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2020年2月 5日 (水)

観劇感想精選(341) オフィス・RENプロデュース「かげぜん」

2020年1月29日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時30分から、オフィス・RENプロデュース「かげぜん」を観る。作・出演・演出補:増澤ノゾム、演出:林海象。出演:上遠野太洸(かみとおの・たいこう)、相良伊織(女性)、八神蓮、桜岡あつこ、椎名茸ノ介、織田あいか、梶野稔、佐藤みきと、斉藤とも子。
「かげぜん」というのは、出征した人の無事を祈って留守宅で備えられる膳のことである。

「かげぜん」は10年前となる2010年に初演された作品で、今回は映画監督の林海象が舞台の演出をするのが売りの公演であり、出演俳優に名の知られた人は余りいない。にも関わらずチケット料金は安くはないため、そもそも客の入りもそれほど見込めない。東京・新宿の紀伊國屋ホール(小演劇の上がりといわれた劇場で、私が初めて本格的な観劇をしたのもここである)で7回公演を行ってから、兵庫入りして1回だけ大千秋楽となる公演を行う。林監督が京都在住で、斉藤とも子が兵庫県出身ということもあるのだろう。

私も林海象監督に軽く挨拶をしたが(「ここには30回ぐらい来てます」と話したが、過少申告で、実際は50回以上は来ているはずである。本当のことを言うのは余りね)他の人も林監督の友人や知り合い、関係者が多いと思われる。劇場固定のファンもいるだろう。誰か知り合いがいるかなと思ったが、残念ながら会うことはなかった。

戦中の東京が舞台である。不幸な生い立ちが元でまともに生きられず、結婚詐欺師などをしている神代大吾(上遠野太洸)は、犯罪者達の情報交換の場となっている酒場経営のコウゾウ(椎名茸ノ介)から、「小野寺造船の目の見えない未亡人が、豪邸を処分して小さな家に引っ越している。きっと裏金があるに違いない」という情報を得る。その未亡人である小野寺みつ(斉藤とも子)の息子はガダルカナル島で戦死し、息子の妻も八幡(現在の北九州市)で空襲に遭い、息子で22歳になる正二を祖母に当たるみつに託したいという手紙を残してほどなく他界している。その正二もいざこざに巻き込まれて刺殺されたのだが、みつはそれを知らず、みつ宛ての手紙をコウゾウから受け取った大吾は、正二に成り済まして裏金を探り当てようと企み、まんまと小野寺家に正二として乗り込むことに成功する。
一方、小野寺の戦友である河野(増澤ノゾム)の娘であるたえ(相良伊織)は、戦死した父の命により、正二とお見合いをするために青森から東京に出てくるのだが、上野駅を出てから小野寺家に向かう途中で迷ってしまい、途方に暮れているところを特別高等警察(特高)の宮下(八神蓮)に救われる。実はたえは宮下の妹である時枝(相良伊織二役)にそっくりであった。生まれつき病弱だった時枝は「ガラスの動物園」のローラのようにずっと家で療養生活を送っていたが、大吾に惚れ込んでしまい、働きに出て給料を大吾に貢いでいたのだ。時枝を棄てた大吾を宮下は憎んでいた。正二に成り済ました大吾とたえは小野寺家で出会うのだが、たえを助けた宮下も同行しており……。

実際の正二は理系の大学で量子力学を専攻していたということで、正二に成り済ました大吾も古本屋で専門書を手に入れ、意味も分からず暗記することで乗り切る。量子力学について、「見えないものを探る」学問だと規定するセリフがあるのだが、これはみつの姿とも重なる。たえと時枝を相良伊織が二役で演じており、大吾は最初は開き直って語った「夢を与える」行為と、戦中の「戦場で散るのが男の本懐」とする与えられた夢もまた相似形であり、特に「夢」の対称的にして対極的でもある相似形は重要なメッセージを持つ。
大吾がみつや時枝に与えた夢は嘘でもあるわけだが、演劇人や映画人というのもまた嘘を夢として売る仕事であり、正二に成り済ました大吾を単純な悪として描くことはない。ある意味、大吾は彼らを代表する人物でもある。嘘の夢によって生かされるものは確かにある。

今もまたそうだが、大きな話に人は流される。美しくいうと神話に加わるのであるが、所詮、そうした夢は自分のものではない誰かの夢である。そしてそれは風向き一つで180度変わってしまう信じるに値しないものである。大吾とみつとたえが築いた疑似家族の夢は甘く、脆く、偽りに満ちたものかも知れないが、この時代にあって最上の幸せも紡いだ。だから自分の夢を命懸けで守れという、青臭いかも知れないが揺るぎない価値を持つメッセージを受け取ることが出来たように思う。

 

映画監督の林海象が演出したからというわけではないが、場面は結構動き、映像的な展開となっている。犯罪者の情報交換の場となっている酒場は二階建てになった舞台の上手にある。二階にあるということで「濱マイク」シリーズを思い出したりもしたが、余り関係はないと思われる。一階部分は小野寺みつの家の居間だが、これが背景を変えることにより河野たえの青森の実家(背後にひまわりが咲いている)になったり、特高の宮下の実家の部屋(ガラス戸である)へと変化する。また小野寺家の出入り口は舞台下手にあるのだが、いったん下手袖に隠れて遠回りをする形で表の通りに出るスタイルを取っており、通りと小野寺家の居間は隔てられているという見立てが行われている。上手にある勝手口も居間からは見えないという設定である。また上から幕が下りてきて居間が隠れるとそこは遠く離れた街頭ということになる。ということで上演時間約2時間5分でセットの転換は余りないが場所は移り変わっている。

相良伊織は、元乃木坂46のメンバーだそうだがよく知らない。まだ21歳で、これが初舞台だそうだが、才能はありそうな印象は受けた。
上遠野太洸は、今やイケメン俳優の登竜門となった仮面ライダーシリーズ出身だそうである。キザな悪人とスマートな人情家の二つの面を上手く出していたように思う。
斉藤とも子の味のある演技も素晴らしかった。

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