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2019年11月26日 (火)

これまでに観た映画より(144) 「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」

2019年11月19日 京都シネマにて

京都シネマで、アメリカ映画「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」を観る。J・D・サリンジャー生誕100周年記念作品。監督・脚本:ダニー・ストロング。出演:ニコラス・ホルト、ケヴィン・スペイシー、ゾーイ・ドゥイッチ、ホープ・デイヴィス、サラ・ポールソンほか。

若者の間でバイブル的人気を保ち続ける『ライ麦畑でつかまえて』の作者、J・D・サリンジャーの伝記映画である。原作は、ケネス・スラウェンスキーの『サリンジャー 生誕91年の真実』。

サリンジャーが作家を志してコロンビア大学の創作コースに入る直前から、沈黙に入る時期までを描いている。

左翼団体が幅を利かせすぎたために今はなくなってしまった明治大学の生協で初めて買った本はE・H・カーの『歴史とは何か』であるが、初めて買った小説は『ライ麦畑でつかまえて』だったという記憶がある。だが、私が明治大学第二文学部に入った当初は生協は今は紫紺館が建つ小川町校舎にあり、『ライ麦畑でつかまえて』を買ったのは今は三省堂書店が入っている12号館の地下2階であったことは確かである。私が明大に入った1994年の夏に生協が小川町校舎から竣工したばかりの12号館に移っているため、ひょっとしたら『ライ麦畑でつかまえて』を買ったのは12号館の生協で買った小説としては最初であるが、小川町校舎時代の生協で何か別の本を買っている可能性もある。もう大分前のことなので記憶も曖昧である。ただ当時、「十代の内に『ライ麦畑でつかまえて』は読んでおきたい」という気持ちがあったことは覚えており、その日のうちに一気に読み終えた記憶がある。

ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー(劇中では愛称の「ジェリー」で呼ばれる。演じるのはニコラス・ホルト)は、成功した貿易商の息子として生まれた。父親はユダヤ系である。成績不振でハイスクールを退学処分になったことがあり、このことが『ライ麦畑でつかまえて』に繋がっている。その後、別のハイスクールを卒業し、大学に入るも退学、別の大学に入学してまた退学を繰り返した。

コロンビア大学では、ウィット・バーネット(ケヴィン・スペイシー)のクラスの聴講生となり、様々なことを教わるのだが、劇中で語られるバーネットの言葉が、サリンジャーを指針となり、その後に起こる出来事の伏線となっている。

劇作家のユージン・オニールの娘であるウーナ(ゾーイ・ドゥイッチ)との恋も描かれているが、ウーナが自分を袖にして、あのチャールズ・チャップリンと結婚したことを戦地にて知るという場面がある。
第二次世界大戦では、「史上最大の作戦」ことノルマンディー上陸作戦に参加。だが、悲惨な戦場に身を置いたことがトラウマとなり、精神疾患(今でいうところのPTSD)となり、療養を余儀なくされる。この映画の最大の見所が、トラウマを抱えながら『ライ麦畑でつかまえて』を書き上げるまでなのだが、『ライ麦畑でつかまえて』の出来が良すぎたため、「自分のことを書いた」と思い込む若者が続出し、サリンジャーが隠遁するきっかけとなっていく。

引きこもりとなったサリンジャーは、そのため却って、「聖なる隠遁者」や「時代の被害者」として神聖視されるようになっていく。本当はこの時代のサリンジャーがどう描かれるのかに興味があったのだが、残念ながら映画では詳しくは触れられていない。バーネットがコロンビア大学聴講生時代のサリンジャーに語った「見返りがなくても書き続けるのが本当の作家」という言葉によって、サリンジャーが本当の作家になったという解釈が提示されるだけである。隠遁時代のサリンジャーについてはまだ研究が進んでいない段階であるようだ。サリンジャーが映画にあるように隠遁後も出版されず何の見返りもない小説を書き続けていたのかどうかも現時点では謎としか言い様がないようである。

バーネットの言葉がサリンジャーを常に導いていることからも分かるとおり、師弟愛を描いた作品でもある。ただ単純にして綺麗事の師弟愛作品ではなく、第二の父親的存在であるバーネットとの衝突も描かれており、文学史的な意味における「父親殺し」を捉えた人間ドラマである。

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