コンサートの記(632) 仲道郁代デビュー30周年ピアノ・リサイタル「ショパンがショパンである理由」京都
2016年6月18日 京都コンサートホール小ホール アンサンブルホール・ムラタにて
午後2時から、京都コンサートホール小ホール「アンサンブルホール・ムラタ」で、仲道郁代のデビュー30周年記念ピアノ・リサイタル「ショパンがショパンである理由」を聴く。オール・ショパン・プログラム。
今日の京都はこの時期としては酷暑。最高気温は34度で、あと1度高いと猛暑日になるという日差しの強さである。熱中症対策のため、帽子を被り、道中で何度も水分を補給しながらの外出となった。
京都コンサートホールに向かうために北大路通を歩いている時、60手前と思われる夫婦が人に「コンサートホールはどうやって行くんでしょう?」と聞いていたので、「私もコンサートホール行きますよ」と声を掛け、「仲道さん(のリサイタルに行かれるん)ですか?」と聞くと「そうです」というので、3人で向かう。
毎年、夏に「アンサンブルホール・ムラタ」でリサイタルを行っている仲道郁代。日本で最も人気のあるピアニストである。京都コンサートホール大ホールでリサイタルを開いても仲道クラスならかなりの入りになると思われるが、日本人ピアニストは「ムラタ」で、海外のピアニストは大ホールでというのが京都コンサートホールの基本であるようだ。
当然ながら、今日のピアノ・リサイタルのチケットは完売御礼である。
タイトル(尾崎豊が付けそうなものだが)からもわかる通り、ショパンの人生において画期をなす作品を取り上げたコンサートプログラム。ただ曲目としてはオーソドックスである。
演奏されるのは、前半が、ワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」、ワルツ第2番「華麗なる円舞曲」、ワルツ第3番「「華麗なる円舞曲」、ワルツ第4番「華麗なる円舞曲(小猫のワルツ)」、ワルツ第5番、ワルツ第6番「子犬のワルツ」、ワルツ第7番、ワルツ第8番。ショパンの生前に楽譜が出版された全てのワルツが並ぶ(ワルツ第9番「別れのワルツ」なども有名だが、ショパンの生前ではなく死後に出版されて人気曲になったものである)。
後半が、ノクターン第1番、ノクターン第2番、ポロネーズ第1番、ポロネーズ第2番、ポロネーズ第3番「軍隊」、ノクターン第20番嬰ハ短調(遺作)、ポロネーズ第6番「英雄」。
良くも悪くも典型的な日本人女性ピアニストである仲道郁代。最近の仲道は、丁寧な楽曲研究を行い、最新の学説なども取り入れた演奏を行う。今日の演奏も演奏曲は少なめだが、全曲に解説を入れてくれるため、大変勉強になる。ピアノ・リサイタルを聴いて一番の感想が「勉強になる」が良いことなのかどうかはわからないが。
ショパンの音楽には毒があり、その毒を巧みに引き出す名ピアニストもいるのだが、そうした演奏ばかり聴いているとこちらの精神もやられてしまう。仲道の場合、あっさりしているためショパンの毒が中和されて聴きやすくなる。こうしたショパン弾きも必要なのだ。
前半は桜色のドレスで現れた仲道。まずマイクを手に、「ショパン(仲道はフランス風にチョパンと発音することもある)がウィンナワルツを嫌っていたこと」を語る。ウィーンからポーランドの家族に宛てた手紙に「ウィンナワルツにはもううんざりだ」という一節があるそうだ。ショパンの生まれた当時のポーランドは列強によって分割統治されており、ポーランドは地域としてはあるが国名としては存在しないという状況だった。ショパンは二十歳の時に音楽留学のためにウィーンに向かうのだが、ショパンがポーランドを離れた数日後にワルシャワ蜂起が起こる(ショパンがワルシャワ蜂起計画に関わった一人であり、当局からマークされていたため、留学の名の下、亡命したという説がある。ショパンはその後2度とポーランドには戻らないのだが、「戻らなかったのではなく戻れなかった」という説を亡命説は後押ししている)。
ポーランドでは、何か祝祭的なことが始まる際に、決まった旋律が流れるという習慣があったそうで、それが他ならぬワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」の冒頭に単音で鳴らされるものだそうである。またポーランドの民謡の旋律なども取り入れられているようだ。ウィンナワルツとは違うワルツを作曲することでショパンは矜持を示したのかも知れない。
仲道の演奏は左手のリズムを強調するものだが、今日は前から4列目であったため、リズムの音が大きく聞こえてしまった。
ショパンがウィンナワルツを嫌ったのには理由があるそうである。ウィーンで音楽家としての生活を始めたショパンであるが、ウィーンを首都とするオーストリアは実はポーランドを分割統治していた国の一つであり、オーストリア人はポーランド人を見下す傾向があったという。ウィーンには亡命ポーランド貴族が数多くいたそうだが、彼らはショパンに「ウィーンでの成功は難しいのでパリに行く」よう勧めたようだ。ショパンの父親はポーランドに渡ったフランス人であり、ショパンにとっても父親の祖国に向かうというのは自然な選択であった。
パリに向かったショパンは画家のドラクロアや、パリに来ていたロシアの文豪・ツルゲーネフなどと交流し、男装の麗人として知られるジョルジュ・サンドと恋に落ちる。
パリでのショパンは、パリで最も高級な仕立屋にオーダーメイドの服を注文し、常に白い絹の手袋をしていて、しかも白い絹の手袋は一日使ったら捨てて、次の日は新しい白い絹の手袋をはめるといった調子で、衣装代がかさんだそうである。ちなみに白い絹の手袋はショパンだけが一日で使い捨てにしていたわけではなく、貴族階級の象徴で、パリで身分の高い人のほとんどはそういう習慣を持っていたそうだ。ちなみに映画の決闘シーンなどで見られる、「白い手袋を相手に向かって放り投げる」は最大級の侮辱行為だそうである。
ワルツ第2番では、仲道は他の演奏では聴いたことのない間を取る。そういう楽譜があるのか仲道個人のアイデアなのかは不明。
ワルシャワ蜂起の失敗を知ったショパンは練習曲第12番「革命」なども書いたが、ワルツ第3番も同時期に書かれたもので、ウィンナワルツと同じワルツに含まれるものとは思えないほど暗鬱な作風である。ショパンは音楽でため息をついたのだろうか。ショパンの暗さを仲道の音楽性が上手く中和している。
「小猫のワルツ」という名でも知られるワルツ第4番。ワルツ第6番が「小犬のワルツ」であるため、後に対抗する形で第三者によって命名されたものだ。
仲道のリズム感の良さが出ていたように思う。ただ、この曲に限らないが、右手の指が回りすぎるために左手が追いつかないという場面も何度かあった。
ワルツ第5番。優雅な作品であり、仲道の個性に良く合っていたように思う。
ワルツ第6番「小犬のワルツ」。明るい曲調であるが、仲道によると生まれつき病弱だったショパンの体調が悪化し、恋人であるジョルジュ・サンドとの関係も悪化の一途を辿っていた時期に書かれたものであるという。せめて音楽には希望を込めたかったのかも知れない。
ワルツ第7番は、ショパンの本音ともいうべきもので、全編がメランコリーに覆われている。
ワルツ第8番について仲道は、「調性の崩壊」という言葉を用いる。明るく始まるが、やがて短調へと移行し、その後、長調と短調がない交ぜになった混沌とした世界が現れる。
解説を入れながら演奏する仲道であるが、音楽そのものは純音楽的。文学的な表現をするには仲道のピアノはドレス同様淡彩である。
なお、仲道は長い間、ショパンのワルツに関して「軟弱なんじゃないか」「華麗すぎるんじゃないか」という偏見を持っており、積極的には取り組んでこなかったのだが、楽譜を読み込んで、ショパンの時代のピアノ(仏プレイエル製)を弾いて考えが変わったという。ということで仲道は新譜である「ショパン ワルツ集」のCDの宣伝をする。
後半、仲道は淡い水色のドレスに着替えて登場。
まずは、ノクターンについて「夜想曲と日本語で訳されていますが、とても良い訳だと思います」と述べ、「後半はサロンでの音楽はなくショパンの内面を語る音楽を集めてみました」と語る。
ノクターン第1番、有名な第2番は共に落ち着いた演奏。個性には欠けるが安心して聴くことが出来る。
そしてポロネーズ。ポーランドが生んだ舞曲である。ショパンはパリで音楽活動をし、一度も祖国ポーランドに戻ることはなかったが、彼の内面にはいつもポーランドがあった。父の祖国だからといって安易にフランス化せず、ポーランド人としての魂を持ち続けたことが「ショパンをショパンたらしめている理由」だと仲道は語る。ショパンの心臓はショパン本人の遺言によりワルシャワの教会に埋め込まれており、墓はパリにある。パリには眠っているが、心だけはポーランドにあるのだ。
ちなみに仲道は小学校5年生の時に子供部屋にステレオを置いて貰い、毎日寝る前にアルトゥール・ルービンシュタインの弾くショパンのポロネーズ集を聴いていたそうである。「聞いて頂けるとわかると思うのですが、とても眠れるような曲ではない」と仲道は笑いながら語るが、ポロネーズを聴いてショパンへの思いをはせていたのかも知れない。
ポロネーズ第1番は堂々とした音楽だが、ポロネーズ第2番はショパンらしい憂愁を帯びている。
仲道というと旋律を口ずさみながら(声は出さない)ピアノを弾くスタイルが有名であり、前半では口は閉じて演奏していたが、ポロネーズの演奏では全曲旋律を口で確かめながら演奏していた。
ポロネーズ第3番「軍隊」はショパン作品の中でもかなり有名なもの。仲道は「ポロネーズは軍隊の行進の曲ですが、この曲がそうした要素を最も良く表しています」というようなことを語る。スケールは大きくないが、良い演奏である。
本来は、続けてポロネーズ第6番「英雄」を弾く予定だったのだが、その前にショパンが祖国への憂いを綴ったとされる夜想曲第20番嬰ハ短調(遺作)が演奏される。映画「戦場のピアニスト」でテーマ音楽的に使われてから知名度が急速に上がった夜想曲第20番。ショパンのピアノ協奏曲第2番の旋律が登場することから、初期の習作とも見做されているが、仲道はそうではないという解釈のようだ。
演奏自体はオーソドックスなものである。悲しみが自然に滲み出ている。他のピアニストのような個性には欠けているが。
仲道によると、子供達を集めたワークショップで、ショパンの夜想曲第20番を弾いた際、子供達が書いたアンケートの中に「イライラしている」というものがあってハッとさせられたそうである。
祖国の悲劇に自分は全くの無力でしかないという苛立ちという意味だろうか。そうしたことが感じられるパッセージは確かにある。
ポロネーズ第6番「英雄」。程良いスケールによる演奏。仲道郁代はやはり中庸を行くピアニストだ。
アンコールの1曲目は、練習曲第3番「別れの曲」。この「別れの曲」というのはショパンの伝記映画のタイトルであり、テーマ音楽的に用いられたのが練習曲第3番で、以後、「別れの曲」というタイトルが付いた。
仲道は平均的なテンポで、一音一音を大切に弾いていく。「別れの曲」は冒頭は技巧的に比較的平易であり、私は楽譜の記号は無視してかなり速いテンポで弾いていた。私の話などどうでも良いが。
ラストはいつもアンコールで弾くという、エルガーの「愛の挨拶」のピアノ独奏版。歌い方に癖があるが、美しい演奏である。
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