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2020年3月11日 (水)

美術回廊(48) 生誕135年「竹久夢二展 幻想の美 秘められた謎」@京都髙島屋

2020年3月6日 京都髙島屋7階グランドホールにて

京都髙島屋7階グランドホールで、生誕135年「竹久夢二展 幻想の美 秘められた謎」を観る。新型コロナウィルスの影響で、京都髙島屋店内はガラガラ。こんな状態がいつまでも続けば天下の髙島屋も傾くという危機感がありありと伝わってくる。

大正時代を代表する美人画家として知られる竹久夢二(本名:茂次郎)。現在の岡山県瀬戸内市にある造り酒屋の次男として生まれ(長男は幼くして亡くなったため、扱いとしては事実上の長男となる)、神戸中学校(現在の兵庫県立神戸高校)に進むも家業が傾いたために中退。この頃の夢二の夢は詩人になることだった。一家で福岡県の八幡(現在の北九州市)に移り住むが、家出して上京。早稲田実業学校の専攻科(2年制)に進学し、この頃に本格的に絵を描き始める。早稲田実業も結局は中退した。

正直、日本画家としての竹久夢二は大したことがないというのが私の評価である。本格的に絵を学ばなかったことを本人も周りも後悔していたという話もある。

竹久夢二の名が現在に伝わることになったのは、彼が作詞した名曲「宵待草」によるところが大きい。作詞と書いたが、夢二は「宵待草」を歌詞として書いたわけではない。宵待草という草は存在せず、待宵草を宵待草として詩を発表。単純な覚え間違いという説もあるが、その方が語呂がいいからか、それとも架空の草とした方が良かったのか修正することはなかった。ちなみに「宵待草」は明らかに大逆事件を意識して書かれたものである。この「宵待草」の一節に多忠亮(おおの・ただすけ)が曲をつけて初演し、大評判となる。といってもこれは夢二と多のコラボレーションではなく多が許可を得ずに曲をつけてしまったものである。多も流石にこれはまずいと夢二宅に謝罪に出向いたのだが、逆に夢二に泣きながら歓待されたという話が残っている。どこまで本当なのかはよくわからないが、夢二が「これで自分の名は後世に残る」と確信したであろうことは窺える。実際、今回出展された夢二の作品に登場する夢二の分身は頭を抱えるなど苦悩に満ちた姿で描かれていることが多く、自分の画才に自信が持てないことが伝わってくる。

絵として致命的なのは密度の薄さ。情報量が少ないのである。淡く可愛らしいが、それだけでは他の日本画家には太刀打ち出来ない。挿絵画家としてスタートし、絵葉書を描く仕事や、楽譜の表紙絵やレコードジャケットのデザイン(「ペール・ギュント」から“ソルヴェイグの歌”のSPジャケットなどが展示されていたが、歌詞の内容とは余り関係ないような絵である)などを手掛けた夢二は、芸術を身近なものにしたという功績があり、グラフィックデザイナーの先駆けともいうべき存在である。大正という時代にあって、その挿絵や美人画は一斉を風靡した。だからといって彼の作品がそれそのものの魅力で激動の昭和を駆け抜けることが出来たかというと、単純に絵の出来から考えれば難しかったかも知れない。
夢二という存在が今も人を惹きつけるのは、絵画以上に彼のミステリアスな人間性である。とにかく女にもてる上に、たまきやお葉との奇妙な関係は他に例が見当たらない。
夢二と籍を入れた唯一の女性であるたまき。知名度はとても高いが、不可思議としかいいようのない存在でもある。2つ年下の夢二の猛アタックを受けて結婚したたまきだったが、とにかく浮気ばかりする夢二に愛想を尽かして2年で離婚。しかしその後もつかず離れずの関係を続け、子まで設ける。その後、夢二はたまきと当時画学生だった東郷青児の関係を疑い、富山でたまきの腕を短刀で刺すという事件を起こす。これで完全に終わり、のはずなのだが、その後も関係は続いている節があり、夢二が結核のため長野の療養所で亡くなった後、たまきが訪ねてきて後片付けなどをして帰っている。

富山での事件の後で、夢二は京都に向かう。二寧坂(二年坂)に取り敢えずの居を構えた夢二はここで一人の女性を待つ。女性の名は笠井彦乃。のちに「夢二最愛の女性」と呼ばれることになる女学生である。たまきと夢二が経営する港屋に入り浸っていた夢二ファンの女学生であった彦乃は、一説にはたまきと東郷青児の関係が怪しいと夢二に告げた張本人ともいわれている。彦乃は親の反対を押し切って京都へ。二寧坂で夢二と同棲生活をスタートさせ、ほどなく高台寺の近くに家を構える。だが、九州旅行時に彦乃は喀血。結核であった。彦乃は実家に連れ戻されることになり、ほどなくして亡くなる。夢二も京都を去ることになった。最初の家を二寧坂に構えたことが良くなかったのかどうか、夢二の京都時代は丁度2年で幕を下ろすことになる。

彦乃と入れ替わるように夢二の恋人となったのが、お葉(よう)である。本名は佐々木カ子ヨ。お葉の名は夢二が付けたものである。秋田生まれで、藤島武二のモデルを経て、責め絵師の伊藤晴雨のモデルをしていたお葉であるが(伊藤晴雨のモデルであったことは今回の展覧会では触れられていない)、愛人関係にあった伊藤晴雨と別れて夢二と同棲するようになる。その後に自殺未遂をするなど前半生は波乱に富んでいたお葉だが、医師と結婚して以降は安定した生活を送るようになり、その後、約半世紀ほど静かに生き続けた。

 

実人生の方が絵よりも魅力的であった夢二であるが、油絵などは独特の陰鬱さが作者の懊悩を物語っており、奥行きが感じられて好印象である。

出口付近には映像コーナーがある。岡山市にある竹久夢二美術館が制作した約10分の映像。49歳という短い生涯であった夢二であるが、この映像は比較的知られていない晩年の夢二を描いている。47歳の時に夢二は渡米。サンフランシスコで上陸し、その後、西海岸の都市を回る。その時に描かれたのが今回展示されている「西海岸の裸婦」である。完成度の方はそう高くないと思われ、その証拠にというわけでもないが、夢二は西海岸で個展なども開いているが評価は今ひとつであった。そこで今度はヨーロッパに渡るが、そこで評価されることもなく、帰国後に結核を得て、翌年に他界することになる。

夢二の絵に関してはその生涯ほどには魅力は感じないのであるが、物販では吉井勇が現代語訳(あくまで当時の現代語である)した『伊勢物語』に夢二が挿絵を描いたものが売られており、気になったので高めではあったが購入した。

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