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2019年12月30日 (月)

コンサートの記(617) ユベール・スダーン指揮 京都市交響楽団特別演奏会第九コンサート2019

2019年12月27日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団特別演奏会第九コンサートを聴く。指揮は、東京交響楽団とのコンビで日本でもお馴染みになったユベール・スダーン。独唱は、吉田珠代(ソプラノ)、八木寿子(やぎ・ひさこ。アルト)、清水徹太郎(テノール)、近藤圭(バリトン)。合唱は京響コーラス。

 

オランダ・マーストリヒトに1946年に生を受けたユベール・スダーン。ブザンソン国際指揮者コンクール優勝、カラヤン国際指揮者コンクール2位、グイド・カンテルリ国際コンクール優勝といった輝かしいコンクール歴を誇る。
岩城宏之が首席指揮者を、尾高忠明が首席客演指揮者を務めていたことで日本でも知名度の高いメルボルン交響楽団の首席客演指揮者、フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団やザルツブルク・モーツァルティウム管弦楽団管弦楽団の首席指揮者を経て、2004年に東京交響楽団の音楽監督に就任。一時代を築き、14年に退任した際には同楽団から桂冠指揮者の称号を贈られている。2018年9月にはオーケストラ・アンサンブル金沢の首席客演指揮者にも就任し、今後も日本での活躍が期待されている。
基本的にノンタクトで指揮する人であり、今日も指揮棒を持たず両手と頭の動きによってオーケストラをリードする。

 

まず、メンデルスゾーンの序曲「静かな海と楽しい航海」が演奏され、休憩を挟まず第九の演奏が行われる。
管の首席は、オーボエの髙山郁子とホルンの垣内昌芳が第九のみの出演。メンデルスゾーンにはトロンボーンパートがないので、トロンボーン奏者も全員第九からの参加となる。他のパートの首席奏者は全編に出演する。

コンサートマスター・泉原隆志、フォアシュピーラー・尾﨑平といういつもの布陣。第2ヴァイオリンの首席は客演の安井優子が入る。ドイツ式の現代配置での演奏。

 

メンデルスゾーンの序曲「静かな海と楽しい航海」。ベートーヴェンも同じゲーテの詩に基づいたカンタータを残していることから選ばれたのだと思われる。令和という新時代の幕開けに相応しい曲であり、今回が新元号初の第九となることはプログラム決定の前に決まっていたはずであるが、そのためのプログラムと取るのは考えすぎかも知れない。ただ、平成の海はとんでもないことになったため、令和の海は静かであって欲しいとは思う。
スダーンは京響の弦から温かい音を弾きだし、冴え冴えとした管の響きと対比させる。安定感と切れ味を兼ね備えた演奏である。バロックティンパニの力強さも特徴的であった。

 

スダーンの描く第九は、テンポが速めでリズムを強調し、内声部えぐり出すなどベートーヴェンの荒ぶる魂を浮かび上がらせるものである。結構ロックな第九であり、人類史上初のロックである交響曲第7番と、山椒は小粒でもピリリと辛い交響曲第8番との連続性を感じさせる解釈である。非常に面白い。

バロックティンパニの強打は、ピリオド・アプローチによる演奏ではよく聴かれるものだが、第2楽章でのティンパニの5連打で、5打目をピアノに変えずにフォルテのまま叩かせたのが新鮮であった。スダーンは下手に置かれたティンパニへの指示は左手と頭を振ることで行う。

京響の第九というと、広上淳一や、昨年の第九を振った下野竜也のようにアポロ芸術的な第九を生み出す人が多いのだが、スダーンの第九はそれとは真逆である。ディオニソス的とまではいかないが、エネルギー放出量は極めて高い。それでいながらフォルムを崩さないのがスダーンの至芸である。

第3楽章もかなり速め。ひょっとしたら上岡敏之の第九よりも速いかも知れない。スリリングな展開になる場面もあったが、薄味にはならない。低弦をしっかり弾かせて全体の音に厚みと奥行きを出すなど演出も巧みである。

第4楽章も前半は前のめりの演奏。ただゲネラルパウゼはしっかりと入れるため、せわしないという印象は受けない。
京響コーラスは、快速テンポということで、最初の内はどうしても声の精度に粗さが出てしまっていたが、力強さがあり、立体的な音響が見事である。アンサンブルも徐々に整っていき、オーケストラ同様、堅固なフォルムが築かれる。スダーンの音響設計力はほぼ完璧といって良い領域に達している。
スダーンは、古楽の本場であるオランダ出身ということもあってピリオドを援用したモダン楽器による演奏はお手の物である。今日は弦のビブラートはさほど抑えてはいなかったが、第4楽章ではヴィオラに完全ノンビブラートで弾かせて浮かび上がらせるなど、ピリオドとモダン両方の長所を止揚した音楽作りで聴かせる。

とにかく面白さに関しては、これまでに接したことのある第九の実演の中でも上位に入る出来。東響の音楽監督を10年務めた実力が伊達ではないことを示していた。

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