2346月日(20) 茨木市立川端康成文学館
2020年2月23日 大阪府茨木市の茨木市立川端康成文学館にて
茨木市立川端康成文学館に向かう。入館無料である。
川端康成は、生まれは大阪市内の天満だが、両親が共に病弱であり、2歳の誕生日を迎える前に開業医であった父親が、3歳の誕生日を迎える前に母親が他界したため、以降、茨木中学校(現・大阪府立茨木高等学校)を卒業する18歳まで茨木にある祖父母の家で育っている。
川端も未熟児として生まれ、病弱であったため、小学校に入っても同い年の子などと遊ぶことは難しく、読書をして過ごす時間が長かった。川端の家は、元を辿ると北条平氏に繋がる名家であり、江戸時代には茨木一帯の庄屋を務めていた。祖父の代に没落するが、庄屋ということで父も祖父も教養があり、漢詩や文人画などに通じていた。というわけで祖父は蔵書家でもあり、川端は読む本に困らなかったようである。小学校に上がる前にある程度の読み書きが出来るようになっていた川端にとって学校での授業は退屈であり、授業中にも本を読んで過ごすことがあったようである。
茨木中学校へは片道6キロを歩いて通学。体も次第に丈夫になっていった。祖父は目が不自由であったが、川端に将来画家か小説家になるよう勧めたという。
茨木中学からは第三高等学校(今の京都大学の教養課程)に進む生徒が多いのだが、川端は第一高等学校(現在の東京大学教養学部)に進学。東京で寄宿舎生活を送る。「ダルビッシュ有に似ている、もしくはダルビッシュ有が似ている」という写真が撮られたのがこの一高時代である。
一高を卒業すればそのまま東京帝国大学に進めるシステムもあり、川端は文学部英文科に進学。その後、国文科に転科して卒業している。一高から東大という過程が大阪人らしくないため(三高から東大という人は結構いる)、川端が大阪人だと知らない人も結構多そうである。
小説家としての川端は鎌倉市二階堂に居を構え活動を行っている。あるいは先祖の北条氏が治めていた場所だからなのかも知れない。
小さな文学館であり、展示などもそれほど充実しているわけではないが、川端の直筆原稿などを読むことが出来る。映像コーナーもあり、川端康成の生涯を辿るドキュメンタリーや少年時代の川端を描いたアニメーションなどを楽しめるようになっている。
川端の鎌倉二階堂の書斎を再現したコーナーもあり、希望する場合は職員に申し出て執筆体験が出来るようである。川端の小説などを原稿用紙などに模写することになるようだが、私はそれなりの文章を書ける自信はあるので、わざわざ川端になる必要はない。
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