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2020年1月の15件の記事

2020年1月22日 (水)

これまでに観た映画より(152) 「武士の家計簿」

午後9時からBSプレミアムで放送された日本映画「武士の家計簿」を観る。森田芳光監督作品。2010年公開の映画である。テレビ出演も多い歴史学者の磯田道史のベストセラー『武士の家計簿「加賀藩御算用者」の幕末維新』が原作である。脚本は柏田道夫。出演:堺雅人、仲間由紀恵、松坂慶子、中村雅俊、西村雅彦、草笛光子、伊藤祐輝、藤井美菜、嶋田久作、宮川一朗太、小木茂光、茂山千五郎ほか。音楽:大島ミチル。

幕末に加賀前田家の御算用者を務めた猪山直之(堺雅人)とその息子である成之(なりゆき。幼名は直吉。伊藤祐輝)が残した入払帳(家計簿)に取材した作品である。

代々算用を家業としてきた猪山家。加賀前田家は百万石を超えるため、帳簿の計算は重要視されたのだが、御算用者を務めるのは下級武士に限られていた。七代目である信之(中村雅俊)は婿養子として入ったのだが、猪山家として初めて知行地を貰うなど、御算用者としては異例の出世を遂げており、加賀江戸藩邸上屋敷の赤門(現在の東京大学赤門)を経費節減のために表だけ赤に塗るという手法を編み出したことを常々自慢している(史実ではないようであるが)。

息子の直之も御算用者として前田家に仕えることになるのだが、とにかく計算好きであり、「算盤バカ」とまで呼ばれている。一方で、剣術の方は下手の横好きであったが、剣術の師範である西永与三郎(西村雅彦)の娘である駒(仲間由紀恵)と祝言を上げる。
藩内で起こった貧農への「お救い米」の横流し事件の真相に迫ったことから能登・輪島に左遷させられそうになる直之であったが、農民達が一揆を起こしたことから事が明るみに出て、逆に御執筆係に栄転する。
そのまま順調な人生を歩むかと思われた直之であるが、実は猪山家の家計が火の車であることが発覚。金になるものを全て売り払うことで切り抜けることを決断、以後、猪山家の全ての金の出入りを入払帳に書き記すことに決め、質素倹約に励むようになる。

息子の直吉にも御算用者になるよう厳しく接する直之であったが、幕末の騒乱の中、元服して成之と名を改めた直吉は、徳川将軍家と足並みを揃えることを決めた前田家の一兵卒として京へ向かうことになる。


下級武士の悲哀を描きながら、比較的淡々と進む物語である。幕末が舞台であるが、幕末ものにつきものの戦闘シーンなどは一切出てこない。刀ではなく算盤を武器とする武士の物語である。成之は長州の大村益次郎(嶋田久作)に算術の力を見込まれて新政府軍に入るのだが、これが新しい時代の到来を告げることになる。


計算が苦手で、ディスカリキュア(算数障害)ではないかという噂もある堺雅人。計算が苦手なのは本当のようで、国立大学(東京大学ではないかといわれている)の入試で数学の問題が全く解けなかったという話や、早大生時代にアルバイトをしていたドーナツ店でおつりを盛大に間違えたというエピソード、数に弱いので「半沢直樹」の銀行員役を受けるべきか躊躇したという逸話があったりもするが、この作品では算盤を弾く姿が絵になっている。

仲間由紀恵を始め他のキャストも豪華であるが、なんといっても堺雅人演じる猪山直之のキャラが立っており、堺雅人と猪山直之を見るべき映画と断言しても構わないであろう。

今や日本を代表する作曲家となった大島ミチルの音楽も実によく、物語をしっかりと支えている。

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2020年1月20日 (月)

コンサートの記(617) 尾高忠明大阪フィルハーモニー交響楽団第534回定期演奏会

2020年1月17日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第534回定期演奏会を聴く。今日の指揮は、音楽監督の尾高忠明。

 

曲目は、エルガーのチェロ協奏曲(チェロ独奏:スティーヴン・イッサーリス)とブルックナーの交響曲第3番「ワーグナー」(第3稿)。

ライブ録音によるCDがこのところ続々とリリースされている尾高と大阪フィル。今日もフォンテックの収録用マイクが入っての演奏となる。

今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。いつも通りドイツ式の現代配置での演奏である。

 

エルガーのチェロ協奏曲。ソリストのスティーヴン・イッサーリスはイギリス出身の世界的チェリストである。来日も多く、日本での人気も高い。

悲劇のチェリストとしても知られるジャクリーヌ・デュ・プレの演奏によって知名度が上がったエルガーのチェロ協奏曲。ドヴォルザークの次に上演される頻度の高いチェロ協奏曲である。

イッサーリスは、情熱を内側に隠しつつ燃焼度を上げていくという渋い演奏を展開。かつてBBCウェールズ・ナショナル管弦楽団の音楽監督を務め、今もイギリスでの指揮活動を精力的に行っている尾高の指揮する大フィルも輝かしさと清々しさ、美音と仄暗さを合わせ持った伴奏を展開。イギリス音楽的な高貴さも感じさせる絶妙の演奏が展開される。ただフェスティバルホールは空間が大きいため、弦楽器の独奏にはやはり向いてはいないようである。

 

イッサーリスのアンコール演奏は、ツィンツァーゼの「チョングリ」。ピッチカートのみで演奏されるノリの良い現代曲で、演奏終了後、客席も大いに沸いた。

 

後半。ブルックナーの交響曲第3番「ワーグナー」。最終稿である第3稿での演奏である。若い頃から精力的にブルックナーに取り組んできた尾高忠明であるが、交響曲第3番「ワーグナー」を振るのは今回が初めてとなるそうだ。

ブルックナーの交響曲第3番「ワーグナー」は主に3つの稿が存在する。まず最初に書かれた初稿。これはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によって初演される予定で、リハーサルも行われたのだが、演奏時間が長いということもあってウィーン・フィルに本番での演奏を拒否されるという悲哀を味わわされた稿でもある。今でこそオーストリアを代表する作曲家として揺るぎない評価を得ているブルックナーであるが、当時はオーストリア最高のオルガン奏者やウィーン音楽院の教授として尊敬を集める一方で、交響曲作曲家としては素人と見做されていた。ブルックナーはこの稿を敬愛していたリヒャルト・ワーグナーに献呈し、以後、ブルックナーの交響曲第3番は「ワーグナー」というタイトルで呼ばれることになる。
その後、ブルックナーはこの曲の改訂に着手し、完成した第2稿はブルックナー自身の指揮によって初演されたが、今度は聴衆から不評を買う。第3稿はその12年後にブルックナー自身によって改訂された版であり、現在では決定稿と見做されることもあるが、初稿や第2稿を支持する演奏家も多い。実は今日、同じ時間にザ・シンフォニーホールでは本名徹次指揮大阪交響楽団によるブルックナーの交響曲第3番「ワーグナー」第2稿の演奏が行われるという珍しい現象が発生している。

私がブルックナーの交響曲第3番「ワーグナー」を生で聴くのは2度目。今から22年程前に、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮NHK交響楽団による交響曲第3番「ワーグナー」の演奏を東京・渋谷のNHKホールで聴いているのだが、ブロムシュテットは初稿を採用しての演奏であった。とにかく長かったというのを覚えている。ブロムシュテットは「ワーグナー」の初稿を気に入っているようで、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を指揮したライブ録音のCDボックスでも初稿による演奏を取り上げていた。

ブルックナーの交響曲第3番「ワーグナー」は実は隠れた名曲であり、薄明の中を疾走していくような出だしは、ブルックナーの交響曲の開始の中でも最も格好良い。この曲はトレモロによるブルックナー開始ではないのも特徴である。

午後6時30分頃から、大フィル事務局次長の福山修氏によって行われたプレトークサロンにおいて、大フィルが前回「ワーグナー」を取り上げたのは2002年であること。朝比奈隆が指揮する予定であったが、前年に逝去したため、NHK交響楽団でブルックナーチクルスを行ったこともある若杉弘が代役として指揮したことなどが明かされたが、朝比奈隆は実は晩年に大フィルを指揮して「ワーグナー」交響曲をスタジオ録音している。岸里にある大阪フィルハーモニー会館でキャニオン・クラシックスによって収録されたものだが、ブルックナー後期三大交響曲のスタイルで「ワーグナー」交響曲を演奏したスケール雄大なものであり、数ある朝比奈のブルックナー録音の中でも最高を争う出来となっている。

朝比奈の薫陶により、ブルックナー演奏に絶対の自信を持っている大フィル。今日も冒頭からその良さが披露される。透明感のある弦と彩り豊かな金管との対比によって立体感が生まれており、ブルックナーの音楽の神秘性やスケールの大きさ、疾走感などが存分に描かれる。尾高の生み出す音楽はフェスティバルホールのサイズにぴったりであり、理想的なブルックナー演奏が展開されることになった。
指揮者によって出来不出来の度合いが激しい大フィルだが、今日は技術面でも表現面でも日本トップレベルの水準を聴かせる。嵌まった時の大フィルは、やはりスーパーオーケストラで、伊達に歴史が長いわけではないことが実感される。木管に関しては最初のうちは上手く溶け込めない場面もあったが、曲が進むにつれて違和感も解消され、日本における最高水準のブルックナーが姿を現した。

朝比奈の指揮した「ワーグナー」交響曲にスケールでは及ばないかも知れないが、瑞々しさでは互角かそれ以上に渡り合える出来であり、今からCDのリリースが楽しみである。

 

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2020年1月19日 (日)

観劇感想精選(338) 草彅剛主演「アルトゥロ・ウイの興隆」

2020年1月13日 横浜・山下町のKAAT 神奈川芸術劇場にて観劇

午後2時から、KAAT 神奈川芸術劇場で、「アルトゥロ・ウイの興隆」を観る。ベルトルト・ブレヒトが1941年にアメリカの地で書き上げた戯曲。当時、ブレヒトはナチスの台頭したドイツから亡命し、西欧やアメリカを転々とする生活を送っていた。アドルフ・ヒトラーやナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)がバリバリの現役だった時代に揶揄と告発を展開しており、チャップリンの「独裁者」と並んでファシズム興隆期にリアルタイムで語られた貴重な記録である。もっとも、チャップリンの「独裁者」は戦中に上映されているが、「アルトゥロ・ウイの興隆」は危険視されたため上演は延び延びになり、1958年になってようやくアメリカ初演に漕ぎ着けている。だが、危険視されたという事実自体がブレヒトのナチスとヒトラーに対する極めて正確にして的確な分析を物語っている。先日、兵庫県立芸術文化センターで永井愛作・演出の「私たちは何も知らない」を観ているが、「アルトゥロ・ウイの興隆」もまた恐怖演劇の先駆ともいうべき作品である。
「アルトゥロ・ウイの興隆」は残念ながら横浜だけでの上演である。横浜での上演なら普通は諦めるところだが、昨年、大阪・周防町のウイングフィールドで「アルトゥロ・ウイの興隆」に関する勉強会のようなものに参加しており、更に今回、アルトゥロ・ウイを演じるのが同い年である草彅剛ということで、チケットの先行予約に申し込み、取ることが出来たため、出掛けることにした。新しい地図のメンバーの出演作は人気で、チケットはなかなか取れなかっただけに、今回はついていた。

作:ベルトルト・ブレヒト、テキスト日本語訳:酒寄進一、演出はKAAT 神奈川芸術劇場芸術監督でもある白井晃。出演は、草彅剛、松尾諭、渡部豪太、中山祐一郎、細見大輔、粟野史浩、関秀人、有川マコト、深沢敦、那須佐夜子、春海四方、小川ゲン、古木将也、小椋毅、チョウヨンホ、林浩太郎、神保悟志、小林勝也、古谷一行。
演奏は、オーサカ=モノレール。

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KAAT(KAnagawa Art Theatre)神奈川芸術劇場に来るのは初めてである。NHK横浜放送局の庁舎内5階にホールがあり、エスカレーターとエレベーターで繋がっているが、帰りは混雑するし、危険な印象も受ける。池袋の東京芸術劇場と同じような感じである。内装は渋谷のオーチャードホールに少し似ているかも知れない。今日は右側サイド席(バルコニー席)の1列目であったが、通路はかなり狭い。中央の座席は足元にまだ余裕があるが、サイド席はそうではない。ただ、サイド席であったため、開演直前に白井晃が客席後方の扉から入ってきて、関係者席に着くのを確認することが出来た。今日の客層は圧倒的に元を含めたジャニーズファンの女性が多いため、白井晃に注目していた人はほぼ皆無。白井さんは上演終了後もしばらく座席に残って隣のスタッフの女性と話していたが、すぐ横を通り過ぎても白井さんに気づく人はいなかった。男性客はブレヒト好きが多かったと思われるが、今日は男性客自体が超少数派である。

客層を予想していたからというわけでもないだろうが、今日は要所要所で上から黒いスクリーンが下りてきて、これがナチスの歴史の何と繋がるかが白い文字で投影されるという、ブレヒトの原案通りの解体した形での上演である。そもそもヒトラーの劇だと知らないで来た人も結構いたと思われる。

舞台は1920年代のシカゴに置き換えられている。禁酒法が施行され、ジャズエイジとも呼ばれたアメリカ青春の時代であるが、同時にシカゴではアル・カポネ(この劇でも名前だけ登場する)が酒の密輸や密造で財産を築くなど、裏社会の人間が暗躍した時期でもある。

シカゴのカリフラワーのトラストは勢力拡大と資金獲得のため、シカゴ市議会議員のドッグズバロー(古谷一行)を買収する計画を立てる。ドッグズバローはシート水運の食堂の主から転身して見事議員に当選した人物であり、「正直者」「清廉潔白」の噂があるが、シート水運の株の半分以上を譲渡し、シート水運の実質的な経営者になる話を持ちかけるとこれに乗ってくる。更にカリフラワー協会からは別宅も譲り受けたドッグズバローだったが、これには後に激しく後悔することになる。トラストは港湾工事の名目による公金を手に入れる。

シカゴの弱小ギャング団のボスであるアルトゥロ・ウイ(草彅剛)もシカゴの街を手に入れるため、八百屋に「用心棒をする」と言ってみかじめ料を取ったりしていたが、更なる権力獲得のためにカリフラワートラストに取り入ろうとするも難航していた。そんな中、ドッグズバローがトラストに便宜を図ることで収賄を行っている証拠を手に入れる。かくて、恐喝によってドッグズバローから権力を譲渡されたウイは、部下のエルネスト・ローマ(後に「長いナイフの夜事件」で粛正されることになるエルンスト・レームに相当。演じるのは松尾諭)、ジュゼッペ・ジヴォラ(ヨーゼフ・ゲッペルスに相当し、ゲッペルス同様、足を引きずって歩く。演じるのは渡部豪太)、マヌエル・ジーリ(ヘルマン・ゲーリングに相当。演じるのは粟野史浩)らと共にシカゴの街を掌握し、更に隣接するシセロの街(オーストリアのメタファー)をも手中に収めようとしていた……。

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赤の仮設プロセニアム、更に舞台の上に同じく赤い色のステージがあり、ここで演奏と歌が行われる。アルトゥロ・ウイとその部下達は赤いスーツを着ている。3人の女性ダンサー(Ruu、Nami Monroe、FUMI)も赤の衣装だ。ドッグズバロー(パウル・フォン・ヒンデルブルク大統領に相当)やカリフラワートラスト(ユンカーと呼ばれるドイツの地方貴族達がモデルである。「貴公子」に由来する「ユンカー」という言葉には馴染みがない人でも、別の読み方である「ユンケル」なら意味は知らなくても言葉自体は目にしたり耳にしたりしたことは確実にあるはずである)のメンバーは他の色の衣装であるが、ある時を境に、赤の衣装へと切り替わる。

客席ステージをフルに使った演出であるが、民衆役の俳優も客席にいる時に上着を脱ぎ、下に来ていた赤い背広を露わにする。草彅剛も何度も客席通路に降りるが、ラストの演説の前では客席上手入り口から登場し、客席通路を通ってステージに上がる。ナンバー2にのし上がったジヴォラもその少し前に同じ様に客席下手入り口から登場してステージに上がっており、流石は白井晃、よくわかっている演出である。

ジェイムズ・ブラウンの曲が草彅やオーサカ=モノレールのヴォーカルである中田亮によって次々に歌われ、アメリカンソウルが高揚して客席も熱狂するが(ナチス時代ならワーグナーやベートーヴェンが流れるであろう)、それが凄惨な悪夢へと転じていく様が鮮やかである。アルトゥロ・ウイの一党が着ている赤いスーツはナチスのハーケンクロイツの旗に用いられていた赤が由来だと思われるが、同時に流血をイメージする色でもある。あるいはKAATの座席の色だったり「朱に交われば」という言葉も掛かっているのか知れないが、全ての登場人物の衣装が赤に変わっていく過程は、フランク・パヴロフとヴィンセント・ギャロの『茶色の朝』を想起させる。白井晃なら当然、『茶色の朝』ぐらいは知っているだろうし、意識したとしても当然のように思われる。

SMAPのメンバーの中で、演技力ならナンバーワンだと思われる草彅剛。芝居の開始当初はセリフのノリが今ひとつに感じられたが、これはシェイクスピア俳優(小林勝也)から「ジュリアス・シーザー」の一節を用いた演技指導を受けて以降のアルトゥロ・ウイと対比させるために敢えて抑えていた可能性もある。第2幕冒頭では、「横浜KAATでアルトゥロ・ウイ!」を連呼して客席に熱狂と一体感を呼び起こし、終盤に至るとアルトゥロ・ウイの狂気を爆発させて、燃えさかる紅蓮の炎のような激しさで見る物を引きずり込んでいく。シェイクスピア俳優が演技指導をするということで、ブレヒトもシェイクスピアの「リチャード三世」を意識していたのかも知れないが(実際に亡霊が主人公を苛むというシーンがある)、アルトゥロ・ウイもリチャード三世同様、実に魅力的で危うく、草彅剛は自らの風貌を生かした狡猾にして人を惹きつける男を舞台上に現出させる。
「リチャード三世」違ってリッチモンドは登場しないが、それはまだヒトラー政権が続いていた時代に書かれたものであるためで、ブレヒトはたやすく救済を用意したりはしない。ただ、ラストで告発は行われている。現に今起こっていることに対する告発である。音楽の高揚感の中での告発であり、その後の沈黙が強烈に響くことになった。

 

終演後、KAATの外に出た時、向かいのビルにアルトゥロ・ウイの亡霊がいるのを発見する。KAATの外壁にはアルトゥロ・ウイを演じる草彅剛の巨大パネルが掲げられていたのだが、それが向かいのビルの窓に写っていたのである。

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2020年1月18日 (土)

楽興の時(34) 「テラの音 vol.28 スペインの風~フラメンコ・ギター・コンサート~」

2020年1月10日 中京区の真宗大谷派小野山浄慶寺にて

午後7時から、京都御苑のそばにある浄慶(じょうきょう)寺で、「テラの音(ね) vol.28 スペインの風~フラメンコ・ギター・コンサート」を聴く。念のため書いておくが「スペイン風邪」ではない。多分、主催者側もスペイン風邪についてよく知らなかったのだと思われる。
出演は、スペイン出身で、今は日本とスペインを行き来しているルシアノ・ゴーン。セカンドギターとして荻野慎也が4曲ほど参加する。

ルシアノ・ゴーンは、1994年生まれという、まだ若いギタリストである。2019年の10月に行われた「Concurso Nino Miguel 2019」で優勝を飾ったばかり。2018年にはスペイン・セビージャのフラメンコギターコンクールで3位に入っている。父親もギタリストであり、幼少時よりギターを父に師事。21歳からスペインのトップギタリストであるアントニオ・レイのセカンドギタリストとして活動を始める。日本人女性と結婚したが、妻の難病療養のために2018年10月に来日し、スペインと日本両国での演奏活動を開始している。

 

曲目は、第1部が、「Entre dos Aguas」(パコ・デ・ルシア作曲)、「Taranta」、「Farruca」、「Tanguillos」、「Bolero」、「Bulerias」(パコ・デ・ルシア作曲)。第2部が、「Granaina」、「Solea por Buleria」、「Guajiras」(パコ・デ・ルシア作曲)、「Alegrias」(パコ・デ・ルシア作曲)、「Zepateado」(パコ・デ・ルシア作曲)、「Rio Ancho」(パコ・デ・ルシア作曲)。

パコ・デ・ルシア作品以外は、ルシアノ・ゴーンの自作自演となる。

ルシアノ・ゴーンは右手と左手の両方で旋律を奏でるなど超絶技巧の持ち主であるが、気負いといったものが感じられず、軽々と楽しそうに演奏する。それが逆に凄みに繋がっている。

日本はフラメンコの盛んな国であり、そのため「スペイン=フラメンコ」というイメージもあるが、実際はフラメンコが盛んなのは南部のアンダルシア地方だけで、同じスペインでも北部に行くと、「フラメンコ? そんなのやるんだ、変わってるね」という風に取られることが多いそうである。スペインはギターの国であるが、作曲家のホアキン・ロドリーゴも、ギタリストのナルシソ・イェペスもクラシックの人であり、フラメンコギターよりもクラシックギターの方が盛んなのかもしれない。

「Bolero」というと、モーリス・ラヴェルの「ボレロ」が有名だが、ルシアノ・ゴーンの「Bolero」はそれとは趣が全く異なる。そもそもラヴェルの「ボレロ」はボレロのリズムで書かれていないのが特徴だったりする。

荻野慎也にソロ演奏を希望する声もあったが、荻野自身が指に問題を抱えているそうで、今はセカンドギタリストとしてのみ活動しているそうである。

休憩時間に浄慶寺の中島住職による法話がある。現世利益について語られ、ゴーンはゴーンでもカルロス・ゴーンの金まみれの生活について、それが資本主義においては正しいとされるのかも知れないが、本来の意味での現世利益に適ったものなのかという疑問が投げかけられた。

 

第2部の冒頭で弾かれた「Granaina」は、2018年にルシアノ・ゴーンが初めて来日し、龍安寺の石庭を訪れた時にインスピレーションを受けて書いた曲だそうである。雪が降っていたそうで、細やかな音型が舞い降りる雪を描写していると思われる繊細な楽曲である。

アンコールでは、パコ・デ・ルシアのルンバをモチーフにした即興をルシアノと荻野の二人で行い、熱い演奏が繰り広げられた。

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2020年1月17日 (金)

観劇感想精選(337) いるかHotel vol.21 「破稿 銀河鉄道の夜」Aキャスト公演

2020年1月16日 新開地の神戸アートビレッジセンターKAVCホールにて観劇

午後7時30分から、新開地にある神戸アートビレッジセンター(KAVC)KAVCホールで、いるかHotelの公演「破(やぶれ)稿 銀河鉄道の夜」を観る。元々は兵庫県立神戸高校演劇部によるオリジナル作品として、1996年10月にKAVCホールで初演されたものである。作:水野陽子、脚本・演出:谷省吾。出演はオーディションで選ばれたABCのトリプルキャストで、1月16日午後7時半の回はAキャスト、仲村綾美、山﨑永莉(眞珠座。)、うめいまほ(VOGA)の3人が登場する。上演協力にはMONOの土田英生と渡辺源四郎商店の畑澤聖悟が名を連ねている。

開演前には、舞台となっている1996年のヒット曲が流れている。globeの「DEPARTURES」、玉置浩二の「田園」、ジュディマリの「そばかす」、PUFFYの「これが私の生きる道」などである。

まず、いるかHotelの谷省吾が学ラン姿で登場して前説を行う。いるかHotelという劇団自体が、「破稿 銀河鉄道の夜」を上演するために旗揚げされたもので、谷が「破稿 銀河鉄道の夜」というタイトルの名付け親であることも明かされる。

舞台は、1996年10月、神戸市内にある高校の演劇部部室である(校名が出てくることはないが、地獄坂という通称の地名が出てくることから神戸高校であることがわかる)。

高校3年生のカナエ(山﨑永莉)は、すでに演劇部を卒業しているが、今日も部室にやって来て、発声や井上ひさしの「イーハトーボの劇列車」の冒頭を読みながら滑舌の練習をしたりしている。センター試験が迫っているのだが、カナエは受験勉強に真剣に取り組めていない。同じく元演劇部のサキ(うめいまほ)はそんなカナエを心配しており、英語の単語帳を渡して取り組むよう促したりする。サキには彼氏がいるのだが、詳しいことはカナエにも明かしていない。ただ、バレバレではある。かつて共に北村想の「想稿 銀河鉄道の夜」を演じたトウコ(仲村綾美)も姿を見せて、演劇談義に花が咲く。この高校の演劇部では毎回、上演した作品の台本を破り捨てることが伝統となっているが、カナエは「想稿 銀河鉄道の夜」の台本だけは破り捨てることが出来ずにいた。

 

演劇部あるあると、1995年1月17日に起こった阪神・淡路大震災による喪失感とその超克を絡めた作品であり、高校演劇ではヒット作となっていて、今でも毎月、日本のどこかの高校が上演を行っているような作品だそうだが、初演が行われたKAVCホールで阪神淡路大震災25周年を記念して行われた上演いうことで、独特のリアリティと臨場感が感じられる出来となっている。

1996年、大河ドラマは竹中直人主演の「秀吉」。青春ドラマの金字塔である「白線流し」が放送されたのもこの年で、「破稿 銀河鉄道の夜」も少しだけこのドラマの影響を受けているかも知れない。同じフジテレビ系では浅野温子主演で玉置浩二や西村まさ彦(当時は西村雅彦)、鈴木杏樹らが出演した「COACH」もヒットしており(この「COACH」の主題歌が「田園」であった)、演劇界では今では休刊(事実上の廃刊)になってしまったが季刊「せりふの時代」が発売されたのもこの年である。私も創刊号から毎号購入して読んでいた。

前年に阪神・淡路大震災とオウム真理教事件が発生し、日本の転機となった時代である。

平成時代の日本は、阪神・淡路大震災と東日本大震災という二つの大震災を経験したわけだが、私は、いずれの大震災でも揺れすら感じない場所にいたため、第三者でしかありえない立場にいる。本当の意味でのリアリティを感じるのは極めて難しいわけだが、こうした舞台を観ることで、疑似体験を得ることは貴重であることは間違いない。劇中では、つかこうへいの「幕末純情伝」や北村想の「想稿 銀河鉄道の夜」の場面が演じられたり、演劇集団キャラメルボックスの「広くてすてきな宇宙じゃないか」の話が出てきたり(成井豊は最近、実家のガラス店を継いだそうだが)、野田秀樹と大竹しのぶの話題になるなど、1990年代の高校演劇の空気がビビッドに伝わってくるのも魅力的である。

災害の記憶を風化させないために、また若い人達には歴史的出来事という認識になっている阪神・淡路大震災の被災者当事者の証言として観て欲しい作品である。

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2020年1月16日 (木)

これまでに観た映画より(151) 「去年マリエンバートで」

2020年1月12日 京都シネマにて

京都シネマでフランス映画「去年マリエンバートで」を観る。(セーヌ)左岸派、アラン・レネ監督の代表作。芸術映画というジャンルの中ではまず真っ先に名前の挙がる一本でもある。脚本:アラン・ロブ=グリエ、出演:デルフィーヌ・セイリグ、ジョルジュ・アルベルタッツィ、サッシャ・ピトエフほか。アルフレッド・ヒッチコックもカメオ出演している。衣装担当:ココ・シャネル。音楽:フランシス・セイリグ(デルフィーヌ・セイリグの実兄)。

フィルムが4Kでリマスタリングされたのを記念しての上映であり、東京では4Kで上映されたようだが、京都シネマでは設備の関係上、2Kでの上映に留まるのが残念である。
1月5日から17日までの上映であるが、いずれも昼間の時間の上映であり、観に来られるのは今日しかなかった。

「去年マリエンバートで」は「世界一難解な映画」といわれることもあり、脚本のアラン・ロブ=グリエ自身がこんな笑い話を作っている。
「パリで泥棒が捕まった。警察で泥棒はアリバイを主張した。“映画を見ていました” “なんという映画だ” “『去年マリエンバートで』” “では筋を言ってみろ”。泥棒は絶句、アリバイは崩れた」

とはいえ、装飾の部分を剥ぎ取ったストーリー時代は極めてシンプル且つストレートである。ある男と女が出会い、今いるこの場所から二人で去って行くというそれだけである。それはそれでありきたり過ぎるため、泥棒は警察に信用して貰えないだろうが。
バロック(「歪んだ真珠」という意味。装飾が多い)調のホテルで物事は進んでいくのだが、このホテル自体が「去年マリエンバート」という映画の軸であり、それは過去であり、記憶であり、今この瞬間であり、未来をも象徴している。ストーリーを追うのではなく、装飾を楽しむべき映画であり、ある意味、この世の例えでもある迷宮で彷徨うことを堪能すべき一本であるともいえる。

象徴主義(広義的にはドビュッシーの音楽などもここに含まれる)や「意識の流れ」といった文学的芸術的手法を知っていれば、理解の手助けになるだろうが、そうでなくても十分に楽しむことの出来る映画である。世界的な評価は極めて高く、中国を代表する映画監督である陳凱歌は最も好きな映画として「去年マリエンバートで」を挙げており、ジャン・コクトーやアルベルト・ジャコメッティといった同時代を生きた人々からも絶賛されている。また、小説家のマルグリット・デュラスは、この映画に触発されて映画監督としての仕事を始め、傑作映画「インディア・ソング」ではデルフィーヌ・セイリグを主演女優に迎えている。世界的な名画ランキングでも必ずといっていいほど上位に食い込んでくる映画である。

ホテルで男と女は出会う。男は、「去年、フレデリクスバートでお会いしませんでしたか?」と聞くが、女には覚えがない。男は更に「でなかったらカールシュタットかマリエンバートか」と続ける。実は、マリエンバート(チェコにある)という地名が登場するのはこの一回だけであり、しかも基本的に会ったのはフレデリクスバートであってマリエンバートは「あるいは」の地名なのである。「あるいは」の地名がタイトルに入っているというのがひねりである。ただどこであったかはどうでもいいことでもある。

ストップモーションや長回し、サブリミナル的ともいえる極めて短いカットなど様々な映画の技法が錯綜し、この場所の混沌を深めていく。だがそれは世界そのもののことであり、我々の存在そのものの喩えでもある。
我々はよく知らないし、よく忘れるし、よく捉えることも出来ない。全ては存在したかどうかもわからず可能性でしかない。
そんな中で彼と彼女はこの場所を出て行く。出て行った先にもまた迷路が待ち受けていることが暗示されるが、それこそが全人類の前途に待ち構えている人生でもある。

ストップモーションの場面がキリコの絵を思わせるという指摘はよく知られているが、非現実を現実に滑り込ませるという意味でルネ・マグリットの絵画や、意識下での繋がりと別次元で愛を語るという意味では泉鏡花の小説に通底する部分もある。人間の根源にあるものが、この映画では描かれてるのだ。

ちなみはパンフレットには、アラン・ロブ=グリエのシナリオが採録されており、お薦めである。

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2020年1月13日 (月)

美術回廊(47) 京都髙島屋7階グランドホール 「没後220年 京都の若冲とゆかりの寺―いのちの輝き―」

2020年1月8日 京都髙島屋7階グランドホールにて

京都髙島屋7階グランドホールで、「没後220年 京都の若冲とゆかりの寺―いのちの輝き―」という展覧会を観る。左京区岡崎にある細見美術館の若冲コレクションと京都府内にある寺院が所蔵する若冲作品を集めた展覧会。細見美術館のコレクションはこれまで数回に渡って観たことのあるものも含まれている。

近年、急速に再評価が進んでいる伊藤若冲(1716-1800)。京都錦小路の青物問屋に生まれ、23歳から実家の商いを継ぐも、40歳で弟に店を譲り、隠居の身として絵に打ち込んでいる(最近になってその後も町衆のために働いていたことも確認された)。鶏の絵を多く残していることでも有名だ。

伊藤若冲の弟子についてはこれまでほとんど知られていたかったが、頭に「若」を付ける系譜と、下の漢字に「冲」を当てるもう一種類の系譜があることが分かってきたという。今回の展覧会では、若冲の弟子の作品も展示される。


まず最初に展示されているのは、若冲の木版画である。描写よりも意匠が重視される作品であるが、その後、竹久夢二を経て和田誠にまで至るデザイン性をそこに見いだすことは容易である。というよりも当たり前でもある。絵画というよりもデザイン画の伝統は江戸時代からすでに始まっており、後世の者が先人の絵に学ぶのは当然だからである。良くも悪くも現代人は江戸時代の影響を受け続けているといわれるが、こうした一見、関連がなさそうなところにもそれが見出せるのが面白くもある。

細見美術館のコレクションからは、「雪中雄鶏図」、「糸瓜郡虫図」、「伏見人形図」などお馴染みの作品が並ぶ。「伏見人形図」などもデザイン画の先祖の系譜に入りそうな作品である。そのほかにも、禅の祖を描いた「朱達磨図」、軍神「関羽図」、一瞬を描いた「虻に双鶏図」、簡略の美が光る「群鶏図」、今年の干支で、私も年賀状に採用した「鼠婚礼図」などが展示されている。

寺院所蔵の絵画としては、慈照寺(銀閣寺)所蔵の「牡丹百合図」、「鯉図」、鹿苑寺(金閣寺)所蔵の「竹虎(ちっこ)図」、「玉熨斗図」、「亀図」、伊藤若冲の菩提寺である裏寺町の宝蔵寺所蔵の「髑髏図」、相国寺(慈照寺、鹿苑寺の本山)の「鱏(えい)図」、「鳳凰図」などが展示されている。「鱏図」が面白い。

伊藤若冲が壬生寺に奉納した狂言の面も展示されている。これは今でも壬生狂言で使われているそうである。

あっかんべーをしたユーモラスな「布袋図」や、千葉県の魚でもある鯛を描いた「鯛図」なども面白い。「鯛図」は釣り上げられた瞬間の鯛を描いたものだが、鯛が躍り上がっていることがわかり、躍動感が感じられる。釣り針と鯛を描いた絵であるが、「留守絵」と呼ばれるもので、主人公である恵比寿を敢えて描かない手法で描かれたものだという。

相国寺の「釈迦三尊像(釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩)」は色鮮やかだが、複製である。複製ではあるが、緻密な筆致を知ることが出来る。

屏風に描かれた鶏は実に生き生きしている。弟子である若演が描いた鶏の絵もあるが、生命力が違う。若冲が描いた鶏は今にも動き出しそうな生命力が宿っているが、若演が描いた鶏はやはり単純に描かれたものという印象を受ける。構図の問題も大きいが、細部の描き方も大きいと思われる。ある意味捻れたポージングが躍動感を生んでいるともいえる。

最後にMBS(毎日放送)が制作した上映時間約10分の若冲紹介映像が流れており、若冲と仏教、とりわけ伊藤家の宗派である浄土宗と若冲が障壁画や仏画を手がけた臨済宗相国寺派、若冲が晩年に関係を持つことになった黄檗宗との関わりなどが描かれていた。

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2020年1月12日 (日)

これまでに観た映画より(150) 「カツベン!」

2020年1月9日 TOHOシネマズ二条にて

TOHO二条シネマズで、日本映画「カツベン!」を観る。周防正行監督作品。活動写真と呼ばれた無声映画時代に活躍した活動弁士を題材にした映画である。出演:成田凌、黒島結菜、永瀬正敏、高良健吾、音尾琢真、山本耕史、池松壮亮、竹中直人、渡辺えり、井上真央、小日向文世、徳井優、田口浩正、正名僕蔵、成河、森田甘路、酒井美紀、竹野内豊ほか。音楽:周防義和。エンディングテーマを歌うのは奥田民生。
周防正行は脚本も兼ねることが多いが、この作品の脚本は周防ではなく片島章三が手掛けている。片島は監督補も兼任する。


京都府を中心とした関西圏が舞台となっており、出演者の多くが関西の言葉を話す。

1915年、京都府伏見町(現在の京都市伏見区)。お堂の前で活動写真の撮影が行われる。監督は後に日本映画の父と呼ばれることになる牧野省三(山本耕史)である。当時はサイレント映画ということで、音声の収録は行われないため、牧野の指示を出しながら撮影していく。染谷俊太郎少年は活動写真そのものよりも弁士に夢中。特に当時一世を風靡していた活動弁士、山岡秋聲(永瀬正敏)に憧れている。ある日、悪ガキ仲間と一緒にロケ現場(「種取り」と呼ばれたようである)を見物に出かけた染谷は、木村忠義巡査(竹野内豊)に追われ、そこで栗原梅子という少女と出会う。梅子と二人で劇場に潜り込んだ染谷は終演後、暗記した山岡秋聲の言葉を、梅子の前で語ってみせる。染谷少年は活動弁士になること夢見ていた。その後、再び活動写真に潜り込もうとした二人であるが、秘密の入り口は閉ざされていた。

十年後(1925年)、弁士募集に応じた染谷(成田凌)は、活動写真を上映している間に家の中を荒らすという窃盗団に加わっていた。弁士になれると思い込んでいたのに、盗賊の仲間入りしてしまったことに不満の染谷。名前も山岡秋聲などを有名弁士を騙り、なりすましを行っていた。そんな日々に飽き飽きしていた染谷は、ある日、警部に昇進した木村忠義に追われ、なんとかトラックに乗り込むが、仲間を見捨て、青木館(主は青木富夫という名で、竹中直人が演じている。竹中直人は今回も「青木」という役名である)という劇場に転がり込む。青木館は隣町のヤクザである橘重蔵(小日向文世)が興した活動写真小屋タチバナ館に押されていた。橘は青木館の弁士や楽士を次々に買収して引き抜いていく。青木館には、茂木貴之(高良健吾)という看板弁士がいたが、ナルシストでスター気取りであり、わがままが多い。山岡秋聲も今は青木館の弁士をしているが、とっくにやる気をなくしており、酒浸りで過度の説明を嫌って小声で語るスタイルが不評である。
染谷は、名を国定忠治に由来する国定と偽り、青木館の住み込みとして働くが、アル中で本番をドタキャンした山岡に代わって弁士を務め、往事の山岡そのままの語りを披露して大評判を取って、国定天聲という名で青木館の人気弁士になっていく。そして国定を名乗る染谷は、駆け出しの映画女優となった梅子、芸名・沢井松子(黒島結菜)と再会する。

山岡や茂木から、「人気弁士の真似だ」と指摘された国定であるが、次第に自分独自の語りをものにしていったのだが……。


山岡が活動弁士に対する不満を語る下りがある。弁士は誰かが作った活動写真に勝手に説明をつけていく。だが、説明がなくても活動写真は活動写真として成立する(実際、諸外国では活動弁士は存在せず、サイレント映画はサイレント映画という一ジャンルとして、音楽伴奏のみで上映されることが多かった)。だがその逆はない。


これは、国定天聲など様々な名を使い分けて、いわばなりすましを行っていた染谷俊太郎青年が、映画のその向こうへと進んでいく話である。
象徴的な場面がある。茂木や安田(音尾琢真)らに監禁された松子こと梅子を染谷が救出に向かう場面である。そこで襲ってきた橘の部下の用心棒が、勢い余って壁を突き抜けてしまう。実は梅子が監禁されていた部屋はタチバナ館のスクリーンの真後ろであり、観客達は、スクリーンに映った人物ではなく染谷と梅子を観ることになる。そこで二人は部屋から抜け出すことになるのだが、二人の後ろ姿は映像の登場人物の後ろ姿と完全に重なる。ある意味、虚構を抜けて現実へと向かっていく場面であり、見方によっては唐十郎的ともいえる。

橘の妨害により、フィルムはズタズタにされ、あり合わせのフィルムでの上映が行われる。梅子救出のために遅れて駆けつけた国定こと染谷は、瞬間瞬間に自分の言葉で状況を生み出すことで切り抜けていく。橘との騒動や自身の贖罪の日々も描かれるが、ある意味、これからが染谷俊太郎としての本番である。誰かが作った活動写真に寄りかかるのではなく、自分で生み出す人生を歩んでいくのだ。
そして私もまた。

これは活劇であり、ラブロマンスでもあるが、その後廃れていく活動弁士を通して「生の在り方」を問う哲学的な面も持ち合わせている。

自転車での追いかけっこは愉快であるが、サドルのない自転車で進むより捨てて走った方が絶対に速いはずなのにそうしないのは、これが彼らの生き方を象徴している場面だからであろう。俊太郎は活動写真という乗り物に乗っているが、自力で漕いで走っているわけではない。
この2年後、1927年、昭和2年であるが一週間しかなかった昭和元年から変わった本格的な昭和の始まりの年に、世界初のトーキー映画である「ジャズ・シンガー」がアメリカで封切りとなる。やがてトーキーの時代になると活動弁士達は失職し、山岡秋聲のモデルである徳川夢聲(小説『徳川家康』の作者は山岡荘八であり、山岡という名はそこから取られたのだと思われる)などは漫談家に転じている。俊太郎も映像がなくても語りで人を惹きつけるという、漫談家に転身してもやっていけそうな才能を示している。


成田凌はオーディションで選ばれたのであるが、活動弁士を演じるために特訓を受けたそうで、なかなかの芸達者ぶりを見せている。若き日の才気煥発たる山岡秋聲と落ちぶれてからの山岡を演じ分ける永瀬正敏も魅力的だ。
子供時代の染谷を演じる子役の語りが上手く、また子供時代の梅子役の子役も可愛く、いい素材を見つけてきたなという印象を受ける。

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2020年1月 9日 (木)

観劇感想精選(336) 二兎社 「私たちは何も知らない」

2020年1月4日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後2時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、二兎社の「私たちは何も知らない」を観る。作・演出:永井愛。出演は、朝倉あき、藤野涼子、大西礼芳(おおにし・あやか)、夏子、富山えり子、須藤蓮、枝元萌。

「空気を読まない女たちがマジで議論した『青鞜』編集部の日々」という副題があり、その通り日本における女性運動の先駆けとなった雑誌「青鞜」を巡る人々を描いた群像劇である。

平塚らいてうの名で知られる平塚明(はる。朝倉あき)、大杉栄との愛人関係で知られ、関東大震災後の混乱の中で甘粕正彦に扼殺されることになる伊藤野枝(藤野涼子)、作家である岩野泡鳴との契約関係が話題となった岩野清(せい。大西礼芳)、長沼智恵子(後の高村智恵子)に代わって「青鞜」の表紙絵を手掛けるも余りの奔放さから追放されるようになる尾竹紅吉(夏子)、「青鞜」の実務全般を受け持つも結婚を機に離れることになる保持研(やすもち・よし)、平塚らいてうと事実婚関係にありながら籍を入れることは終生なかった画家の奥村博(後に博史に改名。須藤蓮)、17歳で自立を目指して渡米するも騙されて娼婦となり(劇中で明かされることはない)、その後、サンフランシスコで語学塾を開いていた山田嘉喜と結婚、「青鞜」でエレン・ケイらの女性社会学者の文章を翻訳することになる山田わか(枝元萌)が主な登場人物である。明治時代が舞台となるが、出演者はみな現代の若者と同じ様な服装をしている。

島村抱月の翻訳・演出、松井須磨子主演によるイプセンの「人形の家」がヒットしていた時代。女性たちも新しいスタイルの生き方に憧れるようになっていた。そんな中、平塚らいてう率いる「青鞜」が注目を浴びる。劇は、らいてうが書いた「青鞜」発刊の言葉をラップで歌い上げる音楽が流れてスタートする。その後もドラムなどの音が響く場面があり、これがノスタルジックな演劇ではないことが示唆される。

注目を浴びたは良いが、「青鞜」は順調とは言えない。編集部はメンバーである物集(もずめ)和子の実家の一室を間借りしていたが、検閲により発禁処分になるなどしたため、お寺の一室やメンバーの家などを転々とすることになる。

まず編集部を訪ねて来たのは、尾竹紅吉。本名は尾竹一枝である。東京美術学校(東京芸術大学美術学部の前身)は男子しか入学を許されなかったため、女子美術学校(女子美術大学の前身)に入るも中退し、森田草平が平塚らいてうとの心中未遂を描いた小説『煤煙』を読んで青鞜社入社を希望して来たのだ。その後、紅吉は平塚らいてうとの同性による恋などを小説に書いたり、「青鞜」のメンバーで吉原に繰り出したりしたことなどを著して、一大スキャンダルを招くことになる。
岩野清と山田わかは劇の途中からの入社となるため、始めの内は額縁の中での登場となる。
その岩野清は、岩野泡鳴の不倫による別居と養育費の未払いにより、日本初の離婚裁判を闘うことになった女性である。清はらいてうに何度も編集室に籠もっていないで行動を行うよう訴えかける。

「青鞜」への偏見は酷く、編集室には石が投げ込まれ、罵声が浴びせられる。また「青鞜」を批判する者は女性の割合が比較的高いのも特徴である。

彼女たちが行った三大論争といわれるものがある。貞操観念の問題(守るべきもの)、堕胎の是非(なくてもいい命はあるか)、売春論争(賤業について)であるが、今の時代から見ると観念的ではある。ただこれらの問題は形を変えて今も存続している。日本における女性の社会進出は現在でも世界最低水準であるが、ことは女性問題(#MeToo運動などもあったが)に限らず性別や人種を超えた世界的レベルにまで規模が拡大している。明治時代には女性だけへの差別問題だったかも知れないが、今はより複雑化されて人類としてのあらゆる差別や排除や分断の問題が噴出しているのである。

そして欧州戦争(のちに第一次世界大戦と呼ばれることになる)が勃発し、日本はドイツに宣戦布告して青島などのドイツ領に攻め込む。

ラストは、らいてうの悪夢である。奥村と千葉県の御宿で静養していたらいてうは、野枝が関東大震災後に虐殺されたことを知らされる。だが時はまだ明治である。らいてうは関東大震災を知らない。更に第二次大戦の勃発、元青鞜社員も戦争協力に積極的な者が出る一方で、「青鞜」を追われた紅吉が敢然と戦争に反対表明を行ったことを知らされる。

奥村の呼び掛けにより、それが白昼夢だと悟るらいてうであったが、全てはまだ知らないだけで実際に起こることである。目の前のことに必死になるあまり、時代の流れについて行けないのは彼女たちだけの誤りではない。全人類の宿命である。

平成時代に二度の震災を経験した我々の知り得ない未来に何が待ち受けているのか。ある意味これは恐怖演劇である。

らいてうを演じた朝倉あき。主演デビューしたドラマや映画など映像方面では伸び悩みも感じられるが、柔らかで張りのある声がとても良く、舞台女優として最も優れた武器を手にしている印象である。

京都造形芸術大学映画俳優コース出身である大西礼芳は、映画にも多く出演しているが、悪女役をやらせたらかなりいいところまで行けそうな力の持ち主である。菜々緒のように悪女専門ではなく役を広げる上で取り組んで貰いたい。

黒一点となった須藤蓮。育ちの良さそうな容姿であり、草彅剛や筒井道隆のような善人キャラ路線での活躍も出来そうな感じである。

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2020年1月 6日 (月)

観劇感想精選(335) inseparable 「変半身(かわりみ)」

2019年12月19日 左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールにて観劇

午後6時から、ロームシアター京都ノースホールで、inseparable「変半身(かわりみ)」を観る。原案:村田沙耶香&松井周、作・演出:松井周。出演:金子岳憲、三村和敬、大鶴美仁香、日高啓介、能島瑞穂、王宏元、安蘭けい。

村田沙耶香と松井周が共に取材した題材を演劇と小説という形で別々に発表するという試みの演劇版である。村田沙耶香の小説版はホワイエで売られている。

近未来が舞台である。東洋のガラパゴスと呼ばれる離島、千久世島(ちくせしま)ではレアゲノムという化石由来のDNAがヒトや動物の遺伝子組み換えに必要なものとして注目を浴びている。その千久世島では、「山のもん」と「海のもん」が抗争を繰り広げている。レアゲノムは山で取れるため莫大な利権を生み、「山のもん」は働く必要もなくなったが、多数派である「海のもん」はその恩恵に預かることは出来ず、漁業も海流の変化で不振である。ということもあってレアゲノムを勝手に持ち出そうとする事件が相次ぎ、自警団が組織された。その自警団の事務所が舞台である。

近未来においては、自由に性行為を行うことや子どもを作ることは許されておらず、生殖免許なるものが必要なようである。自動車と同じでマニュアルとオートマチックがあるようだが、詳しいことはわからない。

自警団に所属しているのは、高城秀明(金子岳憲)と尾形祐美(大鶴美仁音)の夫婦(未来は夫婦別姓なのだろうか)と、本州から来た子持ちバツイチの比留間ルイ(能島瑞穂)、外国出身の田部草太(王宏元)。ただヒトゲノム自体は東京の組織によって管理されており、東京から来た丸和玲香(安蘭けい)が、密輸業者を取り逃した自警団に説教しているところから芝居は始まる。近未来では行動が逐一ポイントによって評価される制度になっているようである。「ドラえもん」にもそんな話が出てきたような気がするが。
秀明は「山のもん」であるが、祐美は「海のもん出身」であり、二人の結婚は隔たれていたものの結びつきの象徴として祝福されている。祐美の父親で、ホテル経営などをしている「海のもん」の代表者、尾形圭一(日高啓介)も自警団の事務所にやって来る。

比留間ルイは、本州出身を名乗っているが、実は外国出身であり、田部草太と二人でいる時には北京語で話す。草太から、「为什么你说日语?(どうして日本語で話す?)」と聞かれたルイは、「あなたと一緒にされたくない」と日本語で答える。
ちなみに草太の父親は本国でデザイナーをしていたが、作品に赤い布を用いたことで共産主義者と見做され粛正されている。北京語を話してはいるが、共産党が支配する中国の出身ではないのか、あるいは中国の政治体制が今とは異なっているのか。

本筋とは異なり、神様(金子岳憲)による「クニウミ」の話が入る。千久世島には独自の国生み神話がある。ポーポーとボウボウという神様が国を生む。ボウボウは始めは一つの点に過ぎなかったのだが、ポーポーの腕を食べて、人間の形らしくなる。生殖器は二つあり、両性具有の神である。ポーポーとボウボウは仲良しの神だったのだが、ある日、ボウボウがポーポーの腕や足を食べてしまい、腹を壊す。だが、ボウボウには口はあっても出す機関は持っていない。ボウボウの腹痛は酷く、ポーポーはボウボウの生殖器の片方でボウボウを突き刺す。そこから出た膿が海になったという話である。途中で、イルコというイルカの神様の話が出てくるが、足が悪いということで流されてしまう。イルコは日本神話の神々でいうと蛭子に相当する。恵比須として祀られることになる神である。

島ではポーポー祭なる奇祭が行われており、秀明の弟である高城宗男(三村和敬)がモドリという儀式の最中に落命している。だが、その宗男が皆の前に現れる。秀明と宗男が少年時代のことを語る内に、どうやら宗男もボウボウのように両性具有者だったらしいことがわかる。宗男は、千久世島が世界初の浣腸器が見つかった場所であるということから、ボウボウ伝説に基づく「ソーシャル・エネマ」を提唱。「山のもん」(成金)や「海のもん」(土俗、貧困)、あるいは東京的(絶対的な価値に基づく管理社会)な価値観を洗い流すことで世界の再創造を行おうとする。

やがてルイがレアゲノムの横流しを行っていたことが発覚して丸和と圭一によって捕縛され、身内から裏切り者が出たということで自警団も解散に追い込まれる。そして浜辺にはイルカたちが押し寄せ、自警団の事務所はイルカ相手の売春斡旋所となってしまう。

ポーポーに相当する秀明が演じる神と、ボウボウに当たる宗男が演じる神、更にイルカの神でもある丸和の3人(3柱か)の会話では、もはや世界を救うことは不可能となっている。レアゲノムも用いてイルカとの合体が成功しつつあるが、それもほんの少しの延命に過ぎない。

舞台は数年後に移る。人々は主にイルカ語を話すようになっている。レアゲノムは他の島に移されており、千久世島はその名に反して見捨てられた島として終焉を迎えつつある。それが変わることはないのだが、ポーポーとボウボウの神話に出てきたように、宗男の体を、祐美、ルイ、草太、圭一が食べるシーンがある。これはポーポーとボウボウの神話に従えば新たなる世界の創造(クニウミ)に繋がる行為であり、一見すると救いがないようではあるが、新たなる世界の創造もささやかながら示されているラストがやって来る。

どことなく1990年代の演劇のテイストが感じられる作品である。SFではあるのが、神話や離島の事情を混ぜるなどしており、未来的な洗練性よりも土着的な味わいが前面に出ているという特徴がある。

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2020年1月 5日 (日)

観劇感想精選(334) 「月の獣」

2019年12月29日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後1時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで「月の獣」を観る。作:リチャード・カリノスキー、テキスト日本語訳:浦辺千鶴。出演は、眞島秀和、岸井ゆきの、久保酎吉、升水柚希。2019ブレイク女優の一人である岸井ゆきの出演の注目の舞台である。とても静かな会話劇であった。

アメリカ・ウィスコンシン州ミルウォーキーが舞台であるが、アラム・トマシヤン(眞島秀和)とセタ・トマシヤン(岸井ゆきの)の夫婦はアルメニアからの亡命者である。

まず、久保酎吉扮する老人が、オスマントルコによるアルメニア人迫害の歴史を話す。トルコ人は隣人であるアルメニア人をあるいは砂漠に追いやって餓死させ、あるいはその場で殺害した。そのため、多くのアルメニア人が亡命を余儀なくされており、アラムとセタもそのうちの二人であった。

アラムとセタは、恋愛結婚でもなんでもなく、ミルウォーキーに着いたファーストシーンでアラムがセタに自分たちが夫婦になったことを告げる。しかも、それには手違いがあり、本来はアラムは別の女性を妻に選んだはずだったのだ。アラムが選んだ本来の花嫁は、病気のためすでに他界していた。

アラム・トマシヤンはカメラマンであり、新天地のアメリカでもカメラマンとして働くつもりでいた。一方のセタはファーストシーンではまだ15歳であり、人形を手にしている(岸井ゆきのは「まんぷく」で26歳にして16歳の役を演じたが、今回も少女を演じることになった)。

ミルウォーキーの家には、イーゼルの上に、アラン・トマシヤンの家族の写真が飾られている。しかし全員が顔の部分を切り取られていた。アランの家族のほとんどは殺害されており、アランはその喪失感を描くために顔の部分を切り取っていたのだ。アラムは父親の顔のところにアラム本人の顔を貼る。

アラムとセタのこれまでの人生が、老人によって語られる。アランは写真家にして政治家の息子であり、自身も父親の職業である写真家を継いでいた。セタは弁護士の父と教師の母の間に生まれている。
アラムとセタは、アルメニア人としての自己が抱えている喪失感を埋めるために子作りに励むようになるのだが、セタは不妊症であり、またセタはなかなかアラムを夫として受け入れることが出来ずに引きつった表情を浮かべることが多く、彼のことを「トマシヤンさん」と呼ぶ(これは岸井ゆきのが主演した映画「愛がなんだ」を連想させる)。セタが夫のことを「アラム」とファーストネームで呼ぶようになるのは、第1幕のラストまで待たねばならない。

第2幕では、タイトルである「月の獣」の意味が老人によって語られる。1893年、トルコで月食が観測される。当時のオスマントルコでは月食の原因が解明されておらず、「月の獣」が悪さしているのだとして、月に向かって砲撃が行われたそうである。今から見ると滑稽に見えるが、その2年後、オスマントルコは今度はアルメニア人に対する砲撃を開始する。それはジハード(聖戦)と呼ばれた。「月の獣」は、オスマントルコに襲撃されたもの達の例えである。

そして、ヴィンセントというイタリア系の孤児(升水柚希)が、トマシヤン家で食事をしている場面に移る。セタがヴィンセントを家に上げたのである。
イーゼルの上の写真には、奥さんの顔が現れている。セタである。
老人の正体は、老いた日のヴィンセントであり、ヴィンセントはトマシヤン家の養子となってアルメニアの誇りを受け継いでいくことになる。
アラムはアメリカの大企業とカメラマンとして契約することに成功し、アメリカ社会で生きていく道を切り開く。そして最後は失われたアルメニアの家族に代わり、アラム、セタ、ヴィンセントが肖像に収まることで、個々のトラウマと断絶されそうになった歴史を乗り越えていく。

 

岸井ゆきのはとても細やかな演技をする女優であり、表情も豊かである。今日は前から3列目の真ん中の席であったため、彼女の表情がよく見えてとても魅力的に映ったが、離れた席から見た場合でも彼女の魅力が伝わるのかどうかはわからない。舞台よりは映像向きの演技なのかも知れないが、一挙一動が雄弁であり、女優としての可能性が感じられる。

眞島秀和は、岸井ゆきのとは対照的にどっしりとした安定感と存在感を示す。アラムとセタの性格の対比を描く上でも有効な演技であった。


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2020年1月 3日 (金)

猫町通り通信・鴨東記号 正月三日、信長公詣で

パソコンが使えないため、こちらで正月三日目の様子をお伝えします。別に伝えなくても良いのですが、それはそれとして。

元日が秀吉公、二日が家康公と来たので、三日は当然のように(?)信長公に参拝しました。三英傑全員に参拝できる街は日本で京都だけだと思われます。

信長公が祭神である建勲神社(正式な読み方は「たけいさおじんじゃ」通称は「けんくんじんじゃ」で最寄りのバス停や道路標識は「けんくんじんじゃ」を採用)は、京都の霊場の一つ、船岡山の山頂にあります。船岡山は平安京の朱雀大路の基点ともなった場所で、都の玄武にも当たります。かつては処刑場だったり、応仁の乱の際には西軍の本陣として城が築かれたという歴史がありますが、本能寺の変で信長亡き後、秀吉は船岡山全山を信長の菩提寺である元号寺・天正寺を建てる計画を建て、大徳寺に信長の菩提寺として築いた総見院の住職であった古渓宗陳を開山に指名し、正親町天皇の勅許も得ましたが、計画自体はすぐに頓挫しています。その後、船岡山は信長ゆかりの霊地とされて来ましたが、明治に入ってから信長を祭神とする建勲神社が建てられました。

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建勲神社の入り口。船岡山は標高75メートルほどの低い山(丘)ですが階段は急です。


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信長公が桶狭間の戦い出陣前に舞ったという幸若舞の「敦盛」。ちなみに幸若舞の「敦盛」の節は現在まで伝わっておらず、不明です。能舞の「敦盛」の節は伝わっているため、テレビや映画で信長が幸若舞「敦盛」を舞うシーンでは、能舞「敦盛」が代用されます。


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建勲神社拝殿脇。ちなみに拝殿脇の献燈は、信長の幼なじみである池田恒興の血筋に当たる岡山池田氏の池田茂政さんが行ったものです。茂政(もちまさ)さんは岡山池田家最後の当主で、茂の字は将軍・徳川家茂公からの偏諱ですが、生まれは実は水戸徳川家で、十五代将軍・徳川慶喜公の実弟です。

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戦国の天下人リングは明治になっても続いていたのでした。

なお、信長公は大正6年に正一位を追号されていますが、それ以降、正一位を与えられた人物は存在せず、現時点で最後に正一位に叙された人物となっています。


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建勲神社から見た比叡山

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2020年1月 2日 (木)

正月二日 家康公と光秀公詣で

徳川家康公と明智光秀公を訪ねる正月二日。

哲学の道を南下。途中、道を外れて、法然院墓地で谷崎潤一郎先生のお墓参り。

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近くの大豊神社には狛鼠がいるのですが、子年だけに人気で、昨日は3時間待ち、今日も2時間以上の待ち時間が必要なために避けて、若王子熊野神社に参拝。

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暮れに訪れることの多い若王子熊野神社ですが、今年は新年の参詣となりました。


いよいよ金地院東照宮へ。

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かつては日光東照宮とも比べられたら絢爛豪華な社でしたが、今は古びたら味わいがあります。

徳川家康公遺訓(神君遺訓)。実際は、水戸黄門こと徳川光圀公の作とも伝わります。私の座右の銘で、長いことをたまにネタにします。

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明治初年に廃仏毀釈を避けて大徳寺から移築された明智門。

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ちなみにそれ以前にあった唐門は再興された豊国神社に移っています。昨日潜った国宝・豊国神社唐門です。凄い戦国トレードですね。


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金地院の特別名勝・鶴亀の庭園。とても清々しい場所です。


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蹴上にある日向大神宮。徳川家康公が社地を寄進しています。京都にありながら京都でないような雰囲気を味わえる穴場でしたが、最近は参拝客が増えています。

ちなみに日向大神宮と入り口が一緒である安養寺は、村上春樹の祖父である村上辨識が住職を務めていた寺院です。

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三条通を西に向かい、祇園白川を下がったところにある明智光秀首塚。

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謀反人、裏切り者として悪名高かった明智光秀ですが、知と義に生きた武将として再評価が進み、今年はいよいよ大河ドラマの主役です。

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2020年1月 1日 (水)

初詣に行って来ました

今年も七条にある豊国神社へ。

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国宝の唐門は三が日だけ潜れます。

知名度が上がったためか、拝殿の前に行列が出来ていましたが、私が参拝する少し前に太陽が雲間から顔を覗かせたため、待った甲斐がありました。

於寧、寧々、寧、豊臣吉子などの名で知られる北政所(高台院)に単独で参拝出来るのも三が日だけです。

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摂社・貞照神社。天下の趨勢を握った、ある意味秀吉公以上に重要な人物が神様になっています。

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その後、京都女子学園前の女坂を上がり、新日吉神宮(いまひえじんぐう)へ。

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この神社の摂社である樹下社(このもとのやしろ)が江戸時代には秀吉公を密かに祀る社となっていました。

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秀吉の幼名ということにされた日吉丸(秀吉は幼名というものが存在するような階級の出身ではないわけですが)、あだ名とされた「猿」(猿に似ていたという証言とそうではないとする史料が混在していて真偽不明)、最初の苗字である「木下」(於寧さんの実家は杉原と木下の両方の苗字を用いており、後に木下の統一。木下は於寧さんの苗字である可能性がある)の符丁により秀吉を祀る社であることが示唆されています。

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滋賀県大津市にある日吉大社(ひよしたいしゃ)のお使いが猿であり、樹下社も日吉大社にあって、新日吉神宮の猿の樹下社も勝手にでっち上げたものではなく、言い訳が利きます。

 

更に東へ。阿弥陀ヶ峰山頂にある豊国廟を目指します。豊国廟登山(になるでしょうねえ)には100円が必要です。

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豊国廟に向かうのは通算で4度目だと思いますが、四十代になってからは初めて。若い頃はすんなりと行けたような記憶がありますが、この年で急階段を昇るのは流石にしんどく、休憩を挟みながらの登山です。

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伊東忠太設計による墓碑(供養碑)。思わず、「会いたかったよー!」という言葉が口から飛び出しました。

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写真ではよくわかりませんが、豊国廟の前からは京都御所の近辺がはっきりと見通せます。

豊国廟に到達した途端に太陽が燦々と墓碑を照らし始めたため、きっと秀吉さんも参拝のあったことをお喜びなのでしょう。

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最期は、豊臣秀頼公の息子である国松公と秀吉公の側室であった松の丸殿(京極龍子)の墓所に参拝。大坂夏の陣の後で斬首された国松公を松の丸殿は供養し続けたといいます。

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というわけで令和初の元日、豊臣家尽くしでした。

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あけまして

あけましておめでとうございます。

新年快乐!

A Happy New Year!

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