これまでに観た映画より(161) 「アンドレア・ボチェッリ 奇跡のテノール」
2020年3月18日 京都シネマにて
京都シネマで、イタリア映画「アンドレア・ボチェッリ 奇跡のテノール」を観る。原作・原案:アンドレア・ボチェッリ。「イル・ポスティーノ」のマイケル・ラドフォード監督作品。出演は、トビー・セバスチャン、ルイーザ・ラニエリ、ジョルディ・モリャ、エンニオ・ファンタスティキーニ、ナディール・カゼッリ、アントニオ・バンデラスほか。
イタリアで制作された映画であり、イタリア人俳優も数多く出演しているが、アンドレア・ボチェッリ本人のメッセージ以外のセリフは英語が用いられている。
邦題は「アンドレア・ボチェッリ」であるが、原作となったボチェッリの実話小説のタイトルと原題は「The Music of Silence」で原題の方がボチェッリが込めたメッセージに近い。というより、邦題だと単なるボチェッリのサクセスストーリーだと勘違いされる怖れもある。タイトルは大事である。
何度も繰り返すが、邦題は「アンドレア・ボチェッリ」であるが、映画の主人公の名前はアモス・バルディ(トビー・セバスチャンが演じている)である。もし許されるのならアンドレア・ボチェッリが名乗りたかったという理想の名前で、バルディという苗字は出身地であるイタリア・トスカーナ地方によくあるものだという。
バルディ家の長男として生を受けたアモスであるが、母親(ルイーザ・ラニエリ)が異変に気づき、診断を受けたところ先天性の緑内障であることが判明する。手術を受け、失明は免れたが弱視のまま育つ。入院先でアモスは音楽に興味を示す。子どもの頃のアモスのお気に入りは自宅の倉庫だった。そして大好きな叔父さんジョヴァンニ(エンニオ・ファンタスティキーニ)が掛けるレコードにアモスは惹かれていく。
やがて目に問題を抱えた子ども達のための寄宿学校にアモスは入ることになる。音楽の授業で、アモスは美声を見いだされることになるが、鈴の音サッカーでキーパーをしている時にシュートを顔面に受け、ついに全盲となってしまう。落ち込むアモスをジョヴァンニ叔父さんが無理矢理歌唱コンクールに参加させる。まずオーディションを突破したアモスは決勝でも青年シンガーを退けて優勝する。オペラ歌手を夢見るようになるアモスだったが、声変わりをしてからは歌声に自信が持てなくなる。父親(ジョルディ・モリャ)はピアノなどの演奏家を目指してはどうかと提案するが、演奏家は視覚障害者の定番だからという理由で避け、弁護士を目指して名門高校へ進学。しかし、視覚障害者を受け入れられる素地が高校には整っていなかった。コンクールに出た時の歌声を知っていたアドリアーノと親友になったアモスは勉強そっちのけでバンド活動などに打ち込み、成績は低迷。これを聴覚教育に優れた家庭教師の教育で乗り切り、大学の法学部に進学したアモスは、夜にはバーで弾き語りのアルバイトを始める。そこで高校在学中のエレナ(ナディール・カゼッリ)と出会い、エレナからのアプローチによって二人は恋に落ちる。
バーでオペラの楽曲の弾き語りを行って評判となったアモス。そこでジョヴァンニ叔父さんが本職の音楽評論家を連れてきて聴いて貰うのだが、ボロクソにけなされる。
そんなある日、ピアノの調律などを手掛ける友人がスペイン出身の歌唱指導のマエストロ(アントニオ・バンデラス)の指導を受けるよう進言。マエストロに評価されたアモスは生活から変えていくことになる。
マエストロから「沈黙」の時間を大切にするように言われたことが、この映画における最も重要な主題となっている。その理解を邦題は妨げるようになりそうな危うさがある。
ストーリー的にはオーソドックスで特に突飛なこともなく、捉えようによっては平板であるが、とにかく音と映像と風景が美しく、音楽映画を観る楽しみを十分に味わうことが出来る。あたかもオペラの構造と同じような構成であり、あるいは意識したのだろうか。流石にそんなことはないと思うが。
邦題から受ける印象とは別の感銘を受ける映画である。
| 固定リンク | 0
コメント