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2020年1月12日 (日)

これまでに観た映画より(150) 「カツベン!」

2020年1月9日 TOHOシネマズ二条にて

TOHO二条シネマズで、日本映画「カツベン!」を観る。周防正行監督作品。活動写真と呼ばれた無声映画時代に活躍した活動弁士を題材にした映画である。出演:成田凌、黒島結菜、永瀬正敏、高良健吾、音尾琢真、山本耕史、池松壮亮、竹中直人、渡辺えり、井上真央、小日向文世、徳井優、田口浩正、正名僕蔵、成河、森田甘路、酒井美紀、竹野内豊ほか。音楽:周防義和。エンディングテーマを歌うのは奥田民生。
周防正行は脚本も兼ねることが多いが、この作品の脚本は周防ではなく片島章三が手掛けている。片島は監督補も兼任する。


京都府を中心とした関西圏が舞台となっており、出演者の多くが関西の言葉を話す。

1915年、京都府伏見町(現在の京都市伏見区)。お堂の前で活動写真の撮影が行われる。監督は後に日本映画の父と呼ばれることになる牧野省三(山本耕史)である。当時はサイレント映画ということで、音声の収録は行われないため、牧野の指示を出しながら撮影していく。染谷俊太郎少年は活動写真そのものよりも弁士に夢中。特に当時一世を風靡していた活動弁士、山岡秋聲(永瀬正敏)に憧れている。ある日、悪ガキ仲間と一緒にロケ現場(「種取り」と呼ばれたようである)を見物に出かけた染谷は、木村忠義巡査(竹野内豊)に追われ、そこで栗原梅子という少女と出会う。梅子と二人で劇場に潜り込んだ染谷は終演後、暗記した山岡秋聲の言葉を、梅子の前で語ってみせる。染谷少年は活動弁士になること夢見ていた。その後、再び活動写真に潜り込もうとした二人であるが、秘密の入り口は閉ざされていた。

十年後(1925年)、弁士募集に応じた染谷(成田凌)は、活動写真を上映している間に家の中を荒らすという窃盗団に加わっていた。弁士になれると思い込んでいたのに、盗賊の仲間入りしてしまったことに不満の染谷。名前も山岡秋聲などを有名弁士を騙り、なりすましを行っていた。そんな日々に飽き飽きしていた染谷は、ある日、警部に昇進した木村忠義に追われ、なんとかトラックに乗り込むが、仲間を見捨て、青木館(主は青木富夫という名で、竹中直人が演じている。竹中直人は今回も「青木」という役名である)という劇場に転がり込む。青木館は隣町のヤクザである橘重蔵(小日向文世)が興した活動写真小屋タチバナ館に押されていた。橘は青木館の弁士や楽士を次々に買収して引き抜いていく。青木館には、茂木貴之(高良健吾)という看板弁士がいたが、ナルシストでスター気取りであり、わがままが多い。山岡秋聲も今は青木館の弁士をしているが、とっくにやる気をなくしており、酒浸りで過度の説明を嫌って小声で語るスタイルが不評である。
染谷は、名を国定忠治に由来する国定と偽り、青木館の住み込みとして働くが、アル中で本番をドタキャンした山岡に代わって弁士を務め、往事の山岡そのままの語りを披露して大評判を取って、国定天聲という名で青木館の人気弁士になっていく。そして国定を名乗る染谷は、駆け出しの映画女優となった梅子、芸名・沢井松子(黒島結菜)と再会する。

山岡や茂木から、「人気弁士の真似だ」と指摘された国定であるが、次第に自分独自の語りをものにしていったのだが……。


山岡が活動弁士に対する不満を語る下りがある。弁士は誰かが作った活動写真に勝手に説明をつけていく。だが、説明がなくても活動写真は活動写真として成立する(実際、諸外国では活動弁士は存在せず、サイレント映画はサイレント映画という一ジャンルとして、音楽伴奏のみで上映されることが多かった)。だがその逆はない。


これは、国定天聲など様々な名を使い分けて、いわばなりすましを行っていた染谷俊太郎青年が、映画のその向こうへと進んでいく話である。
象徴的な場面がある。茂木や安田(音尾琢真)らに監禁された松子こと梅子を染谷が救出に向かう場面である。そこで襲ってきた橘の部下の用心棒が、勢い余って壁を突き抜けてしまう。実は梅子が監禁されていた部屋はタチバナ館のスクリーンの真後ろであり、観客達は、スクリーンに映った人物ではなく染谷と梅子を観ることになる。そこで二人は部屋から抜け出すことになるのだが、二人の後ろ姿は映像の登場人物の後ろ姿と完全に重なる。ある意味、虚構を抜けて現実へと向かっていく場面であり、見方によっては唐十郎的ともいえる。

橘の妨害により、フィルムはズタズタにされ、あり合わせのフィルムでの上映が行われる。梅子救出のために遅れて駆けつけた国定こと染谷は、瞬間瞬間に自分の言葉で状況を生み出すことで切り抜けていく。橘との騒動や自身の贖罪の日々も描かれるが、ある意味、これからが染谷俊太郎としての本番である。誰かが作った活動写真に寄りかかるのではなく、自分で生み出す人生を歩んでいくのだ。
そして私もまた。

これは活劇であり、ラブロマンスでもあるが、その後廃れていく活動弁士を通して「生の在り方」を問う哲学的な面も持ち合わせている。

自転車での追いかけっこは愉快であるが、サドルのない自転車で進むより捨てて走った方が絶対に速いはずなのにそうしないのは、これが彼らの生き方を象徴している場面だからであろう。俊太郎は活動写真という乗り物に乗っているが、自力で漕いで走っているわけではない。
この2年後、1927年、昭和2年であるが一週間しかなかった昭和元年から変わった本格的な昭和の始まりの年に、世界初のトーキー映画である「ジャズ・シンガー」がアメリカで封切りとなる。やがてトーキーの時代になると活動弁士達は失職し、山岡秋聲のモデルである徳川夢聲(小説『徳川家康』の作者は山岡荘八であり、山岡という名はそこから取られたのだと思われる)などは漫談家に転じている。俊太郎も映像がなくても語りで人を惹きつけるという、漫談家に転身してもやっていけそうな才能を示している。


成田凌はオーディションで選ばれたのであるが、活動弁士を演じるために特訓を受けたそうで、なかなかの芸達者ぶりを見せている。若き日の才気煥発たる山岡秋聲と落ちぶれてからの山岡を演じ分ける永瀬正敏も魅力的だ。
子供時代の染谷を演じる子役の語りが上手く、また子供時代の梅子役の子役も可愛く、いい素材を見つけてきたなという印象を受ける。

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