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2020年5月28日 (木)

コンサートの記(639) 「“いにしえ”からベリオ」 ルチアーノ・ベリオ「セクエンツァ」全曲演奏会初日 百万遍知恩寺&法然院

2004年10月23日 百万遍知恩寺御影堂&法然院本堂にて

今日と明日、浄土宗の三寺院で無料演奏会が行われる。「“いにしえ”からベリオ」と題し、ルチアーノ・ベリオの独奏曲集「セクエンツァ(連続)」全曲を演奏する試み。ルチアーノ・ベリオ(1925-2003)は20世紀を代表するイタリアの前衛作曲家である。
私も知恩寺(百万遍)と法然院での演奏を聴きに行く。

百万遍知恩寺は御影堂(みえいどう)での演奏。弦楽器による独奏曲の演奏である。チェロの安田謙一郎、ヴィオラの川本嘉子、ハープの吉野直子などかなり有名な演奏家が出演する。ちょうど影になって奏者が見えない席だったので、伽藍を彩る音に耳を澄ますという感じで聴くことにする。知恩寺の御影堂には何度も来ているので、静寂の中にあるいつもとは違い、音の着いた伽藍の雰囲気を楽しもうというわけだ。音によって堂内のイメージが変わっていくのが面白い。ギターの呆れるほどのミスマッチ間もいいし、ハープ演奏の時には竜宮城のように見えた須弥壇が、琴の演奏になるとあの世への入り口という印象に変わったりする。

プログラムとは違い、ヴィオラよりヴァイオリンが先になったが、見えない席の人はわからないので、ヴァイオリンの音をヴィオラと取り違えたりしていた。両曲とも、いかにも超絶技巧という感じの曲で、特にヴィオラはとてつもなく難しいことが聴いていてわかる。

現代音楽なので聴いていて心躍るというわけではない。しかし寺院でやると異空間に迷い込んでしまったような気にさせられる。
ハープの曲が音の美しさもあって一番聴き応えがあった。


続いて法然院で演奏会が行われる。知恩寺の演奏が終わってすぐに歩いて法然院に向かう。15分ほどで到着。まだ開場していないので、近くの喫茶店でケーキなどを食べる。

法然院の本堂で演奏会を行うのだが、ここは特別公開が行われる春と秋の数日間を除いては入ることの出来ない場所なので興味深い。こちらでは管楽器の演奏を行う。

しかし本堂は狭く、お客が入りきれないので、障子を開け、縁側にも客席を設けたりしていた。夜風は冷たく震えながら聴く人もいた。予想を上回る人が来てしまったのだと思われるが、余り手際が良くない。

ファゴット独奏には、聴衆、沸く。曲が面白かったからというよりも、息継ぎの間なく吹き続ける曲だったので、頑張った奏者(パスカル・ガロワ。この曲の初演者である)に拍手が起こったのだ。

一番面白かったのはフルート独奏の「セクエンツァⅠ」。フルートは横笛に似ているので吹く姿もどことなく寺院に合う。

最後は横笛(龍笛)の演奏。これはベリオの作品ではなく古来から伝わる曲だ。

「セクエンツァ」はかなり高度なテクニックが要求される曲であろうことは容易に察せられて、奏者にとってはやりがいのある曲だが、聴いて面白いという感じではない。ベリオは楽器のこれまで見出されていなかった可能性を追求するので、今まで聴いたことのない音がしたり、音がとてつもなく美しい塊として響いたりと興味深くはあったのだが、聴くよりも演奏して楽しい曲という印象を受ける。これは邦楽(雅楽など)にも通じるところがある。

夜の法然院境内は、ライトアップされた山門が闇に浮かび、上を見ると月が輝いている。幻想的な光景。京都だな、と思う。

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