これまでに観た映画より(175) 坪田義史監督作品「だってしょうがないじゃない」
2020年5月17日 「仮設の映画館」@京都シネマにて
「仮設の映画館」@京都シネマでドキュメンタリー映画「だってしょうがないじゃない」を観る。坪田義史監督作品。字幕付きでの上映である。
40歳を過ぎてから発達障害に含まれるADHDの診断を受けた坪田義史監督が、やはり発達障害の診断を受けた親戚(再従兄弟とのことだったが後に違うことが判明する)のまことさんとの3年間をカメラに収めた映画である。
まことさんは中学卒業後、溶接工などの職を転々とした後で、二十歳の時に自衛官となるが、ほどなく父親が死去したため、神奈川県藤沢市辻堂にある実家に戻り、以後、40年に渡って母親と二人で暮らしていたのだが、母親も死去。今は障害基礎年金を受け取り、様々な福祉サービスを受けながら一人暮らしをしている。
まことさんは、母親が亡くなってから軽度の知的障害を伴う広汎性発達障害と診断を受けた。叔母さんがまことさんの面倒を主に見ているのだが、診断を受けるには様々な資料が必要だそうで、小学校の通知表などもなんとか探し出したそうである。ちなみにオール1が並んでいるようなものだったらしい。今なら特別学級に通うことになるのだと思われるが、当時は知的障害の認定は可能だったかも知れないが、発達障害は存在すらほとんど知られていなかった時代。知的障害があることは分かっていたのかも知れないが、軽度であるため、「学習に支障なし」とされたのであろう(成績から察するに実際は支障があったと思われる)。
まことさんは、吃音はあるが、言語は明瞭であり、漢字の読み書きなども割合普通に出来る。ということで何の情報もなければ障害者には見えないが、だからこその辛さも経験しているであろう。
精神医学は近年、急速に発達しているが、枠組みも変化しており、自閉症、アスペルガー症候群、広汎性発達障害障害などはより大きな枠組みである自閉症スペクトラムに組み込まれるようになっている。スペクトラム(連続体)という言葉が表している通り、同じ障害であっても症状は人それぞれ違うというのがやっかいなところである。知的障害があるものとないものがあり(知的障害がないものを以前はアスペルガー症候群といっていたが、今ではこの区分は少なくとも積極的には用いられていない)、その他の能力もバラバラである。ただ強いこだわりなど、共通するいくつかの特徴がある。強いこだわりはコレクターという形で現れることが多く、まことさんもフィギュアのコレクションを行っている。また風呂には土曜日にしか入らず、洗濯は水曜にしかしないと決めており、変更を嫌がる。
生まれ育った神奈川県への愛着があるようで、まことさんは毎年、藤沢市を通る箱根駅伝を見に出掛け、地元の神奈川大学(私立で、略称は「じんだい」。優勝経験もある)を応援する。またベイスターズのファンであり、坪田監督と横浜スタジアムに試合を見に出掛ける前にベイスターズのレプリカキャップを購入。その後、ずっと愛用し続けている。これもこだわりであるが、障害故なのかは判然としないところである。
「レインマン」という有名な映画があるが、ダスティン・ホフマンが演じているレイモンドも今診断を受けると自閉症スペクトラムになると思われる。レイモンドもこだわりが強く何曜日の何時からどのテレビを見るかを決めており、メジャーリーガーの成績を細部まで記憶しているというマニアであった。ただ、レイモンドは計算能力に秀でたり、驚異的な記憶力や認知能力を誇るサヴァン症候群でもあったが、サヴァン症候群は極めてまれな存在であり、まことさんには人よりも特に優れている部分はないように見受けられる。ということで、計算がうまく出来なかったり、小さな事で悩んだりと余り格好は良くない。自制心に欠けるところがあるため、ビニール袋が風に飛ばされる様をずっと眺めていて(いけないとわかっていてもやってしまうそうである)隣家から苦情を言われたり、エロ本を隠し持っていたことで叔母さんに心配され、怒られたりしている。
坪田監督とは良好な関係を築いていたが、ずっと住んでいた実家を手放さざるを得ない状況となる。これまでまことさんを支えてきた親族もみな高齢化し、今後もずっとまことさんの面倒を見るというわけにもいかない。
ということでグループホームに入るという話が出るのだが、変化を嫌がるという性質を持つまことさんは、いい顔をしない。
坪田監督は、まことさんの居場所を探し、平塚市にある就労継続支援B型(B型事業所)のstudio COOCAという芸術特化型の施設を見つける。平塚までの送り迎えは自分がやってもいいという。
studio COOCAに見学に出掛けたまことさんと監督であるが、まことさんは入所する気は全くないようだ。
その後、日本三大七夕祭りの一つである平塚の七夕祭りに出掛けたまことさんは、その夜、初めてカラオケに挑戦する。予想を遙かに上回る歌唱を披露したまことさん。歌をみんなに聴いて貰いたいという希望が生まれた。
といったように概要を述べてきたわけであるが、ドキュメンタリーであるため、「レインマン」のようなフィクションとは異なり、ドラマティックなことは起こらない。ダスティン・ホフマンやトム・クルーズのような男前も登場しないし、レインマンの正体が解き明かされたりもしない。軽い知的障害を伴う発達障害者の姿そのものを映し出すに留まる。そこにメッセージ性があるわけでもない。
だが、この世界に、まことさんは生きている。確実に存在している。上手くいかないことの方が多いが、これまで生きてきて今もいる。何かのためにというわけでもなく。
本来人間というのはそれだけでいいものなのかも知れない。時代と環境とによって規定が変わっていくだけなのだ。
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