コンサートの記(628) 広上淳一指揮京都市交響楽団第595回定期演奏会
2015年10月9日 京都コンサートホールにて
午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第595回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。
曲目は、ベルリオーズの序曲「海賊」、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:ソン・ヨルム)、シューベルトの交響曲第8番(第9番)「ザ・グレイト」
開演20分前から、広上淳一によるプレトークがある。広上は京都市ジュニア・オーケストラの黒字にピンク色の文字のTシャツを着て登場した。
まずは、京都市交響楽団のヨーロッパツアーの話から。広上は酒好きで、「あそこはビールが美味しい」、「あそこはワインが美味しい」とまず酒の話から入る。アムステルダム・コンセルトヘボウでの公演を行ったときには、実は公演の1ヶ月前まではチケットが50枚しか売れていなかったという(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団という世界三大オーケストラの一つを持つアムステルダム市民からしてみれば、「なんで東洋のマイナーなオーケストラを聴きに行かなくちゃならないんだ」という感覚だろう)。広上はアムステルダムに縁があり(広上が優勝した第1回キリル・コンドラシン国際指揮者コンクールはアムステルダムで行われており、レナード・バーンスタインの助手を務めていたのもアムステルダムにおいてである)、地元にエージェントのような仕事をしてくれる人がいたため、何とかチケットを売り、結果的には1500枚売れて、集客はほぼ成功したようだ。演奏自体も好評だったとのこと。
また京都市の姉妹都市であるフィレンツェで公演を行ったときには、フィレンツェの新しい会場がまだ完成しておらず、ステージと客席は出来上がっているものの、楽屋などは工事中で、「イタリア人はのんびりしてる」らしい。そもそも日本人だったら、未完成の施設を使用させたりはしないが。確かにイタリアは地震がないので工事中でも地震で崩壊ということはあり得ないだろうが。
その後、曲目について解説、ベルリオーズの序曲「海賊」については、「短いのであっという間に終わってしまいます」という。実はこれは伏線であり、メインであるシューベルトの「ザ・グレイト」が長大な楽曲として知られているので、それと対比させたのだ。
プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番のソリストである、ソン・ヨルムについては、「非常に達者で情熱的。それも髪の毛を振り乱して弾くようなタイプではなく端正」と紹介をする。更に、「ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで2位になっていますが、その時の1位が辻井(伸行)君です」とわかりやすい紹介をする。
シューベルトの交響曲第8番(第9番)「ザ・グレイト」については、「長いとされている曲ですが、良く聴くと案外短い」と評する。また、今回は「シューベルト先生が思い描いた通りの演奏に近づけるため、繰り返しも全部、少しはカットするかも知れませんが、ほぼ全て繰り返します」と宣言する。「ザ・グレイト」は繰り返し記号を履行して演奏すると1時間以上を要する大作である。
また、今日は、ステージについている馬蹄形の段差を、綺麗に階段状に並べ、これを「すり鉢状」と称し、今後はこれがスタンダードになるという。京都コンサートホールはもともと、舞台をすり鉢状にして演奏した時に最良の響きが得られるよう設計されているとのことである。
今日のコンサートマスターは渡邊穣。フォアシュピーラーに泉原隆志。フルート首席奏者の清水信貴は今日は降り番(副首席奏者の中川佳子が全編、トップの位置に座った)。オーボエ首席の高山郁子、クラリネット首席の小谷口直子はシューベルトのみの出演である。
ベルリオーズの序曲「海賊」。大編成による曲であり、トランペット首席奏者のハラルド・ナエスはこの曲には参加した(その後、プロコフィエフは早坂宏明と稲垣路子の二人に譲り、シューベルトで再登場した)。
すり鉢状のステージにしての演奏であるが、私はステージ後方のポディウムで聴いていたため、「音が大きくなった」というのが一番の印象である。その他、音に渋みが増したのもわかる。1階席でどういう響きがするのかは残念ながらわからないのだが。
広上らしい盛り上げ上手な演奏であった。
プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番。マジカルな味わいのある傑作として知られているのだが、演奏自体が難しく、レコーディングも少なく名盤と呼ぶに値する演奏がほとんどないというピアニスト泣かせの曲でもある。
ピアノ独奏のソン・ヨルムは、現在ドイツ・ハノーファー音楽舞台芸術大学(ハノーファー国立音楽演劇大学。大植英次が終身教授を務めている大学である)に在学中という若い女性ピアニスト。2011年にチャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門準優勝を果たし、室内楽協奏曲最高演奏賞とコンクール委嘱作品最高演奏賞も受賞した気鋭のピアニストである。先に書いた通り、辻井伸行が優勝した2009年のヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで準優勝。辻井伸行が優勝したため同コンクールのドキュメンタリー番組が作られてソン・ヨルムも登場しており、広上はそれを見てソンのことを「良いピアニスト」だと感じたという。コンクール歴としてはエトリンゲン国際ピアノコンクールとヴィオッティ国際ピアノコンクールで共に史上最年少優勝を果たしている。
ステージ上に現れたソン・ヨルムは写真よりもほっそりとした印象である。華奢と書いても良いかも知れない。だが、出す音は独特。他のピアニストよりも一段深いところから音を出しているようなピアノである。奥行きのある音だ。広上が言っていたとおりヴィルトゥオーゾタイプではないが、情熱的なピアノであり、メカニックも優秀である。
広上の指揮する京響もキッチュにして美しいプロコフィエフの味わいを存分に引き出したものだった。
ソン・ヨルムはアンコールに応えて、カプースキンの「エチュード」を弾く。ジャジーな味わいのある曲であるが、カプースキンは実はロシアの作曲家である。ジャズピアニストとしても活躍していたため、勿論、ジャズのテイストを取り入れた作品を書いており、ソンはそれを弾いたのである。ノリと活きの良いピアノであった。
メインであるシューベルトの交響曲第8番(第9番)「ザ・グレイト」。交響曲の番号が2種類あるのは、シューベルトが交響曲を作曲した過程がよく分かっていなかったからで、従来は、シューベルトが日記にその存在を書き、「グムンデン・ガスタイン交響曲」と呼ばれる楽曲の楽譜が結局見つからなかったため、実際の楽曲は不明のまま交響曲第7番の番号が振られ、交響曲第8番が「未完成」、交響曲第9番が「ザ・グレイト」とされた(「ザ・グレイト」というタイトルであるが、「偉大」という意味ではなく、同じハ長調の交響曲である第6番に比べて「編成が大きい方」という程度の意味しか持たない)。だが、その後、「グムンデン・ガスタイン交響曲」の正体が実は「ザ・グレイト」だという報告がなされ、「ザ・グレイト」は交響曲第7番になったり、「未完成」を交響曲第7番に繰り上げて交響曲第8番にされたりと、今なお正式な番号は定まっていない。
「未完成」もそうだが、「ザ・グレイト」もシューベルトの生前には演奏されることはなかった。「ザ・グレイト」が初演されたのはシューベルトの死後11年経ってからのことである。初演の指揮者はフェリックス・メンデルスゾーン、オーケストラはライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団であった。「ザ・グレイト」の譜面を発見したロベルト・シューマンはこの曲について「天国的な長大さ」と述べている。
広上は、今日も普通よりは長めの指揮棒を使用していたのだが、実はもう一本、短めで木製の指揮棒を用意しており、第4楽章はそちらの指揮棒で指揮した。
左手で冒頭のホルン(早稲田大学の応援歌「紺碧の空」に似た旋律である)に指示を出した広上は、その後は変幻自在の指揮を展開。無手勝流のようであるが、指揮姿が表す意図が明確であり、極めて明快な指揮である。第3楽章では途中からノンタクトで指揮、第4楽章では両手で指揮棒を握りしめて短剣を振る舞わすかのような視覚効果抜群の指揮姿である。パーヴォ・ヤルヴィは指揮姿によるオーケストレーションを取り入れているが、これからは視覚面での面白さも指揮者にとって重要になってくるかも知れない。
広上は「シューベルト先生が思い描いたような」とプレトークで語っていたが、なんと「ザ・グレイト」でピリオド・アプローチを仕掛けてくる。弦楽はビブラートを控えめにし、流線型のフォルムで演奏。その他の楽器も強弱やメリハリをはっきり付けるのがピリオド的である。まさかシューベルトでピリオドを行うとは思っていなかったので(年代的にはピリオドで演奏してもおかしくない作品であるが)意外な印象を受ける。
ただ、ピリオドであるかないかを抜きにしてもスケール豊かで、音の密度の濃い優れたシューベルト演奏である。生命力が横溢すると同時に彼岸の音がし、第4楽章の響きの美しさはまさに「天国的」である。
喝采を浴びた広上と京響であるが、広上が「今日は曲が長いのでこの辺で」と挨拶をし、コンサートはお開きとなった。
今日はレセプションがある。といっても今日はサインを貰う気はないので、広上淳一とソン・ヨルムの話を聞くだけにする。
ジーンズ姿で登場したソン・ヨルム(英語でスピーチ。通訳付き)は、「京都の街には昔から憧れていたが、今回は残念ながらほとんどどこにも行けなかった。今度また来られるように頑張りたい」と述べる。また広上淳一については、「大好きな指揮者で、今でも大ファン」とのこと。ちなみに、ソン・ヨルムはハイヒールを履いているということもあるが、それを割り引いても、広上の方がずっと身長が低い。広上は自身の身長について「164cm」と公言しているが、168cm(先日、病院で測ったら168.6cmであったが、端数はどうでもいい)と成人男性としては比較的小柄な私と比べてもかなり身長が低いため、実際は160cm前後だと思われる。164cmというのは一番身長が高かった二十歳前後の話だろう。
広上は、昨年、NHK交響楽団の韓国ツアーに指揮者として帯同し、ソン・ヨルムと共演したのが、「ああ、この人はやっぱり特別なピアニストだ」と感じて、すぐに京都市交響楽団事務局に「ソン・ヨルムのスケジュールを押さえるよう」指示を出したそうである。広上淳一は肩書きこそ京都市交響楽団の常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーであるが、指揮者やソリストに関する人事権を持っているため、実際には音楽監督以上の権限を持っている。
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