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2019年11月15日 (金)

これまでに観た映画より(138) ポーランド映画祭2019 in 京都「コメダの奏でるポーリッシュ・ジャズ」@同志社大学 「コメダ・コメダ」&「バリエラ」

2019年11月12日 同志社大学室町キャンパス寒梅館クローバーホールにて

同志社大学室町キャンパス寒梅館クローバーホールで、ポーランド映画祭2019 in 京都「コメダの奏でるポーリッシュ・ジャズ」と題された映画2本を観る。2012年製作の「コメダ・コメダ」と、1966年のイエジー・スコリモフスキ監督作品「バリエラ」。「バリエラ」の音楽は、クシシュトフ・コメダが手掛けている。なお、「バリエラ」の上映前にはイエジー・スコリモフスキ監督の舞台挨拶がある。

ポーランドのモダン・ジャズの先駆けでありながら、37歳の若さで事故死したクシシュトフ・コメダ。ロマン・ポランスキーとのコラボレーションを経て、ハリウッド映画の作曲家として活躍し始めたばかりの死であった。

「コメダ・コメダ」(ジャパンプレミア上映)は、クシシュトフ・コメダの生涯を辿るドキュメンタリー映画。ナタシャ・ジュウコフスカ=クルチュク監督作品。監督について詳しいことはよくわからないが、名前は明らかに女性名である。
ロマン・ポランスキーやアンジェイ・ワイダといったポーランド映画界の巨頭を始め、コメダと共演経験のあるポーランドのミュージシャン、コメダの医大時代の同級生などが証言を行っている。

共産党一党独裁時代のポーランドにあっては、ジャズは敵国であるアメリカの敵性音楽であり、コメダも医大時代にジャズの演奏や作曲を行っていることがばれ、医大生達に囲まれてつるし上げに遭いそうになったことがあるそうだ。

コメダが生まれたのは1931年。ナチスドイツがポーランドに侵攻する8年前である。
コメダは幼い頃、ポリオに罹り、後遺症で片足が少し不自由になっている。ピアノの才能は幼時より発揮されていたそうで、7歳で出身地にあるポズナン高等音楽学校に入学。戦時下であっても母親はコメダの才能が途切れてしまわないよう、ピアノを弾ける環境を作ることに腐心したそうである。ただ、コメダの母親は、コメダがプロのミュージシャンなることには反対であり、医師になることを望んでいた。コメダは母親の望み通り医科大学を卒業し、耳鼻咽喉科の医師となるが、結局、ジャズミュージシャンになることを選んだ。コメダの友人の一人は、「運命には抗えない」と語っている。
ポズナンには音楽の仕事がなかったため、コメダは、クラクフへ、更にワルシャワへと移動する。
ちなみにコメダというのは芸名で、本名はトルチンスキという。子どもの頃に、「command」(司令官)と書くべきところを「comada」とスペルミスしたことに由来するそうである。
アンジェイ・ワイダは、コメダの第一印象を、「パデレフスキ(ポーランドを代表するピアニストで、後には首相にもなっている)みたいな長髪の奴が来るのかと思ったら、見るからにオタクといった感じの奴が来て」と語っている。線が細く、いかにも繊細そうで影のあるコメダは、真逆の性格であるロマン・ポランスキーとは馬が合ったそうで、「水の中のナイフ」などの音楽を手掛け、ポランスキーに招かれる形でハリウッドへと渡っている。コメダは、自らのことを「映画の作曲家」と名乗っていたそうで、映画音楽を手掛けることに誇りを持っていたことが窺える。

ジャズ以外にもポーランドの生んだ音楽の先進性が語られる場面がある。ポーランド人は独自性を追求する傾向があるそうで、それがペンデレツキやルトスワフスキといった現代音楽の大家を生み出した下地になっているのかも知れない。

コメダの最期は転落事故である。交通事故となっている資料もあるが、関係者の証言によるとどうもそうではないようだ。事件性がありそうなことも語られてはいるのだが、詳しいことはわからないようである。

 

イエジー・スコリモフスキ監督による「バリエラ」。「バリエラ」というのはポーランド語で「障壁」という意味のようである。

上映前に、イエジー・スコリモフスキ監督による15分ほどの舞台挨拶がある。「バリエラ」はかなり特異な経緯で生まれた作品だそうで、元々は「空っぽの領域」というタイトルで、それまでドキュメンタリー映画を作り続けて来た映画監督の初劇映画作品として製作される予定であった。イエジー・スコリモフスキは依頼を受けて脚本を執筆。その監督のそれまでの作品も全て観て、「これはドキュメンタリータッチの脚本にした方がいいだろう」と判断。脚本を提出したのだが、その監督は脚本を読んで青ざめたようになってしまったという。ドキュメンタリー映画の監督で、劇映画は不得手であり、撮影には入ったのだが、制作費の4分の3を使ったところで、その監督は降板。続きをスコリモフスキの監督で撮るよう指示があったのだが、スコリモフスキは、監督に合わせてドキュメンタリー映画調の脚本を書いたが、自分ではそうした映画を撮りたいという気持ちはまるでない。ということで、残りの4分の1の予算で、1から新しい映画を撮ることになった。とにかく時間もないので脚本なしの即興で撮ることにし、キャストも全て一新、撮影監督も新たに指名した。キャスティングの一新についてスコリモフスキは、「大成功だった。主演女優はその後、私の妻になるのだから」とジョークを言っていた。
スコリモフスキ監督によると「バリエラ」には3つの奇跡があるそうで、まず「即興による映画が完成したこと」、2つ目は「即興にしては出来が良かったこと」、3つ目は「この映画が高く評価され、映画賞を受賞し、60年以上経った今でも上映される機会があるということ」だそうである。

内容は、ヌーヴェルヴァーグの影響も感じられるもので、「フランス映画だ」と言われたらそのまま信じてしまいそうになる。ポーランド映画とフランス映画は相性が良いのか、共同製作が行われることも結構多い。

国の世話になることもアメリカ人のように生きることもよしとしない主人公の医大生が医大を去り、「明日、結婚することになった」と父親に告げるも、相手が不明。父親に託された手紙を届けた家の女主人からサーベルを渡されることになる、といった風に、あらすじだけ書くと何が何やらわからないことになる。ただメインとなるのは、冬の停電の日に出会った路面電車の女運転士とのロマンスである。そこだけ辿ると素敵な恋愛映画と観ることも出来る。
人海戦術も多用されているが(特に深く考えられて行われたわけでもないと思うが、人一人の人生の背後には数多くの人物が潜んでいると捉えることも出来る)低予算映画でなぜあれほど多くのキャストを使えるのかは謎である。共産圏なので「低予算」といっても西側とは意味が異なっていたのかも知れない。
ロールスロイスなどの西欧の高級車が登場するが、これは若者達に敵対するものとして描かれているようだ。

また、クシシュトフ・コメダの音楽が実にお洒落である。即興で作り上げた映画だけにどうしても細部は粗くなるのだが、そこをコメダの音楽がまろやかなものに変えていく。映画の出来の半分近くはコメダの功績である。

ラストは、やはり即興風に撮られた王家衛監督の「恋する惑星」に近いもの。「恋する惑星」のラストに近いものになって欲しいと個人的にも思っていたのだが、やはりなるべくして同じようなラストに着地。めでたしめでたしとなった。

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