヴォが指名されたのであろう。パーヴォはそう度々コンセルトヘボウ管弦楽団に客演しているわけではないので、急遽の抜擢だったと思われる。パーヴォが日本に拠点を持っていたということも大きいのだろう。

 

曲目は、ベートーヴェンの交響曲第4番とショスタコーヴィチの交響曲第10番。いずれもパーヴォはレコーディングを行っている曲目である。

コンセルトヘボウ管は古典配置での演奏。パーヴォは基本的に古典配置を好んでいるようである。

 

ベートーヴェンの交響曲第4番。パーヴォはドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンとレコーディングを行っており、同コンビの実演にも接したことがある。
パーヴォとドイツ・カンマーフィルが作成した「ベートーヴェン交響曲全集」の中で最も衝撃的だった演奏の一つがこの第4番である。ベートーヴェンの交響曲の中で最もアポロ的と思われた同曲をディオニソス的に演奏し、常識を覆してみせた。もっとも、そうした演奏をするだけならそう難しいことではなかったのかも知れないが、パーヴォの凄さは説得力に溢れていたことである。

コンセルトヘボウ管との演奏も、ドイツ・カンマーフィル同様、ピリオドによるアプローチ。バロックティンパニが用いられている。
流石に手兵であるドイツ・カンマーフィルに比べると、コンセルトヘボウはパーヴォの棒への対処が遅れがちで、もどかしいところもあったが、強弱、緩急ともに自在のエネルギッシュで面白いベートーヴェンを聴かせる。クラリネットは特に即興的に吹かせている。ゲネラルパウゼも長め。パーヴォの腕をグルグル回す指揮も見ていて爽快である。
第1楽章ではまろやかで明るめの音色を出していたコンセルトヘボウ管だが、第2楽章ではお馴染みの渋めの音色も披露。エレガントな描写力もあり、ある意味、最もヨーロッパ的といえるオーケストラの実力をいかんなく発揮する。
第4楽章のラストは超スローテンポからの一気の加速というユニークさで、聴衆を沸かせた。

 

ショスタコーヴィチの交響曲第10番。パーヴォはシンシナティ交響楽団とこの曲をレコーディングしている。

コンセルトヘボウ管は極彩色の音色で阿鼻叫喚の地獄絵図を奏でる。その異常さ痛切さに胸が苦しくなるが、同時に美と悲しみが隣り合わせであることを実感させられる。
第1楽章のラストでは、ピッコロ2本が遠くに霞んで見える希望を浮かび上がらせるのだが、やがてピッコロは1本での孤独な囁きとなり、ティンパニがこだまして希望が雲の彼方に消える。

「スターリンの肖像画」といわれる第2楽章を嵐のような勢いで進撃したパーヴォとコンセルトヘボウ。第3楽章では、ショスタコーヴィチの「天才」としか思えない至芸を明らかにする。
最初、警告のように聞こえたホルンのソロが、弱音で演奏されると先程のピッコロ同様、遙か遠くに霞む希望のように聞こえる。ピッコロが伏線になっていたとはいえ、全く同じ音型で別のものを描くということ自体が天才でしか着想し得ないものである。

第4楽章では重苦しい響きの中で突如、クラリネットとファゴットが奇妙だが明るい旋律を吹き始め、曲調がガラリと変わる。クラリネットとファゴットはそれまでずっとシリアスな役割を演じていたのだが、その楽器が端緒になって趣を変えていくというのもショスタコーヴィチらしいひねりである。
やがて壮大なうねりが訪れ、遠くにあった希望が目の前に到来するかと思ったその手前で止めてしまうというのもショスタコーヴィチらしい。

美音と凄惨という相反するかのように思える要素を巧みに止揚させたパーヴォとコンセルトヘボウ管。野田秀樹が「カノン」で用いた発想が思い起こされる。

 

アンコールは2曲。アンコール演奏の前にパーヴォはホールのスタッフだと思われる女性から花束を受け取り、譜面台の上に乗せていったん退場。その後、再び指揮台に上がり、指を1本立てて(ONE MORE)演奏を行おうとしたのだが、花束を譜面台に乗せたため「今日はアンコールなし」と思い込んで譜面を交換していなかったメンバーが何人もいて、楽団内からも客席からも笑いが起こる。

1曲目は、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」より“トレパーク”。年末になると聴く機会の多くなる曲である。この曲でもコンセルトヘボウ管の美音がなんといっても印象的である。パーヴォは内声部を表に出す場面などがあり、個性を発揮していた。

2曲目は、パーヴォのアンコール曲目の定番であるシベリウスの「悲しきワルツ」。今日も黄泉の国から聞こえてくるかのような超絶ピアニッシモが聴かれる。超弱音でもピッチカートが丸みを帯びているのがコンセルトヘボウ管らしいところである。

 

楽団員の多くがステージを去ってからも拍手は鳴り止まず、パーヴォが再び登場。ここでパーヴォはステージ上にまだ残っていた女性ファゴット奏者を指揮台に上げて喝采を浴びさせるというユーモアを披露。父親のネーメ・ヤルヴィもユーモアが大好きであり、この面では似たもの親子ということになるのだろう。

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2019年11月26日 (火)

これまでに観た映画より(144) 「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」

2019年11月19日 京都シネマにて

京都シネマで、アメリカ映画「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」を観る。J・D・サリンジャー生誕100周年記念作品。監督・脚本:ダニー・ストロング。出演:ニコラス・ホルト、ケヴィン・スペイシー、ゾーイ・ドゥイッチ、ホープ・デイヴィス、サラ・ポールソンほか。

若者の間でバイブル的人気を保ち続ける『ライ麦畑でつかまえて』の作者、J・D・サリンジャーの伝記映画である。原作は、ケネス・スラウェンスキーの『サリンジャー 生誕91年の真実』。

サリンジャーが作家を志してコロンビア大学の創作コースに入る直前から、沈黙に入る時期までを描いている。

左翼団体が幅を利かせすぎたために今はなくなってしまった明治大学の生協で初めて買った本はE・H・カーの『歴史とは何か』であるが、初めて買った小説は『ライ麦畑でつかまえて』だったという記憶がある。だが、私が明治大学第二文学部に入った当初は生協は今は紫紺館が建つ小川町校舎にあり、『ライ麦畑でつかまえて』を買ったのは今は三省堂書店が入っている12号館の地下2階であったことは確かである。私が明大に入った1994年の夏に生協が小川町校舎から竣工したばかりの12号館に移っているため、ひょっとしたら『ライ麦畑でつかまえて』を買ったのは12号館の生協で買った小説としては最初であるが、小川町校舎時代の生協で何か別の本を買っている可能性もある。もう大分前のことなので記憶も曖昧である。ただ当時、「十代の内に『ライ麦畑でつかまえて』は読んでおきたい」という気持ちがあったことは覚えており、その日のうちに一気に読み終えた記憶がある。

ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー(劇中では愛称の「ジェリー」で呼ばれる。演じるのはニコラス・ホルト)は、成功した貿易商の息子として生まれた。父親はユダヤ系である。成績不振でハイスクールを退学処分になったことがあり、このことが『ライ麦畑でつかまえて』に繋がっている。その後、別のハイスクールを卒業し、大学に入るも退学、別の大学に入学してまた退学を繰り返した。

コロンビア大学では、ウィット・バーネット(ケヴィン・スペイシー)のクラスの聴講生となり、様々なことを教わるのだが、劇中で語られるバーネットの言葉が、サリンジャーを指針となり、その後に起こる出来事の伏線となっている。

劇作家のユージン・オニールの娘であるウーナ(ゾーイ・ドゥイッチ)との恋も描かれているが、ウーナが自分を袖にして、あのチャールズ・チャップリンと結婚したことを戦地にて知るという場面がある。
第二次世界大戦では、「史上最大の作戦」ことノルマンディー上陸作戦に参加。だが、悲惨な戦場に身を置いたことがトラウマとなり、精神疾患(今でいうところのPTSD)となり、療養を余儀なくされる。この映画の最大の見所が、トラウマを抱えながら『ライ麦畑でつかまえて』を書き上げるまでなのだが、『ライ麦畑でつかまえて』の出来が良すぎたため、「自分のことを書いた」と思い込む若者が続出し、サリンジャーが隠遁するきっかけとなっていく。

引きこもりとなったサリンジャーは、そのため却って、「聖なる隠遁者」や「時代の被害者」として神聖視されるようになっていく。本当はこの時代のサリンジャーがどう描かれるのかに興味があったのだが、残念ながら映画では詳しくは触れられていない。バーネットがコロンビア大学聴講生時代のサリンジャーに語った「見返りがなくても書き続けるのが本当の作家」という言葉によって、サリンジャーが本当の作家になったという解釈が提示されるだけである。隠遁時代のサリンジャーについてはまだ研究が進んでいない段階であるようだ。サリンジャーが映画にあるように隠遁後も出版されず何の見返りもない小説を書き続けていたのかどうかも現時点では謎としか言い様がないようである。

バーネットの言葉がサリンジャーを常に導いていることからも分かるとおり、師弟愛を描いた作品でもある。ただ単純にして綺麗事の師弟愛作品ではなく、第二の父親的存在であるバーネットとの衝突も描かれており、文学史的な意味における「父親殺し」を捉えた人間ドラマである。

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2019年11月25日 (月)

コンサートの記(608) シルヴァン・カンブルラン指揮 京都市交響楽団第640回定期演奏会

2019年11月17日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第640回定期演奏会を聴く。今日の指揮は読売日本交響楽団の前・常任指揮者、現・桂冠指揮者として日本でもお馴染みのシルヴァン・カンブルラン。

現代音楽の世界的な名解釈者としても知られるシルヴァン・カンブルラン。1999年から2011年までバーデン=バーデン・フライブルクSWR交響楽団の首席指揮者の座にあり、現代音楽アンサンブルであるクラングフォーラム・ウィーンの首席客演指揮者なども務めた。現在は、日本でも人気と評価の高いバンベルク交響楽団の首席指揮者に就任している。
オペラでも活躍しており、2012年から2018年までシュトゥットガルト歌劇場の総監督を務めた。ちなみに私が初めてカンブルランの演奏に触れたソフトは、1999年のザルツブルク音楽祭でオペラ形式で上演されたベルリオーズの劇的物語「ファウストの劫罰」である。
日本では、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキの後任として読売日本交響楽団の常任指揮者を9年間務め、今年の4月からは同楽団の桂冠指揮者の称号を得ている。また、2002年からはドイツ・マインツのヨハネス・グーテンベルク大学で指揮科の招聘教授を務めている。

 

曲目は、武満徹の「夢の時~オーケストラのための」、ハイドンの交響曲第104番「ロンドン」、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」

 

今日のコンサートマスターは、客演の豊嶋泰嗣。泉原隆志がフォアシュピーラーに回る。テューバの一人として京響を定年退職した武貞茂夫が招聘されているのも興味深い。第2ヴァイオリンの客演首席は大森潤子、チェロの客演首席にはルドヴィート・カンタが入る。
ドイツ式現代配置での演奏。木管楽器の首席奏者は、小谷口直子が全編に出演。その他は後半のストラヴィンスキーのみの参加である。ホルンは前半が副首席の水無瀬一成がトップの位置に入り、首席ホルン奏者の垣本昌芳はストラヴィンスキーのみの出演となる。トランペットは、武満がハラルド・ナエスと早坂宏明のコンビ、ハイドンが稲垣路子と西馬健史の二人で、ストラヴィンスキーでは全員が出演し、更に客演の小和将太が加わった。

 

プレトークでカンブルランは、楽曲の解説を行う。ストラヴィンスキーの「春の祭典」はバレエ音楽であるため、リズムやテンポが協調される。ハイドンの交響曲もリズムやテンポに独特のものがあり、また独特の楽器の扱い方を行うというところにストラヴィンスキーとの共通点があるとする。ハイドンとモーツァルトは同時代人であるが、モーツァルトは独特の楽器の使用法を追い求めることはなかったとする。
一方、武満徹の音楽は、ストラヴィンスキーやハイドンとは一線を画しており、リズムやテンポなどが曖昧になっており、独特の音像の築き方をする。
カンブルランは、「三者三様の音楽を楽しんで欲しい」というようなことを言って、いったんステージを後にする。

 

武満徹の「夢の時~オーケストラのための」。ネザーランド・ダンス・シアターとその芸術監督であるイリ・キリアンの委嘱によって書かれたものであり、「春の祭典」同様、舞踊のための音楽である。ただストラヴィンスキーとは大きく異なり、精妙なテクスチュアがたゆたうようなある意味、東洋的な趣を持つ。押すのではなく絶えず引き続けるような音楽だ。ドビュッシーを思わせるようなところもあるが、それもまた武満のイディオムに昇華されており、武満にしか書き得ない地点にまで達している。
現代音楽のスペシャリストであるカンブルランの「最適」を探り当てて行く巧みな再構築性が光る演奏であった。
武満はティンパニという楽器が好きではなかったので、この曲ではティンパニは用いられておらず、普段ティンパニを演奏することの多い京都市交響楽団首席打楽器奏者の中山航介はヴィブラフォンを担当。ヴィブラフォンを弦の弓で引いて音を出すという特殊奏法も行っていた。

 

ハイドンの交響曲第104番「ロンドン」。ハイドン最後の交響曲である。
テンポは中庸かやや速め。バロックティンパニを採用しており、中山航介の思い切った強打が効果的。意気軒昂なハイドンとなる。
弦であるが、ビブラートを抑え気味の人とそうでない人がいるという折衷スタイルであり、響きとしてはモダンに近いが、豊嶋のソロは徹底した古楽的技法で弾かせて他の弦楽器から浮かび上がらせるなど、対比を鮮やかにつけていた。

 

ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。カンブルラン指揮の「春の祭典」は、以前、読売日本交響楽団の大阪定期公演で聴いたことがある。
京響の力強さが印象的な「春の祭典」。だが現代音楽の明解釈者であるカンブルランの指揮ということで、初演時のスキャンダルを忘れさせるかのような、よくこなされた演奏が展開される。打楽器の大音量もどことなくまろやかであり、鮮烈という印象よりも音楽的な充実の方がより耳に届く。
ある意味、ベートーヴェンの音楽に接するのと同じ感覚で聴くことの出来る「春の祭典」である。こうした演奏を聴くと、「春の祭典」もいよいよ古典の領域に達したことを実感させられる。もはや特異な印象を受ける現代音楽ではなく、普通にクラシックの王道として楽しめる馴染み深い音楽にまで消化されたのだ。

ラストも鮮やかに決めたカンブルラン。聴衆も大いに沸き、京都の人々にその実力を知らしめることに成功したようである。

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2019年11月24日 (日)

これまでに観た映画より(143) ポーランド映画祭2019 in 京都 「ポランスキー短編集」

2019年11月20日 出町枡形商店街の出町座にて

出町枡形商店街の出町座で、ポーランド映画祭2019 in 京都 「ポランスキー短編集」を観る。ポーランドを代表する映画監督の一人、ロマン・ポランスキーがウッジ国立映画大学在学中に制作した無声短編映画の上映である。クレジットに制作年が書かれており、全て1950年代後半の作品であることがわかる。

「殺人」、「微笑」、「パーティーを破壊せよ」、「タンスと二人の男」、「灯り」という作品の上映。いずれもDVDで入手できる映像であるが、今回はポーランドの音楽デュオであるシャザの生演奏付きでの上映である。ヴァイオリンとクラリネット他による演奏。

 

「殺人」は、ベッドで寝ていた男性が、小型ナイフで胸を刺されて殺害されるという、それだけを撮影したショートムービーである。
若き日のポランスキーが何を考えて、これだけのムービーを撮ったのかはわからない。ただ特殊に見える小型ナイフで心臓を一突きにしていることや、犯人の見た目が温厚そうなおじさんであることから却ってプロの殺し屋らしく見える。これらは意識して撮っているのだろう。

 

「微笑」は、覗きを題材にしたコメディーである。志村けんが作りそうなギャグでもある。マンションの部屋の主がドアの前に牛乳瓶を並べるシーンがあるが、ポーランドは共産党支配時代は牛乳が配給制だったそうで、夜の間に家のドアの前に牛乳の瓶を出しておくと、朝には配給されているというシステムだったそうである。

 

「パーティーを破壊せよ」。ウッジ国立映画大学のあるウッジという街は、ポーランドの中でもフーリガン(通訳は「ヤンキー」と訳していた)が多いことで知られているそうで、ウッジ国立映画大学在学中のポランスキーは大学でパーティーを開催する時に、街のフーリガン達も誘うことにしていたそうだ。その流れでこの「パーティーを破壊せよ」もフーリガン達に出演して貰って撮ったそうだが、喧嘩の場面は実際に殴っているとしか思えない。そんなこんなでポランスキーも大学を退学になりそうになったことがあるそうだ。映画に登場するフーリガン達は、ジェームズ・ディーン風というか、「ウエスト・サイド・ストーリー」のジェッツ(ジェット団)風というか(ジェッツはポーランド系移民のストリートギャングである)ポーランドであっても当時の不良はアメカジだったことがわかる。

 

「タンスと二人の男」は、ポランスキーの初期作品の中でも傑作として知られている作品である。音楽はクシシュトフ・コメダが作曲しているが、今回はシャザの二人がコメダの音楽を元にアレンジした曲を演奏する。映画の一場面は、同志社大学寒梅館クローバーホールで観た「コメダ・コメダ」の中でも取り上げられていた。
タンスを担ぎながら海から上がってきた二人の男が街へと繰り出し、あらゆる場所で拒否されてまた海に戻っていくという話である。かなりシュールであるが、ヨーロッパということで異人や移民の話なども絡んでいるのかも知れない。ポランスキー自身がユダヤ系ということもある。タンスを担ぎながら歩く二人の横で、スリや殺人といった犯罪が起こり、二人は街で見掛けた可愛い女の子には相手にされず、女の子にちょっかいを出そうとした不良グループとは揉めて、殴り倒される。路面電車やホテルにはタンスを担いでいるが故に立ち入りを拒否される。
タンスが何のメタファーなのかは、特に考える必要はないのかも知れない。生活用具なので、生活や人生を担いでいると見るべきなのかも知れないが、そこは固定せずに個人で捉えた方がいいだろう。
個人的には、ボードレールの「人皆キメールを背負えり」という詩を連想した。

 

「灯り」。人形館が舞台である。人形職人の男が嬉々として人形を作り続けている。部屋には完成したものや作りかけの人形が一杯で、結構不気味である。だが、電気がショートして火事が起こり、人形達は炎に包まれる。大惨事である。
ここでカメラが切り替わり、人形館の外の風景が映る。雨の日で、人々は人形館から漏れ出ている灯りが火事によるものだということに気づかず淡々と通り過ぎていく。内と外の違いが、ある意味、現代の孤独と断絶と無関心を引き立たせているとも感じ取れる。

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2019年11月23日 (土)

2346月日(18) 兵庫県立美術館 日本・ポーランド国交樹立100周年記念「ショパン―200年の肖像」

2019年11月9日 兵庫県立美術館ギャラリー棟3階にて

神戸へ。岩屋の兵庫県立美術館ギャラリー棟3階で日本・ポーランド国交樹立100周年記念「ショパン―200年の肖像」を観る。

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兵庫県立美術館は京都から行くには遠い。以前に1回行ったことがあるのだが、その時は神戸に泊まっての帰りかなにかであり、京都から向かったわけではない。

午後1時過ぎに出て、阪急大阪梅田駅で降り、阪神大阪梅田駅から岩屋に向かうという道筋を採ったのだが、阪神の普通電車に乗ってしまい、思ったよりも進まないということで、尼崎駅で特急に乗り換えて御影駅まで行き、そこから普通で岩谷駅に向かうというルートを辿る。尼崎駅のホームからは、尼崎上の模擬天守が見えた。

 

兵庫県立美術館ギャラリー棟3階の「ショパン―200年の肖像」展入り口に着いたのだが午後4時少し前。1時間で回れるだろうと踏んでいたのだが、想像していたよりも展示品がずっと多く、最後の方は駆け足で見てまわることになった。

まずは、ヴワディスワフ・ヤールが描いた、ショパン作品にインスパイアされた絵画作品(エッチング)が並ぶ。ポロネーズ、前奏曲、ノクターン、バラード、即興曲などが並ぶが、必ずしも楽曲から受けるイメージ通りのものを描いたわけではない。

その後は、ショパンの肖像画が並ぶ。本格的なものからマンガ風のものまであるが、中には本来は抽象的な作風を特徴としていたヘンリク・スタジェフスキが、共産主義的リアリズムを強制されて描かれたショパンの肖像画などもあり、ポーランドが辿った歴史を確認することも出来る。

ショパンの肖像画として有名なものに、ドラクロアが描いたものがあるが、実はドラクロアによる肖像画は元々は「ショパンのジョルジュ・サンド」という二人を描いた作品として発表されたものが、いつの間にか二つに分けられて別々に展示されるようになったものである。今回の展覧会では、ルドヴィク・ヴァヴリンキェーヴィチが復刻した「ショパンとジョルジュ・サンド」が展示されていた。

ローベルト・シュピースがショパンの24の前奏曲全曲のイメージ画連作も展示されている。元々一般的なイメージは避けて描かれたものが多いといわれているそうだが、確かになぜこうなったのかよくわからないものもある。ただ、イメージ通りの絵を描いたとしたらそれはそれで面白くないだろう。絵は音楽の従者ではないのであるから。エウゲニウシュ・ピヘルやズィグムント・パドフスキなども同様の仕事を行っており、それぞれの個性がある。

 

壁一面に、ドゥシュニキ=ズドルイ・ショパン音楽祭や、アントニン「秋色のショパン」国際音楽祭、マリアーンスケー・ラズーニェ・ショパン音楽祭のポスターが並ぶ。ポーランドはポスター芸術も盛んだそうである。フォルマリズム的な、いかにも東側の芸術といった感じのポスターもあるが、少女マンガ風のものがあったり、アンディ・ウォーホルの影響が見られる作品があったり、ルネ・マグリット風の絵があったりとバラエティに富んでおり、また近年のものはポップでお洒落である。
スピーカーからは、ピリオド楽器で弾かれたショパンの曲が流れていた。

日本におけるショパン受容のコーナーもある。日本で最初にショパンの曲を弾いたのは、音楽取調掛(東京音楽学校と東京芸術大学の前身)の学生であった遠山甲子という女性である。また日本人でショパン弾きとして最初に評価されたのが、澤田柳吉(1886-1936)であり、澤田の紹介として、澤田が作・編曲をした「セノオ楽譜 お江戸日本橋」が展示されている。日本人で最初にショパン作品の録音を行ったのも澤田だそうで、SPに「ポロネーズ」作品40-1と「ワルツ」作品64-2を吹き込んでいるという。

 

ショパンが見たであろう、ワルシャワの風景を描いた絵画の展示が続く。描かれたいくつかの建物の中では、ショパンがピアノ演奏を行った記録が残っているそうだ。ショパンもショパン自身の演奏を聴いた人も、確実にこの景色を見ていたということになる。

余り有名ではない、ショパンの父親に関する展示もある。フリデリク(ポーランドの発音により近い表記ではこうなるらしい)・ショパンの父親であるニコラはフランスのロレーヌ地方の生まれなのだが、ニコラが生まれる5年前まで、ロレーヌは独立国だったそうで、しかも大公はポーランド人だったそうである。そのこともあってニコラもポーランド人に仕えており、主のポーランド移住に伴ってニコラもポーランドに移ったようである。ポーランドに移住後は、ニコラはポーランド風のミコワイを名乗るようになる。

続いて、パリでのショパンとその周辺の人々の肖像画並ぶ。ニロラ=ウスタシュ・モランの「著名なピアニスト達」には、ショパンに加えて、フランツ・リストやジーギスムント・タールベルクらが勢揃いした像が描かれている。ショパンの肖像として最も有名なものは、アリ・シェフェールのものだと思われるが、アリ・シェエールの筆によるフランツ・リストの肖像や、画家としてのシェフェールの代表作なども同時に展示されている。

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若き日のショパンを描いたものとして有名なマリア・ヴィジスカのものや、ショパンのデスマスク、ショパンの左手像などを経て、いよいよショパンの自筆譜の展示がある。紙と筆跡を守るため、セパレーションで区切られた暗室の中に、ショパンの自筆の手紙と譜面が展示されている。近づくとケースの灯りがともる仕掛けとなっている。エチュードヘ長調作品10-8と、ポロネーズヘ短調71-3。閉館時間が迫っていたのでじっくりと見ることは出来なかったが、長い時間見たからといって感動が増すわけでもない。とりあえず、「見たぞ」という記憶と瞬間の映像を脳に刻む込む。

最後は、ショパン国際ピアノコンクール関連の展示である。コンクールのポスターが展示され、優勝者であるマウリツォ・ポリーニやクリスティアン・ツィマーマン、入賞者の中村紘子らの写真を確認することが出来る。映像の展示もあるが、残念ながら見ている時間はなかった。

会場を出てすぐの壁にショパンの手紙の翻訳が貼られている。ショパンは日記や手記などを残さなかった人であり、直接残された言葉は手紙に記されたもののみであるようだ。

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これまでに観た映画より(142) ポーランド映画祭2019 in 京都 「ワイダ映画学校短編集」

2019年11月18日 出町枡形商店街の出町座にて

午後6時35分から、出町枡形商店街にある出町座で、ポーランド映画祭2019 in 京都 「ワイダ映画学校短編集」を観る。全てジャパンプレミアである。
立誠シネマの後継映画館として2017年に出町に誕生した出町座。訪れるのは初めてである。2階と地下1階に1つずつミニシアターがあり、「ワイダ映画学校短編集」は2階で上映される。

ポーランド映画界を代表する存在だったアンジェイ・ワイダ(1926-2016)が、2002年に創設したアンジェイ・ワイダ映画マイスター学校の生徒が作成した短編映画の上映である。キャストも撮影技術も予想以上にしっかりしている。

上映時間30分の課題作として制作されたうちの3本が上映される。まずは「彼女の事情」。バルテク・コノプカ監督作品。2006年制作。母親が癌で余命幾ばくもないということで、里子に出されそうになったり、社会福祉課に保護されそうになったりする姉弟の話である。長女でサッカーに夢中のインガは、社会福祉課の世話になることを拒み、まずは弟二人(そのうち一人はまだ赤ん坊である)を連れて男友達の部屋に移り、そこから写真でしか見たことのない伯母(母親の姉)を訪ねて、田舎へと向かう。そこから先が見たくなるのだが、30分という制限があるためか(実際の上映時間は39分である)田舎の家の場面で終わってしまう。クローズアップの手法が多用されているのが演出上の特徴である。

2本目は、「ゲーム」という上映時間27分の作品。監督はマチェイ・マルチェノフスキ。2013年の作品である。エレベーターに閉じ込められた男女の心理ゲーム、と見せかけて、実はエレベーターは行き詰まりを迎えた夫婦のメタファーであるらしいことが徐々にわかってくる。ラストには男女を乗せたエレベーターがSF的にいくつも登場し、世界は行き場のない夫婦で溢れていることが示唆される(日本でも夫婦の三組に一組は離婚する時代である)。

3本目はドキュメンタリー映画「ワイダの目、ワイダの言葉」。ワイダと共に仕事をしてきた映画仲間に取材したドキュメンタリー映像にワイダがコメントを加えていくという形で進んでいく。エリザ・クバルスカ他による監督。2014年制作。上映時間25分。
カメラマンがフィルム撮影用カメラを紹介するときに「(クシシュトフ)キェシロフスキが使っていたカメラ」と話しているのは興味深い。カメラマンは、デジタルカメラよりもフィルム撮影用カメラの方を今でも信用しているようだ。
フィルム現像係は、1974年からずっとこの仕事を続けているが、「面白いと思ったことは一度もない」「義務としてやっている」と語ってワイダを失望させている。ワイダはエンドクレジットに全員の名前が載るのは、映画というものは皆で作るものだということの象徴であると考えており、「その中に嫌いで仕事をやっている人間がいるとは」嘆く。「仕事を変えたらどうだい。稼げる仕事なら他にある」という趣旨の発言もしてる。
一方、フィルム編集者の女性は自らの仕事に誇りを持っており、ワイダも嬉しそうである。フィルム編集は今ではフィルム編集者しか行えないが、以前は政治家が口出ししてきて、勝手にフィルムを刻むようなこともあったようだ。
ワイダが「仲間だ」と感じている人は全員、撮影スタッフだそうである。彼らはいつも現場にいて作業をしているため、自然にそうした連帯感が生まれるようである。俳優は作品によって出たり入ったりするため、「仲間」という意識にはなりにくいようだ。
ワイダは撮影所が存在することの重要性を何度も語り、最近は撮影所に活気がなくなってきていることを気に掛けているようだった。

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2019年11月22日 (金)

「志の輔らくご in 森ノ宮2019」

2019年11月14日 大阪の森ノ宮ピロティホールにて

午後6時30分から、大阪の森ノ宮ピロティホールで、「志の輔らくご in 森ノ宮2019」を観る。

まず志の輔の弟子が落語を披露する。六番弟子だという立川志の大の「一目上がり」と、七番弟子だという立川志の麿の「初天神」。

志の大は、「空気を読みまして、15分のところを10分で終えようと思います」と言ってから始める。「一目上がり」は、「自画自賛」という言葉でも知られる絵の「賛」という言葉をご隠居から教わった八っつあんが、出会う相手に「賛ですね」と知ったかぶりをして詩である「詞」だと言われ、次に出会った人に「詞ですね」やはり知ったかぶりをして、悟りの「悟(ご)」だよ言われるという、同音異義の漢字が繋がる話である。次に出会った人に八っつあんは、「次は六だろう」と先手を打つが、実際は「七福神」が来たという話である。

「初天神」は、始めて天神のお祭りに行く親子の話である。ラストでは父親が子どもが蜜団子を買うのだが、今、コンビニで同じ事をやって目撃談が投稿されたら炎上しそうなことを行ってしまう。

 

志の輔登場。まずは「買い物ぶぎ」。もう11月ということで、「振り返ってみると災害以外はラグビーのことしか記憶にない」「にわかラグビーファンが増えた」「私もその一人」という振りを行い、ここ数年は東南アジアで公演することが多いという話から始める。昨年、春秋座で語ったのと同じ枕である。午前11時台の飛行機に乗ると、時差もあって午後5時にはタイのバンコクに着いてしまい、現地時間の午後7時から独演会を行って、終演後に一杯やっていると、「師匠、時間がありますので」と言われる。午前0時発羽田行きの飛行機が出ていて、その日のうちに帰れるそうだ。

海外で公演を行うと、大使といった普段会えない人にも会ったりするという。「60歳ですが、落語を生で観たのは初めてです」と言われ、表向きは「初めての生の落語が私。光栄です」と応えるのだが、内心は「初めて? その年で? 今までなにやってたの? 大使ってのは現地に日本文化を広めるのが役割じゃないの?」と思うそうだ。まあ、当然である。
昨年はベトナムのホーチミンがあり、折角なので志の輔の出身地である富山の「こきりこ節」を前座で上演しようということになる。富山から保存会の方がホーチミンまで来て上演を行う。志の輔は、それを舞台袖のパイプ椅子に腰掛けて見ていたそうだが、客席が沸いているのを見て感涙の涙を流したという。だが、それは「私、18歳まで富山で過ごしていたんですが、こきりこ節を生で見るのは、その時が初めて」「ということで、落語を見るのは今日が初めてという方も全然問題ない」と、「にわか」がここに掛かる。

志の輔は現在は折りたたみのものではなく長財布を愛用してるのだが、お札だけではなく必ず200円分のコインを用意しているそうである。羽田空港には最新式のマッサージチェアが設置されていて、その使用料が200円なのだそうだ。最新式のマッサージチェアは「かゆいところに手が届く」ほど心地よいそうで、「中に人が入ってるんじゃないか?」(「人間椅子」である)というほどだそうで、志の輔は搭乗する前には必ずマッサージチェアで10分間、至福の時を味わうそうだ。
長崎まで日帰り公演に行った時のこと。朝7時25分に羽田を発つ飛行機に乗る。長崎空港までは1時間半で着くが、公演会場までは長崎空港から車で2時間掛かったそうである。公演を終え、本当なら長崎の中華街でグルメと行きたいところだったのだが、日帰りなので、長崎空港発羽田行きの飛行機に今日中に乗らなくてはいけない。長崎空港でマッサージチェアを楽しもうとした志の輔であるが、200円入れても動かない。人を呼ぼうとするが、JALの人もANAの人もマッサージチェアに詳しいとは思えない。売店のお姉さんが目に入るが、少し距離があるのでマッサージチェアから離れないといけない。その間に他の人にマッサージチェアを取られても困る。バッグには貴重品が入っているので椅子取りをするのも不用心である。
実は、長崎空港のマッサージチェアの使用料は300円だったのである。「羽田空港のマッサージチェアが300円で長崎空港のマッサージチェアが200円ならわかりますよ」「でも生意気、いやいやこんなこと言っちゃいけない」。結局、マッサージチェアは使えず、200円も戻って来ず、長崎空港を離れることになったのだが、飛行機の中でイライラ。理由は「次に使う奴は100円でいい」からだそうである。
今は街にものが溢れている。江戸時代はものがなく、上方落語でも江戸落語でも「なんとかして酒を吞む機会にありつきたい」という渇望が描かれているのだが、今はものだらけで江戸時代の人が今の時代に来たら頭が混乱するというところから、本題に入る。

舞台はドラッグストアである。奥さんが風邪を引いたというので風邪薬を買いに来た男が、ついでに奥さんに頼まれたものを買うことにする。相手をするのは勤務歴3ヶ月のアルバイトの男性。店長は生憎、食事のために出掛けている。
森の香りがする「森の妖精」という消臭剤を買うことにするのだが、「森に行ったときに便所のことを思い出したから困る」「匂いを吸い込むんでしょ? 森の香りは吸い込まないの?」
クリーナーモップは用途別になっているため迷うのだが、なんでも用もあるので、「それは変でしょ?」となる。
風邪薬は山のようにあるのだが、「鼻水と鼻づまりに両方効くってどういうこと?」
歯磨き粉も種類が多い。虫歯対策の他に、「歯を白くする」「口臭予防」などの種類があるが、「歯が白くなっても抜けたらなんの意味もない」と文句を言う。

トイレットペーパーの「お得用二枚重ね」も「自分で二枚重ねにするよりお得ってこと?」と詰め寄ったりする。男が棚の後ろにいる時に店長が買ってきて、アルバイトの男性は、聞かれたことをそのまま店長に伝えるのだが、「そんな馬鹿な質問をする奴がどこにいるんだ?」と言うと、文句ばかり付ける男が出てきて「馬鹿とはなんだ」、「馬鹿とは言っていない」と言い合いになる。
だが、その時におばさんの客が一人、口を出す。実は風邪薬を買いに来た男とアルバイトの男性がやり取りを始めるずっと前から店内にいたのだが、ずっと相手にされないため怒り心頭に発したのだ。「馬鹿だの馬鹿じゃないのってないで、馬鹿を治しな!」と言うのだが、「馬鹿に効く薬はありません」

 

 

15分の休憩を挟んで、「徂徠豆腐」が演じられる。まず、毎年、胃と腸の検査をして貰っているという話から入る。「5年ほど前までは、(NHKの某番組で)人に勧めているだけだったんですが」やはり年齢もあって検査して貰うようになったそうだ。志の輔は目黒区の外れの方に住んでいるのだが、胃と腸の検査は多摩川を越えた神奈川県相模原市の病院でやって貰っているという。その病院の先生が理解のある人で、芸能活動で時間がないだろうからということで、胃と腸の検査を同時に――といっても上と下から一度にカメラを入れるわけではないのだが――やってくれるというので、相模原まで出掛けているそうだ。
病院の先生は尊敬されているからいいが、看護婦さん(今は看護婦ではなく看護師を使うことが多い)はそれほど尊敬されているというわけでもない。だが、看護婦さんこそ立派な職業だという。薄給であり、少なくとも豪邸に住んだりベンツを乗り回している看護婦さんというのは聞いたことがない。彼女たち本人は進んで看護婦になったと思っているだろうけれど、実際は医学の神様から選ばれた人がなっているのだろうと志の輔は述べる。消防士もまた大変な仕事で、時間を選ばず火事は発生する。火事が発生するや消防士はポールを下りて(今はポールを下りる習慣はなくなったようだが)現場へ向かう。それでいて少しでも到着が遅れると怒られたりする。消防士達も消防の神様から選ばれたのだろうという話をする。火事の話は「徂徠豆腐」本編に繋がっていく。
江戸・増上寺のそばに住む上総屋七兵衛という腕の良い豆腐屋が主人公である。ある日、七兵衛が豆腐を売り歩いていると、髭面の男の呼び止められる。豆腐は1つ4文だが、髭面の男は「ツケにしてくれ」という。髭面の男は豆腐が何よりも好物だそうである。次の日も七兵衛は髭面の男に豆腐2丁を売る。昨日の分と合わせて12文なのだが、髭面の男は実は無一文であることがわかる。髭面の男は市井の学者なのだが、金の入る仕事はしておらず、日々読書をして暮らしているそうである。いずれ世のためになるべく勉強している学者であり、今は金はないが、世に出たら返すと髭面の男は言う。七兵衛は、「豆腐じゃなくて握り飯を食べたらどうか」というが、学者は「握り飯はいかん。豆腐屋から握り飯を貰ったのでは、施しを受けるということになる」と主張する。七兵衛は、「あんた頭が硬い。握り飯の形をした豆腐だと思って食えば良い」と言う。七兵衛は、学者におからを分けてやったりする。
その直後に七兵衛は体調を崩し、十日ほど仕事を休んだのだが、再び学者の家にいるとすでに引っ越した後だった。
七兵衛は腕の良い豆腐屋で、上総屋の豆腐の味は口コミによって大評判となり客が押し寄せる。七兵衛夫婦は付近の町のことを「良いちょうない、良いちょうない」と「ビフィズス菌のように」話すのだが、「火事と喧嘩は江戸の華」ということで、大火が夫婦を襲う。江戸は大火が多く、「明暦の大火といいまして、火元は本郷、文京区本郷です。私の母校である東京大学(?)の近くで」「死者は十万余人に及んだという。以前、東北地方でこの話をしたら、『ずいぶん細かく数えられたのね』と言われたんですがその四人ではなく」。ともかく、大火によって上総屋は焼けてしまい、七兵衛夫婦は長屋に身を寄せる。七兵衛は自分より腕の悪い豆腐屋に務めるのは嫌だというのだが、他に良い算段も思いつかない。そこへ、謎の男が現れて七兵衛夫婦に十両を渡す。七兵衛の妻は、「置き泥棒」だと夫に言う。十両を借金させて、手元に金がなくなった時に黒幕が現れて、借金のカタとして妻を貰っていくという段取りなのだと推測する。

その後、色々あるのだが、いちいち書いてもなんなので、髭面の男は実は儒学者の荻生徂徠であり、引っ越したのは側用人で実力者の柳沢吉保に引き立てられたからだったのだ。そんな折り、上総屋が火事で焼け出されたという話を耳にしたのだが、仕えている身であるため無闇に出掛けることもままならない。そこで当座の金として十両を届けさせたのである。

「上演が終わって、森ノ宮の駅に向かう時に、後ろからポンと肩を叩かれて、振り返ると『日本で一番上演されている劇はなんだか知ってるかい?』と聞かれる。そんなことはまずないんですが」という形で話されるのだが、日本で一番上演されている演目、「忠臣蔵」で、浪士達自らが申し出て切腹するという結末に導いたのが荻生徂徠だとされている。ちなみに志の輔は、大阪・日本橋の国立文楽劇場で数回に分けて上演された「仮名手本忠臣蔵」は全て観たそうで、知り合いの作曲家である三枝成彰から電話を貰って、彼が作曲したオペラ「忠臣蔵」(台本は島田雅彦が書いている)も渋谷のオーチャードホールで観たそうだ。オペラ「忠臣蔵」は素晴らしかったそうだが、オペラなので歌いながら切腹しなければならず、なかなか死ねないということに違和感も持ったそうである。

十両を渡しに来た男が再び七兵衛の家にやって来る。そしてその後からいかにも偉そうな男が入ってくる。七兵衛の妻は、「黒幕よ!」というが、いい男だったので七兵衛を捨てて男について行く気満々である。だが、その男こそ荻生徂徠であった。髭を剃り、さっぱりしていたので七兵衛は最初、気づかなかったのだ。荻生徂徠は、七兵衛のために上総屋の焼け跡に元より立派な店舗をこしらえていた。道具も最上級のものが揃っている。荻生徂徠は、縁者が一人もいないので、七兵衛の親類にして欲しいと頼むが、七兵衛は断り、逆に七兵衛が徂徠の親類に入ることを提案する。

新しくなった上総屋で、七兵衛は最初の豆腐を作り、大学者となった徂徠に献上する。感謝の言葉を述べる七兵衛に徂徠は、かつて七兵衛に「握り飯だと思うな。握り飯の形をした豆腐だと思え」と言われたことを受けて(七兵衛は自分が言ったことを覚えていなかったが)、「店だと思うな。店の形をしたおからだと思え」

 

カーテンコールで志の輔は、フェニーチェ堺の小ホールのこけら落とし公演に出たことを語り、更に池袋にオープンする大規模劇場のこけら落としにも出演が決まっていることを知らせる。そして、新たにオープンするパルコ劇場のこけら落とし公演として1ヶ月出続けることを告知するのだが、その後に渡辺謙主演の演劇を2ヶ月上演するそうで、「演劇の上演の前に、照明や音響の調整をするのに私でいいってことになったんじゃないか。演劇の小屋ですからね。落語は演劇よりも照明も音響も楽でしょうし。なんかあっても私一人のせいにすりゃいいってことで」と冗談を言っていた。
更に、「1ヶ月、20回も公演を行いますので、いくら大阪に住んでいるからといっても観に来られない理由はない」

 

志の輔の芸が弟子二人とは比べものにならないのは当然としても、見事な出来である。志の輔が一人で語っているだけなのだが、目の前に半透明のスクリーンが浮かんでいて、そこに次々と映像が投影されていくような、強烈なイメージ喚起力を持つ語りである。登場人物が皆生き生きとしており、全ての人物に存在感が吹き込まれている。
軽妙にして骨太、豪快にして繊細、緩急の手綱裁きの巧みさ、人物対比の見事さ、押しと引きの交代の妙、場面転換の鮮やかさ、まるで一人で壮大な言葉の交響曲を奏でているかのようであった。

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2019年11月21日 (木)

コンサートの記(607) 「Thanks,Mr.Contrabass ゲイリー・カー コントラバス・リサイタル」@アンサンブルホールムラタ

2019年11月15日 京都コンサートホール アンサンブルホールムラタにて

午後7時から、京都コンサートホール アンサンブルホールムラタで、第23回京都の秋音楽祭「Thanks,Mr.Contrabass! ゲイリー・カー コントラバス・リサイタル」を聴く。

ジャズのベース奏者でスターというのは珍しくないが、クラシックのコントラバス奏者でスターといえばただ一人、ゲイリー・カーをおいて他にない。実はゲイリー・カーは2001年に引退を表明し、その後は指導者に徹していたのだが、日本でのツアー公演を行うために現役復帰し、ムラタホールのステージにも立つことになった。

ゲイリー・カーは、1941年、ロサンゼルス生まれ。9歳からコントラバスを弾き始め、ヘルマン・ラインスハーゲンの下で研鑽を積む。南カリフォルニア大学、アスペン音楽学校、ジュリアード音楽院などで学び、1961年にシカゴ・リトル交響楽団の演奏会で独奏者としてデビュー。翌62年には、レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニックと共演。その演奏を聴いて感動したセルゲイ・クーセヴィツキーの夫人から、クーセヴィツキーが生前愛用したアマティのコントラバスを譲り受けている。

コントラバスという楽器は、オーケストラの中でも黒子に徹することが多く、主旋律を単独で受け持つということ自体が少ないのだが、ゲイリー・カーは黒子の楽器であるコントラバスの独奏者となる。そもそもコントラバスで独奏者になろうという発想自体が存在しなかったのだから画期的なことであった。チェロ用やヴァイオリン用の楽曲をコントラバスで演奏するほか(J・S・バッハの無伴奏チェロ組曲やドヴォルザークのチェロ協奏曲をコントラバス用にアレンジしたものを弾いていたりする)、1971年以降はピアニストのハーモン・ルイスと組んで、デュオの演奏を数多く行う。今回はそのハーモン・ルイスとの共演である。
現在はカナダのブリティッシュ・コロンビア州ヴィクトリアに住み、ヴィクトリア・サマー・ミュージック・フェスティバルなどに参加。同時期にコントラバス奏者のためのサマースクール「KarrKamp」を主催している。

 

今から22、3年前になると思うが、サントリーホールで行われた小林研一郎指揮日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートでゲイリー・カーの演奏を聴いている。正確な日付は忘れてしまったが、日曜日のマチネーだったはずである。誰のものかは忘れてしまったが、コントラバスの協奏曲作品。ゲイリー・カーは茶目っ気のある人で、コントラバスのソロが入るところでわざと弾かず、小林が「ん?」という顔でカーの方を見た瞬間に弾き出すということをやって、聴衆の笑いを誘っていた。

 

曲目は、エレックスのソナタ イ短調(ヴァイオリン・ソナタの編曲)、グリーグのソナタ イ短調(チェロ・ソナタの編曲)より第1楽章、メンデルスゾーンの「無言歌」集より「そよ風」「旅人の歌」「夢」「タランテラ」、ガーシュウィンの前奏曲第2番と「ベースを叩け」、ラヴェルの「ハバネラ」、ボッテシーニの「夢」「タランテラ」、サン=サーンスの「白鳥」、ゲーンズのスケルツォ、カナダ民謡「朝起きたら」、クーセヴィツキーの「アンダンテ」「小さなワルツ」、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」、カタロニア民謡「鳥の歌」、パガニーニのロッシーニの歌劇「エジプトのモーゼ」の主題による幻想曲。

 

ピアノのハーモン・ルイスは、ミシシッピ州の生まれ。インディアナ大学で音楽修士号と博士号を得ている。現在は、カナダのブリティッシュ・コロンビア州ヴィクトリアに在住。この30年間に自らが編曲してきた作品を全て録音するというプロジェクトに取り組んでいる。

 

当然といえば当然だが、ゲイリー・カーの見た目も随分変わった。京都コンサーホールの螺旋状のスロープには、京都コンサートホールで演奏したことのある名演奏家の写真が並んでいるのだが、実はその中にゲイリー・カーのものもある。京都コンサートホールが完成した1995年の11月24日に佐渡裕指揮新日本フィルハーモニー交響楽団と共演した時のものである。当時は髪のボリュームが多く、頬がふくよかだが、今では白髪になり痩せている。

 

コンサート活動を離れて18年が経過しているということで、流石に超絶技巧に豊穣な美音というわけにはいかない。音程も結構甘めである。ただ、かつての腕利きぶりの名残は今でも時折発揮される。超弱音などはその例である。
陽気なヤンキー気質の持ち主であるカーは今日も遊び心全開。コントラバスにキスしながら弾いたり、ステップを踏みながら弾いたり、ゲーンズのスケルツォの開放弦の場所では左手を思いっ切り離して客席に向かっておどけた表情をしながら弾いたりする(同じことをしているのを昔、テレビで見たことがある)。相変わらずのショーマンぶりである。
音楽家の場合、性格と音楽性が一致しないことも多いのであるが(あの陽気な広上淳一は、シリアスな解釈を取ることが多い)カーの音楽性は割と素直であり、根っからの明るさや老境が音楽に現れている。

 

アンコールは2曲。まず「ロンドン・デリー・エア」(「ダニー・ボーイ」)が演奏される。その後、コントラバスを持たずに登場して、ハーモン・ルイスと共に喝采を受けたカーだが、いったん引っ込んでから、コントラバスを持って客席を窺うように顔を出す。
2曲目は、ロレンツィオの「象とハエ」(カーは日本語で曲名を言う)。左手ピッチカートの際に舌を出し、コントラバスの最高音が弾かれるなど、カーのユーモアと表現の幅の広さを最大限に生かした演奏となった。

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2019年11月20日 (水)

コンサートの記(606) 第23回京都の秋音楽祭 「フォーレに捧ぐ――北村朋幹×エール弦楽四重奏団」

2019年11月10日 京都コンサートホール アンサンブルホールムラタにて

午後2時から、京都コンサートホール アンサンブルホールムラタで、第23回京都の秋音楽祭「フォーレに捧ぐ――北村朋幹×エール弦楽四重奏団」を聴く。

ピアニストの北村朋幹(きたむら・ともき)と、桐朋学園の仲間によって2011年に結成されたエール弦楽四重奏団によるピアノ五重奏曲の演奏会。

曲目は、フォーレのピアノ五重奏曲第1番、シェーンベルクの室内交響曲第1番(ウェーベルン編)、フォーレのピアノ五重奏曲第2番。
フォーレのピアノ五重奏第1番とシェーンベルクの室内交響曲第1番は共に1906年の作曲、1907年の初演であり、並べて演奏されることになった。

 

北村朋幹は、愛知県生まれのピアニスト。浜松国際ピアノコンクール第3位、シドニー国際ピアノコンクール第5位並びに3つの特別賞、リーズ国際ピアノコンクール5位、ボン・テレコム・ベートーヴェン国際ピアノコンクール第2位などの受賞歴がある。東京藝術大学を経て、ベルリン芸術大学ピアノ科を最優秀の成績で卒業。現在はフランクフルト音楽・舞台芸術大学でイェスパー・クリステンセンに師事し、歴史的奏法の研究に取り組んでいる。

エール弦楽四重奏団のメンバーは、毛利文香(もうり・ふみか。ヴァイオリン)、山根一仁(ヴァイオリン)、田原綾子(ヴィオラ)、上野通明(うえの・みちあき。チェロ)。

毛利文香は、2012年に第8回ソウル国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門で優勝、2015年には第54回パガニーニ国際ヴァイオリンコンクールで第2位に入っている。桐朋学園大学ソリストディプロマコースと洗足学園音楽大学アンサンブルアカデミーを修了。慶應義塾大学文学部も卒業している。

山根一仁は、中学生だった2010年に第79回日本音楽コンクール・ヴァイオリン部門で第1位。中学生での1位獲得は26年ぶりであった。現在はミュンヘン音楽演劇大学でクリストフ=ポッペンに師事している。

田原綾子は、第11回東京音楽コンクール弦楽部門第1位と聴衆賞を獲得。第9回ルーマニア国際音楽コンクールでは全部門でグランプリを獲得している。桐朋学園大学音楽学部を卒業後、パリ・エコールノルマル音楽院とデトモルト音楽大学で学んでいる。

上野通明は、2009年、13歳の時に第6回若い演奏家のためのチャイコフスキー国際音楽コンクールで日本人初の優勝。第6回ルーマニア国際コンクール最年少1位、第21回ヨハネス・ブラームス国際コンクールで優勝など華麗な経歴を誇る。現在はデュッセルドルフ音楽大学でピーター・ウィスペルウェイに師事している。

 

パリ音楽院院長を務めたことでも知られるガブリエル・フォーレ。劇音楽「ペレアスとメリザンド」、「レクイエム」、「パヴァーヌ」、歌曲「夢のあとに」などで知られ、いかにもフランス的なノーブルな作風で知られている。保守的と見なされることも多く、革命児のドビュッシーとは音楽面では敵対していた(仲自体はさほど悪くなかったようである)。

 

フォーレのピアノ五重奏曲第1番。北村はベーゼンドルファーのピアノを使用。室内楽ということでステージ奥寄りでピアノを弾くが、ムラタホールでは奥にピアノを配置した方が音が良くなるように思えた。
エール弦楽四重奏団の配置は、下手手前から時計回りに、山根一仁、上野通明、田原綾子、毛利文香。配置は1曲ごとに変わる。
フォーレは各楽器が対話を交わすような趣の曲を書いている。基本的にエレガントな音楽であるが、第3楽章冒頭のピアノとピッチカートの弦楽が奏でるメロディーは愛らしく、ポップですらある。ただそこからうねるような展開を見せ、スケールがどんどん大きくなっていく。

 

シェーンベルク(ウェーベルン編)の室内交響曲第1番は、うねりやスケールの大きさにおいて、フォーレのピアノ五重奏曲第1番に通じるところがある。北村とエール弦楽四重奏団も力強いエネルギー放出で情熱的な演奏を展開する。

この曲では、フォーレのピアノ五重奏曲第1番の時の、田原綾子と毛利文香が場所を入れ替えた形での配置で演奏が行われた。

 

 

フォーレのピアノ五重奏曲第2番。配置は下手手前から時計回りに、毛利文香、山根一仁、上野通明、田原綾子である。
フォーレは室内楽を好み、ドビュッシーからは「サロン音楽作曲家」と揶揄されたこともある。だが、ピアノ五重奏曲第2番は、シンフォニックでスケール雄大であり、ついぞ交響曲というものを作曲しなかったフォーレが室内楽の分野においてそれに匹敵する壮大な曲を書いていたことが確認される。
第2楽章では無調の部分があるなど、ウィーンで行われていた音楽の影響も取り入れており、単なる保守派の作曲家であったわけではないこともわかる。
第4楽章のラストでは弦楽が力強いユニゾンを奏で、豪勢な響きで曲を締めくくった。

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2019年11月19日 (火)

これまでに観た映画より(141) 「天才たちの頭の中 世界を面白くする107のヒント」

2019年11月13日 京都シネマにて

京都シネマで、ドイツのドキュメンタリー映画「天才たちの頭の中」を観る。

邦題は「天才たちの頭の中」であるが、原題は「Why are you creative?」であり、大分ニュアンスは異なる。ドイツ人の映画監督であるハーマン・ヴァルケが、世界各国の有名人に「Why are you creative?(なぜあなたは創造的なのですか?)」と聞いて回った結果得られた証言によって構成された作品である。まず冒頭は、デヴィッド・ボウイ(2016年没)へのインタビュー映像が流れる。ボウイのミュージックビデオがなぜ独創的なのか? 歌詞からの発想なのか映像からの発想なのか?
証言者は計107名に及ぶ。日本からは、山本耀司(ヨウジヤマモト)、荒木経惟、北野武、またオノ・ヨーコも証言を行っている。
生まれつきクリエイティブだったと語る人もいれば、一昼夜で出来上がったものではなくずって練ってきたものと答える人もいる。「アンビルドの女王」といわれたザハ・ハディッド(新国立競技場の設計で物議を醸す。2016年没)などは後者である。ビョークのように「そうするしかなかった」と語る人も多い。映画監督のイザベル・コイシェのように創造的であることは不幸だと断言する人もいる。2度登場するマリーナ・アブラモヴィッチは母親のしつけの厳しさへの反発が創造性として発揮されるようになったと考えているようである。

荒木経惟の証言から、「性欲」と創造力の関連について語られる場面が続くが、北野武は明確にこれを否定、むしろ欲を抑えたところから創造力が生まれるとしている。

創造力と政治性についての話もある。政治家も数人登場する。ジョージ・H・W・ブッシュ(パパの方。2018年没)は余り質問の意図がよくわかっていないようだが(息子もそうだが父親のブッシュも歴代大統領の中でIQは最下位レベルとされる)、ネルソン・マンデラ(2013年没)のように新しい世界を築く上で創造力は不可欠とする人物もいる。

同じ答えをする人もいれば、相反する回答を行う人達もいて、答えはそう簡単に出そうにはない。クエンティン・タランティーノは、「Why are you creative?」と聞かれて、「いきなりハードな質問だね」と第一声を発し(再度のインタビューでは、「生まれつき備わっている資質、才能」「才能に見合う努力をしなきゃならない」と答えている)、作曲家・指揮者のピエール・ブーレーズ(2016年没)は「答えは出ないね」と断言している。

ダライ・ラマは、「生きているから」と生きていること自体が創造的という、らしい回答を行っている。
また、スティーヴン・ホーキング(2018年没)は、「創造的であるかないかは他者が決めることであって自身が決めることではない」と答えている。
ちなみに、ビル・ゲイツは質問に答えることなく通り過ぎた。

答えは人それぞれというありきたりな結果にもなっているのだが、それもまた当然である。答えが一つであったら、それこそ創造的では全くないからだ。

私自身が考えを述べると、創造性とは創造することではなく認識することだと捉えている。認識のない創造が本当の創造と呼べるかというと多分違うだろう。認識が優先される。読み取るものなのだ。

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輪の一つである以上

輪の一つである以上、多くの事柄は自分に関係すると思って間違いない。

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2019年11月18日 (月)

これまでに観た映画より(140) 「愛がなんだ」

2019年5月15日 京都シネマにて

京都シネマで「愛がなんだ」を観る。今泉力哉監督作品。原作:角田光代。出演:岸井ゆきの、成田凌、深川麻衣、若葉竜也、江口のりこ、筒井真理子、片岡礼子、穂志もえか、中島歩ほか。

今月10日で上映終了のはずが、好評につき上映期間延長となっている。定員55名のシアター3での上演であるが、チケット完売で立ち見まで出るという盛況である。私も随分久しぶりに最前列で観ることになる。

小さな会社で電話営業などをしている山田テルコ(岸井ゆきの)は、友人のそのまた友人の結婚式の二次会で田中守(成田凌)という雑誌のレイアウトデザイナーをしている男と知り合う。すぐさま恋仲にという展開を予想したテルコであるが、なかなか恋人にはなれない。テルコは守を「マモちゃん」と愛称で呼んでいるのに、守はテルコを「山田さん」と呼び、距離がある。風邪を引いた守から電話があり、テルコは看病に向かうが、最後は追い出されてしまう。それでも守との距離は近くなり、「もう恋人だろう」とその気になったテルコは仕事が手につかず、「33歳になったらプロ野球選手になろかな」「飼育係になろうかな。プロ野球選手よりは現実的でしょ」などと語る守の未来に自分がいるものだと思っていたのだが、ある日それはあっさりと裏切られる。
同じように、テルコの友人である坂本洋子(深川麻衣)の手下のような形に落ち着いているカメラマンアシスタントの仲原青(若葉竜也)。今のままでもいいと仲原は思っているようだが。

愛し合わなきゃいけない、恋愛関係でなきゃいけない、結婚に至らなければいけないという思い込みに「愛がなんだ」とカウンターパンチを打ち込むようなテーマを扱っているのだが、むやみに映像詩的な部分があるなど押しが弱いため、結局のところ駄目男と馬鹿女の話しに見えてしまうのが難点である。ただ、主演の岸井ゆきのはとても良い。成田凌はどことなく妻夫木聡に似ているし、江口のりこはなんとなく安藤サクラ風である(江口のりこと安藤サクラは姉妹だと思われることもあるようだ)。ただ岸井ゆきのは誰にも似ていない、岸井ゆきのだ。女優としてそれだけで素晴らしいことであるが、演技や存在がとても魅力的である。映画自体が弱いかも知れないが、なんらかの映画祭で女優賞を獲ってもおかしくないと思える。

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これまでに観た映画より(139) 「ドリーミング村上春樹」

2019年11月11日 京都シネマにて

京都シネマで、デンマーク映画「ドリーミング村上春樹」を観る。村上春樹作品をデンマーク語に翻訳しているメッテ・ホルムを追ったドキュメンタリー映画である。脚本・監督:ニテーシュ・アンジャーン。

メッテ・ホルムは、村上春樹作品のデンマーク語翻訳を一人で手掛けており、彼女の翻訳がきっかけとなって、村上春樹は2016年にデンマーク最高の文学賞であるハンス・クリスチャン・アンデルセン文学賞を受賞している。

メッテが村上春樹作品に始めて触れたのは1995年の夏のこと。来日した際に『ノルウェイの森』を読み、自分で訳すことを決意した。15歳の時にフランスにゴブラン織りを習うためにホームステイした時、ホームステイ先の奥さんから川端康成の『眠れる美女』のフランス語訳版を薦められ、日本に興味を持った彼女は、1983年に初来日し、京都で1年に2度、計6ヶ月に渡るホームステイを行い、茶道と日本語を学んでいる。この時に撮られた写真が映画の中で紹介されていたが、一乗寺の八大神社が写っていることがわかった。その2年後には東京で4か月のホームステイを行っているが、八大神社の写真の横に並んでいた高幡不動の写真はこの時に撮られたものだろう。

メッテ・ホルムは孤独の影を抱えた女性である。人はみな集団生活を行い、馴染んでいくものだが、彼女はどうしてもそれが出来ない。勿論、友人も仕事仲間もいるが、一人になれる「秘密の居場所」が必要なようだった。彼女が自覚しているかどうかはわからないが、孤独な者同士がイメージを通して通じ合う村上春樹作品に彼女が親しみを覚えるのはある意味、当然なのかも知れない。

メッテは、『風の歌を聴け』の一節、「完璧な文章などというものは存在しない、完璧な絶望が存在しないようにね」をどう翻訳するかで悩む。勿論、直訳するのはわけがない。ただそれでは村上春樹の言葉を伝えたことにはならない。メッテは村上春樹が見た風景を確認するために日本に旅に出る。東京メトロ神宮外苑駅、JR上野駅、そしてJR京都駅でコペンハーゲン大学時代の友人であるクリスチャン・モリモト・ハーマンセンと再会し、「完璧な文章などと……」の一文についてディスカッションを行う。
また、村上春樹が育った芦屋の街ではタクシーに乗り、タクシー運転手に阪神・淡路大震災の時はどうしていたのかを聞いたりもしている。
飲み屋では、「日本が閉塞的になっている」という話をされ、「デンマークもそうだ」と語るが、日本の現状はずっと酷いということを聞かされる。日本人のおじさんは、「もっと多様性があるということを知らせないと。それをするのがアーティスト」とメッテにそう告げる。
ただ、これは、完全なドキュメンタリー映画というわけでもなく、中空に『1Q84』に登場した二つの月が浮かぶなど、翻訳されたというのが行き過ぎなら解釈されたメッテ・ホルムの話でもある。村上春樹の大ファンだという監督のニテーシュ・アンジャーンによって解釈された彼女と村上春樹の映画なのだ。この映画には、村上春樹の短編小説「かえるくん、東京を救う」のかえるくんがCGで登場する。日本映画のCGだとかえるくんも可愛らしく描かれるのかも知れないが、デンマーク映画のCGはハリウッド版ゴジラのように少しグロテスクである。この映画に登場するかえるくんは、東京を救う相棒としてメッテを選んでいるようでもある(これもアンジャーンの解釈である)。

翻訳は創作とはまた違うが、イメージと言葉の選択肢の中で繰り広げられる孤独な戦いという共通点がある。そこで戦うには孤独に強くなければいけないし、容易に心を乱されるタイプであってもならないし、無意識の領域で戦えるだけの人生の蓄積がなくてはならない。小説が人一人の人生を変えるだけの力を持っているように(少なくとも私は村上春樹の小説に出会ったことで人生は変わっている)、それを伝達する翻訳家も人を動かすだけの力を持つ、伝達の神・マーキュリーに祝福された存在である。人の心が変われば世界も変わる。誰も気づかぬほどひっそりとではあるが、聖戦は遂行されていく。

「完璧な文章などというものは存在しない」という言葉は、「完璧な翻訳などというものは存在しない」にスライドする。だが翻訳家である以上は、原作者を尊重した上で、言葉の海を上手く泳ぎ切らなくてはならない。メッテは本の表紙を決める際も「ムラカミならどう思うか」という配慮を怠らない。エゴは禁忌である。ある意味、翻訳家は再生芸術家である演奏家に近いものがある。世界史上、完璧な演奏などというものは一度もなかったと思われるが、完璧な翻訳というものは果たしてあるのか? ラストは映画自体もまた完璧でないことを告げている。
完璧を夢見ながら、メッテの聖戦は続いていくのである。

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2019年11月17日 (日)

観劇感想精選(326) こまつ座&ホリプロ公演「組曲虐殺」2019

2019年11月8日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後6時30分から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、こまつ座&ホリプロ公演「組曲虐殺」を観る。井上ひさしの劇作家としての遺作の上演。2010年に初演され、2012年に再演。それから久しぶりの再々演となる。演出は初演から引き続き栗山民也が手掛け、音楽&ピアノ演奏も小曽根真が担当する。出演:井上芳雄、高畑淳子、上白石萌音、神野美鈴、山本龍二、土屋佑壱。上白石萌音は石原さとみからのバトンタッチ、土屋佑壱は山崎一から役を引き継いでいるが、それ以外は初演時と同じキャストでの上演である。

「組曲虐殺」は、プロレタリア小説家として最も有名な人物と思われる小林多喜二を主人公とした音楽劇である。リーマンショック後の2010年頃は一大不況が全世界を覆っており、イタリア初とされるプレカリアートという言葉が紹介されるなどプロレタリア文学にも光が当たっていた時期で、「蟹工船」が映画化されたりもしている。

昭和5年(1930)5月下旬から昭和8(1933)年2月下旬までの2年9ヶ月が断続的に描かれる。

まず、小林多喜二が伯父が経営するパン屋で育ったことが紹介される。小林多喜二は小学校を皆勤賞の上、成績も最優秀ということで伯父に見込まれ、住み込みでパン屋を手伝いながら小樽商業学校と小樽高等商業学校(現在の国立大学法人小樽商科大学)を卒業。北海道拓殖銀行(1997年に経営破綻し、山一証券とともにバブル崩壊後不況の象徴となった)に勤務し、銀行員として働く傍ら、「蟹工船」などのプロレタリア小説を発表し、高く評価されたが、そのことが原因で拓銀を追われている。

小林多喜二の伯父が経営するパン屋(小林三ツ星パン)は最初は「小樽で一番のパン屋」と歌われるのだが、その後「北海道一のパン屋」に歌詞が変わり、最後は焼失かとしての小林多喜二の下地を生んだということで「日本で一番のパン屋」と歌われる。この小さいところから徐々に拡大していくセリフはその後も何度か登場する。
パン屋では代用パンが、安いにも関わらず売れない。小樽商業学校時代の小林多喜二(井上芳雄)は、誰かが「代用パンを買う金をくすねている」からだと考える。それが後の巨大資本や官僚批判へと繋がっていく。

多喜二は、酌婦(体を売る接待係)の田口瀧子(上白石萌音)と出会い、引き取ることにするのだが、「奥さんと許嫁の間」という中途半端なポジションであり、多喜二は奥手なので、「キスはしていて抱き合ってもいるが、生まれたままの状態でではない」というこれまた中途半端な付き合い方をしている。結局、瀧子とは籍を入れないままで終わった。

場面は大阪市の大阪府警島之内署の取調室に変わる。多喜二は大阪で講演を行った夜に、日本共産党への資金提供容疑で逮捕されたのだ。黙秘を続けていた多喜二だが、話が瀧子や伯父のことに及ぶやうっかり話し出してしまう。

豊多摩警察署の独房で、多喜二は自らの無力さを嘆くブルースを歌う(「独房からのラヴソング」)。

その後、多喜二は監視役の特高刑事である古橋(山本龍二)と山本(土屋佑壱)が杉並町馬橋の多喜二の借家に下宿するという形での不思議な生活を送る。多喜二の姉である佐藤チマ(高畑淳子)や瀧子も馬橋の家を訪ねてくる。瀧子は山野美容学校などに通い、美容学校の助手となっていたが、収入の問題で辞め、今は給仕をしている。瀧子はパーマネントの技術を身につけたのだが、当時、パーマネントの機械は日本に3台しかないということで、その腕を生かせずにいた。多喜二はそのことを嘆くのだが、これは「独房からのラヴソング」にも呼応している。多喜二は結局は同じ無産者活動家の伊藤ふじ子(神野美鈴)と結婚するのだが、それは瀧子を危険に巻き込みたくなかったからであり、不思議な距離の愛情は終生続くことになる。

酌婦に身を落とすしかなかった瀧子、美術学校に通い舞台美術家などを経て活動家となるふじ子など搾取される側にいる階級の女性が登場するが、憎むべき特高の刑事達も、上の命令に「犬」として従うしかないという苦みを歌い上げており、やはり下層にいる哀れむべき人々として描かれている。そこに井上独特の視点があるように思われる。

日本共産党員であった井上の政治観については、ここで私が書いても余り意味のないことであり、そうした面から語ることの出来る他の多くに人に任せた方が良いように思う。私がこの劇から感じたのは、「書くこと」「イメージすること」の重要性だ。多喜二は「体で書く」重要性を特高の山本に伝える。多くの人は手や頭や体の一部で文章を書くのだが、大切なのは体全体で書くことであり、体全体で書かれたものは、書き手そのものとなって残っていく。
小林多喜二は若くして虐殺されたが、「蟹工船」を始めとする作品は今も読まれ続け、時にはブームも巻き起こす。そのことで私達は小林多喜二その人に触れることも出来る。そして井上ひさしが全身で書いたこの戯曲も、井上が亡くなって間もなく10年が経とうとしている今も上演され、井上本人の肉声に触れるかのような体験を可能としている。

 

ミュージカルトップスターの井上芳雄の歌声が素晴らしいのは勿論だが、瀧子を演じた上白石萌音の歌声も予想を遙かに凌ぐ凄さ。彼女の声凄さは、耳にではなく心に直接染みこんでくることである。稀な歌唱力の持ち主とみていいだろう。ミュージカル映画「舞妓はレディ」の小春役で注目を浴びた上白石萌音。実は「舞妓はレディ」はミュージカル化されて博多座で上演されており、私も観に出掛けたのだが、その際は唯月ふうかが小春を演じている。唯月ふうかも若手ミュージカル女優としてはトップクラスなのだが、そのため却って「ああ、上白石萌音は別格なんだな」と実感することになった。

小曽根真のピアノと音楽も多彩な表情で芝居を彩る。クルト・ワイル風のワルツが登場したりするが、実は井上ひさしが「ロマンス」でクルト・ワイルの音楽に歌詞を付けていたそうで、その影響もあるのかも知れない。

井上ひさし本人が、これが最後の戯曲になるとわかっていたのかどうかは不明である。だが、井上の最後の戯曲らしい仕上がりとなったのも事実である。
これは悲劇であるが、「思いが残っていればいつかきっと」という希望と「不滅と広がりの予感」を歌い上げる祝祭劇でもある。

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2019年11月16日 (土)

美術回廊(44) 大丸ミュージアム京都 「かこさとしの世界」展

2019年11月11日 大丸京都店6階大丸ミュージアム京都にて

大丸京都店6階の大丸ミュージアム京都で、「かこさとしの世界」展を観る。
昨年、92歳で亡くなった日本を代表する絵本作家であるかこさとし(加古里子。本名:中島哲)の絵本原画を集めた展覧会。私も子どもの頃は、毎週図書館でかこさとしの絵本を借りてきて、夢中で読んだものである。

 

1926年、福井県武生(現在の越前市)に生まれたかこさとし。幼い頃から画才を発揮。大日本帝国に尽くそうと、パイロットを目指すが、視力が悪いために断念。ならば技術力で貢献しようと東京帝国大学工学部に入学するが、在学中に敗戦を迎える。復学して、新制となった東京大学を卒業し、大手企業の社員というエリートとなったかこだが、戦争に協力しようとした愚かさを恥じ、自分のような過ちを犯さないよう子ども達を導こうとの思いから、セツルメントの一環として川崎市内の自宅のそばの公園で紙芝居上演を始め、その後、絵本作家に転じている。

入ってすぐの所にモニターが設置してあり、かこが子ども相手の紙芝居を始めた頃のエピソードなどを語る映像が流れている。約20分の映像であるが、全部見てみる。さしものかこでもすぐに子どもの心を捉えられたというわけではなく、最初は紙芝居を始めても、一人去り、二人去り、すぐそばの多摩川で虫取り遊びに興じ始めるということが普通の状態であったが、次第に子ども達の心を掴むようになる。上演された紙芝居の中には「どろぼうがっこう」の原型となる作品もあったようだ。

「からすのパン屋さん」シリーズは、どちらかといえば嫌われ者であるカラスを主人公にしている。カラスの賢さに注目し、水平の眼差しを忘れなかったかこらしい着想でもある。

京都の四季を題材にした作品もあり、かこの目を通した、葵祭、祇園祭、時代祭の京都三大祭を描いた絵を京都で楽しめるの趣がある。

 

絵本の他に、子ども達に科学を教えるために描いた絵もある。東京大学工学部応用化学科などで学んだ理系の知識が生かされているようだ。
また子ども達に芸術を教えるために描かれた絵本もある。絵画と彫刻の各1冊ずつで、ダヴィンチ、ピカソ、葛飾北斎、ミケランジェロ、ロダンのなどの作品がわかりやすく解説されており、大人が読んでも大変勉強になる。絵は有名だが名前をそれほど知られていない「ヴォルガの船引」のイリヤ・レーピンを取り上げているのもかこらしいといえる。前を見据えている一人の青年の姿は、まさに未来ある子ども達の理想そのものだ。

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2019年11月15日 (金)

これまでに観た映画より(138) ポーランド映画祭2019 in 京都「コメダの奏でるポーリッシュ・ジャズ」@同志社大学 「コメダ・コメダ」&「バリエラ」

2019年11月12日 同志社大学室町キャンパス寒梅館クローバーホールにて

同志社大学室町キャンパス寒梅館クローバーホールで、ポーランド映画祭2019 in 京都「コメダの奏でるポーリッシュ・ジャズ」と題された映画2本を観る。2012年製作の「コメダ・コメダ」と、1966年のイエジー・スコリモフスキ監督作品「バリエラ」。「バリエラ」の音楽は、クシシュトフ・コメダが手掛けている。なお、「バリエラ」の上映前にはイエジー・スコリモフスキ監督の舞台挨拶がある。

ポーランドのモダン・ジャズの先駆けでありながら、37歳の若さで事故死したクシシュトフ・コメダ。ロマン・ポランスキーとのコラボレーションを経て、ハリウッド映画の作曲家として活躍し始めたばかりの死であった。

「コメダ・コメダ」(ジャパンプレミア上映)は、クシシュトフ・コメダの生涯を辿るドキュメンタリー映画。ナタシャ・ジュウコフスカ=クルチュク監督作品。監督について詳しいことはよくわからないが、名前は明らかに女性名である。
ロマン・ポランスキーやアンジェイ・ワイダといったポーランド映画界の巨頭を始め、コメダと共演経験のあるポーランドのミュージシャン、コメダの医大時代の同級生などが証言を行っている。

共産党一党独裁時代のポーランドにあっては、ジャズは敵国であるアメリカの敵性音楽であり、コメダも医大時代にジャズの演奏や作曲を行っていることがばれ、医大生達に囲まれてつるし上げに遭いそうになったことがあるそうだ。

コメダが生まれたのは1931年。ナチスドイツがポーランドに侵攻する8年前である。
コメダは幼い頃、ポリオに罹り、後遺症で片足が少し不自由になっている。ピアノの才能は幼時より発揮されていたそうで、7歳で出身地にあるポズナン高等音楽学校に入学。戦時下であっても母親はコメダの才能が途切れてしまわないよう、ピアノを弾ける環境を作ることに腐心したそうである。ただ、コメダの母親は、コメダがプロのミュージシャンなることには反対であり、医師になることを望んでいた。コメダは母親の望み通り医科大学を卒業し、耳鼻咽喉科の医師となるが、結局、ジャズミュージシャンになることを選んだ。コメダの友人の一人は、「運命には抗えない」と語っている。
ポズナンには音楽の仕事がなかったため、コメダは、クラクフへ、更にワルシャワへと移動する。
ちなみにコメダというのは芸名で、本名はトルチンスキという。子どもの頃に、「command」(司令官)と書くべきところを「comada」とスペルミスしたことに由来するそうである。
アンジェイ・ワイダは、コメダの第一印象を、「パデレフスキ(ポーランドを代表するピアニストで、後には首相にもなっている)みたいな長髪の奴が来るのかと思ったら、見るからにオタクといった感じの奴が来て」と語っている。線が細く、いかにも繊細そうで影のあるコメダは、真逆の性格であるロマン・ポランスキーとは馬が合ったそうで、「水の中のナイフ」などの音楽を手掛け、ポランスキーに招かれる形でハリウッドへと渡っている。コメダは、自らのことを「映画の作曲家」と名乗っていたそうで、映画音楽を手掛けることに誇りを持っていたことが窺える。

ジャズ以外にもポーランドの生んだ音楽の先進性が語られる場面がある。ポーランド人は独自性を追求する傾向があるそうで、それがペンデレツキやルトスワフスキといった現代音楽の大家を生み出した下地になっているのかも知れない。

コメダの最期は転落事故である。交通事故となっている資料もあるが、関係者の証言によるとどうもそうではないようだ。事件性がありそうなことも語られてはいるのだが、詳しいことはわからないようである。

 

イエジー・スコリモフスキ監督による「バリエラ」。「バリエラ」というのはポーランド語で「障壁」という意味のようである。

上映前に、イエジー・スコリモフスキ監督による15分ほどの舞台挨拶がある。「バリエラ」はかなり特異な経緯で生まれた作品だそうで、元々は「空っぽの領域」というタイトルで、それまでドキュメンタリー映画を作り続けて来た映画監督の初劇映画作品として製作される予定であった。イエジー・スコリモフスキは依頼を受けて脚本を執筆。その監督のそれまでの作品も全て観て、「これはドキュメンタリータッチの脚本にした方がいいだろう」と判断。脚本を提出したのだが、その監督は脚本を読んで青ざめたようになってしまったという。ドキュメンタリー映画の監督で、劇映画は不得手であり、撮影には入ったのだが、制作費の4分の3を使ったところで、その監督は降板。続きをスコリモフスキの監督で撮るよう指示があったのだが、スコリモフスキは、監督に合わせてドキュメンタリー映画調の脚本を書いたが、自分ではそうした映画を撮りたいという気持ちはまるでない。ということで、残りの4分の1の予算で、1から新しい映画を撮ることになった。とにかく時間もないので脚本なしの即興で撮ることにし、キャストも全て一新、撮影監督も新たに指名した。キャスティングの一新についてスコリモフスキは、「大成功だった。主演女優はその後、私の妻になるのだから」とジョークを言っていた。
スコリモフスキ監督によると「バリエラ」には3つの奇跡があるそうで、まず「即興による映画が完成したこと」、2つ目は「即興にしては出来が良かったこと」、3つ目は「この映画が高く評価され、映画賞を受賞し、60年以上経った今でも上映される機会があるということ」だそうである。

内容は、ヌーヴェルヴァーグの影響も感じられるもので、「フランス映画だ」と言われたらそのまま信じてしまいそうになる。ポーランド映画とフランス映画は相性が良いのか、共同製作が行われることも結構多い。

国の世話になることもアメリカ人のように生きることもよしとしない主人公の医大生が医大を去り、「明日、結婚することになった」と父親に告げるも、相手が不明。父親に託された手紙を届けた家の女主人からサーベルを渡されることになる、といった風に、あらすじだけ書くと何が何やらわからないことになる。ただメインとなるのは、冬の停電の日に出会った路面電車の女運転士とのロマンスである。そこだけ辿ると素敵な恋愛映画と観ることも出来る。
人海戦術も多用されているが(特に深く考えられて行われたわけでもないと思うが、人一人の人生の背後には数多くの人物が潜んでいると捉えることも出来る)低予算映画でなぜあれほど多くのキャストを使えるのかは謎である。共産圏なので「低予算」といっても西側とは意味が異なっていたのかも知れない。
ロールスロイスなどの西欧の高級車が登場するが、これは若者達に敵対するものとして描かれているようだ。

また、クシシュトフ・コメダの音楽が実にお洒落である。即興で作り上げた映画だけにどうしても細部は粗くなるのだが、そこをコメダの音楽がまろやかなものに変えていく。映画の出来の半分近くはコメダの功績である。

ラストは、やはり即興風に撮られた王家衛監督の「恋する惑星」に近いもの。「恋する惑星」のラストに近いものになって欲しいと個人的にも思っていたのだが、やはりなるべくして同じようなラストに着地。めでたしめでたしとなった。

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2019年11月14日 (木)

日本・ポーランド国交樹立100周年記念 ポーランド国立民族合唱舞踊団シロンスク@フェスティバルホール

2019年11月6日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後6時30分から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、日本・ポーランド国交樹立100周年記念 ポーランド国立民族合唱舞踊団シロンスクの公演を観る。

ポーランド国立民族合唱舞踊団シロンスクは、1953年7月1日に作曲家で教育者、更に作家でもあったスタニスワフ・ハディナによって設立された民族舞踊団。100人を超えるメンバーがいるというが、そのうちの54名が今回来日し、日本各地で公演を行う。合唱団、舞踊団、オーケストラから成る団体だそうだが、今回はオーケストラなしでの上演(録音音源だと思われる)。シロンスクは、現在はポーランドとシロンスク県(県都は、ポーランド国立放送交響楽団の本拠地としても知られるカトヴィツェ)の共同運営となっているそうだ。

まずスクリーンにポーランドとポーランド国立民族合唱舞踊団シロンスクの紹介映像が映される。その後、ポーランド広報文化センター職員でピアニストの栗原美穂がポーランド民族衣装を纏って登場し、進行役を務める。

その後、いかにも東欧といった感じの舞踊が繰り広げられるのだが、「シュワ・ジェヴェチカ(森へ行きましょう)」が日本語で歌われるなど、サービス精神にも富んでいる。

シロンスクは、ポーランドの民族衣装2万点以上を保有しているそうで、今回も多くの民族衣装を披露すべく、ダンサーは平均して公演中に10回近く着替えるそうである。

民族舞踊に関しては特に知識もないので見所なども上手くは語れないが、やはり下半身の強靱さは目立つ。隣国ロシアのコサックダンスのような足の動きもあるのだが、器用に軽々とこなせるのは足腰の強さあってこそだろう。そしてバレエでもそうだが、男性のダンサーはやはり日本人とは比べものにならないほど体格が良く、動きがダイナミックである。女性ダンサーも日本人よりプロポーションは良いが、圧倒的といえるほどの差はないように思われる。スポーツでも女子選手は世界の強豪国と互角以上に戦える種目が多いが、男子の場合はお家芸とされる種目以外ではまず勝てない。身体能力においては日本人男性は不利だ。

ポーランドが生んだ最大の作曲家が、フレデリック・フランソワ・ショパンである。ショパンは父親がフランス人、母親がポーランド人のハーフであり、生涯の半分近くをパリで過ごしたため、純粋なポーランドの作曲家とはいえないのかも知れないが(フランス系であったがために青春期に失恋したこともあるようだ)ポロネーズやマズルカといった祖国の舞曲をピアノ曲にしており、愛国心においては祖国の人々に劣ってはいなかったと思われる。

そのポロネーズやマズルカの踊りも当然ながら行われる。ピアノ曲でしか知らない舞曲が実際にどのように舞われるのか興味があったが、リズムの意味が舞踊を見ているとよく分かる。特にリズムにステップが大きく影響していることが見て取れる。

曲芸的な舞やユーモアを取り入れた表現、舞と合唱のコラボや、合唱のみで聴かせる場など、思った以上にバラエティーに富んだ構成であった。

アンコールとして、ラストに踊られた「クラコヴィアク」が再度披露され、その後、スクリーンが下りてきて、シロンスクの出演者達が中島みゆきの「時代」を歌う。スクリーンには「皆さまもご一緒にお歌い下さい」と出て歌詞が投影され、ポーランド人出演者と日本人聴衆による合唱が行われる。大阪の聴衆の良いところは、こうした場面でちゃんと歌ってくれることである。仕事のため行けなかったが、今月2日にはロームシアター京都メインホールでの公演もあった。京都のお客さんはちゃんと歌ってくれただろうか。

同じ歌を歌っただけで本当に心が通じ合えたかどうかはわからない。ただやはりこうした経験は心を温かくしてくれるし、短い時間であっても一体感を得たことで少しだけ優しくなれたようにも思う。

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2019年11月13日 (水)

美術回廊(43) 京都国立博物館 「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」

2019年11月7日 東山七条の京都国立博物館にて

七条の京都国立博物館で、「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」を観る。

佐竹本三十六歌仙絵は、秋田久保田藩主の佐竹氏が所蔵していた三十六歌仙絵巻を一つ一つに分けたものである。現在佐竹本といわれる三十六歌仙絵巻は、藤原信実の絵、後京極良経の書によるもので、鎌倉時代に制作されたのであるが、その後しばらく行方不明となっており、江戸時代初頭には下鴨神社が所蔵していることが確認されているのであるが、再び行方をくらませていた。それが大正に入ってから突然、元秋田久保田藩主の佐竹侯爵家から売りに出される。佐竹氏は戊辰の役の際に東北地方で唯一最初から新政府方についたこともあって侯爵に叙され、優遇を受けていたのだが、それでも家計が苦しくなったため売りに出されたのである。三十六歌仙絵巻は実業家の山本唯三郎が手に入れたのだが、第一次世界大戦による不況で山本もこの絵巻を手放さざるを得なくなる。不況に見舞われたのは当然ながら山本一人というわけではなく、どこも資金が不足していたため、佐竹本三十六歌仙絵巻を買い取れるほどの資産家は日本には存在しない。このままでは海外に流失してしまうということで、三井物産の益田孝(号は鈍翁)が、絵巻を一つ一つに分けて複数人で保有することを提案。これによってなんとか海外流出は食い止められ、住吉大社の絵も含めた37枚の絵を、当時の富豪達が抽選によって1枚ずつ手に入れることとなった。それが今から丁度100年前の1919年のことのである。当時の新聞記事に「絵巻切断」という言葉が用いられたため、衝撃をもって迎えられたが、実際は刃物は用いず、もともと貼り合わせてあった絵を職人の手によってばらしただけである。抽選の会場となったのは、東京・御殿山にあった益田邸内の応挙館である。円山応挙の襖絵が施されていたため応挙館の名があったのが、この円山応挙の絵も今回の展覧会で展示されている。
三十六歌仙といっても人気が平等ではない。そのためのくじ引き制が取られたのだが、主催者である益田は坊主の絵を引いてしまって不機嫌になったため(引いたのは源順の絵だったという証言もある)、一番人気であった「斎宮女御(三十六歌仙の中で唯一の皇族)」の絵を引き当てた古美術商が絵を交換することで益田をなだめたという話が伝わる。

37枚のうち31枚が集められているが、残念ながら斎宮女御の絵は含まれていない。また、6期に分かれての展示で、今日は、源宗于、小野小町、清原元輔の絵は展示されていない。なお、大戦をくぐり抜ける激動の時代ということもあり、37点のうち、現在、行方不明になっているものも3点ほどあるそうだ。

柿本人麻呂は、歌聖として別格扱いだったようで、柿本人麻呂の他の肖像画なども数点展示されているほか、柿本人麻呂は維摩居士の化身だというので、維摩居士の絵なども展示されている。

女性や若い人は華やかな王朝の美に酔いしれることが出来るのだろうが、もうすぐ45歳の私は、老いや孤独を歌った寂しい絵に心引かれる。やはり自分自身に絵や歌を重ね合わせてしまうようだ。
例えば、藤原興風の「たれをかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに」や、藤原仲文の「ありあけの月の光をまつほどにわがよのいたくふけにけるかな」などである。

小倉百人一首でお馴染みの歌もいくつかある。藤原敦忠の「あひみてののちの心に比ぶれば昔はものを思わざりけり」などは有名だが、藤原敦忠は38歳で突然死した人物であり、菅原道真の怨霊によるものだと噂されたという。
ちなみに藤原敦忠の絵を手に入れたのは、後に血盟団事件で暗殺されることになる三井財閥の團琢磨である。流石にそれまでもが菅原道真の祟りというわけでもないだろうが。

在原業平の「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」も百人一首で有名である。和歌の天才と呼ばれた在原業平であるが、漢詩を不得手としていたため出世はかなわず、『伊勢物語』の主人公となったように東下り伝説が残るなど激動の人生を送った。

壬生忠見と平兼盛の歌もあるが、この二人の場合は今回の絵に採用されているものではなく、百人一首に取り上げられた歌の方が有名である。
歌合戦という言葉があるが、昔の歌合はまさに合戦であり、よりよい歌を詠んだ方が政において有利な立場を得ることが出来た。
天徳内裏歌合において、一番最後に「恋」を題材にした歌合があった。壬生忠見は、自信満々に「恋すてふ我が名はまだきたちにけり人知れずこそ思ひそめしか」と歌ったが、平兼盛の「しのぶれど色に出にけりわか恋はものや思ふと人の問ふまで」に敗れ、出世の道が絶たれたため悶死したとされる(史実ではないようだが)。このことは夢枕獏の『陰陽師』などにも出てくる。

 

佐竹本の三十六歌仙絵は2階に展示されているのだが、1階にもそれとはまた違った三十六歌仙の絵が展示されており、違いを楽しむことも出来る。

 

展示の最後を飾るのは、3隻の三十六歌仙屏風。作者は、土佐光起、狩野永岳、鈴木其一である。人気上昇中といわれる鈴木其一の三十六歌仙図屏風はやはり面白い。

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見知らぬ私

見知らぬ私を連れて街に出る。「連れて」と書いたが、主は「見知らぬ私」であって、私自身は従者に過ぎない。
人々が挨拶を交わすのは「見知らぬ私」に向かってであり、私自身の姿は彼らの虹彩を通過することはない。

「俺は誰だ?」
「リア王の影法師さ」

そして「見知らぬ私」は舞台に上がり、百万遍の死を繰り返す。私自身は死を知らないが、生もまた手にしたことはない。
網膜の劇場から私は引いた場所にあって、音の出ないピアノを弾いて見えない大地を彩るだけだ。今日もまた。

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「明けない夜はない」

「明けない夜はない」という言葉を聞くと、あたかも夜が悪いものの代表のように思えるのだが、果たしてそうだろうか。全てを影の中で融合させ包み込む夜よりも容赦ない光によって分離を促す朝の方が怖ろしいと思うこともある。

「夜明けとは僕にとっては残酷だ朝になったら下っ端だから」(萩原慎一郎)

私にとって夜はとても優しいものだ。苛烈な太陽光よりも、闇に咲く小さな灯火の方が寄り添うのにはずっと似つかわしい。灯火の先にまだ見ぬ誰かを夢見ながら。

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2019年11月12日 (火)

京都宣言

 私は関東の生まれで、そのことをとても誇りに思っています。生まれる場所は選べませんが、東京ではなく千葉県の出身であることを幸運だとも感じています。自分にしか語れない事柄があり、映像では確認出来ない風景の数々と録音では聴けない多くの音が頭の中に残っているので。貝の殻である私の耳は九十九里浜の潮騒を常に宿しており、一体であります。私自身の歴史が流れる場所。
 ただ生まれる場所は選べなくても過ごす街は自分で決めたい。そしてそれが京都です。子どもの頃から憧れを抱いていた古都。私と私の以前の記憶と呼応する街。山があり、鴨川が流れ、寺社が佇み、城が胸を張る。
 勿論、私を私たらしめた都市である東京は大好きですし、金沢、名古屋、岡山、広島、福岡など、他にも心引かれる街はありますが、私は京都が良いです。

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2019年11月10日 (日)

第62回祇園をどり 「千紫万紅倭色合(せんしばんこうやまとのいろあい)」全八景

2019年11月5日 祇園会館にて

午後4時から、祇園会館(よしもと祇園花月)で第62回祇園をどりを観る。当日券を買い、補助席での鑑賞。

五花街の中で唯一、秋に公演の行われる祇園をどり。祇園東の芸妓と舞妓による上演である。
実は五花街のをどりの中で最初に観たのが祇園をどりである。その後、鴨川をどり、京おどり、都をどりの順で観ているが、上七軒の北野をどりは離れた場所にあるということもあってまだ観たことはない。

祇園をどりを観るのは15年ぶり。「猫町通り通信」を始めて最初の秋に観ているので覚えている。当然ながら記事も残っていて読むことも出来るが、大したことは書いていないので読み返す価値はない。
祇園東の歌舞練場である祇園会館であるが、15年前はまだ吉本興業の小屋ではなく、通常は映画の二番館として営業していた。往時の祇園をどりは、舞妓が少なく、芸妓も年上の方が多く、それでも足りないのでご年配の方まで登場していて、祇園東の窮状が見ているだけで伝わってきたのだが、今では舞妓も増えて大分持ち直しているようである。15年前は舞妓(そもそもは「半人前」の意味である)も今ほどもてはやされていなかったようにも記憶しているが、映画で舞妓がよく取り上げられるようになったということもあってか時代は変わった。現在は、祇園東には舞妓が7人いるようで、舞妓だけによる舞の場面も上演出来る。

「千紫万紅倭色合(せんしばんこうやまとのいろあい)」と題された公演であり、令和改元御祝「紫宸殿の庭」「籬(まがき)の禿(かむろ)」「雪むすめ」「黒木売り」「三社祭」「春野の蝶」「花街十二階」「祇園東小唄」の八景が上演される。監修は藤間紋寿郎、演出振付は藤間紋、脚本構成は塩田律、作曲は清元菊輔&杵屋勝禄、作調は藤舍名生&中村寿鶴。

 

祇園会館は現在はよしもと祇園花月として運営されているということで、ロビーには吉本の大崎洋会長と記者会見で話題になった岡本昭彦社長からのお花が飾られていた。

15年前の記憶はほとんどないが、視覚的にほぼ同じ位置から舞台を眺めていたことは映像として残っている。15年前も当日券で入ったため、おそらくほぼ同じような場所で観ているのだろう。

まず「紫宸殿の庭」(紫の踊り)では、聖武天皇の「橘は実さへ花さへその葉さへ枝(え)に霜降れどいや常葉の木」をアレンジした、「橘は実さえ花さえその葉さえ霜降りてなお常盤の木」という歌詞が歌われる。桜も「花」という名で出てくるが、常緑の木である橘の方が、新元号令和の長久を願うのに相応しいだろう。
「左近の桜 右近の橘」と呼ばれ、桜と並び称された橘だが、いつの間にか華々しく咲いて散る桜の精神こそが大和魂ということになってしまっている(本居宣長 「敷島の大和心を人とはば朝日に匂ふ山桜花」)。常に変わらぬ橘の精神もあってこその桜だと思うのだが。桜と橘が両輪であったことを思い直すのも良いだろう。この上演ではセリが多用されており、つね和が一度下がってからから瑞兆を表す紫雲に乗って現れることで目出度さを演出した。

「籬の禿」(赤の踊り)では、まりこが赤い可憐な着物姿で登場、続く「雪むすめ」(白の踊り)は雪の背景の中での踊りであり、紅白の対比で縁起の良さを表現する。続くは黒の踊り「黒木売り」。つね和一人での舞である。

ここで、舞妓5人が客席に登場。聖徳太子の冠位十二階は、6つの色に濃淡を加えた12の色で身分を表したという話をする。セリフはつたないが、それこそが舞妓の売りだったりする。

青の踊り「三社祭」は男装しての踊りである。昨年の南座での顔見世でも観た演目であり、善玉と悪玉の面をして舞う。

「春野の蝶」では、照明が鮮やかな効果を上げる。15年前に祇園をどりを観た時には「思ったより地味だな」と思ったものだが、今回はかなり絵になる演出となっている。

舞妓5人による「花街十二階」。冠位十二階の色を祇園東の光景に例えた舞踊で、舞妓達がラスト付近で「おたのもうします」と言う。実は今日は小さなお子さんが客席の上の方でずっとなんかを言っている状態だったのだが、ここでその子が「おたのもうします」と真似て返す。おぼこさを売りにしている舞妓であるが、本当の子どもの声の方が可愛いので客席から笑いが起こる。舞妓さん達が食われてしまった格好であった。

ラストの「祇園東小唄」。総出での舞である。舞妓さんも可愛らしいが、こうして一緒に踊る姿を見ると、技術以外の部分でも芸妓さんとは差があるのがわかる。おひねりが撒かれ、華々しいうちに祇園をどりの幕は下りた。

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コンサートの記(605) 宮川彬良指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2019「オーケストラへようこそ!」第3回「オーケストラ七変化」

2019年11月4日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2019「オーケストラへようこそ!」第3回「オーケストラ七変化」を聴く。今日の指揮は宮川彬良。ナビゲーターはガレッジセール。

曲目は、バリー・グレイ作曲(宮川彬良編曲)の「サンダーバード」からメインタイトルほか、ハワード・グリーンフィールド&ジャック・ケラー作曲(宮川彬良編曲)の「奥様は魔女」、ヨハン・シュトラウスⅡ世(宮川彬良編曲)のワルツ「美しく青きドナウ」、ブラームス(シュメリング編曲)のハンガリー舞曲第5番、宮川彬良編曲による宮川版ハンガリー舞曲第5番、ベートーヴェン作曲(宮川彬良編曲)の「エリーゼのために」、レノン=マッカートニーの「ビートルズメロディー」(「ア・ハード・デイズ・ナイト」&「レディ・マドンナ」)、ベートーヴェン作曲の交響曲第5番「運命」第1楽章。

 

コンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。
今回は宮川彬良による楽曲解説がメインとなるため、演奏時間は短く、管楽器の首席奏者はトランペットのハロルド・ナエス(降り番)以外はほぼ全編に出演する。

 

京響のメンバーが登場し、全員がステージ上に揃わないうちに青のベストを着た宮川彬良も登場。実は本編前にお客さんと打ち合わせをするために早めに現れたのである。1曲目は「サンダーバード」メインテーマなのだが、カウントダウンがあるため、それをお客さんにやって貰いたかったのだ。
宮川「『サンダーバード』大好き! 素敵! という方はおそらく50代以上だと思われます」と語る。確かにその通りで、私でも「サンダーバード」のメインテーマは広上淳一がレコーディングしたCDで初めて本格的に聴いている。勿論、有名な音楽なのでどこかで耳にしたことはあるのだが、「サンダーバード」を見たこともない。

ということで、お客さんがカウントダウンを行い、まずは宮川が「ジャン!」と言って返す。「ファイブ」「ジャン!」「フォー」「ジャン!」「スリー」「ジャン!」「ツー」「ワン! あ、間違えました。ジャン!」という形でやり取りがあり、「Thunderbirds are go!」の部分はもっと低い声で言うようお願いする。

その後、宮川はいったん退場し、オーケストラがチューニングを行ってから再登場する。

自ら単なる作曲家ではなく「舞台音楽家」を名乗る宮川。この手の音楽はお手の物である。
「オーケストラ七変化」というテーマであり、同じ音楽でも様々な要素によって違いが出る秘密を宮川が解き明かしていく。テーマは首席ヴィオラ奏者の小峰航一がボードを掲げて聴衆に示す。宮川は小峰のことを「小峰大先生」と呼ぶ。最初のボードに書かれているのは「指揮」。

宮川は、「サンダーバード」メインテーマを厳かに指揮したことを語り、そのことにも意味があるとする。続いて、窮地の場面の音楽。今度は宮川は指揮棒を細かく動かす。最後は、サンダーバードの南国の基地の場面での緩やかな音楽。指揮棒をゆっくりと移動させる。指揮棒によって音楽が変わるということで、宮川は「指揮棒は魔法の杖」と語る。

魔法使いといえば子どもということで、宮川は「誰か勇気のある子」と客席に呼びかけ、手を挙げた女の子がステージに呼ばれる。今日はステージに上がる階段が設置されているのだが、女の子は靴を脱いで上がろうとし、宮川は「京都の子はお上品だから」と感心する。8歳のNちゃんという女の子であったが、宮川は「丁度良い子が来てくれた」と喜ぶ。開演前に「8歳ぐらいの子が来てくれたらいいな」と周りと話していたそうだ。
子どもが指揮棒で魔法が使えるかということで、Nちゃんに指揮台の上で指揮棒を振って貰う。Nちゃんが指揮棒を前に下ろすと、ハープと鉄琴が反応し、いかにも魔法といった感じの音がする。
続いては、「お父さんにも魔法が使えるか」ということで、客席の前の方にいた37歳の男性がステージに上がる。指揮棒を振って貰ったが、ギャグの場面で使われるようなとぼけた打楽器の音がした。
最後は、「次の曲には奥様が必要」ということで、奥様が呼ばれる。女性なので年は聞かなかったが、まだ若そうである。奥様が指揮棒を振ると「奥様は魔女」の魔法がかかる場面の音が鳴る。ここでガレッジセールの二人が、魔法使いがかぶるようなとんがり帽子とマント、更に小さなステッキを持って登場。奥様に魔法使いの格好をして貰い、川ちゃんは記念写真も撮る。
宮川が奥様の手を取って一緒に指揮を開始し、「奥様は魔女」の演奏が行われた。

ゴリが、「宮川さんは本当に面白い。本当に音楽が好きなんだなとわかる」と語る。

次の曲は、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」。宮川が編曲した少し短いバージョンでの演奏である。
宮川は、「三拍子というと三角形を書くようなイメージが」と語り、ゴリが「僕が学校でそう習いました」と返す。だが、ウインナワルツは三角形を書くように指揮しては駄目だそうで、宮川は三角形を描きながら「美しく青きドナウ」のメロディーを口ずさみ、「これじゃアヒルの行水みたい」と評する。ウインナワルツは丸を描くように指揮するのが基本だそうで、三角形を書くようにすると踊れる音楽にはならないそうだ。
宮川は指揮について語ったが、ゴリは「宮川さんだと僕らどうしても顔を見ちゃう。顔が面白い」と言い、宮川も「65%ぐらいは顔」と認める。
弦の刻みなどによる序奏の部分などはカットし、本格的なワルツが始まるところからスタートする。宮川は本職の指揮者ではないが、しっかりとした演奏に仕上げる。

 

次のテーマのテーマは、「オーケストレーション」。宮川が様々な管弦楽法を読み込んだ結果を、ボードに示して説明する。ボードは京響のスタッフが運んでくる。

まずハンガリー舞曲第5番の冒頭を普通に演奏した後で、弦楽、木管、金管に分けて演奏する。ゴリは、「木管だけだと楽しく聞こえる」と言い、宮川は「弦楽だけだと渋いでしょ」と返す。弦楽のユニゾンによる演奏も行われた。
続いて、楽器同士の相性。冒頭部分を第1ヴァイオリンとクラリネットで演奏する。第1ヴァイオリンとクラリネットは相性バッチリだそうである。吹奏楽の場合はオーケストラでは弦楽が演奏するパートをクラリネットが担当することが多いので、これはまあそうだと思える。
続いて、第1ヴァイオリンとオーボエによる演奏。これは相性が良くないとされる。宮川は「京都市交響楽団は伝統あるオーケストラなので」第1ヴァイオリンとオーボエでも溶け合って聞こえるが、「第1ヴァイオリンはメロディーを担当することが多い、オーボエもメロディーと担当することが多い楽器なので張り合いになる」そうである。ということで今度は互いが「主役はこっち」という感じで演奏して貰う。オーボエの髙山郁子は身を乗り出してベルアップしながら演奏していた。
続いては、チェロとホルンによる演奏。男性的な感じがする。
続いて、愛人のような関係。いつも一緒にやるわけではないが、たまになら上手くいくというパターン。オーボエとホルンが演奏するが、ゴリは「これ二人でこそこそホテル探してますね」と言う。

そしてブラームスのハンガリー舞曲第5番の全編の演奏。ハンガリー舞曲は、ブラームスがハンガリーのロマの舞曲を採取して、連弾用ピアノ作品にまとめたものであり、ブラームス自身も最初から連弾用編曲として楽譜を出版している。オリジナル曲でないということもあって、ブラームス自身がオーケストレーションを行っている曲は少なく、第1番、第3番、第10番だけである。最も有名なものは第5番だが、これも他者によるいくつかの編曲によって演奏が行われている。

ちなみにガレッジセールの二人は、宮川に勧められてピアノの椅子(今日はピアノは指揮台とオーケストラの間に置かれている)に腰掛けて演奏を聴くことになる。宮川は「狭いので半ケツ」でと言い、ゴリが「それか俺が普通に座って、お前が腿の上に乗る?」、川ちゃん「なんでだよ?!」

ということで演奏。アゴーギクを多用する指揮者も多いが、宮川は本職の指揮者ではないのでそこまではしない。

ゴリが、「いや、この席、12万ぐらい出す価値ありますね。でもなんか宮川さんの顔が音楽の麻薬にやられてるというか、とにかく面白い。みんなに見せて下さいよ」というので、宮川は客席の方を向いて指揮する。なんだがダニー・ケイがニューヨーク・フィルハーモニックを指揮したコンサートの時のようである。だが、
ゴリ「僕らが見てたのと全然違う。盛ったでしょ」
宮川「盛りました」
ということで、指揮をしている時の顔はポディウム席からでないと見られないようだ。ちなみにオーケストラ・ディスカバリーでは、ポディウム席は自由席となっている。

 

今度は宮川彬良が編曲を行ったハンガリー舞曲第5番の演奏。先に示した通りコントラバスを除く全ての弦楽器が主旋律を弾くなど、ダイナミックな仕上がりとなっていた。

 

休憩を挟んで宮川彬良のピアノと京響の伴奏による「エリーゼのために」。宮川は後半は赤のベストに着替えて登場する。サン=サーンス風の序奏があったり、チャイコフスキー風に終わったりと、かなり色を加えたアレンジである。

「編曲」がテーマであり、ボードを掲げた小峰は「へん」に掛けた変顔を行う。宮川は、「京都市交響楽団の皆さん、変な方が多いんです。良い意味でですよ。つまらない人ばっかりじゃ面白くない」

ビートルズナンバーから、「ア・ハード・デイズ・ナイト」と「レディ・マドンナ」の編曲。
宮川は編曲には2種類あると語り、「ア・ハード・デイズ・ナイト」は、忙しく働いた日の夜ということで、文学的描写を取り入れた編曲での演奏となる。本物の目覚まし時計の音が鳴ってスタート。出掛けるための準備やラッシュ時の慌ただしさなどを描写し、会社での仕事のシーンでは、ルロイ・アンダーソンの「タイプライター」が挟み込まれ、パソコンを使ったオフィスワークを描く。そして疲労困憊となり、疲れ切ってのフェードアウトで終わる。

「レディ・マドンナ」は物語描写は入れず、ビートルズによるボーカル、ギター、ベース、ドラムスをそのままオーケストラに置き換えた編曲である。ドラムセットは舞台上にあるが、この曲では使わず、ティンパニ、大太鼓、スネアドラム、シンバルの4つの楽器でドラムセットでの演奏を模す。

最後のテーマは「作曲」。小峰はボードを掲げながら足をクロスさせ、ゴリが「お、デューク更家になりました。あるいはラウンドガールか」と言う。
ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」の第1楽章が演奏されるのだが、その前に、スタッフと京響の降り番の奏者達が「運命」第1楽章冒頭の主旋律が書かれた巨大譜面(3枚組)を手に登場。なぜベートーヴェンの交響曲第5番が「運命」や悲劇的な印象を受けるのかを説明する。
三連符の後で音が下がるからだそうで、冒頭に「下がるぞ下がるぞ下がるぞ」と歌詞を入れていく。
悪い要素は続くという話から、ゴリが「吉本も今、負の連鎖です。悪いことばっかり」と言ったため、冒頭部分は「吉本の現状」ということになる(?)。
「成績が下がるぞ、給料が下がるぞ」となるのだが、ホルンの響きのところで、「よく見てみろ!」となり、第2主題は「上がるから下がる」と少し前向きになると説明する。

本編の演奏。最近はピリオドスタイルでの演奏が増えているが、宮川はそうした要素は取り入れない。そもそも最初からピリオドやHIPまでやってしまうと話がややこしくなる。

宮川は、「このオーケストラ・ディスカバリーは画期的。子どものためのコンサートをやっているオーケストラは色々あるけど、これだけお客さんが入ることはそうそうない」と語り、ゴリは、「僕ら今まで色々な指揮者の方とご一緒しましたけど、宮川さんが一番画期的な指揮者です」
川ちゃん「今日が一番笑いました」

 

アンコールは、宮川彬良のシンフォニック・マンボ No.5。ベートーヴェンの交響曲第5番とマンボNo.5を一緒に演奏する曲で、広上淳一も京響と演奏したことがある。
宮川は、マンボNo.5の冒頭をピアノで奏で、「ハー!」と言ってコンサートマスターの泉原に無茶ぶり。泉原は少し遅れて「ウ!」と答えた。
京響の楽団員は、掛け声や歌などを混ぜて演奏する。打楽器の真鍋明日香がやたらと可愛らしくマラカスを振るなどエンターテインメント性溢れる仕上がりであった。

 

レナード・バーンスタインの仕事をダニー・ケイの才能でこなすことの出来る宮川彬良。音楽の裾野を広げる才能は、現在の日本の音楽人の中でトップに位置すると思われる。

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2019年11月 9日 (土)

コンサートの記(604) ヤニック・ネゼ=セガン指揮フィラデルフィア管弦楽団来日演奏会2019京都

2019年11月3日 京都コンサートホールにて

午後3時から京都コンサートホールで、ヤニック・ネゼ=セガン指揮フィラデルフィア管弦楽団の来日演奏会を聴く。

アメリカのBIG5と呼ばれる5つの名門オーケストラのうちの1つとして知られるフィラデルフィア管弦楽団。古都(といっても10年ほどだったため、余りそうした取られ方はしないが)にして独立宣言起草の地であるフィラデルフィアに1900年に創設されたオーケストラである。フィラデルフィアには名門のカーティス音楽院があり、楽団員の多くが同音楽院の出身である。

レオポルド・ストコフスキーを音楽監督に頂いていた時代には、ディズニー映画「ファンタジア」の演奏を担当したことで知られ、後任のユージン・オーマンディの時代には「フィラデルフィア・サウンド」と呼ばれた世界で最も輝かしい音色を武器に人気を博している。ストコフスキーとオーマンディの時代にはラフマニノフとたびたび共演。録音も多く残している。オーマンディは後に「フィラデルフィア・サウンドなんてなかった。あったのはオーマンディ・サウンドだ」と述懐しているが、オーマンディ退任後のリッカルド・ムーティ時代には演奏の傾向も少し変わる。当時、天下を狙う勢いだったムーティは、「ベートーヴェン交響曲全集」なども作成しているが、お国ものであるレスピーギなどが高く評価された他は思うような実績が残せなかった。ムーティは、アメリカにオペラが浸透していないことや「世界最悪の音響」として有名だった本拠地のアカデミー・オブ・ミュージックに不満を漏らし、在位12年でフィラデルフィアを去っている。経営陣が後釜として狙っていたのはサイモン・ラトルであったが、ラトルには断られ、代わりにラトルが強く推薦するウォルフガング・サヴァリッシュが音楽監督となる。純ドイツ的な音楽作りで知られたサヴァリッシュとフィラデルフィア管弦楽団の相性を当初は疑問視する声もあったが、フィラデルフィア管弦楽団の弱点であった独墺もののレパートリーが拡大され、好評を得ている。2001年にはアカデミー・オブ・ミュージックに変わる新しい本拠地としてヴィライゾンホールが完成。音楽的な環境も整った。
サヴァリッシュの退任後は、独墺路線の踏襲ということでクリストフ・エッシェンバッハが音楽監督に選ばれたが、エッシェンバッハは多忙を極めており、在位は5年間に留まった。エッシェンバッハの退任後は音楽監督は置かず、「音の魔術師」シャルル・デュトワを首席指揮者兼芸術顧問に指名し、往年のフィラデルフィア・サウンド復活を目指すが、リーマンショックのあおりも受けて2011年に破産。世界トップレベルのオーケストラの破産は衝撃を持って受け止められた。その後、再建し、2012年からはヤニック・ネゼ=セガンを音楽監督に迎えている。

そのヤニック・ネゼ=セガンは、1975年、カナダ・モントリオールに生まれた注目株。ケベック音楽院モントリオール校を経て、プリンストンのウエストミンスター・クワイヤー・カレッジで合唱指揮を学ぶ。この間、カルロ・マリア・ジュリーニに師事。2000年に出身地のモントリオール・オペラの音楽アドバイザーとグラン・モントリオール・メトロポリタン管弦楽団の首席指揮者兼芸術監督に就任。グラン・モントリオール・メトロポリタン管弦楽団は、就任当時全くの無名楽団であったが、レベルを急速に持ち上げ、レコーディングなども行うようになる。その功績により、現在では同楽団の終身芸術監督の座を得ている。ちなみに幼い頃からシャルル・デュトワ指揮のモントリオール交響楽団の演奏会に通っており、デュトワは憧れの人物であったが、そのデュトワからフィラデルフィア管弦楽団シェフのバトンを受け継ぐことになった。
ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を2008年から昨年まで務め、昨年からはメトロポリタン歌劇場の音楽監督も任されている。
ちなみにアメリカで活躍する指揮者にはよくあることだが、カミングアウトした同性愛者であり、現在はパートナーの男性と3匹の猫と一緒に暮らしていることを明かしている。

 

曲目は、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:ハオチェン・チャン)とドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」

 

フィラデルフィア管弦楽団とストコフスキーが始めた現代配置、ストコフスキーシフトでの演奏である。
前半後半とも楽団員が思い思いに登場して練習を行い、最後にコンサートマスター(デイヴィッド・キムであると思われる)が登場して拍手という形である。

 

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。
ピアノ独奏のハオチェン・チャンは、上海出身のピアニスト。上海音楽院小学校で学んだ後、深圳芸術大学に進み、更に渡米してフィラデルフィアのカーティス音楽院でゲイリー・グラフマンに師事している。

チャンは、鍵盤に指を置いてからしばらく目を閉じて静止し、徐に弾き始める。冒頭はかなりテンポが遅く、音も弱く仄暗く、あたかも地獄の鐘の音を奏でているような趣がある。ダイナミックレンジを広く取った、ロマンティックで表現主義的な演奏。ネゼ=セガンも同傾向の伴奏を行うが、ネゼ=セガン自体はチャンよりも流れの良い演奏を好んでいるようでもあり、第1楽章では噛み合わない場面もあった。

フィラデルフィア管弦楽団というと、オーマンディやムーティ、デュトワらとの録音を聴いた限りでは「ザ・アメリカン・オーケストラ」という印象で、豪華で煌びやかな音色で押す団体というイメージを抱いていたが、実際に聴くと渋く憂いに満ちたサウンドが特徴的であり、アメリカというよりもライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団やロイヤル・コンセルトヘボウ楽団といったヨーロッパの楽団に近い印象を受ける。世代交代が進み、オーマンディの時代とは別のオーケストラになっているわけだが、ムーティ、サヴァリッシュ、エッシェンバッハ、デュトワといったそれぞれ強烈な個性の持ち主をトップに頂いたことで、アンサンブルの質が変わってきたのかも知れない。

第2楽章では、チャンのしっとりとした語りとフィラデルフィア管弦楽団のマイルドな音色が絡み合って上質の演奏となる。
第3楽章は、チャンのエモーショナルな演奏と、フィラデルフィアがこれまで隠し持ってきた都会的でお洒落なサウンドが合致し、豪勢なラフマニノフとなった。

ハオチェン・チャンのアンコール演奏は、ブラームスの間奏曲op118-2。チャンは弱音の美しさを重視しているようで、この曲でも穏やかなリリシズムを丁寧に奏でていた。

 

ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。コンサートプログラムに載る頻度が高く、「通俗名曲」という評価も受けているが、ネゼ=セガンとフィラデルフィア管弦楽団はこの曲に新たな風を吹き込む。
序奏は緩やかに展開。その後、テンポを上げていく。弦、管ともにパワフルであるが、むしろ澄み切った音色を前面に出した若々しい音楽作りを見せる。指揮者としてはまだ若いネゼ=セガンとの演奏ということでリズムの処理も上手い。「家路」や「遠き山に日は落ちて」というタイトルの歌曲となったことで知られる第2楽章の旋律も瑞々しく歌われる。
第4楽章は、下手をするとオーケストラの威力を示すだけになってしまう危険性のある音楽だが、ネゼ=セガンは曲調に込められたアメリカとヨーロッパの混交を明らかにしていく。その後に発達するロックのテイストの先取りや、ジョン・ウィリアムズに代表されるような映画音楽への影響、あくまでヨーロッパ的なノーブルさを保ちながらも発揮されるアメリカ的な躍動感など、中欧チェコの作曲家であるドヴォルザークがニューヨークで書いたからこそ成し得たハイブリッドな音楽が展開されていく。
実演で接した「新世界」交響曲の中では上位に来る仕上がりであった。面白さに関してはトップを争うかも知れない。

 

アンコール演奏は、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」。磨き抜かれた美音とセンチメンタルに陥る手前で踏みとどまった表現が印象に残った。

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2019年11月 7日 (木)

コンサートの記(603) 大和証券グループ presents 「BBC Proms JAPAN」BBCプロムス・イン・大阪 トーマス・ダウスゴー指揮BBCスコティッシュ交響楽団

2019年10月31日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、大和証券グループ presents 「BBC Proms JAPAN」 BBCプロムス・イン・大阪を聴く。毎年のロンドンの風物詩となっているBBCプロムスの日本での初開催である。東京と大阪で公演が行われるが、大阪での公演は今日1回きりである。

トーマス・ダウスゴー指揮BBCスコティッシュ交響楽団の演奏。BBCプロムスということでホール内は前半が暖色系、後半は寒色系のライトアップが行われていた。

 

デンマークの奇才、トーマス・ダウスゴー。ベートーヴェンの交響曲のピリオド・アプローチによる演奏に最も早く挑んだ指揮者の一人であり、今後が期待される中堅指揮者の一人である。1963年生まれ。王立デンマーク音楽院とロンドンの王立音楽院に学び、1997年にスウェーデン室内管弦楽団の首席指揮者に就任。このコンビで録音した「ベートーヴェン交響曲全集」は話題になった。その後、祖国であるデンマークの国立放送交響楽団のシェフなどを務め、現在はBBCスコティッシュ交響楽団の首席指揮者の座にある。

 

曲目は、メンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:ユリアンナ・アヴデーエワ)、マーラーの交響曲第5番。
一応、アンコールという形になるが、最後にエルガーの「威風堂々」第1番が演奏されることが決まっており、無料パンフレットに歌詞カードが挟み込まれている。

 

BBCスコティッシュ交響楽団は、スコットランド最大の都市であるグラスゴーに本拠地を置くオーケストラ。1935年の創設。現役最高のシベリウス指揮者の一人であるオスモ・ヴァンスカが1996年から6年間、シェフを務めていたこともある。

ヴァイオリン両翼の古典配置を基本としているが、トランペットが上手奥に斜めに一列に並ぶというロシア式の配置も取り入れている。
オーケストラメンバーはステージ上に三々五々登場し、さらい始める。最後にコンサートミストレスが登場したところで拍手が起こって、チューニングの開始となる。後半のマーラーはコンサートミストレスを含めメンバー全員が思い思いに出てきて座り、ダウスゴーの登場で拍手というスタイルが取られていた。

 

メンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」。各楽器の分離が驚くほど鮮明であり、全ての音がクッキリと浮かび上がるような、今までに聴いたことのない「フィンガルの洞窟」となる。パーヴォ・ヤルヴィとドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンが分離のはっきりとした演奏を行って世界を魅了しているが、分離の良さに関してはダウスゴーの方がパーヴォを上回る。
ロンドンのBBC交響楽団自体が二流オーケストラの代名詞的存在であるため、BBCスコティッシュ交響楽団にも余り期待していなかったのだが、透明で独特な艶のある弦がとても魅力的である。一方で管などは過度に洗練されてはおらず、良い意味でのローカル色も残っている。
かなり速めのテンポを採用したダウスゴー。メンデルスゾーンはピリオドで演奏するべきがどうか微妙な時代の作曲家だが、ダウスゴーが作り出した音楽には少なくともピリオドの影響を窺うことは出来る。すっきりとしたフォルムにエネルギーが横溢し、ドラマティックというよりもスリリングな演奏になる。弦楽ではヴィオラの強さと雄弁さも特徴である。

 

ユリアンナ・アヴデーエワをソリストに迎えてのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。
ユリアンナ・アヴデーエワは、1985年生まれのロシアの若手ピアニスト。モスクワ出身。5歳でピアノを始め、出身地にあるグネーシン音楽院で学んだ後、チューリッヒ音楽院でも研鑽を積み、この時期にはコンスタンティン・シチェルバコフの助手も務めている。
2010年にショパン国際コンクールで優勝し、知名度を上げている。

最近の欧州出身のピアニストはみな瑞々しい音色で弾くという特徴があるが、アヴデーエワもそうである。一頃のスタンダードだった甘い響きは近年は流行っていないようである。特に技術をひけらかすタイプのピアニストではなく、堅実で的確なピアニズムを売りとしているようだが、第3楽章のラストでは超絶技巧全開となり、ヴィルトゥオーゾの資質も兼ね備えていることがわかった。
ダウスゴー指揮のBBCスコティッシュ交響楽団も弦の美しさをベースとしたリリシズムが印象的だが、同時にダウスゴーは金管を思いっ切り吹かすタイプでもあり、迫力にも欠けていない。
第3楽章では、通常の演奏とは異なるテンポと音型で弾かれた場所があったが、そういう譜面があるのか、アヴデーエワとダウスゴーの解釈によるものなのかは不明である。他では聴いたことのない音型処理であった。

 

マーラーの交響曲第5番。いわゆるマーラー指揮者が指揮した演奏とは一線を画した個性が発揮される。
スケールはいたずらに広げすぎることはない。最強音の部分では盛大に鳴るが、虚仮威しにならないよう細心の注意が払われているようだ。
ダウスゴーの音楽作りはやはりクッキリとした分離の良さが特徴であり、マーラーがこの曲に込めた戦きや、作曲された当時の常識を踏み出した異様さがなどがそのまま提示される。美化されることのない骨組みのマーラーを聴いているようでもあり、ダウスゴーの音楽作りの独自性に感心させられる。
テンポは速いところもあるが、基本的に中庸。第4楽章(第2部前半)のアダージェットはこの速さが一番効果的なのではないかと思えるほどの美しさを湛えていた。これより速いと味気なく感じるかも知れないし、遅いとベタベタしすぎる。
ダウスゴーは、指揮棒をかなり細かく動かすタイプで、指揮棒を持たない左手も要所要所で効果的に用いられる。BBCスコティッシュ交響楽団もダウスゴーの指揮棒に俊敏に応えていた。

 

「プロムスといえば」、ということでエルガーの「威風堂々」第1番の演奏。「英国第2の国歌」といわれる歌詞が入っている部分では、ダイスゴーは客席の方を向いて指揮をする。BBCスコティッシュ交響楽団は鋭くしなやかな音色を奏でる。この辺がロンドンのオーケストラとは異なる個性かも知れない。過度にジェントルでない輝かしさと若々しさも魅力である。
私も「英国第2の国歌」といわれる「Land of Hope and Glory」を歌う。イギリス人でもないのに気分が高揚した。音楽にはそうした力がある。

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2019年11月 6日 (水)

これまでに観た映画より(137) 「エセルとアーネスト ふたりの物語」

2019年11月1日 京都シネマにて

京都シネマでアニメーション映画「エセルとアーネスト ふたりの物語」を観る。「スノーマン」などで知られる絵本作家、レイモンド・ブリッグズが自身の両親を描いたベストセラー絵本のアニメ映画化。監督:ロジャー・メインウッド、音楽:カール・デイヴィス。声の出演は、ブレンダ・ブレッシン、ジム・ブロードベント、ルーク・トレッダウェイほか。エンディングテーマはポール・マッカートニーが手掛けている。ポール・マッカートニーはレイモンド・ブリッグズの大ファンだそうで、レイモンドから直筆のオファーを受けて快諾したそうだ。

まず原作者のレイモンド・ブリッグズを写した実写映像が流れる。ブリッグズは両親が共に普通の人物であったことを語り、両親を描いた絵本がベストセラーになったことを不思議に思っていると率直に述べている。

物語は1928年に始まる。日本でいうと昭和3年。京都では毎日新聞の京都支局であった1928ビルが完成し、ロシアでは名指揮者であるエフゲニー・スヴェトラーノフが生まれた年である。

ロンドン。牛乳配達夫のアーネストは自転車を走らせている時に、豪邸の窓を掃除していたメイドのエセルを見掛け、手を振る。それが運命の出会いとなった。アーネストは毎朝、エセルを見掛けることを楽しみとし、エセルはアーネストのことで頭が一杯になって気もそぞろ。そしてある日、アーネストが花束を持ってエセルが働いている豪邸のチャイムを鳴らす。アーネストにプロポーズされたエセルは一緒に映画を観に出掛ける。実はアーネストは1900年生まれであるが、エセルは1895年生まれと5歳上であった。エセルは30代半ばに差し掛かっており、子どもを産むためには結婚を急ぐ必要があった。
二人は新居を買い、エセルはメイドを辞める。アーネストにもっと稼いで欲しいエセルであったが、アーネストは街に出て働くことが好きなため牛乳配達夫を続けており、出世すると事務方になって表に出られなくなるため消極的であった。エセルは自身を労働者階級ではないと考えており、プライドを持っていたが、アーネストの稼ぎは労働者階級よりも低かった。
政治的にもエセルが保守党支持者であるのに対してアーネストは労働党を支持しており、夫婦で思想なども異なっている。
エセルが38歳の時に、後に絵本作家となるレイモンドが生まれる。だが、高齢出産のため難産であり、エセルの命が危ぶまれたということで、出産直後にエセルとアーネストは産科医から「もう子どもは作らないように」と釘を刺されてしまう。

ドイツではヒトラーが政権を取り、1939年にドイツがポーランドに侵攻するとイギリスはナチスドイツに対して宣戦を布告。アーネストもイギリス軍に協力するようになる。ロンドンでも空襲が始まり、アーネストは防空壕を作るのだが、出来上がったのはなんとも心許ない代物であった。空襲は激しさを増し、アーネストとレイモンドもあわやという場面に遭遇したため、レイモンドは疎開することになる。エセルはレイモンドの疎開に反対するが、戦況は差し迫っていた。やがてエセルとアーネストが暮らしていた家も空襲によって破壊されてしまう。
ナチスが降伏し、ヨーロッパ戦線は終結を迎えた。しかし、1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下され、10万人を超える市民が一瞬にして犠牲になる。アーネストは余りのむごさを嘆くが、エセルは「戦争を終えるためには」という姿勢であった。エセルもアーネストも第1次世界大戦で肉親を失っており、戦争が一日も早く終わることを願っていた。

戦後、エセルはチャーチルの選挙での敗北を嘆くが、アーネストは労働党による新しい政治に期待する。思想も指向性も正反対であったが、夫婦としては上手くやっていく。

レイモンドは神経質な子どもだった。パブリックスクールに合格を果たし、これでオックスフォード大学かケンブリッジ大学に入って出世コースに乗れるとエセルは喜んだのだが、レイモンドは夢を追いかけるためにパブリックスクールを自主退学して美術学校に進んでしまう。やがてレイモンドは独立し、彼女を両親に紹介するのだが、その彼女が統合失調症を患っているということで両親は心配し……。

 

特別なことは何もない二人の41年の共同生活を描いた作品である。二人は息子と違って特別な才能があったわけでも何かしらの分野で有名であったわけでもない。日々生活し、子どもを生み、育て、将来を見守る。ただ、世の中の大多数を占めているのはそうした人々であり、これはエセルとアーネストの物語であると同時に、世界中の多くの家族の物語であるともいえる。激動の時代の中を淡々とただしっかりと生きていくという姿勢こそ、あるいは「世界」にとっては最も偉大なあり方なのかも知れない。
ありふれた人生だが、それだけに素晴らしい。


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2019年11月 4日 (月)

これまでに観た映画より(136) 「蜜蜂と遠雷」

2019年10月29日 MOVIX京都にて

MOVIX京都で、日本映画「蜜蜂と遠雷」を観る。恩田陸の直木賞&本屋大賞受賞ベストセラー小説の映画化。監督・脚本・編集:石川慶。出演:松岡茉優(ピアノ担当:河村尚子)、松坂桃李(ピアノ担当:福間洸太郎)、森崎ウィン(ピアノ担当:金子三勇士)、鈴鹿央士(新人。ピアノ担当:藤田真央)、平田満、臼田あさ美、ブルゾンちえみ、光石研、片桐はいり、斉藤由貴、鹿賀丈史ほか。

第10回芳ヶ江国際ピアノコンクールの参加者(コンテスタント)達を描く青春映画。天才少女と騒がれながら7年前に演奏会場から逃亡してしまった栄伝亜夜(松岡茉優)、音大生など24時間ピアノに集中できる出場者に交じって28歳の妻子持ちのサラリーマンで年齢制限から最後のチャンスに賭ける高島明石(松坂桃李)、「ジュリアード王子」と呼ばれて大人気であるが、師から「完璧を目指せ、余計なことするな」と厳命されているマサル・カルロス・レヴィ・アナトール(森崎ウィン)、伝説のピアニストであるホフマンに見出され、正統的な音楽教育を受けていないにも関わらずホフマンの推挙を受けてコンクールに参加することになった風間塵(かざま・じん。鈴鹿央士)ら、それぞれに複雑な背景を持ったピアニスト達が、時に競い、時に心を通わせ合っていく様が描かれている。それぞれのピアノ演奏を受け持つのが、日本を代表するトップクラスのピアニストというのが、見所であり聴き所である。

基本的には、20歳のピアニスト、栄伝亜夜(えいでん・あや)の物語である。ファーストシーンは幼い頃の亜夜とピアノ教師だった母親によるショパンの「雨だれ」の連弾場面である。母親によってピアノに開眼した亜夜は幼くしてカーネギーホールで演奏を行うなど神童ぶりを発揮するが、7年前に母親が死去した直後、ピアノ協奏曲のソリストとして登場するも演奏を行わずに逃亡。以後、表舞台から姿を消していた。そんな亜夜が芳ヶ江ピアノコンクールのコンクラリストとして姿を現す。口さがない人々は、「あの天才少女の?」「また逃げちゃうんじゃないの?」とひそひそ噂する。

そんな亜夜の前に現れた16歳の少年ピアニスト、風間塵。ホフマンの推薦状を手に現れた塵だが、ピアノも持たず無音鍵盤で練習を行っており、本格的な音楽教育も受けていないことから物議を醸す。審査員の中には露骨に彼を「最低だ」と批難するものまでいる。だが、心からピアノが好きな塵の姿勢に亜夜は影響を受ける。亜夜は塵ほどにはピアノを愛していないことを悟る。
 

今回のコンクールの本命と目されるマサル・カルロス・レヴィ・アナトール。アメリカ人だが、日系で幼い頃には亜夜の母親が開いているピアノ教室に通っており、亜夜と見るやすぐあの時の少女と見抜く。亜夜もマサルのことをすぐに思い出す。互いを「あーちゃん」「まーくん」と呼び合う二人。師から教わった通りの「完璧」を目指しており、それが現代のピアニストなのだと教え込まれている。だが実際の彼はコンポーザーピアニストになることを夢見ており、完璧な表現とは違った創造性を求めていた。

高島明石は、楽器メーカーで働きながらピアノコンクールに応募。学生達では不可能な「生活に根ざしたピアノ」を弾くことを目標としている。年齢制限があるため、今回が最後のピアノコンクール参加であり、結果が出なかったら潔くピアニストを止めるつもりでいた。

 

2次審査は、新曲「春と修羅」(実際の作曲は、今最も話題の作曲家である藤倉大が行っている)の演奏で、カデンツァは、ヴィルトゥオーゾの時代のようにピアニスト達が独自に作曲したものを弾く。大時代的でドラマティックな超絶技巧を披露するマサル。一方、宮澤賢治の言葉にインスパイされた詩的なピアノを明石は弾く。宮澤賢治が理想とした生活に根ざした農民芸術的な明石のピアノに触発された亜夜は感激し、すぐさま練習室でピアノを弾こうとするが、全て塞がってしまってる。それでもどうしても今夜中にピアノが弾きたい亜夜は、明石の手配で、芳ヶ江の街のピアノ工房でピアノに向かう。亜夜の行動を察知して後を付けてきた塵は亜夜と二人で、ドビュッシーの「月の光」、「It's only a paper moon」、ベートーヴェンの「月光」などを即興で連弾する。

亜夜にとってピアノとは母親と弾くものであり、母と心を通い合わせる道具であった。だから母が他界してしまった時、亜夜はピアノを弾く意味を喪失してしまった。コンサート会場から逃げ出したのはその時である。だが、コンクールに出たことで、ピアノは人々と通じ合うツールへと姿を変える。様々な邂逅を経て、亜夜はピアノを弾く意味と失われた音楽を取り戻していく。

 女性が主人公ということもあって、登場人物にどれだけ共感出来るかが鍵となる映画。そういう点において女性向けの作品と見ることも出来るかも知れない。幸い、亜夜の実際のピアノ演奏を担当しているのが河村尚子というとこもあって、私は亜夜に感情移入することに成功したように思うし、他の人物の心境も完全というにはおこがましいが、ある程度把握することが出来、音楽を通してささやかだが確実に成長していく人々を温かく見守ることが出来た。
プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番演奏シーンでは、自分でもなぜ感動しているのかわからない感動も味わう。

芸術に限らず多くのジャンルにおいてそうだが、人との関わりや巡り合わせがとても重要であることを示してくれる映画である。

 

 

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2019年11月 3日 (日)

美術回廊(42) KYOTO EXPERIMENT 2019 グループ展「ケソン工業団地」

2019年10月26日 京都芸術センターにて

京都芸術センターへ。現在、館内各所で京都国際舞台芸術祭(KYOTO EXPERIMENT、KEX)2019参加作品である「ケソン工業団地」の展示が行われている。エントランスに映像展示と説明文があり、ギャラリー南では、ケソン工業団地で働いていた南側と北側の人々の写真展示がある。

南北朝鮮の協働によって開発されたケソン工業団地。北朝鮮国内で最も南に位置する大都市のケソン(開城)の経済特区に置かれ、北朝鮮が土地と労働力を韓国が技術と資本を提供して2004年にスタートした。いわゆる金大中の太陽政策の一環であり、北側と南側の人々が一緒に働くこの場所は、「南北統一の先駆け」と評価されたという。普段は一般市民は国境を越えることは出来ないが、ケソン工業団地に勤める韓国側の人々は、日々国境を越えて通勤していたという。
だが、2013年に北朝鮮が核開発を行ったことで韓国側が撤退を表明。2016年には操業がストップして、南北朝鮮が見た夢は12年の歴史で幕を下ろすことになった。

「ケソン工業団地」は、そこで働いていた一人一人に焦点を当てた3人のアーティスト(イ・ブロク、イム・フンスン、ユ・ス)による展示会であり、2018年の夏にソウルでの展示会が行われ、このたび京都でも開催されることになった。

 

ギャラリー南には、ケソン工業団地で働いていた人々の等身大と思われるパネルがある。入って来た側に並んでいるのが北朝鮮の人々、裏側が韓国の人々である。ぱっと見では北側の人なのか南側の人なのかはわからない。顔は勿論、服装でもである。
誰が見ても美少女と思えるような若い女性の写真もある。胸に金日成のバッジを着けており、北側の人だとわかるのだが、余り北っぽさはない。北朝鮮は美人の産地として知られており、ここのパネルでは北側の女性の方が綺麗に見えるが、サンプル数が少ないので「北側の方が美人」と断言は出来ない。意図的に綺麗な人が選ばれた可能性もある。
背後にはケソンの一帯の風景写真が壁一面に広がっていた。

 

講堂では映像展示が行われている。中央にスクリーンが立ち、両側から別々の映像が照射されている。入り口に近い方は棺桶を担いで歩く人物の映像、裏側はニュースなどを中心とした映像である。両方の映像は時折クロスする。

その奥の大広間には、ケソン工業団地の内部を再現したコーナーが設けられている。大広間は畳敷きであるが、今回は畳は取りのけられており、板敷きでの公開となっていた。ミシンがずらりと並び、キャビネットにはハングル文字の書かれた袋に入ったお菓子などが並んでいる。

 

3階のミーティングルーム2では、ケソン工業団地で作られた布袋の展示や、写真資料、映像展示などが行われている。布袋にはいかにも共産圏らしいデザインのものもあるが、中には偶然東京ヤクルトスワローズカラーになっているものもあって微笑ましい。

 

南北共通の夢が、短い間ではあったが達成されたことを物語る貴重な展示であった。

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2019年11月 2日 (土)

観劇感想精選(325) 神里雄大/岡崎藝術座 「ニオノウミにて」

2019年10月26日 京都芸術センターフリースペースにて観劇

午後7時から、京都芸術センターフリースペースで、神里雄大/岡崎藝術座の「ニオノウミにて」を観る。英語のタイトルは「Happy Prince Fish」である。作・演出:神里雄大。

ニオノウミというのは琵琶湖の別名(ニオというのは滋賀県の県鳥になっているカイツブリのこと)である。日本三大弁財天の一つを祀る竹生島を舞台とした異人との遭遇を巡る物語。能の「竹生島」がモチーフとなっている。出演は、浦田すみれ、重実紗果(しげみ・さやか)、嶋田好孝。

京都国際舞台芸術祭参加作品としての上演であり、舞台上方(天井の近く)にセリフの英訳が投映されての上演である。意味としては似通っているが、思考パターンが異なるためニュアンスに大きな隔たりが出ているのを見るのも楽しい。

まず、薄明の中で舞台上にタブレット端末が置かれてスタートする。
治安の悪い国からやって来た男が滋賀県にたどり着く。日本に希望を持ってやって来たのだが、日本語をきちんと話せないことで(セリフ自体はきちんとした日本語として語られている)日本人から見下されており、日本人が嫌になって日本語の学習もやめてしまっていた。男は琵琶湖に釣りをしにやって来たのだが、そこで琵琶(タブレット端末から竿状のものが伸びており、画面に琵琶の腹部が映されている)を拾う。背後で若い女の声がする。女は「それは私の琵琶です。返してください」と男に言う。女は「じじい」と呼んでいる祖父と二人暮らし。両親は離婚して家を出て行き、兄が一人いるが東京に出たまま一度も帰ってこない。漁師をしている「じじい」と共に女は毎晩、漁に出ている。種明かしをするとこの女の正体は弁財天なのだが、共に竹生島に渡ろうと女は男に提案する。

琵琶湖では、ブラックバスやブルーギルという外来魚が固有種を食い荒らしてしまうため、問題となっている。「じじい」は外国人観光客を外来魚になぞらえて罵り始め、「下等動物」とまで呼んで怖れている。
ブルーギルは実は明仁上皇が皇太子時代に外遊先のシカゴで市長から贈られたものを持ち帰ったのが最初である。ブルーギルは水産庁淡水区水産研究所が食用研究の対象として飼育していたのだが、淡水真珠養殖で母貝として用いるイチョウガイの養殖場でイチョウガイ幼生の宿主としてブルーギルが利用され、逃げ出したものが琵琶湖で繁殖するようになった可能性が高いようである。実はブルーギル繁殖のきっかけを作ったことについて、上皇陛下が天皇であられた時に謝罪なされたことがある。

3つの場からなる芝居だが、1場が終わった後で10分間の休憩が入る。お弁当付きの前売り券があった他、少数だが当日申し込み用のお弁当も用意されており、スナック菓子やお茶も売られる。
客席もフリースペースの段差を利用した椅子状のものと座布団を敷き詰めた床席が用意されており、自由なスタイルで芝居を観ることが出来るようになっている。観劇に「多様性」を持たせたいという神里の意思である。

 

異人と外来種を「じじい」が語る(録音された声による)が、今度はブルーギルが謝罪と自己弁護を述べることになる。ブルーギルは食用にも適さず、臭く、何の取り柄もないと自分を卑下するが、一方で、明仁上皇がやはり皇太子時代にやはり外来種のティラピアをタイに食用として贈り、現在ではティラピアはブラーニンという名で国民食として愛されているという話もする。同じ外来種でもティラピアは食用として役に立つから良く、役に立たないブルーギルは差別されて当然なのかという問いがある。近年の日本では「実用性」ばかりが叫ばれ、差別や区別が当然のように論じられているがこれは正しいことなのか。外国人に限っても安くて便利な労働力として重宝する一方で治安が問題視され、観光客となると「観光公害」として排斥運動が起こる直前の情勢になっていたりする。これは雇用の調整弁と見なされた日本人においても同様である。

3つの楽器がキーとして登場する。まずは琵琶湖の名の由来にもなった琵琶。ペルシャが起源であり、シルクロードを伝わって奈良時代に日本に渡来し、琵琶法師や仏話の際に用いる楽器として広まった。2つめは三線である。沖縄の民族楽器として有名だが、中国由来の楽器である。これが関西地方に伝わって生まれたのが三味線で、胴体にはニシキヘビの皮ではなく手に入りやすい猫や犬の皮を用い、琵琶のようにバチを使って弾く。日本は海外から様々な文化要素を取り入れ、それを吸収してオリジナルへと昇華させるという歴史を歩んできた。しかも元も文化を否定せず、共生させる。楽器に限らず、言葉から演劇から音楽からあらゆることにおいてそうであり、これこそが日本の伝統なのである。無料で配られた用語集に「琵琶湖周航の歌」がさらっと入っていて、休憩時間に流れていたが、実は「琵琶湖周航の歌」はオリジナルではなく、第三高等学校(現在の京都大学)の生徒が書いた詩を「ひつじぐさ」のメロディーに乗せたものなのだが、これが今では滋賀県のご当地ソングとして愛されるまでになっている。また「琵琶湖哀歌」も用語集に入っていて、「琵琶湖周航の歌」の後で流されたが、これまた「琵琶湖周航の歌」のメロディーを転用したものである。だが、そのまま受け入れられている。こうした懐の深さが日本人にはあったのだ。
ところが現代の日本は取り込むことを止めて排斥へと変化している。それは「男性的」と呼ばれる刹那の喜びのために行われるブラックバスフィッシングのキャッチアンドリリースにも例えられる(ネット用語の「釣り」も関連しているのかも知れないが)。伝統的ではない状態なのに排外に回る人は自身を伝統的な保守主義者だと勘違いまでしている。そういった状態に無関心の人も多く、とにかく選挙にも行かない。権利を行使しなかったわけだが、その結果生まれた社会を意思を示さなかった人々が本当に受け入れられるのかどうか。
日本だけが正義で被害者というわけでもない。オセアニアやヨーロッパでは、日本や朝鮮半島では食用として愛されているわかめが侵略的な外来種として問題になっていることが用語集には書かれ、劇中でも仄めかされている。

弁財天である女は仏教の十善戒から6つを唱えるが、もうそれは死んだしまった人間の言葉だとつぶやく。無宗教者が大多数を占める今の日本では仏教も神仏習合時代の言葉も心に届かない。そして女は男に自分の座を譲ろうとまでする。弁財天から渡された三味線の歴史が語られ、特に救いらしい救いもなく、不毛の未来が提示されて黙示録的に終わる。弁財天は男の良き未来を祈り、「またどこかでお会いすることがあるといいですね」と言うも、「でもわかりません」と続ける(英語字幕では、ビートルズやMr.Childrenの歌でお馴染みの「Tomorrow never knows」と表示されていた)。

芝居では答えは示されなかったが、日本人はどうすればいいのか? まずは本当の伝統を知ることである。受け入れ、止揚し、自らのものとしていった日本の歴史。それを断ち切らせることがあってはならない。「排除」を「正義」にしてはならない。三味線に見られるような「昇華」と「共生」を可能としてきた希有な伝統をもう一度振り返る必要がある。

我々は幕末の志士達よりも賢いはずだと思いたい。

 

内容は当然ながら異なるのだが同じ「共生」への意識を描いた黒沢清監督の「カリスマ」を見直してみたくなった。

 

内容が気に入り、台本が500円で売っていたので購入し、読む。「いいね!」。いや「いいね!」だけでは駄目なのだが。

 

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2019年11月 1日 (金)

観劇感想精選(324) 野田地図(NODA・MAP)第23回公演「『Q』 A Night At The Kabuki」

2019年10月24日 大阪・上本町の新歌舞伎座にて観劇

午後7時から、大阪・上本町の新歌舞伎座でNODA・MAPの第23回公演「『Q』 A Night At The Kabuki」を観る。作・演出・出演:野田秀樹。出演は、松たか子、上川隆也、広瀬すず、志尊淳、橋本さとし、小松和重、伊勢佳世、羽野晶紀、竹中直人ほか。音楽:QUEEN、サウンドデザイン:原摩利彦、衣装:ひびのこづえ。

野田秀樹がクイーンのアルバム「オペラ座の夜」にインスパイアされて作り上げたという舞台。シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」に地獄といわれたシベリア抑留などを絡ませて物語は進む。

シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」とは異なり、生き延びたそれからの愁里愛(じゅりえ。松たか子)とそれからの瑯壬生(ろみお。上川隆也)が、30年前の自分達である源の愁里愛(広瀬すず)と平の瑯壬生(志尊淳)の悲劇を避けるために介入していく。

時は平安末期、源平の騒乱の最中である。源義仲(橋本さとし)が源氏の統領となり、壁一枚隔てた平氏の館と冷戦が続いている。そんな中、平清盛(竹中直人)の息子である平の瑯壬生と源頼朝の妹である源の愁里愛は、一目で互いに恋に落ちた。全ての悲劇の発端となる出会いを思い起こし、それからの愁里愛とそれからの瑯壬生は、共にかつての自分に入れ知恵をする。まるでダブル「シラノ・ド・ベルジュラック」のように。

戦後、シベリアに抑留されていたそれからの瑯壬生は、実は30年前、都に帰ることになった平の凡太郎(竹中直人二役)に尼になったそれからの愁里愛への手紙を託していた。だが、30年かけてようやく平の凡太郎から愁里愛へと手渡された手紙は白紙だった。凡太郎は都に帰ってこられた嬉しさで遊び倒し、愁里愛に手紙を渡すことを30年も忘れていたと語るが、それは実は嘘であることがわかる。それからの瑯壬生は、通常の手紙とは異なる形のメッセージを凡太郎に託していたのだが、凡太郎はその内容に気後れがして、30年もの間、渡すことを躊躇していたのだ。

30年前、二人が出会い、たった5日間の愛を交わし合った日々。都では源氏が裏で操る「名を捨テロリスト」達とそれに反抗する平氏の「拾うヒロイズム」による抗争が続いていた。源の愁里愛は、平の瑯壬生が平氏の御曹司であることを嘆き、「名を捨てて」と願い、つぶやいた。愛も何も知らない少女のちょっとした思いつきが後の悲劇の始まりとなる。

 

「ロミオとジュリエット」のセリフを比較的忠実になぞる部分があるが(「平家物語」に出てくる言葉がそれに沿うように挟まれる)、ジュリエットが望んだ「名」つまり「属性」を捨てることの愚かさをある意味告発する内容である。

アノニマスとなりすましが日常的に行われている現在において、ネット上では匿名であるということが時に暴力に繋がるように、現代の戦争は匿名の兵士が人々を「名もなき存在」として殺していく。
生きながらえたそれからの瑯壬生は、「アカシアの雨に打たれてこのまま死んでしまいたい」と嘆くが、気を取り直して名もなき一兵卒として戦争に参加することを望み、名を平の平平(へいへい)と偽る。だが、名乗りを上げて一騎打ちのそれまでの戦とは違い、ロミオが加わった戦争は、どこからか誰ともわからぬ者達が一斉に打ちかけてくるというアノニマスな戦場だった。

一方、それからの愁里愛は尼となり、修道院へと向かう。修道院行きのバスで出会った「尼ぞねす」という団体には、源義仲を殺した瑯壬生への恨みを抱いたままの尼トモエゴゼ(伊勢佳世)や、世の中は色々なものが「混ざってるさ」ということでマザーッテルサと名乗る尼(羽野晶紀)がいた。それからの愁里愛は、彼女達と行動を共にするのだが、一行はいつの間にか看護師の団体として戦場に着いている。「尼ぞねす」達は、野戦病院の看護師として従軍、次々と運ばれてくる瀕死の兵士達を看護する。その野戦病院で瑯壬生と愁里愛は再会するのだが、瑯壬生は源義仲殺しのお尋ね者にして清盛亡き今では平氏の頭領ともなり得る人物で正体がバレれば即死罪は免れない。愁里愛は、今や為政者となった源頼朝(橋本さとし)の妹ということで正体が明らかになれば連れ戻される。そのため互いの名を呼ぶことが出来ない。
そしてそれからの瑯壬生は、シベリア送りとなり、名前をなくしたことで引き上げの際にも名前が呼ばれることはなく、戦友達が船出する中で俊寬のように一人シベリアに取り残されることになる。
そんな中、『夜と霧』のヴィクトール・フランクルのように愁里愛を想い続けてきた瑯壬生は、ある意外な内容の手紙を凡太郎に言付けた。回り回った表現で綴られた愁里愛への思い。凡太郎はそれを勘違いするが、愁里愛には確かに伝わる。想像の空間の中で二人は愛を成就させるのだが、「名」をなくした行いは重く、厳然たる現実が突きつけられて劇は終わりを告げる。平安絵巻の形を借りて、冷戦終結後30年の名もない時代、アノニマスとなりすましの時代である今が問われるのである。「名」を捨てて安易に暴力へと走って良いのか? 「誰か」になることで、己をむなしくしてはいないか?

 

日本における理知派俳優の代表格である松たか子と上川隆也の共演。1997年の元日にTBS系列で放送された正月ドラマ「竜馬がゆく」で坂本竜馬と千葉さなとして共演していた二人だが、舞台での共演を見るのは初めてである。理知派の二人であるが、野田秀樹の舞台ということもあって、頭で作り上げた演技よりもこれまで培ってきた俳優としての身体技術の高さの方が目に付く。上川隆也は、大河ドラマなど数々の時代劇への出演で身につけたキレのある動きと存在感、松たか子は40歳を超えてなお光る可憐さで魅了する。

広瀬すずは熱演だが、感情が先走りしすぎてセリフが追いつかない場面が散見される。ただ、まだ若いのだし、初舞台ということでこんなものなのかも知れない。志尊淳は見た目や立ち振る舞いは良いが、存在感においては先に挙げた三人には及ばないように思われた。キャリアの差かも知れない。

野田秀樹の舞台へは初出演となる竹中直人。いつもながらの竹中直人で安心する。竹中直人と松たか子という大河ドラマ「秀吉」(1996年)のコンビのやり取りが見られたのも嬉しい。竹中直人が主役である豊臣秀吉、当時まだ十代であった松たか子が淀殿を演じていた。

羽野晶紀と伊勢佳世は、共に男に媚びを売るぶりっこの演技も見せるのだが、関西でそうした演技をすると二人とも島田珠代に見えてしまう。キャラを確立している島田珠代が凄いということなのかも知れないが。

言葉遊びを多用する野田秀樹の手法はいつもながら冴えているが、シベリア抑留の生活を言葉だけで語る(「言葉、言葉、言葉」)となるとどうしても弱くなり、切実さが感じられない憾みもあった。クイーンの音楽の使い方も十分とは思えず、インスパイアされるのは良いが、劇中で「オペラ座の夜」に収録された音楽が流れると面映ゆく感じられもした。

途中20分の休憩を挟んで上演時間約3時間という、野田秀樹としては大作であり、平氏の一党がハカを踊るシーンがあったりと、詰め込みすぎの印象も拭えないが、野田秀樹の問いの鋭さと深いメッセージにはやはり感心させられる。

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