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2020年1月 3日 (金)

猫町通り通信・鴨東記号 正月三日、信長公詣で

パソコンが使えないため、こちらで正月三日目の様子をお伝えします。別に伝えなくても良いのですが、それはそれとして。

元日が秀吉公、二日が家康公と来たので、三日は当然のように(?)信長公に参拝しました。三英傑全員に参拝できる街は日本で京都だけだと思われます。

信長公が祭神である建勲神社(正式な読み方は「たけいさおじんじゃ」通称は「けんくんじんじゃ」で最寄りのバス停や道路標識は「けんくんじんじゃ」を採用)は、京都の霊場の一つ、船岡山の山頂にあります。船岡山は平安京の朱雀大路の基点ともなった場所で、都の玄武にも当たります。かつては処刑場だったり、応仁の乱の際には西軍の本陣として城が築かれたという歴史がありますが、本能寺の変で信長亡き後、秀吉は船岡山全山を信長の菩提寺である元号寺・天正寺を建てる計画を建て、大徳寺に信長の菩提寺として築いた総見院の住職であった古渓宗陳を開山に指名し、正親町天皇の勅許も得ましたが、計画自体はすぐに頓挫しています。その後、船岡山は信長ゆかりの霊地とされて来ましたが、明治に入ってから信長を祭神とする建勲神社が建てられました。

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建勲神社の入り口。船岡山は標高75メートルほどの低い山(丘)ですが階段は急です。


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信長公が桶狭間の戦い出陣前に舞ったという幸若舞の「敦盛」。ちなみに幸若舞の「敦盛」の節は現在まで伝わっておらず、不明です。能舞の「敦盛」の節は伝わっているため、テレビや映画で信長が幸若舞「敦盛」を舞うシーンでは、能舞「敦盛」が代用されます。


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建勲神社拝殿脇。ちなみに拝殿脇の献燈は、信長の幼なじみである池田恒興の血筋に当たる岡山池田氏の池田茂政さんが行ったものです。茂政(もちまさ)さんは岡山池田家最後の当主で、茂の字は将軍・徳川家茂公からの偏諱ですが、生まれは実は水戸徳川家で、十五代将軍・徳川慶喜公の実弟です。

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戦国の天下人リングは明治になっても続いていたのでした。

なお、信長公は大正6年に正一位を追号されていますが、それ以降、正一位を与えられた人物は存在せず、現時点で最後に正一位に叙された人物となっています。


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建勲神社から見た比叡山

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