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2020年5月10日 (日)

配信公演 12人の優しい日本人を読む回「12人の優しい日本人」(文字のみ)

2020年5月6日

YouTubeLiveで、「12人の優しい日本人を読む会」の公演、「12人の優しい日本人」を観る。近藤芳正の呼びかけで、東京サンシャインボーズの代表作である「12人の優しい日本人」をZoomを使った朗読公演として再現するという試み。作・三谷幸喜、演出・冨坂友(アガリスクエンターテイメント)。出演:甲本雅裕(陪審員1号)、相島一之(陪審員2号)、小林隆(陪審員3号)、阿南健治(陪審員4号)、吉田羊(陪審員5号)、近藤芳正(陪審員6号)、梶原善(陪審員7号)、妻鹿ありか(Prayers Studio。陪審員8号)、西村まさ彦(陪審員9号)、宮地雅子(陪審員10号)、野仲イサオ(陪審員11号)、渡部朋彦(Prayers Studio。陪審員12号)、小原雅人(守衛)。

このうち、甲本雅裕、相島一之、小林隆、阿南健治、近藤芳正、梶原善、西村まさ彦(旧芸名および本名:西村雅彦)、宮地雅子、野仲イサオ、小原雅人が再々演時と同じ役である。野仲イサオは客演。そして呼びかけ人である近藤芳正も、最後の方の作品には毎回出ていたが、実は東京サンシャインボーイズ団員だったことは実は一度もなく、ずっと客演であった。94年頃に発行された演劇雑誌に、「あれ、でも近藤さん、この前、オーディションで『東京サンシャインボーイズの近藤芳正です』って言ってましたよ」なんて証言が載っていたが(誰の証言だったかは忘れた。東京サンシャインボーイズのメンバーだったと思うのだが、正確には記憶していない)、真偽は不明である。団員でなかったことは確かである。ぱっと見でわかるが、東京サンシャインボーイズの団員は、名前に「雅」という字の入るメンバーが多いことも特徴であった。


「12人の優しい日本人」は、「12人の怒れる男」を念頭に置いて書かれた作品である。12人の陪審員と守衛、ピザの配達員の14人で上演される「密」室劇であり、推理劇であり、会話劇であり、人間ドラマである。

私が「12人の優しい日本人」という作品を知ったのは、実は映画のシナリオにおいてである。「シナリオ」誌が年間の優秀シナリオを纏めて本として販売していたのだが、そこに映画化された「12人の優しい日本人」のシナリオが載っていたのである。作者の名義は三谷幸喜と東京サンシャインボーイズであった。当時、私は高校生だったが、「変なタイトルの映画だなあ」を思いながら読んだのを覚えている。その次に接した「12人の優しい日本人」は実は原作戯曲なのである。三谷幸喜は戯曲は表に出さないことで有名だが、「12人の優しい日本人」と「ショウ・マスト・ゴー・オン」だけは雑誌に掲載されたことがあるのである。これも複数分の雑誌を纏めて書籍にしたものを明治大学の図書館で発見して、「ショウ・マスト・ゴー・オン」と共に読んでいる。
次は映画版「12人の優しい日本人」である。演劇版の「12人の優しい日本人」を観たのは2005年になってから、大阪・梅田のシアター・ドラマシティでの公演においてだった。


「12人の優しい日本人」は、シアターサンモールで初演された後、東京サンシャインボーイズの本拠地ともいうべきTHEATER/TOPSでの再演を経て、今回と同一キャストが多い再々演(三演)がパルコ劇場の上にあったパルコスペースパート3といった小さな空間で上演されている。パルコスペースパート3には私も1994年の5月だったか、1度だけ行ったことがある。「SWEET HOME」という芝居で、作者の柳美里と演出の鈴木勝秀が町田町蔵(現・町田康)が演じるはずだった役を巡って対立、町田町蔵は降板し、柳と鈴木による訴訟にまで発展した曰く付きの作品であるが、本当に小さなスペースで、篠井英介、椎名桔平、松重豊(実は東京サンシャインボーイズの元メンバーである)ら後に大物俳優になる人が無名時代に出演していたが、本当に客席の最前列の目の前に役者がいるような場所である。私は隅の方だったが最前列だったため、たまに俳優と目が合って、互いに気恥ずかしいので逸らすというそんな場所で上演されていた。「12人の優しい日本人」も少ないお客さんを前にして行うことが前提の芝居だったのである。

だが、2005年の再演時には三谷幸喜はメジャーになっていたため、会場も東京は(旧)パルコ劇場、大阪ではシアター・ドラマシティという大きめの劇場を使用した。ただ、問題が発生。私はキャパ800のシアター・ドラマシディで観たのだが、この劇を上演するには観客が多すぎるのである。陪審員9号を演じていた小日向文世のセリフで(どのセリフだったか)客席から一斉に爆笑が起こったためセリフが聞こえなくなり、小日向さんはセリフを止めて、笑い声が収まるのを待ってから続けていた。つまり大劇場で上演するには不向きであり、パルコスペースパート3のような小スペースでしか本来の上演は出来ないのだが、三谷幸喜の作品を豪華キャストで小劇場でというのはもう無理な話である。例え小さな劇場で行われる機会があったとしてもチケットが手に入るとは思えない。もう上演を観ることはないだろなと思っていたのだが、新型コロナウイルスの影響で俳優が一斉に仕事を失うという状況が発生し、それなら、というので近藤芳正が企画したのが今回の上演である。客席からの笑い声も空気も一体感も得られない上演であり、本当の意味での演劇作品とはいえないと思うが、オリジナルキャストが何人も揃う公演が突如予告された。


「12人の優しい日本人」は、1幕1場場転なし上演時間約2時間半弱である。12人の陪審員は出ずっぱりであるため、役者には酷である。2005年公演の有料パンフレットには、やはりリハーサルの時などは途中でトイレに行きたくなる人も出てしまったということが書かれていた。
今回はそれに加えてリーディングの公演。しかも画面には全員映ったままなので表情の演技は続けなければならず、しかも体は余り動かせないということで役者への負担は更に多くなるため、2部構成での上演となった。第1部が午後2時スタートで約1時間半、第2部が午後6時スタートの1時間弱の上演となる。


ちなみに映画版にも東京サンシャインボーイズの団員が何人か出演しているが、西村まさ彦も当然キャスティングされるつもりでいたがされず、酷く落ち込んでいたということを後に三谷幸喜がエッセイに書いている。ちなみに映画版には休憩のシーンがあったはずである。

 

三谷幸喜作品と久々の真剣勝負ということで、私は午後1時過ぎから体操を始め、神経を集中させる時に行うシャドウピッチングも繰り返すなど、万全の体制を整える。

 

午後2時、YouTubeの画面が作動する。まずは提案者の近藤芳正の挨拶である。リハーサルの時には、そもそもZoomに入るのに手間取る人が多く、全員が画面上に揃ったのはリハーサル初日は開始から1時間、2日目が20分経った頃だそうで、全員の顔が映った時には拍手が起こったそうである。自宅からZoomに参加しているので、宅配便のチャイムが鳴ったり、「石焼き芋」の声が響いたりということもあったそうである。本番では救急車のサイレンが聞こえただけで、特に障害になる物音は鳴らなかった。


近藤芳正は、「芝居の質とか、そういうことはもう期待しないで下さい。何があってもどんなことがあってもみんなで繋いでいく、最後まで終える(ショウ・マスト・ゴー・オン)、グダグダになってもやっていく」と言っていたが、ここで作者の三谷幸喜が別画面で割り込む。長い間自宅から出ていないそうで、口髭顎髭頬髭が伸び放題。しかも染めていないので髪も含めて白いものが目立つ。「よくこんな面倒くさいことやろうと思ったよね」「でもね、大体面白いものって面倒くさいからね」「グダグダって言ってましたけども僕はそんなの認めないですから。『12人の優しい日本人』といえば僕らの劇団(東京サンシャインボーズ)の代表作ですから」といういつもの調子である。その後、三谷は「12人の優しい日本人」について説明する。初演から30年、2005年の上演から数えても15年が経過しているわけで、そもそも「12人の優しい日本人」という作品を知らないという若い人も多いと思われる。

初演時のテキストを使用していると思われ、若い人には何のことかわからないこともそのまま読み上げられる。大手結婚相談所と思われるものは、2005年時には婚活サイトのようなものに置き換わっていたはずだが、今回は置き換えはない。若花田、貴花田(共に今では一発変換不可)という四股名も当時のままで、「わく」から始まる名前の女優として和久井映見の話が出るが、今だと「わく」から思い浮かぶ女性は、女優ではないがNHKの和久田麻由子アナウンサーだと思われる。そう思うと時の経過を実感せずにはいられない。


Zoomを使ってのWeb上演であるため、タイムラグが生じたり、音響に問題のある場面があったり、間が開きすぎたりという難点は当然ながら発生するが、上演形態としては面白い。「12人の優しい日本人」は本来は俳優が円卓を囲って座る形で行われる上演であり、顔が見えない人が結構いるということになる。シアター・ドラマシティでの上演はアリーナではなくステージと客席という一般的なスタイルでの上演であったため、顔が見えない場面の多い人が3分の1ぐらいはいたと記憶している。だが、今回はZoomでの上演であるため全員の顔が見える。小日向さんと温水さんは客席に背を向ける配置であった(「ハイチで会った」と変換されたのだが、なんか楽しそうだな)。常に表情の演技を続けなければならない俳優には酷な上演形態であるが、観る側としては純粋に興味深かったりはする。

 

初演時には日本には裁判員制度はなく、陪審員制度のある架空の日本という設定であったが、2005年の上演は裁判員制度開始が目前に迫っていたため、有料パンフレットには裁判員制度に関する紹介と説明が載っていた。


第1部上演終了後から第2部開始までの間が長いが、ネットで他のページを見ると集中力が途切れるため、読書のみを行って待つ。


12人の個性を生かす形で書かれた本である。「こういう人っているよなあ」という人が何人も登場し、それぞれの立場からのセリフを話す。「数学は出来ないけど理系」を自称する三谷らしいセリフの配置術が巧みに行われる。どのタイミングでどのセリフを振るのがベストかという計算が万全になされている。
こちらはおおよその内容は知っているので、セリフでないパスを受ける人がどういう表情をするのかも確認して楽しんだ。やはりみんな上手い。


東京サンシャインボーイズの全メンバーが揃う最後の公演として行った、1994年の「ショウ・マスト・ゴー・オン」(紀伊國屋ホール)が、私が観た初めての本格的な芝居だったが、その際に購入したパンフレットに、三谷が「良い芝居の作り方」というようなエッセイを載せていた。パンフレット自体は京都にも持ってきているので探せばあると思うが、記憶を紐解くと、おおよそ以下のような内容であった。劇作法に関しては一切書かれておらず、東京サンシャインボーイズとその時の客演のメンバーの人柄に触れたもので、「この人はこうこうこういう性格だが、こういうセリフや役を振ってあげると喜ぶ」だとか「この人はセリフの数が少ないと落ち込むので、なるべくセリフの数を多くしてあげる」といった内容で、役者の個性の尊重は徹底されている。だからこの芝居でも全員が主役になれる場面がある。いい加減な役が存在しないということである。論理が立つ人間から見下される役も、その人がいたからこその展開が後になされるのである。


吉田羊が演じる陪審員5号は、得た知識や情報を意見として語ってしまうタイプの人で、自分で考えた意見は余り持っていないのだが、この役は観る者に議題の内容を提示するという重要な役割を果たしている。基本的に美形女優が演じる役で、2005年の上演では石田ゆり子が演じていた。

野仲イサオが演じる陪審員11号は、一番美味しい役であり、男前俳優が演じる。映画では豊川悦司、2005年の上演ではこれが初舞台となる江口洋介という配役であった。

一番難しい役だと思われるのは、気弱なスタイルを通し続けねばならない陪審員10号。オリジナルキャストである宮地雅子はずっと泣きそうな顔で演じており、見事だった。
2005年の上演でこの役を演じていたのは、劇団四季出身の堀内敬子。彼女は私より4つ上なので、2005年にはまだ30代半ばだったはずだが、50代に見えるおばちゃんを好演。三谷幸喜によると観客や関係者には、本当に50代ぐらいのおばちゃんだと思い込んでいる人が多かったそうで、その演技力に惚れた三谷は彼女を主役とした「コンフィダント・絆」を書き、同作で堀内敬子は数々の演劇賞を受賞することになる。

最重要人物だと思われるのは相島一之が演じる陪審員2号である。相島一之は映画でもこの役を演じているが、三谷が常に当て書きということもあり、填まり役である。人間の悲しさを背負っている役でもあり、上演が終わった時に漂う切ない感じは、相島の好演に負っている部分も多いと思われる。


ちなみに三谷幸喜はドミソピザの配達員役で出演。ただ持ってきたのが少なくともピザではない何か(ドミソピザということで、五線紙上のド・ミ・ソの部分に音符の入った帽子を被っていたため、持ってきたものも譜面のように見える)で、出演者からも「これピザ?」という声が上がり、三谷も「何だこの空気は?」という言葉を発していた。


見終わって心地よい疲れを感じる。実に良い。ただ休憩のないバージョンも観たかったので、アーカイブ化された映像を、午後8時過ぎからもう一度観た。


この芝居は、小さなスペースで、俳優と観客が密集してこそ生きるものである。いわば小演劇の王道作品である。今回はWebでの上演ということで観客がおらず、やはり本当の意味での演劇にはならない。空間の共有がここにはない。それ故に、劇場での演劇という他では味わえないものの良さを真に確認出来たともいえる。
吉本ばなな風に書くと、「私がこの世で一番好きな場所は劇場である」ということも。


「僕の書く劇は誰かが嘘をついていることが多い」という事を三谷は以前にテレビ番組で語っていたと思うが、この芝居でも進行上重要な役割を担う人物が大きな嘘をついている。そしてその嘘と嘘の経験が鍵を握っている。

フィクションの重要性、俳優という存在の素晴らしさがここに提示されているように思う。


12人の優しい日本人を読む会 https://12nin-online.jimdofree.com/

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