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2020年4月の33件の記事

2020年4月30日 (木)

これまでに観た映画より(169) 北野武監督作品「Dolls」

※この記事は2004年8月19日に書かれたものです

北野武監督「Dolls」を観る。出演:菅野美穂、西島秀俊、深田恭子、岸本加世子、大杉漣、松原智恵子、三橋達也ほか。音楽:久石譲。

通俗的なエピソードが続くが、これは意図されたものだと思う。恋人に裏切られて自殺を図った女、事故に遭った好きなアイドル歌手の傷ついた姿を見ないために自らの視力を奪う青年(「春琴抄」そのものだ)、別れた恋人のために何年も何年も年老いても弁当を作って公園で待ち続ける女性とそれを見つけたかっての恋人の再会。紅葉が血のイメージに重なる。どれも紋切り型(ステロタイプ、クリシエ)である。だがそのありふれた過程から静かな狂気が浮かび上がる。彼らは全員優しい狂人だ。そしてその優しさがある上に弱く悲しい存在だ。むしろ現実の文法に沿って生きているまとも(とされる)な人々の方が狂的に見えてくる。

この映画のモチーフは「北野武といえば」の枕をつけて思い起こされるあの事故だ。あからさまにそれは示されている。あの事故があったからこその映画と言うことも出来るだろう。

心に染みる佳篇である。

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2020年4月29日 (水)

これまでに観た映画より(168) 黒澤明監督作品「羅生門」

※この記事は2005年11月11日に書かれたものを加筆修正したものです

DVDで映画「羅生門」を観る。言わずと知れた黒澤明監督作品。1951年度ヴェネチア映画祭金獅子賞受賞作品。
前に「羅生門」を観たのはまだ10代だった時だから10数年ぶりの鑑賞になる。

芥川龍之介の小説を原作としているが、原作になったのは「羅生門」ではなく、「藪の中」である。
光と影が織りなす妙なる映像が何ともセクシーである。映像美だけでも賞賛に値する。

人間のエゴ、醜さをあぶり出した作品。しかし、これが1950年に公開されたということを考えると、戦後の闇市の記憶がまだ生々しく、時代の背後で一般民衆を巻き込んだどす黒いものが淀んでいた時期であり、当時の観客は今よりもずっと生々しいものをこの画に見ていたであろうことが想像される。

三船敏郎が藪の中を駆け抜けるシーンは中央に置かれたカメラの周りをグルグル回ることで撮られたものだという。だから安心して思い切り駆け抜けることが出来た上に、広い場所も必要ではなかった。黒澤の職人芸が感じられる。

京マチ子は、10代で初めて見たときには、少しも美人に感じられなかったのだが、今見ると、妖しい雰囲気を出していてなかなかである。

「藪の中」を原作にしたのに何故タイトルを「羅生門」にしたのか? 事実はわかっていないようだが、人間の醜悪さを描いた「藪の中」を描きながらも、その醜悪な都や時代(戦後すぐの東京)を抜け出す希望に比重が置かれているからではないか、と考える。羅生門は希望への出口なのだ。

ボロボロに崩れた羅生門から赤子を抱いて、未来へと歩き出す男(志村喬)の表情がそれを裏付けているように思える。

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2020年4月28日 (火)

change.org 「演劇は生きる力です。演劇緊急支援プロジェクト」に寄せた文章

 私は劇場に学んだ。義務教育と高校と、更には大学を二つ、そのうち一つは演劇専攻であったが、そうした学校で学んだことよりも劇場で得たことの方が今は大きい。例えば世界の多様性や、懸命に生きる個々の存在や、「絶対」の疑わしさや、言葉とイメージと存在の乖離の知覚や、とにかく私がステージで得られたものを上げれば切りがないが、それらの共通点を上げれば、「社会と対峙することの力」の獲得といえる。いい加減な思い込みで世の人々を押し流そうとするいくつかの社会と対等に切り結ぶために私は演劇と向き合ってきたし、これからも向き合っていくことだろう。「生きる」ために。

 演劇のない「押し流されることを許す社会」にあっては、人は存在することは可能でも「生きる」ことは出来ない。そうならないことを願うものである。そして「良き社会を生む」基盤を演劇は築き上げるものであると確信する。良き社会は個々の想像力から生まれる。それ以外のものからは生まれない。劇場は想像力の宝庫である。コロナ禍後の新しい社会は劇場から生まれると断言しても構わないと私は思っている。

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京都市交響楽団公式YouTubeチャンネル開設

昨日、京都市交響楽団の公式YouTubeチャンネルが開設されました。ちなみにこの春より第13代常任指揮者兼音楽顧問に肩書きが変わった広上淳一と首席客演指揮者に就任したばかりのジョン・アクセルロッドからのメッセージの両方に初「いいね!」をしたのは私です。

https://www.youtube.com/channel/UCD6MadSKKxnboV1GQxeuSaQ

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2020年4月27日 (月)

松井須磨子 「ゴンドラの唄」




芸術座第5回公演「その前夜」劇中歌。作詞:吉井勇、作曲:中山晋平

後半に入っているのは志村喬バージョンです。

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笑いの林(122) 「祇園ネタ」&吉本新喜劇「好みのタイプは代々同じ!?」2014年4月27日

2014年4月27日 よしもと祇園花月にて

午後3時30分から、よしもと祇園花月で、「祇園ネタ」と吉本新喜劇「好みのタイプは代々同じ!?」を観る。
「祇園ネタ」の出演者は、モンスターエンジン、桜 稲垣早希、NON STYLE、千鳥、トミーズ。

モンスターエンジンは、西森が、「中小企業!」とやり、今日は私を含む5名ほどが「技術!」と返す。西森によると最多記録だという。
西森は続いて、「大量生産!」と呼びかけ、二人が「それでも落とせない品質!」と返した。
ネタは西森に1歳になる子供がいるということで、子供に自転車の乗り方を教える父親というコント。西森が子供を、大林が父親を演じるのだが、西森演じる子供がどう考えてもおっさんそのもので、ギャップで笑わせるというものだった。

桜 稲垣早希。悪徳商法を題材にした「おねえさんといっしょ」であったが、歌詞を新たなものに変え、商品の値段も上げるなど、どす黒さが更に増していた。

NON STYLE。
井上が、「アラサーなので、そろそろ結婚したい。若い子のハートをキャッチしたい」と言い、石田に、「なんで、アラサーとか『ハートをキャッチ』とか横文字使う?」と聞かれる。井上が、「じゃあ、アラサーってなんて言えばいいの?」と聞くと、石田は「三十路前後でいい」と返す。
石田は横文字を日本語に言い換えることを続ける。クリスマスは「赤い服の翁が煙突から入ってきて子供に贈り物を授ける日」。バレンタインデーは「おなごが甘黒をおのこに手渡す日」になる。チョコレートは「甘くて黒いので『甘黒』」になるそうだ。

千鳥。以前も見た、信号待ちをしていて、信号が青になると同時にカーレースをスタートさせるというネタである。大悟がやたらと赤信号を長くしたり、青に変わるのが早過ぎたりと噛み合わないという展開である。

トミーズ。
トミーズ雅が、「私がトミーズのイ・ビョンホンです」と言って、トミーズ健に「何言ってんねん、文庫本みたいな顔して」と突っ込まれる。
トミーズ雅はヒット曲に問題があると言い、森高千里の「私がおばさんになったら」は、「『秋が過ぎれば冬が来る』、知っとるって! 秋が過ぎてまた夏になったら半袖また出さないかん。面倒くさい!」 、「『私がおばさんになったらあなたはおじさんよ』。当たり前や! あなたがおばさんになったら性転換してる!」。夏川りみの「花」(オリジナルは喜納昌吉であるが、沖縄県出身のシンガーは大体カバーしている)の「『川は流れてどこどこ行くの』、海や!」と言う。更に「『どこどこいくの』って何? なんで『どこ』を繰り返すの」と疑問を呈する。徳永英明の「壊れかけのRadio」を「レディオやでレディオ」と言ってから、「『何も聞こえない』、壊れている!」と突っ込む。
それから年を取って、体の機能が落ちてきたことを語り、「健康が第一」と言ってから、健が医師、雅が患者のコントに変わる。健が聴診器を雅の額に当て、「アホです」と言ったり、口内を覗いて、「扁桃腺が腫れてます。胃は問題ありませんが腸にポリープが出来ています」と言って、雅に「どこまで見えてんの? 胃カメラ?」と突っ込まれる。
採血をするのだが、採りすぎて雅の顔色が悪くなったりした。
最後は、ここは病院は病院でも動物病院だという落ちで終わる。余り落ちになっていない気もするが。


吉本新喜劇「好みのタイプは代々同じ!?」。出演:烏川耕一、池乃めだか、吉田ヒロ、やなぎ浩二、帯谷孝史、安尾信之助、伊賀健二、森田展義、松浦真也、信濃岳夫、いちじまだいき、レイチェル、前田真希、井上安世、岡田直子。

祇園旅館が舞台。松浦真也らミステリースポットを探るサークルのメンバーが近くに強力な場所があると聞いて祇園旅館に泊まりに来る。実はミステリースポットとは祇園旅館のフロントにあるトイレで、入った人がタイムスリップしてしまうというものであった。祇園旅館の支配人である烏川耕一は、恋人である前田真希から別れを告げられる。真希には信濃岳夫という新しい恋人が出来たのだ。信濃は代々伝わる恋愛成就の御守りを持っていた。

祇園旅館のトイレから、1943年からタイムスリップして来た日本兵の森田展義、戦国時代からやって来た落ち武者のやなぎ浩之進(やなぎ浩二)、2054年から戻って来たお笑い芸人のスリップマン(吉田ヒロ)が次々に登場。ややこしいことになる。

博士である池乃めだかが祇園旅館にやって来る。ここに時空のねじれがあると知って、それを戻す装置を開発したのだという。だが、その機械の調子が悪い。
そのうちに、前田真希の先祖と信濃岳夫の先祖もタイムスリップして来る。信濃岳夫の先祖はやはり代々伝わる恋愛成就の御守りを下げている。同じ顔なので、代々好みのタイプが同じであることがわかる。

今回は、メインストーリーであるタイムスリップに、吉本新喜劇の定番である借金取りネタや強盗ネタも入れていたが、余り意味はなく、出演者の役作りのために無理矢理入れたという印象を受けた。

終演後に、事前に希望を申し込んでいた観客の中から抽選で5名に舞台に上がって一緒にずっこけようという企画がある。何故か申し込みを行っていながら終演を待たずに帰ってしまって、何度席番号を呼んでも出てこないお客さんがいて、繰り上げ抽選が行われたりしたが、池乃めだかのギャグで全員ずっこけに成功。中には4歳の子供もいたが、ちゃんと状況を把握していた。

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2020年4月26日 (日)

玉置浩二 『田園』(オフィシャルビデオ)




いつの間にか開設されていた玉置浩二Officialチャンネルより

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2020年4月25日 (土)

アントニオ・サリエリ 「スペインの“ラ・フォリア”の主題による26の変奏曲」




ラインハルト・ゲーベル指揮WDR交響楽団(西部ドイツ放送交響楽団、ケルン放送交響楽団)

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2020年4月24日 (金)

これまでに観た映画より(167) 「もうひとりのシェイクスピア」

配信で映画「もうひとりのシェイクスピア」を観る。イギリス・ドイツ合作作品。監督:ローランド・エメリッヒ。出演:リサ・エヴァンス、ジェイミー・キャンベル・バウアー、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、ジョエリー・リチャードソン、セバスチャン・アルメスト、レイフ・スポール、デヴィッド・シューリス、エドワード・ホッグ、ゼイヴィア・サミュエル、サム・リード、パオロ・デ・ヴィータ、トリスタン・グラヴェル、デレク・ジャコブほか。

シェイクスピア別人説に基づいて作られたフィクションである。

世界で最も有名な劇作家であるウィリアム・シェイクスピアであるが、正体については実のところよく分かっていない。当時のイギリスの劇作家は、この映画に登場するベンジャミン・ジョンソン(ベン・ジョンソン)にしろ、クリストファー・マーロウにしろきちんとした高等教育を受けているのが当然であったが、シェイクスピア自身の学歴は不明。というより少なくとも高学歴ではないことは確実であり、古典等に精通していなければ書けない内容の戯曲をなぜシェイクスピアが書けたのかという疑問は古くから存在する。実は正体は俳優のシェイクスピアとは別人で、哲学者のフランシス・ベーコンとする説や、クリストファー・マーロウとする説などがある。これが「シェイクスピア別人説」である。この映画では、オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアをシェイクスピアの名を借りて戯曲を書いた人物としている。

二重の入れ子構造を持つ作品である。ブロードウェイでシェイクスピアの正体を解き明かす作品が上演されるという設定があり、前説をデレク・ジャコブが語る。劇中劇として行われるエリザベス朝の世界はベン・ジョンソン(セバスチャン・アルメスト)が事実上のストーリーテラーになるという趣向である。ストラットフォード・アポン・エイボンで生まれたいわゆるウィリアム・シェイクスピアはこの映画では文盲に近い低劣な人物として描かれている。

エリザベス朝においては、演劇は低俗な娯楽として禁じられることも多かった。当時の演劇は、社会や政治風刺と一体となっており、貴族階級はそれを嫌っていたからだ。
その貴族階級に属するオックスフォード伯エドワード・ド・ヴィア(リス・エヴァンス)が戯曲を発表するというわけにはいかず、匿名の台本での上演を行う。そして宮内大臣一座に所属していた三流の俳優であるウィリアム・シェイクスピア(レイフ・スポール)が調子に乗って「ヘンリー五世」の作者が自分であると観客に向かって宣言したことを利用する形で、オックスフォード伯エドワードは自身の戯曲にウィリアム・シェイクスピアと署名する。エドワードの書いた戯曲は当時の権力者である義父ウィリアム・セシル(デヴィッド・シューリス)やその息子のロバート・セシル(この映画では「リチャード三世」に見立てられた人物とする説を取っている。演じるのはエドワード・ホッグ)が行う言論弾圧や、スコットランド王ジェームズ(後のジェームズ6世。メアリー・ステュアートの息子)へのイングランド王継承を図っていることに対する批判や揶揄を含む内容であり、矢面に立つのを避ける意味もあった。実際に当時を代表する劇作家であったクリストファー・マーロウは謎の横死を遂げ、ベン・ジョンソンも逮捕、投獄の処分を受けている。最初はベン・ジョンソンと結託してその名を借りることを考えていたエドワードだが、シェイクスピアに白羽の矢を立てたことになる。次第に高慢な態度を取るようになるストラッドフォードのシェイクスピアとジョンソンは対立するようになるのだが、怒りに任せてジョンソンが行った密告により、エリザベス朝は悲劇を招くことになる。

複雑な歴史背景を描いた作品であり、歴史大作としても楽しめる映画だが、なんといってもシェイクスピアが書いた「戯曲」への敬意が主題となる。実際のところ内容が優れていればそれが誰の作であったとしても一向に構わない、とまではいかないが生み出された作品は作者に勝るということでもある。シェイクスピアの戯曲はシェイクスピアが書いたから偉大なのではなく、偉大な作品を生み出した人物がシェイクスピアという名前だったということである。仮にそれらがいわゆるシェイクスピアが書いたものではなかったとしてもその価値が落ちるということは一切ない。
ロバート・セシルは父親同様、演劇を弾圧しようとしたが、ジェームズ6世が演劇を敬愛したため、政治的にはともかくとして文化的および歴史的には演劇が勝利している。

ただこの映画に描かれるオックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアという人物の生き方に魅せられるのもまた事実である。イングランドで一二を争う長い歴史を誇る貴族の家に生まれたエドワードだが政治的には全くの無能であり、戦争に参加して能力を発揮する機会もなかった。だが、当時は無意味と見做されていた文芸創作に命を懸け、結果として家は傾いたが、書き残したものは永遠の命を得た、というのは史実かどうかは別として文学者の本流の生き方でもある。

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2020年4月23日 (木)

川越美和 「涙くんさよなら」

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2020年4月22日 (水)

オーケストラ支援・寄付のためのリンク集

日本オーケストラ連盟(個人的に寄付済み) https://www.orchestra.or.jp/information/2020/post-27/

札幌交響楽団(個人的に寄付済み) https://www.sso.or.jp/patrons/  

仙台フィルハーモニー管弦楽団(個人的に寄付済み) https://www.sendaiphil.jp/membership/donation/

山形交響楽団 http://www.yamakyo.or.jp/contribution/

群馬交響楽団(個人的に寄付済み) http://www.gunkyo.com/support/ご支援のお願い%ef%bc%88クレジット決済による寄付%ef%bc%89/

千葉交響楽団(個人的に寄付済み) https://chibakyo.jp/info/emergency-support.html

東京交響楽団(個人的に寄付済み) https://tokyosymphony.futureartist.net/donation

東京フィルハーモニー交響楽団(個人的に寄付済み) https://www.tpo.or.jp/support/support.php

日本フィルハーモニー交響楽団(個人的に寄付済み) https://japanphil.or.jp/support/fundraising

新日本フィルハーモニー交響楽団(個人的に寄付済み) https://www.njp.or.jp/patronage

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団(個人的に寄付済み) https://www.cityphil.jp/support/

読売日本交響楽団(個人的に寄付済み) https://yomikyo.or.jp/info/patronage.php

神奈川フィルハーモニー管弦楽団 https://www.kanaphil.or.jp/support/

名古屋フィルハーモニー交響楽団(個人的に寄付済み) https://www.nagoya-phil.or.jp/support/donation-c

大阪フィルハーモニー交響楽団(個人的に寄付済み) http://www.osaka-phil.com/news/detail.php?d=20200402

日本センチュリー交響楽団(個人的に寄付済み) https://www.century-orchestra.jp/support/donate.html

関西フィルハーモニー管弦楽団(個人的に寄付済み) https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfEBvQeswTEdhn1GiWvfp1BhGB-q1NQRpW9FNjhDDQ9sMK8qA/viewform  

大阪交響楽団(個人的に寄付済み) https://congrant.com/project/osodonation/1518

京都フィルハーモニー室内合奏団(個人的に寄付済み) https://www.plus-social.jp/project.cgi?pjid=86

広島交響楽団(個人的に寄付済み) http://hirokyo.or.jp/bokin

九州交響楽団(個人的に寄付済み) http://www.kyukyo.or.jp/support/

 

元NHK交響楽団首席オーボエ奏者の茂木大輔さんのTwitter、日本センチュリー交響楽団コンサートミストレスの松浦奈々さんのTwitter、関西フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者&東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団首席客演指揮者の藤岡幸夫さんのFacebookなどからURLを参照しました。感謝致します。

 

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2020年4月21日 (火)

これまでに観た映画より(166) 「青春デンデケデケデケ」

配信で日本映画「青春デンデケデケデケ」を観る。大林宣彦監督作品。芦原すなおの直木賞受賞作の映画化である。脚本:石森史郎、音楽&音楽監修:久石譲。出演:林泰文、浅野忠信、大森嘉之、永堀剛敏、佐藤真一郎、ベンガル、根岸季衣、岸部一徳、尾美としのり、水島かおり、尾藤イサオ、入江若葉、日下武史、柴山智加、滝沢涼子、高橋かおり、天宮良、前田武彦、石田ゆり子、佐野史郎、南野陽子(特別出演)、勝野洋ほか。

巨大な寛永通宝の銭形砂絵があることで知られる香川県観音寺(かんおんじ)市を舞台とした青春映画である。
元々はクラシックに興味があったが、高校に入ったらロックをやると決めていた藤原竹良(あだなは「ちっくん」。林泰文)。無事高校に入学し、軽音楽部の門を叩くが、同じ1年生の白井清一(浅野忠信)は、「先輩達はロックを知らない」という。白井はベンチャーズなども弾けるため、すぐに意気投合。更に寺の息子である合田富士男(大森嘉之)、ブラスバンド部の大太鼓希望だったのを引き抜いてドラムを担当させることになった岡下巧(永堀剛敏)が加わり、ベンチャーズなどを演奏するバンド、ロッキング・ホースメンの下地が整った。夏の間は楽器を買うためのアルバイト。手に入れた楽器も全員がすぐに手に馴染み、先行きは明るい。演奏の練習をする場所がなかったりと苦労はするが、いくつかの叶わなかった恋や初恋のエピソードを交えながら、純粋に「良い」と思える青春映画に仕上がっている。

林泰文演じる藤原竹良が冒頭から自己紹介を始めとするナレーションやカメラ目線での傍白を行うなど、原作を生かした独特の演出が特徴である。藤原を始めとする登場人物達の途切れのないセリフはあたかも音楽のグルービングのようであり、それがベンチャーズの音楽へと結びついていく。また突然、想像(妄想)の世界へとトリップするというトリッキーな演出も見所である。

後半は、恋と文化祭での青春最高の輝き、そしてバンドの事実上の解散と大学受験へと向かう日々が描かれており、甘さと切なさが交錯する。同じく四国を舞台にした青春映画「がんばっていきまっしょい」が頭をよぎったりするが、スポ根路線でもある「がんばっていきまっしょい」とは違い、「青春デンデケデケデケ」は成長よりも高校生活という限られた月日をいかに濃密に存在するかに重点が置かれている。

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オルゴール版「悲しくてやりきれない」

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2020年4月20日 (月)

笑いの林(121) 「祇園ネタ」&祇園吉本新喜劇「レンタル彼女、貸し出し中!?」2015年3月14日

2015年3月14日 よしもと祇園花月にて

午後3時30分から、よしもと祇園花月で、「祇園ネタ」と祇園吉本新喜劇「レンタル彼女、貸し出し中!?」を観る。
祇園花月では現在、学割の他に、滋賀割り、名古屋割りという割り引きを行っている。滋賀割りは滋賀県は京都府の隣りだし、滋賀県住みます芸人のファミリーレストランが人気だということでやる意味がわかるのだが、名古屋割りはやっても集客出来るのかよくわからない。新幹線を使えば名古屋-京都間は40分ほどであり、近いといえば近い。ただ新幹線代は高いので、お笑いがその料金を払うに見合うものなのかは各個人の嗜好に寄るだろう。

「祇園ネタ」の出演者は、ジャルジャル、桜 稲垣早希、ギャロップ、千鳥、オール阪神・巨人(登場順)。

ジャルジャルは、コント「野球」。野球未経験の福徳が「野球部に入りたい」というので野球部キャプテンの後藤に入部申し込みにいくのだが……、というネタ。
福徳が野球を余りに知らないので後藤がイライラするというネタなのだが、現実離れし過ぎていて、観ているこっちもイライラしてしまう。ジャルジャルはいつもやるネタがシュール過ぎて笑えない。


桜 稲垣早希。「おねえさんといっしょ」をやる。三つ編みのカツラを新調したようだがブカブカで頭が大きく見える。おねえさんをやるときは帽子をかぶっているのだが、頭が大きいために帽子が落ちてしまい、かぶり直したとしてもまた落ちることがわかっているからか、落としたままで演じ続けた。

まず最初に、ネズミ講の話をして、お客さんに「お友達、何人いるかな?」と聞き、「100人」と答えが返ってきたので、「そのうち98人は本当の友達じゃないよ」と言ってしまう。

最後に「グーチョキパーの歌」を、オレオレ詐欺(振り込め詐欺)や闇金などのブラックな内容の替え歌にして歌うというネタをやったが、歌う前に「一緒にやってね!」とは言ったものの、熱心な早希ちゃんファンが一緒にフリをしているのを見て最後に、「本当にやっている人がいたよ! びっくりだよ!」と笑いに変えていた。


ギャロップ。「タクシーの怪談」をやる。毛利が怖い話をするのが得意ということで、毛利が女の幽霊に扮し、タクシードライバー役の林に「運転手さん、私の顔覚えてますか? 3年前にあなたのタクシーに轢かれた者です」と聞くが、林は「奇遇ですね、3年前に轢かれたタクシーをまた拾ったんですか? いやー、3年経っても捕まらないもんなんですね。警察は何をやっているんでしょう。そう考えると怖いですね」と違う意味の怖い話にしてしまう。
その後も「3年前」という毛利に、「いや、4年前です」と答えたり、「3年前のどの事故ですか? あの頃は当たりまくってまして。それも会社ぐるみで隠蔽しようということになりまして、いやー良い会社で(毛利から「悪い会社や」と突っ込まれる)バンパーもへこんでたのに新品にしてくれまして、ピカピカですわ」などと、林は変なタクシードライバーを演じてしまう。

逆に林が女の幽霊、毛利がタクシードライバーをやることになるが、林は移動距離が長すぎ、更に毛利の前を通過したりするため、毛利に「どんなタクシー乗っとんねん?! 車両幅ありすぎるわ! 4車線ぐらいある!」と突っ込まれるも、「それだけ幅があったら事故起こしますわ」ととぼけていた。

林は更に、何故かシャドーボクシングを始め、毛利に「なんでボクシングしてん?」と聞かれると、「ああ、幽霊だからこうですね」と指先を下げる幽霊の手つきでのシャドーボクシングに変えたりしていた。


千鳥。ノブが「二人とも岡山県出身で」と言ったところで笑った女性客がいたため、「いや、まだ笑うとこちゃます」と言う。

大悟は離島の出身であり、それもコンビニもない、信号もない、場所によっては携帯電話の電波も入らないというほどの僻地だという。ノブも「自分も岡山の中でも田舎の方だ」と言うが、大悟はノブに「上半身裸のお婆ちゃんが農作業をしているのを見たことがあるか」と聞き、ノブは「さすがにそれはない」と答える。大悟の小学校の同級生は大悟を含めても6名しかおらず。大悟は「サッカーをやると悲惨。3対3。キーパーを一人がやると2対2」ということで「サッカーでロングパスしかしたことがない」と語る。
「ただ6人で今も付き合いがある」と友情を語る大悟だが、同窓会の集まりで大悟の財布から1万円が抜かれたことがあったと語り、高橋も違う、高木もそんな奴じゃない、と来て「泥棒田泥男は」と大悟が言ったところで、ノブが「絶対そいつや!」と突っ込む。大悟は「泥棒田泥男は、頬被りをして手錠をしていて」などと脱獄中の姿をしていることを語る。

更に、合コンで盛り上がっている時に、屁の音がした。大悟は「大悟、屁こいたやろ?」と言われたので「俺じゃないねん」と言い、「そこで屁こきだ屁こ男に」と言ったところでノブから「そいつやて!」と突っ込まれる。

祖母の家の松の木が朝起きたら引っこ抜かれていたことがあったというが、「ジープに縄付けて松の木抜い太」という名前の男が出ていて、そいつに決まっているとう話になる。

二人の出身地に比べると、大阪も東京も、祇園の街も大都会だと二人は言い、「ただスポーツカーでスピードを競ったりするのが難点」だそうで、二人でスポーツカーでの路上レースを再現。信号が青になったらスタートになるのだが、赤信号が長すぎたり、大悟が交差点に来る前に誰かを轢いていたりという妙な展開になった。


オール阪神・巨人。巨人が阪神のことを「背低田チビ太」と、先程の千鳥のネタを真似して紹介する。

二人は和歌山県の老人ばかりが集まる公民館で漫才をやったことがあるのだが、お年寄りになると笑っているのか震えているのか見ていてもわからないという話になる。聞いてみたところ笑いながら震えていたそうだ。更にお年寄りはネタを本気にするそうで、巨人が阪神のことを「身長1mありません」などと紹介すると、「そうは見えんなあ」などと隣同士で囁き合いが始まってしまうという。更に身重差があるため「親子で漫才やってます」とボケても、「しっかりしたお子さんで」などと本気にしてしまうそうだ。

地方に行くと、自由席で、子どもがばかりが前に集まってきてしまい、漫才中に阪神に直接語りかけてしまうというのも困りものだという。
ここで阪神が、「ワイルドだろう」と、スギちゃんの真似をする。スギちゃんは小学校の卒業文集に「将来、オール阪神・巨人さんのようになりたい」と書いていたそうだが、当の二人は「一人ではなれんな」と言う。巨人は阪神に「お前は、ワイルドでもマイルドでもない。チャイルドやで」と言ったので、阪神は「この間、小学校5年生の子と喧嘩したぜい。負けたぜい。チャイルドだろう」というネタをやる。巨人が「なんで小学校5年生と喧嘩になったん?」と聞くと、阪神は「メンチ切った」と答えるが、巨人が「そんな小学生おるん?」と再び聞いたことからグダグダになる。

阪神の母親は日本の女性警官第1号の一人だが59歳で早世。一方、巨人の母親は95歳で大往生だったそうだが、下半身に緩みが来るそうで、失禁することも多かったという。ただ巨人は「汚いことは綺麗な言葉を使って言わないとあかん」ということで、「お小水をお漏らしになられました」などとやり過ぎと思えるほど丁寧な表現にして阪神にも言わせるのだが、「設定を変えた方がいい」ということで、阪神は、パチンコ屋の呼び込み、デパートのアナウンス、「まんが日本昔話」などを真似た口調で語る。
阪神が巨人の真似も上手いということで、巨人が「一人で巨人・阪神出来るんちゃう?」と言い、阪神は一人二役で「まんが日本昔話」を語るだが、途中で巨人から「話がどんどん面白くなくなってきてる」と一刀両断にされた。


吉本新喜劇「レンタル彼女、貸し出し中!?」。出演:川畑泰史(座長)、Mr.オクレ、信濃岳夫、青野敏行、清水けんじ、帯谷孝史、中條健一、末成由美、前田真希、いちじまだいき、やまだひろあき、清水啓之、はやしよしえ。

花月ホテルが舞台である。普段の吉本新喜劇に比べるとお洒落なセットが組まれている。

清水啓之が、はやしよしえとデートをしているのだが、実は二人は本当のカップルではなく、中條健一が経営する人材レンタル会社に登録しているはやしよしえを清水啓之がレンタル彼女として貸して貰っていたのだった。

花月ホテルであるが経営が厳しく、ホテルを吉本不動産の帯谷孝史(お約束としてポットに間違われる)に売却する話が出ていた。花月ホテルの社長は青野敏行であるが、ホテル主任の川畑泰史は青野のことを影で「馬鹿社長」などと呼んでいる。だが、川畑が青野の悪口を言っている間に、当の青野が川畑の後ろに来ていた。青野は川畑に「私のことを影でそんな風に呼んでいるのか」と問いただすが、川畑は「表でも呼んでおります」と開き直ったり、「呼んでいるのは小薮、茂造、すち子です」と他の座長の名前を挙げたりする。ここで社長秘書の清水けんた(清水けんじ)が「社長の結婚式の披露宴で焼きそばが出た」という話をし、川畑も信濃も清水けんたも「それは馬鹿でしょう」という結論に至る。青野は実際の披露宴でも焼きそばを出したそうで、引き出物も焼きそばUFOだったという。焼きそば好きらしい。ということで、青野は「焼きそば」という言葉でいじられることになる。

青野は川畑が独り者なのでクビにすると宣言。川畑は「偉い方から、常務からクビにするのが筋でしょう」と言うが、常務であるMr.オクレは親に妻に子どももいるのでクビには出来ない。独り者の川畑ならクビになって対して困らないというのが青野のいう理屈である。そこで川畑は人材レンタル会社のことを思い出し、レンタル母(末成由美)、レンタル妻(前田真希)、レンタル息子(いちじまだいき)を雇って解雇を免れようとするのだが……。

いちじまだいき、やまだひろあきの演技に対する舞台上での駄目出しがあるなど、アドリブだらけ。アドリブに出演者が笑い出してしまう場面も多く、やり直しても更にアドリブが加わるので余計に変な展開になってしまっていた。

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2020年4月19日 (日)

コンサートの記(635) 高関健指揮京都市交響楽団第588回定期演奏会

2015年3月29日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から京都コンサートホールで京都市交響楽団の第588回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任首席客演指揮者の高関健。

プログラムは、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」(ヴァイオリン独奏:滝千春)、ショスタコーヴィチの交響曲第8番。

開演20分前から高関によるプレトークがある。高関はモーツァルトのヴァイオリンのための作品がザルツブルク時代に集中しているのは、モーツァルトがザルツブルクの宮廷楽団でコンサートマスターとして活躍するなど、ヴァイオリンに接する機会が多かったためだと説明する。モーツァルトはその後、ザルツブルクのコロラド大司教と喧嘩してウィーンに飛び出すのだが、ウィーンでは主に自分で演奏するためのピアノ協奏曲やピアノ・ソナタなどを作曲したため、ヴァイオリン協奏曲などが書かれることはなくなったのだろうと推理する。

ショスタコーヴィチの交響曲第8番については、交響曲第7番「レニングラード」と対になる曲として知られるし、「レニングラード」が凱歌(とされるが本当の意図は不明)であるのに比べて陰鬱な曲調であると紹介し、交響曲第5番に似ていることに気付かれるとも思うと述べる。第1楽章ではかなり長く美しいイングリッシュホルンのソロがあるということにも触れる。

今日の京都市交響楽団のコンサートマスターは渡邊穣。フォアシュピーラーは泉原隆志。モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」の編成にはフルートもクラリネットも登場しないが、オーボエトップの位置に座ったのは首席奏者である高山郁子ではなくフロラン・シャレールであった。高山郁子はショスタコーヴィチのみの参加。フルート首席の清水信貴、クラリネット首席の小谷口直子もショスタコーヴィチのみに加わる。

今日は古典配置での演奏。ヴァイオリン両翼で、コントラバスは最後部に横一列に並ぶ。


モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」。ヴァイオリン独奏の滝千春は、2001年にノヴォシビルスク国際ヴァイオリンコンクール・ジュニア部門で優勝、2002年にメニューイン国際ヴァイオリンコンクール・ジュニア部門第1位、2006年にオイストラフ国際ヴァイオリンコンクール第3位などの経歴を持つ若手ヴァイオリニスト。桐朋女子高校音楽科、チューリッヒ音楽大学を経て、現在はベルリンのハンス・アイスラー芸術大学在学中である。

滝のヴァイオリンであるが、独特の甘美な音色を持ち味とし、今の季節や彼女の名前とは関係がないが春風のように爽やかなヴァイオリンを奏でる。

高関はこの曲はノンタクトで指揮。きっちりとした指揮であるが、彩り豊かでノリの良い演奏を京響から弾き出す。なお、モーツァルトの時代には弦楽5部の曲であっても、当時の弦楽器は今ほど大きな音が出なかったことから、楽譜には記されていなくてもファゴットで低音を形作るのが通例、というよりファゴットが加わるのが当たり前だったためファゴットのパートが書かれなかったという解釈に基づき、ファゴットを加えての伴奏となった。


ショスタコーヴィチの交響曲第8番。演奏される機会の比較的少ない曲だが、京響は数年前に沼尻竜典の指揮で演奏している。

第1楽章から、弦楽の透明感に驚かされる。透明なだけでなくボリュームもある。京響の弦楽は絶好調であり、管もそれに負けていない。

第3楽章の疾走感のある阿鼻叫喚の世界から沈鬱な葬送行進曲(第4楽章)、諧謔的な旋律が登場し、爆発を経て、交響曲第7番「レニングラード」第1楽章のおどけた旋律を連想させる音の進行で静かに終わる第5楽章。この3つの楽章は連続して演奏されるのだが、高関と京響はショスタコーヴィチがこの曲に込めたメッセージを詳らかにしていく。

高関は第4楽章のみノンタクトで振ったが、ソヴィエト共産党によって粛正された人々へのレクイエムのような哀切なメロディーを切々と歌い上げていた。

第5楽章の爆発力も凄まじく、その後もスターリン独裁下で粛正された人々への鎮魂と祈りのような旋律が続き、曲は静かに閉じられる。
ちなみにこの曲は1943年に初演されており、スターリンはまだ存命中である。交響曲第8番は一応は赤軍の闘争と勝利を描いたものだと作曲者は述べているが、スターリン圧制下で率直な発言をしたとは考えられない。以前は交響曲第7番のタイトルである「レニングラード」(ただし忠実にはレニングラード攻防戦を描いたからではなくレニングラード市に献呈されたためにこの名がある)に対して交響曲第8番は「スターリングラード」というタイトルで呼ばれたこともあった。だた、今はこの曲を「スターリングラード」と呼ぶ人はほとんどいない。

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武満徹作曲 荒木一郎 「めぐり逢い」

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2020年4月18日 (土)

これまでに観た映画より(165) 「鉄道員(ぽっぽや)」

録画しておいてまだ観ていなかった日本映画「鉄道員(ぽっぽや)」を観る。降旗康男監督作品。原作:浅田次郎。出演:高倉健、大竹しのぶ、広末涼子、吉岡秀隆、安藤政信、志村けん、奈良岡朋子、田中好子、中本賢、小林稔侍ほか。主題歌の「鉄道員(ぽっぽや)」を作曲したのは坂本龍一。作詞は奥田民生で、歌唱は坂本龍一の娘である坂本美雨である。

生涯を鉄道員(ぽっぽや)として過ごした佐藤乙松(高倉健)の物語である。

北海道。D51の釜焚きからスタートして、機関士見習い、機関士を経て幌舞駅(架空の駅である)駅長となった佐藤乙松。雨の日も雪の日も、ホームに立って人々を向かい入れ、列車を見送る生活を送っている。ドラマは乙松の現在と過去を行き来する形で進んでいく。過去は灰色がかった映像になるが、全体として温かい感じの画像となっている。全編を通して、乙松の妻の静江(大竹しのぶ)がよくハミングしていた「テネシーワルツ」が流れ、郷愁をくすぐる。

鉄道員であることが生き甲斐であり、静江の死に目にも、幼くして亡くなった雪子の最期にも立ち会えなかった乙松。二人が死んだ日もともに日誌には「異常なし」と記した。プロの駅長であった。
かつて炭鉱の街として賑わった幌舞であるが、今は石炭も取り尽くされ、老人ばかり200名が住む限界集落となっている。若い人もいるにはいるが少数派である。幌舞駅も幌舞に向かう幌舞線も廃止が迫っていた。

幌舞の炭鉱が閉鎖される直前に、筑豊炭田から流れてきた期間工・吉岡肇を演じているのが志村けんである。志村けんが映画に出演したのはこれが唯一となるようだ。出番は余り多くないが、息子の敏行が幌舞駅前のだるま食堂の加藤ムネ(奈良岡朋子)の養子となり、後にボローニャでの修行を経て「ロコモティーヴァ(機関車)」という名のイタリアレストランを開くことになる(成長した敏行を安藤政信が演じている)など、橋渡しとして重要な役割を担っている。考えてみれば駅も駅長も橋渡しの役割である。
本当は敏行を養子にしてぽっぽやを継がせたいという思いが静江にはあったのだが、体の弱さなどの事情からムネに譲ることになった。登場人物は自身が主役になるのではなく見送る人が多い。ただ結果として、ぽっぽやは形を変えて受け継がれることになる。

機関士時代からの戦友である杉浦仙次(小林稔侍)は定年後にトマムのリゾートホテルへの就職が決まっており、同じく定年を迎える乙松にも一緒に来るよう提案するのだが、乙松は生涯一鉄道員、鉄道員以外何も出来ない男として生きることを誓っており、翻意はしない。

頑固で不器用であり、そんな自分に嫌気も差していた乙松だが、そこへ3人の少女が現れる。それは一種の奇跡であり、肯定であった。


若い頃の広末涼子は透明感抜群で才気が漲っているという感じである。こうした女優がその後、紆余曲折の女優人生を送ることになるのだから人生は上手くいかない。この頃の彼女は甘い人生設計を思い描いていることを明かしていたが、その直後に蹉跌が待っていた。

佐藤乙松の生き方は高倉健の俳優としてのあり方そのものであり、この映画が高倉健そのものの魅力を描いたものになっていることは間違いない。自身のことを「不器用ですから」と言っていた高倉健も生涯一鉄道員ではなく、生涯一俳優として人生を生き抜いた。


降旗康男監督は昨年他界、高倉健も6年前に世を去り、先日、志村けんも旅立った。田中好子もその死からもう9年が経とうとしている。みんな行ってしまった。
結局のところ、この世にあっては私もまた見送る人だということであり、人生の本質が凝縮された映画であるともいえる。

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2020年4月17日 (金)

坂本龍一 「High Heels」

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2020年4月16日 (木)

配信公演 「白井あさぎ七回忌追善 春青能『半蔀・立花供養』」YouTubeライブ(文字のみ)

2020年4月11日

午後3時から能公演「白井あさぎ七回忌追善 春青能『半蔀・立花供養』」YouTubeライブ公演を観る。

春青能実行委員長である白井孝明の娘で、6年前に19歳の若さで亡くなった白井あさぎの追悼公演である。京都市中京区にある冬青庵能楽堂での上演。


演目は、舞囃子「田村」、仕舞「弱法師」、能「半蔀・立花供養」


舞囃子「田村」を演じる青木真由人。立命館宇治高校の1年生という若手である。坂上田村麻呂を主人公にした「田村」のハイライト上演。
かなり前まで出ての上演であるが、坂上田村麻呂が征夷大将軍という高い身分に就いていたからかも知れない。
青木真由人は若いので、謡などは様になっていない感じだが、動きは切れがある。


片山九朗右衛門らによる「弱法師」を経て、「半蔀・立花供養」が上演される。「弱法師」上演の後で舞台が消毒された。


「半蔀」は「源氏物語」に登場する夕顔を描いた能である。夕顔が六条御息所の生き霊に取り殺される場面はとても有名であり、教科書などにも採用されているため、「源氏物語」の知識がなくても夕顔の名を覚えている人は多いはずである。青木道喜ほかによる上演。

第一場の舞台となっているのは雲林院。今は場所も移転して大徳寺の塔頭となっている小さな寺院であるが、以前は天台宗の大寺院だったという。私も大徳寺からの帰り道に寄ったことのある寺院である。紫式部自身がこの近くの生まれという説があり、また大寺院時代の雲林院は「源氏物語」にも登場する。

雲林院の僧侶が立花供養を行おうとすると、謎の女性が現れ、夕顔の花の話をして去って行く。

第二場では、女性の正体が「源氏物語」に登場する夕顔であろうと悟った僧侶がいにしえの五条御殿の辺りに出掛け、半蔀の後ろに姿を現した夕顔の幽霊から光源氏との思い出を聞かされるという内容である。

元々能の謡は聞き取り憎いが、第二場に入ってから一層聞き聞き取りづらくなったため、Kindleで「半蔀」の謡曲本を買ってダウンロードし、本を追いながら観る。専門用語が多く、確かにこれでは聴いただけではわからないだろう。
ただ本をダウンロードしたおかげで、なぜここで舞が入るのかといったことまで推測出来るようになる。画面にタッチすれば索引まで飛んで戻ってこられるため便利だ。


その後、「田村」の謡曲本もダウンロード。伊勢国鈴鹿の鬼神を清水寺の開基でもある坂上田村麻呂が退治する話であり、最後は清水寺の観音の仏力によって鬼神が退治される。今の状況で上演されるのに相応しい演目でもある。

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2020年4月14日 (火)

一定額以上の募金者のための日時不確定オーケストラプレミアム公演複数回券構想

 オーケストラが未来に行う定期演奏会のチケットを指揮者も曲も決まらない状態で売るという未来チケット話を以前書いたわけですが、今度は定期演奏会でないコンサート、特別コンサートと書いて良いと思われますが、そのチケットを提供するという案を書きます。名付けて「一定額以上の募金者のための日時不確定プレミアム公演複数回券構想」。今は、オーケストラの事務局も時間短縮営業をしていたり閉鎖されたりで、この案自体が今はその時ではない状況となっているのですが。

 対象となるのは、一定額の以上の募金をされた方や組織の社員などです。個人だけだとコンサートホールの大きさによっては客席を埋めることが難しくなることも考えられますので、企業などに所属する方も含めます。その方々を招待するコンサートです。

 年に4回。1つの季節につき1回が理想的だと思いますが、紙のチケットではなくプラスチックのカードにするか、あるいはスマホのアプリとして入る電子チケットなどが良いと思われますが、4回通し券のチケットを配布します。1年、もしくはもっと未来の公演です。指揮者はそのオーケストラのシェフが良いと思われますがこれも未来のことですので決めなくても良いでしょう。日時や演目も後で決めます。当然ながら「その日は行けない」という方が多数出てくると思われますが、4回分のチケットで定額制なので、そもそも毎回来られることを想定していないコンサートです。4回全てに訪れても1回だけであっても一定額以上の募金をした方対象なので、チケット自体が無駄になるということはありません。当然ながら4回全てに参加する方がお得だとは思いますが。仮に1回も来ることが出来なかったとしても、それは募金という本来は無償の好意へのお礼ですので、その時はご勘弁いただくという姿勢で良いでしょう。

 募金額について1万円以上というのが適当だと個人的には思うのですが、応募者殺到の場合は抽選制にするか、あるいは現時点での個々の募金額を見て決定しても良いと思われます。

 いずれにせよ今の危機を乗り越えて未来で恩を返すというシステムです。先取りであります。その日が来るまで、確実にオーケストラが存在している可能性を高めるための一種の回向です。

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2020年4月13日 (月)

コンサートの記(634) 太田弦指揮 大阪交響楽団第31回いずみホール定期演奏会

2018年10月17日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後7時から、大阪・京橋のいずみホールで大阪交響楽団の第31回いずみホール定期演奏会を聴く。


午後6時30分開場と、クラシックの演奏会にしては開場時間が遅めなので、大阪城に向かう。山里郭で秀頼公・淀殿自刃の地碑に手を合わせた後、本丸を横切って豊國神社に参拝。鳥居の横の木が何本か倒れているが、台風21号によって倒されたものだと思われる。

大阪城本丸にある大阪市立博物館が内部改修を経てミライザ大阪城としてリニューアルオープンしている。1階にタリーズコーヒーと土産物屋、2階と3階にレストランが入っている。レストランメニューは高そうなので、今日はタリーズコーヒーでブラッドオレンジジュースを飲むに留める。

京橋花月がなくなり、シアターBRAVA!も閉鎖(跡地には読売テレビの新社屋が建設中である)いずみホールも改修工事が行われていたということで、京橋に来る機会が減ってしまっていた。

大阪交響楽団の第31回いずみホール定期演奏会。1日2回同一演目公演であり、昼公演が午後2時開演、夜公演が午後7時開演である。

指揮は今年24歳という、若手の太田弦。

曲目は、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:チャン・ユジン)とシベリウスの交響曲第2番。


太田弦は、1994年、札幌生まれ。幼時よりピアノとチェロを学び、東京芸術大学音楽学部指揮科を経て同大学大学院音楽研究科指揮専攻修士課程を修了したばかりである。2015年、東京国際音楽コンクール指揮部門で2位に入り、聴衆賞も受賞している。指揮を尾高忠明、高関健に師事。山田和樹、パーヴォ・ヤルヴィ、ダグラス・ボストックらにも指揮のレッスンを受けている。


いずみホールであるが、大幅改修というわけではないようである。だた、身体障害者用トイレが新設されており、ユニバーサルデザインに力を入れたようだ。


今日のコンサートマスターは森下幸路。ドイツ式の現代配置での演奏である。


チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。
ソリストのチャン・ユジンは、韓国出身の若手女性ヴァイオリニスト。9歳でKBS交響楽団やソウル・フィルハーモニー管弦楽団と共演し、11歳でソロリサイタルを開催という神童系である。2004年にメニューイン・コンクールで3位入賞、2009年のソウル国際音楽コンクールで4位に入り、マイケル・ヒル国際ヴァイオリンコンクールで第2位入賞と聴衆賞を得て、2013年には名古屋で行われた宗次エンジェル・ヴァイオリンコンクールで優勝している。2016年には仙台国際音楽コンクールのヴァイオリン部門でも優勝を果たした。
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を十八番としており、「炎のヴィルトゥオーゾ」と呼ばれる情熱的な演奏スタイルを特徴とするそうである。

指揮者の太田弦であるが、童顔であり、十代だと言われても通じそうであるため、見た目はいささか頼りない。全編ノンタクトで指揮する。

独奏のチャン・ユジンであるが、ヴィルトゥオーゾ的な演奏スタイルである。音楽に挑みかかるような演奏を聴かせ、情熱的であるが没入的ではなく、適度な客観性が保たれている。

今日は前から2列目の上手寄り。1列目には発売されていないため、実質最前列での鑑賞である。この席は音が散り気味であり、オーケストラを聴くには余り適していないように思われる。太田は若いということもあって「統率力抜群」とまではいかないようである。


チャンのアンコール演奏は、ピアソラのタンゴ・エチュード第3番。温かみと切れ味の鋭さを共存させた演奏であり、今日の演奏会ではこれが一番の聞き物とあった。


シベリウスの交響曲第2番。太田はやや速めのテンポで演奏スタート。
金管の鳴らし方に長けた指揮者であり、伸びやかで煌びやかな音像を描く。一方で、金管を鳴らし過ぎたためにバランスが悪くなることもある。
若手らしい透明感のある演奏で、ヴァイオリンの響きの築き方などはかなり巧みな部類に入る。そのために影の誇張はなく、第2楽章や第4楽章では単調になる嫌いあり。
第4楽章でもクライマックスで音が飽和してしまい、音型が確認出来なくなったりしたが、ラストのまさにオーロラの響きのような音色の豊かさは印象的である。二十代前半でこれだけのシベリウスを聴かせられるなら将来有望だと思われる。

拍手に応えた太田は、最後は総譜を閉じて「これでおしまいです」と示してコンサートはお開きとなった。


大阪交響楽団のパンフレットは、月1回の冊子という、NHK交響楽団や読売日本交響楽団と同じスタイルを取っているが、ミュージック・アドバイザーの外山雄三の回想が連載されているなど、興味深い内容の記事が多い。

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2020年4月11日 (土)

大林宣彦&FRIENDS 「草の想い」




作詞:大林宣彦、作曲:久石譲

Vocal:大林宣彦&久石譲

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2020年4月10日 (金)

配信公演 金沢能楽会 半能「船弁慶」(文字のみ)

2020年4月5日

金沢能楽会が、本日予定されていた石川県立能楽堂での公演が中止になったのを受けて、半能「船弁慶」の無観客上演YouTubeライブ配信を行う。宝生流での上演。出演:シテ(平知盛の亡霊):宝生和英、ワキ(武蔵坊弁慶):殿田謙吉、子方(源義経):渡邊さくら、ワキヅレ(家臣):渡貫多聞、間狂言(船頭):炭光太郎ほか。

午後5時開演の予定だったが、金沢能楽会がYouTubeチャンネルを開設したばかりということもあり、配信に不具合が出たため少し遅れてのスタートとなった。

半能ということで後半のみの上演。尼崎の大物浦が舞台である。船出した源義経一行が平知盛の怨霊によって行く手を遮られ、難破しそうになったところを武蔵坊弁慶が仏力にて調伏するという話である。

科学が発達していなかった頃は、疫病は怨霊の祟りと考えられていた。ということで今上演するのに最も相応しい演目の一つである。

無人の能楽堂で上演される半能「船弁慶」は、あたかも宗教儀式のような厳かさが感じられる。人々が現代より死に近い時代を生きていた頃の切実さを、この状況にあってはより鮮明に受け取ることが出来たように思う。

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2020年4月 9日 (木)

コンサートの記(633) 川瀬賢太郎指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2016 ~こどものためのオーケストラ入門~ 「オーケストラ・ミステリー」第1回「オーケストラの秘密~ヒット曲にはわけがある!?」

2016年6月19日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2016 ~こどものためのオーケストラ入門~「オーケストラ・ミステリー」第1回「オーケストラの秘密 ~ヒット曲にはわけがある!?」を聴く。指揮は川瀬賢太郎。

こどものためのオーケストラ入門とあるが、選曲は比較的マニアックなものが多く、親子でも楽しめるようになっている。というより曲目に期待して、子供連れでもないのに来ている私のような人の方が多い。


現在、神奈川フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者と名古屋フィルハーモニー交響楽団の指揮者を務める川瀬賢太郎は1984年生まれの若手指揮者。私立八王子高校芸術コースを経て、広上淳一に師事するために東京音楽大学指揮科に進学、広上の他に、汐澤安彦、チョン・ミョンフンらにも指揮を師事している。広上の弟子ということで、京都市交響楽団にも何度か招かれており、また広上も川瀬が常任指揮者を務める神奈川フィルに客演を続けている。

今日のナビゲーターはガレッジセールの二人。


曲目は、ジョン・ウィリアムズの「オリンピック・ファンファーレとテーマ」、マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲、ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」より「アナキンのテーマ」&「ダース・ベイダーのテーマ」、モーツァルトのピアノ協奏曲第21番より第2楽章(ピアノ独奏:三浦友理枝)、エルガーの行進曲「威風堂々」、ベートーヴェンの交響曲第5番より第1楽章、ハイドンの交響曲第90番より第4楽章、レスピーギの交響詩「ローマの松」から第4曲「アッピア街道の松」

今日の京都市交響楽団のコンサートマスターは渡邊穣。泉原隆志は降り番でフォアシュピーラーに尾﨑平。オーボエ首席奏者の髙山郁子は全編に渡って出演。小谷口直子は「スター・ウォーズ」の音楽からの参加となった。


ジョン・ウィリアムズの「オリンピック・ファンファーレとテーマ」。川瀬が生まれた1984年のロサンゼルス・オリンピックのためのファンファーレとして書かれたものである。ちなみに川瀬は12月生まれであるため、ロス五輪の行われた夏にはまだ生まれておらず、「お腹の中でこの曲を聴いていた」と話す。
数あるオリンピック・ファンファーレの中でも最も有名と断言しても良い1984年ロス五輪のファンファーレ(日本人は1964年の東京オリンピックのファンファーレの方が馴染みがあるかも知れないが)。
川瀬は広上の弟子(つまりレナード・バーンスタインの孫弟子)ということもあってダイナミックな指揮をする。京響のブラスが輝かしい音色を奏でたということもあって華やかな演奏になった。
演奏が終わってからガレッジセールの二人が登場し、ゴリが川瀬に「これまで見た中で一番ダイナミックな指揮。海老反りになるところなんか、袖でスタッフさんが、『広上さんだったらぎっくり腰になってる』って言ってましたけど」と言う。実は広上は90年代には今の川瀬よりも派手な指揮をしていたのだが(90年代後半にNHK交響楽団の定期演奏会に客演した際には、グリーグの『ペール・ギュント』より「アニトラの踊り」で、本当に指揮台の上でステップを踏んで踊っていた)、「首や腰をかなりやられてまして」(広上談)ということで、最近は以前よりも抑えた指揮になっている(それでもまだまだ派手ではあるが)。
ゴリも、「この84年のファンファーレがオリンピックのファンファーレの中で最も有名なんじゃないか」と述べる。とにかくよく知られた曲である。


マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲。歌劇自体も上演されることはあるが(原作がありきたりな決闘を題材にした三文短編小説で筋書きも単純ということもあり、舞台に掛けられる頻度はそう多くはない)とにかく間奏曲が美しいというので有名である。
川瀬指揮の京響はリリシズム満点の演奏を展開。広上の時代に入ってから、京響の弦は本当に音の抜けが良くなった。
演奏終了後に出てきたゴリは、「優しい! 優しい旋律! これならヒットする」と断言する。

ガレッジセールの二人が、「クラシックの作曲家もポピュラーの作曲家同様、ヒットを狙ったりするんですか?」と聞く。川瀬は、「クラシックの場合、作曲家が亡くなってしまっていることが多いので、真意を確かめることは出来ないのですが」と断りを入れた上で、「心に残る曲を書く努力や工夫はしたと思います」というようなことを述べ、「ヒット狙い」と断言することはなかった。

続いて、ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」から、「アナキンのテーマ」と「ダース・ベイダーのテーマ」。有名なメインテーマは敢えて外したというが、ゴリが「台本にトランペットがメインテーマを奏でると書いてます」と言う。トランペットの3人がゴリの表現を借りると「『聞いてないよ』って感じですけれど」というそぶりで否定するので、「いや、台本に書いてあるんですけど」と言って台本に書かれた文字を読み上げる。ということで、早坂宏明、西馬健史、稲垣路子の3人のトランペット奏者による「スター・ウォーズ」メインテーマ冒頭。和音が微妙だったがまあまの出来であった。
アナキン(アナキン・スカイウォーカー)はダース・ベイダーの幼児期から青年期までの名前である。優秀なジェダイになることを期待されながら自惚れや身勝手な振る舞いによって身を持ち崩し、ダークサイドへと落ちていくことになる。
「アナキンのテーマ」は美しい音楽だが、ラストで「ダース・ベイダー」のテーマが長調ではあるが顔を出す。
「ダース・ベイダーのテーマ」は一度も聴いたことがないという人を探す方が困難なほど知られた曲。
いずれも若々しく、推進力に富んだ演奏であったが、ゴリが「ダース・ベイダーの音楽を聴いて和田アキ子の姿が目に浮かんだ」と言う。川瀬は、「ジョン・ウィリアムズという作曲家は映画のキャラクターと音楽を結ぶ付けるのがとても得意な人で、ダース・ベイダーもジョン・ウィリアムズの音楽と一体であり、今の音楽でなかったらイメージが変わっていたかも知れない」と語った。


三浦友理枝をソリストに招いての、モーツァルト、ピアノ協奏曲第21番第2楽章。設置変換のために楽団員が退場したのだが、ゴリは「ここでストライキに入りました」とボケる。
三浦によると、ピアノ協奏曲は沢山あるが、頻繁に取り上げているものは3曲か4曲だという。三浦が一番弾いた回数が多いのはショパンのピアノ協奏曲第1番だそうである。
最近のコンサートで人気のピアノ協奏曲というと、なんといってもラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。1年に1回は必ず聴く。ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番も映画「シャイン」の影響もあって演奏回数が増えているが、他のピアノ協奏曲の王道というと、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」、ブラームスのピアノ協奏曲第2番、グリーグのピアノ協奏曲にシューマンのピアノ協奏曲、そして20世紀を代表してラヴェルのピアノ協奏曲も取り上げられることが増えている。モーツァルトのピアノ協奏曲も傑作揃いなのだが、曲数が多いということもあって特定の協奏曲に人気が偏るということは余りない(20番台がやはり人気だが)。

モーツァルトのピアノ協奏曲第21番第2楽章は、スウェーデン映画「みじかくも美しく燃え」のメインテーマとして使われたことでも有名である。心中に至るラストシーンが有名であり、これは以前にも何度か書いているが北野武監督の映画「HANA-BI」のラストで完全に同じ手法が用いられている。偶然ではなく、「みじかくも美しく燃え」へのオマージュであろう。


若手ピアニストの三浦友理枝。2005年にイギリスの王立音楽院ピアノ科を首席で卒業、同大学院も首席で修了している。2001年に第47回マリア・カナルス国際音楽コンクール・ピアノ部門で優勝、2006年には第15回リーズ国際ピアノコンクールで特別賞を受賞している。

その三浦のピアノであるが、煌めきがもう一つ。モーツァルトのピアノ協奏曲第21番第2楽章の典雅さの裏に隠された痛切さの表出も余り感じられなかった。技術は達者なのだけれど(モーツァルトのピアノ協奏曲は技術的にはそう高度ではない)。
川瀬指揮の京響は音の移り変わりを巧みに描き出す演奏。京響は創設当初に「モーツァルトの京響」と呼ばれており、モーツァルトには今も思い入れがある。


後半、エルガーの行進曲「威風堂々」第1番。迫力溢れる演奏である。川瀬の指揮もわかりやすい。「イギリス第2の国歌」といわれる中間部はもっとノーブルに歌えると思うが、今のままでも十分である。
ゴリは、「CMでよく耳にする。だからヒットしているように感じる」と述べ、川瀬もメディアの影響は否定しなかった。ゴリは「エルガーもまさか、味の素のCookDoのCMに自分の曲が使われるとは思っていなかったでしょうね」とボケる。


ベートーヴェンの交響曲第5番。川瀬は「運命」をタイトルではなくニックネームだと述べる。ベートーヴェンの交響曲第5番が「運命」と呼ばれるようになったきっかけは、ベートーヴェンの弟子のシントラー(シンドラー)という人物が、交響曲第5番の解釈の鍵になるものを聞いたところ、ベートーヴェンが「運命はこのように扉を叩くのだ」と答えたという話が元になっている。だが、このシントラー、虚言癖の持ち主である上に、ベートーヴェンのスコアにベートーヴェンの死後、勝手に手を加えたことがわかっているなど、「信用できる人物ではない」ということで、「運命」というタイトルも欧米では保留になっている。川瀬によると研究は更に進んでいて、ベートーヴェンが交響曲第5番を書き、演奏していた時期にはまだシントラーはベートーヴェンと出会ったいなかった可能性が高いという。
ベートーヴェンの弟子にピアノの教則本を書いたことで知られるツェルニーがいるが、ツェルニーは比較的早い時期からのベートーヴェンの弟子であり、ツェルニーによると、「運命主題」と呼ばれるものは「鳥の鳴き声を模して作ったものだ」とベートーヴェンは語っていたという。歴史にちょっとした狂いが生じていたらベートーヴェンの交響曲第5番のタイトルは「鳥」になっていたかも知れないそうだ。
ただ基本的にはベートーヴェンの交響曲第5番はわずか4つの音で大伽藍を築き上げるという、当時としては「実験的」とも呼んでいい大作である。

ベートーヴェンの交響曲第5番が書かれたのは200年ほど前のこと。ということで、ゴリも川瀬も「200年以上ヒット曲であり続けている凄い曲」だと再認識する。
ベートーヴェンの交響曲第5番は1拍目が休止なので入りが難しいのだが、川瀬は二つ小さく振った後で、大きく振りかぶり、両手を下に降ろして止めたところで最初の音を出させた。
ビブラートは控えめだが、余りピリオドらしくはない演奏である。「ピリオドの要素も少しだけ取り入れてみました」という程度である。
スケールはそれほど大きくないが構造把握のしっかりした演奏である。もっと獰猛さがあっても良いと思うがそれはこれからの課題だろう。

川瀬もガレッジセールの二人も、「これからも200年、いや今後500年以上もヒットする傑作だと思います」というところで意見が一致した。


ハイドンの交響曲第90番より第4楽章。実は、この曲、終わったと見せかけてまだ続くという仕掛けのある曲である。繰り返し記号があるため終わったと勘違いさせる場所は2回ある。
川瀬によると4小節分空白があるそうで、当時の音楽を聴きながら居眠りをしている貴族の挑戦なのではないかという。
ちなみに、川瀬もコンサートを客席で聴くことがあるそうだが、基本的に寝てしまうそうで、「音楽を聴くと眠たくなるタイプの人間らしい」(指揮者の故・岩城宏之もそうした癖の持ち主だった)。
ただ作曲家としては自分の曲を演奏している間に寝る客がいるのは面白くない。ということで、「告別」や「驚愕」のような仕掛けのある曲を作ったり、交響曲第90番でも敢えて変わったことをやっているという。一種のユーモアなのだがブラックユーモアであり、川瀬はハイドンのそうしたブラックなところが好きなのだという。
ハイドンとレスピーギはガレッジセールは客席で聴いたのだが、ハイドンの演奏終了後、ゴリが「本当に終わりですか?」と聞きながらステージに戻ったりしていた。

ハイドンはベートーヴェンよりもピリオドの影響が強い演奏。流麗な演奏である。ちなみにニセのラストがあることが事前には知らされず、川瀬は音が消えると同時に客席の方を振り返り、拍手が起こるのを待ってから右手で第1ヴァイオリンに指示して演奏を続けた。
ブラックではあるが、聴衆を飽きさせないための工夫であり、それがヒットにも繋がると川瀬は分析する。

ちなみに、交響曲第90番をやっても、ニセのラストで拍手が起こらないことがたまにあり、そういう時には演奏家の方が気まずい気持ちになるのだが、後で確認すると、プログラムに「拍手の場所にご注意下さい」などネタバレが書かれているケースが大体だという。


ラストはレスピーギの交響詩「ローマの松」から第4曲「アッピア街道の松」。金管のバンダが活躍する曲だが、今日はバンダはパイプオルガンの前に陣取る。
迫力のある演奏である。川瀬の指揮も己の若さをオーケストラに浴びせかけるような激しさを持つ。
京響も熱演であり、若い指揮者による演奏としてはかなり良い出来だったのではないかと思う。


アンコール曲は、ヴェルディの歌劇「椿姫」より第1幕への前奏曲。オペラ的、物語的ではなかったかも知れないが繊細な演奏であった。

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2020年4月 8日 (水)

コンサートの記(632) 仲道郁代デビュー30周年ピアノ・リサイタル「ショパンがショパンである理由」京都

2016年6月18日 京都コンサートホール小ホール アンサンブルホール・ムラタにて

午後2時から、京都コンサートホール小ホール「アンサンブルホール・ムラタ」で、仲道郁代のデビュー30周年記念ピアノ・リサイタル「ショパンがショパンである理由」を聴く。オール・ショパン・プログラム。

今日の京都はこの時期としては酷暑。最高気温は34度で、あと1度高いと猛暑日になるという日差しの強さである。熱中症対策のため、帽子を被り、道中で何度も水分を補給しながらの外出となった。

京都コンサートホールに向かうために北大路通を歩いている時、60手前と思われる夫婦が人に「コンサートホールはどうやって行くんでしょう?」と聞いていたので、「私もコンサートホール行きますよ」と声を掛け、「仲道さん(のリサイタルに行かれるん)ですか?」と聞くと「そうです」というので、3人で向かう。


毎年、夏に「アンサンブルホール・ムラタ」でリサイタルを行っている仲道郁代。日本で最も人気のあるピアニストである。京都コンサートホール大ホールでリサイタルを開いても仲道クラスならかなりの入りになると思われるが、日本人ピアニストは「ムラタ」で、海外のピアニストは大ホールでというのが京都コンサートホールの基本であるようだ。
当然ながら、今日のピアノ・リサイタルのチケットは完売御礼である。

タイトル(尾崎豊が付けそうなものだが)からもわかる通り、ショパンの人生において画期をなす作品を取り上げたコンサートプログラム。ただ曲目としてはオーソドックスである。
演奏されるのは、前半が、ワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」、ワルツ第2番「華麗なる円舞曲」、ワルツ第3番「「華麗なる円舞曲」、ワルツ第4番「華麗なる円舞曲(小猫のワルツ)」、ワルツ第5番、ワルツ第6番「子犬のワルツ」、ワルツ第7番、ワルツ第8番。ショパンの生前に楽譜が出版された全てのワルツが並ぶ(ワルツ第9番「別れのワルツ」なども有名だが、ショパンの生前ではなく死後に出版されて人気曲になったものである)。

後半が、ノクターン第1番、ノクターン第2番、ポロネーズ第1番、ポロネーズ第2番、ポロネーズ第3番「軍隊」、ノクターン第20番嬰ハ短調(遺作)、ポロネーズ第6番「英雄」。


良くも悪くも典型的な日本人女性ピアニストである仲道郁代。最近の仲道は、丁寧な楽曲研究を行い、最新の学説なども取り入れた演奏を行う。今日の演奏も演奏曲は少なめだが、全曲に解説を入れてくれるため、大変勉強になる。ピアノ・リサイタルを聴いて一番の感想が「勉強になる」が良いことなのかどうかはわからないが。

ショパンの音楽には毒があり、その毒を巧みに引き出す名ピアニストもいるのだが、そうした演奏ばかり聴いているとこちらの精神もやられてしまう。仲道の場合、あっさりしているためショパンの毒が中和されて聴きやすくなる。こうしたショパン弾きも必要なのだ。


前半は桜色のドレスで現れた仲道。まずマイクを手に、「ショパン(仲道はフランス風にチョパンと発音することもある)がウィンナワルツを嫌っていたこと」を語る。ウィーンからポーランドの家族に宛てた手紙に「ウィンナワルツにはもううんざりだ」という一節があるそうだ。ショパンの生まれた当時のポーランドは列強によって分割統治されており、ポーランドは地域としてはあるが国名としては存在しないという状況だった。ショパンは二十歳の時に音楽留学のためにウィーンに向かうのだが、ショパンがポーランドを離れた数日後にワルシャワ蜂起が起こる(ショパンがワルシャワ蜂起計画に関わった一人であり、当局からマークされていたため、留学の名の下、亡命したという説がある。ショパンはその後2度とポーランドには戻らないのだが、「戻らなかったのではなく戻れなかった」という説を亡命説は後押ししている)。

ポーランドでは、何か祝祭的なことが始まる際に、決まった旋律が流れるという習慣があったそうで、それが他ならぬワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」の冒頭に単音で鳴らされるものだそうである。またポーランドの民謡の旋律なども取り入れられているようだ。ウィンナワルツとは違うワルツを作曲することでショパンは矜持を示したのかも知れない。
仲道の演奏は左手のリズムを強調するものだが、今日は前から4列目であったため、リズムの音が大きく聞こえてしまった。


ショパンがウィンナワルツを嫌ったのには理由があるそうである。ウィーンで音楽家としての生活を始めたショパンであるが、ウィーンを首都とするオーストリアは実はポーランドを分割統治していた国の一つであり、オーストリア人はポーランド人を見下す傾向があったという。ウィーンには亡命ポーランド貴族が数多くいたそうだが、彼らはショパンに「ウィーンでの成功は難しいのでパリに行く」よう勧めたようだ。ショパンの父親はポーランドに渡ったフランス人であり、ショパンにとっても父親の祖国に向かうというのは自然な選択であった。


パリに向かったショパンは画家のドラクロアや、パリに来ていたロシアの文豪・ツルゲーネフなどと交流し、男装の麗人として知られるジョルジュ・サンドと恋に落ちる。
パリでのショパンは、パリで最も高級な仕立屋にオーダーメイドの服を注文し、常に白い絹の手袋をしていて、しかも白い絹の手袋は一日使ったら捨てて、次の日は新しい白い絹の手袋をはめるといった調子で、衣装代がかさんだそうである。ちなみに白い絹の手袋はショパンだけが一日で使い捨てにしていたわけではなく、貴族階級の象徴で、パリで身分の高い人のほとんどはそういう習慣を持っていたそうだ。ちなみに映画の決闘シーンなどで見られる、「白い手袋を相手に向かって放り投げる」は最大級の侮辱行為だそうである。

ワルツ第2番では、仲道は他の演奏では聴いたことのない間を取る。そういう楽譜があるのか仲道個人のアイデアなのかは不明。

ワルシャワ蜂起の失敗を知ったショパンは練習曲第12番「革命」なども書いたが、ワルツ第3番も同時期に書かれたもので、ウィンナワルツと同じワルツに含まれるものとは思えないほど暗鬱な作風である。ショパンは音楽でため息をついたのだろうか。ショパンの暗さを仲道の音楽性が上手く中和している。

「小猫のワルツ」という名でも知られるワルツ第4番。ワルツ第6番が「小犬のワルツ」であるため、後に対抗する形で第三者によって命名されたものだ。
仲道のリズム感の良さが出ていたように思う。ただ、この曲に限らないが、右手の指が回りすぎるために左手が追いつかないという場面も何度かあった。

ワルツ第5番。優雅な作品であり、仲道の個性に良く合っていたように思う。


ワルツ第6番「小犬のワルツ」。明るい曲調であるが、仲道によると生まれつき病弱だったショパンの体調が悪化し、恋人であるジョルジュ・サンドとの関係も悪化の一途を辿っていた時期に書かれたものであるという。せめて音楽には希望を込めたかったのかも知れない。

ワルツ第7番は、ショパンの本音ともいうべきもので、全編がメランコリーに覆われている。

ワルツ第8番について仲道は、「調性の崩壊」という言葉を用いる。明るく始まるが、やがて短調へと移行し、その後、長調と短調がない交ぜになった混沌とした世界が現れる。


解説を入れながら演奏する仲道であるが、音楽そのものは純音楽的。文学的な表現をするには仲道のピアノはドレス同様淡彩である。

なお、仲道は長い間、ショパンのワルツに関して「軟弱なんじゃないか」「華麗すぎるんじゃないか」という偏見を持っており、積極的には取り組んでこなかったのだが、楽譜を読み込んで、ショパンの時代のピアノ(仏プレイエル製)を弾いて考えが変わったという。ということで仲道は新譜である「ショパン ワルツ集」のCDの宣伝をする。


後半、仲道は淡い水色のドレスに着替えて登場。

まずは、ノクターンについて「夜想曲と日本語で訳されていますが、とても良い訳だと思います」と述べ、「後半はサロンでの音楽はなくショパンの内面を語る音楽を集めてみました」と語る。

ノクターン第1番、有名な第2番は共に落ち着いた演奏。個性には欠けるが安心して聴くことが出来る。


そしてポロネーズ。ポーランドが生んだ舞曲である。ショパンはパリで音楽活動をし、一度も祖国ポーランドに戻ることはなかったが、彼の内面にはいつもポーランドがあった。父の祖国だからといって安易にフランス化せず、ポーランド人としての魂を持ち続けたことが「ショパンをショパンたらしめている理由」だと仲道は語る。ショパンの心臓はショパン本人の遺言によりワルシャワの教会に埋め込まれており、墓はパリにある。パリには眠っているが、心だけはポーランドにあるのだ。

ちなみに仲道は小学校5年生の時に子供部屋にステレオを置いて貰い、毎日寝る前にアルトゥール・ルービンシュタインの弾くショパンのポロネーズ集を聴いていたそうである。「聞いて頂けるとわかると思うのですが、とても眠れるような曲ではない」と仲道は笑いながら語るが、ポロネーズを聴いてショパンへの思いをはせていたのかも知れない。

ポロネーズ第1番は堂々とした音楽だが、ポロネーズ第2番はショパンらしい憂愁を帯びている。

仲道というと旋律を口ずさみながら(声は出さない)ピアノを弾くスタイルが有名であり、前半では口は閉じて演奏していたが、ポロネーズの演奏では全曲旋律を口で確かめながら演奏していた。

ポロネーズ第3番「軍隊」はショパン作品の中でもかなり有名なもの。仲道は「ポロネーズは軍隊の行進の曲ですが、この曲がそうした要素を最も良く表しています」というようなことを語る。スケールは大きくないが、良い演奏である。

本来は、続けてポロネーズ第6番「英雄」を弾く予定だったのだが、その前にショパンが祖国への憂いを綴ったとされる夜想曲第20番嬰ハ短調(遺作)が演奏される。映画「戦場のピアニスト」でテーマ音楽的に使われてから知名度が急速に上がった夜想曲第20番。ショパンのピアノ協奏曲第2番の旋律が登場することから、初期の習作とも見做されているが、仲道はそうではないという解釈のようだ。
演奏自体はオーソドックスなものである。悲しみが自然に滲み出ている。他のピアニストのような個性には欠けているが。
仲道によると、子供達を集めたワークショップで、ショパンの夜想曲第20番を弾いた際、子供達が書いたアンケートの中に「イライラしている」というものがあってハッとさせられたそうである。
祖国の悲劇に自分は全くの無力でしかないという苛立ちという意味だろうか。そうしたことが感じられるパッセージは確かにある。


ポロネーズ第6番「英雄」。程良いスケールによる演奏。仲道郁代はやはり中庸を行くピアニストだ。


アンコールの1曲目は、練習曲第3番「別れの曲」。この「別れの曲」というのはショパンの伝記映画のタイトルであり、テーマ音楽的に用いられたのが練習曲第3番で、以後、「別れの曲」というタイトルが付いた。
仲道は平均的なテンポで、一音一音を大切に弾いていく。「別れの曲」は冒頭は技巧的に比較的平易であり、私は楽譜の記号は無視してかなり速いテンポで弾いていた。私の話などどうでも良いが。


ラストはいつもアンコールで弾くという、エルガーの「愛の挨拶」のピアノ独奏版。歌い方に癖があるが、美しい演奏である。

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2020年4月 6日 (月)

オーケストラ定期演奏会 未来チケットの可能性を考える

 オーケストラには定期会員制度というものがあります。1年を通して同じ席で定期演奏会を聴けるという制度で、1回の定期演奏会におけるチケット料金も1回券よりも割安になります。私も1990年代後半に2年ほどNHK交響楽団の学生定期会員をやっていました。「今回は聴きたくないな」という曲や指揮者であっても損をしないためには聴きに行かなくてはならないというデメリットもあるわけですが。

 定期会員のチケットは1年分しか売ることは出来ません。会員が継続の意思を示せば、その席は1年分延長されます。
 さて、これらは当たり前のように思えますが、オーケストラの定期演奏会システムは、基本的に変更はありません。NHK交響楽団も3月定期をなくして地方演奏会を入れるなどの変更はありましたが、月に数回(地方オーケストラなどは1回)の定期演奏会があるというルーティンが繰り返されます。

 今、オーケストラは演奏会のキャンセルが相次いでいることで倒産の危機に瀕する団体も現れています。オーケストラはチケット料金だけでは運営出来ないのですが、1年先より未来のチケットを売ることでこの苦境に立ち向かえないか思うわけです。倒産しない限り、例えば「2023年の4月に定期演奏会はありますか?」と聞かれたとしても、「あります」と断言出来るシステムが取られているわけですので。

 例えば2021年4月から2024年3月までの3年間に行われる定期演奏会が年に10回あるとして、その半分、つまり5回の演奏会のS席で来年度は継続される可能性のない席を割引先行予約出来る「未来チケット」方式(私の思い付きで名付けたものなので検索しても出てきません)などはいいかも知れませんね。一種のプレミアムチケットです。3年分の良席を予め確保出来ることになります。今度年の席を継続する意思のある人も事前に3年分買うことが可能です。実際に売れるかどうかはわかりません。ただオーケストラの定期演奏会は他の舞台芸術と違ってこれが可能なシステムなのは確かです。国内オーケストラの定期演奏会のS席は関西だと6千円台から5千円台が相場。千円割引としても5千円台から4千円台。年5回、3年間で15回として、一人当たり7万5千円余りを事前に確保。千円割引はかなりの割引ですので実際はもっと収入は見込めます。 
 
 曲目や指揮者が分からない状態でチケットを買う人が多いとは思えませんので、勝算はないかも知れませんが、今のままのシステムでコロナ危機は乗り越えられません。上手くはいかないかも知れませんが何らかの工夫を凝らすが必要となって来ます。もっと良い方法を思いついたら、続きを書くことにします。

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2020年4月 5日 (日)

コンサートの記(631) 佐渡裕指揮ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団来日演奏会2016大阪

2016年5月28日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後2時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、佐渡裕指揮ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の来日演奏会を聴く。今日も3階席に陣取る。外来オーケストラは良い席は値段が高すぎて買う気になれない。外来オーケストラの料金設定が高いことが「クラシックコンサート=料金が高い」という誤解を生むもととなっている(基本的にはだが、日本の有名ポピュラーアーティストのコンサートの方が国内の一流クラシックコンサートに比べても料金が高めである)。

佐渡裕は海外ではパリのコンセール・ラムルー管弦楽団の首席指揮者を1993年から2010年まで長く務めていたが、2015年の9月からウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団(現在の正式名称は、「トーンキュンストラー管弦楽団」もしくは「ニーダーエスターライヒ・トーンキュンストラー管弦楽団」である。ウィーンのムジークフェラインザールでも定期演奏会を行っているが本拠地ではない)の音楽監督に就任。佐渡にとって海外で二つ目のチーフポストとなる。ウィーンでの活動が増えるため佐渡は「題名のない音楽界」の司会を卒業している。

ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の来日演奏会は、佐渡の前の前の同管弦楽団の音楽監督であったクリスチャン・ヤルヴィの指揮で聴いたことがある。ザ・シンフォニーホールでの公演であった(調べたらもう8年も前のことだった)。ベートーヴェンの交響曲第5番がメインであったが、聴いている間は「まあまあだ」と思ったものの、帰りに梅田駅まで歩く間にどんな演奏だったか思い出せなくなってしまった。
クリスチャン・ヤルヴィは大阪フィルハーモニーに客演してラフマニノフの交響的舞曲などを指揮しているが、こちらの演奏も同傾向であったため、作る音楽の傾向がスポーティーに寄りすぎているようだ。


私自身2度目となるトーンキュンストラー管弦楽団の演奏会。曲目は、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:レイ・チェン)とリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」


開演5分ほど前に佐渡裕がマイクを片手に現れ、自身のウィーンでの思い出を語る。

佐渡が初めて海外で生活した街がウィーンだった。ウィーンに渡ったのは25年前のこと。本当は師であるレナード・バーンスタインにもっと教えを請うためにニューヨークに行くつもりだったのだが、当のバーンスタインから「ウィーンに行け! そしてお前は英語も下手くそだけどドイツ語も勉強しろ!」と言われてウィーンで暮らすことになった。ウィーンではバースタインによる全ての演奏会や録音に立ち会った他、ウィーン国立歌劇場やムジークフェラインザールに通い詰めたそうである。当時は、ウィーン国立歌劇場の立ち見席は日本円に換算して僅か150円ほど、ムジークフェラインザールの立ち見席も300円ほどで買うことが出来たという。その代わり長時間並ぶ必要があったようだが。カルロス・クライバー指揮によるウィーン・フィル・ニューイヤーコンサートの当日券を求めて友人と二人でムジークフェラインザールの前で3日並んだこともあるという。ちゃんと並んでいるかどうか定期的に職員による点呼があったそうだ。
ただ、結局、3年に渡るウィーンでの生活の間に佐渡はこの街の指揮台に立つことはなかった。その後もドイツのオーケストラからは声が掛かったが、ウィーンの楽団の指揮台は遠かった。
ところが、佐渡が指揮したベルリン・ドイツ管弦楽団の演奏会を耳にしたウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の事務局長が佐渡を気に入り、客演指揮者として招聘。佐渡とトーンキュンストラー管のコンサートは大成功を収め、そのたった1回の客演で佐渡が次期音楽監督に決まったのだという。「立ち見席から指揮台へ。なかなか座らせてくれない」と佐渡が語ったところで笑い声が起こったので、「大阪はこういうところでちゃんと笑ってくれるんですね」と佐渡は続け、会場から更なる笑いと拍手が起こった。

最後に熊本地震支援のために募金を行い(熊本の音楽関連の復興に当てる予定)、その際、佐渡も募金のために出口付近に立つので、「あまり早めに帰らないようお願いします」と述べた。


ドイツ式の現代配置による演奏だが、ティンパニは指揮者の正面ではなく上手奥にいる。ステージの一番奥には小型のカメラが設置してあるが、これは「英雄の生涯」の時にトランペットがバンダとして下手袖で吹く際に佐渡の指揮をモニターに映す役割があると思われる。


ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリン独奏のレイ・チェンは1989年台湾生まれ。男性である。15歳で米国フィラデルフィアのカーティス音楽院に入学し、2008年にメニューイン・ヴァイオリン・コンクールで優勝。翌年にはエリザベート王妃国際コンクール・ヴァイオリン部門でも優勝。こちらは同コンクール史上最年少での優勝であった。

佐渡とトーンキュンストラー管弦楽団は完全なピリオド・アプローチを採用。テンポも速めであり、ビブラートを抑え、ボウイングもピリオドのものだ。古楽的奏法を上手く取り入れた伴奏で、佐渡の器用さが出ている。
レイ・チェンのヴァイオリンもビブラートというより「揺らす」という感じの奏法であり、やはりHIP(Historicallyl Informed Performance)によるものなのかも知れない。ヴァイオリンの音は磨き抜かれ、スケールも中庸で、古楽的奏法によるベートーヴェンとして満足のいくものになっている。


演奏終了後、レイ・チェンは、「どうもありがとうございました」「アンコールに、バッハ、サラバンドを弾きます」と日本語で語ってからアンコール演奏。気高さがあり、ベートーヴェンよりもバッハの方に向いているように感じた。

リヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。トーンキュンストラー管弦楽団は女性楽団員の割合が40%と高く、これはウィーンの主要オーケストラの中でトップだというが(何しろ、ウィーン・フィルは長年に渡って女性奏者の入団を認めなかった)、金管奏者はやはり男性楽団員の方が圧倒的に多い。大編成による曲なのでエキストラが何人も入っているのかも知れないが。

なお、公演パンフレットは無料ながら充実しているが(有料パンフレットの販売はなし)、指揮者、ソリスト、楽団の紹介はあるものの楽曲解説が一切なく、クラシック初心者には不親切な仕上がりになっている。

最近は日本のオーケストラの技術が急上昇し、メカニックならトーンキュンストラー管弦楽団とも十分に張り合えるようになっている。ただ、トーンキュンストラー管が出す音の美しさ、輝きなどには悔しいが及ばない。あるいはこれはテクニックではなく、音や和音に対する感性の違いが大きいのかも知れないが。
とにかくトーンキュンストラー管のシルキーな輝きの弦、燦々と鳴り響く金管などは美しさの限りである。

佐渡の指揮であるが、パートパートの描き方は優れているが、総体として見たときにパースペクティヴが十分かというとそうは言い切れない。見通しは今一つなのだ。
ただ、舞台下手袖でバンダが鳴り、「英雄の戦い」の場面になってからの迫力は佐渡の長所が生きていた。
オーケストラを響かせるのは上手だが、音楽の語り部としてはもう一つというのが現在の佐渡の立ち位置だろうか。


アンコールは2曲。まずはヨハン・シュトラウスⅡ世の「ピッチカート・ポルカ」。大編成の弦での演奏なので音が強めだが、雅やかな味わいは出ていたように思う。

ラストはリヒャルト・シュトラウスの歌劇「ばらの騎士」よりワルツ。ゴージャスな演奏で、出来はかなり良かった。

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配信公演 坂本龍一 dTVプレミアム無料生配信「Ryuichi Sakamoto:PTP04022020 with Hidejiro Honjoh」(文字のみ。楽曲紹介のための既成動画へのリンクはあり)

2020年4月2日

午後7時から、dTVで坂本龍一によるプレミアム無料生配信「Ryuichi Sakamoto:PTP04022020 with Hidejiro Honjoh」を観る。
6時半から配信がスタートし、過去に行った配信映像などが流れる。
7時を過ぎてから、映像がグランドピアノを真上から捉えたものに切り替わり、坂本龍一が現れる。
まず「async」を弾くのだが、マスクを付けたままの演奏である。だが、意図したものではないようで、演奏を終えてマスクを外し、「マスク取るの忘れちゃったよ」と第一声を発する。

三味線奏者の本條秀慈郎のコラボレーションもあるのだが、坂本龍一が本條のために提供した楽曲(「honj-2019」)があるそうで、まずその曲の演奏を行う。三味線の可能性を追求した現代音楽的な作品であった。本條は作曲も行うそうで、三味線音楽のあらゆる要素を取り入れた自作も演奏した。その後、本條が奏でる三味線に坂本がピアノの弦を弾くなどの特殊奏法で応じるという即興演奏なども行われる。

終盤に坂本は、イタリアでとにかく受けが良いという「美貌の青空」、地球も体も7割が水で出来ているということで自然との調和の話を演奏後に行った「aqua」、企業戦士達を応援するビタミン剤のCM曲でオリコン史上初めて1位を獲ったインストゥルメンタル曲である「energy flow」、現状を戦場に例えたのだと思われる「戦場のメリークリスマス」など有名曲を演奏。アンコールとして淡々とした日常を描いた歌詞を持つYMO時代の楽曲「PERSPECTIVE」のピアノ独奏版が演奏される。歌うことはないが、歌詞が字幕スーパーで出る。坂本なりのメッセージである。

坂本は、「これを良い機会だと思って」読書をしたり映画を観たり音楽を聴いたりすることを勧め、意味なく自宅を出ないこと(Stay Home)、基礎的な予防策を実践することをスマホを見ている人(dTVはdocomoのサービスであるため基本的にスマートフォン向けである)に呼びかけた。

 

スタジオには感染症の専門家、医師、看護師らが待機し、換気を行った上での配信であった。

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2020年4月 4日 (土)

オーケストラよ、歴史を生かせ

 例えば、私が京都に来たのは2002年だから、朝比奈隆(1908ー2001)時代の大阪フィルハーモニー交響楽団の公演パンフレットなどは持っていないし、手にしたことさえない。 
 基本的にパンフレットは無料だが、数年分を纏めて冊子にしたら売るだけの価値は出る。どれだけ売れるかは疑問であるだが、少なくとも私は買う。損失額を考えれば収益など微々たるもので焼け石に水かも知れないが、何もせずに寄付だけを頼みにするよりは幾分ましだろう。 
 パンフレットに載せられた文章や写真は、学術的、史料的に価値があるはずだし、その時代の空気が反映された貴重な証言ともなっているはずである。載せられた文章は全て権利をクリアしたものであるし、なんらかの問題があったとしても、この状況において転載や再利用に「NO」という執筆者や権利者がいるとも思えない。一から本を作るには時間と経費が掛かるが、編集だけならすぐに、とまでは言えないが、かなり早く出せる。紙媒体でなく、PDFの有料ダウンロードでもいい。電子書籍でも出せるだろう。パンフレットだけではない。積み上げてきた歴史の中に価値のあるものは必ず眠っているはずである。
 
「音楽団体だから音楽でしか勝負出来ない」というのは正しいが、これまで歩んできた歴史には、それが固有のものだけに価値があり、売りになる。音楽は音楽だけに価値があるのではなく、その背後にある若しくはそれに関わった多くの人々の物語と記録の精華でもあるのだ。

 日本のクラシック音楽愛好者層はとにかく薄く、成功する可能性は低いかも知れないが、意地は見せて欲しい。

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2020年4月 3日 (金)

コンサートの記(630) クシシュトフ・ウルバンスキ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第498回定期演奏会

2016年5月20日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第498回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は芸術大国ポーランド出身の俊英、クシシュトフ・ウルバンスキ。

曲目は、チャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:アンナ・ヴィニツカヤ)、ルトスワフスキの管弦楽のための協奏曲。


ベルリン・フィルやニューヨーク・フィルといった世界的オーケストラへの客演が続くクシシュトフ・ウルバンスキ。1982年生まれ。現在、米インディアナポリス交響楽団音楽監督やノルウェーのトロンハイム交響楽団首席指揮者の座にあり、北ドイツ放送交響楽団の首席客演指揮者も務めている。東京交響楽団首席客演指揮者でもあり、東京の聴衆にとってはお馴染みの指揮者でもある。
大阪フィルハーモニー交響楽団事務局次長企画室長の福山修氏によると、ウルバンスキは、フォトグラフメモリー(写真記憶)といって、一目見たものを写真に撮るように頭に収めて記憶してしまうという特殊能力の持ち主だそうで、譜面は一度見ただけで覚えてしまうため、全て暗譜で指揮するそうだ。
フォトグラフメモリーの持ち主として知られた指揮者にはロリン・マゼールやピエール・ブーレーズがいるが、実は二人とも暗譜には否定的であった。二人揃って否定的ということは何らかの理由があるのだろう。

小学生の頃からホルンを吹いていたというウルバンスキだが、指揮者に目覚めたのは中学生の時だそうで、友人に誘われて聴きに行ったアントニ・ヴィト(ポーランドを代表する指揮者で、NAXOSレーベルの看板指揮者でもある)指揮のコンサートで感激。「自分も指揮者になろう」と決意。その後、ワルシャワのショパン音楽アカデミーでそのヴィトに指揮を師事。その後、ヴィトの下でワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団のアシスタント・コンダクターも務めている。


今日のコンサートマスターは田野倉雅秋。ドイツ式の現代配置による演奏である。

ウルバンスキ登場。相変わらず見るからに才子という風貌である。


チャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」。スッキリとしたスタイルによる演奏で、健康的に過ぎる気もしたが、「恋の主題」の演奏はこれまでに聴いた実演、録音を通して最もロマンティック。ここぞという時の感情表現に長けている。


ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。深紫のドレスで登場したアンナ・ヴィニツカヤは、ロシアのノボロシースク出身の若手ピアニスト。セルゲイ・ラフマニノフ音楽院高等部を経てハンブルク音楽大学を卒業。数々のピアノコンクールで栄冠を手にし、2007年のエリザベート王妃国際音楽コンクール・ピアノ部門で優勝。翌2008年にはレナード・バーンスタイン賞を受賞している。

ウルバンスキ指揮の大阪フィルはチャイコフスキーの時とは違い、仄暗い響きを奏でる。ヴィニツカヤのグレートーンの響きもラフマニノフの相応しい。ただ、ヴィニツカヤのピアノが大フィルの伴奏に埋もれてしまうことも多く、ピアノのエッジももっと効いていて欲しいと思うところがある。第2楽章はヴィニツカヤのピアノも良かったが、それ以上にウルバンスキ指揮する大阪フィルのイメージ喚起力が素晴らしい。曲調を丁寧に追った結果だろう。
第3楽章ではヴィニツカヤが抜群の技巧を披露。ウルバンスキと大フィルも熱い伴奏を聴かせ、情熱的な快演となった。

ヴィニツカヤのアンコール演奏は、ショスタコーヴィチの「ワルツ スケルツォ」。チャーミングな演奏であった。


ウルバンスキの祖国、ポーランドの作曲家であるルトスワフスキの管弦楽のための協奏曲。
大阪フィルの音色は輝かしく、威力も技術も抜群である。
ウルバンスキのオーケストラコントロールも鮮やか。それほど派手な指揮ではないが、しなやかな動きで、大フィルから次々に美音を引き出していく。
ルトスワフスキの管弦楽の協奏曲はありとあらゆる音楽要素を詰め込んだ力作であるが、ウルバンスキの楽曲分析の成果もあって、立体的な秀作として耳に届いた。


終演後にCD購入者限定でウルバンスキとヴィニツカヤのサイン会があり、ウルバンスキのサインを貰った。

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観劇感想精選(345) 「夢の劇|ドリーム・プレイ」

2016年5月14日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時30分から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「夢の劇 | ドリーム・プレイ」を観る。
スウェーデンを代表する劇作家であるヨハン・アウグスト・ストリンドベリ(もっともストリンドベリ以外に著名なスウェーデン人劇作家はほとんどいないのだが)の読むための戯曲を長塚圭史が上演用台本に纏め、白井晃の演出で上演する。

出演:早見あかり、田中圭、江口のりこ、玉置玲央、那須佐代子、森山開次、山崎一、長塚圭史、白井晃、久保貫太郎、今里真(いまざと・まこと)、宮河愛一郎、高瀬瑤子、坂井絢香、引間文佳(ひきま・あやか)。
音楽:阿部海太郎、mama!milk(生駒祐子&清水恒輔)、トウヤマタケオ。
振り付け:森山開次。

もともとストリンドベリが「悪夢」を主題に、上演を予定していない肘掛け椅子の演劇(読む戯曲、レーゼ・ドラマ)として書いただけでに混沌とした要素がある。

舞台上には原色系の低い段が上から見て八角形に近くなるよう組まれ、天井からはロープなどが吊り下がっている。舞台奥はオーケストラスペースとなり、ここで生演奏が行われる。


ストリンドベリはキリスト教徒であり、作品中でもキリスト教的要素がメインになっているが、仏教など東洋思想にも造詣が深く、仏教的側面もこの作品には出ている。


舞台は、神インドラ(ナレーション:白井晃)の娘・アグネス(早見あかり)が「伸びる城」を伝って地球に降り立つところから始まる。実はインドラというのはバラモン教の神様だそうで、最初から一ひねりある。
インドラは人間の世界は陰鬱だという。アグネスは人間の世界でそれを確認しようとするが、人間達は本当に気の滅入るような話しかしていない。
リーナ(江口のりこ)はバレエ劇場の華だったが、今では人気凋落し、26年間もショールを編み続けている。バレエ劇場の現在の花形はヴィクトリア(高瀬瑤子)であるが、ヴィクトリアに惚れている若年の士官(玉置玲央)は、ヴィクトリアに花を届けようとするも、楽屋へと通じるクローバー形をした磨りガラスの窓のある扉をこれまで開けたことがない。
このクローバーの形をした磨りガラスの窓のある扉が開いているのを見たことがあるものは一人もいないようだ。そこで扉を強引に開けようとするが、警官(宮河愛一郎)が制し、訴訟のための弁護士(長塚圭史)が現れる。
この弁護士(博士として月桂冠を貰える予定がなぜか貰えなかった)とアグネスは結婚することになり、瞬く間に1年が過ぎて(何しろ夢の中なので)、二人の間には子供が出来た。だが弁護士はつまらない訴訟を沢山抱え、アグネスも育児には向いていないようである。ということで、アグネスの結婚経験はあっさりと破綻するのだった。

そんな時、本当に幸せな結婚式が行われたが、新郎新婦の乗った船は幸福のフェルランドではなく、地獄に流れ着いてしまう。

アグネスの前に詩人(田中圭)が現れる。詩人は普段は周りからごろつき同然に見られているのだが、この世の現象を言葉にする力があるという。

アグネスは問う。「どうして人間は醜く争いあうの?」。「それしか知らないからさ」、詩人は答える。アグネスは詩人に、「どうしてみんなこの世の中をもっと良くしようとしないの?」と聞くが、詩人は「しようとした奴はいたさ。だが磔になって殺された(イエス・キリストのこと)」。アグネスは「一人一人はとてもいい人達なのに集団になった途端に酷くなってしまう」と集団心理(群集心理)を嘆く。この社会は「悲惨であり」、人間は「哀れ」であると。
アグネスと詩人は共にこの世界のもっと奥へと進もうとするのだが……。


ラストではアグネスは「この世界に来て最も辛かったこと」として「人間として生きること」を挙げ、「生老病死」的な仏教的要素が顔を出す。実は舞台が始まってすぐに、「花は汚いところに咲く」という言葉が出てきており、アグネスが「伸びる城」に上るラスト(アグネスはこの世界を離れるに当たり、「嬉しいような申し訳ないような」というアンビバレントな感情を抱いている)でも天上に続く「伸びる城」に上がったアグネスの前に大輪の花が咲く。仏教の蓮の思想のようだ。一見すると「厭離穢土欣求浄土」的な物語なのだが、この世にも救いはあるようだ。

夢を彩りあるものに描くために白井晃は、バレエ、天井から下がった縄を使ってのサーカス、ダンスなどを巧みに用いる。「悲惨な祝祭感」という奇妙な雰囲気だ。だが、あるいは人間社会そのものもまた悲惨な祝祭の連続なのかも知れないのだが。

初舞台となる早見あかりであるが安定感のある演技を見せ、十分に合格点である。

阿部海太郎、mama!milk、トウヤマタケオによる音楽は時にお洒落、時に幻想的で、舞台の雰囲気作りと観客の想像喚起に大いに貢献していた。


終演後、白井晃、早見あかり、田中圭によるアフタートークがある。白井晃はちょっとテンションが低めだったが(横浜、松本、西宮とツアーが続いているので疲れているのかも知れない)、田中圭は逆にハイテンション。
まず初舞台となった早見あかり(元ももいろクローバー)であるが、稽古は3月から週6、1日7時間みっちりと行い、ツアーも明日が最後で、終わるという実感がまだないそうだ。ただ、もしお話を頂いてもすぐには舞台の仕事を受けるつもりはないという。稽古期間中、1日11時間睡眠だったそうで、それぐらい眠れないと稽古に耐えられなかったという。しばらくそうした毎日からは遠ざかりたいという気持ちもあるようだ。
田中圭はプロンプター役と詩人役であり、詩人は後半の主役といってもいい役なのだが、前半に振られたプロンプター役はセリフが少なく、詩人は後半からしか出てこないということで、「前半にもっとセリフを喋りたかった」と物足りなそうであった。

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2020年4月 2日 (木)

ハッピーバースデー、清志郎 「LOVE ME TENDER」

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2020年4月 1日 (水)

これまでに観た映画より(164) 「のぼうの城」

録画したまま長く未見であった映画「のぼうの城」を観る。原作・脚本:和田竜、監督:犬童一心&樋口真嗣。出演:野村萬斎、榮倉奈々、佐藤浩市、成宮寛貴、山口智充、上地雄輔、山田孝之、平岳大、前田吟、中尾明慶、尾野真千子、芦田愛菜、ピエール瀧、和田聰宏、西村雅彦、中原丈雄、鈴木保奈美、平泉成、夏八木勲、市村正親ほか。TBS開局60周年記念作品として制作された作品であり、安住紳一郎がナレーターを務めている。もとは2011年に公開予定であったが、忍城に迫る激流が東日本大震災での津波を連想させるとして、公開が1年ほど延びている。

関白・豊臣秀吉の小田原征伐に伴う忍城の戦いを描いた作品である。

まずは、天正10年(1582)、後に秀吉の中国大返しの発端となったことで知られる毛利征伐、備中高松城の戦いの描写から入る。羽柴秀吉(市村正親)は備中高松城を土塁で囲い、河川の水をその中に注ぎ込んで城を孤立させるという、水攻めを行った。城攻めの名手、秀吉の最も効果的な戦略として知られる(だが、その戦略のために落城まで時間が掛かり、このことが本能寺の変が起きる伏線ともなった)水攻めに、佐吉と呼ばれていた頃の石田三成(上地雄輔)は感動。いつかこの戦法を用いてみたいと心に誓う。

それから8年が経ち、豊臣の氏を賜った秀吉は、反抗する唯一の大名である小田原北条氏を攻めることを決意。石田三成には、北条方の城である館林城と忍城を落とすよう命じる。三成は官僚としては有能で頭も良いが、これといった戦績がなく、人望も上がらないでいた。秀吉には三成に功を上げさせようという目論見もあった。
三成は、盟友である大谷吉継(山田孝之)や、余り反りは合わないが後に共に五奉行に名を連ねることになる長束正家(平岳大)らを引き連れてまずは館林に向かうが、館林城は豊臣方の大軍に怖れをなして戦わずして開城。余りの呆気なさと相手の胆力のなさに失望した三成は、次の目標である忍へと向かう。

忍城の城主は成田氏長(西村雅彦)であったが、氏長は北条の本城である小田原城に向かう必要があったため、叔父の成田泰季(やすすえ。平泉成)に城代を任せる。実は氏長は秀吉側と通じるつもりであり、忍籠城は見せかけにせよと家臣らに命じた。

石田軍が忍城を包囲する中、泰季は病に倒れ、長男の成田長親(野村萬斎)に城代を譲る。長親は、「うつけ」と評判であったが、人に愛される質であり、「でぐのぼう」に由来する「のぼう様」として領民に好かれていた。
長親も降伏・開城に異論はなかったが、ここで三成が策を用いる。長束正家の性格を見抜いた上で軍使に命じ、忍城に送り込む。上の者には下手に、下の者には居丈高に出る正家は成田氏を見下す発言を続け、結果として長親らの反発を招く。長親は開城を翻して開戦を決意。正木丹波(佐藤浩市)、酒巻靭負(さかまき・ゆきえ。成宮寛貴)、柴崎和泉守(山口智充)らも長親を支持し、ここに忍城の戦いの幕が切って落とされた。


人たらしであるが武将としてはいささか頼りない長親と、知略に優れるが人望がなく、これといった戦績がないため侮られている三成は、一見すると対極のようでありながら実は表裏一体の関係であり、共に人の心を読むことに長けている。あるいは立場が違ったなら互いを補い合う形で良き友、良き同僚ともなり得た間柄のように思われる。負け戦であることを大声で認める三成の清々しい表情がそれを表しているようでもある。
戦国武将の友情を描いた作品ではないが、すれ違う中で一瞬、わかり合えた関係である二人が愛おしく見えたりもする。

パブリックイメージでいうと三成に近い野村萬斎が成田長親を、長親らしい要素のある上地雄輔が石田三成を演じるという逆転の配役も妙味がある。

エンドクレジットでは忍城のあった埼玉県行田市の映像が流れ、今も残る忍城の戦いの名残が紹介されている。

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