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2020年1月 6日 (月)

観劇感想精選(335) inseparable 「変半身(かわりみ)」

2019年12月19日 左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールにて観劇

午後6時から、ロームシアター京都ノースホールで、inseparable「変半身(かわりみ)」を観る。原案:村田沙耶香&松井周、作・演出:松井周。出演:金子岳憲、三村和敬、大鶴美仁香、日高啓介、能島瑞穂、王宏元、安蘭けい。

村田沙耶香と松井周が共に取材した題材を演劇と小説という形で別々に発表するという試みの演劇版である。村田沙耶香の小説版はホワイエで売られている。

近未来が舞台である。東洋のガラパゴスと呼ばれる離島、千久世島(ちくせしま)ではレアゲノムという化石由来のDNAがヒトや動物の遺伝子組み換えに必要なものとして注目を浴びている。その千久世島では、「山のもん」と「海のもん」が抗争を繰り広げている。レアゲノムは山で取れるため莫大な利権を生み、「山のもん」は働く必要もなくなったが、多数派である「海のもん」はその恩恵に預かることは出来ず、漁業も海流の変化で不振である。ということもあってレアゲノムを勝手に持ち出そうとする事件が相次ぎ、自警団が組織された。その自警団の事務所が舞台である。

近未来においては、自由に性行為を行うことや子どもを作ることは許されておらず、生殖免許なるものが必要なようである。自動車と同じでマニュアルとオートマチックがあるようだが、詳しいことはわからない。

自警団に所属しているのは、高城秀明(金子岳憲)と尾形祐美(大鶴美仁音)の夫婦(未来は夫婦別姓なのだろうか)と、本州から来た子持ちバツイチの比留間ルイ(能島瑞穂)、外国出身の田部草太(王宏元)。ただヒトゲノム自体は東京の組織によって管理されており、東京から来た丸和玲香(安蘭けい)が、密輸業者を取り逃した自警団に説教しているところから芝居は始まる。近未来では行動が逐一ポイントによって評価される制度になっているようである。「ドラえもん」にもそんな話が出てきたような気がするが。
秀明は「山のもん」であるが、祐美は「海のもん出身」であり、二人の結婚は隔たれていたものの結びつきの象徴として祝福されている。祐美の父親で、ホテル経営などをしている「海のもん」の代表者、尾形圭一(日高啓介)も自警団の事務所にやって来る。

比留間ルイは、本州出身を名乗っているが、実は外国出身であり、田部草太と二人でいる時には北京語で話す。草太から、「为什么你说日语?(どうして日本語で話す?)」と聞かれたルイは、「あなたと一緒にされたくない」と日本語で答える。
ちなみに草太の父親は本国でデザイナーをしていたが、作品に赤い布を用いたことで共産主義者と見做され粛正されている。北京語を話してはいるが、共産党が支配する中国の出身ではないのか、あるいは中国の政治体制が今とは異なっているのか。

本筋とは異なり、神様(金子岳憲)による「クニウミ」の話が入る。千久世島には独自の国生み神話がある。ポーポーとボウボウという神様が国を生む。ボウボウは始めは一つの点に過ぎなかったのだが、ポーポーの腕を食べて、人間の形らしくなる。生殖器は二つあり、両性具有の神である。ポーポーとボウボウは仲良しの神だったのだが、ある日、ボウボウがポーポーの腕や足を食べてしまい、腹を壊す。だが、ボウボウには口はあっても出す機関は持っていない。ボウボウの腹痛は酷く、ポーポーはボウボウの生殖器の片方でボウボウを突き刺す。そこから出た膿が海になったという話である。途中で、イルコというイルカの神様の話が出てくるが、足が悪いということで流されてしまう。イルコは日本神話の神々でいうと蛭子に相当する。恵比須として祀られることになる神である。

島ではポーポー祭なる奇祭が行われており、秀明の弟である高城宗男(三村和敬)がモドリという儀式の最中に落命している。だが、その宗男が皆の前に現れる。秀明と宗男が少年時代のことを語る内に、どうやら宗男もボウボウのように両性具有者だったらしいことがわかる。宗男は、千久世島が世界初の浣腸器が見つかった場所であるということから、ボウボウ伝説に基づく「ソーシャル・エネマ」を提唱。「山のもん」(成金)や「海のもん」(土俗、貧困)、あるいは東京的(絶対的な価値に基づく管理社会)な価値観を洗い流すことで世界の再創造を行おうとする。

やがてルイがレアゲノムの横流しを行っていたことが発覚して丸和と圭一によって捕縛され、身内から裏切り者が出たということで自警団も解散に追い込まれる。そして浜辺にはイルカたちが押し寄せ、自警団の事務所はイルカ相手の売春斡旋所となってしまう。

ポーポーに相当する秀明が演じる神と、ボウボウに当たる宗男が演じる神、更にイルカの神でもある丸和の3人(3柱か)の会話では、もはや世界を救うことは不可能となっている。レアゲノムも用いてイルカとの合体が成功しつつあるが、それもほんの少しの延命に過ぎない。

舞台は数年後に移る。人々は主にイルカ語を話すようになっている。レアゲノムは他の島に移されており、千久世島はその名に反して見捨てられた島として終焉を迎えつつある。それが変わることはないのだが、ポーポーとボウボウの神話に出てきたように、宗男の体を、祐美、ルイ、草太、圭一が食べるシーンがある。これはポーポーとボウボウの神話に従えば新たなる世界の創造(クニウミ)に繋がる行為であり、一見すると救いがないようではあるが、新たなる世界の創造もささやかながら示されているラストがやって来る。

どことなく1990年代の演劇のテイストが感じられる作品である。SFではあるのが、神話や離島の事情を混ぜるなどしており、未来的な洗練性よりも土着的な味わいが前面に出ているという特徴がある。

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