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2020年4月 3日 (金)

観劇感想精選(345) 「夢の劇|ドリーム・プレイ」

2016年5月14日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時30分から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「夢の劇 | ドリーム・プレイ」を観る。
スウェーデンを代表する劇作家であるヨハン・アウグスト・ストリンドベリ(もっともストリンドベリ以外に著名なスウェーデン人劇作家はほとんどいないのだが)の読むための戯曲を長塚圭史が上演用台本に纏め、白井晃の演出で上演する。

出演:早見あかり、田中圭、江口のりこ、玉置玲央、那須佐代子、森山開次、山崎一、長塚圭史、白井晃、久保貫太郎、今里真(いまざと・まこと)、宮河愛一郎、高瀬瑤子、坂井絢香、引間文佳(ひきま・あやか)。
音楽:阿部海太郎、mama!milk(生駒祐子&清水恒輔)、トウヤマタケオ。
振り付け:森山開次。

もともとストリンドベリが「悪夢」を主題に、上演を予定していない肘掛け椅子の演劇(読む戯曲、レーゼ・ドラマ)として書いただけでに混沌とした要素がある。

舞台上には原色系の低い段が上から見て八角形に近くなるよう組まれ、天井からはロープなどが吊り下がっている。舞台奥はオーケストラスペースとなり、ここで生演奏が行われる。


ストリンドベリはキリスト教徒であり、作品中でもキリスト教的要素がメインになっているが、仏教など東洋思想にも造詣が深く、仏教的側面もこの作品には出ている。


舞台は、神インドラ(ナレーション:白井晃)の娘・アグネス(早見あかり)が「伸びる城」を伝って地球に降り立つところから始まる。実はインドラというのはバラモン教の神様だそうで、最初から一ひねりある。
インドラは人間の世界は陰鬱だという。アグネスは人間の世界でそれを確認しようとするが、人間達は本当に気の滅入るような話しかしていない。
リーナ(江口のりこ)はバレエ劇場の華だったが、今では人気凋落し、26年間もショールを編み続けている。バレエ劇場の現在の花形はヴィクトリア(高瀬瑤子)であるが、ヴィクトリアに惚れている若年の士官(玉置玲央)は、ヴィクトリアに花を届けようとするも、楽屋へと通じるクローバー形をした磨りガラスの窓のある扉をこれまで開けたことがない。
このクローバーの形をした磨りガラスの窓のある扉が開いているのを見たことがあるものは一人もいないようだ。そこで扉を強引に開けようとするが、警官(宮河愛一郎)が制し、訴訟のための弁護士(長塚圭史)が現れる。
この弁護士(博士として月桂冠を貰える予定がなぜか貰えなかった)とアグネスは結婚することになり、瞬く間に1年が過ぎて(何しろ夢の中なので)、二人の間には子供が出来た。だが弁護士はつまらない訴訟を沢山抱え、アグネスも育児には向いていないようである。ということで、アグネスの結婚経験はあっさりと破綻するのだった。

そんな時、本当に幸せな結婚式が行われたが、新郎新婦の乗った船は幸福のフェルランドではなく、地獄に流れ着いてしまう。

アグネスの前に詩人(田中圭)が現れる。詩人は普段は周りからごろつき同然に見られているのだが、この世の現象を言葉にする力があるという。

アグネスは問う。「どうして人間は醜く争いあうの?」。「それしか知らないからさ」、詩人は答える。アグネスは詩人に、「どうしてみんなこの世の中をもっと良くしようとしないの?」と聞くが、詩人は「しようとした奴はいたさ。だが磔になって殺された(イエス・キリストのこと)」。アグネスは「一人一人はとてもいい人達なのに集団になった途端に酷くなってしまう」と集団心理(群集心理)を嘆く。この社会は「悲惨であり」、人間は「哀れ」であると。
アグネスと詩人は共にこの世界のもっと奥へと進もうとするのだが……。


ラストではアグネスは「この世界に来て最も辛かったこと」として「人間として生きること」を挙げ、「生老病死」的な仏教的要素が顔を出す。実は舞台が始まってすぐに、「花は汚いところに咲く」という言葉が出てきており、アグネスが「伸びる城」に上るラスト(アグネスはこの世界を離れるに当たり、「嬉しいような申し訳ないような」というアンビバレントな感情を抱いている)でも天上に続く「伸びる城」に上がったアグネスの前に大輪の花が咲く。仏教の蓮の思想のようだ。一見すると「厭離穢土欣求浄土」的な物語なのだが、この世にも救いはあるようだ。

夢を彩りあるものに描くために白井晃は、バレエ、天井から下がった縄を使ってのサーカス、ダンスなどを巧みに用いる。「悲惨な祝祭感」という奇妙な雰囲気だ。だが、あるいは人間社会そのものもまた悲惨な祝祭の連続なのかも知れないのだが。

初舞台となる早見あかりであるが安定感のある演技を見せ、十分に合格点である。

阿部海太郎、mama!milk、トウヤマタケオによる音楽は時にお洒落、時に幻想的で、舞台の雰囲気作りと観客の想像喚起に大いに貢献していた。


終演後、白井晃、早見あかり、田中圭によるアフタートークがある。白井晃はちょっとテンションが低めだったが(横浜、松本、西宮とツアーが続いているので疲れているのかも知れない)、田中圭は逆にハイテンション。
まず初舞台となった早見あかり(元ももいろクローバー)であるが、稽古は3月から週6、1日7時間みっちりと行い、ツアーも明日が最後で、終わるという実感がまだないそうだ。ただ、もしお話を頂いてもすぐには舞台の仕事を受けるつもりはないという。稽古期間中、1日11時間睡眠だったそうで、それぐらい眠れないと稽古に耐えられなかったという。しばらくそうした毎日からは遠ざかりたいという気持ちもあるようだ。
田中圭はプロンプター役と詩人役であり、詩人は後半の主役といってもいい役なのだが、前半に振られたプロンプター役はセリフが少なく、詩人は後半からしか出てこないということで、「前半にもっとセリフを喋りたかった」と物足りなそうであった。

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