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2020年3月20日 (金)

観劇感想精選(344) 佐藤隆太一人芝居「エブリ・ブリリアント・シング~ありとあらゆるステキなこと~」茨木公演

2020年2月23日 大阪府茨木の茨木市市民総合センター(クリエイトセンター)センターホールステージ上特設劇場にて観劇&出演(?)

午後2時から、大阪府茨木市にある茨木市市民総合センター(クリエイトセンター)センターホールステージ上特設劇場で、佐藤隆太の一人芝居「エブリ・ブリリアント・シング~ありとあらゆるステキなこと~」を観る。作:ダンカン・マクミラン&ジョニー・ドナヒュー、テキスト日本語訳&演出:谷賢一。
観客参加型のお芝居であり、今回の大阪・茨木公演も、ステージ上に設けられた小劇場で佐藤隆太との交流が行われるインティメイトな芝居である。最近はこうした垣根をなくしたスタイルの演劇(一種のイマーシブシアター)がヨーロッパを中心に流行っており、昨年、ロームシアター京都ノースホールで観たポーランド演劇の「マルガレーテ」もそうであったし、神里雄大/岡崎藝術座もこうしたスタイルを取り入れている。

鬱病を患う母親を持つ男の話である。最初に出てくる日付は、1987年11月9日。佐藤隆太演じる男は、その時7歳だったというから佐藤隆太と同じ1980年生まれということになる。その日に母親は最初の自殺未遂を行い、入院する。男は父親が運転する車で母親の入院する病院へと向かう。父子仲は余り良くないようである。

男は子どもの頃から、「これはステキ(ブリリアント・シング)だ」と思ったものをリストアップする習慣があった。最初は母親を励ますためのプレゼントのつもりでステキだと思うものを挙げていたのだが、辛いことがあるたびにその数は増えていき、最初は単純な名詞のみだったのに、次第に形容詞と名詞を組み合わせたものや文章が加わり、最後には思索や観念、行動へと広がっていく。それは大人になっていくということでもある。
「いいとこ探し」という気分障害の療法がある。発達障害の二次障害である鬱のための療法として日本で考え出されたもので、とにかく自分や他人の良いところを探して挙げていくという療法であるが、それを思い出した。

 

さて、茨木市に行くこと自体が初めてである。これまで阪急茨木市駅は常に通過する駅であった。茨木市はかつて茨木城があった付近に市役所を始めとする多くの施設が集中するという構造を持つ街である。茨木市駅で降りると、まず真宗大谷派茨木別院の巨大な伽藍が目に入る。茨木心斎橋商店街(大昔には、銀座と心斎橋が並び賞されていた時代があり、○○銀座ならぬ○○心斎橋もあった。茨木は今もそれが残っているようだ)そこからしばらく歩くと茨木神社の鳥居が目に入る。茨木神社の西側を北に向かって走るのが川端通り。これは茨木出身の文豪である川端康成にちなんだ通りで、まっすぐ北に行くと茨木市立川端康成文学館がある。
茨木神社の西に茨木の中心の中心と思われる高橋の交差点があり、南西側に茨木市役所が見えるが、高橋交差点の北西隅が少年野球場、その北にテニスコートがあって、そこから少し入ったところにクリエイトセンターがある。

谷賢一が岸田国士戯曲賞を受賞したということで、終演後には受賞作である『福島三部作』の戯曲販売と谷賢一のサイン会が行われるようであった。

整理番号順での入場で、午後1時30分の開場であるが、午後1時25分頃にクリエイトセンターに着いた時にはすでに入場が始まっていた。
特に良い席に座らなくても良いのだが、通常の客席から見て下手側の2列目の木製のソファーというべきかベンチというべきか、とにかく特徴のある席が目に入ったため、その手前のに椅子席に座ることに決める。荷物を椅子の上に置いていると、「こんにちは」という声が聞こえる。声の方を向くと佐藤隆太がいつの間にか木製のソファーに座っている。「ああ、最初からいるんだ」と思ったが、普通に「こんにちは」と挨拶を返す。舞台上には演出の谷賢一や舞台監督と思われる人物などがいて、佐藤隆太は、「ああ、ここ座ってると他の人座れないや」と言って他の場所へと向かう。

佐藤隆太は、観客に読み上げて貰う言葉の書かれたカードを配っていく。番号が振られており、カードを配られた人は佐藤がその番号を読み上げたらカードに書かれた言葉を朗唱するというスタイルで劇は進んでいく。一人芝居ではあるが一人では出来ない芝居である。
私もカードを配られる。元々大きな声が出ない上に、ここ数年は喉の調子が十分ではないのだが、取り敢えず「頑張ります」と言って受け取る。中には断る人もいたが、強制ではないので全く問題はない。
佐藤は、カードの番号と配った人、その人がどの席にいるかを頭に入れて芝居に臨む。かなり念入りに確認を行っていた。6番のカードがないということで、「あれ、俺、6番のカード配ったかな? 6番のカードを持っている方、いらっしゃいます?」と聞いて返事がないため、舞台監督が予備のカードを取りに舞台袖に引っ込もうとするが、その直後に、「ありました!」と佐藤が机の上に置かれたカードを見つけたため、舞監さんも戻ってくる。佐藤も大変そうだが、スタッフも大変そうな芝居である。

 

芝居が始まってしばらくして、方位でいうと南側の1列目の女性が「一番、獣医に見える」ということでステージの中央まで出て、ちょっとした演技を行う。
その次の次が私なのである(ステージの中央まで出る観客としては2人目)。カードを読み上げる前に出番が来てしまう。佐藤が「目が合いましたね」ということで父親役となり、ステージ中央のソファー(車の座席に見立てられる。原作とは違い、アメリカが舞台という設定なのに右ハンドルであったため、助手席のドアを開ける仕草のところで、一瞬、戸惑った)に座って男の父親の仕草をする。その後、役が男の少年時代に変わり、父親役になった佐藤の横で同じ言葉を繰り返すという演技のようなものを行う。最後は、佐藤から手渡しされた紙に書かれたセリフを読み上げて終わる。実際に読み上げてみると、込めようとした感情と実際の声との間に乖離が感じられ、演技の難しさを実感させられる。
席に返ってからも、佐藤が父親の話をするたびにこちらの方を見るため、父親らしい姿勢を取らなくてはならない(別に取る必要はないのだが、こちらも「ちゃんとしたい」という思いがある)。カードの書かれた文字(別に変な言葉ではないが明かさないでおく)も読み上げる。あんまり上手くいかなかった。

やがて主人公は大学へと進学するが、鬱感情は移りやすい傾向があることもあってか(佐藤が演じる男も語るが、鬱病は単なる気分だけの障害ではなく、脳の気質性の病でもある)塞ぎ込みがちになり、講義にも出ないようになってしまうが、感銘を受けた教授の授業にだけは参加する。ゲーテの『若きウェルテルの悩み』を取り上げた授業である。教授役もお客さんが担当するのだが、佐藤は「『若きウェルテルの悩み』の内容を説明して下さい」と無茶振りをする。内容を知っているお客さんだったら良かったのだが、残念ながら知らない人であった。私もこめかみの横で引き金を引く仕草をしたりするが、それだけで伝わるとも思えない。佐藤が渡したテキスト状のものの背表紙に『若きウェルテルの悩み』の内容が記されており、教授役のお客さんはそれを読み上げた。佐藤演じる青年は、「ウェルテル効果」について語り、母親に関する体験から「何があっても自殺をしないで欲しい」と訴えかける。

やがて青年は、大学の図書館で出会った女性と恋に落ち、二人は結婚する。相手役も客席の女性に演じて貰う。

結婚式のシーンでは、私が父親としてスピーチをする羽目に、じゃなかった、ことになる。相当な無茶振りである。スピーチはマイクを片手に行うので、喉は余り気にしなくて良い。「えー、新郎の父親でございます」と話して、取り敢えず笑いは取れたので、その後は父親が語りそうなことを凝りすぎないように気をつけながら手短にまとめる。終わってから佐藤さんとハグと握手。
更に客席に戻った後も、「ここでセリフ言うんだろうな」という場所でセリフを口にした。

なんか俺、出番多いな。これでは参加ではなくもはや出演である。面白かったが疲れる。もっともこの手の疲れは嫌いではない。
とはいえ、鬱や自殺、両親の不和や親子の確執など重いテーマを扱いながら、ハイレベルなエンターテインメントに仕上げているところはやはり素晴らしい。

お客さんとのやり取りが多いため、俳優は演技力があるだけでは演じることは出来ない。明るい性格で愛され系でもある佐藤隆太だからこそ成り立つ芝居でもある。
キーボードで弾き語りを行うなど(ちなみにキーボードは女性客2人に端を持って貰い、時計回りに回転させながら弾く)佐藤の多彩さも魅力的であった。

劇中で様々なブリリアント・シングが読み上げられたが、私にとってはなんといっても佐藤隆太さんとステージ上でやり取り出来たのが、この上なくステキなことであった。

生きるとは辛いことかも知れない。でも、人生には探せばステキなことがいくらでも見つかる。それだけでもこの世に存在し続ける意味はある。

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