これまでに観た映画より(162) 「アナと雪の女王」(吹き替え版)
配信でディズニー映画「アナと雪の女王」(2019吹き替え版)を観る。「アナ雪」の略称を持ち、大ヒットした作品で、アカデミー賞の長編アニメーション部門を受賞するなど評価も高く、「Let It Go ありのままで」などの楽曲も好セールスを記録、続編まで作られているが、私はこの映画を観るのは初めてである。字幕版でも良かったのだが、話題になった吹き替え版で観てみる。エルサのセリフや歌を聴いている間、吹き替えを担当した松たか子の顔がずっと浮かんでしまうのが個人的な難点である。
ハンス・クリスチャン・アンデルセンの余り知られていない童話が原作であるが、映画のストーリーは原作とは全く別のものである。後に女王の座に就くことになるエルサと妹で王女のアナの二人が主人公であるが、ディズニー映画でダブルヒロインが採られるのは史上初とのことである。
北欧の架空の王国、アレンデールが舞台である。国王の長女のエルサは、手で触ったものを氷に変え、雪や氷を自由に操るという特殊能力を持っている。エルサが8歳の時、妹のアナにせがまれて王城内を氷に変え、雪だるまや雪山を作って遊んでいたのだが、エルサはちょっとしたミスを犯し、雪山から雪山へと飛び移っていたアナのために次の雪山を作るのが遅れてしまう。アナの墜落を止めるため、エルサは雪玉をアナの顔に当てるのだが、アナはそのまま床に落ち、気を失ってしまう。王と王妃はアナを救うため、トロール達に助けを求める。トロールの長老、パビーは、「当たったのが頭で良かった。頭ならなんとかなる」とアナの命を救う。しかし、心に当たってしまうと取り返しがつかないということで、エルサに魔法を封じるように命じ、アナからエルサが自在に氷や雪を操れるという記憶を消し去る。しかし、エルサの魔術はエルサ本人にも封じることが出来ず、しかも日々、能力は進化していく。アナを傷つけることを怖れたエルサは自室に閉じこもり、アナの声にも応えないようになるが、記憶を消されたアナは、エルサが自分を嫌いになったのだと勘違いする。
月日は流れ、エルサは18歳となった。王と王妃は船で海外へと出掛けるが海難事故にて落命。その3年後、成人したエルサが女王として即位することになる。
戴冠式の日、アナは、サザンアイルズ王国の王子であるハンスと出会い、瞬く間に恋に落ちる。戴冠式の後に舞踏会でアナはハンスと婚約したことをエルサに告げるが、エルサは結婚を許さない。そしてふとしたことで今まで隠してきた能力を表に出してしまう。皆から怖れられて絶望したエルサは王城から抜けだし、ノースマウンテンに氷の宮殿を築いて閉じこもる。だが、エルサの能力は本人が自覚しているよりも強く、7月のアレンデールが雪に覆われることになってしまう。
ちなみにノースマウンテンに到着したエルサが、もう自分の能力を隠さなくていいという開放感から歌うナンバーが「Let It Go ありのままで」である。
ファンタジー映画なので、そのまま楽しんでも良いのだが、自分なりに理解してみたくなる。そしてこうした試みはこの映画の中で密かに伝えられるメッセージを受け取ることでもある。
私にとっては、ということであるが、雪や氷を自在に操る能力は言葉の喩えのように思える。それは世界を生み出し、芸術にまで高めることの出来るものであるが、容易に人を傷つけ、人と人の間を破壊するものでもある。インターネット上ではそうした言葉が日々飛び交っている。優れたものであるが過信してはならないということだ。エルサへの仕打ちは魔女狩りそのものであるが、古代に起こった魔女狩りは言葉を狩るものでもあった。
そしてそれは知への絶対崇拝への疑問に繋がる。智者ではあるが冷酷な人物が何人か登場する一方で、最重要人物の一人であるクリストフは無学で野蛮な氷売りだが、人生の本質については王族の人達よりもよく心得ている。更にクリストフの相棒であるトナカイのスヴェンは、獣であるにも関わらず、人よりも人の心に敏感であったりする。
とはいえ、無知であることが推奨されるようなポピュリズムに傾くことはない。森の智者であり、自然の知恵の象徴であるトロール達を人間を上回る慧眼の持ち主とすることでバランスは保たれている。
言葉や知に勝るものについての答えはありきたりではある。だが、それが飽くことなく繰り返されているという事実は、唯一絶対ではないが最上のものの一つであることの証明でもある。
| 固定リンク | 0
コメント