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2020年1月 9日 (木)

観劇感想精選(336) 二兎社 「私たちは何も知らない」

2020年1月4日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後2時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、二兎社の「私たちは何も知らない」を観る。作・演出:永井愛。出演は、朝倉あき、藤野涼子、大西礼芳(おおにし・あやか)、夏子、富山えり子、須藤蓮、枝元萌。

「空気を読まない女たちがマジで議論した『青鞜』編集部の日々」という副題があり、その通り日本における女性運動の先駆けとなった雑誌「青鞜」を巡る人々を描いた群像劇である。

平塚らいてうの名で知られる平塚明(はる。朝倉あき)、大杉栄との愛人関係で知られ、関東大震災後の混乱の中で甘粕正彦に扼殺されることになる伊藤野枝(藤野涼子)、作家である岩野泡鳴との契約関係が話題となった岩野清(せい。大西礼芳)、長沼智恵子(後の高村智恵子)に代わって「青鞜」の表紙絵を手掛けるも余りの奔放さから追放されるようになる尾竹紅吉(夏子)、「青鞜」の実務全般を受け持つも結婚を機に離れることになる保持研(やすもち・よし)、平塚らいてうと事実婚関係にありながら籍を入れることは終生なかった画家の奥村博(後に博史に改名。須藤蓮)、17歳で自立を目指して渡米するも騙されて娼婦となり(劇中で明かされることはない)、その後、サンフランシスコで語学塾を開いていた山田嘉喜と結婚、「青鞜」でエレン・ケイらの女性社会学者の文章を翻訳することになる山田わか(枝元萌)が主な登場人物である。明治時代が舞台となるが、出演者はみな現代の若者と同じ様な服装をしている。

島村抱月の翻訳・演出、松井須磨子主演によるイプセンの「人形の家」がヒットしていた時代。女性たちも新しいスタイルの生き方に憧れるようになっていた。そんな中、平塚らいてう率いる「青鞜」が注目を浴びる。劇は、らいてうが書いた「青鞜」発刊の言葉をラップで歌い上げる音楽が流れてスタートする。その後もドラムなどの音が響く場面があり、これがノスタルジックな演劇ではないことが示唆される。

注目を浴びたは良いが、「青鞜」は順調とは言えない。編集部はメンバーである物集(もずめ)和子の実家の一室を間借りしていたが、検閲により発禁処分になるなどしたため、お寺の一室やメンバーの家などを転々とすることになる。

まず編集部を訪ねて来たのは、尾竹紅吉。本名は尾竹一枝である。東京美術学校(東京芸術大学美術学部の前身)は男子しか入学を許されなかったため、女子美術学校(女子美術大学の前身)に入るも中退し、森田草平が平塚らいてうとの心中未遂を描いた小説『煤煙』を読んで青鞜社入社を希望して来たのだ。その後、紅吉は平塚らいてうとの同性による恋などを小説に書いたり、「青鞜」のメンバーで吉原に繰り出したりしたことなどを著して、一大スキャンダルを招くことになる。
岩野清と山田わかは劇の途中からの入社となるため、始めの内は額縁の中での登場となる。
その岩野清は、岩野泡鳴の不倫による別居と養育費の未払いにより、日本初の離婚裁判を闘うことになった女性である。清はらいてうに何度も編集室に籠もっていないで行動を行うよう訴えかける。

「青鞜」への偏見は酷く、編集室には石が投げ込まれ、罵声が浴びせられる。また「青鞜」を批判する者は女性の割合が比較的高いのも特徴である。

彼女たちが行った三大論争といわれるものがある。貞操観念の問題(守るべきもの)、堕胎の是非(なくてもいい命はあるか)、売春論争(賤業について)であるが、今の時代から見ると観念的ではある。ただこれらの問題は形を変えて今も存続している。日本における女性の社会進出は現在でも世界最低水準であるが、ことは女性問題(#MeToo運動などもあったが)に限らず性別や人種を超えた世界的レベルにまで規模が拡大している。明治時代には女性だけへの差別問題だったかも知れないが、今はより複雑化されて人類としてのあらゆる差別や排除や分断の問題が噴出しているのである。

そして欧州戦争(のちに第一次世界大戦と呼ばれることになる)が勃発し、日本はドイツに宣戦布告して青島などのドイツ領に攻め込む。

ラストは、らいてうの悪夢である。奥村と千葉県の御宿で静養していたらいてうは、野枝が関東大震災後に虐殺されたことを知らされる。だが時はまだ明治である。らいてうは関東大震災を知らない。更に第二次大戦の勃発、元青鞜社員も戦争協力に積極的な者が出る一方で、「青鞜」を追われた紅吉が敢然と戦争に反対表明を行ったことを知らされる。

奥村の呼び掛けにより、それが白昼夢だと悟るらいてうであったが、全てはまだ知らないだけで実際に起こることである。目の前のことに必死になるあまり、時代の流れについて行けないのは彼女たちだけの誤りではない。全人類の宿命である。

平成時代に二度の震災を経験した我々の知り得ない未来に何が待ち受けているのか。ある意味これは恐怖演劇である。

らいてうを演じた朝倉あき。主演デビューしたドラマや映画など映像方面では伸び悩みも感じられるが、柔らかで張りのある声がとても良く、舞台女優として最も優れた武器を手にしている印象である。

京都造形芸術大学映画俳優コース出身である大西礼芳は、映画にも多く出演しているが、悪女役をやらせたらかなりいいところまで行けそうな力の持ち主である。菜々緒のように悪女専門ではなく役を広げる上で取り組んで貰いたい。

黒一点となった須藤蓮。育ちの良さそうな容姿であり、草彅剛や筒井道隆のような善人キャラ路線での活躍も出来そうな感じである。

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