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2020年5月 1日 (金)

ドキュメンタリー ベートーヴェン神話「恋人」

録画しておいたドキュメンタリー、ベートーヴェン神話「恋人」を見る。監督:トーマス・フォン・シュタインエッカー。出演は、ヤン・カイエルス(指揮者/ベートーヴェン伝記作家)、ルドルフ・ブッフビンダー(ピアニスト)、リタ・ステブリン(音楽史家)、ウーヴェ・ボーム(俳優/ベートーヴェン役)。2016年の制作。ドイツ語作品で、日本語字幕訳は錦織文。

ベートーヴェンが書いた「不滅の恋人」への手紙にまつわるドキュメンタリーである。
不滅の恋人を巡る話は、「不滅の恋人/ベートーヴェン」というタイトルで映画にもなっており、私もロードショー時に日比谷の映画館で観ている。バーナード・ローズ監督作品で、音楽監督はサー・ゲオルグ・ショルティが手掛けていた。ベートーヴェンを演じていたのはゲイリー・オールドマン。映画自体は余り良い出来ではなかった。映画「不滅の恋人/ベートーヴェン」で不滅の恋人とされた女性は今では候補から外れているようである。

不滅の恋人と呼ばれた女性の候補は何人かいた。ベートーヴェンは醜男であり、私が子どもの頃には「もてなかったので生涯独身を通した」というのが定説であったが、その後に研究が進み、実はドイツ語圏最高のピアニストとしてモテモテだったことがわかった。ただ、ベートーヴェンは気位が高く、貴族の女性しか愛そうとはしなかった。ベートーヴェンは祖父がベルギー・オランダ語圏の出身という移民の家系であり、貴族には当然ながら手が届かなかった。

不滅の恋人への手紙は、1812年7月6日に書かれたと推測されている。1812年といえば、ナポレオンがロシアとの戦争で大敗を喫し、没落が始まるその年である。その直前にベートーヴェンはチェコのプラハに滞在しており、7月6日には同じくチェコのテプリツェにいた。ということで、不滅の恋人とはプラハで出会ったことが察せられる。

このドキュメンタリーで不滅の恋人であろうとされているのは、ヨゼフィーネ・ブルンフヴィックという伯爵夫人である。彼女はデイム伯爵と結婚したが、デイム伯爵が早くに亡くなったため未亡人になっていた。そんな彼女の下にベートーヴェンは足繁く通っているが、子どものいたヨゼフィーネはベートーヴェンではなく貴族との再婚を希望しており、恋が実ることはなかったようである。再婚した相手は男爵であり、爵位は低かった。更にヨゼフィーネとは結婚直後に不仲となり、しかも事業に失敗して没落していくところだった。彼女は夫の下を離れ、1812年の7月にはプラハに滞在していたことがわかっている。実はこの頃、ベートーヴェンとヨゼフィーネとは肉体関係を結んでいたという説があり、9ヶ月後にヨゼフィーネはミノーナという名前の女の子を産んでいるのだが、この子はベートーヴェンの娘であった可能性があるようだ。「MINONA」という名は逆さから読むと「ANONIM(匿名)」という意味になる。

他に不滅の恋人の候補として上げられるのは、アントニー・ブレンターノである。彼女は既婚者であり、ベートーヴェンとは仲が良かったようだが、互いを友人としか思っていなかった可能性が高いようで、1812年の7月にはやはりプラハの街にいたが、夫と一緒であり、ベートーヴェンとは会うこともそのための時間もなかったことがわかっている。

ヨゼフィーネは、夫に離縁され、他の男と再々婚して一児をもうけるもすぐに離婚し、身内に頼れる者もおらず、貧困と失意の内に42歳で亡くなっている。


ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番(このドキュメンタリーでは、ピアノ・ソナタの演奏は全てルドルフ・ブッフビンダーのライブでの映像を使用している)は誰にも献呈されていないが、このソナタが書かれた1821年はヨゼフィーネが亡くなった年であることから、ヨゼフィーネの追悼曲として書かれたという説をこのドキュメンタリーは採用している。

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