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2020年5月29日 (金)

コンサートの記(640) 「“いにしえ”からベリオ」 ルチアーノ・ベリオ「セクエンツァ」全曲演奏会2日目 知恩院三門裏

2004年10月24日 知恩院三門裏にて

知恩院へ。ルチアーノ・ベリオの「セクエンツァ(連続)」2日目にして楽日、金管楽器と鍵盤楽器のコンサート。世界で最も巨大な木像門である三門の裏での演奏である。

トランペットとピアノの作品。ピアノは弾かずに、トランペットがピアノの弦に吹きかけて共鳴効果をつけるためだけに用いるという。ただ演奏している姿が見えないので、どこで吹きかけたのかわからない。音で判断出来ないとなると、わざわざピアノに吹きかける意味がないような気もする。

ピアノの演奏。ピアノで曲を弾いたことがある人には何となくだが理解出来る曲だ。奏でるのではなく、音を置いていくといえばいいのだろうか。ストーリーではなく韻文、あるいは俳句を作るような感じで弾く曲だと思う。

「女声のためのセクエンツァ」。ソプラノは、先日神戸国際会館国際ホールで行われた佐渡裕指揮の「VIVA! バーンスタイン」にも登場した天羽明惠(あもう・あきえ)。いかにも前衛作家の書いた歌(のようなもの)という印象。天羽は途中でサングラスを掛けたりしたが、これも楽譜に書かれているのであろうか? あるいは天羽の演出だろうか?

アコーディオン。「シャンソン」という副題がついているせいかも知れないが、「セクエンツァ」シリーズの中ではメロディアスな曲だ。奏者はフィンランド出身のヤンネ・ラットゥワ。1974年生まれだから私と同い年だ。表情の豊かな演奏である。

アコーディオンの次がラストの笙。吹奏楽器と鍵盤楽器の違いはあるが音の出る原理は同じで、笙とアコーディオンは親戚のような関係だ。妙なる音色が三門の庇に反射する。朱雀門の前で笛や笙を奏でたという伝説の残る源博雅を彷彿させる。小鳥が囀るなどいい雰囲気。ヘリコプターのはばたきや、バスを誘導する笛の音は少しかまびすしかったが。


知恩院境内を歩く。ここは城郭のような設計である。というより本当は隠れ城郭である。特に黒門付近は明らかに城郭の装いだ。
京都の城郭というと二条城だが、これはどちらかというと政庁の色彩が濃く守りは手薄なので、いざという時には、ここ知恩院を城として立て籠もれるようにしたのである。ここは浄土宗だった徳川氏に手厚い保護を受けた寺。境内のあちこちに徳川氏の葵の御紋が輝いている。

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